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実家で夕食をごちそうになった。体調はどうにか踏みとどまっている。本格的な風邪引きになってしまわないように気をつけなければ...。妻と子供たちは昨日と今日の疲れもあってかぐっすり。私は採点の合間に書き込みと言うところだ。と、演奏会が終わったばかりなのに、そろそろ次のことを考えなければならないようになってきている(OBオケの方が動き出したので)。現在、自分が主体的に参加しているオケは大きく2つ。1つは、毎週練習に行っている所属オケで、もう1つは大学のOBオケ。どちらにも私は深く関わっているので、下準備から参加しなければならず、けっこう大変である(まあ、それも楽しいのだが)。特に演奏に関わる下準備をするメンバーは限られており、専門知識に乏しいため、いろいろなツテをたどって何とか課題をクリアしていく(プロオケの場合も人数は少ないから大変とかいう話を聞いたことはある)。所属オケではそういうメンバーになりたてでまだよくわからないが、練習計画の作成に関わることをやっている。あと、演奏上の問題を解決することも求められる。それぞれ自分なりの思いの強いパートトップの意見を集約し、本番指揮者と打ち合わせをしながら(練習では直接言えないこともあったりするし、しばらく先までの練習についてのアドバイスももらったりする)、メンバーに伝えていくのが仕事だということだ。これはよく言えばご意見番だが、悪く言えば説教オヤジにもなりかねない。後者になりすぎないようにしないといけないのだが、ここぞというときには悪者にならなければならないこともきっとあるだろう。もっと自分を磨いて、対話もやって、恨まれる人数を減らそう??とにかく、これから1年間、ドキドキである。OBオケでは、団内指揮者。ところが、配置の相談、楽譜の相談などの仕事もすることに(確か、ライブラリアンというお仕事だったと思ってHPもちょっと見てみた。なるほど、これも奥の深い仕事...とひたすら感心してしまう)。先日お会いした指揮者との打ち合わせでは、出版社と楽譜のナンバーの指定があったのだが、これが探してもなかなかなかったりする。結局次善の策を教えていただいて対応することに(もちろん、それを教えていただけるだけありがたい)。学生の頃は、JASRACに指摘されないであろうレパートリーと方法でおそらく乗り切ってきたような気がするが、例えばレパートリーが現代曲になったりすると、なかなか調達も大変だ(今回、OBオケの方はそういう曲をしないので問題ないが)。楽譜の問題はなかなか難しい。特に私の場合はスコアが問題になる。日本の出版社から出ている楽譜が安いのでついついそっちを購入する(あるいは以前から持っている)場合が多いのだが、今回演奏する曲の勉強をしていたら、どう考えても間違っているぞと思われる場所がけっこう散見された(音とダイナミクスの両方で)。本来の出版社から出ているスコアとにらめっこしなければならない(指揮者に「チェックしておいた方がいいよ」と当然言われた)。誰か持っている人から借りられると一番いいが、さもなくば買い直し???最近出版されている日本の出版社のスコアには「○○出版社のスコアを元に変更を加えた」ということが書かれるものもあるが、少し前のものならそれすら確認できない。楽譜の研究が進んでいくほど、そういった問題が大きくなっているような印象である。もちろん、楽譜の研究が進むことは必要なことだし、喜ばしいのだが、唯一のワタシ的問題としては、素人の財布には辛い...ていうか、最初から調べて買っていないこちらが悪いのだが、学生の頃は知識がなかったもので...。すでに2冊同じ曲のスコアが書棚にぼちぼちあったりする。知らないことはやはり怖い。といろいろ書いて、大変だなどと言ってはいるが、プロの方といろいろと近い距離でお話できることは、自分にとっての財産だと思う。そういう立場になって、演奏に参加するだけよりも何倍も楽しい思いをしているのだと思う。演奏会を最初からつくっていく楽しみ、これまた深いなと思った。
Jan 31, 2006
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一昨日、ご機嫌にコンサートが終わってほっとして、今度はテストの採点作業に戻っていた。が、息子が熱を出し、病院に行く羽目に。しかも、様子を見るために一晩泊まっていくように病院から言われた。妻がいないということで、娘の面倒は当然すべて私が見ることに。ただ、実家が近いのはとてもありがたい。母が夕食を用意してくれたので、娘と食べることに。夜も寝かしつけ、といっても娘はいつもちゃんと寝てくれるのでありがたい。ただ、布団を脱いだりして風邪でもひかないかと心配もあり、2時間ごとに目覚めては、見に行ってまた寝るという状態の繰り返し。朝もいつもより早めに起きて準備。今まで妻がやっていたことの大変さを知ることに。当然私は要領を得ないので、時間がかかってしかたがない。娘を起こし、朝食を食べさせ、身繕いをして、何とか幼稚園には間に合った。ただ、いつも妻がやっている娘の髪を結ぶ作業は私には不可能(娘が気に入るようにやらないといけないので)ということもあり、恥ずかしながら担任の先生にお願いした。後は退院の連絡を待ちながら採点。深刻な症状とまではいかなかったので、今日は心も落ち着き、また採点の続き。妻は簡易ベッドで寝づらかったようでやはり疲れている。とはいえ、何でも看護師さんがやってくれるので、体がしんどい以外はいつもより楽だったと言っていた。私もいろいろと動き回ったりしたのでかなり疲れた。息子はあまり動き回るわけに行かないのと、妻は疲れているのとで、私と娘は今日も夕食を実家でいただくことになった。ありがたいことだ。ところが、今度は私が何だか風邪ひきの予感、何とか踏みとどまらなければ...。
Jan 31, 2006
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今日は演奏会本番、結論から言えば、やっぱり音楽って素晴らしい。響きの中にいること、そしてその一員になっていることがとても幸せだ。指揮者とのコンタクトも最高、分かり合えることって素晴らしい。いろいろな指摘を受けたが、それもすべてはいい音楽のため、言い方がどうであれ、あるいはどう受け止められるのであれ、本当に大事なことをメッセージとして投げかけている。プレーヤーがどれだけそれを受け止められるかが、とても大事だ。うちのオケにとって、今後の、いや、永遠の課題かな...。1曲目、ドビュッシーの「小組曲」。けっこういい感じの音楽ができた。でもまあ、フランスのエスプリのうちの「エスプ」ぐらいかもとは思うけど...。2曲目、ファリャの「三角帽子」。これは燃えすぎて演奏が終わった瞬間に灰になってしまったかな。2ndVnはリズム打ちであることが多いが、それも大好き。「ファンダンゴ」のリズムは自分が引っ張っているつもりで弾いた。もちろん、ティンパニーの様子を見ながら弾いたのだが。「セギディーリア」はまあ何とかという感じ。駒の側で弾くギシギシ音(スル・ポンティッチェロというが)こだわってみた。自分としてはうまくいったような気がする。「ファールカ」は最後の速くなるとことを目一杯。最後の超高速3連符に命がけ、うまくいった。最後の「ホタ」は爆発しまくり。頭から湯気、弓から煙が出ていたと言われた。でも、それはほめ言葉だと勝手に思っておこう。指揮者に「思いっきりやっていいですよ」と言ってもらえたので、お言葉に甘えた。最後の2ページぐらいは本当に無心。もちろん、準備をちゃんとしているからそうなれるわけで、なかなか難しいところではある。3曲目、ドヴォルザークのチェロ協奏曲。ソリスト最高!一音一音すべてに愛がこもっている。その愛情に答えるべく演奏をしたつもり。あんなに大事にしてくれるのだから、その世界を崩してはいけないなと思った。そういうやりとりが建設的な対話になるのだ。第3楽章、淡い恋と春の風を思い出しながらしっかりと弾いた。最後の遠ざかるような部分では何だろう、涙が出そうになった。それは悲しいからじゃなくて、きっとドヴォルザークの音楽がいとおしいからなのだろう。そんな時間を共有できる今の状況に感謝。自分は本当に贅沢をさせてもらっていると思う。大好きなことを好きなだけできるのだから。オケで弾くことは本当に奥が深い。まだまだやりたいこと、やるべきことがいっぱい。もっともっと深い世界を見るために、精進が必要だ。まあ、仕事でもそれは同じことなのだが...あまりに気分がいいので今日は趣味の話でゴメンナサイというところだろうか。
Jan 29, 2006
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とは、今日の指揮者の名言。演奏会を明日に控えての練習、各個人はそこそこ弾けているとのことだが、曲を進めていく上で外せない場所を外してしまったり、受け渡しがいい加減でグチャグチャした響きになったりしたことをうけての言葉だ。それは「事故」ではない。方向性がきっちりと読めていて不可抗力で起きたものではなく、繰り返されていることだ。技術的にアマチュアは確かに足りないところだらけ。でも、お客さんに聴いていただく以上、「できないからやりませんでした」ということは許されない。技術で足りなくても音楽で表現したい思いが足りないようではいけない。まずは音楽ありきで、その流れを妨げないように、技術的な問題をカバーしていく必要があるのだ。その曲の中で多くの人に期待されていることを外しまくっているようでは、サッカーでシュートを打ってもゴールになかなか入らないまま試合が終わってしまうようなフラストレーションを与えかねない。オケの場合、特にパート間の受け継ぎがうまくいかないと、聴き手にいびつな印象を与えてしまう。それが目下うちのオケの一番の課題だと指揮者に言われた。何を手がかりにどう受け取って、相手にどう受け渡していくのか、そのために必要なのが「他人への興味」なのだ。もっと言えば、メンバーへの愛情と言えるのかもしれない。みんなで作り上げることの楽しさ、いくつになってもその機会があることをうれしく思っていきたいものだ。この思いは、自分の子供たちにも伝えたい。最近、娘が「パパはなんで毎週バイオリンに行くの?バイオリンが好きだから?」ときかれるのだが、そのときの答えは「それもそうだけど、みんなと一緒にバイオリンするのが面白いんだよ。ラッパさんや笛さん、太鼓さんも一緒だよ」いつもそう言っている。最近、子供たちが「バイオリン弾いて」と言う。「くるみ割り人形(行進曲)を弾いて」というのが毎度のリクエストなのだが、それに合わせて娘がピアノ(といっても、レ・レレレ・ミ・ミ・ファ#・レ・ミー」という有名なところだけだが)、息子がシンバルのパートをおもちゃのタンバリンで演奏するのだ。2人とも楽しそう、何の楽器に興味を持って始めるのかはわからないが、合奏を楽しくできる可能性はある。これで昨日お会いした指揮者の言う「クラシックファンになって欲しい世代が子供にその楽しさを伝える」という望ましい姿に貢献できるのかな...。それはさておき、他人への興味、忘れたくないものである。それがリアルに表現されていると、きっときく方もわくわくするのだろうな。今日教わったことで、最も印象的だったのは...。ドヴォルザークのチェロ協奏曲第3楽章で、ソロヴァイオリンが出てくる場所でのこと。ここでは2ndVnがサポートで弾いていることは、先日の日記でも紹介したとおりなのだが、この部分にさしかかったときに、「あなたが若い頃の一番いい過去の思い出を思い出してください」と言われた。ここはロ長調、セピア色の雰囲気がある調だ。ただ、リズムは軽く流れのよいところ、回想とはいっても、その中にさわやかさが残っているのが望ましいところだ。私が思い出したのは高校1年、ヴァイオリンを始めた頃、春の風を受けながら部室の外で練習していたときのことだ。あの空気のさわやかさ、何年経ってもその心地よさを覚えている。下手だったけれども懸命に練習していた。音楽が楽しいことはわかっていたが、まだ今のようにはうまくできなかった。いつかいい演奏に近づきたいという憧れを持ちながら、時につまずき、また前を向き...。明日もそれを思い浮かべながら演奏しよう。恋の思い出とともに???練習が終わった後、いつもは10人以上で繰り出す居酒屋へきたのは何とたったの4人!みんな前日は帰るというのだが、いやいやいつもと違うことをしたところで眠れないのがオチだとなんだかんだ言い訳をしながら行った。なんと指揮者も一緒!「寄り道しませんか?」と言ったとか言わなかったとか。そこでも音楽の話。「うまくなるためにはどうしたらいいのか」という素朴な話の中で、指揮者から出された答えは、他人への興味を持つことと、あとは少しだけ音楽理論を知っておくことだという。なぜ作曲家がそういう音を記号として求めたのかを知るためには、メッセージを読み取るための手がかりを知っておくことが大事だというのだ。言われてみれば当たり前のこと、しかし実はアマチュアで敬遠されがちなのがこれなのだ。「趣味においてまで勉強したくない」という話もありうる。しかし、純粋にもっとその曲のことを知りたいという興味があれば、楽ではないにしても、意外とクリアできる問題だ。私は高校で楽器を始めるまでまともに楽譜を読めなかったのだが、曲のことをもっと知りたいとずっと思い続け、いろいろな経験を積んだ結果、オーケストラのスコアを読めるようになった。見通しがよくなるということはやはり気持ちよく進めるということ。それこそ、敷居を高く構えずに「なぜこの曲でこんなに感動するのだろう?」という「なぜ」という疑問に答えてみようと思うことが大事であるような気がする。そんな自分の思いが明日、炸裂するのだ。トレモロで煙を出し、ダウンボーで火花を散らし、優しい音では心まで優しく愛情たっぷりにひとつひとつの音を弾き...。考えるだけでわくわくしてくる。いい音楽をいい舞台で、目一杯楽しんでこよう。明日もまた、いい日でありますように...。
