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最近はふわっちという配信サイトで活動している女性がライブ配信中に殺害される事件が起きた。被害者は「バイト先に財布を忘れて手持ちがない」とかの理由で消費者金融での金の借り方まで指南して度々容疑者に金の無心をしながらフィアンセと旅行したりして豪奢な生活をアピールする一方で、容疑者は家賃3万円のところに住んで貯金を取り崩しただけでなくて消費者金融に借金して総額250万円を貸しても返済されなくて、貸金返還請求訴訟で勝訴しても相変わらず返済されなくて生活できないから1万円だけでも返してほしいというDMも無視されて、怒って殺害に至ったようである。この事件以外にも借金が原因の殺人事件は度々起きているので、借金について考えることにした。●借金とは何か借金とは金を借りることで、借りた金に利息をつけて返す必要がある。個人の借金は貸す側や借りる側にいろいろ制限があって、事業として継続的に貸金業をするには国か都道府県知事への登録が必要で、貸金業法では総量規制があって借り入れ残高が個人の年収の1/3を超える場合は新規の借り入れができなくて、金利は借入金額に応じて15-20%の上限がある。事業ではない個人間の借金でも利息をつけるのは違法ではないけれど、利息制限法を超える利息は禁止されている。企業の資金調達だと借入や社債発行などのデットファイナンス、自社ビルとかの不動産を担保にしたアセットファイナンス、新株発行によるエクイティファイナンスがあるけれど、零細企業だと担保になるほどの資産がないし無名の会社が社債を発行しても買う人がいないので、銀行からの融資やビジネスローンによる借入が主な資金調達方法になる。法人へのビジネスローンは総量規制の対象にならないので、上限なしに借りることができる。日本で銀行ができたのは明治時代だけれど貸金業はそれ以前に存在していたようで、WEBアステイオンの記事によると、1691年には三井グループの元祖の三井高利が開設した三井大坂両替店があって、顧客から借入の申し込みがあると信用調査をして人柄を調べて、浪費癖や遊び癖がある人には貸付しなかったそうな。●良い借金と悪い借金無料と支出について考えるという記事で考えたけれど、日本人はゼロリスク信仰が強くてリスクが少ない貯蓄をしたがって、リスクがある借金をしたがらない。しかし借金には良い借金もある。投資ではレバレッジをかけるほうが投資効率が良いので、借金の金利以上の利益が出る見込みがある投資のために借金をする場合は貸した側も借りた側も双方が得をするので良い借金と言える。例えば新しい発明をした研究者が1億円かけて設備投資したら3年後に10億円の利益が出る見込みがある場合、何十年も働いて自己資金で1億円貯めてから起業するのでは他社に先に製品化されて先行者利益が出る時期を逃しかねない。その場合は初期費用を借金で調達して事業化を急ぐほうがよいし、金利が低いならなおさら金を借りる方がよい。クレジットカードは全く使わないでいるより、一括払いで普段の買い物や水道光熱費の支払いで使ってちゃんと期日に支払いをすることでクレジットヒストリーを積み重ねいくと、将来車や家とかの高額な買い物をローンで払うときに信用情報の審査に有利になるので良い借金と言える。一括払いなら手数料や金利はかからないし、すぐに払うかあとで口座から引き落とすかの違いでしかないので、口座の残高を把握して余裕をもって使えばデメリットはない。成績がいい高校生が学費がなくて進学できない場合は、奨学金を借りて一流大学に進学して大企業に就職したり、教員とかの大卒でないと資格をとれないような仕事に就職すれば十分返済できるし社会の役にも立つので良い借金と言える。ただし高卒と大卒であまり収入が変わらない仕事に就く場合は若くて収入が少ない時期に奨学金の返済もしないといけなくて生活が大変になるので、就職先の希望がないまま就職率が悪い大学に奨学金を借りてまで進学するのは投資効率が悪い借金の仕方である。ローンで家を建てる時はライフステージに合わせてQOLが上がったり、将来離婚や転勤や介護とかで家を売って引っ越す場合のリセールバリューが維持できる場合は良い借金と言える。リセールバリューが低くなるような個人的な趣味にこだわったデザインをして、高齢になるまでローンの返済を続けないといけなくて住み替えることを想定していないような返済プランを組むのは不動産投資としては筋が悪いやり方である。金利を払えない場合や、返済の見込みがない場合や、計画性がない場合の借金は借りる額が大きいほど返せる可能性が少なくなって、返済を延滞するほど利息が増えて損をするので悪い借金と言える。例えば借金の利息分を返すために他の貸金業者から金を借りて自転車操業をする場合は、元本を返済していないので借金や利息がさらに増えてますます返済が大変になる。借金でギャンブルをしたり、SNSの配信者に投げ銭したり、ホストやホステスに頼まれて売掛で高い酒を注文したり、ソシャゲのアイテムが欲しくてガチャを回したりする場合は一時的な欲を制御できずに計画性なしに借金をしていてダメなパターンである。会社の同僚とご飯を食べに行ったときに財布を忘れたのに気付いて一時的に建て替えてもらったり、貯金がない状態で交通違反をして罰金を払わないといけなくなって借金をしたり、避妊せずにエッチして望まない妊娠をしてしまって中絶費用を借りたりするようなミスに起因する借金は本来はやる必要がない借金で、周囲に迷惑をかけて誰も得をしないので悪い借金といえる。●個人間の金の貸し借りが殺人に至る理由銀行や消費者金融とかのビジネスとして金貸しをやっている人たちは、客が借りた金を返さないからといって相手を殺したりはしないし、客が金を返さなくても損害が小さくて済むようなビジネスモデルになっている。例えば銀行の住宅ローンだと家を担保にすることを条件にして金を貸して、客が金を返せなくなったら代わりに家の権利を手に入れて家を売ることで回収する。事業者への融資では連帯保証人をつけることを条件にして金を貸して、金を貸した社長が夜逃げしても連帯保証人から回収する。