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先週の演奏会から一週間経った。録音を聴いたのだが、まずまずの感じ。とはいえ、よく聴いてみると、音楽の運びがどうしても不自然になってしまっていた場所もあった。勢いよく行ったらもっとかっこよくきこえているのに妙なタイミングでブレーキがかかってしまったり、内省的な場面で開放的な音が出てしまっていたりと、「頑張ったけどまだできることはたくさんある」というのが実感だった。さて、今週からは12月に行われる「第九」の練習がスタート。オケ自体が10回ほど「第九」をやっているので、慣れていることは確か、全曲がほとんど止まらずに通ってしまうのは、すぐに思い出せるからなのだろう。しかし、ここに落とし穴があるようにも思う。というのは、「できたつもり」になってしまって、その先に進めないことがあり得るのだ。練習ではかなり勝手なテンポでの演奏が散見された。どうやってこれを改善していくのかが今後の問題になってくるように思う。指揮者によって演奏は違ってくるのだが、その指示にどう答えていくのか、また言葉にしきれない情報をどこまで自分から取っていこうとするのかが重要だ。「言葉として言われたとおり以上のことを感じ取っていく」段階に進めるチャンスが来ていると私は思うので、何とかものにしたいところなのだが、さてどうなるのか。今回は、トップを相方の後輩に任せることに。かなり大変な曲だが経験してみると大きな収穫がある。ぜひ頑張って、一つでも多く新しい発見をしてくれたらと思う。もちろん、私もそのつもり、というより負けないように頑張らなければと思う。
Sep 30, 2007
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さすがに昨日は疲れたのだが、夜にも作業が残っていて、いつも通りの就寝時刻。朝も一度毎日の起床時間に目が覚め、起き上がって座っていたがいつの間にやら気を失い、しっかり寝坊となってしまった。朝食後、本読みをしていたら、廊下の方からCMソングを歌っている子供たちの声が聞こえた。ほほえましく思っていたら、別の部屋に行くどころか、どんどん声が大きくなり、こちらに近づいているのがわかる。いったい何事かと思っていたら、「まっすぐのレールちょうだい!」とか「カーブがいるよ」という声。そして、ドアを叩く音。開けてみると、「ここに電車が来ます」と娘が言う。床を見ると、廊下の向こう側から青いレールが延びてきている。そして、玄関に置いてある自転車のベルの音が鳴り、「間もなく、電車がまいります。危険ですから、黄色い線の内側でお待ちください」と娘が言う。しばらくすると、「シャー」という音と共に阪急電車のプラレールがやってきた。レールをたどっていくと、最後はダイニングテーブルの下まで続いていた。家にある全部のレールを敷きたかったらしい。その後、書斎の中までレールは延伸され、本を読んでいる横をレールスターだのサンダーバードだのがやってくる。横で子供たちが大騒ぎするわけではないので、大目に見て仕事の続き。こういう楽しさがいいらしく、最近「電車もっと欲しい」「レールもっと欲しい」と言い始めた。飽きるどころか、子供たちのプラレール熱はさらに高まるばかりという感じだ。
Sep 29, 2007
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今日もまたハードな金曜日。大講義が3コマ、しかもその間にある昼休みが研究費に関する説明会ということで、休憩は昼食を取った10分間だけ。これは休んでいると言うよりは、食べたと言うだけ。しかも、連続している科目が違うので10分間の休憩時間(というより移動時間)で、頭の切替がスムーズに行かないのが、なかなか悩ましいところではある。しかし、まあ何とかなってはいる。ところで、説明会に行く途中で会った同僚と、今年は大変だという話になった。お互いに1年生の授業を担当しているのだが、講義内容の枠組みは変えていないのに、どんどん成績が下がってきている。3年ほど前の学生ならばできた問題も今の1年生は解けない。しかも、読めない漢字も明らかに増えている。そう言えば、他の学年も同じ。私が担当している2年生配当の授業も同じ傾向。平均は低下して、さらに上下の差が激しくなってきている。3年生以上で言えば、ゼミも同じような傾向にあるように思う。今年になってから聞かれるようになった質問で「もうちょっと易しい本はないんですかね?」とか「1冊で全部わかる本とか出てないんですか?」というのがある。卒論などは、いろいろな見解をちゃんと見て、自分なりの意見を展開していかなければならないわけで、1冊だけでわかったつもりでは困る。あとは「ネットに載っていないからこのテーマじゃ無理ですね」という学生もいたりする。ネットだけで全部判断できると思っているのも、最近の学生の傾向か。これは困ったものである。まずはこういう姿勢ややり方では不十分だということから教えていかなければならない。同僚も同様の傾向がみられると言っていた。「1冊でわかる○○」とか「30分でわかる○○」というタイトルだと本が売れるというのは、やはりそれを反映したものか。そして、それではダメだと気づいた人々が「勉強の方法」的な本を買っていくのかなと思ったりする。たいていそういう本だと、「1冊だけではわかったことにならない」と書いてあって、「なるほど~、わかりましたぁ」となるのだろう。楽をする方法を誰かに教えてもらったつもりでいるのは、一番うまく行かないパターンで、やはり自分で失敗して思い直した方がいいのではないかと思う。やっぱり、地道にやる経験が必要だろう。そういうことを粘り強く教えることがきっと必要なんだろうと思う。
