天候は不順、PCは不調、とてもスイスイとはいかない水曜日です。
今夜からまた雨になるようですが、暖かいので気になりません。
プランターの種まきも遅れがちなのですがこんな日は思い出に浸るのが一番。
ポカラでは朝方雨が降り、昼にかけてはかなり暑くなって
歩いていると汗ばむくらいでした。
ちょうど今夜のように夜に雨が降るのですが、降り方はすごかったです。
今夜はどうにかチベット村まで書けるでしょうか。
どうぞお付き合いください。
滝と洞窟と出会い
フェワ湖から離れてどのくらい歩いたでしょう、やっとお目当ての滝につきました。
道路を右に入ると10mほどでチケット売り場のあるパタレ・チャンゴ(滝)の入口に着きました。
ここに来るまでの左右にも土産物屋がたくさん並んでいます。
前回お話しした土産物店はこの一角ではなく、手前の道路沿いにありますした。
チケットを買って中へ入るとまず庭園があります。
庭園内にはブッダの像やヒマラヤを白い石で現わしたものもありました。
歩いていくとだんだんごうごうという音が聞こえてきました。

フェワ湖から流れる川の水が地中に落ち込んでいるのです。
左右の岸は岩の壁のようで、水の流れ落ちる先にはぽっかりと大きな穴が開いています。
スイス人のDEVIさんが落ちてしまったというのでデビズフォールと呼ばれていますが、
ドウドウと水が落ち込んでいく先の見えない大穴に落ちたのでは助からなかったことでしょう。
しばらく滝から上がってくる水滴に濡れながらそのすさまじさに圧倒されていました。
滝を見た後は庭園を散策してから道路向かいのシバ神殿のある洞窟へ向かいました。
すこし下り坂で、ここも左右に土産物屋が並び、細い道続いていました。
坂を降り切ると右側にチケットオフィスがあり、左へさらに降りていきます。
洞窟の入り口ではガネーシャ様がお出迎えです。
ここは20年ほど前、一人の修験者の夢から発見されたといいます。
その夢とは洞窟の中にシバ神が眠っているというものだったそうです。
内部を探してみるとシバ神像が見つかり、祀るようになったとか。
洞窟の中には寺院が建てられ、シバ神はそこに祀られていました。
残念ながら撮影禁止でした。
奥に進むと鍾乳洞になっていてバタレ・チャンゴの滝を下から見ることもできます。
しかしこの時は水量が多く先に進むことができませんでした。
シバの洞窟(グプテシュワール・マハーデヴ洞窟)を出る頃にはお昼を過ぎていました。
お腹がへってきたので街道沿いにある店で昼ご飯を食べることに。
店を経営している家族がとても親しげで感じのいい店でした。

サモサは10ルピー、肉入りが20ルピーでした。
お腹がへっていたのでダルカレーも注文しました。
100ルピーだというので半分でいいから50にしてと頼んだのですが、
でてきたのはたっぷりとした量でスープも付いていました。
もしかしたら値段を半分に値切ったと思われたのかもしれません。
お腹もきつくなりまた歩く勇気が出ました。
しばらく店の方とおしゃべりをして出発!いよいよチベット村です。
歩いていくと学生たちがお店で何か買って食べていました。
その店のわきには男の人たちがいて、見たことのないゲームをやっています。
50円玉くらいの平たいコマを二人が交互に指ではじいています。
水を買うついでに見ていると、遊び方はビリヤードのようです。
店先にある椅子に座ってしばらく見ているとなかなかおもしろそうでした。
テーブルの向こうに座っていた方にゲームの名前を聞いてみました。
白黒各9つのこまをコーナーにはじきいれる
カロン(カロム)ボールというゲームだと教えてもらいました。
後で知ったのですがその方はナムさんといってチベット村では名の通った方でした。
チベット村までの道を教えてもらい、しばらく話をしました。
祖国を追われたチベット人の人たちはどんな気持ちでいるのかを知りたかったのです。
チベット動乱のことは詳しくは何も知らなかったので教えてもらいました。
1949年に中国の国民党政府が介入(侵攻)をはじめ
1950年にはダライラマ政権の支配していたカムド地区に侵攻。
1951年にラサに入った。
侵攻に抵抗した人々数千人が殺され血が川のように流れたと淡々とナムさんは話しました。
抵抗運動は全て弾圧され「カロンの虐殺」では10000人余が命を落としたそうです。
その後も侵攻と干渉は続き、様々な反乱が起き、さらに人々が犠牲となった。
そして1959年拉致されることを恐れたダライラマはついにインドへ亡命。
「3月10日に約三十万人の人たちはダライラマを守ろうと宮殿を取り囲んだんだ。
一万人とも一万五千人とも言われているが、殺された人はもっと多かったはずだ。
女性もひどい目にあったし拷問も行われた。
しかしチベット軍の武装はあまりにも貧弱で到底勝ち目はなかった。
そしてそれは3月17日の10時ころだったよ。
宮殿の近くに砲弾が着弾して、とうとうダライラマに亡命していただくことになったんだ。
たくさんの人がラサやいろんな町から逃げ出した。
土地は捨てても自分たちのアイデンティティや宗教を捨てることはできなかったからね。
そんなことよりみんなダライラマと一緒にいたかったんだ。
だからあとからもヒマラヤを越えて逃げてくる人がたくさんいたんだよ。」
ほほえみを浮かべているようなナムさんが語ることがここに暮らす人たちに
実際に起こっただと思うと、なんとも言えない気持ちになりました。
「ネパールでの暮らしはどうですか?」
「ここでの滞在は(住むこととは言いませんでした)とても難しい」
「これからどうしたいと思いますか?チベットに帰りたいですか?」
「もちろん故郷には帰りたい。いつかきっと帰れると思う。
国を失い財産もなくし、親しい人たちを何人も亡くしてきたのだけれどね」
「今は何が望みですか」
「私たちが望むのは中国が民主化されること、それとダライラマが長生きされること。
ダライラマが生きていられるのがよかった。いつでも世界平和を祈っていられるんだ。
こうも言ってるよ..
憎しみをを持たず、すべての生きるものに思いやりを忘れてはいけない、ってね。
そうすれば人は幸せになれて必ず世界に平和がやってくるともね」
ふぅむ....
「なんとしてでも国をとり返す」とか
「あいつらは絶対許さない。復讐してやる!」
という答えが返ってくるのが当たり前と思っていたのですが....
土産物屋の御主人との話もとても心に残りましたが、
ナムさんの語ってくれた歴史、それにチベットの人たちの気持ち....
全員が同じ考えだとは思いませんが、とても考えさせられるものでした。
...........
あぁ、ごめんなさい。また今日も村にたどり着けませんでした。
政治や深刻な話など読みたいと思っている方は少ないだろうと思います。
だけど歴史上に起こった残酷で理不尽な事実を
笑顔とも思える表情で話してくれたナムさんのことをお伝えしたかったのです。
この次は絶対にタシリン・チベット村のことをお話します。
よろしければまたどうぞお越しください。
読んでいただき本当にありがとうございました。
ランキングに参加しています。応援してくださいね。
ネパール旅行 その後 ネパールからの手紙 … 2016.07.13 コメント(2)
ネパール旅行 サヨナラ・ナマステ (す… 2016.07.06 コメント(8)
ネパール旅行 パシュパティナート寺院と… 2016.06.15 コメント(5)
PR
キーワードサーチ
フリーページ
サイド自由欄
カレンダー