消費者金融は担保や保証人がいらなくてすぐに借りれるぶん金利が高くて、少しの客が返済できなくなっても他の大勢の客から利益を得ているし、客もちゃんと返済しないと信用情報に記録されてクレジットカードを持てなくなったり他の金融機関で金を借りにくくなったりするデメリットがあるのでちゃんと返済しようとする。ところが個人間の貸し借りだと、金利で利益を得ることが目的でないので、そのぶん信頼とかの他の見返りを求めるようになって、それが満たされないと恨みに変わる。それに担保も取らないし、口約束で貸して借用書を作らなかったり返済期限を決めなかったりするし、引っ越して電話やメールをブロックして行方をくらましても金融機関の信用情報への悪影響もないので、貸した側が金を回収しにくい。それを見越したうえで消費者金融で金を借りずに知り合いに無心して返済期限を延ばしたり借金を踏み倒そうとしたりする人もいるけれど、少しでも返せば返済するつもりがあったとみなされて詐欺になりにくいので悪意があっても司法が罰しにくい。契約に基づいて利息目的で金を貸し借りするドライな関係よりも利益が目的でないほうがこじれたときが厄介で、返済の約束を無視されると自分を蔑ろにされたという怒りが湧いて殺意に変わる。兄弟姉妹でさえ遺産相続で揉めるのだから、他人と利害が絡むときには揉めて当然である。借りた金を返さずに信用を無くすと、金融機関だと新規の借り入れを断られるだけだけれど、個人間の借金の場合は返さない場合の恨みがずっと残る。発達障害や境界知能で頼まれると断れないタイプの人や、自尊心が低くて頼れれるとうれしくなって無理してでも相手に尽くそうとするタイプの人がいて、そういう人に金を貸してと頼めば貸してくれるとしても、相手の負担になっている。相手が断らないからといって社会的弱者の精神的な弱みに付け込んで生活に必要な命金まで奪おうとしたら、相手からの借金の取り立ての仕方も相応に激しくなる。孤独な弱者から金を奪うと、相手はそれ以上失うものがなくなって逮捕や死刑を恐れない無敵の人になってしまうし、司法が罰しないなら自分で罰しようとしてしまうので、金の問題が恨みの問題に変わると命の危険がある。貸す側と借りる側の収入や金銭感覚が違うと金の重みや信用の重みも違うので、借りる側が感謝するどころかその程度の金くらい貸してくれてもいいだろとか別にすぐに返さなくてもいいだろという横柄な態度でいると人間関係がこじれる。貸す側は返すと言うから信用して金を貸してやったのに返済を無視するなんてひどいやつだと怒ったり、生活を再建するために金を貸してやったのに酒やギャンブルに使われて怒ったりして相手を殺したりする。借りた側が殺人をする場合もあって、生活に苦労しているから金を借りているのに返済を要求するなんてひどい奴だと逆恨みしたり、相手を殺せばもう催促されないで済むと短絡的に考えて貸主を殺したりする。ホストやホステスが親の病気で手術費用が必要だとかで相手への好意や同情に付け込んで嘘をついて借金をした場合は、嘘がばれるとそれまでの相手への愛情が金づるにされたことへの憎しみに変わって刃傷沙汰になる。●個人間の金の貸し借りはしないほうがよい・貸す側(借金を頼まれた場合)の注意そもそも収入がなくて生活費を借りるような人は生活が破綻していたり事業が破綻していたりするので、あとで収入が増えて借りた金を返せるようになる確率が低くてトラブルになりやすい。金を借りたい人はクレジットカードのキャッシングを使ったり消費者金融で借りたりして自己責任で金銭管理をすればいいのに、知人に借金を頼む時点で踏み倒す気満々で、そういう相手に金を貸しても貸す側のメリットがないし、頼めば無利子無期限で貸してくれる相手だとロックオンされたら何度も無心されて次第に金額も大きくなるだろうし、相手が反社会的なサイコパスなら言いなりにできる格下の存在として認定されて金づるにされて保険金をかけられて殺される可能性だってある。金銭的にルーズで金遣いが荒い人は約束を守るとかの他の部分のモラルも低いと思われるので、なるべく関わらないほうがよい。金を貸したら返ってこないものだと思って友情の手切れ金代わりにあげるつもりで金を貸すという寛大な人もいるけれど、どうせ友情が終わるのなら最初から断ればいい。相手が金に困っているからといって同情で金を貸したところで相手の生活が立て直せるわけではなくて、仕事がなくて生活ができないなら素直に生活保護を受けるほうがよいし、事業が赤字で黒字になるめどが立たないならもう事業の継続は無理なのでむやみに借金を増やさずに早めに事業を畳んだり自己破産したりするほうがよい。困っている知人を助けたいなら金を貸さずに生活を再建して自立できるように知恵を貸せばよいし、口出しはいらないから金だけ寄越せというような横柄な態度の人とは縁が切れても別に問題ないだろう。ホストやホステスは客の恋愛感情や同情心を利用して不幸な身の上話で嘘をついて金を借りようとする人がいるけれど、本来サービスの質で金を稼ぐべきところなのにサービス以外で私的に客から金を引き出そうとする奴はプロじゃない。そういうプロ意識が乏しい人に金を貸しても大成しないので、俺がビッグになったら倍にして返すぜとかの言葉を信じて金を貸してはいけない。金持ちの道楽として余ってる金で愛人に店を持たせるとかなら問題ないけれど、貧乏な庶民が水商売のパトロンになろうとしたところで貸した金は恋人とのデートや浪費に使われて金がなくなったら用済みとして縁を切られて借金を踏み倒されることになるだろう。・借りる側の注意急に金が必要になる事情があって知人から借りる場合は、貧乏な人から借りずに殺人をしなさそうな金持ちから借りて、必要最低限の額にして、借用書を残していつまでにいくら返済するかプランを明確にして、暴利を取らずに金を貸してくれた相手に感謝と誠意をもって対応してなるべく早く返済するほうがよい。感謝の言葉を言うだけなら無料なのだから、頼みごとをした場合の最低限の礼儀は持つべきである。上記のふわっちの配信者も横柄な態度をとって借金を踏み倒そうとせずに感謝を伝えて少額でも毎月返済していたら殺されることはなかっただろう。金を借りる相手が金持ちだとしても反社会的勢力と関係があると借金返済のためにタコ部屋や風俗で働くことを強制されたりして望まない仕事をやらざるを得なくなるかもしれないので、相手の仕事や交友関係をちゃんと確認するほうがよい。