Sep 28, 2007
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今日は授業の後でイレギュラーの飲み会。メンバー行きつけの居酒屋の記念イベントがあるということで、お誘いいただいた。 そこでの話は、これから先の大学はいろいろな意味で厳しいことがたくさんあるというものだった。日記でいろいろブーブー言ってはいるものの、なかなかそうは行かないという話である。もちろん、ブーブー言っている一方で、状況は理解している。納得できるかどうかは別の話なのだ。 と、帰り道に大先輩の先生とご一緒したときの話で、自分のスタンスを改めて思い出した。自宅の場所を尋ねられて答えると、「震災はどうだったの?」とさらに尋ねられた。そのようなやりとりの中で、自分は「あるならあるで、ないならないで何とかする」とか「今こうしていられるだけでラッキー」とか思ってきたなと。 そう、今ある状況の中でどうするか、何とかなるのかならないのか、そんなことを冷静に判断しながらやってきているのだ。いま一度、自分にできることをしっかり整理して考えて行かないといけないことを実感した。 まあ、日記でブーブー言うことも、飲みに行ってブーブー言うこともあるのだろうが、そのときには冷静に、建設的に考えていくことが大事だなと反省。ただ振り回されるだけでもなく、上手に折り合いをつける方法を考えていかないと。まあ、何事もそうなのだが。
Sep 27, 2007
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先日の演奏会で、娘が託児コーナーから卒業して、ようやく客席で聴きたいと言ってくれた。開演前にちょうど妻に会ったので、座席の場所を教えてもらっていた。舞台に出て、娘の姿を探す。1500人以上の人がいる会場で探すのは大変なのだが、場所はかなりわかりやすいところだったので、目をやると二つに髪を結んだ小さな子供の姿を見つけた。演奏会に参加するということは、音楽で表現をしたいということと同時に、来た人に聴いてほしいとか見ていてほしいという気持ちがあることも意味している。他にももちろんチケットを差し上げた人々がいた。両親に、ゼミの卒業生、現在のゼミ生、大学オケの後輩などなど。娘に感想をきいてみた。ヴァイオリンを習っていることもあり、また私が家で音楽をかけていたりすることもあって、「おもしろかった」と言っていた。一番おもしろかったのは何かときいたら、やっぱり「1812年」だったそうだ。「鐘とかたいことかガンガン鳴ってておもしろかったよ。大きい音だったけど怖くなかったよ」と言っていた。スピーカーから出る大音量はちょっと苦手なのだが、そういう恐怖感がなくてよかった。「モーツァルティアーナ」では、「ヴァイオリンのお姉さん、上手だったねえ」と言っていた。そして、「悲愴」では、曲の紹介をするときに第4楽章冒頭のからくり(1stVnと2ndVnとが2つの声部を一音ずつ入れ替わりで弾く)を説明したいと司会者が言っていたので(前日に「やろうかな」、当日の舞台袖で「やりますよ」と言われてゲゲッ!)、結局最前列の4人だけがやることになった。打ち合わせもそこそこにいきなり舞台に出て始めることに。娘は「パパ二人だけで弾いてたねえ。みんななんで弾かないのかな?」と言っていた。曲そのものはやはりまだよくわからない感じだったようだが、それでもちゃんときいてくれていたようだ。その余興なのだが、弾き終わった後で「2つのパートを合わせるとこんな風にきこえるんですよ」と司会者が言った瞬間に、上手側のメンバーが指で「4!」と出した。これって「音がちゃんと合ってなくて4つにきこえたぞ」というつっこみだったのだろうと思う。まだまだ修行が足りませんね。娘は「次も聴きに行きたい」と言ってくれた。息子は託児コーナーで楽しんでいたそうだが、いつ聴きに来てくれるようになるのかな。
Sep 27, 2007
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昨日の睡眠でようやくスッキリして、今日も仕事。午前中は雑用に時間を使い、午後からの仕事を前に同僚とのランチ会。そこで聞いた話。最近はどこの大学でもオフィスアワーを設定していて、決められた時間に学生が相談などあれば研究室を訪れるのをwelcomeするという制度である。もちろん、その時間内に教員はスタンバイしておかなければならないことになっている。ところが、オフィスアワーどころか、「オフィスデー」にするという案があるという。つまり、週1時間では学生に対するサービスとしては不十分だから、もっと教員には部屋にいてもらう時間を長くして、もっと学生に来るように呼びかけよということなのだ。学生に対してきめ細かいサービスをすることこそが顧客満足に結びつくのだから、サービス業としては当然だというロジックなのかなと思う。おまけに、「授業のことだけでなく、人生相談まで含めてちゃんと相談に乗らなければならない」とも言われているのだとか。しかし、これには問題がないわけではないように思う。というのは、オフィスアワーを設定していても、訪れてくる学生があるのは、年に1,2回のこと。逆にイレギュラーな時間に来られる方が多かったりする。だからといって時間を増やしたところで学生は来るのか?という話である。この話を妻にしたら「そりゃ、ゼミ生とかじゃなきゃ普通行かないわよ、私だってそうだったし」との答え。ではもう少し譲って、どっちみち大学に来るんだからいいではないかという考えはどうか。しかし、これも問題がないわけではない。