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三四郎
第一章・あの時、彼は―
第一章・あの時、彼は―
・主な登場人物
新村恵子(にいむらけいこ):本編の主人公。30歳。29歳で自立するが、日頃の生活に疑問を持つ。何か新しい刺激が欲しいと思っている。
大沢俊二(おおさわしゅんじ):恵子の中学時代からの同級生。30歳。恵子の同窓会欠席を確かめる為に、彼女の家に訪問する。
高山麻子(たかやまあさこ):恵子の中学時代からの親友。30歳。大雑把な性格で、猪突猛進型。友を大事にし、気遣う。
-1-
恵子はその若い声を聞いて、急いでドアを開けた。急にドアが開いたので、彼は驚いた顔をしながら少しのけぞったが、恵子の顔を確認すると、すぐにまたやさしそうな包容力のある顔に戻った。
「大沢君!」
恵子は疲れも酔いも吹っ飛んだように、童顔独特の元気そうなそれで言った。
「やぁ、久しぶりだね。8年振り……くらいかな?」
彼―大沢俊二は懐かしく思い出すように、目を細くしながら、恵子を見た。
「そうね、懐かしいわ」
「あぁ、本当に」
二人は冬に向けてこれから寒くなる風を覚えながら、しばしの間そのままでいた。
「…………」
沈黙がしばらく辺りを支配していたが、それを恵子が打ち切った。
「ねぇ、ちょっと上がって行かない? いろいろ話も聞きたいし」
恵子はドアを開き、俊二を導いた。
「…………」
「どうしたの? この後すぐに用事でも?」
「いや……。上がっても大丈夫なのかい?」
俊二は落ち着きがなく、何かを気にしているようだった。
あぁ、と恵子は思い、「まだ未婚者よ、気にしないで」と、微笑しながら言った。
彼は自分の胸のうちを読まれ、意表を衝かれたような顔をしてから、苦笑した。
「……すまないね」
「気にしないで」
俊二を自分から部屋の中に入れておきながら、恵子は内心ヒヤヒヤしていた。
(部屋、片付けておいて良かったわ…)
外国に留学して、帰国してから特にやることもなく、両親に誘われて、実家に帰り、暇を持て余していた。しかし、周りの友達はほとんどがもう一人暮しで、留学前はなんとも思わなかった両親の過保護にも、留学後にはあまりいい気はしていなかったので、社会人としては遅い、29歳に自立したのだった。外国に留学した5年間の経験をほとんど無駄にするように……。
最初は一人暮らしで、自由気ままに生活できる、と喜んでいたが、会社に勤め始めてから、連日の朝ラッシュや、デスクワークなどで家に帰ってくると、くたくたに疲れ、簡単な夕食などだけで済まして、それからはもう寝てしまっている今日この頃で、5日前などは足の踏み場もないくらい、散らかっていた。
(麻子に感謝しなきゃね)
麻子は恵子の中学時代からの親友で、3日前に麻子をこの部屋に呼んだとき、さすがにこのまま上がらせるわけにはいかないので、急いで片付けたのだが、変なところに気がついてしまう麻子はついさっきまで部屋が汚かったのを指摘して「片付けなさい」と、怒られたのであった。
恵子は俊二を適当に椅子に座らせ、キッチンへコーヒーを作りに行った。
ポットに水を入れ、お湯を沸かしながら、恵子は席に座っている俊二を見た。俊二は最初、窓の外の景色を見ていたが、それに飽きたのか、机にあるものを興味深く観察してから「ふーん」などと、なにやら小さい感嘆の声をもらしていた。
「どうしたの?」
恵子はポットに目をもどしながら俊二に聞いた。
「これ、前にどこかで見たことがあるんだ」
と、テーブルの端から、透明な水色のガラス細工でできた、イルカ3頭が重なりながら飛んでいる置き物を、手に挙げて見せた。恵子はまた俊二の方を向き、それを確認すると、人差し指でおでこを指して、考えるようなそぶりをした。
「あぁ、それね。それは……」
それは子供の頃、両親とどこかの水族館みたいなところで、お土産として買ったものだ。確か、買った場所は……。
「どこだったけ?」
何で思い出せないのだろう、よく憶えている場所だと思うのだが。頭の記憶の引
出しを開いたところまでは来ているのだが、う~んう~んう~ん……。
と。
「お~、やっぱり君の眉の間のシワはすごいね」
「きゃっ!」
急に目の前に、俊二が恵子の顔を覗いてきた。いきなり目の前に男性がいたので、つい驚いて、しりもちをついてしまった。
「ご、ごめん。君がそんなに驚くとは思わなかったんだ」
俊二は慌てて手を差し伸べた。恵子は差し伸べられるままに手を差出し、立ち上がる。自分の手に俊二の手の温かさが伝わってきた。
それは、何かとても心地よかった。
「あの……」
「へ?」
我に返ると、俊二が困った顔をして、自分の手を見ている。よく見ると、恵子の手が、しっかりと彼の手を握っていた。無意識のうちにずっと握っていたようだ。
