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2022.12.20
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最近はYouTubeで日経テレ東大学の【東京五輪の闇】日本経済衰退の戦犯「利権ビジネス」とは?という動画を見たら、安田秀一は日本が弛緩していて意思決定の軸を決めても全部嘘っぱちにしていると指摘していて、その通りだと思う。なんで意思決定の軸を決めてもそれを貫徹できないのかというと、根底に人としての在り方や社会の在り方の思想がないのが原因ではないかと思う。​ 哲学について考える ​という記事でも考えたけれど、また違う角度から考えることにした。

●思想とは何か

思想とは感情や意思に対して思考的現象のことで、Wikipediaによると自分自身や周囲について自分が感じ思考できる物事について抱くまとまった考えのことである。思想の体系をイデオロギーといって、〇〇主義や〇〇イズムとかと呼ばれている。
思想家や哲学者だけが思想を持つわけではなくて、我々はどこかの国で生まれ育って、その国の言語や宗教や文化を教育されて、それが思想の礎になる。そして大人になってどう生きるか、どういう社会を作るかと考えることで自分の思想を形作っていく。論語に「吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑はず。五十にして天命を知る。六十にして耳順ふ。七十にして心の欲する所に従へども、矩を踰えず」とあるし、谷崎潤一郎が小説家になるのは40歳くらいがちょうどよくてそれより若いと未熟だというようなことを言っていたように、だいたい30-40代くらいで何かしらのイデオロギーを持って人生の方向性が定まるようになると思われる。

●思想があることの危険性

・他人に自分の思想を押し付ける

自分はこう思うからこう行動するという自分のことに終始するなら問題ないのだけれど、たいていの思想の中からは過激派が出てきて自分と異なる思想の人を攻撃し始める。例えばアメリカはキリスト教の影響が強くて保守が多い南部の州では中絶禁止になっているので、中絶が選挙の争点になっていて、中絶反対派は中絶賛成派を殺人者として批判している。自分はキリスト教徒だから中絶しないと言うのは本人の自由だけれど、自分はキリスト教徒だから他人の中絶を認めないと主張するのはおかしいし、キリスト教的な価値観に基づいた法律でキリスト教徒でない人の中絶も禁止するのは人権侵害だと私は思う。うろ覚えだけれどテキサスかどこかの中絶反対派だった女性が堕胎しないと母体が危険になると医者に言われてから中絶賛成派に変わったというニュースがあって、その人は自分の過去は棚に上げて中絶反対派を批判していたけれど、こういう人は想像力が欠如していて自分が当事者になるまで他人の苦しみを理解できなかったのだろう。
ヴィーガンもそうで、動物がかわいそうとか自然環境への配慮とかどんな理由であれ肉を食べないのは本人の自由だけれど、過激派のヴィーガンは牧場や肉屋を破壊して、自己管理できない幼児にまでヴィーガン食を強制して栄養失調で死亡させて、さんざん他人を批判したことは棚に上げて健康上の理由でヴィーガンを辞めたりする。
極めつけはイスラム原理主義者で、異教徒の殺害を正当化していてテロを起こすので非イスラム教徒とは共存できない。アフリカはイスラム原理主義のボコ=ハラムが女子の教育を否定して学校を襲撃したりキリスト教の教会を襲撃したりして治安が悪いので、いくら資源や労働力があっても外国企業が敬遠して経済成長を妨げる要因になっている。
人を幸福にする良い思想なら他人が真似して自然に広まるけれど、洗脳したり弾圧したりして他人に思想を強制しないと広まらないのでは良い思想とは言えないし、一方的に正義を押し付けるのでは人権侵害で社会に害をもたらす。何かの主張があって他人の行動を制限したいなら議会で合意を得たうえで法律を作ったり法律を改正したりするべきで、他人に強制する権利はないし、そもそも自律できていない人が他人の言動に口を出すのはおこがましい。

