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2019.08.20
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芥川賞の候補作になった古市憲寿の「百の夜は跳ねて」は徹夜麻雀してハネマンになる話ではなくて高層ビルの窓拭きの話だそうで、参考文献として木村友祐の「天空の絵描きたち」という高層ビルの窓拭きについて書いた小説を挙げている。そのことで選考委員の山田詠美、川上弘美、吉田修一、堀江敏幸から酷評されているようである。川上弘美は「古市さんのおこなったことは、ものを創り出そうとする者としての矜持に欠ける行為であると、わたしは思います」と創作姿勢そのものを批判している。木村友祐は「窓拭きの細部以外は、ぼくの作品と古市さんの作品は別のものです。」と言っているので、盗作には当たらないし、選考委員も盗作とは言っていない。ではなぜこれほどぼろくそに批判されたのか。私は「百の夜は跳ねて」も「天空の絵描きたち」も読んでいないけれど、酷評されるような小説が賞レースの候補になること自体がおかしいので、これについて考えることにした。

●参考文献の何がダメなのか

小説の参考文献として別の現代の小説を挙げるということ自体がまず純文学としてはおかしい行為である。引用するために参考文献として挙げたわけでもなさそうなので、古市がなぜ小説を参考文献扱いしたのかよくわからない。モチーフが似てるけど参考文献に挙げてるから盗作じゃないし問題ないよねという感覚なのだろうか。
昔なら芥川龍之介や井上靖のように外国の古典を翻案して日本語の小説として日本人に紹介するのは小説としてのオリジナリティがないとしても文化的に意義がある行為だった。しかし現代は他の作家がすでに語ったことを別の語り口で語りなおしたところで価値はない。盗作か否かという問題ではなく、盗作でないとしても独自性がないものは芸術としての価値がないのである。木村友祐が「窓拭きの細部以外は、ぼくの作品と古市さんの作品は別のものです。」と言っても、窓拭きの細部が同じなら駄目である。堀江敏幸が「他者の小説の、最も重要な部分をかっぱいでも、ガラスは濁るだけではないか」というように、細部どころか重要な部分を流用したのならなおさら駄目である。作家が現実を見る眼を持たずに、小説を参考にして小説っぽいものを書くのは芸術表現ではない。それをわかっていない人が知的な肩書がほしくて作家になろうとして、自分の表現ではない小説っぽいものを要領よくでっちあげて賞レースに参加するのが問題である。これは北条裕子の「美しい顔」も同様で、参考文献として記載すればよいというものではない。
選考委員は古市をよそからやってきたお客さんとして適当に褒めて気分よく帰ってもらうということもできたかもしれないけれど、そうしないで酷評するのはものを創り出そうとする者としての矜持があるからだし、こんなもの候補に上げるなという編集者へのメッセージかもしれない。芸能人や有名人が小説を書いてはいけないというわけではないけれど、小説にたいして興味がないくせに小説を金儲けの手段として利用することに反発はあって当然である。

●編集者は何をやっているんだ

●現代文学ってなんだ

ジャンル小説はジャンル特有の専門知識が必要だけれど、純文学はノンジャンルでやれるので、うわべを取り繕うのがうまくて中身がない人を呼び寄せているようである。そのせいか純文学はジャンル小説としては勝負できないSF風純文学やらファンタジー風純文学やらのエンタメもどきのスリップストリームの吹き溜まりになりつつある。じゃあそれはどんな読者にとって面白いのか。ジャンル小説が好きな読者は最初からジャンル小説を読むし、わざわざスリップストリームを読む理由がないではないか。
20世紀前半は大きな戦争があって世界中で独立運動が起きたり共産主義が台頭したり冷戦が起きたりした激動の時代だったので、時代の寵児というようなカリスマがある作家がいた。しかし現代の純文学作家は何をやってるんだろう。日本はバブル後に問題を先送りして失われた20年というくらい何もない状態だった。小説家が現代社会の問題に向き合わないで言葉いじりをしたり身の回りの出来事を書いたりしたところで、現代社会の問題に対処するのに必死な一般人はそんな小説は読まなくても人生になんの影響もない。現代文学というのが単に現代に書かれたというだけで、現代社会について書いていないなら、それは現代に読む必然性はないのではないか。現にほとんどの日本人は純文学を読んでいないし、芥川賞受賞作に興味を持つ人がいても作家のファンになってその後の作品を買い続けるというわけでもない。他人の日常を知りたいならエッセイを買わなくてもブログが見れるし、娯楽としてなら小説よりも漫画のほうが面白いし、何か珍しいものを見たいならYouTubeで外国の動画でも見ればよいし、現代文学は他のメディアが提供できない独自の価値を提供できていないのである。
現代社会を見る眼がない社会学者が小説を参考文献にして小説を書いたというあたりに今回の芥川賞の面白さがあって、古市こそ空っぽの現代を象徴している存在ともいえるし、逆説的に最高の現代文学を書いたともいえる。






