全5件 (5件中 1-5件目)
1
最近は『セクシー田中さん』という漫画の作者の芦原妃名子が原作が未完であることを理由に原作に忠実であることを条件にしてドラマ化を許可したのに、キャラクターが原作とは別人のように変えられたり、作品の核となる部分がカットされたりして、結局は原作者が脚本に加筆修正する事態になったそうな。それで芦原妃名子が29日に栃木県のダムで自殺しているのが見つかったけれど、この自殺には原作改変騒動によるストレスも無関係ではないだろう。私は芦原妃名子の作品を読んだことがないけれど、死屍累々の漫画業界で作品を世に出せる才能がある人がこんな形でいなくなるのは残念なので、これについて考えることにした。●なぜ原作は改変されるのか作者には同一性保持権があるので、ドラマ化などで翻案の許可を与えたとしても作者が同意していない改変は同一性保持権の侵害になる。しかし小説や漫画や映画はメディアごとに表現の形式が違うので、何かを原作にして違うメディアで表現しなおそうとすると忠実に再現しきれないところがでてくる。例えば小説だと自由に章立てできるので長い場面を展開できるけれど、ドラマや映画だと時間の制限があるのでカットせざるを得ない部分が出てきて重要でないエピソードやキャラクターを減らしたり、逆に短いエピソードを引き延ばしたり複数のエピソードつくっつけて1話分にまとめたりする。これは改変されても仕方がない部分として原作者や原作ファンも受け入れられるだろう。しかしテレビや映画はスポンサー集めのためにキャストありきで制作しようとして、原作に合わない俳優をねじ込むためにキャラクターの年齢や性別を変えたり、オリジナルキャラクターを登場させたり、調子に乗ったジャニーズのタレントが勝手にセリフを変えたりする。これは同一性保持権の侵害に当たって原作者や原作のファンには受け入れられない改変なので原作レイプとも呼ばれる。個人で活動していて小説家や漫画家よりも資本力がある出版社やテレビ局のほうが契約上の力関係が大きいので、著作権が十分に守られていなくて勝手に改変されて、原作者が納得していなくても権力や納期で押し切られてしまう。特にテレビや映画のプロデューサーは原作を宣伝してやっていると勘違いして原作者を見下しているようで、原作者の権利が侵害されたことによるトラブルがしばしばある。例えば『海猿』をドラマ化・映画化したフジテレビが原作者の佐藤秀峰の許可を得ないまま関連書籍を出版して揉めて映画の続編が作られなくなった。万城目学は映画のオリジナル脚本の仕事を受けたらボツになった挙句にアイデアを盗用されたとTwitterで愚痴を言っていた。辻村深月は『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』のドラマ化の撮影直前で脚本をチェックして納得できないとして許諾を取り消したら、NHKが講談社に約5980万円の損害賠償請求を求めて提訴した。結局NHKの訴えは棄却されたけれど、気の弱い原作者なら出版社に迷惑をかけたくないとか裁判に巻き込まれたくないとかの理由で我慢して改変を受け入れてしまうかもしれない。映画について考えるでも考えたけれど、日本の映画やドラマはシナリオがダメである。ネットがなかった頃の1990年代までのテレビは『寺内貫太郎一家』や『おしん』や『家なき子』や『ひとつ屋根の下』や『ロングバケーション』とかのオリジナル作品で視聴率20%以上のヒット作が出ていたけれど、いつの間にか原作ありの作品だらけになってオリジナル作品を作れる脚本家が育っていないようである。テレビ番組を作りたくてテレビ局に入社した昭和時代の人たちから金と安定が欲しくて大企業に入社した平成時代の人たちに代替わりして大企業病になって、コケるリスクをとって自分でコンテンツを作って発信しようとする制作意欲や作品の良し悪しを判断する審美眼がなくなって原作に頼るようになっているんじゃなかろうか。それでプロデューサーは自分でコンテンツを作れないくせに大企業のテレビ局や映画会社のエリートの肩書で零細原作者を見下すちぐはぐな状況になっているのだと思う。原作だけ欲しくて原作者は邪魔だから口出しすんなという同一性保持権を軽視する態度は経済界が労働力だけ欲しくて人はいらないというのに似ていて、人を軽視した拝金主義的なやり方で感じ悪い。脚本家も原作を忠実に再現する裏方仕事に徹することができないようで、オリジナル脚本を作れないくせに自分のアイデアを盛り込もうとして原作を壊す。実写化した駄作として有名な『DRAGONBALL EVOLUTION』に対して原作者の鳥山明は「脚本があまりにも世界観や特徴をとらえておらず、ありきたりで面白いとは思えない内容だった。注意や変更案を提示しても、製作側は妙な自信があるようであまり聞き入れてもらえず、出来上がったのも案の定な出来のドラゴンボールとは言えないような映画だった」と言ったそうで、原作の設定を使って原作者よりも面白い作品を作れると勘違いしている根拠のない妙な自信が原作ありのドラマや映画が改変されて駄作になる根本的な原因になっている。原作がある作品のメインの客は原作のファンなのだから、制作者が自己満足しようがファンが満足しないのであれば失敗作である。『ONE PIECE FILM RED』みたいに原作にはない映画版のオリジナルストーリーでも原作者が監修して原作の世界設定やキャラクター像に沿って作られていればファンも受け入れるのだから、プロの脚本家なら自己満足のために仕事をせずに客の方を見て仕事をするべきだろう。原作者が死んだ場合は財産権としての著作権は遺族に相続されても著作者人格権(公表権、氏名表示権、同一性保持権)が消滅するので、作品が改変されうる。例えばトヨタのCMで実写版ドラえもん役にジャン・レノが起用されたけれど、藤子・F・不二雄が生きてたらロボットであることにこだわって許可しなかった可能性もある。・同一性保持権の無理解5ちゃんねるでの議論を見ていると、ドラマ化を許可したのなら原作者は口を出すなという人や、改変した方が原作よりも面白くなるならいいという人がいたけれど、そういう人たちは同一性保持権を理解していないようである。プロデューサーや脚本家も同一性保持権を理解していなくて、翻案の許可をもらったら内容も好きに変えていいと誤解していて改変が常態化しているのじゃなかろうか。難しい法律の話でなくて原作者の同意なしに内容を変えてはいけないという一般常識レベルの話なので、同一性保持権を理解できない人はコンテンツビジネスに関わるべきでない。作者にとって作品は自分の思想を表現した存在の分身や子供のようなもので、だからこそ思想の表現でない工業製品とかと違って同一性保持権があるのだけれど、自分で作品を作ったことがない人にはその概念が理解できないようで加工素材程度にしか認識していないようである。たとえ下手でつまらなくて売れない作品だとしても作者はその内容の同一性を保持する権利があるし、意にそぐわない改変を防ごうとするのは原作者のわがままではなくて当然の権利である。自分の子供が勝手に名前を変えられたり整形手術をさせられたり性転換させられたりBLカップリングのネタにされたりしたら誰でも文句を言うだろうし、面白さの追求とか金儲けとかのどんな理由であれ思想の表現を勝手に変えていいものではない。原作レイプは原作者の魂の殺人である。脚本家の存在意義は原作を改変してオリジナリティーを付け足すことではないし、原作を違うメディアで再現する職人としての裏方仕事に徹することができない脚本家は原作がある作品の脚本を引き受けるべきでない。もし大工が建築士の図面を無視してオリジナリティーを出そうとして部屋の間取りを勝手に変えて家を建てたら施工不良として損害賠償請求されるし、通訳が相手の発言を忠実に翻訳せずに勝手に自分の意見を付け足したら通訳としては役に立たないように、脚本家なのに原作の同一性保持権を無視してオリジナリティーを出そうとする奴は自分の仕事の役割をわかっていない無能な働き者である。●原作を改変されないようにする方法『鬼滅の刃』みたいにアニメ化やドラマ化をきっかけに人気が加速して原作も売れることもあるので、他のメディアで展開することは原作者にとっては必ずしも悪いことではない。しかし『セクシー田中さん』のように原作に忠実であることを条件にしてドラマ化を許可しても無視されて原作を改変されるとなると、ドラマ化や映画化を許可しないことが同一性保持権を守る確実な手段となる。漫画家の井上雄彦が『SLAM DUNK』の映画化の際に自分で監督・脚本を担当したように、製作者側に入って権限を持てれば一番よいのだけれど、原作者が有名でない限りそこまでの権限は持てないだろう。ドラマ化や映画化をするにしても相手を選んで交渉して、原作レイプの前歴があるプロデューサーや脚本家は避けるべきだろう。それでも原作レイプが起きた場合は、小説家や漫画家たちが組合を作って1年くらい新規のドラマ化を全員で拒否して出版社やテレビ局のやり方に抗議するなりしないと、今後も原作者や原作が軽視されて100-200万円の安い原作使用料でテレビにネタを提供する有料素材扱いされて同一性保持権は尊重されないだろう。あるいは原作でなく原案扱いにして原作と切り分ければドラマ化や映画化が失敗しようが原作には傷がつかないで済む。楠桂の『八神くんの家庭の事情』や、きくち正太の『おせん』のように、ドラマ版が原作とあまりに違うことを原作者が受け入れられない場合は後から原案扱いに変える場合もある。あるいはテレビ局が最初からメディアミックスの製作チームに加わってメディアごとのプロデュース方針を決めていれば後で揉めずに済む。例えば『機動警察パトレイバー』はゆうきまさみが編成したヘッドギアというグループのメンバーが作品の設定を共有して、漫画版では組織犯罪絡みのシリアスなストーリーを展開している一方で、OVA版にはAV98星雲から来たイングラマンみたいな漫画のストーリーとは関係がないパロディ回もあって製作者が遊んでいるけれど、それに対して漫画版のファンが怒るわけでもなくてOVA版はそういうテイストとして受け入れられる。