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(今夜7時頃の浅草寺境内です) ・ ・ ・ ・ ・先日 のぼせていた「松の湯」のもう片方の風呂は どうした?との やいのやいの催促は 一切ありませんがわたしが どうも 気になって 行ってまいりました。月曜日に入れ替わった 男湯です。(当たり前です)いや~ よござんしたね。 ・ ・ ・小振りで清潔な脱衣場から 洗い場に 入ると鏡とシャワーがセットになったカランが 左右の壁に面して8~10くらいづつ ズラ~ッならんでいて(普通の銭湯にあるはずの中央のカラン列が無い)真ん中のスペースは 手前から 突き当たりのタイル画まで全体が小さなプール いや 大きなジャグジー風呂になっている。これには驚いた!わたしは初めて見ました。その中を 4つのコーナーに分けて底に高低差を付け 泡の勢い 身体に当たる位置が違うジャグジーがいくつか。一部は完全に仕切った「薬湯」(今日はリンゴでした)に。さらに 入口のわきに「洞窟風呂」(想像しづらいと思いますがこのスペースが脱衣場に食い込んでいる訳でして)。眠たくなるくらい落ち着きましたね。やっぱ 北千住の銭湯は レベルが高いや!数年前から 千住には3軒ほど 時々通っていますがそれぞれに 個性があって 楽しい憩いの時間をいただいています。 ・ ・ ・バカ旦那の妄想は?って今夜は むくつけき男が 7~8人いれかわりとても 色っぽい想像を楽しむほどの 度胸はなかった。 ・ ・ ・ ・ ・東京の銭湯代は 大人430円。ほぼ毎日入ったとすると ひと月 約13,000円。こんな ささやかな楽しみも 実は けっこう大変なんですよ。風呂屋の夫婦も労働に汗した青年達も開店を待ってるご老人達ものんびり鼻唄歌って入れるようなそんな政治を(テレビで会見してる新大臣さま)期待してますよっ。
2009年09月16日
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今日の夕刻6時の吾妻橋から真ん中がアサヒビール本社左のビルが墨田区役所その間にちらっと見えるのが 建設中の「スカイツリー」です。そのうち 巨大なタワーがそびえ立つのですね。 ・ ・ ・ ・ ・平日のこんな時間に帰れるのは 実に珍しいことで。「オヤジさん、今日は早じまいだ。 もう上がってください」と 夕刻5時過ぎに事務所のリーダーが 声をかけてくれる。いつもより 2時間ほども早い上がり・・・(笑)それじゃっと 上司の気が変わらないうちに 急いで「お先に!」夕刻6時を過ぎれば一気に日が暮れてしまう 今日この頃そんなわけで 1枚だけ シャッターを切れたのでした。 ・ ・ ・実は ウチのリーダーってのは文字通り わがセガレでしてほぼ2年ほど前から 従っています。この何かと厳しいご時世で主導権を渡してから なんとかうまくやってまして。それまでとは雲泥の差。・・・(苦笑) ・ ・ ・約束の帰宅時間まで 少し余裕があるので橋場の路地なかで見つけた 何気ない蕎麦屋「小川屋」に初めて入る。人通りがほとんどいない 夕暮れの蕎麦屋で「富山湾産 白えび揚げ」と ぬる燗を注文して一休み。さて 味はどうかな?タクシーの運転手さんが 夕食に立ち寄る。電話で出前の注文が入る。そして 〆に頼んだ「もり」。細麺でありながらコシがあり「つゆ」が 東京には珍しく甘めで薄味ながら しっかりとしたかつお味。 ・ ・ ・これだけ ちゃんとした蕎麦屋さんなら地元の方々 おなじみさんで 派手でなくとも商売やっていけるは。と こだわりの 老主人を想像しながら お会計の際調理場を覗けば 中で働く職人一人。まだ30前の 品のいい若者でした! ・ ・ ・ ・ ・夜 お気に入りの テレビ「鶴瓶の家族に乾杯」を見てたら奈良県の 小さな町で 偶然 取材の日に開店した「たいやき屋さん」のご夫婦は70歳過ぎだと!これも 世代交代のひとつ だな。
2009年09月14日
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朝晩 すっかり秋らしくなってこうなると 「湯屋」に行くのが楽しみになりまして。真夏は 帰りに汗がふきだしてしまうのでもっぱら 自宅のシャワーか 行っても一番近い 昔風の「草津湯」でしたが今夜は すこし足を伸ばして川向こうの 気になっていた「湯屋」へチャリで浸かりにいってまいりました。 ・ ・ ・読めますかね?「和笑の湯」には 6つの風呂「カリブの湯」にも 6つの風呂一般的な銭湯にですよ。こんだけの風呂。看板を見る限り 全部に入れそう・・・ですよね。入って 納得しました!番台のオヤジに聞けば男湯 女湯に分かれていてそれぞれに 6つの風呂があるそうで。この男湯と女湯は週代わりで 月曜日から入れ替わるそうで。今夜 先週は 女湯だった「カリブの湯」にゆったりと それぞれの湯 全部に入ってまいりました。これって ちょっとしたアイデアですね。改装して 脱衣場やカランを少し狭め風呂のスペースを広げていろいろな(12種類)の風呂に。ひとりでひろいリラックスバスに浸かっていると・・・ここは 明日からは 女風呂になるのか とかカリブの女って? とかまるで「湯屋番の若旦那」のような 妄想が・・・ ・ ・ ・しまい湯に近い時間なのでオヤジは かたずけを始めてるよ。 きっと男と女の のれんを 入れ替えてるかもな。気が早いんだよ。 あのオヤジ近所の小料理屋の若い女将あわてて汗を流しに飛び込んでくるね。 きっと『アッ』お互い 驚くけど もう しゃあない。女将 となりの薬湯に チャポン!なんてこうなると 男はだらしない!出るに出られず のぼせるばかりア~! どうしよ! ・ ・ ・ ・ ・帰りの 川面をわたる 夜風がのぼせた エロオヤジのあたまを冷ましてくれて ここちよかった。
2009年09月13日
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薦められて読んだ「龍馬の黒幕」加治将一(祥伝社)面白かった!目次の一部から 第2章 日本に上陸した秘密結社 第3章 長崎異人商会 第4章 グラバー邸に集った志士たち 第5章 薩英戦争の真相 第6章 密航者たち 第8章 パリの密会 終章 闇に消えたフリーメーソン ・ ・ ・一部を見ただけでも 何となく内容が想像できるかと思いますが龍馬暗殺をリードした黒幕は イギリス政府とその当時の秘密結社「フリーメースン」と・・・。「フリーメースン」の存在を 著者は執拗な取材で 実在する 書籍と写真で追っていく。(新たな歴史の側面を見ました)その日本でのキーパーソンは 長崎のグラバー(かつて館を見物しましたが改めて思うと フム)そして 通訳から 上級官吏になっていったアーネスト・サトウ。 ・ ・ ・著者の加治将一は 最後に龍馬暗殺の真犯人を 断定する・・・。 ・ ・ ・ ・ ・それにしても わたしが興味を覚えたのは世界の激動期に イギリス インド 中国などを船で渡り日本国内を 歩き回った主役のグラバーやアーネスト・サトウが日本に来たのは 10代後半のこと!彼らは 龍馬や西郷や勝たちより 年下だった。商人として政治家として したたかに交渉する。日本の主役達もご存知のように 20代半ばがほとんど後半にかけて つぎつぎと死んでいく。その青春の 一時代を生死を賭けて 語り行動した 青年達の熱き心に 思いを馳せてしまいました。
2009年09月08日
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気になっていましたが 行くのが遅かった!もっと 早く観に行くべきでした。ご案内するのが ぎりぎりになってしまったのが口惜しい。 ・ ・ ・東京国立博物館 平成館で開催中の「染付」は 陶芸 絵画 歴史に ご興味がある方にはとっても 貴重な展示会かもしれません。 ・ ・ ・ ・ ・ 染付(そめつけ)とは 白磁(はくじ)の素地に コバルトを含んだ顔料を用いて筆で文様を描く技法をいいます。 透明釉を掛けて焼成すると、文様は鮮やかな藍色に変色します。 中国では青色(せいか)、欧米ではブルー・アンド・ホワイト、 日本ではきものの藍染(あいぞめ)を思わせることから 染付とよばれました。 <パンフレットから> ・ ・ ・ ・ ・中国の元時代後期に その技術と様式が完成され景徳鎮が その産地として栄え 明から清へと発展し日本の伊万里でもベトナム 朝鮮でも 独自の発展を遂げていく。(ベトナムのやわらかな薄黄の生地色も味がある)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~写真は すべてパンフレットからの流用です。実物は あたりまえですが もっといっぱいこれでもか と展示されています。でも 残念ながら 9月6日(日)で閉幕です。(遅いご案内で申し訳ない)ご興味がある方は是非 駆けつけることをお薦めします。「幕末の伊万里大皿コレクション」だけでもいろいろ 驚きと楽みを そして伸びやかな気持ちに させてくれる はずですよ。
2009年09月04日
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8月31日 台風は東京をかすめて 茨城沖合へ抜けていきました。台風一過の翌日 チャリ通勤で見た空にはかすかに 秋の気配が・・・ ・ ・ ・「東京スカイツリー」は ここまで伸びています。桜橋のふもとから言問橋のふもとから ・ ・ ・夜 帰宅途中の隅田公園の 草むらからは鈴虫とコオロギの鳴き声が・・・秋近し。
2009年09月02日
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僕は不勉強なものですから、 ある方に「読みましたか?」と薦められて、 慌てて読んだ作品が、ついこの前もありました。 山本周五郎さんの短編「晩秋」です。 本当に短い作品なんですけれども、 もの凄く力強い作品だと思いました。 骨太と言ったらいいんでしょうか。 短編でも脚本でも、作品は骨がとっても大事で、 骨組がしっかりしていれば、 枝葉のエピソードや会話は簡単にできるという風に よく言われますけれども、 「晩秋」もやっぱり骨の太い、しっかりとした作品なんだと思います。 ・ ・ ・ この作品で描いているのは、古い武家社会ですけれども、 その筆はあくまで、 現代人が失ってしまった何か大切なものを追い求めて止まないー。 読んでいただきたいと思います。 ・ ・ ・ ・ ・この文章は高倉健のエッセイ集「旅の途中で」の一編「晩秋」からでした。健さんが ここまで言われるのならと何は置いても 早く読みたいと 急いで調べたら山本周五郎の短編「晩秋」は山本周五郎テーマコレクション『風雪』(新潮社)にありました。周五郎さん初期の作品で 初出は1945年(戦中!)。感想は・・・健さんの おしゃるとおり・・・読んでいただきたいと思います。