●借金とフィクションシェイクスピアの戯曲『ヴェニスの商人』では金貸しのユダヤ人のシャイロックは冷酷非道な悪者として描かれていて、商人のアントーニオがシャイロックに借りた金を返せなくて裁判で契約通りに肉1ポンドを取られることになったけれど血は契約書に書いていないので肉を取るときに血を流してはいけないというとんちでやりこめるようなオチになっている。これは金貸しを禁止するキリスト教が金貸しを生業にするユダヤ人を蔑視していたという当時の事情が反映されているのだろう。尾崎紅葉の小説『金色夜叉』は主人公は失恋をきっかけにやり手の金貸しになる展開で、イギリスのバーサ・M・クレイの『女より弱きもの』という種本を基にして書かれたせいか、金貸しは冷酷な悪人として扱われている。英語で高利貸しをローンシャークというように、サメのように無慈悲にがぶがぶとローンを取り立てるイメージがある。天王寺大と郷力也の漫画『難波金融伝・ミナミの帝王』は十一の高利で高利貸しを営む男が主人公で、高利貸しだけれど悪人として描かれているわけではなくて約束を守らせてきっちり回収するところが見せ場になっていて、1992年から連載して2025年2月時点で181巻が出版されていてVシネマ化もされて人気シリーズになっている。真鍋昌平の漫画『闇金ウシジマくん』は闇金業者と客の双方の事情を掘り下げて、人間関係のいざこざを見せ場にするフィクションになっている。これは連載当時は消費者金融のグレーゾーン金利の過払い金が問題になって、資金繰りのために闇金に頼る人が多かったという社会問題を反映した内容になっている。福本伸行の漫画『賭博黙示録カイジ』は多額の借金を抱えたクズ達が借金返済のためにギャンブルやデスゲームをする話で、クズ同士が協力したり金に目がくらんで仲間を裏切ったりするところや主人公のカイジが追い込まれてから逆転したりするところが見せ場になっている。金貸しが主役になる場合も悪役になる場合も人気の作品が多いけれど、実在したら嫌な奴でもフィクションの登場人物としては特徴付けできて魅力になるので人物像を作りやすいし、金が必要になる動機や金策の苦労や返済しないで制裁されたりするオチをつけるまでのストーリーを作りやすいし、金貸しを主人公にした場合は客を変えることで複数のエピソードを作りやすいし、悪役がいるので物語にメリハリが出るし、喜怒哀楽や人情や勧善懲悪とかの見せ場が多いというエンタメ向きの特徴が複数あるので人気になるのだろう。借金をテーマにしたフィクションは他のジャンルへの発展性もあると思うので頭の体操として考えてみると、借金SFだと酸素本位制の宇宙コロニーで酸素を借りて利息を払えなくて酸欠で死ぬ話とか、借金ホラーだと呪いの闇金から金を借りたら利息を血で払わないといけなくて返済しないと心臓を取られて死んでしまう話とか、借金時代小説だと商人に金を借りて戦をした大名が借金を踏み倒そうとして暗殺される話とか、借金アクション映画だと破産してホームレスになった元特殊部隊員が借金踏み倒し請負人になって取り立てに来た闇金グループを壊滅させる話とか、借金ファンタジーだと商人が勇者の装備一式のローンを取り立てようとして世界の果てまで付いてきていつの間にか最強の商人になる話とか、借金学園モノだとテストの点を貸し借りできる私立学校で借点まみれになって点を返すために猛勉強する話とか、いろいろやれそうな気がする。
2025.03.19
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最近はいくつか小説を読んで観察が足りていないとかなんやかやの文句を書いたのだけれど、賞を取るようなプロ小説家でさえ視覚情報を言語化する能力が乏しいのだから、一般人はなおさら言語化する能力が乏しい人が多いのじゃないかと思う。というわけで徒然なるままに言語化について考えることにした。●言語化とは何か言語化とは何かの概念を言語で説明することである。言葉の意味を共有できないと同じ言葉を使っても人によって理解が変わってしまうので、まずは言葉の意味を定義する必要がある。例えば目の前にいる猫という生物について言語化して他の人に「猫がいるよ」と伝えようと思ったら、まず猫とは何かという定義をして、虎やジャガーとかの他の動物と区別して、意味記憶として記憶する必要がある。最近は国連難民日本事務所が「ゴミ箱に捨てなければいけないもの」として「強制送還」を挙げて批判されて、誤解を招く表現があったとして「ルフールマン」に訂正したように、翻訳の間違いとかでニュアンスが変わると意図した意味が相手に伝わらなくなってしまう。定義が定まったら、次は文章の論理構成が矛盾していないことが必要になる。「よいるが猫」だと各単語の形態素が同じでも意味が伝わらないので、「猫がいるよ」という文法に沿って言葉の意味と論理を理解できる人なら誰でも理解できる形にすることで、何かの概念を言語化して、他の人と共通の認識を持つことができるようになる。共通の認識を持つことで、議論をしたり、説を反証したりできるようになる。数学もプログラミングもモールス信号も意味と論理があるので言語になる。ひろゆきの「それってあなたの感想ですよね」はミームになっているけれど、これは言語化するときにも重要で、何かの概念を説明するときに客観的な情報の中に他人と共有できない主観的な感情を混ぜてしまうとそれがノイズになって言葉を理解しにくくなってしまう。例えば猫について言語化しようとするときに、「猫はかわいくて人気がある動物である」と主観を混ぜた言葉にすると、猫をかわいいと思わない人とは共通認識を持てなくなる。「猫は愛玩動物として〇万匹飼われている」のような誰でも共通の認識を持てる客観的な情報と、「私は猫をかわいいと思う」という個人の主観的な感想は分ける必要がある。一つ一つの言葉を正しく定義することで、この世界についての理解が深まっていって、矛盾しない世界の認識ができあがる。・言語化の重要性いろいろな生物は他の個体と意思疎通できる個体が生存に有利になって、繁殖期であることをアピールしたり外敵の危機を仲間に知らせたり威嚇音で外敵を追い払ったりして子孫を残して生き残って、音の出し方が進化してきた。鳥類や哺乳類のように呼吸器や舌を使って声を出す動物もいるし、セミや蛙のように独特な体の仕組みを使って音を出す動物もいる。