全2件 (2件中 1-2件目)
1

最近はTikTokで250万人のフォロワーがいるmama soupというオーストラリアのインフルエンサーが顔に「スケバン」という日本語のタトゥーを入れたのが話題になっている。なんで今更スケバンなのか知らないけれど、久しぶりにスケバンという単語を聞いたので徒然なるままに不良について考えにけり。・不良とは何か不良とは素行不良の人を指す。不良というと主に10代の非行少年を指して、素行不良の小学生未満は悪ガキ、素行不良の中年はチンピラや輩(ヤカラ)と呼ばれる。不良にもいろいろ種類があって、バンカラはもともとは不良を意味したわけではなくて明治時代に西洋風の服装をしたハイカラのアンチテーゼとして擦り切れた学生服を着た野蛮じみた人を指す言葉だったけれど、『ドカベン』の岩鬼正美や『俺の空』の安田一平や『魁!!男塾』の塾生のようにフィクションではたいてい喧嘩が強い粗暴な不良として描かれていて、一匹狼が強い男とみなされて仲間と馴れ合わなかった。ヤンキーは1970年代ころに出てきた不良像で、大阪のアメリカ村で買った派手な服を着て繁華街を徘徊していたのでヤンキーと呼ばれてその呼称が関西から全国に広まったようで、校則を無視して髪を染めてリーゼントやポンパドールやパンチパーマにしたり改造した制服を着たり学校のトイレで煙草を吸ったりしていた。学校の番長とかになって他校と喧嘩をしているのは硬派、あるいは虚勢を張って突っ張っているのでツッパリと呼ばれていて、バンカラの粗暴なスタイルを継承している。女性(スケ)の番長はスケバンと呼ばれた。おしゃれして町をぶらついて「お姉さん暇ならお茶しばかない?」と女性を口説いているのは軟派と呼ばれて、女性を口説くことは「ナンパする」という動詞になって、女性から男性を誘うのは「逆ナンパ(逆ナン)」と呼ばれるようになった。軟派という言葉自体は明治時代からあったけれど、カタカナの「ナンパ」は1980年代に使われるようになったようである。暴走族は車やバイクに乗って道路交通法を無視する不良で、暴力団に目をつけられて金を上納したりスカウトされたりする。走り屋はスピードを出すのが好きで車を改造して峠でドリフトしたりしてドラテクを競うけれど、街中で暴走するわけではないし暴力行為をするわけではないところが暴走族とは違う。チーマーは渋谷とかの繁華街でたむろする都市型の不良で、裕福な家庭の子供がグレてキムタク風の茶髪のロン毛にしておやじ狩りや美人局とかの悪さをしていた。チームごとに同じ色の服を着ていた不良はカラーギャングと呼ばれたけれど、もともと外国の文化だったせいか根付かずに廃れた。中国残留孤児の不良グループとかは暴力団に所属せずに暴力団のような行為をするので半グレと呼ばれて、闇金や特殊詐欺のような違法行為だけでなくて芸能プロダクション経営や飲食店経営や格闘技団体の運営とかの合法な仕事でも稼いでいる。不良の変遷を見ていくと、粗野な一匹狼の個人が反抗していたのが仲間で結束して反抗するようになって、自己表示のために服装が派手になって学校の規則や道路交通法を破るようになって、次第に社会への反抗心や敵対チームへの反抗心がなくなって服装も地味になって違法な金儲けへと目的が変わっているようである。・なぜ不良になるのか大学は頭のいい人が社会に出るための準備をするモラトリアムと言われているけれど、不良は勉強ができない人のモラトリアムといえる。昭和の管理教育だと子供の個性を無視していただけでなくて体罰もあったし発達障害や境界知能に対して理解がなかったので、反抗的な生徒が反発して不良になった。勉強ができないからといって学校に行かずに何もしないで家にいるだけならただの引きこもりやニートだけれど、不良グループに入れば似た境遇で似た年齢の話し相手がいるし、喧嘩が強ければ同性に一目置かれて尊敬されたり異性にモテることもあるので不良グループに入るのだろう。グループ名をつけて他のグループと差別化することで帰属意識ができるし、一緒に悪いことをするとお互いに大っぴらにできない秘密を共有した状態になって絆ができて、これは友情とは違うのだけれど一応仲間はできる。学校では勉強は教えるけれどどう生きればいいかは教えないし、子供が不良になるような家庭でも生き方を教えなくて、メンターがいないどころかメンターになるべき人たちに邪険にされて生き方がわからないという点では不良に同情できる部分もある。