2009年08月30日
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昨夜(25日)11時から NHK教育テレビでの「井上陽水」を見ました。四夜シリーズの二夜目でタイトルは 『麻雀』。(月曜日の一夜目は見逃しまして) ・なんで 『麻雀』? と思ったらすでにメガヒットを飛ばして超有名な歌手だった井上陽水は 30代のはじめ頃雑誌の対談で 「五木寛之」と知り合いそのあたりから「阿佐田哲也」(本名:色川武大)を中心とした麻雀グループに入ることができそこで 大人の男達に 実に 多くのことを学んだそうだ。 (今月初めに読んだばかりなので印象が鮮明で) ・その男たちとは 年長では「吉行淳之介」「山口瞳」「筑紫哲也」とかほぼ同年輩では「黒鉄ヒロシ」「沢木耕太郎」「伊集院静」とか ・陽水は語らなかったが彼らの書籍を この頃 猛烈に読んだのではないかな たぶん。 その後の 作詞に 少なからず影響を たぶん。 ・ ・ ・番組では 五木寛之 沢木耕太郎 伊集院静 黒鉄ヒロシなどの語りや当時の貴重なフィルムを 織り交ぜながら「井上陽水」とともに 時代をドキュメントしていく。 ・ ・ ・ ・ ・若くして 成功した「陽水」はその頃 得体の知れない不安感が いっぱいだったようで。「ちゃんとした大人になるための教育を受け損なったのでは・・・」「何か大事なものを忘れているのでは・・・」「この後は下降線しか無いのでは・・・」そんな悩みを見透かしていたのか「阿佐田哲也」は言ったそうだ。『若いうちに成功したってことは 第1打席で ヒットを打った訳で 後の3打席 仮に凡打でも二割五分 人生それで十分じゃないか』~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~おっと間もなく 11時!第三夜をこれから見ますので陽水の「最後のニュース」風に『グッ ナイ~』
2009年08月26日
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わがシニア野球団のちっちゃい話の つづきなんですが・・・よろしかったら・・・ ・我がチームの監督をしている 最年長の70歳に近い『監督コバちゃん』の 青年時代の話も 強烈なんです! ・ ・ ・ 私たちが生まれ育ったここ 東京下町の荒川区というところは 一般的に「住みたい町」という設問には まず上がってこないハズレでしょうね。そこでの 南千住「汐入」というさらに 岬の突端のような 都バスの終点の 小さな集落の同じ荒川区の 他の地域の子ども達も 親から「汐入だけには入っちゃ行けないよ」ときつく言われていたくらい 危険地帯? の汐入の昭和30年代の頃のお話です。 ・『監督コバちゃん』は有名高校を中退して オヤジさんの 鞄職人の跡を継ぐことに。「汐入のオボッちゃま」を ひた走る。『監督コバちゃん』はそれから マイカー「日野コンテッサ」を 乗り回し自前のボールとシューズで 日本で初めての青山、赤坂のボーリング場を我々 幼いガキを 連れ回して 投げまくる。『監督コバちゃん』は仕事に遊びに 一杯励み ゴルフ会員権を買い後輩を 連れて 握りに負けても箱根 筑波と「自分のゴルフ場」へ 自ら運転して 誘ってくる。『監督コバちゃん』は子どもの頃から 珍しく 酒もタバコも一切やらずいまだに コーラとお茶しか飲まない。(フィリピンバーでは ホットミルクなんかを飲んでいるようだが) ・南千住「汐入」の中学野球部を母体とした シニア野球団ですがこの『監督コバちゃん』は・・・結構いいでしょ! ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~昭和40年頃だったかな?『監督コバちゃん』が朝早く「言った通り 正月は京都に行くぞっ!」 着いてこい!っとわたしが 18歳の頃 自宅前に「コンテッサ」が迎えに東名高速の開通前ですよ。 東京から名古屋までは 国道1号線を『監督コバちゃん』は ひたすら運転をわたしは お殿様の隠れ子の お任せ気分で らくちん。京都の宿で 新幹線で来て合流した あの!『タカちゃん』たちと落ち合いいっぱい でっかい 秘かな 思い出を!つくりまして・・・(これだけで いろいろ思い出す)。 ・ ・ ・その後『監督コバちゃん』が今から 二十年位後かな?ぼくの 強引な詰問に答えてくれた当時の状況は実は 京都への旅の 数日前多額な不渡り手形を オヤジさんが プレゼントされてしまったんだって。だから 当日は大変だから 後日都内の他所へ突然引っ越しされたのですがそんな事情は一切 自分の口から後輩の前では 言おうとしない。京都へはお金を 無理矢理 調達して穫られる寸前の 車での旅立った と! ・ ・ ・ ・ ・『監督コバちゃん』は今も 地元の「消防団」の役員をしている。人と 接することが 大好きなんでしょうね。昨晩 我が家の「大年増さま」を見舞いにきてくれた。自分のことより他人の幸せを 気にする 不器用な「汐入のおぼっちゃま」はいまも見参!
2009年08月24日
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わがシニア野球団の 「暑気払いの会」が 昨土曜日の夜近所の 蕎麦屋で開かれまして試合よりも多くの 参加者が集いましてその夜の ちっちゃい話なんですが・・・よろしかったら・・・ ・普段は 口数の少ない 最年長(70歳に近い)の「鉄人」と噂される(子どもの頃から野球をやっていて 今だ肩も足も故障知らず!)『タカちゃん』の 子ども時代の話が 強烈だった! ・ ・ ・ 私たちが生まれ育ったここ 東京下町の荒川区というところは 一般的に「住みたい町」という設問には まず上がってこないハズレでしょうね。そこでの 南千住「汐入」というさらに 岬の突端のような 都バスの終点の 小さな集落の昭和20年代の後半から30年の初め頃の話です。 ・『タカちゃん』は泳ぎを隅田川で覚え上り下りの船の 底を潜るのが稽古だったそうだ。だから 年下のガキを集めては 川に突き落とし溺れそうになったら 助けにいく。そんな毎日を送っていた。『タカちゃん』は年頃になったガキを集めて 年末の入谷の「おとり様」にお参りし帰りに ガキの筆卸の初打席の場を「吉原」に連れて行く。そして 心配だというヤツには 後の病院の検査まで付き合う。『タカちゃん』は釣りやスキーの大ベテラン どんな話でも やっている 知っている。さらに ヤクザの幹部たちを知っている。今も付き合ってる。なぜなら 彼らの 兄弟まで 虐めていたそうだから。『タカちゃん』は普段は 無口で 笑顔を絶やさず年下の我々が 決めたことに黙って従い 一度として説教なし。「こんな俺に嫁いでくれたカミさんが大事」と のろける男。 ・南千住「汐入」の中学野球部を母体とした シニア野球団ですが結構いいでしょ! ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ちっちゃな国のちっちゃな東京のちっちゃな町のちっちゃな年寄り野球団のでっかい男の話でした。
2009年08月23日
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夏空がもどった 昨日(17日)の昼前隅田公園を走ったら 「東京スカイツリー」は ここまで伸びていました。言問橋近くから 向島方面を見たわけですが ・ ・ ・ツリーを眺めながら わたしは 最近読んだ 山口瞳『世相講談』のこのあたりを舞台にした 一編一編を 思い出してにんまりしてしまったのです。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~沢木耕太郎が 「教科書」のように何度も何度も読み返しているという向田邦子が 「山口瞳の最高傑作」という山口瞳の『世相講談』を図書館で見つけ(「山口瞳大全「第六巻」)ちょうど読み終わった時なので 思いが強かったのでしょう。。。初出「オール讀物」 昭和四十年一月号から 四十四年六月号に連載。ノンフィクションに分類される 短編集で文体や 口調を変え いろいろ実験的な試みがなされている笑えて 泣けて じっくり心に残るすべて ご自分の目で 耳で 足で 取材した実話ばかり。 ・ ・ ・ <常盤新平の解説から> ・・・その取材力には驚かされた。短編を一つ書くのに、 じつに緻密な取材をしている。しかも、作者の身についた知識や 経験が取材のテーマと渾然一体となって、奥の深い味を添えている・・・ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~それにしても 山口瞳さんは 連載が始まった頃に東京郊外の国立に 新居を構えたなのに 銀座 深川 向島 浅草と タクシーをとばして飲み歩いた そのエネルギーは凄まじい(もちろん地元でも 「居酒屋兆治」はそのひとつ)毎夜 したたかに飲んでいるのにこれだけ頭が冴えるのは 天才のなせる技。だからこそ つらいこと なやむこと いっぱいだったようで。頭から 離れないのでしょうね。わたしのような凡人は 飲めば まるっきり頭が回らなくなるからこれ幸いなことで(エヘヘッ)と 気軽に 寝ることに(失礼しまっす!)。
2009年08月18日