教員は学生の相手だけ(授業とそれ以外)をすることにとにかく時間を使うようにと言ってくれるのならばいいのだが、そうも行かない。大学としては研究実績もあげてこそちゃんとしていると判断されることもあって、「研究も一流のことをしなければダメ」と言ってくるのだ。外部からの研究資金を取るようにとか、いろいろなハードルを設けて成果主義的にやるという話もあったりする。つまり、「教育も研究も全部パフォーマンスを上げなければダメ」ということなのだ。ところが、文系の場合は特にそうだが、研究をちゃんとまとめようと思うと、やはり時間が必要であり、連続して考える時間がないとうまくいかない場面もあったりする。自由に学生が訪れるようにすると、集中できない。しかも理系と比べれば授業負担も多い上に、助手もいないし、ティーチング・アシスタントもいない。残念ながら体は一つだし、時間だって1日24時間しか与えられていない。学生はわれわれのことを「休み中は遊んでいる」と思っているようだが、そうではないのだ。学生はともかく、当事者がそんなことを思っているようではかなわないなと思う(この日記は仕事の内容を書かないので、ひょっとしてそう思われていたりして...研究のことを書いても面白くないので書かないだけ)。それはともかくとして、「学生の相手をとことんまでやってます、研究でも成果が上がっています」という宣伝をすることは一つの戦略ではあると思うが、そこまでやるためにはいろいろな条件をクリアしなければならないだろう。特に規模のコントロールが難しい。きめ細やかにサービスを提供しようと思うのならば、お客さんの数を絞るか、従業員の数を増やすかということを考えなければならない。少ない従業員でたくさんのお客さんを取ることは経営効率という観点から言えば正しいことになるのだろうが、それにも限度がある。従業員のモチベーションが下がってしまうようでは本末転倒の結果になってしまうだろう。さらに言えば、「お客様は神様です」的な状況を作ることは果たしていいのかどうかというのも問題である。少なくとも、教育すると言うことは、ダメなものはダメなのだと教えることもその範囲に入ってくる。しかし、それに対して逆ギレしてくることもあったりする。そこでの対応はというと、「何とかしてもらえないのか」と言われてしまう。時々見かける「うるさいな~、客に向かって何を言うてんねん!!」という大人気ない大人の光景が、そのままさらに若い層でも再生産されてしまうのである。「お客様を大事にすること=媚びること」であるべきなのかどうか、微妙である。とことんお客様のために尽くしてうまくできた経験を持つ人の本もあり、見習うべきところも当然あるのだが、果たして今あるこの個別的状況に当てはめてもいいことなのか、考えさせられる。中教審が先日出した報告書では「大学の全入時代において出口管理をすることが必要(本当の意味で卒業を認められる学生を卒業させる)」と提言されているが、現実はまったく逆になってしまっている。「お客様は神様」と言っている大学が人気で、本当の意味で厳しくちゃんとやっている大学が不人気という状態になってしまったらと思うと、この提言の実現可能性は本当にあるのだろうかと思う。特に、協調性や倫理観などの「態度・志向性」という項目は危ういなと思う。もちろん、私は学生にちゃんと向き合う姿勢を持って接しているつもりだし、そのための努力を惜しもうとは思っていない。限られた資源を使っていろいろな面で折り合いをつけている。きっと、そういう同業の方が多いだろうと思うのだが、どうもそういうところが理解されていないのかなと思うとちょっと悲しいなと思う。もちろん、そうは言っても、自分が100%できているという自負はとてもじゃないが持てない。まだまだ甘いところがたくさんあることもわかっている。よりよいものを求める旅はずっと続けていくつもりだ。
Sep 26, 2007
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午後の授業から戻った後は、体がバテバテ。こんな時は15分ぐらい目をつぶって短く昼寝をするのがよいというのは、最近よくいわれている話。なのだが、疲れすぎているのか目をつぶってもすんなり行かない。結局逆に目が冴えてきたので、英語の論文を読んでみる。「難しい本を読めば眠れる」と書いてある本もあるのだが、どうも違う。といっても、専門分野のものだから頭がオンになってしまうから当たり前といえば当たり前だな...。その後は夜の授業。あまりに疲れていたせいか、気分は妙にハイで、授業としてはうまく成立した感じ。学生もちゃんと聴いていてくれた。終了後はラー研へ。優しい味のラーメンがとても気に入っている店へ。なぜかいつもよりも長い行列ができていたのだが、お構いなしに待って入る。いつも期待を絶対に裏切らない味。満足である。疲れが吹っ飛ぶなんてことはないのだが、ホッと一息。一日の疲れが少し和らいだかな。すでに眠いのだが、まだやることがある。近所の薬局で「死ぬほどの疲れにおすすめ!!」という巨大ポップと共に置いてあるドリンク剤があるのだが、今日だけはさすがに飲みたいと思った。演奏会前に買いだめしておかなければいけないのかな...。そういえば、帰り道に見た月がとても美しかった。昨日までと違って夜は少し凌ぎやすくなった。この調子で明日の朝も涼しくあってほしいものだ。
Sep 25, 2007