・非合理的になる

日本最強の剣豪の宮本武蔵はリアリストで、固定を死ととらえて臨機応変に合理的に現実に対応することを重視して、型にこだわる他の流派を批判している。宮本武蔵というと二刀流で知られているけれど、強さの根源は二刀流でなくて合理性で、二刀流なのも両手で一本の刀を持つのは非効率だという合理的な理由があって二刀流にしていて刀だけにこだわっているわけでもなくて他の武器も使うし、武器や流派や戦術を固定することによる相性の良し悪しがなくて常に相手や状況に合わせて合理的に最善を選ぶことができたがゆえにどんな相手に対しても強かったわけで、宮本武蔵以上の身体能力を持った相手もいただろうけれどその人たちよりも戦術で優っていたがゆえに勝てたのだろう。何かの思想にこだわってこうでなければならないと決めつけていると、現実が変化したときに対応できなくなって非合理的になる。個人的な思想ならきっかけがあれば変わりうるけれど、経典がある宗教は経典を神聖化して変化を拒んで融通が利かなくなる。
非合理的でもそのほうが幸せだという人もいるし、アーミッシュのように科学を否定して不便で原始的な生活するのは個人の自由である。しかし国家が非合理的になると学問や科学技術は発展しなくなる。エネルギー不足とかの現代社会の問題は科学技術が発展しないことには解決しないけれど、思想を守ることに固執して問題解決ができなくなって社会が衰退して不幸な人を生み出すのでは本末転倒である。

●思想がないことの危険性

・思想のない生活

小林秀雄が初期の評論で感傷主義の日本にはまともな文学理論はなかったと指摘していたけれど、これは現在でも変わらなくて、文学に限らずに日本人は感情に頼って物事を判断している。物事の原理原則を理解せず、何が正しいか、どうあるべきかという判断基準がなく、論理でなく感情で物事を判断するのは端的にいえば幼稚なのである。幼児は自分と他人の区別がつかなくて、自分と同じことを他人も考えているはずだと思って、他人が自分の思い通りにならないと怒りだす。幼稚な大人は喜怒哀楽の感情と欲を判断基準にして、金儲けと浪費の快楽にはまって、物事の正誤を議論せずに上司と違う意見の人に怒って反逆者として処罰したり、意見が違う人に同調圧力をかけて迫害したりして、議論がないのでアウフヘーベンで社会が進歩せず、権力者はイエスマンで周りを囲って縁故主義で利権をむさぼって問題をごまかして先送りして社会の富を食いつぶしていく。これが人間としてあるべき理想像や倫理をなくしてエコノミックアニマル化した日本人の現状である。
日本人には意思決定の基準となる思想がないのでその場の「空気」に安易に流される。皆が並んでいるからという理由で行列ができる店に並んでたいしてうまくもないタピオカミルクティーを有難がって、心臓病の子供がかわいそうだとアメリカでの心臓移植の割り込み費用を寄付して、皆がやっているのでアイスバケツチャレンジや激辛やきそばの早食いをして、芸能人が持っているブランド品を欲しがって、ウォルト・ディズニーが差別主義者だとも知らずにディズニーランドでネズミの着ぐるみのパレードを眺めて喜んで、有名人が選挙に出たら名前を知っているというだけで政策も理解せずに投票して、農家でもないのに豊穣祭のハロウィンでコスプレして渋谷でバカ騒ぎして、キリスト教徒でもないのにクリスマスをロマンチックな聖夜扱いしてクリぼっちを気にしてデート相手を探してフライドチキンを食べて、インスタ映えのために似合わないドレスを着て教会風の建物で偽の神父を呼んで結婚式をして処女でもないのにヴァージンロードを歩いて、もともと日本人に指輪をする習慣なんかなかったのに広告代理店のイメージ戦略につられてやたらと高い指輪をほしがってヨンドシーの指輪をもらってがっかりして愚痴を言って、普段神社に行かないくせに初詣の行列に並んで願掛けして、仏教徒でもないのに死に際に戒名をほしがる。本質を理解せずに他人を真似て飽きたら違う流行に乗るだけで、そこに洗練も進歩もない。洗練がなくて停滞して、いずれ流行を追うのにも飽きて、何をやっても充実感がなくて生き甲斐をなくすという悪循環になる。
あるいは空っぽであることを自覚した人で自分探しや自分磨きをしだす人もいるけれど、空っぽな人間が自分探しとしてインドとかに旅行したところで自分が見つかるわけでもないし、空っぽな人間が自分磨きとしてエステやネイルサロンに行ってうわべを飾り立てたところで中身は空っぽなままである。何者かになろうとしても自分で物事を考えられないので他人の助言にすがってインフルエンサーのオンラインサロンやマルチ商法のカモになったり、極右や極左やカルト宗教団体とかの極端な思想に染まったり、空っぽで生き甲斐がないことに悩んで自殺したりする人もいる。
宮台真司がYouTubeの動画の青木理との対談で「良い人はどうでもいい人で試されてない」というようなことを言っていたけれどその通りで、日本はなまじ平和なので命を賭してでも何かを守る覚悟や何かをやり遂げる覚悟がない幼稚などうでもいい人だらけになった。隣人としては無害で良い人だろうけれど、自分の思想がなく他人に流されて言動に一貫性がない人は頼りにならない。
西部邁が批評は無駄だったというような悲観的なことを言い残して自死したけれど、幼稚で頭が空っぽの日本人に何を言っても馬の耳に念仏みたいなもので無駄だと思ったのだろう。西部邁の保守思想は周囲の人たちに受け継がれたけれど、大多数の空っぽの日本人にはジャップという罵りさえ響かなかった。論語に「朽木は雕るべからず」(腐った木に彫刻はできない)というのがあるけれど、思想がない現代の日本人がその腐った木で、動物のように感情で物事を判断する人に道理を説いても無駄である。アイン・ランドが「目的を持たない人間は、その場限りの感情や不明瞭な衝動に流される人間であり、いかなる悪でもなし得る人間なのです」とインタビューで言っているように、何も考えていない人は全体主義とかに流されて悪という自覚さえなく悪事をやる危険がある。
・思想のない政治