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今日 八月十五日(64回目の終戦記念日)に千葉県旭市の図書館で開かれている「マンガ家たちが語る『私の八月十五日』展」を観てきました。 ・ ・ ・九十九里浜に近い 旭市を初めて訪れましたが都内から 連れ合いと待ち合わせた千葉駅まで 約1時間千葉駅から銚子行きの各駅停車に乗って 旭駅まで 約1時間20分会場まで車で約10分の 片道約3時間の小旅行でした。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~漫画家 森田拳次さんたちが中心となって同業の漫画家や原作者に声をかけて「私の終戦 戦中 戦後を 描いてみようぜ」が みのった結果だそうだ。5年前くらいに 動いたようだが実に多くの 賛同者が相次いで ついに書籍になった。その 原画展が ここで開かれていたんです。ぼくらの崇拝する 漫画家さんたちの小文と絵 どれも 背筋を伸ばして対面せねばならない本気の 素晴らしい 展示会でした。例えば・アンパンマンの「やなせたかし」の 兵隊経験とか・あしたのジョーの「ちばてつや」の 満州引揚げ談とか・ゴルゴ13の「さいとうたかお」の 初めて語る戦中体験とか実に多くの 終戦時に 20代のひと10代の人 7~8歳以下のひと当時は 青年 少年 幼児の 漫画家さんが ・ ・ ・百人を超える 漫画家さんたちが昭和20年夏の 思い出を 書き描く。その絵が 重く 圧倒的に 美しい!今日のように 晴れ渡り 暑い 一日だった。 と九州で 東京下町で 茨城で 群馬で 北海道でそして 大陸で 体験したと八月十五日の思い出を 皆さんが 書いている。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~この作品たちは 書籍となっています。 詳しくは下記へ。・「私の八月十五日」私の八月十五日の会編・「少年たちの記憶」中国引き揚げ者漫画家の会編日本漫画事務局「八月十五日の会」東京都台東区駒形1-3-16駒形プラザビル4F Tel.03-3843-5618 ・ ・ ・ ・ ・余話ですが 行きの千葉駅から 旭駅へ向かう汽車の中で 向かい合わせた女子高校生に無理矢理付き合わせた アイスクリームのお礼に同じ降車の 旭駅で待っていた お母さんの車で 会場の図書館まで送っていただき。帰りは 図書館近くのスーパーで 遅い昼飯を買ってサービスカウンターで 歩こうと決めて 駅までの道順を聞いていたら横で小耳に挟んだ 通りすがりの奥さんが 車で乗せていってくれると。車内で話せばみなさん 「漫画家の八月十五日展」 まだ観ていないと。明日 ひょっとすると のべ観客が増えているかもしれないな?(残念ながら 千葉県旭市では 明日16日が最終日です)巡回展が 日本各地で 今後計画されていると思います。
2009年08月15日
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蒸し暑さの残る 8日土曜日東北新幹線で着いた 福島駅の10時半ば山形交通の観光バスに慌ただしく乗り換える。バスは一路 山形の 湯殿山へ。 ・ ・ ・先月末に 土日で身体が空くことが分かって予約したのが「12年に一度の丑年御縁年神秘の霊峰『出羽三山』奥参り」ツアー。湯殿山月山羽黒山を2日で 巡るお参りの旅でした。近くを 何度も通っているのに いまだに訪れたことのない お山。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~8月に入ったのに 梅雨明けにならない東北地方の気候そのままの 雨模様の三山でしたが幸いなるか 歩いてお参りする時間に限って雨も止み 神秘的な霧が立ちこめる異次元の空間を 体験する幸運に恵まれました。ぼくの心象的な写真のように見えるかも?でも その場で遭遇した そのままの 三山のスナップです。よろしければ ご一緒に歩きましょうか。では 雨具のご用意を お忘れなく・・・ ・ ・ ・湯殿山の 大鳥居ご神体の大岩に 裸足で登る。周辺いっさい 撮影禁止なので 残念ながら写真はありません。二日目 急峻な峠を登った先の月山八合目「弥陀ケ原」湿原。(標高1400メートルを越える)月山「中の宮」のお地蔵様鶴岡市に近い 羽黒山には国宝「五重塔」や三山を合祀した「三神合祭殿」や参拝客の 修行僧の 宿坊も多く残っていた。涼しさやほの三か月の羽黒山 芭蕉 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~慌ただしく 移動時間の長いバスの旅でしたがメモを見ながら案内してくれる まだ2年目という幼さの残るガイド嬢の 米沢弁もろ出しのつたない?案内には車内中 爆笑の渦がいつも いつも。彼女の最後のお別れの挨拶は「御笑止な!」(ごしょうしな!)米沢弁で 「ありがとう!」とのことでした。
2009年08月10日
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川向こうの 正面に見える クレーンが約90メートルに 立ち上がった「スカイツリー」です。隅田公園の 言問橋西詰めから 押上方面の 晴れ間を望む ・ ・ ・自転車通勤の 往復で すこしづつ見てきましたがやっと 写真で判別できように なってきました。2年後に 600メートルを越える タワーになるそうだがさて さて 単なる高さよりもお若い方々の 次の夢の 踏み台になれば いいですな。今後 機会があれば定期的に 報告させていただきます かな。
2009年08月03日
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シニア草野球仲間の お父上がひと月ほど前に 亡くなった。エレベーター前の掲示板で 「故人の遺志により 家族で密葬済ませました」と。二週間ほど後 仲間の有志で相談しご自宅のご霊前に 六人ほどで焼香に行ってきました。 ・ ・ ・同年代の草野球仲間ですから お父上もそれなりのご高齢でした。(わたしには お父上の記憶は おぼろげで ほとんど覚えていないのだが) ご家族にとって 悲しいことは当たり前ながらみなさま それなりの覚悟を決めた きっぱりとした雰囲気で我々の為に 茶の間に豪勢な お清め場を用意してくださってある。漫画家であった故人の遺品となった肉筆作品や 絵画や 書を いろいろ拝見する機会にめぐまれる。戦中から戦後にかけて そして最近のエネルギーをそそいだ 作品の数々は圧倒してくる。いずれ 多くの方に見てもらえる 回顧展のような企画ができれば いいな。 ・ ・ ・ ・ ・寡婦となったお母上と 昔話が進むうちに「古い写真があるのよ」と アルバムを出してくる。 最初のページを開いたら22歳と手書きのメモの上の写真は草の上にあぐら姿の十数名の青年たち。カメラ目線でなく それぞれが照れたように下や横をむいているその中央右下の 長髪の青年が 22歳のお父上だと。その隣の 背筋を伸ばして座る 黒ぶち眼鏡の年長の男は?なんと なんと わたしのオヤジではないか!戦後間もない頃の 町内会設立の打ち合わせ後の写真と・・・知りませんでした。オヤジが町内会会長で 友人の父上が副会長で 出発したなんて。二人がそんな関係だったなんて 知らなかった。いや~ 思わぬところで 40年前に逝ったオヤジと再会してしまったのです。 ・ ・ ・ ・ ・ご近所のご家族の 大事な部分にわたしの父が記憶の一部として 残っているなんて不思議で ちょっと嬉しい想いがする。もし ご焼香に行けなかったらこんな出会いも無かったわけで。これも ひとつの命のリレーかも しれませんね。
2009年07月29日
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生きている ということは 誰でも同時進行の 逆にある 死ぬ ということの 両峰の危うい 山の背 歩きを ず~っと しているのですね。 ・ ・ ・まあ こんな利いた風な 分かったような言葉を発してしまった が まあしょうがないか 心底 思ってしまったのだから。。。 つづけます。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~昨今 最近 昨日も「がん」を宣告された 再発した身近い 愛する人や 親友から「心配するな」の とびとびの 便りが届く健康体を 自慢していた「嘘だろ!」って ヤツからも ・ ・ ・ ・ ・「次の希望のステップに向かいますので 今までありがとう。 お便りは ノーサンキューです」とも~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~俺は 今のところ山の背を なんとか 落ちずに歩いているよう だが?でも 五十歩百歩 同伴者がいて なんとか登ってる友たちの 快復を 祈るばかり。
2009年07月27日
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小雨が降ったり止んだり 陽差しがちらっとのぞいたりはっきりしない もどり梅雨のような ここ数日の東京下町。いつもの自転車で(出かける前に 止めるか 電車にするか この判断が実に難しい)今夜 8時過ぎ 自宅にもどったら雨が中休みの北の空に 盛大な花火があがっている!「足立の花火」は 北千住近くの 荒川河川敷が打ち上げの場所なんです。隣町の我が家の団地の 隅田川に面した外部廊下は 特等席なんです・・・ ・ ・ ・・・・話は 飛躍しますが この東京では 大河といわれる「荒川」って 人工の川って ご存知でしたか? ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~荒川の源流は 秩父山系から今の 隅田川の流れ そのままに 東京湾(江戸湾)に流れている。その名の通り「荒ぶる川」は いつもいつも洪水を繰り返し橋が流されたり 沿岸は水浸しにそんな歴史が 平安時代から 江戸時代 明治へと。そして 明治の末に 治水計画として「荒川」の放水路を 新たに建造することが決まるこれは 重大な秘密事項だった。なぜなら 大規模な土地買収が必要で土地の高騰を防ぐために 内緒で 農地や宅地をとんでもない低価格で 買っていったそうだ。(この当時のドキュメントをしている貴重な本があるらしい。調査中なんです)平地に 新しい川の流れを大正時代のはじめから 約15年をかけて 開削された「荒川放水路」は 昭和の初めに ほぼ完成する。そのスタート地点が 北区の岩淵水門この水門によって 川の流れを 昔からの隅田川へ新しく開削された 荒川放水路へと 今も分けられている。二手に分かれた西の小さい川が 隅田川東の大きい川が 荒川。それ以来 隅田川はあまり暴れていない。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~「花火の落ち火」が 目の前の隅田川に映るのを目にして遥かな思いを 遡ってしまいました。今でも 我々同世代以上はあの川を 「放水路」 と呼んでいる。
2009年07月23日
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日曜日の夕刻 7時前だった外から 幼い姉妹の声が聞こえる「虹だよ キレイ!」「おおきいね」。東京下町の 南の上空に 見事な虹が右側に うっすらと二重の虹が。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~何十年振りだろうか 東京で虹を見たのは・・・子どもの頃は 何回も見た記憶があるようだがそれも はっきりしたものではないが・・・~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~西の空の黄昏は 久しぶりに空気が 空が 雲が はっきりと。蒸し暑い 夏の日の虹いつまでも 記憶に残るかな。。。
2009年07月20日
