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2023.11.23
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最近はTikTokで250万人のフォロワーがいるmama soupというオーストラリアのインフルエンサーが顔に「スケバン」という日本語のタトゥーを入れたのが話題になっている。なんで今更スケバンなのか知らないけれど、久しぶりにスケバンという単語を聞いたので徒然なるままに不良について考えにけり。

・不良とは何か

不良とは素行不良の人を指す。不良というと主に10代の非行少年を指して、素行不良の小学生未満は悪ガキ、素行不良の中年はチンピラや輩(ヤカラ)と呼ばれる。不良にもいろいろ種類があって、バンカラはもともとは不良を意味したわけではなくて明治時代に西洋風の服装をしたハイカラのアンチテーゼとして擦り切れた学生服を着た野蛮じみた人を指す言葉だったけれど、『ドカベン』の岩鬼正美や『俺の空』の安田一平や『魁!!男塾』の塾生のようにフィクションではたいてい喧嘩が強い粗暴な不良として描かれていて、一匹狼が強い男とみなされて仲間と馴れ合わなかった。ヤンキーは1970年代ころに出てきた不良像で、大阪のアメリカ村で買った派手な服を着て繁華街を徘徊していたのでヤンキーと呼ばれてその呼称が関西から全国に広まったようで、校則を無視して髪を染めてリーゼントやポンパドールやパンチパーマにしたり改造した制服を着たり学校のトイレで煙草を吸ったりしていた。学校の番長とかになって他校と喧嘩をしているのは硬派、あるいは虚勢を張って突っ張っているのでツッパリと呼ばれていて、バンカラの粗暴なスタイルを継承している。女性(スケ)の番長はスケバンと呼ばれた。おしゃれして町をぶらついて「お姉さん暇ならお茶しばかない?」と女性を口説いているのは軟派と呼ばれて、女性を口説くことは「ナンパする」という動詞になって、女性から男性を誘うのは「逆ナンパ(逆ナン)」と呼ばれるようになった。軟派という言葉自体は明治時代からあったけれど、カタカナの「ナンパ」は1980年代に使われるようになったようである。暴走族は車やバイクに乗って道路交通法を無視する不良で、暴力団に目をつけられて金を上納したりスカウトされたりする。走り屋はスピードを出すのが好きで車を改造して峠でドリフトしたりしてドラテクを競うけれど、街中で暴走するわけではないし暴力行為をするわけではないところが暴走族とは違う。チーマーは渋谷とかの繁華街でたむろする都市型の不良で、裕福な家庭の子供がグレてキムタク風の茶髪のロン毛にしておやじ狩りや美人局とかの悪さをしていた。チームごとに同じ色の服を着ていた不良はカラーギャングと呼ばれたけれど、もともと外国の文化だったせいか根付かずに廃れた。中国残留孤児の不良グループとかは暴力団に所属せずに暴力団のような行為をするので半グレと呼ばれて、闇金や特殊詐欺のような違法行為だけでなくて芸能プロダクション経営や飲食店経営や格闘技団体の運営とかの合法な仕事でも稼いでいる。
不良の変遷を見ていくと、粗野な一匹狼の個人が反抗していたのが仲間で結束して反抗するようになって、自己表示のために服装が派手になって学校の規則や道路交通法を破るようになって、次第に社会への反抗心や敵対チームへの反抗心がなくなって服装も地味になって違法な金儲けへと目的が変わっているようである。