人間は声やボディーランゲージとかの身体を使った原始的な言語だけでなく、文字や記号とかの道具に依存する言語も意思疎通に使う。中世の戦争では声よりも大きな音が出る太鼓やラッパとかの楽器が進軍や撤退の記号として使われて、のろしとかの視覚的な記号も使われた。あらかじめ記号の意味を定義して共有できていればそれも言語化と言える。「敵が来た」とかの短い情報だけなら動物でも言語化できるけれど、人間は思想体系を共有できるところが他の動物とは違う。人間は目に見えるものを認識して言及するだけでなくて過去形や未来形の文法を使ってその場にないものへの抽象的思考ができるようになって、仮説Aや仮説Bを立てたうえで仮説Aが正しかった場合の仮説Aaを立てたりして、いくつかのレイヤーで推論を重ねて演繹法や帰納法で様々な物事の普遍的な法則をみつけだして、この世界はどうやって出来たのか、自分はなぜ存在するのかという疑問に対して見たこともない神の存在をでっち上げて、神の子孫や使徒や預言者を名乗って統治に利用するようになった。そのうえ文字を持ったことで言葉を蓄積できるようになって文明が発展した。人間のワーキングメモリには限界があるので一度に大量の情報を覚えていられないけれど、石や粘土板やパピルスや木簡や紙やHDDとかに記述して記憶のリソースを外部に移すことで大量の情報を蓄積できるようになって、自分が生きていない過去の時代の情報を共有できるようになって、学問の研究結果を蓄積して真理を見つけて発展させて、外国語を翻訳することで自分が直接行ったことがない外国の知識や技術も共有できるようになった。●様々なものの言語化・コミュニケーションの言語化東北大学の川島隆太教授の「脳とことばの不思議な関係」-ことばで脳はよみがえる-というYouTubeの動画だと、人間は他の動物よりも前頭前野が発達して、前頭前野がコミュニケーションや欲の抑制とかの集団生活に必要な機能を担っていて、認知症になると前頭前野が5歳以下のレベルになるので前頭前野を鍛えるのが重要で、外国語の文章を読んだり聞いたりすると前頭前野が活性化するので脳のトレーニングになって、バイリンガルだとアルツハイマーになりにくいと言っていた。人間は動物の中で一番多くの言葉を使って意思疎通して協力しているとはいえ、言葉は後天的に学習するので、ちゃんと学習しないと言葉を上手く使えなくて失敗のもとにもなる。ディスコミュニケーション(意思伝達が行われない)やミスコミュニケーション(認識の相違)はしばしば起きて、例えば2024年1月2日の羽田空港でのJAL機と海保機の衝突事故は海保機の機長が管制官から「ナンバーワン」と伝えられて滑走路侵入の許可が出たと誤認したミスコミュニケーションが原因で起きた。カップルや夫婦が何も言わなくても相手が察することを要求して、期待と違っていたと文句を言うのはディスコミュニケーションと言える。コミュニケーションは難しいことを要求されているわけではなくて、相手が重要な情報を理解できるように丁寧に詳細を伝えて、復唱したりして確認をすればたいていの伝達ミスは防げる。最近だと商品も言葉を発するようになって、スマホやIoT家電も音声で動作の開始や完了を伝えるようになるだけでなくて、AIを搭載してコミュニケーションが可能になりつつある。車のクラクションも一種類である必然性がなくて、音の高低で意味を使い分けることができれば交通事故を起こしにくくなるかもしれない。・記憶の言語化たいていの人が三歳未満の頃の記憶がないのは言葉を覚えていなくて体験を言語化できないからだろう。長期記憶は陳述記憶(エピソード記憶と意味記憶)と非陳述記憶(手続き記憶、プライミングなど)に分かれているけれど、言葉を知らないと何がどのように起きたのかを陳述しようがないので、体験したはずのことが長期記憶に残っていないのだろう。それで成長して言葉を覚えるにつれて長期記憶に記憶が残るようになって、認知症の高齢者は最近の記憶は思い出せなくても子供の頃の記憶は残っていたりする。人が体験した記憶は死とともに失われるけれど、自分が生きた時代に何の出来事が起きたのかを書き残したり口伝で伝えたりして、その記憶が継承されていくとやがて国や民族の歴史となる。ホメロスの叙事詩「イリアス」で語られたトロイア戦争を基にしてシュリーマンがトロイの遺跡を発掘したように、物体よりも言葉のほうが長く後世に残ることがある。天文学は紀元前3000年のメソポタミアで星に名前を付けることで星の場所を覚えやすくしたことから始まって、何十年も夜空を観察して位置を記録することで学問として発展して、数十年に一度しか起きない惑星食の記録も引き継いで、古代ギリシア人は望遠鏡がない時代に惑星の軌道を正確に計算した。数百年後に人類が滅亡するとしても、遺跡に人類史が残されて数億年後に現れるかもしれない知的生命体に人類の記憶が継承されたら、人類の様々な失敗も無駄ではなかったといえるかもしれない。・感性の言語化芸術を鑑賞するとたいていの人は何かしらの印象を受けるけれど、その印象を言語化する能力は自然に身に付くものではないので、「面白かった」「つまらなかった」「感動した」という印象批評になりがちで、それだと他人にはどこがどう良いのか伝わらない。感じたことや考えたことの細部を言語化することで、他人にも理解できる批評となる。インターネットが出現してからは食べログや価格コムやグーグルマップとかのサイトが作られてあらゆる商品やサービスや企業が批評の対象になって、感性を言語化するのがうまいインフルエンサーが広告塔として使われている。・学習の言語化我々は日々様々な情報を見聞きしているけれど、その情報を全部覚えているわけではなくて、脳はエネルギーを節約するために重要でないと判断した情報は長期記憶に残さないようになっているので、短期記憶はしばらくすると忘れてしまう。学んだことを意図的に言語化してアウトプットすることで、自分の言葉で理解して知識として定着するようになるし、他人にも教えられるようになって、共通の知識を持つ人が増えて教育水準が上がって社会全体が豊かになっていく。逆に教育水準が低ければ文明の水準を維持できなくなるし、教育水準が低い移民を入れたり、言語が違う移民を入れて学校で対応できなくて教育が不十分になることでも文明の水準は下がる。