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たまっているなと実感。昨日の演奏会で完全燃焼したとはいえ、さすがに今日の授業に差し支えるとまずいので、お酒はそこそこ控えて気持ちよく寝て、睡眠時間もそれなりだったのに、やっぱり疲れがたまっている感じ。もちろん、仕事に支障を来すレベルではないのだが、ずっと体が重い。しかも筋肉痛っぽい。こんな時に私語があったりするとかなり精神衛生上よくない。人数の割には比較的静かな方だとは思うが、それでも気にはなる。ちゃんと聴いている学生には迷惑だ。人数の多い授業はやはりよくないなと思う。しっかり疲れを取っておかなければ、週末まで持たないかなと思う。以前なら、かなり宴会で盛り上がっても平気だった。一番ひどい場合だと徹夜に近い状態のまま行っても大丈夫だったのだが、そうは行かなくなったのは、残念ながら年のせいということだろう(もちろん、無茶がきかないという意味で)。身の程をわきまえよということですな。
Sep 25, 2007
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今日は演奏会本番。「悲愴」だった。やるだけのことはやった。でも、少し心残りが。というのは、演奏中に肩当てがずれて落ちてしまったのだ。ただ、たまたま「1812年」の金管と打楽器が爆発しまくっている(大砲もあり)ところで落としたので、音的にはおそらくきこえていないだろう。隣の相方以外、後ろの人も気づかなかったらしい。でも、やっぱりかっこ悪い話である。その後の曲は、エキサイトしすぎないようにというか、無駄な力を入れないように細心の注意を払った。「モーツァルティアーナ」が格好のクールダウンになった。軽いことが基本になっているので、ちょうどよかったかなと。休憩後、いよいよメインの「悲愴」。いかにこれまでやってきたことを出せるか、そして無駄な力を入れずに弾くのかを考えながら演奏した。精一杯アンテナを張り、指揮者の細かい動きを感じ取り、弾いていった。無駄な力もほとんど入らず、いい感じにできた。クリアな頭と熱い心の両立もそれなりにうまくいったと思う。途中でうるっとくる場所もあったりした。今日の演奏は、それで一つ完結したものにはなった。でもたぶん、もっとできるはず。それは自分にもオケにも言えることだ。いい演奏をしたいというのはみんな同じ思いのはずで、でもまだ方法論が違うままだなと感じることもあった。次の演奏会、その先の演奏会に向けて、もっともっと磨きたいと思う。終わった後は打ち上げ。あとは何でもあり。いつも通りにはじけて、みんなで踊って、酔っぱらって、最終電車で帰宅。ご来場いただいた友人、後輩、ゼミ生の皆々様には本当に感謝感謝だ。後は気分よく寝るだけである。
Sep 24, 2007
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いよいよ明日、オケの本番。「悲愴」とはかれこれ1年以上付き合ってきたことになるが、ここでとりあえず一区切り。今週は練習したおかげでかなり気が楽になった。力を抜く方法もとりあえずほぼできるようになった。あとは、本番の異様な雰囲気に勝手に飲まれないことだけ。頭の中はクリアに、でも心は熱く。第4楽章の最後1ページで泣けるといいな。しかし、同じ曲なのにメンバーと指揮者と会場が違うとここまで様子が違うものなのだなと実感。でも、何より驚いたのが演奏するときの自分の気持ち。コンマスなのか2ndトップなのかの違いもあるんだろうと思う。とにかく明日、その会場でしかできない音楽をやるだけだ。頑張って、そして楽しんで。本番で出す音は一期一会。後悔のないようにやるぞ!
Sep 23, 2007
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ゼミ卒業生の自宅にお邪魔してのバーベキュー企画が終わって、オケの練習へ移動中。 何とか天気が最後まで持ってよかった。途中の駅に彼以外のメンバーが集合し、バスで移動。停留所まで迎えに来てくれた。その後、炭に酒をみんなで買い出し。肉はメンバーの一人が地元の肉屋で購入したものを持って来てくれた。あとはサンマを購入。 昼前からバーベキュー開始。肉屋の肉はスーパーのパックと違って美味しかった。分厚さも違う。それでいて頭割りするととても安い。 サンマもホイル焼きにしたら、とても美味しかった。主催者の自宅は海を見下ろす高台にあるので、まさに絶景。ただ、天気が良すぎて焼けるような暑さ。炎天下でフラフラになりながらビールが進む。途中で、メンバーが他の同期に連絡をし始め、電話がつながるたびに、私が出てびっくりさせるという遊びをしていた。私だとすぐに気づいた人もいれば、ほとんど最後までわからなかった人もいて、面白かった。 こういう楽しい時間はすぐに過ぎてしまう。夕方からはメンバーだけでゆっくり飲むようだ。それもまたよし。自分たちの遊ぶ会に呼んでくれるというのはうれしいことだ。感謝である。
Sep 23, 2007
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3日ほど前だったか、ゼミの卒業生からメールが来た。メンバーの一人の実家でバーベキューをするから来ないかというお誘い。私の自宅からは比較的近いところにあるので、OKしたいなと思っていた。しかし、演奏会本番が明日なので、これに行くと私は2日家を空けることになる。家族が納得してくれるかが問題だったので、OKをもらうために、昨日をみんなのために空けるという約束をした。幸いOKをもらったので、OKと返信。というわけで、昨日は昼食を食べてから夕方まで子供たちを連れて電車に乗って出かけた。「パパと電車にのってどっかに行きたい」と子供たちは言っていたようだ。私が子供たちを連れて出かければ、妻にとっても自由時間ができることになる。そうなれば、みんな丸く収まるのでよい。「もっと遠いところに行きたかった」というので、それならば行きましょうというつもりでいる。子供たちは妻に「楽しかったよ~」とずっと言っていたらしい。一番かわいい頃だとみんなに言われる年頃だが逆に言えば手がかかるときでもある。妻にとっては、子供が少し離れてから帰ってきたらとてもかわいく見えるらしい。というわけで、この2日間は気持ちよく送り出してもらえることになった。昼は卒業生が集まる場所に参加して、夜は本番前最後の練習。楽しみにしている。