Jan 28, 2006
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昨日の打ち合わせの前に、書店で購入した本を読んだ。カワン・スタント『「できない大学生」たちがなぜ、就職で引っ張りだこになったか』という本だ。日頃学生と接していていろいろな問題意識を持つ中で、立ち読みする中でちょっと最後まで読んでみようと思ったのだ。著者とは大学の状況や学問分野が違うこともあって、そのまま活用してというわけにはいかないし、自分には無理だと思えることもあるのだが、なるほどと思えることはたくさんあった。自分の言いたいことをわかってもらうためには、相手に心を開かせるための努力が必要であること、こちらからあきらめてはいけないこと、非は素直に認めて反省することなどなど...。それを理想論だの根性論だのというのは簡単だが、実行するのは本当に難しいし、実行していくべきことだと私は思う。こういうことがうまくできないのは、自分が謙虚であることを忘れてしまうことに起因している。それは心の隙間を見切ったように入り込んでくる。こういった考えをどこまで広げていくべきかということはまた別の問題として、それは少なくとも自分の中では忘れてはいけないこと、そういう視点で自分を見つめ直す機会となった。これは本棚の見えやすいところに飾っておくことになるだろうし、時には手に取って読むことにもなるだろう。もちろん、自分流にはなるだろうが、仕事において同様の結果を生み出せるようなやり方をもっと考えるためのきっかけにもなる。
Jan 28, 2006
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昨日の話。OBオケの本番を指揮してくださる予定の先生と打ち合わせをした。最初はギャラの話、そして練習日程の話へと進んでいく。それから、ある協奏曲をプログラムとして用意しているのだが、「ソリストはどうされる予定ですか?」ときかれたのだが、これは他のメンバーとの話でもいい案が浮かんでこなかった。答えに困っていると、いろいろな方の名前と経歴を教えてくださって、「才能はあっても弾く場がないという人も結構いるので、そういう人に声をかけてみたい」とおっしゃった。私もその意見には賛成だ。コンクールで入賞した経歴があっても(それこそその楽器をしている人だったら誰でも知っているようなものなら話は別だだろうが...例えばショパンコンクールみたいな)、なかなか仕事をしていくことは難しいのだそうだ。その先生は「でも、演奏家も自分たちで世界を狭くしているところがある」とか、「客層を広げる努力が必要だし、オケの裾野を広げることも必要だし、とにかくみなさんの(私のような)年代にもっとかかわってもらえるようにならないと、将来が危ないかもしれない」というお話もされた。非常にアマチュアに対しても温かい目を持っていると評判の高い先生、直接そのような熱い思いをお聞きできたのは自分にとってもいい経験となった。さらには、「リズムが合って音程が正確で、まずそれが第一」という考え方だけではダメだというお話もされた。もちろん、それらが正確であることは必要条件なのだが、基準がメトロノームと同じであればそれでよいということはないということだ。そのあたりの話はプロでも議論がぶつかり合うことがあるそうだ。もちろん、勝手放題やるのはだめであることは確かだ。ただ、アマチュアで結果としてそう捉えられてしまう演奏になることはあり得る。こういう場合には、悪気はないと思われるので、わざと無茶なことを通しているわけではないと思う。もちろん、そんなことは冷静になればわかる話なのだが、私もたまに冷静でなく文句を言ったりする。でも、それも客観的にみれば決して正しいとは言えない可能性だって大いにあり得る。単なる行き違いである可能性も十分にある。だから、そういうことを冷静かつ建設的に考えて、どうやって寄り集まっていくのか、大事なのはそこだと思った。プロからアマチュアオケに対するいろいろな経験談や考え方を直接お話をうかがって、自分としてもよくわかった。演奏して「もらわなければ」どうにもならない立場だからこそ見えてくることがあるのだ。自分が指揮をするときならわかっているはずなのに、立場が弾き手に変わったら、やっぱりわがままだ。大いに反省すべきだと思う。まだまだとんでもなく未熟だな...。さらに、練習の時にいろいろと約束事をお話ししたいと思うと言われた。ただし、先生が最初に来られるまでに何ヶ月かあり、その間自分が指揮をしなければならない。そこで、スコアを持っていたので「よろしければ、教えていただけませんか?」とお願いした。すると、スコアにいろいろと印を付けて、実際に声に出して歌ってくださって、フレーズの作り方まで教えていただいた。しかも、40分以上ある曲をポイントをおさえながらお話しをしてくださった。レッスンにでも行かない限り、そこまで教えていただくことはできないと思うのだが、自分にとっては感動の機会となった。早速、帰り道の電車の中でスコアを開いて復習。練習は1カ月後、それまでにある程度ものにしなければ。でもその前に、所属オケの本番がいよいよ近づいてきた。少し遠い未来のことはちょっとだけ置いておこう。大好きなオケで大好きな曲を演奏できることのうれしさ、その原点に返ろう。すべてはその経験のため。感動のため。
Jan 28, 2006
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これまでの日記に掲載してきた、「クラシックの名曲入れ込み解説」とでもいえるコーナーで紹介してきた曲目のリストを作成しました。リストはフリーページに掲載しています。なお、解説は「お気に入りのクラシック音楽」カテゴリーのバックナンバーをご覧ください。(リンクはまだできていません)
Jan 27, 2006
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今日は、ひたすら採点。その合間にこまごまとした家の用事のために外出。マンションの名前を見てふと思った。どういう名前の付け方をしているんだろうかと思えるものがある。例えば、(○○は地名)ラビリンス○○(「迷宮?」そんなマンション、いややぞ!)○○ハウス(不動産屋か?)ラブリー○○(葉書に書きにくいな...)もっと「?」なのは、ヴィーゲッツ○○(ドイツ語で「お元気ですか?○○」って...。ボンジュールみたいに一般的ではないから語感で選んだっぽいな...)そういう私のいるマンションの名前も、高貴なものの名前にちなんでいるのだが(このいわれを知っている人は居住者にあまりというかほとんどいないと思うが)、よく洗剤の名前に間違われる。DMには間違った方で書かれるし、勘違いされて笑い飛ばされるし、何とも複雑な気持ちではある。建物のネーミング、意外と難しいものである。愛情のある子供の名付けですら迷うのだから、建物だったらもっと粗っぽいものになってもしょうがないのかな?
Jan 27, 2006
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チェロ協奏曲の代名詞とも言えるこの曲は、チェロを弾く人が一度はソロで弾いてみたい曲のようだ。この協奏曲は、ヴァイオリンのいろいろな協奏曲のようにアマチュアでは手も足も出ないようなカデンツァがないこともあって、そこそこ長くやっている人なら弾くマネはできるようだ(もちろん。そこから深めたような音を出すことは難しいにしても)。現在、所属オケでこの曲を練習しているが、初日にはチェロパートの人がこぞってソロを弾き始めて笑ってしまった。誰も伴奏のチェロパートを弾かないので練習にならない...。この曲はドヴォルザークの作品の中ではかなり終わりの方に位置する曲だ。「新世界」や「アメリカ」など、ドヴォルザークを代表する作品よりも後になる。上に挙げた2曲はアメリカ生活の中で書かれたもので、そこで知った音階などを使っているのだが、この作品はその色はあまり濃くない。むしろ、それまでに獲得してきた手法がうまくブレンドされている感じがする。第1楽章は、ソロが出てくる前からすでにいい雰囲気を作り出している。特に第2主題(ニ長調の歌うような主題)の扱いは絶品だ。ソロが出てくる前ではホルンが演奏し、乾いた雰囲気の中で遠くから鳴ってくるような感じであるのに対して、チェロのソロが同じ旋律を演奏するときには、もっと近くでみずみずしさのある音になっている。楽器の組み合わせ次第でそこまで雰囲気を変えることができるのだ。途中、最初に提示された主題がいろいろと展開されていく部分では、転調も面白い。特に嬰ト短調(#5つ)で静かに演奏されるチェロの「泣き」の節が印象深い。最後の部分では、最初にロ短調で提示された旋律がロ長調で帰ってくるのだが、このあたりの構成も感心してしまう。ロ長調という調は、あか抜けた感じのしない独特の明るさを持っている。古い建物の中にある金色の壁のような明るさを感じるのだが、この調に合った旋律の展開になっているように思う。重厚なオーケストレーションで結ばれる最後はスキッとした気分になる。第2楽章は、自然の中にいるような感じがするト長調の音楽。ドヴォルザークの使うゆっくりとしたト長調の音楽(例えば交響曲第8番の第4楽章など)は独特の雰囲気を持っていると思う。常に遠くの風景を見ているような感覚だ。この曲の場合だと、オケが遠くの風景で、ソロはその中にたたずむ人を表すような感じなのだろうか。ここでも途中でいろいろな調への転調を繰り返す(ト短調、変ニ長調、ヘ長調、ロ短調などと自由自在)のだが、多くはト長調の世界が占めている。あくまでも基本は穏やか路線という感じである。特に冒頭主題がホルンで戻ってきた後、この楽章を終えるのがもったいないとでも言いたげなソロの動きがたまらない。ドヴォルザークの作品に懐かしさを感じてしまうのは、きっとこういう作りなのだからだろう。第3楽章は、踊りの要素を感じる音楽。最初のチェロとベースの「ズン・ズン・ズン・ズン」という開始からして何かありそうな感じ。チェロのソロが始まるとそこから後はリズムがいきいきしている。その後に出てくるニ長調の穏やかな部分がまたいい感じ。そこからまた勢いを取り戻していく部分もうまくつながっている。その後冒頭の主題に戻るが、すぐに別の旋律が登場。最初はト長調でチェロの穏やかな感じのソロ(これも第2楽章と同じ雰囲気)があり、フルートがさらに軽やかさを演出、そこを抜けるとロ長調でヴァイオリン・ソロとチェロのソロとの掛け合いとなる。ちなみに、ここは二重奏だと思いがちだが、どちらにも実は2ndヴァイオリンのサポートが入っているのだ。よーくCDを聴いてみると、完全なソロではないことが聴き取れるはずだ。このソロはいうまでもなく、個人的に大好きである。この部分が終わり、金管楽器が登場するといよいよ最後のお話となる。ここでもやはりこの曲が終わりたくないかのようにゆっくり時間をかけて音楽が穏やかになっていく。ロ長調が使われているだけに、よりいっそう回想シーンの色が濃くなる。ちょうどセピア色の写真を見ているかのような感じだ。そして、第1楽章の主題の断片が登場、まさに回想だ。ほとんど音が無くなりかけたところで、最後に向かってクレッシェンド、突っ走って終わりとなる。このあたりの構成は「新世界」と共通のものを感じる。まさにドヴォルザーク作品の集大成を飾る作品(もちろん、その後に書かれた一連の交響詩も魅力的だが)であると言っていいと思う。この曲に伴奏として参加できることをとても幸せに思う。さあ、いよいよ本番、果たしてオケはうまくサポートして、時には自分たちで音楽をつくりながら、いい演奏ができるのだろうか、楽しみである。もちろん、そうできるようにありたいものだ。