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「佐原の夏の大祭」が12日の日曜日に 行われました。江戸後期から 300年にわたってつづいている 佐原の祭り。各町内が祭り貯金をして 大事に補修しながら保存している 山車が10数台。夕刻七時の 『のの字廻し』がクライマックス。重さ3~4トンもある 大きな山車が 小さな交差点で左前の車輪を軸に 「の」の字を書くように 数回転する。いつのまにか最前列に押し出されて車輪に足を踏まれないか ギリギリのところで見物とあいなりました。その動きは ゆっくり スムーズに大人形や 提灯を 揺らさないように 廻すのが上手だそうで。(いやいや目の前ではすごい迫力でしたよ!) ・ ・ ・ところで この夏祭りを そぞろ歩いて目についたのは町中で 神社の境内で 裏道の角で元気できれいな 多くの少女たちでして~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ガラス越しに 昭和のマネキン女性も 見物していました。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~「佐原の大祭」は 3年に一度の大祭で さらに規模を大きくして今年の秋 10月9日(金)~11日(日)に 秋祭りが行われます。小江戸の風情と 歴史をつなぐ貴重な山車とそして 可憐な少女たちに 会えるかもしれませんよ。
2009年07月16日
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僕にとっては 日曜日は もっとも多忙な日なんですが数週間前に この日に限り 空き時間となることがわかりまして急遽 連れ合いと相談日帰りバスツアー「銚子で海鮮丼 佐原の大祭見物」に申し込み12日の 日曜日に 行ってまいりました。バスツアーの 企画の豊富さ 安価なこと 驚きですね!僕は 車の運転は大好きなんです でも 帰りの車中で一杯できるあなた任せの これって たまには最高ですね!~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~夕刻着いた 佐原の小野川べりは奥に見える正面の黒板塀は 「伊能忠敬 旧居」です。町中を 散策すれば江戸時代からの 商店が 保存・改修されて今も 現役で 営業しているのが うれしい。「和本」の本屋さん。(販売の本は無く観光用になっていたが)乾物屋さん。利根川を遡って 海と直結しているのだ。家具屋さん。たぶん明治の銀行の建物ではないかな?ごま油屋さん 店内。江戸末期の 商店の内部が現存している。 ・ ・ ・佐原といえば 「伊能忠敬」さん。東京の下谷の お寺にお墓が芝増上寺に 深川八幡宮に 立派な碑がある千住の宿では 測量の北へ旅立つ 歓送会が開かれた。これだけ 平民が名を残すことって そうは無い。婿に入って 商売を成功させ 家禄を 息子に継ぎ50歳で引退 (今で言えば 70歳位になるか)江戸へ単身 科学の道を究めるべく 移り住む。そして 勉学の後 ほぼ地球一周の距離を 歩き測った こんな 男が かって いたっ! のだ。知識では 分かったつもりだったが彼の土地を感じて また 思いの温度が上がってきました。。。
2009年07月15日
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ふとした時にかなり昔の記憶がよみがえり妙に気になることが 最近 多いのです。 ・ ・ ・長々と 伊豆七島の神津島の「突棒(つきんぼ)漁」を書いてきましたが この記憶がよみがえった きっかけはテレビのなんと言うことも無い「まぐろ漁」の番組を見ていてそういえば 『あの時の 若い漁師さんは どうしているかな?』と思ったことからなんです。記憶の連鎖が つぎからつぎと自分でも 思いがけないほど 繋がりまして長くなりました。 ・ ・ ・ 「突棒(つきんぼ)漁」から帰ったその夜私たち撮影隊と 漁師の方々と 港に近い居酒屋で一杯やりまして前に座った 若い漁師さん(僕と同じ若輩もの)はいま「つきんぼ」の修行中だといっていた。無口でシャイな彼が すこしづつ語ったのは島の高校卒業後 都23区内(伊豆七島も東京都ですので)の会社に就職したけどやっぱり 漁師になりたくて 数年前に帰ってきたと。大きなカジキを 仕留めたいと・・・。居酒屋の窓から望める 目の前の夜の港に係留されている 小さな 小さな漁船からはほのかな室内灯が 揺らめいている。彼が教えてくれるには「あの船は 九州の港町から まぐろやカジキを追って 夫婦ふたりで一本釣りを 半年は航海している」そうだ。まだ 彼と飲みたかったが夫婦の漁船から 灯が消えたのを潮に「また機会があったら会おう」と 切り上げた。 ・ ・ ・「あの時の 若い漁師さんは どうしてるかな?」「小さな一本釣りの漁船の ご夫婦は どうしてるかな?」 ・ ・ ・はるか むかしの 夏の思い出でした。了(数日に渡ってお付き合いいただきまして多謝です!)
2009年07月13日
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早朝 港を出てから バンバン海面をたたいて高速漁船は 太平洋の中を進む。島影も遥かな沖合 白い波が大きくぶつかる潮目で急に エンジンを低速にし 漂うスピードで 流す上下左右に 不規則に揺られて はや3時間ほどか。それでも 何事も無く過ぎてゆく。暑い日差しの大海原は キラキラ輝きつづけている。 3人の漁師は 無言。船上はピーンとした緊張感が張りつめている。舳先(へさき)の 若くたくましい漁師は何本かの 銛(もり)を慎重に手にとったり不安定な身体を 唯一支えてくれると思われる先端のサンダル状のベルトの足入れを 調整している。時々 聞こえる人の声は操舵室の年配の船長の 仲間の船と交信している声だけ。見上げれば 柱上の 褐色に日焼けした中年の漁師は左右の遠い海面を ゆっくり じっくり 凝視している。サングラスもしないで 裸眼で何キロ先を見ているのだろう?僕は 海の男たちに見とれて まったく船酔いの気配もなし。何も起こらず 朝の9時頃 昼食のにぎりめしを4人で。「船酔いしないか?食欲はあるか?」と気を使ってくれる。こちらこそ 真剣勝負の仕事の邪魔になっていないか気がかりだ。「まったく見つからない日もあるさ。一本上げたら 祝い酒だよ」とも。ちょっと ほっとしたり 悔しさも感じる。再開して 1時間を過ぎた頃そのときは 突然に起こった!大声が柱上から「アラホヤ~っ!トットッ~(正確には覚えていません)」その声を合図に 船は急発進! 僕の身体は後ろに1メートルほど飛ばされる全開のエンジンがうなりを上げ 高速漁船は波を蹴破ってドカ~ンと突進する柱の上の漁師は 前方を指差し 両手をつかって進路を指示しているその手を見上げながら 船長は忙しく操作するつきんぼの漁師は 中腰の姿勢で銛を小脇に抱えている 何分たったか覚えていないが(30分ほど突進したか)這いつくばって近寄った舳先から 疾走する姿がみえてきた一本の角を突き出し 水面ぎりぎりを 懸命に走るカジキが!銛を両手で持った漁師が 海に突き出した板のベルトに足を入れ 立ち上がる目線が少し下がるたびに 銛は高くなる船尾に近い操舵室からは 舳先直下のカジキは見えない忙しく手を振り 「ホッホッホーッ」叫ぶ柱上の大声にそって船は 左右に振れ 減速したり加速したり大きく振りかぶった銛の先で 獲物の位置が だいたい分かる何回目かの 真下に狙いを定めた銛がついに 打ち込まれた!直後 ピーッと鳴り響く信号音! これが 電気だ! やった!舳先から 覗き込んだ 真下の海面の数メートル下をでっかいカジキが ス~ッと左の船底の方角へ潜っていく背中に 銛の姿はない。打ち込んだ銛の角度が浅かったのかカジキのフェイントが上手だったのか電気ショックは 効かなかったようだ。しばらくの静寂の後ふたたび 3人の漁師は 元の体勢に もどっていったハンティングは すぐに つづくのだ。この後 数時間の間に 同じ体験を もう一度して夕刻 港にもどる。10艘ほどの船団で この日上げたカジキは 60キロの1本だったそうだ。 ・ ・ ・ つづく
2009年07月13日
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まだ薄暗い 早朝4時過ぎ港をつぎつぎに 最新の高速漁船が 5艘 6艘と飛び出していく。その中の1艘の 船尾(とも)に 僕はへばりついたように座る。出港して間もなく 漁師さんのひとりが酒の一升瓶をとりだし 栓を抜いて 港内の海に流しだす安全と豊漁を祈願しているわけで厳粛な気分になり 思わず手を合わせてしまった。 ・ ・ ・「突棒(つきんぼ)漁」とは魚の中で 最速で泳ぐといわれるカジキは春先から 黒潮に乗って 沖縄方面から九州、四国の沖合を通り夏頃 ここ伊豆七島の神津島近海を抜け 北へそして 冬にまたもどっていく。カジキは 小魚を追って回遊するので潮目の強い いつも波立っているところに多く波の上に ちらっと見える 背びれだけが 見つけるポイント。 おおきいカジキは80キロほどにもなかには100キロを越えるものも たまに上がるそうだ。あがったカジキは すぐに下田に運ばれ その日のうちに築地へ。この最速のカジキに 追いつけるように建造された高速漁船には 3名の漁師が乗り込む。舳先(へさき)に立って 銛(もり)を打ち込む男。船の真ん中の 高さ5~6メートルの柱に取り付けられた篭に乗るカジキを見つける男。そして 船を自由自在に操る 船長。この3人の 絶妙な連携で大海原にちらっと見せる カジキの姿を とらえたら全速力で 監視役の指示に従い 背後から追いかけるカジキの真上に達した瞬間 せりだした舳先から電気コードを内蔵した 大人の身長ほどの銛を 打ち込む命中したと同時に 柱上の監視役の漁師が 高電圧のスイッチを入れるショックで 気絶したカジキを 取り込む。漁場まで向かう 上下に大きく揺れる甲板で無口な漁師さんが 少しづつ話してくれた説明と立ち働く姿から 想像すると こんなことらしいが具体的な映像としての イメージが浮かばない。 ・ ・ ・ つづく
2009年07月12日