Sep 23, 2007
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「交響曲の父」とも言われるハイドンは、77年の生涯で100曲以上もの交響曲を作曲しており、その創作の時期も1755年頃から40年間と長いものだった(実際に何曲あるのかについては諸説あるが、この時代の音楽作品には自筆楽譜が残っていないケースが多いので本当のところはわからないようだ)。この曲は、1771年から1772年頃作曲されたと言われている。この曲の作曲時期も含まれる1760年代後半から1770年代前半にかけては、ハイドンにとっての「シュトルム・ウント・ドランク(疾風怒濤)」時代と呼ばれている。この「シュトルム・ウント・ドランク」というのは,18世紀後半の文芸の運動で,冷徹な理性よりも、人間に本来自然に備わっている感情を重視しようとするものである。確かに、音楽にしても絵にしても、時代を追ってみていけば、そういう感じに変わってきたのだなと感じることができる。ハイドンの音楽はこの運動と直接関係していないと言われているが、感情を表に出す表現を多用した作品(交響曲だけではなく、弦楽四重奏やピアノソナタ、オペラにまでそういったスタイルが見られる)を多く生み出した時期がちょうどこの時期に近いことから、そのように呼ばれている。ハイドンの交響曲はほとんどが長調なのだが,例外的にこの時期には短調の作品が集中している。この時代に交響曲を短調で書くということはかなり特別な意味を持っていて、情熱的な表現をしたいときにそうするのだと言われている。確かに、モーツァルトも短調の交響曲でもこのような情熱的な表現が多用されていると言える。この曲も特に両端の楽章において情熱的な表現がむき出しになっており、この時期のハイドン作品の特徴を持っている。ハイドンはこの作品を気に入っていたようで、自分の葬儀の時には第3楽章を演奏してほしいと語ったと言われており、また1809年に行われたハイドンの追悼演奏会ではこの楽章が演奏された。副題の「悲しみ」というのは、ハイドン自身によるものであるか否かはわからないが、ハイドンの追悼演奏会のエピソードに由来すると言われている。-------------------------第1楽章: 曲の冒頭はユニゾンによる暗い動機で始まり、第1ヴァイオリンが暗いながらも美しい旋律で応答する。これと対比される第2主題は明るく力強いものになっている。これらの素材を展開しながら曲が進んでいくが、その中でもずっと情熱的な表現がとどまることなく、推進力を持ち続けている。ただし、最後の方にフェルマータがあり一瞬音楽の動きが止まってしまうところがあるが、これが逆に印象的である。ハイドンはこの曲の中で対位法(同時に複数の旋律が存在し、個々の旋律が独立性を失うことなく共存するということで、例えば旋律と伴奏というように各パートの役割を固定したまま進んでいくスタイルとは異なる)を積極的に導入しており、この楽章にも対位法が多く見られる。それによって、例えば異なるパートどうしで旋律が追いかけているかのようにきこえたり、次々と旋律が湧き出てくるようにきこえたりすることで、たたみかけていくような推進力が生み出され、情熱的な表現につながっているのである。-------------------------第2楽章:この楽章はメヌエットの形式で書かれている。宮廷で踊られた舞曲らしく優雅な感じがするメヌエットには、長調の曲が似合うように思われるが、ハイドンは暗い雰囲気を持った短調のメヌエットをこの曲で採用した。しかし、中間部では長調に転じ、霧が晴れたような美しい音楽になっており、冒頭部分との鮮やかな対比がつくられている(中でもホルンが弦楽器に重なった音色が印象的)。ちなみに、冒頭の主題が最高声部と低音部とのカノンになっているので、この曲は「カノンの交響曲」というタイトルが付けられていたという説もある。-------------------------第3楽章:この楽章では、弱音器をつけたヴァイオリンの美しい旋律が次々と登場していく。シンプルな伴奏とオーケストレーションによってつくられていることから、この楽章には透明感のある美しさがあふれている。また、音の強さを比較的こまめに変えてみたり、異なる拍子を途中に挟んでみたり(実は4拍子の流れの中に5拍子が埋め込まれている場所がある)といった工夫が見られるのもこの楽章の特徴だ。-------------------------第4楽章 この楽章は、単一の主題に基づいて展開されており、全体が有機的に構成されている。冒頭からせき立てるような主題によって始まり、第1楽章と同様にそれが対位法によって展開されていく。主題そのものがかなりせき立てるような性質を持っているので、この楽章は第1楽章以上に推進力が感じられ、情熱的な表現にあふれている。また、一瞬沈静化していくかのように見える音楽が、それを切り裂いて最後まで走り抜けていくラストも印象的なものとなっている。-------------------------ハイドンといえば、面白い副題のついた曲が多かったり、また「告別」や「驚愕」といった面白いエピソードを伴った曲が多く、全体的に明るいイメージだが、この曲は別の一面を見せているようだ。それだけに、印象深い。モーツァルトの短調の交響曲においても同様の感覚である。一度演奏会で演奏したことがあるが、やはりそういう意味でも難しかった。とはいえ、実際にやって思ったのは、古典をちゃんと演奏できることが基本だということ。確かに音をなぞるだけなら何とかなっているように思うが、実は逆にそれが難しい。音がごちゃごちゃしていないので、ごまかしがきかないのだ。こういう曲を聴くと、やっぱり古典をちゃんとやりたいなとか思ったりする。とか言いながら、今必死で練習しているのはチャイコフスキーだったりするのだが...。