Jan 26, 2006
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~ひとりじゃ...~朝一番の試験監督、部屋の監督者はなんと自分ひとり!トイレに行きたくなったらどうすんねん!っていうか、倒れたらどうすんねん!別の教室には4人の監督者。割り当てる側もちょっとは考えてくれよ...。~こっちがおかしいのかと~監督しつつ解答が目に入るのだが、漢字の間違い多すぎ!こっちがまちがっているのかと錯覚しそう。「必用不可決」(!?)もたいがいひどいが、「雰囲気」を「ふいんき」とひらがなで書いている人のなんと多いこと!それを解読できるだけ目が慣れてきたと言うことか?~八つ当たり?~ある席の横を通るたびに、消しゴムのカスが飛んでくる。私とは接点のないクラスなので、恨まれる覚えはない。と思っていたら他の先生が通ってもやっている。やっぱり八つ当たり?~筆記用具の使用をめぐって~ある試験で「ボールペンを使用せよ」との指示あり。本来はそういうルールなのだが、「先生!ボールペン持ってません!」という学生が続々。また、「消すときには線を引いて消すこと」という指示もあり。線の弾き方に不安があるという学生が「これでいいですか?」。そんなこと言われても...。とはいえ、仕方ないので、「心配だったらもっと消したらどうかな」と言ったら用紙が破れるぐらいグシャグシャに。そこまでしなくても...。
Jan 26, 2006
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昨日は何だかんだで更新できず、一日遅れ。この日は妻が幼稚園ママと映画を見に行く約束をしてきたのだとかで、息子と二人きりでの留守番となった。論文が一通り終わっていて助かった。息子は朝から私の母に買ってもらった電車のシール本に夢中。何度も貼ったりはがしたりにつきあわされる。さすがに私も飽きてきたので、息子に「電車に乗ろうと思うけど、行く?」と聞くと「いく」との返事だったので、妻と娘が帰ってくる時間から逆算して行き先を新幹線の某駅と決めた。さっそく電車を乗り継ぎ、目的の駅へ。息子は大喜びで、新幹線を見に行く。駅のホームは寒いのに、「ぜんぶのしんかんせんみる!」と言って聞かず、結局本当に走っているすべての種類の車両を見るまでいる羽目になった。この間45分!こっちが寒いぞ...。しかし、息子は大喜びである。むしろ、0系、100系、300系、500系、700系、レールスターの6種類が45分間で来てくれてよかった。何とか全部の種類が来て納得したので、昼食へと急ぐ。私が1人で食事に連れて行くときにはほどんどハンバーガーだ。よくないことだが、手で食べられて汁をこぼす心配がないというのはやはりありがたい。しかし、この年代の子供って、なぜみんなポテトが大好きなのだろうか、不思議に思ってしまう。その後、娘の幼稚園帰りの時間にちょうどかかったので、息子と幼稚園に行き、妻とも合流。その後幼稚園友達の家に3人が行き、ようやく一人の時間。論文執筆のために資料と本で溢れかえった部屋を整理し、さらには先日終わったテストの採点。1つ目の科目は人数が少ないので早々に終了。これからが大変なのだ...。妻と子供たちは上機嫌、自分にとってはしんどいことも多いが、これはこれでとても必要なことだ。厚生労働省も「家族の記念日に休暇を」と言い始めているようだし。
Jan 25, 2006
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今日はひたすら論文の執筆。食事は同僚と共に、昼はラーメン、夜は港町風居酒屋。論文についてはとりあえず打ち終わり。ここから絞り込んできっちり構成をまとめるのが最も面倒である。これについては、何日か寝かせてから見直そう。夢中でやっているときはいくら冷静を装っても、意外と穴を見逃していることがあるのだ。もう一人の自分になって見直さないと...。ところで、昨日は非常勤先での科目のテスト。いよいよ採点&監督地獄の始まりである。立ち仕事に備えて、妻の買ったステッパーを踏み踏みしながら足腰を鍛えている。毎日の継続が大切なのだが、筋肉痛はなかなかつらいものがある。最初のテストを終えての感想は、とにかく考えるのが苦手すぎる学生の多いこと。論述問題はとにかく説明になっていない話が多すぎる。ところが、困ったことに、穴埋めの問題もできていない。まずここで点数を取らないと、取る場所がないぞ...。授業では「ここ、けっこうポイントですよ」と言ったところを素直に出したにもかかわらずできていないとは。恩師と先日話しているときに、「最近の学生は覚えることしかしない」という話が出てきた。確かにそう思う。さらに思うのは、覚えると言っても「全部丸ごと覚えようとする」人が多いのが気になる。覚えるにしてもコツはあるのだ。中心になるキーワードから細分化された話がどのように派生しているのかさえわかれば、芋づる式に思い出せるのだが...(「マインド・マップ」について書かれている本が売れているようだが、真似するかどうかはともかくとしてその考え方はとても参考になる)。このためには一度きっちり復習して頭の中で整理しないといけない。これができていれば、論述も恐れる必要はないのだ。こういうことについても授業中に何度か話したのだが、記憶重視の入試マニュアルが深く入り込んでいる学生にとっては難しいのだろうか。きっとそういう作業も同時にしてきたはずなのだが、なかなか難しいようだ。ただ、困ったことに覚えればそれでいいのかというと、そういうわけでもない。知識は手段であってそれ自体目的ではない。応用動作がきっちりできてこその知識なのだ。ところが、知識を得ることにのみ快感を覚える人も他方ではけっこういる。雑学博士みたいなものだが、本当に雑に頭にインプットされている状態では、これまた困る。覚えてしまうこと自体が目的になるので、それ以上考えが進まない危険性が非常に高い。このように表面的には覚えることに関して苦手な人と得意な人と二極化している傾向が強いと実感するのだが、どちらであっても、デキる人になりたいと思っても少々辛いところがありそうだ。「知っているか?」ではなく「どう思うか?」「なぜそう言える?」という問いが圧倒的に多い世界であるだけに、会社に入るとけっこう大変なんだろうなと心配する。自分なりに知識をきっちりモノにして考えをさらに進めていくという能力はきっと必要だろう。いろいろな生き方が認知されている社会ではあるが、それはある意味自己責任の世界でもある。自分で能力を磨くことをしたいと思う学生さん、単に覚えるのではなく、自分なりに考えましょう。何も運動していないのに、社会人になってフルマラソンを走るなどということのないように...。
Jan 24, 2006
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~トイレ二題~朝、最近改装した駅のトイレの入口に、アルフォンス・ミュシャの絵をかたどったタイルを発見(バッタもんか?)。トイレにミュシャかよ~。淡い色遣いが向いていると言えば向いているが、落書きの憂き目にあわないことを祈ろう。乗換駅でトイレに入ったら、空いていたにもかかわらず、どこで用を足すべきか迷っているオッサン、ファスナーを下げながらうろうろしている。そこまで同時進行しなくても...こっちを向いて歩いてきたときには、間違ってフライングしないかドキドキだった。~ちゃんと気づけよ~仕事の帰り、バスに乗っていて途中の駅から乗ってきたAKB系学生風。途中ほとんどヘアピンカーブみたいな場所があるので、運転手が「横に大きく揺れますのでつり革か手すりにつかまってください」と言ったのに、漫画に夢中だったのか、曲がった瞬間にこっちへ飛んできた。人の話ちゃんと聞いとかんかいっ!某百貨店の中にあるレストランの待合い用イスで親子連れが話に夢中。店員が「お次、2名様でよろしいですか?」といったとたんに、「はぁ?」の一言。「ここはお待ちになるお客さん用のイスなんですよ」と店員が言うと、「あ、そうやったん?」と母親、さらに「知らんかったわぁ」と娘。誰がどう見ても、そこは待合い用のイス。この親にしてこの子あり、ちゃんと気づけよ...。
Jan 23, 2006
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やっぱり、捕まってしまいましたね。動かぬ証拠がメールから出てきてしまったというのも「らしい」が...。このメールの中に、今回の件について「99.9%発覚の恐れはない」というくだりがあったようだが、0.1%の恐れはあったということなのかな?それならば逮捕も実は「想定内」だったりして...。最近、デイトレなど株での必勝法がいろいろ本になっていたりするのだが、その中で「ちょっと慣れたらやってみよう」ということで信用取引の話がのっていたりする。ライブドアの株を担保にしてこれをやっていた人は、ライブドアの株価が下落した損とさらに借りた分のお金まで取られてしまうことになる。本の中には必ず「株は余裕資金でやるものですよ」と書いてあるのが普通だが、注意深く考えない人なら読み飛ばすかもしれないなと...。人それぞれ考え方があるが、私は自分でやれそうだと思う範囲以上のことはしない方だ。自分で自信を持ってやれるまで、株を直に取引することはしないできたし、今もそのつもり。これは、逆にチャンスを逃しているとも言えるのだが...。株で儲けている友人は「みんなが買っている今から初めてもあまり儲からないですよ。やるんだったら、一番株価の下がった時じゃないと。潔く引くことも、そしてそもそも手を出さないという判断ができないと儲かりませんよ。」と言っていた。なるほどね...。ここ何日かで「株式市場は大丈夫か?」「いや、大丈夫だ、たいしたことはない」などと新聞などでいろいろ盛り上がっているが、影響がゼロではないだろう。これからいろいろな事実がわかってくると、人々の心は揺れ動いていくだろうし。そういえば、今日書店に行ったら、ホリエモンを持ち上げていたビジネス書のなんと多いことか!「努力するなんて古い、無駄な努力をしないからホリエモンは成功したのだ」とまで書いている本を見つけてしまった。読んでいて、そこまで言い切っていいのかと思っていたが、やはり結果はこういうことに...。他にも彼を担ぎ出したマスコミ、政治家...責任を取るべきかどうかは別問題として、かなり格好悪い。昨今、カネをめぐる問題が出るたびに、カネがあれだけある人って、いったい何を考えているのだろうかと素朴に思う。それはきっと、自分にないからだと思うが。セレブを取り上げる番組が最近多いが、100万円のベッド、10億円の家、1億円の車...ある人はある人でいいと思うが、それぞれ「身の丈」ってあるよなあと思う。もちろん、あったらあったでありがたいのがお金だが、あるからどうかといえばねえ...。そういえば、お金だけでは働く上での満足感にはつながらないということは、以前からある一定範囲で証明されているし。ところで、あまり言われていないことだが、ホリエモンをバッシングしておいて、そのほとぼりがさめているのを待っている人がいっぱいいるのを見逃してはいけないと思う。こういう問題はいつ起きてもおかしくないわけで、関係機関の危機意識のなさも問題だろう。そういえば、「ちゃんと見られている」ということをわからせておくというのは大事なことだ。授業をとっている学生に聞いた話だが、こわい先生というのは、怒りまくる先生ではなく、自分のやっていることを把握されている先生なのだという。逆に言えば、見られていなければいろいろやっているということだ。「見て見ぬふり」とか「見る目がない」とか、そういう状態が社会の中に多くなってくるとまずいように思う。明日の株式市場、どうなることやら...。
Jan 23, 2006