識字率が低いと本から高度な知識を学習できないし、物理学や化学や工学の知識がないと技術職にはつけないので、単純作業をやるか物を盗んで売っぱらったりするくらいしかやることがなくなって、貧困から抜け出すために犯罪をするようになるけれど、生産者が殺されたり生産設備が破壊されたりすると生産力が落ちていって国全体が貧しくなっていく。例えば南アフリカはアパルトヘイト時代はアフリカで唯一発展した国だったのに黒人が政治をするようになったら強盗や殺人が多発して電線や水道管が盗まれて売り払われてインフラが破壊されて汚職が蔓延して荒廃したし、ドイツは識字率が低いアフガニスタン人の移民を受け入れても労働力として役立たせることができなくて移民の犯罪が多発したし、日本でも外国人が銅線や車や果物を盗んでいる。犯罪者を減らして生産者を育てないと国が豊かにならないので、教育が国の礎になる。・意思の言語化仕事や勉強を頑張ろうと思っても、目標がないと何をどうやればいいのかわからなくて頑張りようがないし、それでは成長につながらない。成長するには現状のコンフォートゾーンを抜け出して負荷をかける必要がある。例えば筋肉を成長させたかったらこたつでごろごろするのをやめて、筋トレして筋肉に負荷をかける必要があるけれど、どんなトレーニングを何回するのかという目標を決めないと長続きしない。意思を言語化して目標が明確になると、どうすれば目標を達成できるかというプロセスを考えられるようになって、あとは実行するだけになる。会社に不満があるのに転職しない人や、配偶者に不満があるのに別れようとしない人とかは、さらに状況が悪くなって生活できなくなるかもしれないという不安が勝って、成長してもっといい環境に行こうという意思がないのだろう。目標がないまま不満だけ言っても何かが変わるわけではない。・営業の言語化顧客が抱えている欲望や不満を言語化して、顧客に自覚させて潜在的需要を掘り起こしていくのが良い営業マンである。顧客が欲望や不満に無自覚な状態でいきなり商品やサービスを提示されても欲しくならないけれど、言語化されたときにはじめて欲が顕在化して、それいいじゃんと欲しくなる。なので営業マンは自分が話したいことを一方的に話して商品やサービスを買わせようと押し付けるのでなくて、相手の話をちゃんと聞いて分析してそれを言語化する能力が必要で、外向的な陽キャだからといって営業に向いているというわけではない。IBMがNHKの営業基幹システムの開発を中止してNHKから訴えられたように、技術者と客に知識の差があるときも営業が顧客が何を求めているのかを的確に言語化しないと齟齬が生じやすくて、その後の工程や納期にも影響する。美容院で客が「短くして」と注文しても「短い」の定義が人によってばらばらで、思ったよりも短すぎたとクレームをつけられかねないので、美容師は素人の客の注文を丁寧に聞き出して客が求める仕上がり具合を言語化する必要がある。商品の展示の仕方も言語化が必要で、洋服屋でマネキンにただ冬用の新作コートを着せて展示するのと、「今年は寒さが厳しくなりそうです。冬将軍と戦う準備はできていますか?」とかのPOPをつけて言語化するのでは、たぶん後者のほうが「そういや今のコートだと去年の冬はちょっと寒かったからもっと暖かそうなのに買い替えようかな」と潜在的な欲を自覚させることができるだろう。映画に「全米が泣いた」とかのコピーをつけるのも泣いてストレスを発散したい観客の欲をわかりやすく言語化しているといえる。ファミリーマートは賞味期限間近のおにぎりに「たすけてください」と涙目のおにぎりが訴える値引きシールを貼って、たすけてほしいことを言語化して客に訴えることでフードロス削減に取り組んでいる。・治療の言語化医者の診察も営業マンと似ていて、良い医者は患者がうまく言語化できない細かい不調を詳しく聞くことによって原因となる病気を絞っていく。いろいろな機械を使って精密検査をすればデータとして情報が出てくるけれど、採血やレントゲンや胃カメラとかの検査は患者の身体的な負担になるし検査費用もかかるので、余計な検査をせずに問診で原因を絞り込めるに越したことはない。オンライン診療だと直接患部を触ったりできないだけになおさら的確に言語化する能力が必要になるし、インフォームド・コンセントの際にも医療用語を知らない患者にもわかりやすい言葉に置き換えて説明する必要がある。問診ができないと医者として役に立たないということで、2018年が東大医学部の入試で面接を復活させて、2020年には九州大学で面接を導入して、現在は日本のすべての大学の医学部の入試でも面接が必須になっていて、暗記力が高くてペーパーテストだけが得意なタイプは医者になれないようになっている。精神医療では統合失調症の治療にフィンランド発祥のオープン・ダイアローグという手法が取り入れられつつあって、従来のカウンセリングのように権威がある医師が患者と一対一でカウンセリングして治療を指示するのでなくて、患者の家族や友人のチームと医師や看護師のチームが開かれた会話をして患者だけでなく患者の周囲の人の話も聞くことで投薬治療を減らせたそうな。薬物治療が全く必要なくなるというわけではないけれど、ちゃんと話す、ちゃんと聞くということが人間の認識の改善に有効だと言える。たぶん言語化することで患者と周囲の人の認識のずれが明らかになっていって、周囲の人が間違っていたり嘘をついたり嫌がらせをしたりしているのでなくて自分の認識が間違っているのだと受け入れて被害妄想の思い込みが緩和していくのだろう。・指導の言語化サッカー選手はどの角度でどのくらいの力を入れてボールを蹴ればボールがどこに飛んで行くかを経験と感覚で理解していて狙ったところにボールを蹴ることができるけれど、その角度や力の強さを物理学の数式で示せと言われても言語化できないだろう。人間は自分が理解していることだからといって言語化できるわけではなくて、良いプレイヤーでも自分の技術を言語化する能力がないと他人に教えることができないので、良いプレイヤーが現役引退後に必ずしも良いコーチになれるわけではない。それゆえに指導者には技術や理論や戦術を言語化して間違いを指摘したり指示を出したりする能力が必要になる。職人がしばしば言う「見て覚えろ」は言語化が不十分で指導の効率が悪い。