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2015.08.20
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カテゴリ: 教養書
「作家は行動する」は作家はつねに自分の行動、つまり文体によって具体的な時間を作り出していかなければならない、散文家の文体は個性の表現だが作家の文体は個性そのものの表現ではないという文体論。

「奴隷の思想を排す」は芸術は情熱をカタルシスによって排泄させるというアリストテレス的芸術観と、芸術は意味もなく劣情を刺激して人間に害悪を及ぼすだけのものであるというプラトン的芸術観を対比して、真の作家は何ぞやを論じている。伝達者としての作家の仕事は自己表現ではなく、真の作家は自我を最も透明なフィルターとすることに甘んじて、作品によって孤独を抹殺し、人間の連帯感のほうに歩み寄り、希望を与えることができるのだというのが江藤淳の真の作家像らしい。

「神話の克服」は日本ロマン派が文学でもなく作品でもなく、ロマンティシズムの顕在化でリアリティが喪失して純文学が中間小説化して中間小説が氾濫して、神話を恐れて文学作品が日常的で刑が生かした文学以外の規範に寄りかかろうとしはじめると作品は面白くなくなると論じている。

「近代散文の形成と挫折」は散文とは何ぞやと論じている。リードの『英語散文の文体』によると、詩は創造的な表現で、詩的な経験においては言葉は辞書の中から取り出されるように単に記憶の中から取り出されるといったものではなく、表現される瞬間に新たに誕生し、あるいは再誕する。思想は言葉そのもののことであり、言葉そのものの存在が思想をあらわしている。散文は構成的な表現で、出来合いの言葉の組み合わせで、その創造的機能は言葉の組み立て方や高め方によってはじめて発揮される。これらは詩に関しても重要な昨日であるが、詩の中では創造的機能に従属している、のだそうな。

全体としては、江藤淳は作家は「現実」を読者に触れさせて、おれのヴァレリイの解釈を聞いてくれというような作家の自己表現は控えて、希望を書けというようなことを言っていて、いわゆる純文学や私小説や文壇を批判している。
しかしこのような希望を書かなきゃ文学じゃないというような頑固な小説観だとクンデラとかの現代小説の面白さは理解できないんじゃなかろうか。私は作家が何を書こうが、作者が小説内にしゃしゃり出てこようが、結果として私にとって面白ければ何をどう書こうがよいと思うし、ロラン・バルトのように好き勝手にテクストを楽しんだらよいと思う。

★★★★☆





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最終更新日  2015.08.20 18:05:57
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