そんで何も特技がない不良でも派手な服装をしてバイクのマフラーを改造してうるさい音を出して示威行為をすればみんなに存在が認知されて勢力が拡大して警察も追いかけてきて刺激があって楽しいので、なんかすごいことをやっている気分になって増長して武勇伝を増やしていく。しばしば不良が学校や交番を襲撃しているけれど、自分に指図したり邪魔したりしてムカつくから攻撃するという低レベルの反抗心でしかなくて、社会の仕組みを理解していないので日本を牛耳っている政治家や資本家といった権力者は襲撃しようとしない。幼稚で社会性がないからこそ深夜に爆音を出して社会を支えている労働者の安眠を妨げたり、まじめに勉強している学生をカツアゲするような迷惑なことをやる。不良として有名になったところで働かないのでは収入もないし、モテたところで収入がないのでは家庭を持てないし、犯罪で金を稼ごうとすると捕まるし、社会の役に立つどころか迷惑にしかなっていないし、いつまでも不良をやっているわけにはいかないと気づいた人から不良グループを抜けて、車弄りが好きだったら自動車整備士やガソリンスタンドの店員になったり、体力があったらとび職や解体業や格闘家になったり、話し上手ならホストになったり、音楽が好きならミュージシャンやラッパーになったり、暇なら手伝えと先輩に誘われて祭りでたこ焼きを焼いてテキヤになったりして、何かしらの人生の目的をみつけて社会人として建設的な生産活動をやるようになる。その一方で社会人になりそびれた人は半グレや暴力団とかの反社会的勢力にとりこまれていく。そうして非行少年のモラトリアムが終わる。「しくじり先生」に元暴走族だった竹原慎二が出演してやんちゃしたらいけないと反省していたように、不良が武勇伝だと思っているようなことは社会に出てからは逆に汚点になる。朝倉未来も「しくじり先生」に出て50対2で戦ってボコボコにされて失明しかけたとか暴力団に拳銃を突きつけられたとか武勇伝を語っていたけれど、竹原と違ってあまり反省している様子は見えなくて、伊集院光にヤンキーは嫌いと釘を刺されていた。昔はワルかったんだぜと自慢して威張っている人は反社会的な価値観を持ったままで更生していないんじゃないかと思う。特大のうんこを漏らしたのをどうだすごいだろうと自慢しているようなもので恥知らずである。・若者の不良離れ最近は少子化ということもあって少年犯罪の件数は減っているし、暴走族もメンバーを集められなくて解散している。果し状で相手を呼び出してタイマンで決闘する人もいなくなって決闘罪もほとんど適用されなくなっている。たぶん学校の規則が緩くなって体罰がなくなって生徒をお客さん扱いして不登校も許容するようになって友達親子のように親が子供を叱らなくなって子供が反発しなくなったことに加えて、インターネットが普及してどこかの不良グループに所属しなくてもネット上のコミュニティに受け皿ができてSNSですぐに気が合う他人とつながりやすくなって、バイクで暴走しなくてもSNSで目立って金を稼ぐ手段がいろいろあるので、わざわざ危険な暴走族に入ろうとする人がいなくなったのだと思われる。暴力団も締め付けが厳しくなって組長の使用者責任を問われるので粗暴でやんちゃな馬鹿はスカウトしなくなって、不良が度胸と腕っぷしで裏街道をのし上がるキャリアパスもなくなった。それに格闘技のイベントが充実して地下格闘技をやっている素人の不良よりもちゃんと訓練しているプロ格闘家のほうが強いのもばれてしまったので、不良が喧嘩無敗伝説とかを自称したところで素人の喧嘩の強さが憧れの対称にならなくなった。インターネットやゲームがなかった昭和は車でどこかに出かけることが娯楽だったので、車よりも安く買えて高校生でも免許が取れるバイクが若者の移動手段になったのだけれど、最近の若者は娯楽がたくさんあるので免許すら持たなくなっている。最近の若者は尾崎豊の『15の夜』の歌詞の誰にも縛られたくなくて行き先もわからないまま盗んだバイクで走りだす心情が理解できないそうだけれど、たぶん子供時代が快適になって縛られるどころかスマホを与えられて放置気味に育ったので大人や社会への思春期の反発心がなくなっているのだろう。