・反省の言語化学校だと何かをやらかした生徒に反省文を書かせることがあるし、会社だと何かをやらかした従業員に始末書を書かせることがある。これはなぜ失敗したのか、どこが悪かったのかを言語化することで問題を自覚させたり、監督者と注意点を共有して再発を防ぐ狙いがある。ビジネスだとKPTやPDCAとかの振り返りのフレームワークがいろいろあって、反省点を言語化して洗い出すことでやり方を改善して次の行動につなげていて、個人の経験を暗黙知のままにせずに言語化することでチームで作業できるようにしている。・規則の言語化原始的な社会は権力者の気分次第で逆らう人を処刑してきたけれど、そのやり方だと謀反の連鎖が起きて統治が安定しなかったので、秦の始皇帝は権力者でさえ違反すれば平等に罰せられる法律を作って統治しようとした。社会が発展するにつれて法律も複雑になって、何をしたらどのくらいの刑罰になるのかという規則が細かく言語化されて共有されてきた。合法なら何をしてもよいというわけではなくて、様々な物事には法律の範囲内でさらに細かく規則がある。例えばスポーツやゲームを成立させるためにはやってはいけないことのルールを明確にしておかないといけなくて、憲法で表現の自由が保障されているからといって不要に歌ったり踊ったりしてプレーを妨害してはいけない。あるいはレストランのルールは店によって違って、予約の必要性、ドレスコードの有無、会計方法が券売機で事前に会計するか食後に会計するか、クレジットカードやポイントカードが使えるかとか、細かい違いがいろいろある。認知心理学だと手続き的な記憶をスクリプトと呼ぶけれど、この手続きの知識がないとレストランで食事をするという一見して簡単に見える行動でさえスムーズに行かなくなるので、店側は規則を言語化して周知する必要がある。最近はいろいろな店のレジがセルフ化しつつあって、老人が会計の時に操作がわからなくて店員を呼んでいるのをたまに見かける。これは会計機のナビゲーションの言語化が不十分なせいで客が何をすればよいのかわからなくて、店員に聞き直さないといけない状況と言える。マイナンバーカードと健康保険証の紐づけでも高齢者は病院の窓口にある機械の使い方がわからないようで不評である。これからは人手不足やAIの発展でいろいろなものが機械化・自動化していくだろうけれど、そのときに規則がわからないと効率がよくなるどころかかえって不便で非効率になりかねない。・弁護の言語化誰でも言いがかりをつけられたり濡れ衣を着せられたりすることはありうるし、その時には自分のアリバイを説明して、論理的に矛盾せずに客観的な証拠を伴う弁護をする必要がある。あるいは自分のミスを弁解したり、他人のミスをかばったりすることもありうるけれど、その時にもこういう状況でミスは仕方なかったのだと弁解できれば罰則や損害賠償が軽くなるかもしれない。自分の責任と自分の責任でないものを言語化して分けるのもレジリエンスでは大事で、自分の責任でないものまで自分のせいだと抱え込んでしまうと無駄にストレスを抱えることになる。たいていの仕事だと裁量権があるところが自分の責任の範囲で、裁量権がないところは上司や会社の責任なので、それは自分の責任ではないよと弁護できるようになると理不尽に責められたりしたときに対応しやすくなる。アメリカとかのジョブ型雇用だとジョブディスクリプションで責任が明文化されているけれど、日本企業だと契約書に権限が明記されていなくて責任が曖昧なので、自己防衛のために上司の言質を取ったりして自分の責任を確認する必要がある。・環境の言語化近代になって温度計や湿度計とかの様々な計器が作られてそれまで肉眼では観察できなかった状態がわかるようになって、気象衛星が打ち上げられて雲の動きがわかるようになって、温度や湿度や風や波や花粉の飛散状況がどう変化するのかという環境が言語化されて天気予報となった。カーナビは現在位置情報の分析からリアルタイムの交通渋滞情報が提供されて、単に地図上の最短距離をなぞるのでなくて移動時間がかからない道をナビゲーションするようになった。環境が言語化されて正確な状況がわかることで、自分にとって快適な環境になるように調整しやすくなる。踏切の警報やメロディーがなる歩行者用の信号も環境の言語化と言えるし、今は単調な音しかだしていないけれど、信号が変わるまでの待ち時間をカウントするとかしたら待ち時間のストレスを減らしたり、無理な横断を防いだりできるかもしれない。パソコンの初心者が「何もしていないのに壊れた」と言うのも環境を言語化できないので原因が特定できない状態といえる。パーツ構成、OS、インストール済みのソフトとかの使用環境を言語化することで、タブを開きすぎてメモリ不足でフリーズしたとかネット回線が貧弱でウェブサイトの読み込みが中断したとかの原因を特定できるようになる。●言葉を巡る問題インターネットが出現する以前は個人が意見を言ったり議論したりする場所があまりなくて、せいぜい飲み会で愚痴をいう程度だろう。インターネットが出現してSNSのサービスが充実すると誰でも意見を言えるようになったけれど、今度は罵詈雑言や誹謗中傷があふれたり論破されるとブロックして逃げたりしてまともな議論になりにくい。秋葉原の無差別殺傷事件は匿名の掲示板で煽られたことが原因で起きたけれど、もし匿名でのコミュニケーションでもお互いを尊重していたら事件は起きなかったかもしれない。それゆえに他人との距離感や言葉遣いや建設的な議論の仕方が重要になってくる。相手の意見を尊重しつつ相手を傷つけないように自分の意見を言うことをアサーションという。意見の表明の仕方にはアグレッシブ、ノン・アサーティブ、アサーティブの3タイプがあって、トランプがゼレンスキーとの対談で感謝してないとかの辛辣な意見を言ったように、アグレッシブタイプは相手を傷つけたり対立を招いたりしてしまうし、正論だとしても印象が悪くてロジカルハラスメントと呼ばれたりする。あるいは何も主張しないノン・アサーティブタイプもいて、日本人は沈黙は金ということで授業でも会議でも選挙でも無言で意見や態度を表明せずに他人任せにする人が多いのじゃなかろうか。アサーティブタイプはアグレッシブとノン・アサーティブの中間で、相手を害さないように自分の意見をちゃんという態度である。