・なぜ不良になるのか

大学は頭のいい人が社会に出るための準備をするモラトリアムと言われているけれど、不良は勉強ができない人のモラトリアムといえる。昭和の管理教育だと子供の個性を無視していただけでなくて体罰もあったし発達障害や境界知能に対して理解がなかったので、反抗的な生徒が反発して不良になった。勉強ができないからといって学校に行かずに何もしないで家にいるだけならただの引きこもりやニートだけれど、不良グループに入れば似た境遇で似た年齢の話し相手がいるし、喧嘩が強ければ同性に一目置かれて尊敬されたり異性にモテることもあるので不良グループに入るのだろう。グループ名をつけて他のグループと差別化することで帰属意識ができるし、一緒に悪いことをするとお互いに大っぴらにできない秘密を共有した状態になって絆ができて、これは友情とは違うのだけれど一応仲間はできる。学校では勉強は教えるけれどどう生きればいいかは教えないし、子供が不良になるような家庭でも生き方を教えなくて、メンターがいないどころかメンターになるべき人たちに邪険にされて生き方がわからないという点では不良に同情できる部分もある。
そんで何も特技がない不良でも派手な服装をしてバイクのマフラーを改造してうるさい音を出して示威行為をすればみんなに存在が認知されて勢力が拡大して警察も追いかけてきて刺激があって楽しいので、なんかすごいことをやっている気分になって増長して武勇伝を増やしていく。しばしば不良が学校や交番を襲撃しているけれど、自分に指図したり邪魔したりしてムカつくから攻撃するという低レベルの反抗心でしかなくて、社会の仕組みを理解していないので日本を牛耳っている政治家や資本家といった権力者は襲撃しようとしない。幼稚で社会性がないからこそ深夜に爆音を出して社会を支えている労働者の安眠を妨げたり、まじめに勉強している学生をカツアゲするような迷惑なことをやる。不良として有名になったところで働かないのでは収入もないし、モテたところで収入がないのでは家庭を持てないし、犯罪で金を稼ごうとすると捕まるし、社会の役に立つどころか迷惑にしかなっていないし、いつまでも不良をやっているわけにはいかないと気づいた人から不良グループを抜けて、車弄りが好きだったら自動車整備士やガソリンスタンドの店員になったり、体力があったらとび職や解体業や格闘家になったり、話し上手ならホストになったり、音楽が好きならミュージシャンやラッパーになったり、暇なら手伝えと先輩に誘われて祭りでたこ焼きを焼いてテキヤになったりして、何かしらの人生の目的をみつけて社会人として建設的な生産活動をやるようになる。その一方で社会人になりそびれた人は半グレや暴力団とかの反社会的勢力にとりこまれていく。そうして非行少年のモラトリアムが終わる。
「しくじり先生」に元暴走族だった竹原慎二が出演してやんちゃしたらいけないと反省していたように、不良が武勇伝だと思っているようなことは社会に出てからは逆に汚点になる。朝倉未来も「しくじり先生」に出て50対2で戦ってボコボコにされて失明しかけたとか暴力団に拳銃を突きつけられたとか武勇伝を語っていたけれど、竹原と違ってあまり反省している様子は見えなくて、伊集院光にヤンキーは嫌いと釘を刺されていた。昔はワルかったんだぜと自慢して威張っている人は反社会的な価値観を持ったままで更生していないんじゃないかと思う。特大のうんこを漏らしたのをどうだすごいだろうと自慢しているようなもので恥知らずである。