テレビ局がリスクを取らずに人気になった作品だけ原作として利用して都合がいいように改変したいという態度ではクリエイターやファンの信頼は得られないだろう。作者に無断でエロ同人誌を販売されたり、夢小説のカップリングネタに使われたりするのも同一性保持権の侵害になる。作者が二次創作を認めなくて法的な対処をする旨を公式サイトで公表すれば、作者の意向を汲んだファンが違法な同人誌を見つけて告発してくれて被害防止になる。●メディアミックスの危険性小説や漫画を翻案した時に改変したアニメ版やドラマ版や映画版のほうが認知度が高くなってしまうと、原作の存在が薄くなって原作者が表現したかったことは伝わらなくなる。例えば『サザエさん』や『ルパン三世』はアニメ版はたいていの人が知っているけれど、原作の漫画を読んだことがある人はほとんどいないだろう。長谷川町子やモンキーパンチはアニメ版が自分の漫画とは違うと文句を言っていたけれど、いったんアニメ版が世間に定着してしまうと覆せなくなる。作者の思想や感情を表現した作品から金儲けするための商品に変質して、それが代表作のように扱われてしまう。創作をただの金を稼ぐための手段だと割り切れる人ならそれでもよいけれど、後世に自分の作品を残したい人は安易にメディアミックスをしないほうがよい。●脚本家の言い分小説や漫画は作家個人の才能に依存して作品単体で完成しているのに対して、脚本は役者に演じてもらわないことには作品にならないのでチームで作品を作ることになる。アメリカだと脚本の第1稿は買い取られて報酬を得る代わりに脚本に手が加えられることを認める契約をして、ライターズ・ルーム方式で複数の脚本家がアイデアを出し合って合作している。作品が属人的で同一性保持権がある小説や漫画の作者と、チームで制作して脚本を変えることが前提になっている脚本家では話がかみ合わないのも当然である。オリジナルの脚本を変えるのは好きにすればいいけれど、すでに作品として独立して完成している小説や漫画を改変しようとするから問題になる。日本映画製作者連盟の記者会見で東映、東宝、松竹、KADOKAWAの社長が原作を尊重する姿勢をコメントしたけれど、原作者が同意しなければ作品作りができないのだから尊重して当然である。しかしその姿勢が現場の監督や脚本家や俳優に浸透していないのではなかろうか。日本シナリオ協会が「緊急対談:原作者と脚本家はどう共存できるのか編」という動画をYouTubeにアップロードしたけれど、原作は大事だけど原作者には会わなくていいというような原作者を軽視するような発言が批判されたようで動画が削除された。実際にどんな発言があったのかは動画が削除されたのでわからないけれど、何か言いたいことがあるなら動画を削除しないで誤解がないようにさらに詳しい説明をしないと一般人には伝わらないだろう。表現者の端くれなら、動画を消さず、SNSを鍵垢にせず、批判に対して反論すればいいではないか。今言わずにいつ言うというのだ。
2024.01.30
コメント(2)
こないだ芸とモラルについて考えたので、ついでに下ネタ等の表現の是非についても考えることにした。●性欲と表現人間は基本的に異性と交尾をしないと繁殖しないし、他の動物のような繁殖期がない代わりに快楽によって繁殖を促す仕組みになっていて快楽を求めていつでも発情するので、性欲は誰にでもある。しかし快楽にふけってばかりいると浮気や嫉妬から争いが起きたりして弊害があるので、たいていの宗教では性欲を節制することをモラルとして定めていて、他人に性欲を見せることは下品なこととされて、性欲は劣情とも呼ばれる。しかし性欲を創作に転化して昇華すれば芸術作品になりうる。人間同士の愛情を主題にすればロマンスになるし、性的な行為を主題にすればポルノになるし、その中間は下ネタになる。現代では異性に対して愛情を持たず、性的な行為をしなくても人工授精で子供を持つこともできるけれど、それだとロマンスにもポルノにもならなくてフィクションとしては見どころが乏しくて読者の共感を得られないので、人工授精がフィクションの主題になることはあまりない。タンゴやサルサやベリーダンスやダンスホールレゲエのような性的なアピールをするダンスがあるように、性的だからといって必ずしも芸術的な価値が落ちるわけでもない。変態的な性欲を描いたマルキ・ド・サドやザッヘル=マゾッホも人間の一面を掘り下げてサディズムやマゾヒズムの概念の起源となったという点では歴史的な価値がある。●性欲がクリエイターの支援になる誰でも性欲を持っているので、性欲を刺激したり解消したりできる作品にはいつでも需要がある。それゆえにポルノはスポンサーを集めにくい若手のクリエイターや貧乏なクリエイターの金策の手段にもなっていて、水清ければ魚棲まずというように、ポルノが規制されて道徳的できれいな創作だけになってしまうとクリエイターも困る。例えば絵だと葛飾北斎が鉄棒ぬらぬらという隠号を使って春画を描いたり、漫画家やイラストレーターがコミケやfanboxでエロ同人誌を売ったりする。女優は役のために脱ぐことで仕事が広がるので、ハリウッド女優でも若くて無名な頃に濡れ場がある映画に出演してコネと実績を作ってのし上がっている。コスプレイヤーはOnlyfansでエロコンテンツを配信してコスプレ費用を捻出している。需要があるところに商品を供給するのは経済活動としては当たり前の事なので、クリエイターが別名義でこっそりポルノを売っていたりしても批判されるようなことではないと私は思う。●芸術とわいせつとの境界基本的人権に表現の自由があるので、性的だからといって表現は規制されるべきではない。しかし社会の公序良俗を守る必要もあるので、どこまでなら良いのか悪いのかという線引きが問題になる。小説や漫画のような架空のキャラクターによるフィクションには被害者がいないので、架空のキャラクターがセクハラされようが殺されようが法律は適応されないけれど、実在する俳優が演じる場合は法律に沿った配慮が必要になる。志村けんのバカ殿様のようにコントの中で女性にセクハラする役を演じる場合は相手の女性もセクハラされる役を演じることに同意しているのでセクハラとはいえなくてコメディとして成立する。しかし江頭2:50のようにコントとしての脈絡がないまま性器を露出して突撃して相手が嫌がる様子を見せ場にするのは思想の表現とはいえなくて独自性がないのでセクハラや公然わいせつに該当するだろうし、実際に2013年にイベントで全裸になって観客席に飛び込んだとして公然わいせつ罪で略式起訴されている。公然わいせつ罪でのわいせつな行為とは「徒らに性慾を興奮又は刺激せしめ且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し善良な性的道義観念に反するもの」を指すけれど、どの程度なら性的羞恥心を害するのかよくわからないので、裸に対する扱いは難しい。外国のファッションショーだとしばしばモデルが半裸で歩いたりするけれど、これはモデルに対する性的な文脈がなくて服が焦点なので公然わいせつには当たらない。欧米だと人間が裸になる権利も認めているので、ヌーディストビーチという限られた場所でなら裸になっても違法でないようになっている。日本だと慣習的に混浴する文化があったので、温泉で大勢の異性の前で裸になってもそれで羞恥心を害するわけではないので公然わいせつはならない。ストリップ劇場はダンサーの行為や劇中の演出が観客の性欲を刺激するという理由でしばしば公然わいせつで摘発されているけれど、日本芸術労働協会が「ストリップは演者・観客両者の同意の上でなりたっています。公然わいせつ罪の改正を求めます」と抗議しているように、同意しているのなら羞恥心を害するとは言えないかもしれないし、性的なダンスも自己表現になりうるのでむやみに規制や摘発をするべきではないだろう。アフリカのンドンボロという音楽は腰振りダンスがわいせつで下品だということでコンゴ民主共和国では禁止になったようだけれど、私からしたら禁止するほどわいせつには見えない。被害者がいるセクハラはダメだけれど、自己表現としての下ネタには寛容であるほうが芸術は発展すると思う。●下ネタの価値下ネタは直接行為を示さずに婉曲に仄めかすやり方にユーモアがあって、芸術作品としての完成度は低くても文化的な価値はある。ポルノはエッチして終わりというワンパターンな展開になりがちだけれど、下ネタはユーモアの出し方に言葉遊びやしぐさとかの個性がでる。芥川賞を受賞した森敦の小説『月山・鳥海山』には「隣のあねちゃのすりこぎ変えて泡が出るほど擦ってみてえ」(本が手元にないのでうろ覚え)みたいな猥歌が取り上げられていたけれど、こういうのはその時代にその土地で生きた人の素直な欲が出ていて人間味があってよい。お笑いコンビ天津の木村の「なんだか今日行けそうな気がするぅ~」というエロ詩吟は男の下心を詩として吟じる芸で、モテない人が行けそうだと勘違いしているところに面白さがある。Numanielという歌手のsakashitaという曲は坂下千里子にちんこでビンタしたいという欲望を歌ったくだらない歌だけれど、くだらない歌をわざわざ作詞作曲して一生懸命歌うところにおかしみがある。シーモネーターというラッパーは名前の通り下ネタを売りにしていたけれど、SEAMOと改名して下ネタから転向して紅白歌合戦に出演していて、下ネタでの下積みがエンターテイナーとしてのキャリアアップにつながっている。Grausame Tochterというドイツのバンドはステージ上で全裸で放尿したりするBDSM的なパフォーマンスを売りにしている。ロックやパンクのように社会的規範に対する反抗のエネルギーも人が生きる原動力になるし、性の規制に対しても反発して芸術として表現することは正当化されうるだろう。