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ふとした時にかなり昔の記憶がよみがえり妙に気になることが 最近 多いのです。 ・ ・ ・たしか 昭和50年頃の 今頃だったと伊豆七島の「神津島」に撮影の仕事の立ち会いで行ったことがありました。それは 当時 最新の強力なナイロン糸を応用した意外な製品の中に「漁網」があることをちょっと楽しくレポート風に紹介する内容のテレビのミニ番組で企画の一員だった僕がロケに同行することになりまして。神津島では「たてきり網漁」といって沖合程近くに U字形に漁網をたらし 潜った漁民や小型の船がおもにタカベという近海魚を 追い込んでいく漁が行われていたのです。水中撮影を多用して 美しい映像を交えながら珍しい漁の模様や ナイロン漁網の特性を紹介していく企画。 神津島漁協の全面協力を もちろん事前に頂いていましたがただし ひとつ条件がありました。「もし カジキがきたら つきんぼにするので その時はごめんなさい」。つまり 漁として まったく漁獲高がちがう一発勝負で 100万円単位の幸運もあり得るカジキの「突棒(つきんぼ)漁」に 変えますと。当然ですとお答えして7~8名のクルーは神津島に入りました。撮影予定前日の夕刻 スタッフがそろった宿に漁協の方がみえて「明日 近海にカジキがくる情報が入った」。「たてきり網漁の再開は カジキの様子を見てから」。 「つきんぼ船はかなり揺れるけど よければ 1名なら乗船してもいい」と。僕が手を挙げて希望したら スタッフと漁師さんから了解してもらえまして。もし僕に何かあっても 仕事の現場にそれほど支障がなかったわけで・・・貴重な体験ができることの幸運を 態度に出ないよう隠しながら期待を胸に翌朝を迎えたのです。 ・ ・ ・ つづく
2009年07月11日
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ここ東京下町は ほんとに 久しぶりにお日様が 顔を見せてくれました。蒸し暑さと サイクリングで 汗びっしょりの身体に黄昏の 川風が なによりのご馳走でした(笑)。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~浅草の「桜橋」の上は夕涼みする人 犬の散歩のつきそい人 家路を急ぐ人びとが。空は 蒼色を すこしづつ 確実に消しながら不安定な 雲が 刻々と表情を変えながら 急ぎ足で走っていく。7時前の 3分ほどの 3景です。みなさんにも 涼風を とどけ! ・ ・ ・ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~昨日 友が贈ってくれた 音楽CDを聴きながらこれらの 橋からの黄昏の写真を見ていたらもう なぜか 感激してしまいました。(決して写真が云々でなく 歌の素晴らしさに酔っているだけなんですが)それはIl Divo(イル・ディーボ)という イタリア人の男性4人グループオペラとポップスを融合したという 豊かな声量とハーモニーが素晴らしい。わたしは初めて知りましたが すでに世界的に有名らしい。ラテンの熱い心と 日本の川もとっても いいハーモニーを奏でるではないか と 思う次第です。
2009年07月07日
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雨が降れば 自転車に乗れずならば それなら 往復の電車は 読書タイムだ! と!これはこれで 実に楽しい のだ!~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ここ 数週間に読んだ本で ご興味があればと ご紹介したいのは「若き数学者のアメリカ 藤原正彦」(青年の強烈な体験記であり、己を確立する出発点の記録だったのだ・・・理系と文系は両立している)「納棺夫日記 青木新門」(生と死をここまでリアルに体験して熟考すると宗教家も唖然とするのでは? 明るい本ですよ!)「孤独な噴水 吉村昭」(ボクシングを素材にしている痛烈な青春ドラマ。ポール・ニューマン、ロバート・デニーロも共感するのでは?)「昭和史戦後編 半藤一利」(昭和20年代から30年代までキッチリ総括すれば・・・記録と体感で語る)「辺境・近境 写真編 松村映三&村上春樹」(コンビで世界・日本を旅していたんだ・・・もう一つの村上春樹が見えて)「一茶 藤沢周平」(松戸馬橋で本格的に俳句の修行・・・故郷信州で2万句の句を残して・・・)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~なにが 心に残ったか書き出すと とりとめもなく 長くなりそうで・・・後日 だらだら 書くかもしれませんが今日のところは『本』って とっても面白いですね!ということで。じゃ 雨の日も お元気で!
2009年07月05日
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こないだの日曜日 雨が降り続いた午後東京の下町 荒川区南千住図書館の視聴覚室でノンフィクションライター 沢木耕太郎さんの 講演会『吉村昭について』が ありました。5月の荒川区報で知って 喜び勇んで 申し込み幸いに 参加できたのでした。ここひと月ほど この日を 期待に胸膨らませて 待って いたんです。雨が降ろうが 槍が降ろうが(ちょっとオーバーですかね)てな 気分で。。。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~吉村昭 と 沢木耕太郎おふたりとも わたしにとって 大好きな作家さんでそれなりに 両作家の著作を 読んでいましたが どうしてふたりが? どんな接点が? と 不可解な思いでいました・・・ら ● ● ●60歳すぎには 到底思えない ジーンズと白いコットンシャツのスリムで(もう少し筋肉質かと想像していましたが) 若々しい 歯切れのいい 口調の沢木さんが冒頭に「みなさまも どうして? 繋がるの? 思われているでしょうね?」と 主催者が自分を招聘した本音を暴露 「実はボクシング繋がりなんですよ」と。その 言葉は 逡巡がない スピードのあるジャブのごとく。1990年 月刊誌『Number』(文藝春秋)で ふたりは「ボクシングに酔い、時代に出会った」と題する対談を行っていた。ところが そんな暴露話は さっと切り上げ沢木さんの 語りだす話は 単なる思い出話ではなく文学論 ノンフィクションと小説 言葉と文字の選択作家としての立地点 そして 吉村昭と自分 を1時間半にわたってクール(それが熱かったのだが)に 語られた。芥川賞に 4回ノミネートされたが 落選した短編作家の 吉村さんの最初の長編が「孤独な噴水」で 若いボクサーを主役にした小説。沢木さんの 推測では この「孤独な噴水」がその後の 緻密な 取材による小説作法を確立した 転換点の作品では と。そして「戦艦武蔵」から 「時代小説」へと 変遷していった吉村昭の背景を 自信たっぷりに 己の意見を嫌み無く開陳する沢木さんの 男らしさに(たぶん吉村さんの姿を重ねて) 心地よかった! ● ● ●余談:沢木さんが小声で話された文壇といわれる方々とはまったくといっていいほどおつきあいはないが親しくしていただいた方は「山口瞳さん」「吉行淳之介さん」と「吉村昭さん」ぐらいですかね。と。(いいないいな!好みが合うぜ)沢木さんの 「バリ島」を旅する フォトエッセイが雑誌「日経OFF」で 連載されている。行きつけの蕎麦屋に それを読みに通う。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~荒川区南千住にある「荒川ふるさと文化館」では企画展『作家・吉村昭のふるさと』として7月20日まで彼の著作の数々や 直筆の原稿や妻の作家・津村節子さん提供の 愛用品などが展示されています。
2009年07月01日
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ここ東京下町の 荒川区南千住汐入の隅田川にかかる 水神橋のそばに「旧防潮堤」の一部が 保存されています。高さ 4メートルほどでしょうか?この高さの堤防が 隅田川の両岸を 数年前までず~っと 囲んで 水害から守ってくれました。案内板を読むと『昭和32年から始まり 昭和50年に完成した』と~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・「旧防潮堤」を 眺めていたら 子ども時代の記憶が一気によみがえって きました。。。 ・ ・ ・20年以上に渡って 高い堤防にする工事が つづいたわけですがそれは わたしの小学生から そして 社会人になるまでに重なるのです強く残る記憶は この「旧防潮堤」の 半分ぐらいだった 「低い堤防」時代台風が接近して 増水したときは 堤防の上から 水に手が届きそう刻々台風情報が流れる ラジオを囲んだ 町内会役員の大人たちが緊迫した声で「南風と満潮が重なりそうだ。川の様子を見に行きましょう」と話し合っている・・・ひとりの おじさんが「ぼくも 行くか?」と一緒の偵察隊に混ぜてもらった ことが 昨夜のことのようだ汐入の名が示す通り 満潮時には 河口から潮がみるみる上がってきますもちろん 今でも この潮の流れは変わりませんかなりな早さで 川上に 水が流れるのです中学生の野球部時代は 川に飛び込むボールを拾いにたいした当たりじゃないのに 低い堤防を 軽々と越えていく膝下あたりまで ズブズブどろを踏んでこの「低い堤防」が 時代とともに だんだん見えなくなる出来上がった 高い堤防で 川面は見えない高校生くらいから 隅田川を見ることが少なくなった安全と引き換えに 「高い堤防」が隅田川と 隔離されたような~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・そして 今平成18年2月に 完成した「スーパー堤防」・・・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・『川は 母のごとき 存在』 あらためて思うこんな ありがたい環境に 心から感謝!と思う 梅雨の中休みの 蒸し暑い一日でした。
2009年06月23日
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梅雨の真ん中 時に 柔らかい日差しが日々 微妙に変わる 紫陽花の花びらにピンスポットのような 照明が当たる。今この数日が 主役の 彼女たちです。。。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・ご近所の庭の向島百花園の隅田公園の向島百花園の向島百花園のそして 墨田公園の~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・土曜日 向島百花園に この時期 初めて訪れたら鉢植えの 小振りな紫陽花が 一角に並んで展示されていました。初めて知る 珍しい種類が ずら~っと(残念ながら 暗くて風に揺れる花を 上手に撮影できず)参考までに その種類の名前だけを 羅列しますと・ 姫紅額 ・静香 ・霧の三彩 ・深山八重紫 ・伊予の十字星・ 雨あがり ・剣の舞い ・えぞ濃青 ・黒姫 などなどなんと 味のある 風流な名ばかりでしょう。世の中 細部に こだわって 革新のために 精進している人が一杯 いるんですね!