・若者の不良離れ

最近は少子化ということもあって少年犯罪の件数は減っているし、暴走族もメンバーを集められなくて解散している。果し状で相手を呼び出してタイマンで決闘する人もいなくなって決闘罪もほとんど適用されなくなっている。たぶん学校の規則が緩くなって体罰がなくなって生徒をお客さん扱いして不登校も許容するようになって友達親子のように親が子供を叱らなくなって子供が反発しなくなったことに加えて、インターネットが普及してどこかの不良グループに所属しなくてもネット上のコミュニティに受け皿ができてSNSですぐに気が合う他人とつながりやすくなって、バイクで暴走しなくてもSNSで目立って金を稼ぐ手段がいろいろあるので、わざわざ危険な暴走族に入ろうとする人がいなくなったのだと思われる。暴力団も締め付けが厳しくなって組長の使用者責任を問われるので粗暴でやんちゃな馬鹿はスカウトしなくなって、不良が度胸と腕っぷしで裏街道をのし上がるキャリアパスもなくなった。それに格闘技のイベントが充実して地下格闘技をやっている素人の不良よりもちゃんと訓練しているプロ格闘家のほうが強いのもばれてしまったので、不良が喧嘩無敗伝説とかを自称したところで素人の喧嘩の強さが憧れの対称にならなくなった。インターネットやゲームがなかった昭和は車でどこかに出かけることが娯楽だったので、車よりも安く買えて高校生でも免許が取れるバイクが若者の移動手段になったのだけれど、最近の若者は娯楽がたくさんあるので免許すら持たなくなっている。最近の若者は尾崎豊の『15の夜』の歌詞の誰にも縛られたくなくて行き先もわからないまま盗んだバイクで走りだす心情が理解できないそうだけれど、たぶん子供時代が快適になって縛られるどころかスマホを与えられて放置気味に育ったので大人や社会への思春期の反発心がなくなっているのだろう。
格好いい男性像も変化して、肩肘張って男らしくツッパるよりも男性アイドルのように中性的になってやさしくて女性に媚びる軟派だらけになった。メンチを切って喧嘩に明け暮れるギザギザハートな不良が少なくなった半面、トー横キッズのように家出して友人宅を転々として夜遊びをしたり売春したり風邪薬をオーバードーズしたりして縄張りを持たないノマド不良が出てきた。本人の人生はだめになるかもしれないけれど、暴走族と違って集団としての結束がゆるくて他人や社会に直接害があるわけでもないので危険視されているわけでもない。

・不良の文化

ロックは不良の音楽と言われてきたけれど横浜銀蝿の『ツッパリハイスクールロックンロール』のように直接不良をテーマにしたコミカルな曲も作られたし、猫が特攻服を着てなめんなよと言っている「なめ猫」とかのかわいい不良グッズも作られた。『スケバン刑事』のような正義の不良像も描かれた。氣志團のように不良のファッションだけ取り入れている善良な人たちもいる。暴走族の改造車はアメリカの車マニアに人気があるようで、セルシオやシーマの中古車がいまでも流通している。実在の不良は迷惑な存在だとしても南米のギャングのような凶悪な犯罪者集団というわけでもなくて若気の至りの悪ふざけという側面もあるし、元不良の芸能人もけっこういてメディアでの露出も多いので、音楽やファッションの文化としてはそれなりに受け入れられていた。しかし文化としてはたいして洗練されないまま一時的な商業ネタとして消費されて不良ブームが終わったともいえる。ロックミュージシャンやファンはおじさんだらけ、バイクに乗るのもおじさんだらけで、次世代の若者に不良文化は継承されなかった。大阪の中学の卒業式で感謝ポエムを刺繍した派手な変形制服を着たり、沖縄の成人式で派手な衣装を着たりするのは不良っぽい文化と言えるけれど、これは普段のファッションでなくて一回限りのコスプレ的な扱いである。最近だと若者が漫画の『東京卍リベンジャーズ』のコスプレとして特攻服を着ているけれど、ヤンキーはもはや実際の生き方というよりフィクションの衣装という次元になってしまった。
ヤンキー的な不良文化が廃れた反面で、現在はヒップホップ的な不良文化が繁栄している。1990年代からヒップホップが流行し始めて、グラフィティとしてシャッターにスプレーで落書きをする人が出てきたり、ぶかぶかのズボンをずり下げてパンツを見せている人が出てきたりして、暴走族のような暴力的な不良でなくて音楽をベースにしたファッション志向の不良になってクラブで騒ぐようになった。ラッパーが逮捕されるにしてもたいてい大麻取締法違反とかで、入れ墨だらけのいかつい見た目や過激なラップと違って実際は暴力性がそれほど高くない。あまり危険な目にあわずに不良を気取ることができて間口が広いし、夜遊びできて楽しいので文化として定着したようである。
昭和はロックとヤンキーとバイクとタバコとシンナーが流行して、平成はヒップホップとコギャルとオラオラ系とクラブとマリファナとMDMAが流行して、令和に新しい不良文化があるかというと特にない。Z世代はやたらと闇バイトで捕まっている印象だけれど、馬鹿が悪人に利用されて使い捨てられているだけなので若者が自発的に作った文化というわけでもない。団塊ジュニア世代は人数が多かったので昔は未成年が流行を作るだけの行動力や影響力があったのだろうけれど、今は少子化で不良がグループを作れるほどたくさんいないし、若者は注目されることを嫌っているそうなので、若者発祥のブームを作るほどの行動力も影響力もないのだろう。Z世代発祥の不良文化がないので、平成レトロとしてまたルーズソックスを履いたりして制服を着崩しているのかもしれない。