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最終更新日  2021.10.12 02:02:10
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Re:古市憲寿「百の夜は跳ねて」が芥川賞の選評で酷評された件について考える(08/20)  
病休中 さん
古市憲寿は前にも『平成くん、さようなら』という作品で芥川賞にノミネートされたことがありましたけど、そのときは作中のテーマである安楽死の扱い方が一部で問題になったようです。
もともとどこかのネジが飛んだ人だというイメージしかなく、他人の腹を立てさせて嗜虐的に喜んでいるようなフシもあるので、私は生理的に受け付けません。「社会学者」らしいのですが、看板に見合った活躍をしているのかどうかも怪しいと思っています。
おそらく古市を熱狂的に推す人が文学賞を身過ぎ世過ぎの一つくらいにしか見なしておらず、日本の現代文学の品位を貶めても平然としていられる田吾作で、そんな輩でも高禄を食める現状が問題なのだろうと思います。筒井康隆『大いなる助走』を少し前に読みましたが、出版社の若造や文学界の重鎮らの俗物っぷりが描かれていて、大いに笑いました。 (2019.08.20 06:48:34)

Re[1]:古市憲寿「百の夜は跳ねて」が芥川賞の選評で酷評された件について考える(08/20)  
病休中さんへ

古市が他人を怒らせる癖をユーモアとして昇華させれば筒井康隆みたいな小説を書けるかもしれないのに、テレビでやっていることをなぜ小説でやらないのか疑問です。純文学ごっこをして賞レースにねじこむよりも、エンタメ小説としてデヴィ夫人のパーティーを揶揄する小説でも書いたほうが話題になったかもしれません。
選評でこれだけぼろくそにけなされてもめげずにまた小説を書く気があるなら小説家として芽が出るかもしれませんが、社会学者を名乗っているからには小説を書いている暇があったら論文を書くなりして社会学者として活動するのを優先すべきでしょう。 (2019.08.20 09:34:37)

Re[2]:古市憲寿「百の夜は跳ねて」が芥川賞の選評で酷評された件について考える(08/20)  
病休中 さん
三角猫さんへ

本件に関しまして「Litera」が記事をアップしていました。

https://lite-ra.com/i/2019/08/post-4915-entry.html

元ネタの小説を著した木村氏は古市センセーを擁護しているとか。あの世界もどことなく闇ですね。 (2019.08.22 18:01:12)

Re[3]:古市憲寿「百の夜は跳ねて」が芥川賞の選評で酷評された件について考える(08/20)  
三角猫 さん
病休中さんへ

木村にしても古市が参考にすることを了承した以上はそこまで似せるなとは言えないでしょうね。参考文献をどこまで参考にしたのかチェックすることまで選考委員の仕事になってしまうと、選考委員もやってられないだろうなと思います。 (2019.08.23 07:03:56)

Re:古市憲寿「百の夜は跳ねて」が芥川賞の選評で酷評された件について考える(08/20)  
昭和の遺物 さん
この件に関しては、「小説を参考にして小説を書いてはいけない」という至言に尽きるでしょう(誰の言葉だったっけ??)。

それにしても、ひどい言われようだ…。自分が古市氏なら、もう二度と何かを書こうという気は起こらないけれども、最近の若者はそのあたりの感覚が鈍い人が多いようなので、案外懲りもせずに次作を書くかもしれませんね。

あと、編集者といえば。

某大手出版社の編集者(らしき人)が、愛読書にライトノベルをあげていて、がく然としたことがありました。嘘でもいいからマイナーな古典か、もっと硬質な作品をあげてほしかった…。以前と比べて編集者の質(および志)が低くなっている証拠を見せつけられたような気がしました。 (2019.08.24 14:22:47)

Re[1]:古市憲寿「百の夜は跳ねて」が芥川賞の選評で酷評された件について考える(08/20)  
三角猫 さん
昭和の遺物さんへ

大学のAO入試ができてから、ハッタリとコネで要領よく生きる人が目立つようになったと思います。大学入学者61万7000人のうちの44.3%が推薦やAO入試だそうで、古市も無駄な受験勉強をせずにコスパ重視でAO入試で慶応に入学した典型的な小利口な現代人です。
目先の利益にならない古典から教養を学ぶという姿勢がなくて、コスパを優先して楽に成果を出したがる人が芸術分野に進んでもろくな成果は出ないと思いますが、なまじ高学歴なだけにそういう人でも大手出版社に入社してしまいます。コスパ重視の文学の行きつく先が教養も取材もいらなくて想像で適当に書けるライトノベルなので、コスパ重視の編集者にはライトノベルがよいものに見えるのでしょう。ライトノベル作家でない普通の作家ならそんな編集者には担当してほしくないでしょうね。 (2019.08.24 20:50:14)

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