2009年06月21日
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いままで 通勤途中 気にもせず 通り過ぎていたのだろう・・・東京下町の 台東区今戸の 街角でふいに 背後から声をかけられた気配。後戻りして見たら・・・ 「慶養禅寺」の 山門前に~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・『あ』『うん』~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から引用 一部改訂 ・ ・ ・阿吽(あうん)は仏教の呪文(真言)の1つ。悉曇文字(梵字)において、阿(あ)は口を開いて最初に出す音、吽(うん)は口を閉じて出す最後の音であり、そこから、それぞれ宇宙の始まりと終わりを表す言葉とされた。また、宇宙のほかにも、前者を真実や求道心に、後者を智慧や涅槃にたとえる場合もある。次いで、対となる物を表す用語としても使用された。特に狛犬や仁王、沖縄のシーサーなど、一対で存在する宗教的な像のモチーフとされた。口が開いている方を阿形(あぎょう)、閉じている方を吽形(うんぎょう)と言う。転じて、2人の人物が呼吸まで合わせるように共に行動しているさまを阿吽の呼吸、阿吽の仲などと呼ぶ。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・さてさて「あ・うん」 を 会得できれば 最高ですよね!さて どうすれば いいのか・・・理想をイメージして 今日も 探ろうか。 と ・ ・ ・さっそく まずは 帰り道からやってみまして単純さの極みで 声に出して 「あ」 「うん」をしゃべっていました。(無言では表現できず 変な人? 振り向かれ?)でも 結構 自分を客観視するのに 効果がありますよ!~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・今夜の 拙速な結論ですが 「あうんの呼吸」を期待しているのは 相手の心 ならばそれは どれだけ 相手の心を思い 推測し 共有しているかそこが ポイントだ。と 思いました。
2009年06月17日
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東京下町 隣町の北千住を 久しぶりに ぶらつくと宿場通り(旧日光街道)は 相変わらず 多くの人で賑わっていました。活気のある町は 元気をもらえて嬉しいですね(笑)。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・氷川神社前の 狭い路地をのぞいたら路面に チョークで 白い○が いくつもつづいている。つられて入っていけば 小道一杯にのびのびした 自由画が!駅からほど近い 繁華街のまっただ中にこどもの 遊び場を発見して ますます 嬉しくなった(笑)。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・これだから 気ままな散歩は やめられないな! とこの少女たちの遊び場の 一本となりの路地で見つけた陶芸教室と喫茶店が 一緒になった民家で1年前にオープンしたという 女性オーナーと世間話をしながら思いを新たにした のでした(笑)。これだから 気ままな散歩は やめられないな!
2009年06月13日
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ここ東京下町も 梅雨入りしたようだ。先週から 雨模様の日が続き自転車通勤を 断念している日が 多くこんな日々は・・・ 忌野清志郎さんと イメージで 一緒に走っていた。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・ ロッカー忌野清志郎は 実は本格的なサイクリストでした。沖縄本島一周に挑戦したり いつも子どもと 走っていたそうで自転車を 心から愛していた。6月9日は 「ロックの日」と知って それじゃっと その夜おもわず 選んだのが You Tubeの清志郎。やっぱ やっぱ 「サイクリング ブルース」 最高だぜ! ・ ・ ・ 『急な下り坂 横風にあおられ ぬかるみに コトなきを得て ほら また聞こえる 風の中に 祈りを捧ぐ 大いなる サイクリング ブルース 風の中に 高鳴る胸に 大いなる サイクリング ブルース』~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・昨年2月 テレビの「ガンからの復活ライブ」で 嬉しく驚きあらためて その変わらぬ ストレートな声と歌詞に感動した。その彼が また You Tubeで 再生していることに 涙している。「誇り高く生きよう」なんて 最高だぜ!!!!
2009年06月12日
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作家 半藤一利さんの著作「幕末 辰五郎伝」に 出会った。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・まるで 講談を聞くような(お若い方はご存じないか?)小気味よく テンポの良い 一席うかがった気分。幕末 浅草一帯の町火消し「を組」の頭 新門辰五郎。命知らずの男気と 面倒見の良さで 評判をとった辰五郎は実は 上野寛永寺の山主であった輪王寺宮の 家来が本業で(親の代から)輪王寺宮が 浅草寺の伝法院に滞在したときに作られた新しい門の警護を仰せつかったことから 付いた名前が 「新門」という。「半藤の辰五郎」は 少しの小説的なイメージを 織り交ぜながらベースは 史実に基づいた 幕末の激変を活写する。 ・ ・ ・辰五郎が仕え親しくした 一橋慶喜(最後の徳川将軍)をはじめ勝海舟 土方歳三 山岡鉄舟 清水次郎長・・・との交わり。わたしは 辰五郎が 彼らとほんとに好誼し 愛していたと信じたいナ!~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・4年ほど前から 週に1~2度は 通勤途中にお参りするお稲荷さん(以前このブログにも何度かご紹介しました)浅草 三社様の裏手にある「被官稲荷」は新門辰五郎が 妻の重篤な病気快復を京都伏見稲荷に願をかけ 願いがかなった御礼に安政二年 当地に建立したのが この小さなお稲荷さん です。今日も 仲のいい 夫婦が・・・
2009年06月10日
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目の前に 一品一品の 量はそれほど多くないがたとえば 西欧 日本を代表する それも近代から現代にわたった ごちそうが 一度に出てきたらさてさて 困ってしまう。。。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・そんな 贅沢な戸惑いを覚えたのが東京都美術館で開催中の 「日本の美術館名品展」でした。ゴッホの「雪原で薪を集める人びと」ピカソの青の時代の「青い肩かけの女」 独自の表現を確立した「ドラ・マールの肖像」シャガールの「オルジュヴァルの夜」エルンストの「森」ベン.シャーンの「スイミングプール」などなどが つぎつぎと 目の前に!さらに 次の部屋に行けば岸田劉生の「冬枯れの道路」藤田 嗣治の「アントワープ港の眺め」梅原龍三郎の「紫禁城」片岡球子の「面構 等持院殿」などなどその展示室の空間には 彫刻のイサム・ノグチの「発見の道」佐藤忠良の「帽子・夏」などが さりげなく 強烈に存在しさらに現代作家の 数々が あふれている・・・ ・ ・ ・あまりの ごちそうに とても一度に食べられずすっかり疲れてしまい 気になった 作品だけを今日は 少しずつ 丁寧に頂くことにして見逃した 作品たちにはあらためて テーマを決めて 再見することにいたしました。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・日本全国の 公立美術館100館の代表的なコレクションの一部が はじめて一同に公開された企画だそうです。日本にも 世界で貴重な芸術作品が 数多く収集されているんですね。ということは 日本各地の美術館にいけばたとえば 福島県立美術館では ベン・シャーンの作品たちを見れるわけだ。日本中の 美術館博物館写真館めぐりできれば いいな! やりたいな!「日本の美術館名品展」は 上野の東京都美術館で7月5日まで 開催中です。可能な方は 体力気力を充実させて 挑んでください(笑)。
2009年06月03日
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間もなくやってくる 6月22日は昨年発売された 『ドリームジャンボ』の当たり券 支払い期限の最終日です。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・今日のスポーツ新聞で知ったけど いまだに!!!!!1等 2億円が 2本2等 1億円が 8本換金されていない! そうだ。驚いたね! 多分 忘れているか 知らないんだよね。この期限を過ぎたら 換金は不可能で 自治体の公金になるそうだ。(ちなみに 2007年度に無効となった総額は 233億円だった)!!!億万長者になったのに 知らない人が いっぱい いるんだ!!!~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・あなたの タンスの引き出しのいや 神棚の 仏壇の 一番後ろ 米びつの底 アルバムの裏・・・その その! 宝くじ 当たっているかも!!!~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・妙に 数十年振りに 急に勝負事に 挑戦してみるかと 競馬の予想に走りWING浅草へ明日は ダービーだぜ!当たり馬券は飲み屋への誘いで 判明するから請 ご期待。と!