Sep 22, 2007
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心から嬉しかった3連発は、22年前のバース、掛布、岡田による甲子園でのバックスクリーン三連発。当時テレビの生放送でしっかり見ていた。鳥肌ものの三連発である。しかし、今日の私にとっての三連発は嬉しいものではなかった。大教室での授業三連発である。昨日の夜などはそれを考えるだけで寒い気持ちになり鳥肌が立った感じだった。今日の仕事の予定はとてもハードだった。後期に入ってシフトが変わったのだが、それが短い昼休みをはさんで大教室の講義が3コマ連続というものだった。3コマ連続は、別の大学で夏休み中の集中講義として担当したことはある(その時は最大4コマ、ただし一日すべてが自分の授業なので時間配分は比較的自由に決められる)が、通常のシフトでやるのは初めてだった。そういうわけで、いつもより自宅を早めに出て、大嫌いなラッシュの通勤電車に揺られて行ったのだが、通常と違うことをするというのはやっぱりよくない。乗換駅で、ぶつかってもいないのに因縁をつけられてちょっと苦労(その場で言われるのではなく、かなり離れた場所でかかってきた。意味がわからん)。しかし、毅然としていると何事もなく去っていった。この時間帯は二度と乗らない。早くするか遅くするか、それはその時次第で考えよう。気分の悪いまま大学に到着。落ち着いて準備を済ませて、いざ教室へ。後期からスタートする授業、こちらも新しい方法でやってみたが、感触は上々だった。終わった後で学生をつかまえて感想を聞いたが、とりあえずこの路線でやってみようと決める。昼休みはあっという間に終わってしまい、今度は午前と同じ科目をリピート。こちらもちゃんと聴いてくれたので滑り出しは上々だった。しかし、このあたりでだんだんと疲れ始める。いつもと違うことをしたのが効いてきたのかな...。さらにわずか10分の休み時間を挟んで今度は別の科目。この10分間というのは、結局マイクの交換に行くのでほとんどなくなってしまうので、あとは水を飲んでトイレに行ったらそれでおしまいである。さすがに3コマ目はしんどいなと思っていたが、話し始めるとちゃんと聴いてくれているので、やりやすかった。クラスサイズが小さかったことが幸いだったという感じである。声を張り上げなくても伝わるというのは大きい。その3コマが終わったら、マンガで書けば真っ白(灰になった)状態で研究室へ戻った。さすがに最初の週はきついなあと思う。慣れてくればそうでもないのかもしれないが...。そのあとは何もする気が起きず、片づけをして帰ることに。しかし、帰りもラッシュ。往復がラッシュ(しかも時間も長い)となると、疲れは倍増である。おまけになんやねんこの暑さは...。結局汗だくになって、自宅へと戻る。と、到着寸前まで幼稚園友達がいたとかで、夕食までに時間がかかると宣告され、さらに疲れが倍増...。といっても仕方がないので、気を取り直してヴァイオリンの練習。まだちゃんとできていないと判断する箇所を20分ほどおさらいするうちに夕食。子供は早く帰ってきたのがうれしいようで、とにかく遊ぼうとくっついてくる。かわいいのだが、一点だけ困るのは「暑い~!!」ということだった。でも、大事なコミュニケーションの時間。ここまででかなり疲れがたまってしまったので、今日こそしっかり体を休めなければと思っているところである。
Sep 21, 2007
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今日は、シベリウス没後50年のちょうど命日にあたる。それを知って取り上げたいと思っていたのがこの曲。私にとっては、シベリウスの曲の中でも最も好きな曲になっている。最近、比較的値段の安いこの曲のスコアを買って持っていたのだが、時間が無くてまだ開いていなかった。今週は仕事がとても忙しく、一人でゆっくり気持ちを休める時間があまりなかった(昨日の帰りに飲みに行ったのは気持ちを休める気がなかったから)。明日が一番ハードな予定の一日。帰宅してからはリフレッシュのために、スコアを開いてこの曲を聴いてみた。ある程度こんな感じの譜面なんだろうなというのは想像していたのだが、細かい部分で実はかなり違っていた。パート同士でリズムがかなり入り組んでいたり、拍子が思っていたのと違っていたりと、いろいろな発見があった。この曲が作曲されたのは1914年から1915年にかけて。シベリウスの50歳を祝うための記念行事が予定されており、自作自演のプログラムになっていたようだ。そのために構想され、作曲されたのがこの曲。しかし、実際は第一次世界大戦が始まったところでかなりシベリウスも苦しい状況に立たされていたという(他国から経済的に断絶していたため)。苦労しながらも演奏会は無事行われ、この曲の初演は大成功だったそうだ。-------------------------第1楽章この楽章は2つの部分からなる。もとは2つの楽章に分かれていたそうだが、改訂の段階で1つの楽章にまとめられた。