格好いい男性像も変化して、肩肘張って男らしくツッパるよりも男性アイドルのように中性的になってやさしくて女性に媚びる軟派だらけになった。メンチを切って喧嘩に明け暮れるギザギザハートな不良が少なくなった半面、トー横キッズのように家出して友人宅を転々として夜遊びをしたり売春したり風邪薬をオーバードーズしたりして縄張りを持たないノマド不良が出てきた。本人の人生はだめになるかもしれないけれど、暴走族と違って集団としての結束がゆるくて他人や社会に直接害があるわけでもないので危険視されているわけでもない。・不良の文化ロックは不良の音楽と言われてきたけれど横浜銀蝿の『ツッパリハイスクールロックンロール』のように直接不良をテーマにしたコミカルな曲も作られたし、猫が特攻服を着てなめんなよと言っている「なめ猫」とかのかわいい不良グッズも作られた。『スケバン刑事』のような正義の不良像も描かれた。氣志團のように不良のファッションだけ取り入れている善良な人たちもいる。暴走族の改造車はアメリカの車マニアに人気があるようで、セルシオやシーマの中古車がいまでも流通している。実在の不良は迷惑な存在だとしても南米のギャングのような凶悪な犯罪者集団というわけでもなくて若気の至りの悪ふざけという側面もあるし、元不良の芸能人もけっこういてメディアでの露出も多いので、音楽やファッションの文化としてはそれなりに受け入れられていた。しかし文化としてはたいして洗練されないまま一時的な商業ネタとして消費されて不良ブームが終わったともいえる。ロックミュージシャンやファンはおじさんだらけ、バイクに乗るのもおじさんだらけで、次世代の若者に不良文化は継承されなかった。大阪の中学の卒業式で感謝ポエムを刺繍した派手な変形制服を着たり、沖縄の成人式で派手な衣装を着たりするのは不良っぽい文化と言えるけれど、これは普段のファッションでなくて一回限りのコスプレ的な扱いである。最近だと若者が漫画の『東京卍リベンジャーズ』のコスプレとして特攻服を着ているけれど、ヤンキーはもはや実際の生き方というよりフィクションの衣装という次元になってしまった。ヤンキー的な不良文化が廃れた反面で、現在はヒップホップ的な不良文化が繁栄している。1990年代からヒップホップが流行し始めて、グラフィティとしてシャッターにスプレーで落書きをする人が出てきたり、ぶかぶかのズボンをずり下げてパンツを見せている人が出てきたりして、暴走族のような暴力的な不良でなくて音楽をベースにしたファッション志向の不良になってクラブで騒ぐようになった。ラッパーが逮捕されるにしてもたいてい大麻取締法違反とかで、入れ墨だらけのいかつい見た目や過激なラップと違って実際は暴力性がそれほど高くない。あまり危険な目にあわずに不良を気取ることができて間口が広いし、夜遊びできて楽しいので文化として定着したようである。昭和はロックとヤンキーとバイクとタバコとシンナーが流行して、平成はヒップホップとコギャルとオラオラ系とクラブとマリファナとMDMAが流行して、令和に新しい不良文化があるかというと特にない。Z世代はやたらと闇バイトで捕まっている印象だけれど、馬鹿が悪人に利用されて使い捨てられているだけなので若者が自発的に作った文化というわけでもない。団塊ジュニア世代は人数が多かったので昔は未成年が流行を作るだけの行動力や影響力があったのだろうけれど、今は少子化で不良がグループを作れるほどたくさんいないし、若者は注目されることを嫌っているそうなので、若者発祥のブームを作るほどの行動力も影響力もないのだろう。Z世代発祥の不良文化がないので、平成レトロとしてまたルーズソックスを履いたりして制服を着崩しているのかもしれない。・不良とフィクション『あばれ花組』、『ビー・バップ・ハイスクール』、『疾風伝説 特攻の拓』、『湘南純愛組!』、『今日から俺は!!』とかの不良を主人公にしたフィクションだと、たいてい不良が喧嘩しながら仲間との友情を深める話で、主人公が高校生のまま物語が終わる。卒業後に普通に働き始めたら不良でなくなってキャラクターのアイデンティティーを維持できなくなるので、必然的に成人後の姿は描かれない。勉強も仕事もできない若者の青春像が喧嘩に明け暮れる不良なわけである。