2009年05月30日
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新宿西口の 高層ビル42階に麗子がいるという・・・会わないわけには いかないぞ。と 出かけてまいりました。はいはい そうです。「没後80年 岸田劉生 肖像画をこえて」~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~強烈な印象を残して 大正時代を走り抜けた岸田劉生の肖像画にしぼった展覧会。期待に違わず 80点もの「自画像」と「家族・知人の肖像画」を連続して見ていると 独自の写実の追求と変遷がなんとなく 分かってくるから うれしい。有名な 娘の麗子像の連作と 同時に漁師の娘の於松(おまつ)も ずいぶん描いたようだ。ふたりの童女の 油絵から 水彩画やデッサンも展示されている。水彩画なのに あの有名な赤い着物が 色鮮やか!そして 常設展示コーナーには 初期の風景画でゴッホの影響を強く受けた「虎ノ門風景」があった。 ・ ・ ・ ・ ・「没後80年 岸田劉生 肖像画をこえて」は新宿西口 「損保ジャパン東郷青児美術館」損保ジャパン本社ビル 42階7月5日(日)まで開催中です。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ところで 実に久し振りに 新宿西口にそれも 夕刻から 身体が空くという 幸運!ではと 喜び勇んで 西口線路沿い 大ガード方面にありましたね! 細い路地にひしめく屋台の数々今は「思い出横丁」だって そのむかしは「しょんべん横丁」といってたよ。たしかに どの店も清潔 こ綺麗になってる値段は それほど安いとは思わないが「レバ刺し」「刺身」「焼き鳥」みんな新鮮でボリュームあり やっぱりお得感あり!幼い麗子に ちょっと乾杯しなきゃ! とわけのわからない理由をつけて・・・夜の新宿は更けていきました。
2009年05月29日
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夜型のわたしですが たまには早起きをします(笑)。早朝 川辺を ぶらぶらすると清涼な日差しに輝く花々や走る人々の姿が 新鮮だ。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・仕事前に走る人すでに 仕事で行き交う船たちが 頻繁に。パトロール船が かなりなスピードで走り去る。自転車通勤の人か?今日も一日 がんばりましょ!~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・身の回りでは 社会的に気の重いことや 鬱陶しいことや病気のことや 心配事がつきないけどさわやかな五月の風を いっぱいに吸ってあかるくやっていくと しますか! ね!
2009年05月26日
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今月に入って 2週間ほどのあいだに通勤や外出の途中に 出会った公園や道ばたの花たちです。緑の少ない 東京下町ですがいやいや よく見ると 花の展示会みたいですよ(笑)。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・江東区の木場公園内のポピーたち「エンジェルイヤリング」同じ木場公園内の小さな植物園で「カタバミ」台東区の隅田公園で「アジサイ」の咲き始め荒川区の汐入公園で もう見つけましたよ今日 中央区の浜町公園そばの 道ばたで~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・山野草とは違いますが 日本では文京区の小石川植物園だけにあるというはじめて見た「ハンカチノキの花」です。 ・ ・ ・この季節 身近なところに見所が いっぱいあるんですね。道草が たのしみになりました(笑)。
2009年05月18日
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隅田川にかかる 橋の一つ清洲橋の ある日の夕刻近くの 姿をいくつか ご紹介。ドイツ・ケルン市にあった大吊り橋をモデルにして昭和3年 優美なデザインの橋が完成しました。2007年 都道府県の道路橋として初めて勝鬨橋・永代橋と共に 国の重要文化財(建造物)に指定されました。美しく 優しく そして 力強い 大好きな橋です。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・このブログを書くので ちょっと 隅田川の橋を調べてみましたら大正12年の関東大震災の後 復興事業としてこの時期に集中して 多くの橋が立て替えられたようです。それらを 時代順に羅列してみますと・・・・ 永代橋 大正15年(昭和元年)・ 千住大橋 昭和2年・ 駒形橋 昭和2年・ 蔵前橋 昭和2年・ 言問橋 昭和3年・ 清洲橋 昭和3年・ 厩橋 昭和4年・ 白鬚橋 昭和6年・ 吾妻橋 昭和6年・ 両国橋 昭和7年どの橋も 建造には2~3年かかったのでしょうから時を同じくして 隅田川のあちこちで 工事が進んでいたわけでスケールの大きな光景が 想像されますね。。。
2009年05月15日
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久しぶりに晴れた 夏日の土曜日愛用の ロードサイクルで東京の北 千葉県の松戸がある 北総台地に用足しに行ってきまして。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・往復40キロほど。ゆっくりと 急坂をのぼり 降りる。木立を抜ける 風が心地よい。今まで 車でしか通ったことがないのであたらしい 小道の 民家の 神社の 発見がうれしい。東京の大河 江戸川と荒川の河川敷のサイクリングロードでは多くの本格的な装備のライダーが かなりなスピードで走っている。中高年の方と お若い女性が 急に増えたように感じました(笑)。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・写真が少ないのは・・・そうなんです。汗をかきながら 帰りの時間を気にして 走ることに集中カメラを構える余裕がなくなってしまったのです(苦笑)。普段の平らな道の 30分くらいのサイクリングでは身体が なまっているようで。。。「明日から もうちょっと 鍛えるかな」 と銭湯で汗を流し 居酒屋で一杯やりながら かすかに思うのでした。。。
2009年05月10日
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5月5日の こどもの日 の翌日六本木の国立新美術館へ 「ルーブル美術館展」~美の宮殿の子どもたち~ に行ってまいりました。雨の 落ち着いた GW最終日。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・俗にいう 目玉になる 世界的な大作があるわけではありませんがルーブルの作品展は 「世界の永遠の子ども」がテーマです。紀元前1000年以上前の 中東から出土された「授乳する母と子」の像や書字板(ノート)を持つ紀元前から中世の 教育を受ける 子どもたち。色鮮やかに彩色された 棺と 「少女のミイラ」。幼児期は 女性の服装で育てられた中世の 王侯貴族の男の子どもたち。 ・ ・ ・ゆっくり 見て 解説を読んでいるうちに大人目線で 造られた作品の数々に子どもへの 愛情はもちろんですが時代を経るごとに 宗教的 政治的な思惑がすこしづつ 露骨に 入り込んできていることをはっきりと 感じました。その意味で とっても 貴重な企画展示だと思う。「こどもの日に考える 大人の日」だったようだな。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・公開は6月1日まで。「子どもたち」は 待っていてくれますのでご興味を覚えた方は ぜひ 会ってみてはいかがでしょうか。
2009年05月07日
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地下鉄千代田線の 千駄木駅を降り団子坂をのぼり 中程を右に折れた先に関東大震災 東京大空襲を乗り越えた「旧安田楠雄邸」がありました。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・ 大正8(1919)年に 「豊島園」創設の実業家 藤田好三郎氏によって建築された邸宅。 関東大震災後に 安田財閥の祖・安田善次郎氏の娘婿である 善四郎氏が購入し 平成7年長男の楠雄氏が亡くなるまで 楠雄氏夫婦によって住み続かれた。 江戸時代以来の伝統的な日本住宅の特色がよく残っており 和洋折衷で数寄屋と書院造りを取り入れた 都内に少ない近代和風建築の代表格。 財団法人日本ナショナルトラストに寄贈され 平成15年より3カ年で建物の修復工事を行い 平成19年4月から公開されている。サンルームを併設した洋風の応接間茶室を角にもうけた 庭を一望する客室茶の間の向かいにある台所です。この立派さには ちょっと驚きですよね。流しと冷蔵庫とガスレンジをそなえた近代的なシステムキッチン!北側なのにガラス張りの天井からサンサンと陽の光が。二階からの庭園の一部です。庭は未整備ということは 暮らしていた当時のままなわけで古木に歴史と生活まで 連想してしまいました。貴重な建造物は ボランティアの方々の丁寧な解説付きで見学できますよ。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・● 公開日:水曜日・土曜日 10:30~16:00(入館は15時まで)● 入館料:大人500円* 文京区のコミュニティバス「B-ぐる」の一日乗車券を提示すれば400円。実は またまた一日乗車券(300円)を利用してほかにも 小石川植物園や 白山神社なども散策して参りました。便利でお得なものがあるんですね。よろしかったらお試しあれ!