この曲は3楽章制だが、実質的には4楽章あるとも言える。冒頭は変ホ長調の雄大な響き。ホルンと木管の応答で始まる。朝日が昇りかけに鳥が鳴き始めるというような景色が思い浮かぶ。その後は木の葉が風でざわざわと鳴っているような雰囲気。半音階で調の色合いがあまりはっきりしない部分は風向きや光の当たり具合が変わっているかのようだ。その部分を抜けると、今度は曲のテンポが上がり、木管でかぜが吹き抜けるような動きを見せる。ロ長調という調がまた最初とは違う涼しげな世界にあるような気分にさせてくれる。ここからがスケルツォ部分である。スケルツォではさりげなくどんどんテンポが上げられて、盛り上がってくるとホルンの太い音などが加わってきて、ティンパニを合図に変ホ長調のクライマックスを迎える。トランペットが明るく旋律を歌い上げ、さらに他の楽器もあふれるように加勢して、さらにまだ行くのではという雰囲気を持って突っ走ったまま終わる。-------------------------第2楽章:ト長調のさわやかな朝を思わせるようなアンダンテ。冒頭、管楽器のロングトーンに弦楽器のピチカートでスタート。しばらくそのようなやりとりが続いてから、一気に視界が開けるようになり、ヴァイオリンが水面のかがやきのような旋律を歌う。途中は、それらの素材を使いながら、短調に行ってみたり、またシベリウスが後期の交響曲でよく使う転がっていくようなテンポアップなどがあったり、ちょっとしたドラマを作りつつ、最後は冒頭の雰囲気に戻り、あっけなく終わる。「え、終わったの?」という感じだ。-------------------------第3楽章:変ホ長調のアレグロ。最初はひたすら弦楽器が刻みつつ旋律を奏でる。風とそれにたなびく水面という雰囲気だ。しばらくすると、ホルンが鐘のような響きをバックに、そして木管楽器がゆったりとした主題を歌い、その続きでハ長調に転ずるところが雄大でカッコイイと思う。それからまたアレグロに戻り、木管楽器の主題は変ト長調で歌われる。この部分は夢の中という感じ。やがて、曲の趣は大きく変わる。それまでの主題が素材として使われているのだが、拍子が拡大して、雄大な音楽へと変わる。変ホ長調の世界でありながら、短調のような進行もあり、この部分は夕方、ちょうど夕日が西の空に沈む前の最後の輝きを見ているかのようだ。最後は和音が断片的に鳴らされて時間をかけて終わる。この終わり方もけっこうあっけない感じではあるのだが、一つのいい味になっている。-------------------------この曲は、まだ演奏する機会に出会っていない。でも、生きている間に絶対にやりたい曲を3つ挙げろと言われたら、この曲は入る。しかし、CDを聴くのと楽譜がここまで違うかとも思った(7番をやったときに初めてスコアを見たときもそう思った)。ちょうど仕事が一区切りついて研究室に戻ってきたときに夕日を見ながらこの曲(特に第3楽章)を聴くと、グッとくるものがあったりする。長調でめでたいときのための曲なのに、なぜだか切ない気持ちになることもある。そう言えば、中学生の頃から実家で飼っていた犬が大往生した時(何しろ結婚後まで生きていた)、それを両親が我が家まで連れてきて最後のあいさつをしたのだが、その直後に自分の部屋にこもって大泣きしたときにかけたのがこの曲。第1楽章の終わりがちょうどその犬が走っているところに似合っていたし、ちょうど明るい感じもするし、そういう曲を聴いて送ってあげたいなと思ったので、この曲を大音響でかけた。真っ赤な空の、山の向こうに行ってしまったんだなと思えば、自分の気持ちも前向きになれるのかなと思ったのだ。一度、取り組むチャンスの欲しい曲だなと思う。
Sep 20, 2007
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いつものことだが、演奏会が近づいてくるとテンションが上がってきて、練習しながら「もっとやらなきゃ」という思いがどんどん強くなってくる。そして、できていない場所で自己嫌悪になることもあったりなどする。とはいえ、本番が近くなることが「困ったなあ、もっと時間が欲しいぞ」と思うことはあっても、嫌だと思ったことはない。かといって、「早く終わってくれ」と思ったこともない。舞台に上がって演奏することはやっぱり楽しいものだ。しかし、中途半端なまま舞台に上がって後悔などということだけはしたくない。楽器を始めた当初、舞台に上がっても、みんなについて行くことで精一杯だったが、経験を重ねていくうちにいろいろと考えながらできるようになってきた。何度もやっていくうちに、それまで見えなかったものが見えてくるようにもなった。その見える範囲の中で、できるだけきっちりと見えているようになりたいのだ。だから、いつまでも「納得するための旅」は終わらない。「成長する実感」が欲しいなという気持ちはあると思う。「今回はこんなことができるようになった」、「こういうことを気をつけることができるようになって、表現の幅が広がった」という実感があるというのはうれしいことだ。まあ、これは仕事でも同じことが言えるのだが。本番が近くなってくると、その思いがやっぱり強くなってくる。とはいえ、オケはみんなでやれる楽しみ。その幸せを忘れての演奏は成り立たないと思う。思うように音がブレンドされた瞬間、タイミングがぴったりきた瞬間、それはとても気持ちのいいものだ。一度の演奏会でそれが何度も出てくるわけではないのだが、それでも弾いてみなければ、合わせてみなければ絶対に出てこないものでもある。みんなで演奏できる幸せ、忘れたくないものだ。個人としての楽しみと集団としての楽しみ、どちらも味わうことができる趣味は本当に素晴らしいと思うし、出会いは偶然だったとはいえ、自分はこれに出会えて本当に幸せだと思う。だからこそ、当日はもちろん、とことん楽しみたい。指揮者のタクトで動く時間、客席を回って帰ってくる音、楽しそうに弾く仲間、そしてみんなで作り出す音楽、どれも大事に思って演奏したいなと思う。