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~列並び下手~私がレジなどで列に並ぶと、どういうわけかいつも自分の列が短くなるのが遅い。まずは本屋で。今日はどういうわけか本屋に人がたくさん。しかも4列ぐらいできていた。自分の並んだ列は、順調に短くなっていたのだが、自分の前に並んでいたAKB系の男、漫画を5冊持ち店員に「カバー付けてもらえます?」と言った。後ろに長蛇の列なのに、しかもよりによって自分の前で...。店員は必死だったが5冊のカバー付けはつらかったようで、時間がかかっていた。この一人の処理が終わるまでに隣の列では3人が買い物をしていった。何すんねん!さらにスーパーにて。こちらでも結構混んでいるが、並んだ列は早そう。と!すぐ前の米を買ったオバチャンのところで、レジ係員は長蛇の列を横目に、離れたサービスカウンターまで持って行った。オバチャンは米をカートに乗せてきたのだから、そのままバーコードを読んだらええがな!帰ってくるのにどれだけ時間かかってんねん!やっぱりこの処理の間に隣の列では2人が買い物をしていった。まあ、オバチャンにとってはありがたいサービスだろうし、いいけどね...。
Jan 22, 2006
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今日は、午前中、午後と論文執筆。センター試験の監督には当たらなかったので、直接自分が困ったわけではないのだが、やはり心配していたリズニングにおいて各地でトラブルが起きた。リスニングではICプレーヤーを使ってそれを聴きながら回答していくのだが、解答用紙にプレーヤーが引っかかって落ちてしまったとか、周囲のちょっとした音によって聴き逃してしまう、とか、隣の受験生のプレーヤーから音漏れがするとか、いろいろあったことが早速報道されている。個人ごとにリスニングを行うことの利点は何なのかとふと思った。以前ならば学校でスピーカーから流れてくるものを聴いてやっただろうと思われるのだが...。実際、大学などでは試験の開始と終了の合図にチャイムを使うし、そのトラブルがないように入念にテストを毎年繰り返している。それを使った方がより確実であるように思ったりするのだが、別の側面で難しいこともあるのだろう。しかし、個人ごとのICプレーヤーには別のリスクも存在する。落としてしまうというのが最もありうる問題だ。この点については「腰の高さから落としても大丈夫」という話だったが、落ち方が悪ければそれも保証の限りではない。机の脚をフロアにつないでいる鉄製のボルトに当たったら?そこまで想定するのは難しいと思うので、やはりノーリスクというわけにはいかない。トラブルが起こったときに手を挙げたために聴き逃すという問題はさらに深刻だ。すべて終わってから申告しても認められないわけだから、集中力はそがれてしまう。受験生はただでさえ神経が高ぶっている状態になるので、動揺もそれだけ大きくなってしまう。時間という要素にまったく余裕がない状態なのでこれはかなりつらい。隣の受験生のプレーヤーから音漏れがするということも、当然あり得る話だ。電車の中でシャカシャカと音漏れがしているのをよく耳にする。あの音量は相当大きい。その状態で聴き続けるとある一定の高さの音に関して難聴になることがあるというのをきいたことがある。きこえないものだから、さらに音量を大きくしてしまうのだ。本人にとってはきこえないのだからもっと大きくしなければと思ってしまうのだろうが...。いつも電車の中で何気なくしていることが問題につながってしまうのだ。いずれの問題にしてもかなり難しいものだ。また、センター試験の試験監督は、監督者にとっては本当に消耗戦、最後暗くなって試験が終了するころにはもうへろへろである。ずっと立ちっぱなしになるし、何かをするわけにもいかないので辛いものである(小学校の廊下でもここまでの長時間立たされることはないだろう)。そこへ、リスニングが最後になって出てくるともう大変である。初めての試みであるし、失敗は許されない。自分の会場だけでもとにかく失敗しないようにとは、試験会場を提供する側はいつも思っていることだろう。また、試験監督者はその道のプロではないわけで、そういった人たちにうまく意図が伝わっているのかどうかも問題になってくる(説明する側に問題があるケースもあったりするので)。とはいえ、今回から始めたものをいきなりやめるわけにはいかないということになると思うので、そうだとしたら、今回出てきた問題をきっちり検討して行くしかないだろう。今回のトラブルについて、センター側は「メーカーに検討してもらう」とのコメントを出しているが、すべてを機器の問題で片付けてしまっては危険だ。監督者用のマニュアルとその説明方法の問題、受験生側の問題などいろいろな角度から見ていかなければいけないように思う。結局困るのは現場の受験生であり、監督者なのだから。現場で起こった問題をどこまで吸い上げることができるかが、次回に向けて必要なポイントになるのではないだろうか。
Jan 21, 2006
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今日は午前中より出勤。いろいろと雑務をこなす。返却期限が過ぎた本があり、図書館に返しに行く。私のいる大学では返却期限が過ぎた場合のペナルティがけっこうきつい。学生だろうが先生だろうが容赦ない。ぼーっとしていた私が悪いのだが、何ともばつの悪いやりとりとなった。先生の利用が少ないと図書館からクレームめいたことを言ってきているときいたことがあるが、ペナルティのきつさはその一因なのだろうか...。図書館の帰りに3年ゼミの学生とばったり会って立ち話。就職活動の状況について聞いてみた。まだ本格的に面接などが始まったわけではないので、エントリーシートの段階。いくつ出せばいいのかなどいろいろと不安に思っているようだ。不安が高まるほど安心したいと思ってテクニックに走ろうという誘惑に駆られるところだが、それをそのままやってしまうとかえってうまくいかないというジレンマがある。やりたいことが決まっていると言った学生に対しては、それだけではなく視野をもう少し広げてながめるように言った。あまりに狭いともしもの時に対応できなくなるからだ。逆にやりたいことが定まらないという学生に対しては、まず自分の価値観に合わない選択肢から順に消していくことをおすすめした。やりたいことが定まらないといけないと思って考え込んでしまう方がかえって危険である。決められないのならば、とりあえず価値観に合わないわけではないものに照準を合わせてやってみることが大事だと思うと話しておく。これから大変だと思うが健闘を祈る。日頃見ていると、この2人に関しては極端に心配するほどではない。何かあれば必ず相談するように言っておいた。誰とも話をしなくなるのは危険信号である。午後は昨日進まなかった論文の執筆を進める。気持ちが落ち着いているのでそれなりに進んだ。締切を控え、そろそろ完成までのスケジュールがある程度見えてきた。あとはどこまで質を高めていくかという問題になってくる。とにかくやってみることだろう。書けずにイライラするよりも、書いてみてからいろいろと考えていく方がいいものができるように思う。就職活動も似たところがあるように思う。夕方になって、4年ゼミ生からメールがきた。卒業論文について相談があるとのこと。自宅の方向が同じなので、わざわざ大学まで来てもらうのもめんどうだったし、途中の乗り換え駅で待ち合わせて合うことにした。カフェでお茶を飲みながらいろいろと話す。この学生はいろいろあって、その結果就職がまだ決まっていない。考えすぎてうまくいかなかったパターンである。一時諦めかけていたようだが、最近また前向きに活動をしているようだ。とにかく仕事をしてみることが、やりたいことを見つける一つの方法だと話しておいた。実際のところ、就職活動がいい結果になるかどうかは、仕事を始めてみないとわからないところがある。最初に考えすぎてしまって動きがとれなくなるというのは、後が大変だと思う。今日は就職活動の話でいろいろ考えさせられた。就職活動を控えたあるいはしている学生の心理はとても微妙だ。自宅に戻ると、ニュースでセンター試験の話題が出ていた。私は今年担当に当たっていないが、やはりヒアリングが最も恐ろしい。どうなることやら不安である。何もトラブルがないことを祈りたい。
Jan 20, 2006
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~安全パトロール~今日、大学からの帰り道で、「安全パトロール」とカゴに書いてある自転車が前方からやってきたのだが、乗っていたオバチャンがよそ見していたらしく、下を向いて歩いていたオッサンに激突。全然安全とちゃうがな!それにしてもオッサン、きっと踏んだり蹴ったりやったんちゃうかなあ。安全パトロールって、安全「を」パトロールするだけで、安全「に」パトロールするごとは含まれないってこと?矛盾してるなあ。こういうのは「看板に偽りありなのか?なしなのか?~邪魔な人~多くの人が行き交うか駅の階段でのこと。不釣り合いな高いヒールをはいて、両肘に紙袋をさげ、右手に携帯を持っているが目は遠くを見ていて、周りを一切感知せずに超スローペースで階段を降りる女性。邪魔すぎ!どれかをやめたら普通に歩けるだろうに...。
Jan 20, 2006
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一日遅れの更新。昨日は大変だった。この日は授業がなかったので、午前中から論文を執筆。昼食を終え、妻が娘を迎えに行こうとした時に、息子がひきつけを起こした。しばらくひきつけを起こしていなかったので、妻はかなり慌てて私を呼びに来た。しかし、幸いなことに比較的早くけいれんがおさまったので、しばらく寝かせて、とりあえず妻に娘を迎えに行かせる。この段階では論文どころではない。眠っている間は横についていないと不安だ。しばらくして妻が娘と帰ってきた。息子もそれで起きたが、いきなり元気でほっとした。それから念のため病院へ連れて行くことにしたが、かかりつけの病院は休診日。そこで開いている病院を近所で探して送っていくことにした。妻と息子が病院に行っている間、私は娘と近くのホームセンターで時間をつぶしていた。病院は混んでいてかなり時間がかかり、娘がお腹が空いたというので、向かいにあるスーパーでおやつを買い、外が寒かったので車の中で食べることに。それでもまだ妻から連絡がないので、別の場所へ行こうと車を走らせていると、電話が入ったので、迎えに行った。診断について、車で報告してもらうが、この日の先生によると「もっと早く治療した方がよい。なぜ今までそうしなかったのか」と言われたらしい。確かに、かかりつけの病院から紹介されていく病院で、担当医師が途中で変わり、治療方針が変わったたことが影響しているのかもしれないが、それはよくわからない。さらに、この日受けたアドバイスは、「セカンド・オピニオン(複数の医師に診てもらって意見を聞くこと)をちゃんと受けることを考えた方がよい」というものだった。「より専門の近い先生を紹介してあげるから、絶対行った方がいい。それで合わなければそれから考えてもいい。」と言われて、妻は納得したようで、早速手配をしてきたとのこと。最近、ときどきワイドショーの特集でセカンド・オピニオンの話が出てくるが、実際にその必要性を感じることとなった。ちなみに、息子はそういった心配を横に帰りの車から絶好調に遊んでいた。とりあえずひと安心か。
Jan 19, 2006