2024.01.29
コメント(2)
最近はダウンタウンの松本人志が2015年に都内ホテルで開かれた飲み会でスピードワゴンの小沢に素人女性を集めさせて同意のない性的な行為をしたと週刊文春に報道されて、吉本側は行為があったこと自体は認めて同意したか否かが争点になっている。そもそも品行方正に生きていれば醜聞になることもないけれど、芸人には醜聞が多いので、芸とモラルについて考えることにした。●松本の行為の問題・同意があった場合の問題同意があった場合は女性と文春が嘘をついて名誉を棄損したことになる。しかし同意があったとしても既婚者が愛情なしに女性を単なる性処理の道具として扱うことは多目的トイレで女性に一万円を渡して性欲を発散していたアンジャッシュの渡部建と同様に女性から反感を買う。2015年の『人志松本のすべらない話プレミアムライブin 福岡』で松本人志が福岡に来た時に博多大吉が女性を飲み会に呼んでも何をされるかわからないと女性たちが怖がって集まらなかった話をしていたように、後輩に指示して好みのタイプの素人女性を集めさせた飲み会は長年常習的にやっていたのだろう。自分で気に入った女性を口説いたのなら不倫という個人的な問題でしかないので浜田のパパ活不倫みたいに大事にはならないけれど、既婚者で子供がいるのに後輩に好みを指示してヤレる素人女性を連れてこさせてヤリ捨てするのは社会的な倫理観の許容度を超えている。売春の報酬としてでなく帰りのタクシー代として金を渡したとしても実質的には売春だし、ヤレる素人女性を集めたアテンダーは売春を斡旋したとして売春防止法違反になりかねない。ダウンタウンは大阪・関西万博のアンバサダーになっているけれど、合意の上だとしても性欲解消のために女性を一方的に利用するのはSDGsの目標5-2「女性や女の子を売り買いしたり、性的に、また、その他の目的で一方的に利用することをふくめ、すべての女性や女の子へのあらゆる暴力をなくす。」に抵触して、大阪・関西万博が目標とする「持続可能な開発目標(SDGs)達成への貢献」のアピールにはふさわしくない人ということになる。・同意がなかった場合の問題同意がなかった場合は松本や小沢たちは有名な芸能人という立場を利用して携帯電話を取り上げて証拠を残せないようにしたうえで「粗相があったら、この辺りを歩けなくなるかも」と脅しとも取れることを言って組織だって強制わいせつをしたことになって、悪質である。松本はこのまま引退してテレビに出ることはなくなるだろうし、松本に女性を献上していた取り巻きの芸人も仕事がなくなるだろう。所属芸人の素行を管理していない吉本興業のコンプライアンスも問われる。そもそも女性から接待を受けたいのならキャバクラとかの接待用の店に行けばいいし、性欲を発散したいのなら芸能人御用達の口が堅い高級風俗に行けばいい。飲み会の賑やかし要員が欲しいだけなら女性の職業にこだわる必要はないけれど、松本が黒髪の学校の先生やべんごし等の好みを指示して素人女性にこだわっていたのはそういう固い職業の素人とやる性癖を満たすことが目的なのだろうし、飲み会の名目で女性を集めたのに性的な行為を要求したのなら話が違うと同意をしない人も当然いるだろう。もし松本のファンの女性だけを集めたり、特定の女性を何度も飲み会に呼んでねんごろな関係になっていたりしたのなら同意はあったのかもしれないと推測できるけれど、松本のファンでない人は一般的な倫理観があればたとえ相手が金持ちの有名人でも初対面の人といきなり乱交のような性的な行為はやらないだろうし、「俺の子供を産めや!」と言われる筋合いはない。松本を擁護する人は、なんで2015年のことをいまさら文春に告発するのか、被害にあったのならすぐに警察に行けばいいではないかと言っているけれど、ショックを受けてすぐに告発できない人もいるだろうし、報復を恐れて泣き寝入りする人もいるだろうし、時間が経ってトラウマを乗り越えてようやく告発できるようになる人もいるだろう。ジャニーズ問題で世論の流れが変わって、有名人の犯罪の被害にあっても泣き寝入りせずに刑事事件としては時効であっても告発するようになったので、時間が経ってから告発したからといって信憑性がなくなるものでもない。同意があったかなかったかは当事者しかわからないことなので、松本と女性のどっちが嘘をついているのかは第三者には判断がつかないけれど、一般論で言えば録音やメモやSNSのやり取りとかの同意した証拠が出せないのであれば同意していないとみなされるし、本当は同意したのに口約束だけで証拠を残していないのであれば芸能人としては脇があまーい。あるいは主張に矛盾があったり、主張を何度も変えたりする側の信憑性がなくなる。吉本は最初は事実無根と言っていたのに行為はあったと主張を変えたし、小沢は何ら恥じる点はないと言ってLINEのやり取りまで公開したのになぜか活動自粛したので、今のところは吉本側の主張の信憑性のほうが乏しい。松本が記者会見をやらないのは、文春が取材したことを全部書くわけではないので、先に文春に書かれていないことの情報を出して文春からその主張と違う情報を出されたくないという判断なのだろう。その方が裁判には有利なのはわかるけれど、松本が記者会見をしないで黙っていると世間の評価は悪くなる。松本が黙っているのに後輩芸人が勝手に記者会見をして松本の擁護をするわけにもいかないので、飲み会に出席した後輩の評価も松本と一緒に下がるけれど、松本に後輩を守る気があるなら記者会見してどこが事実でどこが事実と違うのか主張するべきだろう。松本は筋肉を鍛えて性欲ビンビンなのに、自分で女性を口説く度胸もなく後輩を守ろうとする漢気もないのはダサい。●女遊びは芸の肥やしなのか「女遊びは芸の肥やし」というけれど、本来は歌舞伎役者や落語家が女性と交際することで女性のしぐさや表情や感情の機微を学んで、女役を演じる時の芸につなげるという姿勢である。ただ女性とまぐわる回数を多くすれば芸がうまくなるというものではない。しかし枕営業やカキタレという業界用語さえあるように芸能界の悪い噂は昔からあって、女役を演じるわけでもないのに性欲を正当化するために芸能界は芸人の女遊びを肯定してきた。「人志松本のすべらない話」で木村祐一がマンションに来たのに性的な行為を断って帰ろうとする女性に対して冷凍鶏肉を投げつけた鶏肉事件を千原ジュニアが笑い話として語ったことも批判されている。話を盛っている可能性もあるけれど、女性が自宅に来たら同意があるものとしてヤってもいいという考え方自体が時代錯誤な女性蔑視だし、プライベートで女性を不幸にしてもエピソードトークのネタに使えておいしいという利己的な姿勢は迷惑系YouTuberと大差ない。人間のクズについて考えるという記事で考えたけれど、クズのほうが女性にモテる。しかし芸人だからそういうものだと開き直るのは人間のクズである免罪符にはならないし、社会的な信用が乏しい芸人だからこそ人格を磨くべきである。●功利主義的な芸の是非誰かをいじる芸はたとえいじられた人が不快になっても笑ってる人のほうが多いからいいじゃないかという功利主義的な考え方で正当化されている。自虐ネタで自分や信頼関係がある相方をいじる分にはいいけれど、後輩いじりや共演者いじりは立場を利用したパワハラ・セクハラである。たいていの芸人は中堅になったら漫才やコントとかのコンビの持ちネタの披露をやめて、バラエティ番組に一人で出演してコンビ以外の人に絡んでいじっていくようになるけれど、コンビでなくて信頼関係がない人をいじって不快にしても他の人を笑わせれば許されるかのように芸人を助長させたのはテレビ局にも原因がある。テレビ番組が若手芸人に体を張った無茶をやらせるのも同様にパワハラ・セクハラである。20年くらい前に小沢が深夜番組の罰ゲームかなんかで涙目になりながらADか誰かの臭いちんこを舐めさせられていた。彼は後でエピソードトークのネタにして天童よしみの「なめたらアカン」が聞こえたと言って笑いに変えていたけれど、本当に嫌だったのだろう。私はたまたまその番組を見たのだけれど、面白いどころかかわいそうだったし、性的いじめのような内容を面白いと思って放送するテレビマンの感性が理解できない。ディレクターは芸人に無理やりちんこを舐めさせるのが本当に面白いと思うのなら松本人志にも無理やりちんこを舐めさせればいいだろうに、仕事を断れない若手芸人にだけちんこを舐めさせるのは立場を利用したパワハラである。小沢は松本に女性をアテンドしたことで迷惑をかけたとして活動自粛したけれど、自分がプロの芸人として金をもらってでもやりたくなかった性的な行為を素人女性にやらせたらだめだろう。本来は自分が集めた女性たちが先輩芸人に望まぬ行為をやられそうになったら体を張って助けてあげる立場のはずで、小沢が女性たちの代わりに犠牲になって「俺となんでそういうことができないんや!」と松本のちんこを舐めていれば世間の評価が高くなって、ハンバーグ師匠と並ぶちんこ師匠としての地位を確立できたかもしれない。そもそも誰かをいじってリアクションを引き出すのは芸なのか。芸人にタイキックをしたら「痛い」とリアクションをするし、女性の芸人や局アナにセクハラをしたら嫌がるリアクションをするだろうけれど、本当の芸ならば技術が洗練されていって名人芸と呼ばれる人が出てくるもので、例えば落語家がそばを食べているようにズズッと音を立てるのは芸だけれど、熱いおでんを芸人に無理やり食べさせて熱がる様子を笑いものにするいじめやパワハラのような行為は洗練がないので芸ではないだろう。アクションとリアクションについて考えるという記事でも考えたけれど、リアクションは素人のYouTuberでもできる程度のものでしかないので、プロの芸人が芸として追及するようなものではない。10の笑いと1の害をもたらす芸と、1の笑いと0の害をもたらす芸のどっちが社会にとって良い芸かというと後者で、あまり面白くなくても社会に害をもたらさないことのほうが大事である。