保守派は伝統的思想を受け継ぐけれど、リベラルは思想を受け継がないので合理的かというとそうでもなくて、非合理的な感情が判断基準になりがちである。例えばヨーロッパの海岸に難民の子供の遺体が漂着したとニュースになれば、かわいそうだから難民を受け入れろと言い出して反対する人をレイシスト扱いして、イスラム教徒には金持ちが貧乏人を養って当然だという喜捨の習慣があることを理解しないまま大量のイスラム教徒の難民を受け入れて移民が働かずに福祉にただ乗りして犯罪が多発して多文化共生に失敗している。EUのリベラルは寛容であればうまくいくという理想に酔いしれて国民の権利や財産を自分のもののように差し出して、自分に犯罪の被害が及び始めてようやく音を上げたけれど、移民政策に反対する人をレイシストの極右扱いしたことへの謝罪や反省はない。SDGsもそうで、ドイツのリベラルは化石燃料をなくせと感情的に主張して日本に化石賞を授与して馬鹿にしたあげく、ロシアのウクライナ侵攻でガス代があがったらこっそり石炭火力発電所を再稼働させている。感情的に衝動で動くので初志貫徹する意思もないし、やることに合理性もないのでリベラルがやることはたいてい失敗している。
日本の政治は保守がいなくて自民党でさえリベラルで、思想がなく守るべきものがないがゆえに利権になびいて腐敗した。思想がない日本人の極めつけの存在が岸田文雄で、岸田は自民党総裁選挙で言った所得倍増や新自由主義者からの脱却を総裁になったとたんに反故にして、自分で物事を判断できないので延々と検討して誰かが代わりに責任を引き受けて判断してくれるのを待って、政治家としての信念も矜持も何もなくて他人の言いなりになるしか能がない空っぽの人間だと判明して内閣支持率がだだ下がりした。たぶん昭和生まれの日本男児なら「武士に二言はない」や「巧言令色鮮し仁」という言葉を聞いたことがあって有言不実行は恥だという感覚を持っていると思うけれど、岸田は政治のセンスがないだけでなくて恥の感情さえ持ち合わせていないようである。30年経済成長していなくて若者の貧困と少子化を放置して、どんなに不景気でも頑なに減税だけはやろうとせず、オリンピックの利権にたかって恥さらしの開会式をした自民党の議員たちは後世の歴史家からは奇跡的な経済成長をした日本を滅亡させた元凶となった馬鹿と評されるだろう。因果関係を分析して合理的に問題を解決しようとせず、問題解決ができないのは努力不足という精神論で現場を疲弊させて、責任者のメンツをつぶさないために間違いを認めず、今まで頑張ったのに今更方針展開できないと意固地になって間違いに間違いを重ねてさらに解決を難しくするのが日本の失敗の典型的なパターンになっている。
投票率が低いのも日本人に思想がないことの表れで、社会がどうあるべきかを考えておらず、民主主義なのに投票で社会を変える意識がなくて政治はお上に任せておけばいいという他人事のような態度で、誰かに支配されることに慣れきってしまっていて江戸時代の農民の頃から進歩していない。