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今日は出講日。午前中にいろいろと雑務をこなす。とにかくあれこれとやるべきことが入ってきて、時間が過ぎていき、ようやく雑務が終わった頃に同僚からの昼食のお誘いの電話。近所の定食屋へ。今日の会議の内容について懸念されることをあれこれ話す。昼からは研究室を片付ける。これまで資料や本をいろいろな場所へ大量に積んできたのだが、さすがに崩れそうになってきたのと、特に机の上が散らかっていたので落ち着いて作業できる状態になかったという理由により、一気に片付けを断行。と、威勢はいいのだが、論文の続きを書こうとしていたのに、自宅のPCから作業中のファイルを出し忘れたから何もやりようがなかったというのが正直なところだった。情けない...。そして、心配していた会議がいよいよ始まる。ネタに関する通知を見てすでに「なんじゃこれ?」と思っていたのだが、実際に話が進められてビックリ!なんと、このネタについては来週話し合われる予定になっていたはずなのに、何ら議論が行われないまま「もう決定しました」みたいなことを担当の先生が言い始めた。最近、こういうのが多すぎるのに困っていたのだが、同僚がついに手を挙げて発言した。「議論を経ないまま決まったというのはおかしいのではないですか?たとえ実質的にシャンシャンになったとしても、参加者を交えて議論したという手続はふまえられるべきではないのですか?」との意見。至極当然、正論以外の何ものでもない。ところが相手は「実質的に決定機関から承諾されているのだからいいのだ」と突っぱねようとする。さらに同僚は「それは審議される手続を踏んでいない以上先生の私見ではないのですか?」と返す。それに対し、相手は「手続、手続とおっしゃいますが...」と言った後に続けた言葉には耳を疑った。詳しいことは訴追の恐れがある(???どこかできいたような...)ので言えないが、要するに「後で覚えとけよ!」という趣旨のことだった。正論に対して切り返す言葉がないからといって、小学生のケンカじゃあるまいし...。当の本人たちは後でフォローを入れていたので大きな問題には発展しなかったようだが、そばで聴いていて相手の対応が不快だった。大事なことを決めるのに私見で物事を運んで事後報告で乗り切ろうとするのにはあまりにも無理がありすぎる。多くの人に相談しすぎて行動が遅くなるもの問題だが、少数のメンバーに情報も与えないままさっさと行動されても困る。もちろん、「自分で決めたのだから責任は取ります」とでも言ってくれれば格好いいのだが、何かあったときに「みなさんで決めたので責任もみなさんにあります」という逃げ道をちゃんと残した言い方をしているのだ。それがまた不快感を高める。その後は若手教員たちで新年会。もちろん今日の会議も話のネタに。しかし、こういうときにみんないい仲間だなと思ったのは、単にぼやいたり怒ったりという雰囲気にならないように笑いで落としていくのだ。酒とともにとりあえず苛立ちは流れていった。あとは楽しい話が出てきたり、ときどきぼやいた後で笑い飛ばしてみたり。楽しい会となった。その後はお茶グループとラーメングループに分かれて2次会。私はいうまでもなく後者のグループへ。
Jan 18, 2006
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今日でこのページで日記を始めてからちょうど1年になる。最初の動機は震災10年となる日を原点にして日記を書こうと思ったことだ(一番最初の日の日記を参照)。それから速くもまる1年が経ってしまった。時の流れの速さを以前にも増して感じるようになった。今日はさすがに全国ニュースでも震災の話題が言及されていたが、ホリエモン、宮崎勤被告の判決、ヒューザー社長の証人喚問といろいろなトピックが多すぎてかすんでいたような感じだ。どこの局でも「今日、地元では祈りに包まれています」という一言で結ばれていたのが、何とも言えない複雑な気分だった。確かにそうだと言えなくもないが、「その一言でまとめて終わりかい!」とも言いたくなってしまう。毎年、不思議なことに1月17日は朝早く目覚めてしまうのだが、今回は仕事で疲れたのと、就寝時刻が遅かったせいで、起きなかった。それはそれでちょっと安心したような気もする。もっと不思議なのは、朝うなされて起きるときには決まって5時45分前後なのである。そこまで心の奥深くにこの時刻が刻まれているのだろうか...。震災の真っ只中にいた一人の人間の体験と思いをつづった文章(震災回顧)をフリーページ(画面左側)に書いてあるので、少し雰囲気はお伝えできるかと思う。被害の程度は人それぞれ、それこそ道一本を隔てて生死が分かれたという場所が無数に存在し、本当に生死は紙一重の世界だった。私は運良く生き残ることができたに過ぎないと今でもそう思っている。それに実家も倒壊せずに済んだ(ただし、内壁は崩れてボロボロになったので修理費用はかなりかかったはず)。客観的には被災者の中ではかなり運がよかった部類に入るし、そう言われそうだ。しかし、そのひどさを冷静かつ客観的に見てそう論じるのは、保険会社と自治体だけにしてもらいたいと私は思う(もちろん、見解は個人によって違うはずだ)。自分ではケリをつけているつもりでも、体験者はそれぞれ震災の影響が心理的に刻み込まれていることは確かだ。心の中の震災は一生終わることはない。私の場合は、風で建物がちょっと揺れただけとか、ダンプが家の前の道を通ったときの低い音とと振動があっただけでも冷や汗が出て、心拍数も上がってしまうし、また震災の瞬間が夢に出てきてうなされて起きてしまうことも最近でさえまれにある。今日のトピックで気になったのは、例の構造計算書偽造事件。これを見るたびに、怒りがこみ上げてくる。テレビでは「震度5で壊れる可能性のある建物」とさりげなく言っているが、建物が倒壊するということが実際現場に立ってみるとどれだけ恐ろしいことなのかを知らないからこそなし得るひどいことだと言わざるを得ない。実際、近所では新築の家でさえ倒壊したのだ。もっとも、そこがちゃんと建てたものなのか、おかしな設計だったのかはわからないが。建築の問題においては、当事者をしっかりチェックしていかない限り、この恐怖から逃れることはできない。「儲けるためなら誰かが死んでもしょうがない」とは当事者も思っていないだろうが、いい加減な建築は結果として最悪の場合死を招く。当事者が根本的に悪意に満ちて行動したに違いないと結論づけるのはシンプルであるが問題でもある。「悪意に満ちていない人ならそういうことは起こさない」という結論になってしまえば、誰もがそういったことに加担する可能性があることを警告できなくなるし、その方がかえって危険だ。むしろ、この問題は、自分のしたことがいかなる影響を与えるのかに関する想像力を失いつつある人が引き起こしたと考える方が自然であるかもしれない。そして、そういったことが増えてきているのが、今の日本社会なのかもしれない。「創造力」も大事だが、「想像力」を失うことはそれより怖いかもしれないなと思う。1月17日は毎年、自分が生きていることへの感謝をし、また頑張らなければと自分をもう一度奮い立たせるための日になっている。今日はエルガー作曲「エニグマ変奏曲」の「ニムロッド」を何度もCDでかけながら(この曲を亡くなった方への献奏として演奏したことがあるので)、震災で亡くなった方の冥福を静かに祈りつつ、その中で生き残った自分と妻、そして震災を知らない自分の子供たちとでどう生きていくかを考えていた。その答えは毎日を生きながら探し見つけていくのだと思うのだが、考えずにはいられなかった。明日からまた前を向いて生きていくこと、まず自分にできることはそれだろう。
Jan 17, 2006
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20世紀の音楽作品の中にも美しいものはたくさんある。濃い美しさを持っているラフマニノフ、さわやかな美しさを感じさせるシベリウスなどいろいろあるが、この曲ではそれとはまた違った美しい世界を感じる。暗闇の中に青い光を放っているようなイメージを私は持っている。シェーンベルクは十二音技法(われわれがよく耳にする音楽には機能和声といってコードに役割があるのだが、こちらはオクターブにあるすべての音を対等に扱う音楽で、聴き心地がいいとはあまり言えないかなと私は思う)を始めた作曲家として有名だが、この作品はそれを確立する前のもので、聴きやすい。この曲のタイトルは、デーメルという詩人による詩と同じである。その詩の内容はだいたいこんな感じだ。「枯れて冷たい林の中を二人の男女が歩いていく。月も二人の上を一緒に歩いている。女は男に他の男の子供を身ごもっていることを告白し、母親になることにあこがれていたのだという。おぼつかない足取りで歩きながら女は月を見上げる。男は、世界はなんと明るく輝いていることか。あなたは私のために、私たちの子供として生むでしょうと答える。あなたは私に輝きをもたらし、私を子供にしてしまったのだと言い、キスをする。二人は浄められた明るい夜を歩いていく」(音楽之友社「名曲ガイドシリーズ」を参考とし、一部変更)全曲の演奏時間は30分ほどだが、大きく2つの部分に分かれる。ちょうど中程で明るい曲調に変わるのだが、おそらく、それが男が女を許す場面なのではないかと思う。初演は1902年、もともとは弦楽六重奏曲として書かれたが、後にコントラバスを加えた弦楽合奏版もつくられている。「冷たい林の中を歩く」冒頭は、チェロとヴィオラの2番がレの音でリズムを刻んでいる。音には長めに弾く指示があり、重い足取りであることを示している。そこにチェロとヴィオラの1番が旋律を始める。ニ短調というのは何となく寒いイメージがある(シベリウスのヴァイオリン協奏曲で使われるニ短調と雰囲気が似ている)。その後、音楽は暗く激しさを増す。このあたりは「女の告白と心の動揺」を示しているように思う。そして、時折静かに繊細に旋律が流れる場所は「月が二人を照らしている」のだろう。このあたりの音の処理はすごいものを感じる。和音というよりも、いろいろな旋律が絡み合いながらその瞬間にできあがる色合いがすごく繊細なのだ。これが世紀末風の音楽だろうし、マーラーの世界に共通するように思う。同じ題材でもブラームスやチャイコフスキーなら違う旋律を書いただろうし、モーツァルトはそんな題材に目を付けることすらないだろう。何度もゆっくりになったり早くなったりという状態を繰り返すのは、「おぼつかない足取り」を表しているのだろうか。しばらく続いた後で、突然ホ長調の世界に入る。急にさわやかに、そして優しく甘い音楽になる。このあたりは「見上げた月が美しかった」ことを表しているように思う。しかし、その世界もグロテスクな和音とともに崩れ去り、不安定な世界へ。時にはちょっと触ると壊れそうな繊細な音だったり、固まりで重くのしかかってくるような音だったりするこのあたりは「男の心の動揺」なのだろうか。このあたりは次の音が予測できない展開になっているので、かなり演奏が難しい。このような音の進行を考える頭の中はいったいどうなっているのか見てみたいほどだ。この曲の中では次に旋律の頂点だと思われる場所に来るとことごとく「すぐに弱くする」という指定がある。到達できたと思ったら突然その場所が姿を消してしまうのだ。ある指揮者は「ベートーヴェンが始めたエッチな表現」だと言っていた。なるほど、確かに...。不安定ゾーンを抜けていこうとする場所は、繊細な和音のオンパレード。ここのパート間の受け継ぎは、「こんな私でも許してくれるかな?」と女が不安な気持ちで男に言っているようだ。ここは変ホ短調というあまり使われない調が使われている。次の場面との対比を考えて慎重に選ばれたのだろう。そしてニ長調の和音が長くのばされる。これで「女は男に許された」のだと思う。至福の時、すべてが円満になったことを示す。この移り変わりは最高に美しい。音符はとても簡単なのだが、すべての音が活きている。同じ音でも文脈によってここまで違う印象になるのかと思う。音楽って不思議だ。その後のチェロによる旋律とそれに絡んでくる和音は本当に美しい。いろいろな調を行ったり来たりするのだが、どれも幸せに満ちている。男はきっと女のことを心から愛しているのだろう。その後にくるヴァイオリンの旋律(嬰ヘ長調)は夢の中にいるよう。伴奏の波打つような音は「夜の林の中で木々の葉や草がこすれ合う」音のようだ。その次に出てくる変ニ長調の世界(この切り替わりは聴いていてもすぐにわかる)は、「月が優しく二人を照らしている」ように思う(ちなみにドビュッシーの「月の光」もこの和音が使われているのだが関係はあるのだろうか?)。その世界からまた激しく不安定な和音を通って、最後は至福の時を表すニ長調に戻ってきて、幸せな世界となる。二人の中に共有された「明るい夜」の世界をゆっくり時間をかけて終わっていく。冒頭の暗い旋律がここで長調で書かれているのが印象的。ここで本当に「浄められた夜」になったのだろう。最後に書かれている2ndVnのアルペジオが美しい。この音楽にはまだ調性の要素が残っているのだが、一部崩壊している場所もあったりで、その危うい感じの美しさがたまらない。一生のうちに一度でいいから演奏してみたい曲だが、何しろ演奏がかなり難しい。一度だけ仲間内で試しにやってみたことがあるが、やっぱり無謀だった。その後は誰に頼んでも断られている。まずは人探しからか?シェーンベルクと聞いただけで逃げる人が何しろ多いもので...。でも、この音楽が求める世界に一度でいいから近づいてみたい。
Jan 16, 2006