・不良とフィクション

『あばれ花組』、『ビー・バップ・ハイスクール』、『疾風伝説 特攻の拓』、『湘南純愛組!』、『今日から俺は!!』とかの不良を主人公にしたフィクションだと、たいてい不良が喧嘩しながら仲間との友情を深める話で、主人公が高校生のまま物語が終わる。卒業後に普通に働き始めたら不良でなくなってキャラクターのアイデンティティーを維持できなくなるので、必然的に成人後の姿は描かれない。勉強も仕事もできない若者の青春像が喧嘩に明け暮れる不良なわけである。不良は部活系フィクションとも相性が良くて、『SLAM DUNK』の三井寿や『ROOKIES』のように不良から更生して普通に青春する展開にもできる。技術的な点で言えば、格闘技系のフィクションのようにルールやテクニックとかの取材をしなくても不良は適当に殴り合うだけで見せ場になるので取材コストが低いメリットもある。
不良をテーマにしていないフィクションのキャラクターとして登場するステレオタイプな不良は物語に刺激をもたらす役割を担っている。たいてい暴力担当で、味方キャラの場合は最初は主人公に突っかかってきたのに実は根性がある良いやつだったり、あるいは敵キャラの場合は悪役として主人公に絡んで成敗されて主人公を引き立てたりする。暴力担当にしても暴力団だと毒が強すぎて味方としては使いづらくて、敵としてもアクが強すぎるのに対して、不良だと主人公の見せ場を食わない程度に個性を出せるので脇役としては使い勝手が良い。『幽☆遊☆白書』の桑原和真は主人公のライバル的な立場の不良で、顔が不細工なのでボコボコにしてもファンから苦情がこないし、不良ならではの根性があるという設定で瀕死の状態から復活しやすいので、やられ役として使うと便利である。『グラップラー刃牙』の柴千春も桑原と似たキャラ付けで、格闘技の素人の暴走族がボコボコにされながら根性で戦って脇役なりに見せ場を作っている。
主人公が不良の人気作品は多いけれど、不良を出したからと言って人気になるわけでもない。『仏恥義理ステッチ』はスケバン風の見た目のアフロ主人公がかわいい手芸をするというギャップを売りにした展開の最近の漫画だけれど、フックが弱かったのか3巻で完結して長続きしなかった。作品にヤンキー的な要素を入れたところでもはやヤンキー文化がなくなっているので古臭い感じになって現代の読者にはあまり刺さらないようである。昭和や平成の古い不良像を現代にリバイバルしようとするよりも、新しい不良像を打ち出す方がフィクションとしてはウケがよさそうな気がする。しかし何かの正しい規範があるからこそ制服の着崩しとかのファッションが出てくるけれど、規範がなくて各自が好き勝手やっている現代だと規範から少しはずれたキザな感じが出しにくいし、単に粗暴なだけだと筋を通す不良の美学やいざという時に頼りになる番長のような格好よさがなくなるので、魅力的な不良のキャラクターづくりとしては昔よりも難しくなっている。『ONE PIECE』の海賊もある意味不良で、現実世界の不良が少なくなっているからこそファンタジー世界でライバルや権力者を相手にして暴れる話がウケるのかもしれない。





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最終更新日  2023.11.23 06:47:17
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