・思想のない外交

思想がない日本人には他人の思想も理解できない。嫌がらせをされても我慢して愛想笑いしておべっかを使って金をあげれば仲良くできると思っている事なかれ主義が外国に見透かされている。
特に対中外交はひどいもので、戦後の高度経済成長で豊かになった日本人は中国人が貧乏でかわいそうだと気前よく技術供与して良いことをしたと喜んで少数民族を弾圧する人権侵害大国を育てあげて、中国人留学生に大金を援助して大学は学生が増えたと喜んで企業は優秀な外国人を雇えたと喜んで産業スパイを受け入れて、中国に出張した偉いおっさんが美女にちやほやされて喜んでハニートラップにひっかかって機密情報を漏らして、日本人の研究者や技術者は中国企業に雇われて高給で好きな研究ができると喜んでノウハウを提供して、日本の技術をコピーして豊かになった中国人に日本の土地を買ってもらって儲かったと喜んで自衛隊基地周辺や原発周辺の重要な土地を中国に買われて監視されて、個々の当事者は満足したように見えても全体としてはナンセンスな売国行為をしている。愛国心を持つことさえ極右扱いして否定して自分の国は自分で守るものだという国防の思想が根底になく、中国が世界の一部になるのでなく世界を中国の一部にしようとする中華思想の危険性も理解していなくて無防備なので、必然的に中国の戦略に絡めとられる。インドのように国益を優先して国境での小競り合いも辞さない強気の外交ができないので、中国から舐められて領海侵犯を繰り返されている。
ロシアのウクライナ侵攻にしても、ウクライナがかわいそうという一時的な感傷で反ロシア一色の論調になってロシアに経済制裁するだけでなくてロシアの外交官まで追放して交渉窓口までなくしたのは勇み足で、北方領土を取り戻すことがもはや無理になっただけでなくて、ロシアの強硬派を抑える人がいなくなってアイヌがロシアの民族だから北海道北部がロシアのものだという発言まで出るようになって「迫害されているロシア系住民の保護のための侵攻」というウクライナ侵攻と同じ論法で日本に侵攻する可能性が出てきたし、アメリカも核を持っている国とは戦争をしないのが明確になった。そんで日本が中国やロシアのような核保有国に侵略されてもアメリカに守ってもらえなさそうなので慌てて防衛費を増やそうとしているけれど、アメリカの兵器を買い増しするだけなら結局はアメリカの金づるのままである。ウクライナにはかわいそうだというくせにアメリカが東京大空襲や原爆で民間人を数十万人も殺害したことについては無頓着でアメリカに追従している人たちは日本人としてのアイデンティティがなくて日本の歴史も現状も他人事でしかないのだろう。
思想がない「良い人」が「どうでもいい人」であるように、思想がなくて良い国である日本も他の国にとってどうでもいい国になる。金があるうちは金づるとしての利用価値があるので西側諸国の一員でいられているけれど、南海トラフ地震や富士山の噴火とかで経済が壊滅して金がなくなったら利用価値のないどうでもいい国として西側からもアジアの諸国からも見捨てられるだろう。

・思想のない経営

日本の経営者には少子化だから移民を入れようと言う人がいるけれど、そういう人は国境をなくそうとするリベラルというよりは、外国人は日本人と違う文化や思想を持っているということさえ理解できないほど想像力が欠如している。外国人を単に日本人の代わりに働く低賃金の労働力としてしか見ておらず、彼らもいずれ病気になったり子供を作ったりして福祉が必要になることを理解していない。
日本の経営者はグローバル化だと偉そうに言うけれど、彼らが外国で企業を経営できているかというとできていない。中小企業が中国に進出したら現地で慣習化している賄賂の要求に対処できないとか共同経営者の中国人に会社を乗っ取られたとか従業員がちょっとでも給料がいい会社にすぐ転職して定着しないとかで失敗して逃げ帰ってきているし、日本に移民を増やして日本を外国化したら同様にガバナンスができなくなるだろうし、移民の経営者にとって代わられるようになるだろう。
企業理念がなくて新しい商品やサービスを作ることよりも労働者から搾取して金儲けをしようとしたところで社会は発展しないし、パソナとかの派遣会社がいくら儲かっても日本は全く経済成長していない。経済同友会はくだらない経営者目線で国家運営にまで口出しして消費税を増税しろと主張しているけれど、本質的に国家を発展させるには物やサービスを作ったり技術を研究したりして産業を発展させるしかないのだけれど、経済団体が経済を停滞させて国民を不幸にする消費税増税を主張するのは馬鹿じゃなかろうか。