私は藤井隆や山田花子とかの吉本新喜劇系のとぼけた感じの芸人は不快感はないので嫌いでないけれど、島田紳助やダウンタウンや千原ジュニアや木村祐一とかの吉本興業のチンピラっぽい芸人は面白いことを言うとしても言葉遣いや態度が下品で暴力的で高圧的なのが嫌いで、娯楽で不快な思いをするくらいならテレビを見ない方がましである。●先輩後輩の人間関係落語とかの昔の芸人は師匠が弟子を取って芸を教えて〇〇一門として世に出すスタイルだったけれど、吉本の芸人は直接師事する師匠がいなくて芸人養成所に先に入って芸歴が長いことが偉いかのような上下関係があって、売れている先輩が舎弟に飯を奢って小遣いを与えて、先輩を「兄さん」「姉さん」と呼んで芸風がバラバラな人たちが〇〇ファミリーと称する疑似家族を作る異常な人間関係になっている。芸人の地位や収入が低かった昭和時代はその疑似家族で扶助しあうことが芸人が生き残るために役に立ったのだろうけれど、理不尽でも上に逆らえない体育会系の人間関係では親分が間違ったときに諫言して間違いを正す人がいなくて、親分が腐敗したら子分も揃って腐敗していく問題がある。オリエンタルラジオの中田は吉本興業を退所して松本を批判していたけれど、大卒以上の教養があって事務所に頼らなくてもYouTubeの自分の稼ぎで食える中田にとっては芸歴で上下関係が決まる吉本興業の理不尽さには我慢ならなかったのかもしれない。モリマンが番組の打ち上げで先輩に裸にされて掘りごたつに入れられて踏まれた話を文春オンラインでしているけれど、東京のテレビのセクハラ・パワハラの理不尽さに耐えられずに地元の北海道に戻ったそうな。この理不尽に耐えられる人だけが吉本に残るとクズ度が凝縮されていく。仏教の犀の角の逸話が有名で、「学識豊かで真理をわきまえ、高邁、明敏な友と交われ。いろいろと為になることがらを知り、疑惑を除き去って、犀の角のようにただ独り歩め」と教えていて、悪友を避けて善友と交わり、善友がいないなら孤独でいる方がいいと言っているけれど、芸人の場合は悪い先輩や悪いプロデューサーを避けて孤独に営業するわけにはいかないので、芸歴が長くなるほど悪人に囲まれて悪に染まって、若いうちに大金を稼げるようになったらどんな性欲でも叶えられるようになって、それを咎めるメンターとなるべき師匠もいない。この先輩後輩の人間関係が芸人に不祥事が多い原因になっていると思う。松本の場合は中居正広が性欲を抑えるように友人として忠告していたそうだけれど、中居の忠告は天狗になった松本には届かなかったようである。松本は芸人であるまえにまず人間の生き方としてどうなのかに向き合うべきだった。●テレビ業界の腐敗マスコミについて考えるという記事で考えたけれど、テレビ局はどこの局がだめという話ではなくて、業界全体がだめである。吉本ホールディングスの主要株主はフジメディアホールディングス、日本テレビ放送網、TBSテレビ、テレビ朝日などの民放各社なので、本来は吉本興業のガバナンスをする側なのに、テレビ局自体にも問題があるので他社までガバナンスできていなくて一緒に腐っている。松本の問題に対してもテレビ局のトップの発言が批判されている。NHKの稲葉会長は17日の記者会見で、性教育番組の「松本人志と世界LOVEジャーナル」に松本を起用したことについて「中央放送番組審議会でも、『注意深く番組を作るように』とお話をいただいている。こういう事態になることが当時予想できなかったのは事実」と釈明したけれど、こんなの外部から見たら芸人の女遊びが激しくて表に出たらまずい話があることくらい予想がつくのに、業界の内部にいるとわからないのだろうか。ジャニー喜多川に忖度してジャニーズ部屋を用意して性加害を助長させたNHKらしいコメントである。読売テレビの大橋社長は17日の記者会見で「たとえば報道番組で、松本さんと被害に遭われた女性が対決してくれるというのであれば、今すぐにでも私は放送したいと思う」と語ったそうで、この発言もYahooニュースのコメントやXで批判されている。もし女性側が言っていることが事実なのだとしたら視聴率目当てに番組で対決して性被害を見世物にする内容ではないし、やったらセカンドレイプになるので性被害に対して人権意識が乏しい。この程度の倫理観の人たちがトップにいるようでは今後のテレビ業界の凋落は免れないだろう。昔はテレビを見ると馬鹿になると言われたけれど、今後はテレビを見ると性犯罪者になると言われるようになるかもしれない。じゃあいつからテレビ業界は腐敗したのかというと、お笑い芸人が視聴率を取るようになってからだと思う。昭和のテレビ番組はまだ公共放送としての自覚があって、スターが着飾って上品な言葉遣いをしていてそれなりの格式があったもので、例えば『徹子の部屋』みたいに昔からある番組では黒柳徹子がゲストに対して敬意をもってエピソードを聞き出していて視聴率を追い求めずに真摯に上品な番組を作っている。その一方でダウンタウンの浜田が音楽番組で倉木麻衣を宇多田ヒカルのパクリ呼ばわりしたように、芸人が出てくる番組では他人に対する敬意が根底になくてゲストと信頼関係が築けていなくてエピソードを掘り下げられないので、その場では笑いは取れて視聴率はよくても資料としてアーカイブするほどの情報価値がない。明石家さんまがメッシに老後はどうするのかと質問したり、ロナウドに対して大谷翔平を知ってるかと質問したりしたのもサッカー選手に敬意がないと批判されている。ニュース番組やスポーツ番組や音楽番組のように笑いが必要ない番組にまで芸人が出てきてくだらないジャンクなものにしてしまった。小泉今日子が文春オンラインのインタビューでバラエティ番組はくだらないから絶対出たくないと言っている。「たぶん、昔と同じだからマズいんじゃないですかね。世の中がガラッと変わっていっているのに、昔のムードのまま押し通そうとしている。テレビ局は変わらないとマズいよね、と思っています。」と言う通りで、本来は情報を発信する側こそが情報感度を高くして変わっていかないといけないのに、芸能村の中で視聴率に貢献した大御所に忖度してガラパゴス化して世間の変化についていけなくて、名実ともに昭和の価値観からアップデートできないオールドメディアになっている。テレビとラジオと雑誌くらいしか情報源がなかったころは映像を映せるテレビに優位性があったけれど、インターネットが普及してからはテレビはパソコンの下位互換でしかなくなっている。才能があるアーティストや教養がある学者がSNSで直接情報を発信してコメントまで返してくれるのだから、若者が芸も教養もない芸NO人に興味を持たなくなってテレビ離れするのも当然である。・スポンサーの責任芸人は会社員と違ってたいてい高卒で上昇志向と欲が強くて私生活がだらしなくて、山本圭壱が未成年と淫行したり、小笠原まさやが女子高生と淫行して逮捕されたりしているし、反社会的勢力とも昔から関係があって島田紳助が暴力団と付き合いがばれて引退したり、宮迫博之やロンドンブーツ1号が振り込め詐欺グループの忘年会で闇営業したのが判明して吉本興業と契約を解除したりしたし、田代まさしのように薬物で捕まる人もいる。レピュテーションリスクを考慮するなら企業はCMやアンバサダー等にお笑い芸人を起用するべきでないし、大金を払って芸人をCMに起用してきた企業にもモラルがない芸人を増長させた責任がある。フジテレビに対するデモが起きたときにはスポンサーも不買運動の対象になったけれど、テレビ局に金を出して支援しているのだからスポンサーも腐った連中の仲間とみなされて当然である。問題が発覚してから慌ててスポンサーを降りるのでなくて、最初からくだらない番組のスポンサーにならなきゃいい。レピュテーションリスクを軽視した失敗例としてはコナミがある。YouTuberの加藤純一が黒人や女性に対して差別発言をしたことでコナミが加藤純一が出演していた「遊戯王OCG」の動画を非公開にしたけれど、コナミは「過去に不適切な言動で事務所から謹慎処分を受けていた点は認識していたものの、今回問題となっている具体的な発言については把握していなかった」と認識が甘かったことが露呈した。問題が発覚してから非公開にしたところでコナミが加藤純一をイベントに起用した事実がなかったことになるわけではないし、世界展開している企業なら世界的な不買に発展しうる。苦労して開発した大事な商品の宣伝をモラルがない人に託したら、宣伝になるどころかその商品を潰すことになりかねないことを企業は理解するべきで、視聴率やフォロワー数とかのうわべの人気だけ見ないで人となりを見るべきである。
2024.01.19
コメント(3)