不良は部活系フィクションとも相性が良くて、『SLAM DUNK』の三井寿や『ROOKIES』のように不良から更生して普通に青春する展開にもできる。技術的な点で言えば、格闘技系のフィクションのようにルールやテクニックとかの取材をしなくても不良は適当に殴り合うだけで見せ場になるので取材コストが低いメリットもある。不良をテーマにしていないフィクションのキャラクターとして登場するステレオタイプな不良は物語に刺激をもたらす役割を担っている。たいてい暴力担当で、味方キャラの場合は最初は主人公に突っかかってきたのに実は根性がある良いやつだったり、あるいは敵キャラの場合は悪役として主人公に絡んで成敗されて主人公を引き立てたりする。暴力担当にしても暴力団だと毒が強すぎて味方としては使いづらくて、敵としてもアクが強すぎるのに対して、不良だと主人公の見せ場を食わない程度に個性を出せるので脇役としては使い勝手が良い。『幽☆遊☆白書』の桑原和真は主人公のライバル的な立場の不良で、顔が不細工なのでボコボコにしてもファンから苦情がこないし、不良ならではの根性があるという設定で瀕死の状態から復活しやすいので、やられ役として使うと便利である。『グラップラー刃牙』の柴千春も桑原と似たキャラ付けで、格闘技の素人の暴走族がボコボコにされながら根性で戦って脇役なりに見せ場を作っている。主人公が不良の人気作品は多いけれど、不良を出したからと言って人気になるわけでもない。『仏恥義理ステッチ』はスケバン風の見た目のアフロ主人公がかわいい手芸をするというギャップを売りにした展開の最近の漫画だけれど、フックが弱かったのか3巻で完結して長続きしなかった。作品にヤンキー的な要素を入れたところでもはやヤンキー文化がなくなっているので古臭い感じになって現代の読者にはあまり刺さらないようである。昭和や平成の古い不良像を現代にリバイバルしようとするよりも、新しい不良像を打ち出す方がフィクションとしてはウケがよさそうな気がする。しかし何かの正しい規範があるからこそ制服の着崩しとかのファッションが出てくるけれど、規範がなくて各自が好き勝手やっている現代だと規範から少しはずれたキザな感じが出しにくいし、単に粗暴なだけだと筋を通す不良の美学やいざという時に頼りになる番長のような格好よさがなくなるので、魅力的な不良のキャラクターづくりとしては昔よりも難しくなっている。『ONE PIECE』の海賊もある意味不良で、現実世界の不良が少なくなっているからこそファンタジー世界でライバルや権力者を相手にして暴れる話がウケるのかもしれない。
2023.11.23
コメント(0)
最近は秋田で熊を射殺したら役所や猟友会に熊を殺すなと抗議の電話が来て業務に支障が出ているそうである。北海道の大千軒岳では大学生が熊に殺されたし、出没が増えた熊をどうするかが問題になっている。というわけで徒然なるままに熊について考えることにしたくま。●熊とは何か日本にいる熊は本州にはツキノワグマが8400-12600頭いて絶滅危惧II類(VU)で、北海道にはヒグマが2000-3000頭いる(春グマ駆除の廃止とハンター不足で2020年度に推計値で1万1700頭に急増したという情報もある)。九州のツキノワグマは絶滅している。ツキノワグマは100km2程度の範囲で特定の餌場を中心に移動しながら生活していて、雑食で季節によって食べるものを変えていて、春はフキとかの柔らかい植物の若葉やシカの死体を食べて冬眠後の体力を回復して、夏は葉っぱが固くなって食べられないので植物不足を補うためにアリやハチとかの昆虫やミヤマザクラの実を食べて、秋は冬眠に備えてサルナシやヤマブドウとかの果実やミズナラのドングリを食べて、冬は何も食べずに冬眠する。ツキノワグマは野生では20年くらい生きて、4歳ぐらいから繁殖が可能になって数年おきに冬眠中に1-2頭の子供を産んで、1年半子育てしてから子別れする。畑に近い所にいるクマは作物や家畜や養殖している魚を食べたりするし、人家や市街地に出没する熊は危険なので、害獣として駆除される。環境庁の「クマ類の捕獲数(許可捕獲数)について」によると、だいたい年間3000頭くらいが捕殺されているようである。