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今日は午前中から夜まで2ヶ所で仕事。午前中は非常勤先での仕事。1つめはテスト前最終の授業だった。試験範囲まできっちり収めることと、わかりやすい説明、つまり慌てずにしっかり効果的な授業をすることとの両立にチャレンジ。授業の出来にムラがないことが理想ではあるが、自分の中ではやはり会心の出来とそうでないときとは明確にわかっている。ただし、それを学生に悟られないようにするのがプロとしての仕事だと思うので、ある程度のクオリティは保てるようにするよう心がけている。今日は会心の出来。時間もピッタリ収まり、学生たちの食いつきもよかった。午後の授業では、人数が少ないこともあり、繰り上げテストを実施。答案を見ている限りでは、授業をちゃんと聴いていた人と、そうではない人との差がやはり出ていることを感じる。授業中に試験対策も教えたし、ヒントも与えたのにな...。詳しくは採点しなければわからないし、出席点なども加味しているのでそこそこできていれば合格はできると思うが。できるだけ多くの学生が最低基準をクリアしていることを望む。その後、夜には研究プロジェクトの打ち合わせ会があるのだが、時間が空いているので、途中の繁華街でいろいろと買い物をする。といっても、買ったのは文房具とCDで、おしゃれなものは何ひとつない。途中、ゼミ生がバイトをしている店に立ち寄る。今日は荷物が重いのと後の予定があるので購入はせず、20秒ほど話をして立ち去る。またさらに電車に乗って打ち合わせ会の会場へ。会場は何と割烹旅館!鍋をつついて酒を飲みながらとなった。もちろん、大事な話は飲む前に済ませた。このプロジェクトが本気で走り出すのはもう少し先なので、今日は骨組みだけを決めて、あとは新年会ということだ。メンバーは大学院の恩師とゼミの先輩方、私は最年少である。もう10年以上お付き合いしているメンバーなので、お互いに様子は知っている。叩き合いつつもいたわり合いながら議論を進めていく。質の高いものをつくろうと全員が意識しているので、こういう議論をやっても後に引かないのがいい。先生と先輩にもまれながらやる仕事は3年ぶりとなるが、知的刺激を受ける充実した機会となった。鍋も美味しくいただけたので、気分よく帰宅。
Jan 16, 2006
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昨日と今日、1泊2日でオケの演奏会直前合宿だった。ドヴォルザークのチェロ協奏曲のソリスト、別の曲のハープ、そしてもちろん本番指揮者も揃う。以前から楽しみにしていた。その中で直前に妻が風邪をひくというハプニングはあったものの、処置が早かったのですぐに回復したおかげで、問題なく参加できた。仕事の締切に間に合うかという問題もあったが、こちらもとりあえずクリア。後で楽しいことがあると、そのために仕事が進むというのもいいだろう。小さい頃から遊びたいがために宿題を早めにやって遊びに行った方なので、大人になっても同じことのようである。練習は午後から。自宅が近所のメンバーを車でピックアップしていく。合宿所近くのレストランで昼食の後、練習へ。最初はパート練習をし、夕食後、チェロ協奏曲の合奏だった。私の座る場所は、ソリストがオケの方を向いて弾くとちょうど真ん前になる(1.5メートルぐらいの距離)。一流プロのソロの音の振動を間近で感じることができるのは幸せだ。これだけ近くにいてちゃんと耳を傾ければ、歌い方やテンポ感が切り替わる場所も十分感じ取ることができる。ソリスト曰く、「今日は約束と違うことをしていますよ」とのこと。前回の練習はオケにある程度合わせていたのを、今回は自身のペースで弾くようにされたようだ。そりゃ、本番はそうしなければならないのだから当然だろう。合奏中、ソロに絡んでいく場所、背景として味を添える場所、オケだけで音をつくる場所、いろいろと引き分けていかなければならないのだが、これまでに考えてきたことをいろいろと試していくのは楽しいものだ。これが意識してできているかそうでないかでオケの音は全く違ってくると指揮者は言っていた。意識している人としていない人がいるので、なかなかうまく曲が流れていかずにもどかしく感じられているようだ。今回の合奏で最も言われたのは、伴奏つまり背景に回ったときに音が死んでしまうのが気になるということ。これは、「音を弱くする=集中力が抜けて体がだらりとなってしまう」ということが生じているからだ。もちろん、余分な力を抜いて演奏しなければならないのは当然なのだが、逆に必要な力まで抜けてしまっていると言うことなのだ。全員がこれに気づいたらきっと音は変わるだろうな...。その後は宴会。家に帰らなくていいので、飲んでいても楽しい。いつものことながら夜更かしをしてしまった...。今朝は、ぼちぼちの体調で起床。しかし、やはり体は重たい感じ。合奏までに何とか軽く動けるようにしなければならないので大変だ。朝一番はドビュッシーの「小組曲」。ここでは音質と弾き始める前の呼吸の速さの問題が主に指摘された。それぞれの場面にふさわしい呼吸の速さ、そしてそれに伴う息や弓のスピードが音のキャラクターを決めていくのだが、それが合っていないのが問題なのだ。それが合えば、かなり演奏としては統一感が出てくるのだという話だ。ただ、とにかく弾くことだけに必死になってしまうと、これが見えなくなってしまうのがつらいところだ。練習時間がなかなかとれないアマオケだと余計に難しいのかもしれない。しかし、頭の中で曲の流れを整理するだけならば、通勤途中やトイレの中でもできるのだ。その気になるかどうかが問題ではあるが...。それからファリャの「三角帽子」の練習。それまでに音質のことや音のクリア度を上げていくことを心がけていくように指導されてきたので、この曲でも気合いと根性だけではなく、考えながら練習していくことを心がけた。そう意識すると、弾き方も変わってくるのが自分でわかる。いつも一番前でいろいろと厳しく指摘されるが、これはありがたいことなのだと実感した。求める音と違うと言われてそれがなぜなのかがわかれば、次は正しいことができるわけだから、それは音楽的に上達することにつながるわけで、ますます音楽が楽しくなっていくのだ。オケの場合は、さらにそれを全員できなければいけないのだから、この共同作業はすごいことなのだ。オーケストラで演奏するという趣味は高尚だとよく言われるのだが、実は演奏する側に優雅さはないと思う。自分がひとりよがりに気持ちよくなってしまってはいけないのだ。聴く人が気持ちよくなるようにするために、演奏者はとんでもなく頭を回転させ、体を使っている(腕も、そして耳も)。本番指揮者の先生とほぼ毎回飲みに行っているが、そのときにいつもオケのやっていることはスポーツみたいなものだと言われている。本当にそう思う。演奏していると、頭と体がつながっていることを実感する。裏側のからくりを知れば知るほど奥が深い世界。これをプロでやっている人って、本当にすごいのだとやればやるほど思う。
Jan 15, 2006
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ここ3日ほど、大学での仕事で想定外のハプニングが多かったせいか、従来から予定されていた仕事を自宅に戻ってから片付けている状態である。睡眠時間は5時間程度、風邪が治ったからよかったようなものの、こんな状態を続けたら不健康な状態に逆戻り。それだけは避けたいのだが、期限が切られているのでやるしかない。言い訳がきかないものが集中してしまっているのだ。とはいえ、まったく準備をしてない状態のまま放置することはない性格なので、スローペースで準備をして一気にラストスパートすることが多い。現在追われている仕事はすべて以前からちょっとずつ準備はしてきたので、こういうやっつけ状態になってもいざやってみると案外早く進んでいくのである。今日は午前中3年ゼミ。年末の提出に向けて卒論のガイダンスを行った。これまでの反省をふまえ、かなり綿密なガイドをした。今年の4年生が提出した卒論を例に取りながら説明。そして、「途中で辞めることのないように」と釘を刺しておく。就職活動は彼らにとって当然大事なことなのだが、それを言い訳に使って便乗欠席をすることのないように持って行く必要がある。この点については他の先生といろいろ情報交換をしているので、参考にしながらしっかりと実行に移していこうと思う。その中でどうも共通しているのは「大人扱いしすぎないことが大事」ということだ。様子を見つつ、今年もやっていこう。午後は、ゼミ生の進路相談と、他の学生からの学習相談を受ける。特に後者については、中身の伴わないただの勉強オタクにならないように気をつけるように指導する。あまりに先走って何でも覚えなければ生きていけないような雰囲気が少々あったので、まずは自分がやってみたいことに焦点を絞ってそこから広げていくことを勧めておいた。熱のない学生も困るが、熱が高すぎる学生の相談に乗るのもなかなか大変である。夕方、帰宅すると妻が熱があるというので、かかりつけの医者に連れて行った。診断は「誰か家族で風邪をひいてるでしょ?それが移ってますね」ということで、どう考えても私のが移ってしまったらしい。申し訳ないので、とにかく家まで連れて帰り、あとは子供たちの面倒をみることにした。子供たちが家にいるとどうしても「ママ~」と行ってしまうので、妻が寝られるようにとりあえず夕食に連れ出す。帰宅後、風呂に入れ、少し遊びの相手をして、寝かせるために自分も寝たふりを...と、携帯の着信で目が覚めた。しまった!1時間半も寝てしまった!というわけで慌てて起き出し、必死で仕事を片付ける。ようやく1つ終わった。ヤマは越えたので、少し気分が楽になった。あと1つ、頑張るしかない。
Jan 13, 2006
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今日は4年ゼミ最後の授業を行った。今回は年末に出したコメントを訂正したものを提出してもらい、「ゼミ引退記者会見をしてもらいます」などと言って、一人一人に2年間の思い出とみんなに対するメッセージを語ってもらった。昨年のこの時期にも日記でこの話を書いたのだが、毎年、ゼミの最終回は複雑な気持ちになる。頑張って社会に出て行くメンバーを応援するために何を言えばいいのだろうかと考える一方で、自分の話で終わりを宣言してしまうことの寂しさとがないまぜになる。毎年ゼミを指導しているうちに、メンバーに対して情が移っていくものだが、この学年はある学生が評したのだが「びみょーな学年」である。卒論を書く時期になって「単位が揃ったのでやめます」とか「卒論書くのがめんどうだし楽しくないのでやめます」などという学生が初めて出たのがこの学年である。「楽しくない」のは自分の責任でもあるのに、タンカを切って辞めた学生もいる。卒論を書かなくても単位がある程度揃えやすくなっている実態に問題があるように思うのは、私だけではないだろう。そういったこともあって、ゼミに積極的に参加する人とそうでない人とがはっきり分かれてしまった。私はゼミという場を単に勉強する場だけではなく、人との関わりを持って自分を磨く場、そしてその中で心地よく過ごせる場にしたいといつも思っているのだが、結局のところ全員に伝わったわけではなかったことになる。これは私の責任でもあるが、改めて人の集団の運営の難しさを痛感した。採用段階で誤りがあったのか、育成段階で誤りがあったのか、きっと両方だとは思うが、検証がむずかしいところだ。今年の最後の言葉は、「すぐに好き嫌いの見切りをつけないこと。できる限り周りにあるものを受け入れようと思って行動してほしい」というものだった。2年間、この学年で痛感したことだ。せめて今日出席していた人たちに伝わってくれていればと願う。しかし、私の願いに応えてくれた人も少なからずいてくれたことは事実だし、その人たちがゼミを楽しいものにしてくれたことを正直に嬉しいと思う。ゼミ生諸君に感謝したい。あとは、よき社会人になれることを期待して卒業式で送り出すことにしたい。ゼミ終了後は誰からともなく「飲みに行こうや」との声が上がり、近所の飲み屋で楽しく飲み会。同じ方向に帰るゼミ生と楽しく話しながら帰った。と、そう言えば昨日の日記で書いた、私を悩ませている仕事の件は、何とか収まりそうな方向に行った。おかげで1つの一番大きな仕事に関してだけだが、少し仕事の締切がのびそうだ。助かった。とはいえ、月曜日までにあと2つ締切のある仕事、すべて片付きそうな気分でいるが、明日も必死で走らないとダメだろうな...。
Jan 12, 2006