正月早々に能登半島で震度7の大地震が起きて200人以上が死亡して、辰年どころか震年である。前にも防災について考えるやパニックについて考えるでも考えたけれど、大事なことは何度考えてもよいと思うので地震について考えることにした。●地震とは何か地震とは地面が振動することで、プレートが動くことによって発生するプレート間地震と、マグマの動きで起きる火山性地震があって、プレートが動くタイプが大地震になる。プレートは固有の方向へ年に数センチメートル動いていて、陸のプレートと海に沈み込むプレートがぶつかり合う部分で岩盤が潰れたりしてプレートがすべって海溝型地震が起きたり、プレートがひび割れて断層ができて断層型地震が起きたりする。日本だとユーラシアプレートとフィリピン海プレートがぶつかるところが南海トラフで、北米プレートと太平洋プレートがぶつかるところが日本海溝になっている。プレートが動く速度が遅いので、地震はある程度のエネルギーがたまった頃合いに数十年から数百年の周期で定期的に起きる。・地震対策揺れによる建物倒壊や物の落下への対策、火事の対策、津波への対策とやることがたくさんある。中でも一番重要なのが建物の倒壊への対策である。人間は建物の中で過ごす時間が長いし、寝ている間に地震が来ることもあるし、建物が潰れて閉じ込められてしまうとその後に起きる火事や津波に対して避難もできないので、建物が倒壊しないだけでかなり生存率が高くなる。2023年2月のトルコ・シリア地震だと、古いレンガ造りのアパートがぺしゃんこに潰れて5万6千人の犠牲者が出た一方で、耐震設計の新しい建物は無事で、建物の強度で生死が分かれた。毎日新聞の「低い耐震化率 高い高齢化率 「壊滅的」被害招く 能登半島地震」という記事によると「珠洲市によると、市内にある住宅約6000軒のうち、2018年度末までに国の耐震基準を満たしていたのはわずか51%。同じ時期の全国の耐震化率(87%)と比べても極端に低かった。」そうで、高齢化が背景にあるようである。金がないから耐震補強工事をしない人もいるけれど、家が壊れたら立て直すのにはもっと金がかかるので、壊れないようにする方が結果的には安上がりだし、家が潰れて死んでしまっては節約する意味がない。耐震化率が低いまま放置してきたのは行政の怠慢で、耐震補強していない古い家や空き家に対しては補助金を出すなり固定資産税を上げるなりしてアメと鞭で耐震補強や建て替えや取り壊しを促す方が良いだろう。災害に備えずに家屋が倒壊したり備蓄がなくて飢えたりして被害にあうのは自己責任ともいえるけれど、自治体は自己責任として無視することはできなくて救助活動をしないといけないので、だったらある程度は自治体が耐震補強工事を強制するほうが防災や救助の効率が良い。しかし安全に対して金を払いたがらない人が少なからずいる。例えば自転車のヘルメット着用が努力義務になっても罰則がないのでヘルメットをかぶらない人のほうが多い。石川県の避難所でも食料がないと言っている人がいるけれど、備蓄していないのなら食料がなくて当然である。そういう人はたぶん想像力が欠如していて、もし自分が事故や災害にあったらどうなるのかを理解していないのだろう。極端に言えば自分や家族の命を守るためにいくら払えるのかという話で、きちんと金をかけて防災をしていたら相応に生存率は上がるのだから、安全に配慮して無駄になることはない。・避難地震発生時にどこにいるかによっても安全な場所が違う。地震発生時に外にいる場合は、ビル周辺は割れた窓ガラスや看板が降ってくるので高層建築物から離れるほうがよいし、ブロック塀や電柱が倒れたり電線が切れたりするので狭い道から離れて周囲に建物がない大通りや公園に行く方が良い。あるいは建物内にいるときに地震が起きたときは、倒壊の恐れがある古い建物にいる場合はすぐに外に逃げて、耐震設計がしてあって倒壊の恐れが少ないビルとかの大きな建物にいる場合は揺れが収まるまでテーブルの下に隠れたりして電灯や棚や天井板とかの落下物から頭を守って、揺れが収まって落下物がなくなってから避難するほうが安全である。山間部だと土砂崩れ、落石、倒木、トンネル崩落などの危険がある。土砂崩れや落石に対しては車の中にいても安全ではないし、土砂崩れで道路が寸断されて孤立することもあるので、危険な山間部を抜けて平野を目指すと良い。海岸近くだと津波が来るので、震源地が海に近い場合はすぐに近くの高台に避難しないといけない。町の人口にもよるだろうけれど車で避難するのは推奨されていなくて、停電で信号が機能しなくて事故が起きる可能性があるし、地震で道路が地割れしているとパンクする可能性があるし、地域住民が一斉に車で避難すると渋滞して動けなくなったところに津波が押し寄せることがあるし、渋滞やパンクで路上に乗り捨てられて放置された車が道路をふさいで避難や救助活動の妨げになるし、避難所の駐車場も限られているので、避難所が遠くにあったり、車に乗っているときに地震が起きたのでない限りは徒歩で近所の避難所に移動するのがよい。避難するときは冷静になることが肝心である。パニックになると判断力が小学生レベルにまで落ちるし、間違った判断は死につながるので、自分がパニックになって慌てふためいている自覚があるなら自分で判断するより周りの冷静な人の真似をして避難するほうがましである。JAL機の事故の機内の映像では子供が「開けてください」と叫んでいたけれど、大人はパニックにならずに冷静に添乗員の指示を待って避難できたのは民度が高くて立派である。被災地にある避難所に一時的に避難しても長期的に生活するには向いていないので、周辺の県で被災者の受け入れ準備ができてから自治体が借りたホテルや空いている県営住宅や仮設住宅に二次避難して、インフラの復旧を待って生活再建を図ることになる。・生活再建地震で道路、水道管、電線が破壊されると、家が無事でもインフラがほとんど使えなくて日常生活が送れなくなるので、行政は住民が避難所から自宅に戻れるようにインフラを復旧する。個人は家の修理とかに費用がかかる上に会社が休業や倒産したりして仕事がなくなることが生活再建の遅れにつながるので、被災者への金銭的な支援も必要になる。厚生労働省は緊急小口資金の対象に特例として能登半島地震の被災世帯を加えて低所得世帯に10-20万円を貸し付けることを決定したけれど、給付でなくて貸付である点が批判されている。●地震の二次被害・災害関連死持病がある人の薬が切れたり、けがをしても避難所で適切な治療が受けられなかったり、水分不足のまま車中泊をして血栓ができたりして、避難中に死亡する場合がある。停電して暖房が使えなくなると冬は凍死の危険があるし、冬でなくても雨に濡れたままで乾かしたり温めたりする手段がないと低体温症になる危険があるし、夏は停電してエアコンが使えないと熱中症や脱水症状になる危険がある。けがをしていなくても家族を亡くしたり仕事や財産を失ったりしてうつになって自殺する場合もあるので、精神的なケアも必要になる。・犯罪の増加災害時は停電で防犯カメラが作動していなかったり、被災者が避難して無人になっていることを利用して窃盗や強制わいせつとかの犯罪が起きやすくなる。石川県では17日までに24件の空き巣や避難所での置き引きなどの被害を確認したそうな。迷彩服を着た偽自衛官も出没しているようである。民度が低い外国人移民が増えたことも犯罪のリスクになっていて、普段から果物や豚を盗んで売りさばいている連中は災害時にはなおさら悪事を働くだろう。日本はまだ治安がいいので被災地での強盗殺人は起きないけれど、他人から食料を奪わないと餓死するという状況になったら被災者同士で食料を奪いあったり自警団が過剰防衛したりして殺人が起きる可能性もある。・悪質商法被災者が余震で不安になってすぐに家を修理したい心理に付け込んで、高額のリフォームをしようとするDQN建設業者が他県から集まってくる。17日までに悪徳商法の相談が96件あるそうな。石川県七尾市では神戸から来たという若い男が屋根にブルーシートを張るだけで12万円を請求して、施工不良ですぐにシートがはがれたので電話をしても電話に出ないそうな。その人が本当に神戸から来たのだとしたら、阪神淡路大震災では神戸は他県から支援を受けただろうに、被災者から搾取しようとするのは恥知らずである。・風評被害地震の被害が少なくて通常営業できている地域でもホテルのキャンセルなどで観光業は金銭的被害を受ける。石川県といっても広いので、能登半島の先端部では被害が大きくても本州側の金沢市ではほとんど被害がなくて観光客を歓迎している。原発関連のデマでも風評被害を受けるし、特に外国人は日本でどの原発が稼働していてどの原発が稼働していないのかという情報を持っていないし日本語の情報を読めないので、外国に間違った情報が伝わりやすい。●支援や災害ボランティアの在り方プッシュ型支援がいいかプル型支援がいいかという話があるけれど、能登地震で対応が遅いという批判に焦った岸田総理が被災地に賞味期限5日までのおにぎりを5日の夜10時過ぎに現地に届けたように、プッシュする側が無能だったらプッシュ型支援は効果的でない。避難所で足りないものとかの被災者の要求を聞いてから必要な物資を届けるプル型支援のほうが無能な政権の場合の支援としては確実だろう。同様のことはボランティアにも言えて、被災者が求めていない善意の押し売りも害になりうる。全社協被災地支援・災害ボランティア情報にまとめられているけれど、自治体によって災害ボランティアの募集条件が違っていて、県内在住者のみの自治体や事前登録制の自治体もある。自治体が被害状況を把握して、それから県知事が自衛隊に災害支援要請をしたり物資や人手を集めて各避難所に物資や人手を振り分けたりするので、避難所に物資が届くまでに数日かかる。その間は個人の備蓄や避難所の備蓄でしのぐことになるけれど、被災者がSNSに「この避難所には食料がない」とかの情報を出して、それに反応して個人が勝手に被災地に押し寄せて自家用車で段ボール数箱程度の物資を届けたところで渋滞の原因になったり悪路でタイヤがパンクしたりして自治体の活動の邪魔になって、かえって他の大勢の被災者への支援が遅れることになるし、賞味期限が切れた食品とかの本来は破棄するべきものを持って行って邪魔になるだけの人もいる。それに被災者は火事場泥棒を警戒しているので知らない人が付近をうろつくのがストレスになるし、被災で医療がひっ迫していて避難生活のストレスで免疫が落ちている中で余所者に新型コロナやインフルエンザとかの感染症を持ち込まれるとかえって状況が悪化する。馳浩知事は5日の石川県災害対策本部員会議で「能登に向かう道路が渋滞し、困っている。個人や一般ボランティアが被災地へ向かうのは控えてほしい」と発言しているし、石川県はホームページで個人からの義援物資を受け入れないと発表して、7日から一部道路で一般車両は通行止めにして、「三連休のため、多くの人が移動されることが予想されます。」「能登方面への不要不急の移動は控えて!」「人命救助、物資支援の優先のため、何卒ご理解・ご協力お願いいたします。」と要請している。被災地支援はミクロではなくマクロでとらえないといけなくて、SNSで助けを求める個々の被災者を個人で助けようとするのでなく、被災地の自治体の支援要請に応じてボランティアや募金などで自治体の活動を支援するべきである。