ツキノワグマとヒグマを合わせて10400-15600頭いるうち3000頭が捕殺されていると多いような印象だけれど、大雑把な推計をすると最低でも10400頭いるうちの半分の5200頭が雌だとして、繁殖可能な4歳以上の雌が4/5の3900頭いるとして、それが1年半に1-2頭子供を産むとすると3年で平均3頭、1年で1頭くらい子熊が増えることになって、毎年3900頭の子熊が増えることになる。となると年間3000頭くらい駆除しても、雌や子熊を集中的に駆除しないかぎり熊が絶滅することはなさそうである。ただし正確な頭数は把握できていないし近年熊が増えているという情報もあるので、まずは頭数を把握しないと適正な狩猟数がどれくらいかはわからない。熊は警戒心が強くて人の声を聞くと警戒して逃げていくけれど、子連れの熊にうっかり遭遇すると子熊を守るために攻撃してくるし、登山中に気づかずに突然出会うとびっくりして襲ってくるし、熊のマーキングに気づかずに縄張りに入ると縄張りから排除するために襲ってくるし、好奇心でなんとなく襲ってくることもあるし、いったん人間を襲って食べられるとわかると足が遅くて弱くて狩りやすい餌として人間を認識して何度も人間を襲うようになるので、人を襲った熊は危険視されて駆除される。飢えた熊は危険で、1886年にはカナダのラブラドール地方で飢えたホッキョクグマの群れがイヌイットの集落を壊滅させたそうな(古い事件なので真相は不明で、フェイクニュースという情報もある)。熊は獲物に執着する性質もあって、1915年の三毛別羆事件では最初の犠牲者の遺体を見つけて村で葬儀をしたところをヒグマが襲撃しているし、1970年の福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件ではヒグマがあさった荷物を取り返したせいかヒグマが延々と追いかけて襲撃している。熊は背中を見せて逃げると追いかけてくる習性もあるので、熊と出くわしたら熊を刺激しないように静かに後ずさりして離れるのがよいと言われている。熊は前足が短くて上り坂を走るのは得意でも下り坂を走るのは苦手なので、熊から逃げるときは下り坂方面に逃げるのがよい。・熊の理想と現実熊はずんぐりしているのでかわいいキャラクターとして描かれがちで、くまのプーさんやテディベアやリラックマとかには爪も牙もついていない。ある程度の知能もあるので、サーカス団で飼われて芸をする熊もいるし、動物園で棒を振り回す熊の動画も話題になった。しかし現実の熊は簡単に人を殺せるほどの身体能力を持っている猛獣である。2022年には長野県で20年飼っていたツキノワグマに全身を噛まれて男性が死亡していて、熊は噛むことで親しみを示すそうだけれど、熊同士なら愛情を確かめ合うことができても人間の体は熊の愛に耐えられない。アメリカの熊愛好家のティモシー・トレッドウェルはアラスカで13年間夏にハイイログマと生活したものの、結局恋人とともに熊に食い殺されている。中国だとパンダが好きな人が動物園に乱入して爪でひっかかれて大けがをしている。熊はぬいぐるみのようなかわいいだけの動物ではないし、人を襲う害獣になりうる。・熊が山から出てくる原因熊が山を出て人家があるところに出没するのには複数の原因がある。基本的に山に餌がたくさんあればわざわざ山から出てこないので、餌が不足しているのが主な原因になる。自然の原因としては、天候不順などで果実の実りが悪かったりして餌が不足すると、強い熊が餌場を縄張りにして弱い熊は山のふもとまで追い出されてしまって、餌を探して人家まで来てゴミをあさったりする。熊が増えすぎる事でも相対的に餌が不足することになる。人間が原因の部分としては、過疎化で里山が維持できなくなって草刈りがされなくなって民家の近くまで藪が茂って熊が接近しやすくなったり、空き家の庭の柿や栗の木が放置されて熊が引き寄せられたり、猟師が高齢化して害獣駆除が追い付かなくなって鹿が増えてミズナラが食害で剥皮して枯れてドングリが不足するのも原因になる。あと体温が高くて冬眠し損ねた熊は穴持たずと呼ばれて、冬は山に食べ物がないので徘徊して山を出てくる。あとマナーが悪い登山者やキャンパーが山に食べ残しとかを捨てると、人間の食べ物の味を覚えた熊が人間を怖がらなくなって食べ物を奪おうとして人間を襲うようになってしまって、危険な個体として駆除対象になる。