2009年05月05日
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ゴールデンウイークの始まり まったく気ままにしばらくご無沙汰の 東京下町 神田の神保町に 足を向けました。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・多くの方が 古書店街を訪れているいいな いいな 嬉しいな!(お客の皆さんの目に力があるんですよ)わたしも 気になった 数冊の本を購入して早く読みたくて かすかな記憶を頼りに 喫茶店を探す・・・ありました! 音楽喫茶「ミロンガ」。経営者は変わったようだが 店内は同じタンゴの 繊細な哀愁の調べを 最高の音響装置で奏でてくれましたよ。小1時間を 読書タイムに使い。。。 ・ ・ ・お茶の水駅まで 裏道 坂道 散策して次の 読書場所を 探せば 偶然 見つけました!狭い 路地裏の 「画廊喫茶 ミロ」年配のおカミさんが お手製のサンドイッチやケーキを いまも。ここでも 読書タイムを 1時間。遠慮がいらない 贅沢な時間を提供してくれるスペース。今 貴重な場所ですよ。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・ここまでくれば江戸時代の最高学府 『湯島大聖堂(昌平坂学問所)』を一度は 訪れなければ と「孔子」の像と 「かいの木」が五月の陽光に輝いて 目一杯 光っていました。。。 ・ ・ ・こんな 休みの過ごし方もあるのでは・・・という たとえばの お話でした。(笑)
2009年05月02日
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満開の桜から 新緑の並木に衣替えした隅田川の東側 墨堤通りを 通勤で久しぶりに走りまして。ここちよい日差しと風が 伝われば嬉しいな。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・桜橋のほど近く 三囲(みめぐり)神社の前あたりです。かたわらの 花壇には ひなげしが揺れている。ポピー 虞美人草とも呼ばれる可憐でありながら 秘めた情熱を 感じる花ですね。有名な 長命寺の桜もちのお店も すぐ近くにあります。実は 最近初めて知ったのですがここで かつて 正岡子規の恋物語があったそうなんです。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・半藤一利「隅田川の向こう側」の 「夏目漱石」の項に ・ ・ ・ 正岡子規は明治二十一年の暑中休暇を、七月から九月まで、 向島は長命寺の桜もちで過ごした。二十二歳。年譜では長命寺境内 月香楼に寓すとあるが、そんな名の宿があったわけでなく、桜もち の二階を勝手に自称して下宿したわけなのだ。 おろくさんという評判の美形の娘が桜もちにいた。子規がその娘 に恋をしているとの噂が立ったが、当人は翌年五月、向島での感興 を種々の形式(漢文、漢詩、短歌、俳句、謡曲、論文、擬古文小説) で表現した作品『七草集』を完成させ、その中で、根拠のない戯れ事 にすぎぬと、もっぱら弁解につとめている。このあと 友人の夏目漱石が この『七草集』を読み触発されて 漢文で読後感を書いた・・・話がつづくのだが半藤さんは末尾に さて、この恋はあったのか、単なる噂だったのか。子規は死ぬまで 妻帯せず浮いた話もない。そして、ほぼ十年後の夏、おろくさんは 嫁いでいなかったらしい桜もちを再訪し、子規は一文を記した。 (中略) 「此夕、知らず月は如何なる人にか忍ばるべき」 これでも単なる噂ばなしに過ぎなかったのか。 ~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・「長命寺の桜もち」 これからは 子規の恋物語を想像しながら いただくとしますか(笑)。(余話ですが、半藤さんの奥様は夏目漱石のお孫さんなんですね。 このあたりの飄々とした話が面白い)
2009年04月29日
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東京23区で一番小さな区 台東区内を走る小さなコミュニティーバス「めぐりん」に はじめて乗ってみました(笑)。「めぐりん」は 3コースありまして「北コース」「東西コース」「南コース」の3路線。わずか半日の旅でしたが 中身の濃い 楽しい散策となりましたのでご参考になればと さら~っと ご報告いたします。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・昼前に 上野駅前から「東西コース」へ乗車下谷から上野のお山へ登り 国立博物館 東京芸大の前を通って谷中へと (バス内には 簡単で十分なガイドの音声が流れる)いきあたりばったりの散策なので 興味がわいた名の「よみせ通り」の停留所で下車。(この通りは 王子から不忍池までの もと藍染川だったことを知る)近くの千駄木の路地裏の 小さな小さな お地蔵様。ふたたび「東西めぐりん」で 池之端方面へせま~い道に分け入るバスに やる~っと 子供みたいに嬉しくなる。またまた 「森鴎外旧居」のガイドで 急いで降車ボタンを。浅草では 連れ合いの たっての希望で正規なお参りと 賑わう雷門から仲見世を抜け 観音様に参拝わたしの案内で 「浅草神社」「被官稲荷」にも参拝しましておかげで 見落としていた「大銀杏」の幹を発見!観音裏を歩けば 九代目市川団十郎が花屋敷に集合していた コスプレ娘たちに 見栄を切っていた。浅草松屋前で「北めぐりん」に乗り換え三ノ輪近くの 「樋口一葉記念館」をめぐり合羽橋近くで「南めぐりん」に乗り上野駅前にもどり 夕食とあいなりまして自宅近くに帰って 夜空を見上げれば一番星と三日月が 瞬いている。。。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・台東区のコミュニティーバス「めぐりん」の乗車券は1回100円です。ただし「1日乗車券(何回でも各コース乗り放題)」は300円です!つまり この日は ふたりで600円で遊んだのでした(笑)。下町散策の足として おすすめの観光バスガイドでした。
2009年04月27日
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混雑を避けて 二度目に訪れた 平日の上野国立博物館の「興福寺創建1300年記念 国宝 阿修羅展」はやっぱり 超人気の 入場待ち20分。ならばと お弁当を 先に八重桜の 「花いかだ」を横目にしながら・・・頂きましてでもでも 中に入れば思いのほか ゆっくり拝見できましてその 優雅で 若々しく セクシーな 想像以上の美しさの「阿修羅」の姿態と表情に感激し 新鮮さをいただきました(笑)。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・奈良で 8世紀後半に作られた(中国 唐の影響を強く受け)八部衆像(釈迦を守る八人の武人たち)の リアルで 表情豊かな像。そのリーダーが 阿修羅だ と推定されている。(360度 ぐるりと見学できる これは やっぱりすごいですよ)若々しい表情や 力強い 美しい少年たち。眉間にしわを寄せ 苦悶を秘めた 中年の武人たち。みんな イスラム インドが 出生地・・・だそうだ。。。そして 同時に展示されている 13世紀頃の興福寺 収蔵の仏像の数々。鎌倉幕府が 興福寺の復興をはたし 仏像の修繕をし同時に 作成された 仏像の数々。(運慶作が展示されています)この 奈良時代と鎌倉時代の おおきな時代展開が実に 体感できる 展示会でもあります。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・東京国立博物館 平成館では 6月7日(日)まで。午前9時30分~午後6時(ただし金曜・土曜・日曜・祝・休日は午後8時まで開館。入館は閉館の30分前まで)
2009年04月25日
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通勤途中 久しぶりに 浅草寺にお参りへ。今日の 外観です。隣の 浅草神社(三社様)と 二天門も工事中。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・浅草寺本堂は 1958年に落慶。50年を越えて 瓦が欠けることも起きてきたので耐震補強もかねて 7万枚を超す 屋根瓦すべてを替える2010年末までの 大工事に入ったそうです。重要文化財の「二天門」は昨年から 保存補修工事をやっていましたが今年の9月いっぱい かかるようです。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・昨年の三社祭で中止された 「宮だし」は 今年は復活とのこと。ですが 境内はこの通りの工事中で いつもの半分のスペース見物できる場所は ほとんどない状態ではたして「三社祭」は どんなことになるのかちょっと 心配です。
2009年04月20日
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・ ・・ペリー艦隊来航から 橋本左内の新国家構想って?勝海舟と西郷と龍馬のつながり 開国が日本の国策となった日は?戊辰戦争を一言で言えば 西郷どんの反乱の本音は?そして 大久保利通もいなくなった後 明治十一年・・・まで(ベランメイの江戸弁で)一気に語る 半藤一利「幕末史」(新潮社)。いろいろ小説を読んで いくつか思っていた 何故?になるほど こうゆう解釈すれば 納得できるよな!という 独自の「半藤史観」に わたしは愉快な驚きを覚えました。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・そんな気持ちが残っているからか タイトルが気になったのか数日前 本屋の棚で見つけた 「隅田川の向こう側」。まだ 読んでいる最中なのに面白くて 報告してしまいました(苦笑)。自分や 親や 友人たちの ふるさとを 思い出してしまうんですよ。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・司馬遼太郎 池波正太郎とも 親交があり文芸春秋の編集長など 歴任した 半藤一利氏は向島生まれで 王貞治氏などを遊び仲間にしていたやんちゃな幼年だったようだ。だから「汐入」も 知っているのか。。。
2009年04月16日
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今日もカラリと晴れ渡った ここ東京下町半日 ぶらりと お山を歩いてきました。さて ここはどこか おわかりになりますかな?まずは ご一緒に 写真散歩とまいりましょうか(笑)。~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・淡いピンクの 雪のような地面は散り積もった 桜の花びらです。木立の中を 通り抜ける さわやかな風が 心地いい。。。どこかで見たような 建物が見えてきましたね。ここらで 答えを出しましょうね(笑)。はい! 上野の国立博物館の 本館裏にある庭園です!春と秋 年に2回開放される その期間にたまたま遭遇できたのでした。小堀遠州が建てた茶室など江戸時代の 日本各地にあった建物が 移築改修されて点在しています。 ・ ・ ・実は 平成館で開催中の「国宝・阿修羅展」の入場券を先輩から頂きまして 勇んで 昼から見に行ったんですが超人気で 入場するのに40分待ち!そこで 「阿修羅」は 次の機会と決め国立博物館内の 散策と今まで 見たことが無い施設に 目的を変更した結果なんですよ。 ・ ・ ・「法隆寺宝物館」に 初めて入る。モダンな建物の中に 飛鳥時代の菩薩像が 多数鎮座している。。。緑色の屋根の表慶館が ガラス越しに見える。資料室は 絶好の読書コーナー。因州池田藩江戸屋敷の 黒門と白い「イチョウサクラ」紅色の「キクモモ」 の コントラストが美しかった。上野のお山は 宝の山ですね!~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・庭園の春の開放は 今度の日曜日19日まで です。博物館の入館料は必要ですが 広い敷地内 自由に散策できますよ。よろしかったら どうぞ!
2009年04月11日
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ここ 東京下町浅草 隅田公園の今晩 pm6:30pm6:45~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・なんということもない 満開の夜桜 と 月。ですが 実は東京では これが貴重な一瞬なんですよ! ・ ・ ・それは 桜が満開の時に満月と重なるのが 珍しいらしい。さらに 春は霞がたちこめ 空が快晴になることも珍しい。つまり 三つの条件が 偶然に重なった 今晩というわけです!~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・記憶に残る 2009年4月9日の夜となりました(笑)。。。
2009年04月09日
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