指揮系統が統一されていないと現場が混乱するので県知事や市長とかの責任者の指示に従うべきで、自治体がボランティアに来てほしいと言うなら行くのが支援になるし、ボランティアの受け入れ態勢ができていないから来ないでほしいと言うなら行かないのが支援になる。被災直後の食料の配給は大手食品会社やコンビニやNPOとかの災害時支援のノウハウがあるところに任せて、救助や復旧は自衛隊や医療関係者や土建会社とかの専門職に任せて、特殊技能や設備を持たない個人は道路が復旧されて被災者が普通に生活を始めて落ち着いた頃に観光したり特産物を買ったりして被災地の復興を支援すればよい。迷惑系YouTuberのへずまりゅうや私人逮捕系YouTuberの煉獄コロアキやガッツchとかが被災地に行っているけれど、こういうのは被災者のための活動というより自分本位の売名行為である。他人の不幸を利用してここぞとばかりに自分に注目を集めて動画の再生回数やX(旧Twitter)の閲覧数を増やして儲けようとせずに普段から社会の役に立つ活動をやればよい。大谷翔平やYOSHIKIとかの有名人が寄付を表明するのは良いことで、有名人が寄付をするとつられて寄付をする人も出てくる。最近スキャンダルで話題の某芸人は寄付をすれば多少は世間の評価が高くなるだろうに、金持ちなのに寄付をしないで私利私欲の追求をしてノブレスオブリージュを果たさないのは格好悪い。・支援物資でいらないもの被災地に支援物資を送るにしても被災者が必要としないものや規格がばらばらなものを送ると仕分けが大変になったり場所を取ったり廃棄の手間がかかったりしてかえって邪魔になるので、たとえ善意でもそういう物資は送ってはいけない。・消費期限や賞味期限が切れた食品(停電した被災地では冷蔵庫が使えないし、過熱調理ができない場合があるので食中毒の危険がある)・汚れた古着(サイズが合わないし、衛生的でないし、仕分けが大変。ユニクロとかの大手企業が新品の下着や防寒具を送るので古着は必要ない)・古本(重くて邪魔になるし、娯楽よりもニュースなどの最新情報のほうが必要)・千羽鶴(邪魔になるし役に立たない)●SNSの活用とデマへの注意SNSはインターネットが使える時に被災者が自分の居場所を知らせたり動画で周囲の状況を知らせたりして救助を求めるのに役に立つ。しかしX(旧Twitter)は青バッジを付けた人はインプレッション数に応じて金がもらえるので、注目を集めるために外国人のコピペツイートやら無意味な顔文字の連投とかがXにあふれていて、真偽の判断が難しくなる。能登地震と無関係な東日本大震災の情報のツイートをする人がいたり、家が潰れたという嘘の情報を他人に勝手に投稿された人もいるけれど、これも注目を集めて金を稼ぐためにやっているのだろう。被災して現金がないからPaypayに振り込んで欲しいと言う詐欺も発生している。直接フォローしている人以外の情報は疑ってかかるほうがよい。災害時には誤報や真偽不明なデマが多くなるので、刺激的な情報に過剰に反応してSNSで拡散せず、本当にそうなのか冷静に根拠を判断するべきで、なるべく続報もチェックするほうがよい。熊本地震で動物園からライオンが逃げたというデマをツイートした人は動物園の業務を妨害した容疑で逮捕されている。伊藤詩織の名誉棄損の訴訟だとリツイートも本人の発言として認定されたように、リツイートにも法的な責任が伴うので、安易にリツイートするべきではない。災害を記録してSNSでバズろうとして悠長にスマホを構えて撮影している人がいるけれど、スマホを見ていると視界が狭くなって周りで起きている出来事に注意が向かなくなるので危ない。外国だと崖や滝で自撮りしようとして足元がおろそかになって転落している間抜けな人が少なからずいる。災害の状況を記録して後世に残すことには意義があるだろうけれど、まず自分の安全を確保してからやるべきである。●地震は他人事ではない日本はプレートが重なるところにあるので、地震はどこでも起こりうる。1993年の釧路沖地震(震度6)、1994年の北海道東方沖地震(震度6)、1995年の阪神・淡路大震災(震度7)、2001年の広島の芸予地震(震度6弱)、2003年の十勝沖地震(震度6弱)、2004年の新潟県中越地震(震度7)、2008年の岩手・宮城内陸地震(震度6強)、2008年の岩手県沿岸北部地震(震度6強)、2011年の東日本大震災(震度7)、2011年の長野県北部地震(震度6強)、2016年の鳥取県中部地震(震度6弱)、2016年の熊本地震(震度7)、2017年の北海道胆振東部地震(震度7)、2019年の山形県沖地震(震度6強)と、日本各地で数年おきに大地震が相次いでいるけれど、太平洋側の関東や東南海ではしばらく震度6-7レベルの大地震が起きていない。となると素人的な予測では次に大地震が危ぶまれるのは首都直下型地震や南海トラフ地震である。地方都市は災害にあっても自衛隊や他県からの援助で持ち直すことができるし産業の規模が小さいので経済への影響も小さいけれど、東京や大阪とかの大都市の防災と被災からの復興ができなければ日本の没落の直接の原因になりうる。都市部は狭い敷地に家が密集していて火事が広がりやすいのがリスクになっているし、高齢化に伴って放置された空き家も多くて、都内だと腐朽・破損した空き家が16万戸あって地震で倒壊する危険がある。能登地震では川が干上がって消防車が取水できなかったことで火事の延焼を防げなかったそうで消防車がいても消火できない可能性もあるし、東京は建物の倒壊よりも火事のほうが怖い。タワマンは耐震設計が厳しめなので地震で倒れないと言われているけれど、火災旋風(渦の中心は1000度)が起きたときにどうなるのか不明で、火に外壁があぶられて蒸し焼きになるかもしれないし、911のツインタワーみたいに鉄筋の一部が溶けて重みに耐えられずに崩壊するかもしれない。東京は戦後に大きな災害が起きていなくてデータがないからこそ十分に備えておくにこしたことはない。大都市が被災した時は地方都市はさらに悲惨な状態になるだろう。能登半島はくびれていて山が多くて半島の先端に向かう道路が限られていて、沿岸部を囲む国道249号が土砂崩れで通行止めになったことが救助の遅れにつながっているけれど、同様のことは似た地形の伊豆半島でも起こりうる。南海トラフ地震で広範囲に被災した場合は救助に割けるリソースが不足して政府は人口が多い都市部の救助を優先すると思われるので、人口が少ない山間部や沿岸部は後回しにされて本来ならば助けられたはずの人が助けられずに死者が増えるだろう。被害が広範囲になると被災状況を正確に把握するのに時間がかかって物資の振り分けも大きな避難所に偏る可能性がある。例えばエレベーターに何日も閉じ込められて誰にも気づかれないまま脱水症状で死亡する人とか、避難所への移動が困難な老人ホームが孤立して物資が届かなくて餓死する人とかが出てくるかもしれない。能登地震では倒壊した建物から生存者を3日内に救助することがほとんどできなかったのだから、南海トラフ地震で広範囲に津波がきて無数の家屋が倒壊したらすぐには救助は来ないだろう。能登地震では七尾市以外の漏水箇所は1月4日までに復旧したものの七尾市の復旧に2カ月以上かかる見込みだそうで、飲料水がないと死に直結するので、ペットボトルの水を備蓄するだけでなくて川の水をろ過したり煮沸したりする器具も持っておく方が良い。就職氷河期世代の棄民や消費税増税やインボイス制度導入で国民を貧困や自殺に追い込んできた自民党・公明党が災害の時だけ国民を助けるという道理はないし、政治家は少子化対策でも北朝鮮の拉致被害者の奪還でも食料自給率の向上でもやったふりだけして結果に対して責任を取らないことが常態化していて法治国家どころか問題を先送りして解決しようとしない放置国家になっているので、私は自公政権を信用していない。被災地に行くわけでもないのに作業着を着た岸田総理はやったふりだけで中身がない典型で、田舎者が死のうがどうでもいいのだろう。被災したときに救助や支援物資が来なくてもしばらく独力で生きていけるように、個人でできる限りの備蓄をするほうがよい。アレルギーがある人や歯が悪くて乾パンとかの硬いものを噛めない老人は支援物資が届いても食べられない可能性があるので、なおさら他人頼みにしないほうがよい。・防災への投資道路や鉄道や港とかのインフラ整備は直接防災の役に立つし、産業の振興にもなるので単年度会計をやめて長期的な予算を組んでやるべきである。今は均衡財政主義の政治家がインフラの維持費用さえけちっているので全国の橋や水道管が老朽化しているけれど、老朽化を放置して壊れてから作り直すよりも壊れないようにメンテナンスするほうが安上がりなので、お金をかけたくないならなおさらメンテナンスはちゃんとやらないといけない。東京、大阪、兵庫とかの大都市だと道路の無電柱化を進めているけれど、一番無電柱化率が高い東京でさえ5%程度であまり進展していないので、大地震が起きる前に無電柱化をやっておくべきである。首都機能を移転して東京一極集中を解消して地方都市に産業を分散して地方を発展させて災害復興のレジリエンスを持たせるのも防災になる。卵は一つの籠に盛るなという投資の格言があるけれど、これは防災にも当てはまって、災害でも戦争でも首都が壊れたら国が亡ぶような事態は避けるべきである。防災用のテクノロジーへの投資も進めるべきである。KDDIがSpaceXのStarlinkを活用して2024年内に衛星とスマートフォンの直接通信を開始することを宣言したように、電柱のてっぺんに取り付けている基地局に頼らない通信方法が確立されれば災害時に役に立つし、停電時でも発電・蓄電方法と通信方法があれば孤立しても救助を呼べて被災状況を把握しやすくなって安否確認もはかどる。田舎は医者が少ないので地震で一気に怪我人や病人がでるとキャパオーバーになるけれど、医師が被災地に行かなくてもオンラインで診察できるようになれば健康管理がしやすくなる。