熊が多いアメリカやカナダのキャンプ場では熊が食料をあされないように金属製の頑丈な食料保管庫やゴミ箱があったり、食料の匂いが漏れないように密閉容器に入れて持ち運んだり、テント内に食料や匂いがする化粧品や洗面用具を持ち込まずにロープで木の上に食料が入ったリュックをつるしたり車の中に入れたりしていて熊対策が徹底しているけれど、日本だとキャンプブームに乗っかっただけのにわかキャンパーが多くてゴミを持ち帰る程度のことさえ徹底していない。知床でソロキャンパーが残飯を出したまま寝てカラスに荒らされて周りのキャンパーに罵詈雑言を浴びせられた話をXで見かけたけれど、そういう人は自分や周りの人が熊に襲われるかもしれないという危機感や想像力がないし、自然の生態系を乱しているという自覚もないのだろう。●熊の射殺の是非熊の射殺に対して抗議の電話をする人はたいてい熊が出た自治体に住んでいない人で、かわいそうだからというのが抗議する理由のようである。私は熊よりも地域住民の生命や財産の保護が最優先されるべきだと思うし、役所は地域住民でない人の意見に取り合う必要はないと思う。デヴィ夫人がアメリカでは熊を麻酔銃で捕獲して山に返していると言って批判されていたけれど、熊を殺すなという人は麻酔銃で簡単に安全に熊を生け捕りにできると誤解しているようである。環境省の「住居集合地域等における麻酔銃の取扱いについて」によると日本では猟として麻酔銃を使っていいのは原則ニホンザルだけが対象で、熊には効果が表れるまでに時間がかかるし、撃たれたことで熊が興奮して周囲に被害を出す恐れがあるので原則としては許可されていない。環境省の「クマ類の出没対応マニュアル」によると、屋内等の熊が逃走できない場所や、逃走する姿を継続して視認できる場合は麻酔銃による捕獲をするようで、例えば10月29日に岩手県奥州市の住宅の倉庫に入り込んで閉じ込めた熊に対しては麻酔銃を使って捕獲している。麻酔銃の理想と現実の違いを解説した漫画がSNSでバズっているけれど、もし熊相手に麻酔銃を使うとしても銃だからといってスナイパーみたいに遠くから安全に撃てるものでなくて10-15メートル程度しか射程がないので時速40-60キロで走る熊に対してかなり接近して襲われるリスクを負って撃たないといけないし、連射できないし、名探偵コナンみたいに麻酔針が刺さったらすぐに意識をなくすような即効性もないし、誰でも麻酔銃を撃てるわけではなくて麻薬の知識がある獣医師しか麻酔銃を撃てないけれど銃の扱いに長けた獣医師がいないという麻酔を扱う上での法的な問題がある。麻酔を打てば安全というものでもなくて、熊の大きさと麻酔の量が合わないと麻酔が効かない場合もあるし、捕獲した熊を放獣するときにも熊に襲われる危険が伴う。YouTubeの「マタギが山で体験した不思議な話」というマタギへのインタビューで熊が飛ぶように早く走って弾が当たらないという話をしているように、マタギでさえ動いている熊に当てるのが難しくて命がけで猟をしているのだから、普段銃を使っていない獣医師が連射出来ない単発の麻酔銃を使って動いている熊に接近して命中させて捕獲するのは捕獲する側のリスクが大きすぎて現実的でない。アメリカの熊の捕獲のやり方を調べてみたら、アラスカの「Wildlife Capture and Chemical Restraint Manual」によると、熊に対してドラム式箱罠を併用しつつ、ヘリからチレタミン・ゾラゼパム混合液の麻酔やケタミン・キシラジン混合液の麻酔を撃って捕獲しているようで、ケタミンの効き目が出るまで20分程度かかって2時間の鎮静作用があるようである。カナダではWildlife Care Committeeの「Capture, Handling and Release of Bears Standard Operating Procedure」によると、ドラム式箱罠とTelazol(チレタミン・ゾラゼパム混合液)やMZT(メデトミジン・チレタミン・ゾラゼパム混合液)の麻酔を使って捕獲して襟や耳にタグをつけていて、ヘリのパイロットは獲物を追跡するスキルがある熟練者でなければならないと定めていて、妊娠中の熊と子育て中の熊は捕獲してはだめで、麻酔で動けなくした状態での大口径の銃による安楽死や出血による安楽死や塩化カリウムの静脈注射による安楽死は人道的方法として認められているようである。