・思想のない文学

大正時代や昭和初期の文学には人間の理想を追求する白樺派や現実を見ようとする新現実派とかの思想の方向性が似たグループがあった。思想が近いグループで同人誌を発行することで切磋琢磨して、作者の思想や雑誌の特徴がわかりやすいので読者も自分の好みに合う作家や作品を見つけやすくなるというメリットがあった。
ところが現代の文学には思想がない。文芸誌が作家や批評家の同人誌でなくなって出版社として企業化して編集者が文学センスがないただの事務員になって、作家はどこの文芸誌でデビューしようが結局は他の雑誌にも作品を載せるようになるし、どの雑誌も目立った特徴がなくて差別化できていない。さらには話題作りのために最年少受賞を売りにしたら作家が古典を読んでいないし文学理論も理解していなくて読者よりも知識が劣るうえにパクリが頻発する有様で、質が低下していっそう文学離れを招いた。最近は芥川賞の候補者が全員女性だとマスコミが話題にしていたけれど、女性が活躍しているというよりは暇な学生や主婦が小遣い稼ぎにやる副業程度の仕事になって、男性が生涯をかけて至高の文学を追及するほどの価値がなくなったのだと私は思う。女性作家の数こそ多いけれど、石牟礼道子みたいに同時代の人や社会に向き合うわけでもなくて身の回りの小さな出来事を書くだけで作家が社会を見ていないので、そんな作品を読む理由もない。
優れた文学には作者が社会をどう見るか、登場人物が社会をどう見るかという二重の批評性があって、そこで作者がアウフヘーベンしたり読者が着想を得たりして思想の発展につながるのだけれど、そもそも作者が社会を見ていないのなら作品に批評性がなくなる。単に出来事の反応としての登場人物の喜怒哀楽を書くだけなら文学やる必然性がないので表情がわかりやすい漫画やアニメとかの商業作品でやればいい。

●どうすりゃいいのさ

思想を持つことの害、思想を持たないことの害を比べると、思想もなく感情と欲望の奴隷となって右往左往して生きるよりは何かしらの人生の指針となる思想を持つ方がよさそうである。しかし一朝一夕に悟りを開くことはないので、日ごろから物事の是非を考えていく必要がある。古代の哲学者が残した思想もガイドラインにはなるけれど、彼らが生きた時代と現代とは生活環境が全く違うので、思想ありきの偏見で現実を見るのでなく、現実をよく見たうえで幸福になるにはどうすればいいのかを模索するべきで、その結果として自分や社会の幸福につながる思想を持つことになるだろう。客観的な絶対的な正しい思想というのはなくて、自分が幸福になれるかどうかを主観的に判断するしかない。人間はいずれ死ぬからこそ、自分で物事を判断して納得がいく生き方をしたいものである。
ちなみに私は無宗教なのでクリスマスはどうでもいいし、初詣にもいかない。皆がやっているからという理由で節操なく他人を真似てよく考えずに行動するのはやめて、本当に自分がやりたいことをやるべきである。人生は長いようで短いもので、誰もが寿命が来るまで80年も生きるわけでなくていつ病気や事故で死ぬかわからないし、くだらないことばかりやってやりたいことをやる時間がないまま死んでしまったらもったいない。
京王線ジョーカーについて考える ​という記事でも考えたけれど、思想がないがゆえに生き方がわからなくて犯罪をする人もいる。東海道新幹線車内殺傷事件の犯人は「自分で考えて生きるのが面倒くさかった。他人が決めたルール内で生きる方が楽だと思い、無期懲役を狙った」と供述したけれど、自分で考えることを辞めて他人にゆだねたらもはや自律しようがないので幸福になる方法を自分で見つけられなくなるし、彼は狙い通りに無期懲役になって最低限の衣食住が保障されて楽になるどころか体にうんこを塗りたくって看守の気を引いて孤独を紛らわそうとする狂人になってしまった。自分が不幸になったり他人を不幸にしたりするために生きるのでは空っぽの人生よりもさらに悪い不毛な人生である。幸福になりたいのなら幸福とは何か、幸福になるにはどうすればよいのかを自分で考えて行動するしかない。年末年始の暇な時くらいはいろいろなことをじっくりコトコト考えてみたらいいと思う。






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最終更新日  2022.12.21 00:07:37
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