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2022.01.14
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最近はリカレント教育やリスキリングというのが流行っているらしいので、これについて考えることにした。

●リカレント教育とは何か

recurrentとは再び起きるというような意味で、リカレント教育とは仕事に就いた後も自発的に大学に入りなおしたりして何度も学習し続けることである。一方でリスキリングは企業が従業員に新しいスキルを身に着けてもらうことで、例えばDXのために技術職でない人がプログラミングを勉強したりしている。何度も学習し続けると言っても時間と金は有限だし、勉強するために何度も仕事をやめてその都度転職するわけにはいかないので、学習プランを作って何を学ぶかを選択する必要が出てくる。

●日本の教育の問題

・教育が知識を偏重している

リカレント教育やリスキリングだとたいてい社会人が仕事に役に立つ分野を勉強していて、例えば管理職が心理学を勉強したり、営業職が経営学を勉強したりして、すでに持っている知識や技術とのシナジー効果を出すような感じである。しかしそのやり方で何か画期的なアイデアが出てくるのかというと、知識には個性がなくて皆が同じ知識を持つので、定説化した知識を増やすだけでクリエイティブになれるものでもない。それにリカレント教育として仕事の合間にちょっと勉強の時間を作る程度だとその分野を専門的にやってきた人にはかなわないので、あまり差別化にならない。
そもそも日本では創造力や発想力とかの定量化できなくてテストで採点できない定性的な能力を伸ばすための教育が軽視されている。例えば進学校は受験に必要ない音楽や美術を教えないところもあるし、国語も実用性だけ重視して文科省は2022年度の高校1年生から新設される「現代の国語」の教科書に小説を載せない方針のようだし、ひろゆきみたいに古文や漢文がいらないという人も出てきた。小説や和歌や漢詩は知識ではなく芸術的感性の領域で、ここが義務教育から削られようとしている。社会人のリカレント教育も同様に資格取得とかの定量化できる知識や技術の学習に偏っていて、このままでは芸術的感性を育てる機会がなくなりかねない。
スティーブ・ジョブズのスピーチで、学費が高いリード大学をやめることにして必須の授業を受けるかわりにカリグラフィーを勉強したおかげでマッキントッシュで多様なフォントを作って、将来をあらかじめ見据えて点と点をつなぎあわせることはできなくて後から点と点をつなぎあわせたのだと言ったのは良く知られているけれど、ジョブズはすぐには役に立たないことを勉強したからこそAppleの製品は個性的でありえたわけで、日本はこの逆に目先の実用性だけ重視して、知識だけ教えて感性を育てずに国民を今以上に無個性化しようとしている。日本人はただでさえ同調圧力が強くて就活で黒一色のリクルートスーツ着る個性に乏しい人だらけなのに、文学部は役に立たないから大学からなくして趣味でやれとか言って無個性で没人格で入れ替え可能な量産型労働者の道を邁進している。感性が乏しいがゆえに芸術の価値がわからず、わずかに残った貴重な感性のかけらさえ無駄としてとらえて自ら捨てようとするのは馬鹿である。
そんで芸術的感性がなくて無個性のビジネスパーソンと良識がないうさんくさいYouTuberとかで両極端で、ジョブズみたいな芸術的感性を持っているビジネスパーソンがあまりいない。バルミューダはトースターとかのコモディディ化した製品におしゃれなデザインを取り入れることでヒットしてそこまではうまくいったけれど、高い割に低スペックなスマホを作ってブランドイメージが落ちた。これは徹底して価値やこだわりを突き詰めて唯一無二のものを作るという芸術的感性が足りなくて、トースターとかの部品が少なくてデザインに融通がきく製品と違って部品が多くてデザインを変えにくいスマホでは価格に見合う価値を出せなかったのだろう。芸術家は自分の審美眼に基づいて自己批判をすることで作品をブラッシュアップして理想に近づけていくけれど、この自己批判ができなくて自己満足になってしまうと駄目で、バルミューダはその甘さが消費者や投資家に見透かされてしまった。
それに知識や技術は覚えたところで特定の業務でピンポイントでしか役に立たないし、普段使わないと思い出しにくくなってしまうし、技術革新で古い技術が陳腐化して無駄になることがあるけれど、発想力や創造力や感受性とかの能力は常時発動して様々な分野に適応できるので長期的な学習のコスパはよいと思う。それゆえに特に研究や開発の仕事をしている人は実用的で定量的な知識や技術を増やすよりも、日本人に足りない心理的機能(思考・感情・感覚・直感)や創造性とかの定性的な能力を育てるためのリカレント教育をするほうがよいと思う。