日本でもヘリを使えるなら地上から麻酔銃を撃つよりも安全に麻酔銃を撃てるだろうけれど、ヘリから麻酔銃を撃つ訓練をしている獣医師はたぶん日本にはあまりいないだろうし、アメリカの山よりも日本の山のほうが地形が複雑で風が強いので山岳ヘリの操縦が難しくてヘリの墜落のリスクを冒してまでヘリで熊を追跡して麻酔銃を撃つ必要があるのか疑問である。経験豊富な猟友会の猟師に頼んで熊を射殺してもらうのが予算的には安上がりで、熊の被害の予防という点では確実な手段である。そもそもアメリカは熊にやさしい国ではない。カリフォルニアハイイログマは家畜を襲うので害獣として駆除されて1920年代に絶滅させているし、メキシコハイイログマも同様に害獣として駆除されて1960年代に絶滅したようである。アメリカクロクマやアメリカヒグマは何十万頭も生息しているけれど、かつて北アメリカに広範囲に生息していたのを駆除してきたので現在の生息域はほとんどカナダ側である。広大な国土にいたクマのうちの2種を絶滅させるほど数を減らしたから熊と共存できているという歴史を無視して、アメリカには広大な土地があって熊の餌が十分にあることも無視して、アメリカよりも国土が狭くて平野が少なくて山と人家の距離が近い日本の地形も無視して、アメリカで熊を殺さずに捕獲しているのだから日本でも同じようにやれというのは都合のいい部分しか見ていなくて現実的でない。熊を殺すなという批判も、環境保護のための科学的な理由での批判と不殺のイデオロギーが理由での批判を分けて考える必要がある。熊が絶滅しないように生息数の維持のためになるべく殺さないようにするほうがよいという環境保護団体の主張ならわかるし一時的な凶作の時に保護するのはよいけれど、熊が増えすぎた分を駆除するのは問題ないだろう。ヴィーガン系の動物を殺すのがかわいそうというナイーブな人の意見を聞いたところで熊だけでなくて狩猟自体に反対なのだろうし、「かわいそうだから」という個人的な主観的な理由で抗議する人は無視してよいと思う。熊を保護したい人は自分で金を出して麻酔銃を撃てる獣医を訓練してヘリをチャーターして保護活動をやればいいし、金も労働力も出さずに役所への苦情の電話だけで自分の理想の世界の実現を要求するのは横着である。電話で脅迫したりして役所や猟友会の業務を妨害するやり方も主張を発信する方法として間違っているし、市民の支持を得られないだろう。猟師は命がけで熊を駆除しても6千円から1万円程度しかもらえないのに熊用ライフル弾は20発で1万円以上するそうでリスクが大きいのに儲けがなくて割に合わない仕事だし、環境保護団体が代わりに命がけで麻酔銃で熊を捕獲してくれるならそのほうがよいだろう。それに飢えて市街地に出没する熊を殺さずに生け捕りにして山に返しても結局飢えて死ぬし、人間が自然のすべてをコントロールすることはできないのだから、人間が殺しても殺さなくても餌場の縄張り争いに負けた熊はある程度死ぬものだと受け入れるべきで、絶滅の恐れがないのであれば個体数を把握しながらある程度の頭数を狩猟の対象にするのも問題ないだろう。すべての生き物はいずれ死ぬかわいそうな存在である。熊を射殺せずに保護する具体的な対策としては、戦後に植林された杉を伐採してブナやミズナラを植樹するなり凶作を予測して熊に餌を与えるなりして熊が飢えないようにすればいいけれど、ミズナラを食べて枯死させる鹿の駆除もしないとドングリは増えないので猟師が鹿を駆除する必要がある。しかし鹿を駆除しても死体をちゃんと処分しないと、熊が鹿の肉を食べて体温が高くなって冬眠しなくなったり、肉の味を覚えて人を襲うようになってしまうそうで、人間の都合で野生動物の行動をコントロールをするのは難しい。人を害する可能性がある熊が射殺されるのは仕方がないにしても、山奥のソーラーパネル建設とかの動物の生息域や行動パターンを変えるような大規模な開発はむやみにやらないように改善するべきである。あと射殺よりもドラム式箱罠で無傷で捕獲するのを優先するように駆除の手順を決めるとか、比較的危険性が低い子熊は山に返すとか狩猟の対象にするのも禁止するとかの対応でよいのじゃなかろうか。
2023.11.09
コメント(2)
全2件 (2件中 1-2件目)
1