アグレッシブな論調に対しては発言の内容でなくて口調を非難するトーン・ポリシングによって議論がそれてしまいかねないので、相手がいる議論ではなるべくアサーティブであるほうがよい。SNSで何も意見を言わなければ変な人に絡まれることもないけれど、批評をしたりして自分で物事を考えないと思考能力や言語能力は徐々に衰えてしまうので、何か言いたいことがあるなら言うほうがよいだろう。間違った意見だとしても表現の自由や思想の自由は憲法で保障されているし、間違ったことを言って批判されるとしてもそれは生涯残るような恥ではなくて間違いを認めて意見を修正すれば済む程度の話だし、自分がもっと賢くなれる機会になるので、意見が間違っていることを恐れる必要はない。批判は相手の人格を否定することが目的でなくて学術的な真理の探究や幸福の追求を目的にしているし、議論を重ねるからこそわかるようになる物事もあるので、批判することも批判されることも恐れる必要はない。全知全能の人はいなくて高学歴な専門家だって専門外の分野の事は間違うものだし、だからこそ自分の意見を言うだけでなくて自分とは異なる他人の意見や批判も聞く必要がある。●我々は言葉と共に生きているGigazineの「知能は老化ではなく「頭を使わないこと」で衰えるとの研究結果、よく頭を使う人は年を取っても能力が成長し続けることが判明」という記事によると、仕事などでスキルをよく使う人は読み書き能力と数的思考力が60代まで成長し続けて、スキルの使用頻度が低い人は30代半ばから能力が衰え始めたそうな。定年退職した人が急に老け込むことはよく言われているけれど、なるべく頭を使うほうがよいという科学的な裏付けが出たといえる。頭を使うことを言い換えると言葉を使って考えるということである。じゃあ何を考えればよいのかというと、たいていの人は働かないと生きていけないので、未成年のうちは勉強のことを考えて、就職したら年金をもらえるようになるまで仕事のことを考える。高齢者が定年退職して時間がたくさんあるのに頭を使わないのはもったいないので、趣味や哲学や芸術とかについて考えるのが建設的だろう。インターネットで世界中がつながっている現代社会において孤独であるということは、単に物理的に一人でいるということではなくて、自分の言葉が誰にも理解されなかったり他人の言葉を理解できなかったりしてコミュニケーションができないことではないかと思う。高齢化が進んでいてもインターネットさえあれば過疎地とかの高齢者の孤立も防げるだろうし、例えばライブ配信中の高齢者が脳梗塞の兆候を見せて視聴者が救急車を呼んで助かったという事例もあるし、ネットで医師とビデオ通話して毎日体調を確認している。他の人を励ましたりしている人には人が集まってくるし、悪口や暴言を言っている人は周囲から人が離れていって孤独になる。介護施設でも穏やかな老人は周囲に感謝を伝えて丁重に扱われるのに対して、暴言ばかり言う老人は疎まれて孤独な最後を迎えることになる。フランスだとユマニチュード(人間らしさ)というやり方で認知症の介護をして、同じ目線で、話しかけて、触って、立つ時間を作るという4つを軸にして人間らしさの回復を目指すそうで、日本でこのやり方を試して認知機能が回復した動画を見たのだけれど、言葉が人間の存在に不可欠な要素の一つといえる。もともと言葉は群れの中でコミュニケーションをとるために発展してきたのだから、自分が孤立しないように言葉を上手く使うにこしたことはないし、引きこもりや認知症や精神障害とかで孤立した人を救うためにも言葉が必要といえるだろう。人間は言葉によって文化や文明を築いてきたからこそ言葉を蔑ろにしてはいけないし、文学部を実学でないからといって軽視するような資本主義の考え方はよくない。せっかく言葉を使う動物として自我を持ったのだから、罵詈雑言を言わずに美しい言葉や楽しい言葉を使うほうがよい。というわけで、人類はもっと小説を読むほうがよいという結論に至る。
2025.03.11
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最近は東洋水産のカップうどんの「赤いきつね」のアニメCMの「ひとりのよると赤緑」 おうちドラマ編が性的だと批判されたので、これについて考えることにした。●CMとは何かCMとはコマーシャルメッセージの事で、企業が商品やサービスを宣伝する動画を作って、テレビや動画サイトなどで見てもらうことである。アプローチするターゲット層を絞って、CMを出稿する媒体を決めて、企業が自分で広告を作れない場合は広告代理店とかに動画を作ってもらう。例えば子供向けにおもちゃを宣伝したかったら、子供がよく見る夕方のアニメ番組を放送しているテレビ会社に対して広告を出稿する。●赤いきつねと緑のたぬきのCMの良し悪し赤いきつねのCMは女性が部屋でテレビを見て赤いきつねを食べて、緑のたぬきのCMは男性が残業中に緑の狸を食べるという内容をアニメで描いたものだった。このCMは単に誰かが食事をしているだけという感じでストーリー性が乏しくてあまり面白味がない。一人暮らしの人をターゲットにして、孤独な人が暖かいものを食べてほっとして癒される感じを出したかったのかもしれないけれど、アニメは現実ではできない演出をやれるのがメリットなのに、動きが乏しくてアニメでやる必然性がない内容になっている。赤いきつねのCMは登場人物の絵柄と背景の絵柄のスタイルが違っていて、窓の横にドアがある間取りが変で、座椅子の座り方やテーブルの高さとかの家具の縮尺にも違和感がある。緑のたぬきのCMはパソコンがある仕事用の机で汁物を食うなよ、食べ終わったやつを書類の上に置くなよと突っ込みたくなる。アニメで宣伝をやるならアニメならではの表現に凝ってほしいところである。私がアニメのCMで印象に残っているのは日清食品がカップヌードルの広告として企画した2006-2008年のFREEDOM-PROJECTで、この広告では大友克洋がキャラクターデザインをして宇多田ヒカルがテーマソングを書きおろしていて短いCMだけでなくてOVAもちゃんと作られていて、自由を応援する企業姿勢が見えたのがよい。CHAGE&ASKAの楽曲「On Your Mark」のプロモーションのためにスタジオジブリが作った6分48秒の短編アニメもストーリー性があってよくできていた。