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これまでにさんざん仕事に追われているためにほとんど実感がないのだが、今日が年明け初登校。授業のシフト上、比較的遅出となった。朝電車に乗ると、両隣で頭の体操をしている熟年サラリーマン風の男性2人が頭の体操をしていた。一人はナンバークロス(適切な数字をマス目に入れ込んでいくもので、これだけを扱い、懸賞を出している雑誌がある)、もう一人は最近ゲーム機で松嶋菜々子がやっている頭の回転をよくするとかいうのがあるが、その問題集版を解いていた。いろいろな意味で力を問われる昨今の働く人々、ゲーム感覚だからストレスが少ないとはいえ、大変なものである。一般社会もそうだが、日本の企業社会もいったいどうなるのか、目が離せない今日この頃である。大学に到着して、困った報告が。私がなぜかチーフになっている委員会があって、そこでの仕事についてだが、別の先生にお願いしていた仕事(ベテランの先生で申し訳ないのだが、こればかりは私では無理なことだった)がまったくできていないとのこと。本人がつかまらないことには、何も言えず作業がストップ。ただでさえ遅れている仕事、予算執行の問題もあるので時間切れだけは勘弁してもらいたい。さらに困ったことに、別件で学部長から委託された仕事があるのだが、こちらは予算すら下りていないという話...。これも時間切れになると今後の信用問題にかかわるので、何とかしなければならない。しかるべき方に相談するも、「どうしようもないなあ...次善策を考えるしかないかも」ということで急遽話し合いに。しかし、予算が下りていないという話がどうしても腑に落ちないので、真相を確かめるべく事務職員に相談すると、「予算、下りてますよ...」なんじゃそりゃ!?誰もその事実を確認しないままここまでずるずる来ている。学部のお金の話は私のようなペーペーにはわからない(情報が来ないようになっている若手を責任者にするなんて...だったら情報が欲しいぞ...)。しかし、予算執行いかんで仕事の締切が変わってしまうので多くの人が影響を受けてしまう。この話もしかるべき方にいろいろ相談してやってきたのに、相談相手が実は何もわかっていなかったという恐ろしい状態。しかもこちらの方が予算執行の期限が早いのだという。二転三転振り回されたあげく、結局相談相手の先生は帰ってしまったので、明日に持ち越し。どうしようもないなあと思っていたのだが、同僚から「ラーメンでも食べに行きますか」とのお誘い。当然、乗った。雑誌をめくりながら店を決定。大学からそう遠くないところに店はあるのだが、近所ではこの時期だけに行われるイベントがあるので、周辺が通行止めの可能性があるかもという不安を抱きつつ行ってみた。コインパーキングを探してしばらくうろうろしたが、なんと2周目に駐車場が1台だけあいているのを発見!その前に道を譲ったので、「行いがいいといいことありますね(この程度で言うな!と言われそうだが)」などといいつつ、ラーメンを食べられるうれしさについどちらからともなく握手をしてしまった。店は、以前別の場所でやっていたものが移ってきたもので、味はよく知っている。当然、期待を裏切らない味だった。初登校のごたごたともやもやした気分は、少し和らいだような気がする。といっても、問題が明日に持ち越されただけなんだよな...。
Jan 11, 2006
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明日から授業開始。授業の準備は年内に済ませてあるので(ちょっとした修正などはあるが)、今は締切のある仕事に注力。締切のある仕事は当然プレッシャーがあるのだが、充実感があることも確かだ。頭が回転しているという感覚。気分的に当然ストレスは感じるのだが...。昼食を外食にして、家族で出かけるも、いつもより当然早めに切り上げて仕事へ。
Jan 10, 2006
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今日は午前中と昼食後しばらくまで仕事。とはいえ、やった分だけすべてが効率的に運ぶわけではない仕事、締切が近いとどうしても少しイライラすることもあり。ただし、それは家族には見せないようにしている。といっても、少々子供たちに対するつきあいが悪くなることも当然あるわけで、気分よく遊んでくれないなと思っていることだろう。そんな中、妻が買い物に出たいという。バーゲンの季節でもあるし、狙っている商品があるのだとか。確かに、小さな子供を2人連れて服を買いに行くなどというのはほどんど不可能である。結局、「面倒みといてね」という話になってしまうのだ。子供と家で遊ぶことも考えたが、家にいたところで仕事ができないことにかわりはない。というわけで、気晴らしにと自分に言い聞かせて、4人で出かけることにした。こういうときに電車で繁華街まですぐに行けるというのはありがたい。子供服の店に行った後は、しばらく妻を子供から解放することに。息子がベビーカーで昼寝をしてくれたので、とりあえず娘の希望の場所へ行くことにした(2人同時に聞くともめるので助かった)。改めて電車に乗り、希望の商業施設へ。息子だけが私の母親からもらいもののリュックを譲り受けたのを見て、娘が「わたしもほしい~」と昨日からかなりしつこくせがむので、結局買うことにした。希望の品を店で探し、買い求める。息子もその前に起きて、結局おもちゃ売り場で時間をできる限りつぶすことに。引っ張るだけ引っ張って、息子が「ジュースをのみたい」というので、待ってましたとばかりに今度はおやつで時間稼ぎ。とにかく飽きさせないように妻が来るまでできる限り引っ張るのだ。2時間後に妻と合流。悪戦苦闘しつつも、何とか3人でお出かけはできた。ベビーカーを持ちながらいろいろということや、トイレのことなどが大変なのだが、今回助かったのは、2人ともトイレの心配がなかったからである。これは運がよかった。あと比較的トイレの数がある場所だったことも幸いした。もっと条件の悪いときに妻は行っているのだろうから、さすがだと思う。妻は希望の品を手に入れられたようでご機嫌だった。私も家で3人でくすぶっているよりはよかったように思う。おそらく今日一番疲れたのは私だと思うが...。まあ、それもいいだろう。メリハリのある1日ではあったように思う。あとは締切まで必死に乗り切るだけだ。
Jan 9, 2006
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今日は、昨晩寝付きが悪かったために寝坊。のどのあたりで痛いようなひっかかりが続いた一日。やったことと言えば、とにかく仕事を締切に向けてやることだ。午後は子供たちが髪のカットに出かけたので、気分的には少しゆったり。と行きたいところだが、なかなかそうも行かずである。というのも、最近妻が家の中にあるものをできるだけ減らしたいという考えを持っているようで、とにかく捨てられるものをチェックしておいてとのこと。今一番困っているのが、これまでに録ったビデオテープ。実は現在我が家で録画できるのはDVDだけで、ビデオは再生専用でしか使えないようになっている。テープは主に、クラシックのコンサートの映像と、教材として使える話に大別されるのだが、ときどきドラマなどが挟まっていたりして、整理できていないものがけっこうあるのだ。確かにビデオテープはかさばるので、早いところ処分したい(例えば両親に中身を消していいということで進呈するなどして)というのはわかる。せっかくDVDもあることだし、ダビングすればいいかと思ったら、ビデオテープからのダビングには録画したのと同じ時間だけかかってしまう。困るのは、この作業が子供のでかけている時間か寝ている時間にしかできないことだ。今日のこの時間も結局ダビングをせっせとやる羽目になった。もちろん、ビデオを回している間に仕事はできるのだが、途中で帰ってこようものなら、ビデオやDVDを見たいなどと言い出さないように何とかして気をひくために相手をしなければいけないので、気分的には落ち着かないところである。加えてポイっちょ大作戦をしている妻にとってはこの作業が進まないことにけっこうイライラしているようで、これがまた落ち着かなかったりする。しかし、確かにものを捨てることにかなり躊躇してしまう私の性格上、こういう作戦でもなければなかなか整理されないんだろうし、我が家のためにはいいことだと思う。今、仕事部屋を見渡してみると、確かにそうだよな...。面倒だが地道にやるのでよろしくと妻には言っておいた。
Jan 8, 2006
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今日は夕方からオケの練習。それまでは仕事を淡々と(締切が近いもので...)。今日の練習はチェロの本番ソリストが来るということで気合いが入ったものの、オケとしてはけっこうさんざんな出来だった。3週間ぶりとなると、みんな合奏の感覚を忘れてしまったようで、演奏のあちらこちらでほころびが見られた。私の席からだとソリストが目の前でよく見えるため、やりにくそうにしている様子がよくわかる。本当にすみません...という感じだった。私自身としては、早めに練習場についてウォーミングアップしたこともあって、調子は非常によかった。オーケストラの音楽の中にいる自分、そしてソリストのつくる音楽の流れに寄り添う感覚のある自分というのは、やはり気持ちのいいものである。これこそ内声部の楽しみというところだろうか。最近風邪気味で調子がよくなかったりするのだが、音の波長がいいのだろうか、音に包まれている状態の中ではとても調子がよくなるのが不思議だ。とはいえ、鳴っている音自体に問題があるので、気持ちの良さは半分程度というところではあるのだが。今年もこういう演奏している時間を大事にしたいものである。週1回のお楽しみというところか。今日も指揮者の厳しい指摘が飛びまくっていたのだが、なるほどと思ったことは、「テンポは自分たちでつくるもの」ということだ。われわれがよくやる演奏というのは、まずテンポありきで、イメージするのはメトロノームのコチコチという音に合わせているような感覚だ。しかし、そうではない。何もないところにテンポは生まれないのであって、まずは呼吸があり、そしてそれに合わせた弓の速さや息の速さで最初のテンポ感が決まってくるのだ。私が学生オケでお世話になった指揮者の先生がいつもそう言っていたなと再確認。やはりオケの音楽はみんなでつくるものなのだ。もう一つは、「オーケストラはシステムだ」ということだ。ある場所で中心になるべきあるパートが少しテンポを揺らしたりすれば、他のパートもそれに合うように演奏の仕方を調整していかなければならない。それは指揮者の責任というよりは、奏者の責任である。自律的に相互作用し合うべき部分もけっこうあるのだ。ただし、オケのように大規模なものをつくろうとするならば、やはり指揮者という中心的存在は必要である。自律性と向かうべき方向性とのせめぎ合いがそこにはあるが、それがあってこそいいものが生まれる。何だかこれって、組織論っぽいな...。それから、「節目にあるつなぎを大事に」ということだ。オーケストラの場合、自分のパートだけを責任持ってやればいいという発想だけで押し切ろうとすると、最後の句読点がかなり粗っぽいものになってしまうし、他のパートからフレーズを受け継いでいく時にも適当に入ってしまって、そこまでにつくられてきたものをこわしてしまう可能性がある。指揮者曰く、うちのオケの演奏は「10,000円払ってもらわなければいけないところを7,000円ぐらいしかもらわなくても平気でいる状態」だそうだ。要するに、どんぶり勘定を気持ち悪く感じていないのが問題だということなのだろう。なかなか新年早々厳しい合奏となったが、いつもながら勉強になるなあと思う。自分の研究している分野と全く関係のない分野からこうして知識をもらったり、いろいろな言い方を学んだり、そういう点でもオケをしていることはお得だと思う。今年はどういう出会いがあるのか、どういうことを自分のものにできるのか、これからも楽しみだ。
Jan 7, 2006
