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●あらすじ
レコード会社の部長の井沢信介は妻の冬子が敗戦後の収容所でレイプされたり息子を亡くしたりしたことがトラウマになってセックスレスで夫婦仲に溝があった。井沢が乗った社用車が金沢から上京してきた保育士の沢木亜由美をひき逃げしたので井沢が謝りに行くと、亜由美の姉は人気タレントの直子だった。井沢は亜由美が書いた詩に興味を持って若手編曲者の山村鋭二に曲を作らせるものの二人は反発し合う。直子はテレビ業界でいつも孤独を感じていて恋人の谷慎一郎を振って陰のある井沢に惚れてホテルに誘うものの慎一郎に粘着され、慎一郎は冬子に会って直子の密会が週刊誌にスクープされたと言って復讐をもちかけて冬子を襲うものの発作を起こして倒れ、冬子は親を亡くしている慎一郎に同情する。
直子はADの早川に結婚を申し込まれるものの断り、クリスマス・イヴに亜由美は上京してレコーディングを見学して山村と夜遊びし、直子は井沢とホテルに泊まり、慎一郎は冬子に会う。亜由美は姉のような自由な女になるためにナンパについていって処女を捨てて帰ると、直子は酒と睡眠薬を一緒に飲んで入院して自殺未遂の騒ぎになっていた。亜由美は井沢を好きだったものの、井沢が亜由美を仕事相手としてしか見ていないので、山村を愛しているという。
退院した直子はテレビ番組をはずされてパリに行ってぶらぶらして、井沢は亜由美を売り出す方針を主張して社長と対立してモスクワのコンクールを見に行く。慎一郎は亜由美に直子についての週刊誌のゴシップ記事を発表前に抑えて知らせると、山村はその記事がレコード会社の派閥争いで井沢が不在の間に追放するためのでっちあげだと推測して記事を書いた記者に会いに行くと、記者の野島五郎は大島常務の義弟で、記事は大島派の陰謀だった。
直子はモスクワの井沢に会いに行き、冬子はハルピンの難民収容所で仲良くなった武田文江と20年ぶりに再会し、彼女の店に飲みに行って常務派が井沢をはめるために作詞を盗作扱いにする小細工の相談をしているのに聞き耳を立てる。亜由美と山村の曲はコンクールで入賞して、山村は亜由美に結婚を申し込む。直子はパリに戻って仕事を紹介してくれた春山にプロポーズされて考える。井沢は冬子から常務の陰謀を聞き、井沢は派閥争いに疲れて会社を辞め、井沢と亜由美と冬子がそれぞれの恋愛を話し合い、亜由美は山村の求婚を受ける。
●感想
1960年代の東京が舞台で、直子が自分をハイミスと呼んだり、民謡のレコードを作っていたり、電話の交換手がいるあたりに時代を感じるものの、内容は普通の恋愛小説として現代でも読める。三人称で視点が変わりながら物語が展開していくので話が停滞せずにさくさく読めて、600ページほどある長編小説の割にはとっつきやすい。男性視点と女性視点の両方の恋愛が展開するので、読者の性別を選ばないのはよい。
プロットとしては井沢と直子、亜由美と山村のそれぞれの恋愛がどういう結末になるのかというのが見所だけれど、後半に直子がパリに行ってしまうといきなりレコード会社の派閥争いの話になって直子の恋愛を放り投げているし、慎一郎はプロット進行の手伝いを終えたら物語から忘れ去られているし、恋愛小説から経済小説的に物語の主軸が変わってしまうのは構成がよくない。
ひき逃げから出会いにつなげるあたりはやり方が強引で、社用車の運転手の田島がその後の物語に登場するわけでもなく、プロットのために脇役を使い捨てにするやり方は登場人物のリアリティをなくすのでよくない。運転手の田島、常務の大島、大島の義弟の野島といった似た名前が多いのもよくない。慎一郎が井沢と直子の密会を全部把握していたり、発表前の週刊誌の記事を押さえていたりして、プロット進行のための謎の探偵能力を持っているというご都合主義はよくない。冬子が偶然20年ぶりに会った武田文江の店で偶然常務派の会話を聞くという偶然の連続で無理やりプロットと絡めるのもご都合主義でよくない。冒頭のご都合主義はまだ我慢できても、終盤にご都合主義が炸裂するとそれまで積み上げてきた人物描写のリアリティが一気になくなってしまって物語が台無しになる。終盤に偶然の連続で強引に物語を畳もうとするのはそもそもプロットがよく練られていないせいなので、長編小説の終盤でのご都合主義はそれまで長い時間をかけて物語を読んできた読者への裏切りともいえる。敗戦後の満州でのトラウマだとか、孤独だとか、シリアスなテーマを盛り込もうとしている割にはプロットを優先したご都合主義展開のせいでリアリティがなくなっているので、プロットを優先したいのか孤独な心理をほりさげたいのか、やっていることがちぐはぐな感じ。
若い女がいきなり訳ありのおっさんに惚れるというのも男性作家が書く恋愛小説によくあるパターンで、男が都合よく美女に惚れられるというのはご都合主義。直子や亜由美が井沢をただ好きになったというのでは説得力がなく、なぜ他の男ではなく井沢に惚れたのかという点がプロットの根底の部分なので、この恋愛の動機がご都合主義になってしまうと物語全体がうそくさくなる。直子や慎一郎がすぐに死ぬと言い出す豆腐メンタルだったり、亜由美がろくに付き合ってもない山村を愛していると言い出したりするあたりはいかにも作り物めいたドラマチック展開で、物語が面白くなるどころかかえって興ざめしてしまう。
というわけでプロットのご都合主義が目立って、恋愛小説としてはあまり面白くない。70代以上の年配の読者が若いころを思い出しながら読むとぼけ防止になってよいかもしれない。
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