●性的だという批判は妥当か赤いきつねのCMは女性が頬を赤らめているのが性的だとか、髪をかき上げるのが性的だとかの批判があるようだけれど、この批判は妥当なのか。そもそもほとんどの生物は男性か女性かで性別を持っていて性的な特徴がある。どこがどう性的なのかをいちいち指摘するのは不毛で、それを言うならイスラム原理主義者から見たら女性が肌や髪を出しているだけで性的でけしからんということになるし、アニメや漫画で人物を表現すること自体が偶像崇拝でけしからんということになる。同様に、女性からみたら男性にひげや筋肉があったり食べ物を食べてのどぼとけが上下するのが性的だと思う人もいるだろう。1989年のカップヌードルCMでシュワルツェネッガーがやかんを振り回して力こぶを強調していたけれど、それも性的になりうる。中国だと女性インフルエンサーのアー・ミャオが男性の喉仏は性的だからカバーで覆うべきだと提唱して、のどぼとけブラが数千個売れたそうな。誰かにとって気分を害する性的なコンテンツだという理由で表現を規制していくと、最終的に男女ともに布をかぶって目以外を覆わないといけないようになるし、それはナンセンスである。口紅や頬紅は性的アピールのためにつけるものだし、下着や生理用品の広告は人を映さずに商品を見せるだけでも性的になりうるし、じゃあそういう商品は広告を出しちゃいかんのかという話にもなる。それに芸術作品に対するフェミニズム批評には批評のアプローチとして意義があるにしても、広告は映像作品として評価されることを目的としていなくてターゲットに対して商品の認知度を高めて売上を増やすのが目的なので、ターゲット外の人がどう思おうが売上には関係ないので広告の批評はあまりやる意味がない。嘘、おおげさ、紛らわしい内容の広告は消費者の不利益になって景品表示法に抵触するし、差別や偏見を助長する内容の広告は社会的良識に反するので批判されてしかるべきだけれど、広告に性的な要素があるからといって商品を買った消費者の不利益になるわけではないし違法でもないので、商品やスポンサーをボイコットする理由にはならない。アニメや漫画とかの非実在人物の表現にけちをつけるフェミニストは昭和の左翼の言葉狩りと同様のアニメの表現狩りをやろうとしている。赤いきつねだけでなくて、日本赤十字社が献血キャンペーンのポスターに漫画の「宇崎ちゃん」を起用したこともフェミニストは性的だと批判した。どんな表現でも嫌いだと思う自由はあるけれど、たかが30秒程度のCMなのだから嫌いなら見なければいいだけの話で、不快に思ったところで寝て起きたら忘れる程度のことだろうに、わざわざ集団で粗さがしして粘着して炎上させようとするのはチンピラが肩をぶつけてきて慰謝料を請求するみたいなもんでたちが悪い。憲法で表現の自由が保障されていて景品表示法とかの広告規制に抵触しない範囲内で合法的に作られているコンテンツを法的根拠なしに主観だけで規制しようとするキャンセルカルチャーには私は賛同しないし、広告を出す企業側もターゲットから外れていて売り上げに貢献しない少数のセンシティブな沸点が低い人たちのクレームを聞く必要はないだろう。結局のところフェミニストによる無理筋な批判はかえって批判対象の知名度を高めて、フェミニストの異常さを際立たせる結果になっている。●私ならどんなCMを作るか私が赤いきつねと緑のたぬきのCMを作るとしたらどうするのか、頭の体操として予算を度外視して考えてみる。ちなみに私はテレビを捨てたので、武田鉄矢がCMをやっていたのしか知らない。・クリスマス編サンタクロースの格好をした東洋水産の社長が子供の靴下にこっそり赤いきつねを入れていって、子供が大げさに小躍りして喜んで、一口食べてあざとく「おいちいね」という。ターゲットはテレビを見る高齢者で、孫が遊びに来た時にすぐに食べられるおやつとして赤いきつねと緑のたぬきを常備しておくとよいと刷り込む。・バレンタイン編チョコをもらえなくて落ち込んでいる男子に女子が義理きつねをあげて、ホワイトデーに男子が義理たぬきを返して一緒に食べる。ターゲットは食べ盛りの高校生で、小遣いの範囲で買えるおやつとしての選択肢を提示する。・将棋編早指しで対局中の棋士が赤いきつねと緑のたぬきを食べながら将棋を指して、夢中になって食べているうちに時間切れで負けてしまう。ターゲットは将棋好きな高齢者で、将棋を見るたびに赤いきつねと緑のたぬきを連想するように刷り込んで買ってもらう。・ビートボックス編ビートボクサーたちが赤いきつねと緑のたぬきを食べる音だけで音楽を作って、ヌードルハラスメントを芸術に昇華する。ターゲットはデジタルネイティブ世代で、SNSでの話題作りを狙う。・ふんどし編祭りでふんどし一丁の阿部寛が体から湯気を発しながら赤いきつねを食べて、腰をパァンと叩いて去っていく。ふんどしがうどんを表して、コシの強さをアピールする。ターゲットは祭り好きな男性で、祭囃子でテンションを上げて買ってもらう。・ホワイト赤マン編ホワイト赤マンが赤いきつねをずるずるずるずると食べてごくごくごくごくと汁を飲んで寄り目になる。ターゲットは小学生で、ホワイト赤マンの真似をして食べたくなるようにする。・昔話編昔々あるところにいる爺さん(武田鉄矢)が迷子の子狐を助けたら、親狐がお礼に赤いきつねを持ってきたので食べてほっこりする。ターゲットは中高年で、昔からある人気の商品だということをアピールしてノスタルジーに訴える。・名探偵編名探偵コナンとコラボして、赤井秀一が狙撃中に赤いきつねを食べて、目暮警部が緑のたぬきを食べて、コナンがつゆをペロッと舐めて「これは本格的な出汁、謎はすべて解けた」と決めセリフを言ってサッカーボールを蹴ってビルが爆発する。ターゲットはコナンファンで、目暮警部の腹巻や安室透の夫婦箸とかのコラボグッズプレゼントキャンペーンで釣って買ってもらう。・龍玉編ドラゴンボールとコラボして、孫悟空が赤いきつねを食べて、ピッコロが緑のたぬきを食べてパワーアップして、どん兵衛を食べているベジータとナッパをボッコボコにする。ターゲットはドラゴンボールのファンで、7個食べるとグッズが当たるキャンペーンで釣って買ってもらう。
2025.03.03
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