ドローンを使った輸送手段が確立されれば、ヘリを使って物資を運搬するよりも低燃費で輸送できて安上がりだろう。輪島市では8日にドローンを使って3キロ離れた孤立集落に薬を届ける取り組みを初めて行っていて、機体は片道7キロ飛行できて、今後は大量輸送も可能になるそうな。大型ドローンで重いものを運べるようになれば道路の復旧を待たなくても被災者に物資を届けられるので災害救助で活躍するだろう。能登地震では海岸が隆起して海岸線が後退して港が使えなくなったことが支援の遅れにつながったけれど、接岸しなくても船から陸地にドローンで物資を運搬できれば道路の状況に関わらず被災地に迅速に物資を輸送できるので、海に面した県では役に立つ。いまはドローンにいろいろ規制があるので、災害時のドローン運用の法整備も必要である。ドローンが物資を運搬できるようになれば、ヘリは病人の搬送や孤立した人の救助とかの優先順位が高い活動に専念できるだろう。WOTAが水がない所でも水が使えるポータブル水再生システムのWOTA BOXを開発していて、電源さえあれば暖かいシャワーを繰り返し使えるけれど、これが普及すれば被災地でも衛生的に過ごせて感染症を防ぎやすくなって災害関連死を減らせるだろう。理研が生きたゴキブリに太陽電池や無線通信装置を背負わせたサイボーグ昆虫にする研究をしていて、災害時に生存者を探索できるそうな。しかし生存者を発見できたところで人手不足で救助が追い付かないと意味がないので、被災地に専門職がいなくても作業できる仕組みの構築も必要である。今は重機を動かせる建設会社や自衛隊がいないと道路の修復や倒壊した家屋の撤去ができないけれど、重いものを運べるパワードスーツが安価で普及すれば倒れたブロック塀や瓦礫をどかすとかして重機がなくてもある程度救助や復旧を手伝えるだろう。大工がいなくても短期間で大量に建設できる3Dプリンタ製の使い捨て仮設住宅とかも開発したら便利そうである。位置情報共有アプリや避難者リスト自動作成アプリとかがすでにあるけれど、他にも災害時に役に立つアプリの開発も必要である。新型コロナ対策用のアプリのCOCOAが不具合だらけであまり役に立たなかったように、災害が起きてからアプリを急に作ってもうまく機能しないので、平時にそういうアプリを作っておくべきである。例えばマイナンバーカードを使った災害時の安否確認システムとかも開発して、スマホでマイナポータルにログインしたら役所が情報を共有して生存確認したり、役所が発表した死亡情報をマイナポータルで閲覧できるようにすれば安否確認がはかどるだろう。東日本大震災みたいに避難所に手書きのメモを貼り付けてあちこちの避難所をまわって家族を捜すのは非効率である。指紋での身元確認システムもある方が便利で、特に死体が損壊して外見では誰なのか判別がつかないときには役に立つだろう。・偽装が潜在的危機になる2005年に建築士の姉歯秀次が担当した98件の物件でコスト削減のために構造計算書の偽装をしたことが発覚したり、2015年に東洋ゴムで納期へのプレッシャーから免震ゴムの試作品のデータを改ざんして大臣認定を受けたことが発覚したり、2018年にレオパレス21の界壁施工不備が発覚したり、2022年に和歌山県の八郎山トンネルで覆工コンクリートの厚さが大幅に不足する施工不良が発覚して工事がやり直しになったように、建設業では手抜きが利益になるので不正されがちで、どこに偽装や施工不良があるかわからない潜在的な問題がある。まだばれていない偽装や施工不良も当然あるだろう。素材のグレードを下げたりコンクリートに混ぜ物をしたりして物理学に反したことをやると必ず災害時にごまかしがばれて相応のしっぺ返しを受けるので、偽装による間接的な人殺しに加担したくない人は大地震が起きる前に告発してほしいものである。
2024.01.13
コメント(2)

あけまして今夜もパーリーナイツフゥワフゥワ。最近はホストクラブの売掛金が問題になっていて、警察庁の露木康浩長官が歌舞伎町を視察して「卑劣な営業手法をあらゆる法令を駆使して取り締まる」と語ったように、ホストクラブを取り締まる流れになっている。というわけで徒然なるままにホストクラブについて考えることにした。●ホストクラブとは何かホスト(host)とは本来はパーティーなどで客をもてなす主人役や、旅館の宿主や、寄生虫の宿主の事を指して、女性の場合はホステスという。銀座とかのクラブとかだとママがいてホステスが男性客に対して接客するけれど、雇用機会均等法ができてからは女性も働いて金を稼いで夜遊びする需要が出たので、クラブの男性版のホストクラブができてホストが女性客を接客するようになった。2000年代のホストは茶髪の長髪をフゥワフゥワに盛って日焼けサロンで肌を焼いているギャル男や、狩野英孝みたいなイケメンを気取ったキザな感じや、入れ墨を入れているオラオラ系だったけれど、最近のホストの写真を見てみたらマッシュのアイドルっぽいかわいい容姿をしていた。その時代の女性の好みに合わせてホストの服装も変わるのだろう。ホストクラブのメニューとしては酒のほかにつまみや料理や果物があるけれど、料理は近所の飲食店から出前をとったりしているので別にたいしたものではない。メインのサービスはホストの接客である。ホストクラブは大勢で独自のシャンパンコールをしたりマイクパフォーマンスをしたり売り上げが一番高いホストがラストソングを歌ったりして場を盛り上げる独特の文化がある。原価が安い酒に数倍の値段をつけるのはぼったくりだとしばしば言われるけれど、パフォーマンス料や人件費込みの料金としてみれば高すぎるというほどでもないだろう。酒の値段というより、推しホストのスーパーレア確定演出を見るための値段のようなものである。2015年に風営法が改正されて、風俗営業者は午前0時から午前6時までの深夜に営業してはならない、18歳未満の者を客として店舗に立ち入らせてはならない、暴力団排除特別地域でみかじめ料の支払いを行ってはならない等の規制があるけれど、だからといってクリーンなビジネスというわけでもないのでいろいろ問題になっている。・ホストの文化的考察ホストはシャンパンコールで「飲んで」(飲んで)みたいにコール&レスポンスをするのが特徴的である。モロッコの伝統音楽のgnawa musicとかではコール&レスポンスが取り入れられてイスラム教スーフィズムのトランス状態になるために音楽が使われているので、それと同様にホストクラブでもコール&レスポンスで客を平常時とは違うトランス状態にする効果があると思われる。ホストの服装も独特で、長髪をフゥワフゥワに盛ったりシャツの襟を立てたりつま先が尖った靴を履いたりするのはライオンのたてがみと同様に男らしさの誇張表現である。ROLANDみたいにホストがやたらとサングラスをかけるのはたぶん目線で嘘がばれないようにするためかもしれない。目をそらしたり目が泳いだりするのは至近距離で見るとよくわかるので、目を見せないミステリアスで人間味がない感じのほうが焦りや不安を見せない完璧なホスト像を装えるのだろう。●ホストクラブの問題・ホスト同士が売り上げを競うシステムホストは店に雇われている従業員というわけではなくて、店から営業場所を借りている自営業者という扱いになる。それゆえに店によっては永久指名制度があって、いったん客に指名されたホストはずっとその客を担当して、他のホストが客を奪ってはいけないことになっている。普通の飲食店なら誰が接客しようが店の売上として勘定して従業員に給料を配分するけれど、ホストクラブの場合は個人の売上のマージンがそのまま個人の収入になるので、店単位でなくて個人単位で売り上げを競うことになる。それゆえに客のツケ(売掛)で売り上げを上げてホストが店への支払いをいったん肩代わりして、後でホストが客から未払いの代金を徴収するようになる。代金を払えない客を風俗で働かせて代金を徴収をする女衒のようなことをして若い女性に高額の借金を負わせるのが最近問題視されて売掛を規制する流れになっているし、ROLANDが自分が運営するホストクラブで売掛を禁止したように行政に規制される前に自主規制する店も出てきた。ホストは酒で肝臓を壊しやすいし、不健康な生活やストレスのせいで老化が早くて歳をとると人気も衰えるので長く続けられる仕事ではないし、独立資金を貯めたりパトロンを見つけたりして自分の店を持てるホストはごく一部である。それゆえにホストたちは若いうちに短期で大金を稼ごうとして、客の支払限度を超えた売上を出そうとして売掛をするのだろう。しかし客に無理をさせてナンバーワンになったところで社会に何か良い影響があるわけでもないし、アイドルみたいに何か作品があるわけでもないし、スポーツのように記録に残るわけでもないし、世間にとっては誰がナンバーワンだろうがどうでもいい存在でしかない。海援隊の「えらい!あんたが大将」の歌詞に「泣かせた女の数ばかり威張ってみても男の値打ちあがるもんじゃないんです」とあるように、ナンバーワンホストが必ずしもいい男というわけでもない。・客同士がホストの時間を奪い合うシステムホストは客の指名が多かったらあちこちの席に行かないといけないし、売り上げを増やすためには必然的に大金を使う太い客といる時間が長くなる。そうすると指名がかぶって他の客に担当ホストを横取りされた客は代わりのどうでもいいホストに接客されてもうれしくないので、担当ホストを奪い返そうとして無理をしてでも高い酒を頼むようになる。こうして客同士が人気ホストを奪い合って自分のものにしようとすることで売り上げが増える仕組みになっている。ホストの誕生日とかの客が大勢来る日だと何万円も使ったのに数分しか席に着かなかったとかで不満を貯める客もいる。予約制にするほうが客の満足度は上がるだろうけれど、客同士にホストの奪い合いをさせるほうが店が儲かるので予約制にしないのだろう。