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今朝、朝のワイドショーで大学の行っているビジネスが取り上げられていた。最初の部分を見逃してしまったのだが、見た範囲で言うと近畿大学のクロマグロ養殖と東京大学のミカンから作るサプリメントの話が出てきた。どちらも、研究されてきた技術の中から生まれたものを事業化して市場に売り出すというものだった。今後は大学も研究費を外部から自分で獲得してこなければならないという認識がかなり広まりつつある。このことはアメリカだとすでに当たり前のこととなっている。研究費をいかに捻出するか、また外部から獲得するためにいかに研究内容を売り込むかが勝負になっている。この話、理系にとってはかなり使える話であるし、大企業の助けをうまく借りるか、あるいは小規模ながら内部の人材で試行錯誤しながらやっていくということで事業化は可能であろう。もちろん、儲かることと学問とがうまいサイクルで流れていくことに越したことはない。できる限り可能になることが望ましいと私も思う。ところが、問題は文系の方だろう。臨床的な心理学ならば使うこともできるであろうが、文学は?経済学は?どうなってくるのだろうか。また、事業の問題そのものを扱う経営学といっても、なかなかビジネスとして成り立たせることは難しいようだ。日本でそういったことが難しい理由は、特に文系に関して言えば、研究と教育とを両立させるように求めていることにあるような気がする。日本の大学教育は問題ありという認識は、特に文系において広がっているように思う。外から見ていてもおそらく、理系は実験で忙しそうにしているが、文系はそのようになかなか見てもらえない。また、講義が中心となりやすい仕組み(そういうことをずっとやってきた結果だとも言えるが)であり、教員一人あたりの持ちコマ数がかなり多い(文系学部は規模拡大路線をずっと走ってきたことに起因する)。それにしばられるとなると、アメリカで行われているような企業のコンサルティングなどはかなり難しいだろう(逆にできている人はよほど恵まれた状況にいると思う)。さらに言えば、日本の文系では社会と大学とが分断しやすい状況がずっと続いている(大学は教育しなくていいと言われたこともあったような...)ことも、その問題を難しくしている。文系の場合はそのあたりの問題をうまく整理していかないと難しい。学問の性質上直接的な儲けに結びつきにくいことと、多くの講義ノルマが多いことなどを勘案して位置づけを考えなければならないように思う。そう考えれば、外部で稼ぐと言うことを強調されないかわりに、受験生を集めてこなければならないと言われるのも仕方ないのだろうか...。大学の舵取りをされている方はどのようにお考えなのだろう。あと、文系で扱われる話には、企業やそれがもたらす副産物(例えば格差の拡大とか)に対して批判的に切り込むものもあるのだが、そういった学問は社会で生きていけないということになるのだろうか(実際に使えてナンボと考えるアメリカのように)?まあ、それはきっと大げさだろうが、学問しながらなおかつ儲けるというラッキーなパターンがすべてではないし、そうあるべきでもない(つまり、ほどほどにしておいた方がよい)と私は思ったりする。多様化や個性が叫ばれる中で、実は向いている方向は皆同じというのも社会的に望ましいのだろうか。
Jan 6, 2006
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という感じである。結局12時間たっぷり寝たおかげで、熱が上がるなどの最悪の事態は防げた。咳もそれほど出ることなく、この調子で治ってくれると助かる。昨日の日記を遅ればせながら。昨日は朝から早起き。半年以上前から決められていた用事を済ませるために朝6時起きで、家族を連れて自宅を出発。用事は9時過ぎに終了。それからせっかく近くまで来たので、アウトレットモールへと行く。私がいつも行く店で、やはり今回もしっかり購入。しかし、さすがに正月の3日間で相当売れたらしく、品薄にはなっていた。普通より大きいが大きいサイズ専門店では小さすぎるという私のようなサイズの人がけっこういるのだろう。頼りになるのはアウトレットモールなのだ。シャツとダウンジャケットにいいものがあったので、購入。妻の方が今回は買いたいものがいろいろあったようで、私の方が子供たちに付き合う感じだった。昼食はいつものインド料理。おしゃれなイタリア料理などもあったりするのだが、どういうわけかいつもここに来てしまう。正月で食傷気味であっても、やはり香辛料のきいた料理にはついついひかれてしまう。やはり期待を裏切ることはなく、いつもどおりのおいしさだった。その後も少し妻の買い物の間に、子供とレゴブロックのアウトレット店へ。いつも困ったときのレゴの店になっている。というのも、いっぱいブロックのある子供用の遊び場があるからだ。ここはいつもママ以外の人(パパやおじいちゃん、おばあちゃんなど)でいっぱい。特にこの日は多かった。しかし、この店が助かるのは、レゴの商品棚にくみ上げたものをうまくディスプレイしてくれていることだ。これを見るだけでも子供は大喜び。私も幼少の頃にずいぶんお世話になったので、見ているだけでも楽しい。最近のレゴはずいぶんと精巧なものもある。もちろん、それは6歳以上を対象としたものであるので、うちの子供にはまだ無理だが、結局私の独断で車を組み立てられるセットを買ってしまった...。とはいえ、アウトレット価格なので、百貨店などで買うことを思えばはるかに安い。目的は、子供と一緒に組み立てて遊ぶことだ。子供たちは4歳程度を対象としたセット(赤いバケツ)があるので、その横で遊ぼうかなと思っている。それから結局自宅に帰ってみたら強烈にしんどく、また珍しく食欲もあまりなかったので、何もせずに結局寝たのだった。今日はまずまずの調子。仕事もしたし、近くの商業施設で少しだけ(40分ぐらいか)子供たちを遊ばせ、帰宅。今日もまだパソコンで言えばSafeモードではあるが、早めに寝て明日からしっかりやろうと思う。
Jan 5, 2006
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今日は、朝から仕事もそこそこできて、家族サービスをして、自分としてはけっこういい感じの仕事始めの日(世間で言うところの)となったが、帰ってきてから調子悪~...。正月の自堕落生活のせいか、風邪が忍び寄っている感じがする。とにかく早めの対処に限るので、仕事で今日終える予定だった場所まで行っていないが、とにかく寝ることにする。調子がよければ更新は明日にしよう。
Jan 4, 2006
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世の中の動き通り、12月30日から1月3日は生活リズムがぐちゃぐちゃになっている。昨日も早く寝ようと思ったが、昼寝をしすぎて寝るに寝られずまた夜更かしである。眠れないときにはやはり年賀状の整理に限る(こともないか...)。ここまでの今年の印象は、喪中が多い(父も同じことを言っていた)せいか、年賀状の集まり具合は例年よりも少ない感じ。さらに、転居・結婚・出産の多いこと。理由は大してないのだろうが、名簿整理が大変であることは間違いない。パソコンで管理していてもそう思う。そして、結婚・出産の多さ。これはめでたいことである。年賀状に限って言えば出生率は下がっていないどことか、むしろ増えているような感じだ。まあ、これもサンプルが少なすぎてまったく根拠のない話ではあるが。結婚といえば、教え子がそろそろ結婚を知らせる年賀状を送ってくるケースが増えた。こういうのをまめに送ってくるのはやはり女子であるが、改めて裏面の結婚式写真を見ると、何となく親の気持ちというのが理解できそうな気がする、って、こんな程度でそんなことを言っていたら、自分の娘の時にはいったいどうなるのかと我ながら不安がよぎる。そんなこんなで年賀状整理でも眠れず、今度はテレビを少し見た。シアトル・マリナーズの長谷川投手を主役にした対談を番組にしたものをちらっと見た。小林克也氏との対談の中で話が音楽に及んだとき、アメリカのDJがいかに楽しく曲を紹介するのかというくだりがあった。そこで小林氏が「音楽を知識で紹介しても面白くない。日本ってそういうところあるからな」というようなことを言っていた。確かにそうだよなと思った。必ずしも全面的に賛成するわけではないのだが、自分の思っていることを自分の感性で語ることも大事であることは間違いないだろう。必要なのは、何事においてもそうだろうが、多様なものの見方とその組み合わせやバランスをどうとりながら伝えていくかということだろう。って、このページでも反省すべきところがあるような気がして耳が痛かったりするが...。今朝はまた寝坊...これではいかん。今日は弟ファミリーが帰ってしまうので、最後にランチを実家で。その後みんなで駅まで見送り、喫茶店で大人はお茶、子供たちはワッフルで楽しみ、帰宅。年賀状整理の続きと、仕事始め、やるぞ!と言いながらかなりバテている。どうなることやら...。
Jan 3, 2006
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朝の3時半頃、汗びっしょりになって、さらに気分が悪い状態で目が覚めてしまった。仕方がないので、とりあえず着替えて、少し落ち着くためにDVDに録り貯めしておいた番組を順番に流す。するとついつい見入ってしまって、眠れなくなってきた。朝7時を回ると、大阪フィルの青少年向けコンサートのドキュメンタリー番組(といっても演奏場面重視)をやっていた。この番組が放映されることをチェックしていなかったので、録画し損ねたのだが、けっこう面白かった。さらに、その続きで「やまなしNOW」という初めて見る番組にも見入ってしまった。子供に積み木で遊ばせる元家具職人の話だった。子供に積み木を積ませて、さらに崩させることに意味があるという話にはなるほどと思うことがいっぱいあった。積み木がいいといって何となく買い与えている人の話はよく聞くが、何となくいいからではなく、ちゃんとした意味を考えて一緒に遊ぶことも必要だなと正月から勉強になった。午前中は、睡眠不足でバテ気味だったが、なんと、弟の奥さんとうちの妻の2人が「ヨメ連合」なるものを結成し、正月バーゲンに出かけると宣言して、いきなり出かけてしまった。予告はされていたのだが、いざそうなると大変!両親と弟ファミリー、そして父の友人でいつもお世話になっている方との会食に出かけなければならなかったのだが、準備をするのが大変である。自分の手際の悪さにはあきれるばかりだ。しかし、まあ何とかして出かける。会食の場所は例年通り、行きつけのビヤホールである。今日もたくさん飲んだおかげで半額券を大量にゲット。オケの仲間とまた使うことになるだろう。その帰りはまた大変で、妻と娘が買い物に行っている間ベンチで待っていたのだが、息子と2人して寝入ってしまった。となりから強烈なたばこの煙が流れてきたので起きて移動。その後も立ったままうとうとしてしまう始末。もちろん、電車の中では熟睡。一人なら間違いなく乗り過ごしただろう。帰ってすぐに昼寝。しかし、弟ファミリーが夕飯を食べに我が家へやってきた。けっこう長い時間寝ていたことになる。軽く鍋をつついて終了。みんなバテバテ。仕事のことはまったく何もできず。明日から営業開始しよう...。
Jan 2, 2006
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遅ればせながら、1日遅れの更新です。正月はやはりなかなかPCの前に座れなかったですね。家族で集まると、子供たちが調子づいて動き回るので、あれこれと気を遣います。というわけで、本年もよろしくお願いします。大晦日は、結局実家に行き、夕食を共にしながら、子供が比較的静かに過ごせる紅白歌合戦をテレビで流しつつ、年越しそばをいただいた。それから自宅へ戻り、急いで入浴後、妻と毎年楽しみにしている「東急ジルベスターコンサート」をテレビで見ることに。毎年、指揮者のすごさを見せつけられるこの番組、私よりも妻の方がかえって楽しみにしているようだ。毎年見ているが、みんな失敗しないところがすごい。最後の音が0時ちょうど(正確に言うと0.5秒ぐらい前)になるように曲をきっちりはめ込むのだ。今年はコバケンこと小林研一郎氏による「第九」。昨年の「ボレロ」はまだ計算が立てやすいはずなのだが、第九は最後の方でゆっくりになったり速くなったりテンポがいろいろと変化する。それをどうやってはめ込むのか、今年はけっこうドキドキだった。しかし、実はさりげなくいろいろな部分をカットしていて、無理矢理押さえ込んでいるなという印象。すごいなと思ったのは、そのカットしている部分を間違えずに演奏したオケと合唱団である。ついはずみで通常通りの場所に行ってしまいそうなものだが、それはなかった。いよいよ残り1分を切ると、こちらの方が手に汗を握るようになる。本当に終わるのか?間に合わないのではないかなどと思っていたが、最後はなんと無理なチカラワザもなく完璧にはめ込んだ。さすが!である。指揮者のリズム感の完璧さとついて行く演奏者と、両方の力がかみあわなければ、絶対にできないことだ。プロのワザに恐れ入った。それについて妻とあれこれ話し、その後のピアノやヴァイオリンの演奏もいいなあと言いながら聴いた。さらに私はなぜか「朝まで生テレビ」を1時間ちょっとほど見ていた。あと、どうでもいいことだが、0時前には志摩スペイン村にいたはずのレイザーラモンHGが寝る前には別のスタジオ(東京?)にいたのに驚いた。テレビの世界は何でもやるなあなどと思いつつ、就寝。元日は実家でおせち料理と我が家ですき焼き。とにかく飲まされ食わされ、胃腸の心配をしなければならない感じ。疲れ果てて、またまた子供をねかしつけつつ自分も就寝。
Jan 1, 2006
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