・学習が仕事につながらない

日本人は幼児期から高校までの教育には熱心だけれど、日本の大学は入学するのが難しい割に卒業するのは簡単なので日本人の大学生は留学生に比べて勉強しないと言われているし、企業も入社試験で成績や論文を評価しなくてGPAが高い人も低い人も〇〇大卒として同じ評価になるのがおかしい。企業側が学生に勉強しないで学生時代に力を入れたこと(ガクチカ)のエピソードづくりのサークル活動したほうが得だというインセンティブを与えている。
宮台真司が同一労働同一賃金にして終身雇用の正社員という制度を廃止するように主張しているように、日本は解雇しにくい正社員の雇用を維持するために非正規労働者を搾取して使い捨てる社会構造になっている。おまけに古い企業や田舎の企業は企業への忠誠心を評価するという時代錯誤の封建主義的な評価基準があって、プロパー社員はスキルに関わらず忠誠心を評価されて、転職者はスキルがあっても新参者として冷遇される。さらに資格を持っていても数年の実務経験がないと雇わない企業だらけで、資格がスキルの証明書としての役割を果たしていないし、民間資格に対して資格手当が出ないことがあるので、一部の資格は取る意味がなくなっている。
こうした不公平や理不尽がまかり通っているので労働者がわざわざ余暇に勉強する意欲がわかなくて、スキルアップしないので生産性が上がらないのだろう。実際にリクルートワークス研究所の「​ 全国就業実態パネル調査 ​」だと学習・訓練がもともと低い数値なのが2020年は大幅に低下している。OECDの​ Education Policy in Japan: Building Bridges towards 2030 ​には日本の教育レベルは高いと書かれているけれど、その中のFigure 1.15. Achievement motivation and school-work anxiety across education systems, 2015によると日本は最下位レベルで学習の動機付けが低い。欧米みたいに年収を上げるためにはスキルアップして出世するか転職するかしないといけない状況なら学習意欲は増えるはずだけれど、もう日本人は給料が上がらないことに慣れてしまって、いったん正社員になって長期的な雇用が保証されたら業務に必要とされること以外は学ぼうとしないのかもしれない。
最近は日立製作所が全社員ジョブ型雇用に移行して、どの職種にはどのスキルが必要なのか社外にも公表されるそうで、これはよいことだと私は思う。グローバル人材が欲しいというならまず会社が世界基準に合わせてジョブ型雇用にするのが筋である。どれだけのスキルがあればどういう仕事につけてどれくらいの年収になるのか可視化されるようになれば自発的に勉強する人が出てきて、雇用が流動化して産業転換もしやすくなると思う。

・内向的な人が評価されない

外向的な性格の人よりも内向的な性格の人は集中力や忍耐力や創造力があって一人で物事に没頭できる。例えばアインシュタインは内向的で空想好きだったそうな。創造の結果は評価されるけれど、じゃあその創造の過程が正当に評価されるかというとされない。数学者は何時間もじっと椅子に座ったまま頭の中で数式を考えるそうだけれど、傍から見ると何もしていないるように見える。その一方でやたらと会議してパワーポイントを駆使してプレゼンしている人はすごく活動しているように見える。どっちが物事を深く考えているかというと前者だけれど、メンバーシップ型雇用の会社ではじっと考えていたらさぼっているとみなされて評価されないだろう。大学ではジョブ型雇用に近い環境なので自分のペースで作業出来て優秀だった人でも、就職したらメンバーシップ型雇用で外向的な人のペースに合わせることを強いられてこまごまとした雑用や雑談で思考を中断されて、思考力や創造力とかの能力を発揮できずに役立たずとみなされてしまう。アメリカだと数学を勉強した人はIT企業で引く手あまただそうだけれど、日本だとなぜか数学を勉強した人にコミュ力という評価基準を当てはめて役に立たないとみなす不合理なことをしている。仮に業務にコミュ力が必要だとしてもそれこそリスキリングとしてコミュニケーション講座でも受講させればいいのにそれもやらない。企業や社会に能力を活かして評価する環境がなければ、どんな教育をしても無駄になってしまう。