・拝金主義半グレが違法行為で稼いだりビッグモーターが保険金水増し請求で稼いだりしたようにモラルに反することをやれば利益が出るので利益を出すこと自体はべつにすごいことではないけれど、ホスト業界に限らずたいていのビジネスではどれだけ客を満足させたかよりもどれだけ売上があるのかが話題になる。ホストは稼げることを売りにしているので、儲けるために他人を利用して踏み台にするサイコパスを集めやすい。そういうホストは客の容姿や職業を見ていくら収入があるのか、風俗に沈めたらいくら稼げるかと人の価値を金に換算して、頭が悪い女性や上京したばかりで世間知らずな若い女性をカモにしてだまして嵌め込んで金づるにしようとして客を不幸にする。最終的に客をフゥワフゥワに幸福にしていればよいビジネスだけれど、客を不幸にしているのなら合法であっても社会に不要なビジネスだし、規制されて当然である。どれだけ客を幸福にしているのかは店やホストによって違うのでホスト業界自体が良いか悪いかという一般化はできないけれど、ホストが客に恨まれて刺される事件がたびたび起きているように客を不幸にするホストはそれなりにいる。11月5日に歌舞伎町でホストがカッターで切り付けられた殺人未遂事件について文春オンラインが特集しているけれど、このホストも問題があるようである。・酔った状態での高額の注文居酒屋なら日本酒とかの高い酒のボトルの取り置きをしている店もあるけれど、ホストクラブの代名詞ともいえるドンペリとかのシャンパンは炭酸が抜けるので取り置きできないし、ボトルを全部飲むわけではなくてグラスに継いでちょっと飲んで残った酒は流しに捨てたり、ヘルプのホストを大勢呼んで飲ませて盛り上げたりする。そうして短時間にシャンパンをどしどし注文することで売り上げを増やすことができるようになっている。キャバクラのように焼酎やウイスキーとかのアルコール度数が高い酒を割ってちびちび飲むやり方だと量をたくさん飲むわけではなくて高額にならないのでキャバクラでは売掛は問題になっていないけれど、ホストクラブの場合は客が高いシャンパンをどしどし頼んでシャンパンタワーを作ったりして払いきれないほどの高額な注文をして売掛が発生するのが問題になる。酔った状態でイケメン集団に囲まれておだてられて頭がフゥワフゥワした状態で調子に乗って酒を頼むことを自己責任ととらえるか、判断力が落ちているところをカモにされているととらえるかは判断が分かれる。・色恋営業ホストは自営業者なのでただ店の勤務時間だけ働けばいいわけではなくて、営業時間外も営業活動をしている。同伴出勤として客と待ち合わせて一緒に出勤したり、アフターとして閉店後に店の外でデートをしたりして、客と一緒にいる時間を増やすことで次の指名につなげている。他にも客に営業メールを送ったり、チャットでナンパしたりして新規の客を見つけたりもする。ホストクラブ自体の深夜営業を禁止したところで結局は個々のホストがアフターで店の外で営業活動をしているし、そうすると店での仕事とプライベートの境目が曖昧になる。ホストと客が店外のデートを金で買った疑似恋愛と割り切っているならよいけれど、結婚を匂わせて金を借りて返さないのが結婚詐欺になるように、付き合えることを匂わせてフゥワフゥワと金を貢がせて結局付き合わないのは詐欺になりうる。・男社会のしがらみが大変ホストクラブにはナンバーワンになりたがる上昇志向の人が集まって客を奪い合うし、上記のように拝金主義のモラルが欠如したサイコパスも呼び寄せるので、ホスト同士の衝突もある。2010年には八王子のホストクラブ経営者の土田正道が殺害されて鍋で溶かされた事件が起きた。FRYDAYの『「西東京の帝王」と呼ばれたカリスマホストが殺害されるまで』という記事に特集されているけれど、土田は暴君的なやり方で脅してホストを従わせたことが原因で殺害されたようである。・感情労働が大変夜遊びに慣れた女性は初回の割安の料金でホストクラブを値踏みして無理難題をふっかけて憂さ晴らしをしたりするけれど、ホストはそういうスレたわがままな女性の相手もしないといけない。酔った状態でも客の名前を忘れたり間違えたりできないし、客の機嫌を損ねたら指名や売上が減るし、ホストラブという掲示板では客から誹謗中傷されるし、楽して大金を稼げるような仕事ではない。毎日酒を飲んで夜更かしをする不規則な生活なうえに接客業ならではの対人ストレスを抱えて精神を病んでフゥワフゥワしている場合じゃなくなるホストもいる。・男性弱者の嵌め込みホストクラブは寮があって、地方から上京してきたり実家を追い出されたりして住む家や就職先がない若者の受け皿になることで金を稼ぎたい人を集めている。しかし店によっては接客数や売上のノルマや遅刻とかに対していろいろな罰金があって、人気がないホストは金を稼ぐどころか罰金で借金を負わされる。高卒とかで他の仕事をした経験がないフゥワフゥワした若者はホスト業界はそういうものだと思って罰金があることに違和感を持たなくて、罰金まみれで稼げなくて寮を抜け出せなくなって店に雑用係として搾取されるようになってしまう。・女性弱者の嵌め込み日常生活で恋人や夫がいて満足している女性はわざわざホストクラブに行かないので、ホストクラブに行く女性客は容姿が悪くて恋愛が成就していなかったり親子関係が悪くて愛情不足だったりして、親からの愛情不足をホストからのフゥワフゥワした優しい言葉で補おうとしてホストに見捨てられることが不安で依存して貢ぎ続ける人とか、発達障害で自尊心が低くてホストにおだてられるとお世辞だと気づかずにうれしくなってほいほい大金を出す人とかがいる。発達障害者が子供のうちは親が忘れ物とかをフォローするけれど、大人になって家を出てからの稼いだ金の使い方や恋愛の仕方とかは親が教えきれないので、収入以上にホストに貢ぐ人が出てきたり、悪人を悪人と見抜けずに悪いホストに騙される人が出てくる。倫理観があるホストは儲かるからと言って相手が生活できなくなるほど金をとろうとしないけれど、サイコパスなホストは金づるとして相手を破滅に追い込んでいく。坂口杏里がホストにはまって散財して芸能人から風俗嬢に転落したような事が一般人でも起きている。名古屋のホストの和田圭祐容疑者(33)が500万円の売掛がある19歳の女性に千葉市のデリヘルを紹介して職業安定法違反の容疑で逮捕されたけれど、普通の19歳には払えない金額なのをわかったうえで風俗に沈めているので悪質である。・脱税現金で取引していて明細を出さない水商売は脱税が多くて、国税庁の「事業所得を有する個人の1件当たりの申告漏れ所得金額が高額な上位10業種」で上位に位置している。脱税が多いことが水商売が世間で健全なビジネスとしてみなされない一因だと思う。●ホスト業界の健全化の問題ホストクラブを健全化するために、普通の飲食店のように従業員として雇用してホスト同士を競わせずに店全体の売り上げから給料を払ったり、指名料一時間いくらという予約制にして客の指名がかぶらないようにしたり、会員制にして収入が低い人は店に入れないようにしたり、売掛を禁止してクレジットカードの支払いにして明細を明らかにしたりして、やろうと思えば自主的に健全化できるだろうになぜやらないのかというと、高収入が欲しいホストにとっては現行の荒稼ぎできるシステムのほうが都合が良いし、1店舗だけ健全化したところで在籍ホストが高収入の他の店にフゥワフゥワと移籍してしまったら意味がないので変えられないのだろう。もともと長く続けられる仕事ではないうえにあまり稼げないのではホストをやるメリットがなくなる。あるいは自治体が強制的に健全化する場合は、酔った状態での高額な取引を規制する条例や、ホームページに料金を明示していなくて明細がない高額の請求する場合は契約が無効になる条例とかを作ればホストクラブだけでなくてぼったくりバーの被害や脱税も減らせると思うし、水商売全体の健全化になると思う。女性弱者が被害者にならないように権利を制限するパターナリズムの考え方もある。しかし知的障害者や発達障害者でも自由に行動する権利はあるので、本人が借金してでもホストに貢ぎたいと思ってやっていることを他人がよかれと思って規制するのは人権侵害になりかねない問題がある。●私のホストクラブの思い出私はホストクラブに客として行ったことはないけれど、高校の同級生がホストクラブの雇われ店長になったときに開店と閉店を手伝ったことがある。開店のときにはシャンパンコールに使う音楽をちょうどいい長さに編集したり、経理で使うパソコンを選ぶのを手伝ったりして、閉店の時には売れ残った鏡月やスミノフやプリングルズをもらったり、寮を引き払う時にいらなくなった電子レンジをもらったりした。オーナーはキャバクラを経営していた人で、ホストクラブも儲かると思って始めてみたそうだけれど、こんなに金がかかるとは思わなかったということで半年で閉店した。半年の営業にもかかわらず、やくざがみかじめを払えと脅してきて警察を呼んで逮捕したり、体験入店したホストが辞めた後に強盗殺人事件を起こして警察に事情聴取されたりといったトラブルも起きていた。ホスト業界に伝手がない人がやると売れそうなホストを集めたり勤怠管理したりするのが大変そうで、普通に居酒屋とかをやるほうがましじゃないかと思った。1955年に芝木好子が『洲崎パラダイス』という小説で東京の赤線地帯を書いたけれど、1958年の売春防止法で須崎の遊郭はなくなって住宅街になっていて、今では赤線地帯の様子は資料からでしか知ることができない。歌舞伎町のホストクラブとかもいずれ規制されて50年後とかにはなくなっているのかもしれないし、現代のホストクラブの有様をちゃんと記録して考察して後世に残すのも文化的な意義があることじゃなかろうか。*日常生活でフゥワフゥワと合いの手を入れる機会がなかなかないので文章にたくさんフゥワフゥワを入れてみたけれど、文章として使うには無理があるようである。
2024.01.01
コメント(4)
全5件 (5件中 1-5件目)
1
![]()
![]()