「ごっ、ごめんなさいっ!」
恵子は急いで彼の手を離すと、台所の薄く湯気が吹きつつあるポットに向かって走った。顔が熱くなって、赤くなっているのが、すぐにわかった。
「いや……」
自分の後ろで、済まなさそうな声が聞こえた。
その声は恵子を振り向かせる欲望を発した。要するに、無性にその顔を見たくなったのだ。少し気恥ずかしい感じもしたが、思い切って振り向いてみた。
彼は恵子に握られた手を、じっと見つめていた。そして、必要以上に顔が赤くなっていた。
恵子は彼の姿を見て、何故かくすくすと笑いが止まらなかった。
-2-
「同窓会?」
俊二にコーヒーを出しながら、彼の来訪の目的を聞いていると、何かのパンフレットのようなものを恵子に差し出した。
「ふーん、『○○大学第45期卒業生同窓会』かぁ」
恵子はコーヒーにミルクを注ぎながら、そのパンフレットの文章を読み始めた。
「あぁ。君、いままでの同窓会に一度も出てなかっただろ? だから今回こそは、ってね。そういえば、どうして出なかったんだい?」
「海外留学してたのよ、5年間のあいだね。あれ、聞いてなかった?」
「あぁ。……そうか、留学していたのか。だからか……」
「え、なに?」
「ん? あ、いや。ちょっとね」
そう言うと、俊二は、ふっ、と恵子から視線をはずした。
恵子はそれを少し疑問に思ったが、久しぶりの級友に会える興味がそれに勝り、あまり気にしなかった。
「そういえば、よくすぐに僕だとわかったね?」
同窓会のパンフレットに目を通していた恵子は一度目を離した。
「そう言えば、そうねぇ。何ですぐに分かったのかしら? 私にも分からないわ」
「不思議なもんだね」
「そうね。でも、なんとなく……。本当になんとなくなんだけど、雰囲気でわかったのよ」
「へーぇ。雰囲気かぁ。じゃあ、なんとなく昔と変わらないところがあるのかな?」
「なんとなくそんな感じがするわ」
くす、と恵子は微笑んだ。
「そうかい?」
「えぇ、なんとなく、ね」
そう言うと、二人はふふふ、と笑った。
「学生時代のときも、こんな会話をしたね?」
ふいに思い出したように俊二が聞いた。
「そういえば、そんな感じだったかもね。懐かしいわ」
「僕もさ」
そう言い終わると、部屋の中はしん、と静かになり、恵子は一度窓の外に視線を移した。見なれた景色、見なれたネオンのはずだったが、今日は心なしか、少し違う景色に見えた。外から、パトカーの音がドップラー効果で、延びて聞こえてきた。
テーブルに視線を戻すと、俊二はしんみりとした顔で、自分を見つめているのに気が付いた。
恵子は急に恥ずかしくなり、横を向くと、話題を変えようとした。
「やっぱ、私その同窓会に行こうかな?」
恵子が横目で聞くと、当の俊二は無意識のうちに恵子を見つめていたことにはっ、と気付き、「うん、いいと思う」と、俯きながら小さい声で言った。
「じゃあ、同窓会に行くにはどうすればいいの?」
「そ、それは。パンフに書いてあるから。申し込み用紙に記入して、今月中に送ってもらえれば……」
俊二はさっきの戸惑いを隠すように、振舞いながら説明した。
「ふーん……。あぁ、これね。『9月27日までが〆切です。それまで○○までにお送り下さい。』ね。えーと……今日は何日だったっけ?」
恵子は近くの壁にカレンダーが掛かっているか、辺りを見回した。自分の部屋ながら、だが、夏休みが開けてから、カレンダーが掛かっているのかさえ確認したことがない。と、記憶にかすかに残っていた。
「えーと。大沢君。今日、何日だっけ?」
「あの。俊二でいいよ。それから今日は27日、だね」
「はーぁ。27日か。じゃあ、いまから送らないと間にあわ……って」
一度言葉をきった後、拳をぎゅっ、と握り締め、ガタ、と音をたてて、椅子から立った。
「どうやっても、もう間に合わないじゃない!? しかも、もう深夜!」
そう自分で言いながら、あぁ、まるでマンガみたいだわ、と思った。
「はぁ~~……」
恵子はどっと疲れが押し寄せてきたように感じ、ゆっくりと椅子に座り直すと、少し冷めたコーヒーをすすった。
「……あの?」
「ん?」
見てみると、俊二が申し訳なさそうに恵子を見ていた。何か言いたそうだった。
「どうしたの? おおさ……いや、俊二…君?」
「いや。間に合わなくなったから、僕が派遣されたわけなんだけど」
恵子はまた疲れが押し寄せたような気がした。
その様子を俊二は困った顔で見ていた。
そして、この同窓会に出たことが、彼女の、また彼の運命を変えることになる。
<第一章・終>
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