●リカレント教育としての文学の可能性

私は従来の詰め込み教育で軽視されてきた感性や創造性の教育、つまり芸術の鑑賞、批評、創作こそが無個性な社会人のリカレント教育として重要になると思う。スイスの哲学者のアラン・ド・ボトンはThe School of Lifeを創設してアートセラピーとかのレジリエンス教育をしているように欧米だと社会人のメンタルヘルスを維持するための教育があるけれど、自殺率が高くて大勢メンタルを病んでいる日本人がなぜかその分野を学ぼうとしないので、社会課題の解決という点では社会人にも哲学や芸術の教養が必要だと思う。そこで文学がどれほど需要があるのか考えてみる。
リカレント教育で文学を勉強しようという社会人は現状はほとんどいないと思う。私が行った大学院には高校の教師や退職した中年の人とかがいて学部よりは年齢層が広かったけれど、ビジネスパーソンはいなかった。文学は本さえ買えば自分で研究できると言われているように、自著を朗読するだけで金を払う価値がない授業をする高齢の教授とかがいて教授の質があまりよくない。それゆえにすでに他の分野の学位を持っている人にとっては、リカレント教育として文学を学ぶためにわざわざ大学や大学院に行くほどの価値はないと思う。
芸術だと個々の芸術家によって芸術観が違っていて知識が多ければいいというものではないので、何を学ぶかよりも誰から学ぶかのほうが重要である。例えば音楽だと名門音大の高名な教授と師弟関係になって芸術観や技術を継承することが業界での地位になる。文学も知らない教授から学ぶよりも、私塾の形式で小説家や批評家や哲学者に師事して文系の教養を身につけるほうがよいと思う。一部の小説家や批評家や哲学者はすでにワークショップを開いているし、距離の問題でワークショップに参加できない人はオンラインサロンに参加するのでもいいと思うし、リカレント教育としての需要を掘り起こすことができれば貧乏な小説家も印税以外の収入が増えるかもしれない。
じゃあ文学から何を学べるかというと、個々の作家の思想や創作技術や歴史や文化や言語を学べる。他人や社会とどう関わるか、何が幸福なのか、死をどうとらえるか、どうやって思想や感情を作品として昇華するか、というようなことは会社で学べるものではないし日常生活で自然に身につくものでもないので、時間を割いて文学を学ぶ価値はあると思う。それに芸術作品を創作するにしても音楽や絵画の技術を一から覚えるよりも言葉だけでどうにかなる文学のほうがとっつきやすいし、小説の創作には高い道具が必要なくてパソコンだけあればいいし近所の図書館や青空文庫とかを情報源に使えるのでイニシャルコストも低く抑えられるメリットがある。
芸術はルールも勝ち負けもなくてやりたいようにやっていいので、創作では発想力や構成力が鍛えられるし、批評では分析力や論理的思考力が鍛えられる。ハイカルチャーもサブカルチャーもあらゆる感情も思想もありの血沸き胸躍るバーリトゥードである。何でもありだからこそ個性や才能が顕著に出るし、自分が何を考えて何を表現したいのかを突き詰めることで創作を通じて自分のアイデンティティや価値観を自覚することができる。ビジネスだと業務ごとに役割分担をしているので指示待ちするだけの人もいるけれど、創作は準備も作業も全部自分でやらないと作品が完成しないので、PDCAサイクルやOODAループの意思決定の訓練にもなる。
たぶんリカレント教育だと経営学や心理学やプログラミングや英語とかの実用性がある分野が選択肢の上位になると思うけれど、選択肢の5-10番目くらいに文学をいれてみるのもよいと思う。






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最終更新日  2022.01.14 13:45:53
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