Sep 20, 2007
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昨日は夜の授業で遅くに帰宅。さすがに初回は疲れたのでゆっくりと寝かせてもらうことに(少し予定もゆっくり)。とりあえずシャワーを浴びてスッキリした後、出勤までの時間が中途半端だったし、今日も楽器を弾けない時間に帰宅するのでヴァイオリンの練習。演奏会まで1週間を切ってしまったので、最後のあがきである。とにかくうまく行く確率が低い場所をゆっくりから、それに音程がどうしても悪くなりがちな場所もチェック。いかにクリアに弾いて客席まで音を飛ばすかが勝負。しかし、練習すればするほど、自己嫌悪になる。練習するだけ、感覚が鋭敏になっていろいろなところに気づいてしまう。実際にはアバウトで合っていて、何となくできているつもりの場所でも一人で弾いてみるとやっぱりダメ。もちろん、練習はずっとしてきたから、弾けないとかいうことはないのだが、でもやっぱり音のクオリティは高い方がいい。だいたいこんなもんでいいかなと思ってしまいがちだが、今回の指揮者の練習でいろいろ話を聞き、さらにいろいろと近くで話をさせてもらうと、それではいけないことを痛切に感じる。確かにプロのようにそれが第一の仕事ではないのだから、時間がかけられないのは当たり前なのだが、練習の密度あるいはクオリティを高く保とうと意識することがとても重要だ。これは仕事でも同じこと。人間に唯一平等に与えられるのは「時間」、そこをいかに濃く過ごすかが大事だと思う。もちろん、濃淡というくらいだから、淡い部分がないと持たないのだが、でもやるときはやる。そういうことを言い聞かせないとなかなかうまくいかないものだ。音楽は時間芸術、一度出した音を消すこともできない。集中力がものをいう。どうせやるならいいものを、そして自分が100%満足できなくても(そんなのあり得ないと私は思うが)、できるだけ納得できるものをつくりたい。時間が足りなくなってからこういうことを痛切に感じる自分はきっとまだまだなんだと思うが、まだやれることはある。頑張ろう。こういうテンションがあると、仕事もけっこう集中できたりするのがまた不思議だったりする。よい相乗効果で頑張っていこう。
Sep 19, 2007
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今日から担当の授業開始。どうも初回というのはいつまでたっても慣れないものだ。そう思っていたら、夜中に夢を見た。それは、授業が始まってからしばらくはうまくいくものの、だんだんおかしくなってきて、教室で騒ぐ学生、注意するとつっかかってくる学生、そして教室の外でラジカセで大音響をかけてじゃまする学生などが次々と登場してブチ切れる夢だった。キレている状態で最後は目が覚めた。今回は今までと違う方法を試そうと思いつき、それを初めて実践することもあり、不安と緊張感があったのだろう。とにかく寝付きも寝起きも最悪だった。さてさて、気分的にもしんどいなあと思いながら強冷車で気を取り直して大学へ。学生がたくさんいたが、やっぱり大学は人でにぎわっている方がいいと思った。これこそ日常の風景である。先生方にもたくさん会って、本格的な仕事モード。しっかりと準備をして、本番に臨んだ。結果は...思ったよりもうまくいった。火曜日は人数が多くて騒がしくストレスフルな状態だったのだが、今回の新しいやり方はある程度クラスのコントロールを効かせやすいようだ。ちゃんと参加してほしい、興味を持ってくれたら、などといろいろ考えて決断した方法の変更だったが、成果はあった。これから磨いていくことが大事だと思う。今朝の夢が正夢にならなくて本当によかった...。あとは、後期から新しく始まる授業がうまくいくかどうかだな。また夢を見てしまうかも...。
Sep 18, 2007
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最近、9月だとは思えない(いや、最近は毎年そうかもしれないが、35度近くはおかしい)暑さ。今日もしっかり晴天だが、ちっともさわやかではない。通勤電車も連休明けを反映してか、遅めの時間なのに人が多い。起きられない気持ちなんでしょうか...(そういえば、今朝の子供たちもそうだったな)。そんな中、大学の最寄り駅まで乗る最後の電車が、なんと弱冷車の真逆ともいうべき強冷車状態。ドアが開いた瞬間、スーパーの冷凍食品コーナーの前に立ったような涼しさ。一瞬、思わずうれしくなってしまう。が、しかし、どんどん走っていくうちに、この寒さは短距離にはいいけれど、中距離は持たないかもと思い始めた。今度は停車駅でドアが開くたびにほどよい温風が車内に吹き抜ける。それからまた冷えてという繰り返し。とはいえ、それまでがぬるい車両ばかりで汗はダラダラ、不快指数があまりに高い車内であったことを思えばそれもいいかなと思った。これって、私は気分がよくなったが、やっぱり浸透はしないんだろうなと思った。たまに当たる強冷車を楽しみに待つことになるのかな。いやいや、そんなことよりも、早く涼しくなって欲しいものだ。この分では10月でも半袖はやめられないかも。
Sep 18, 2007
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昼前に仕事をしていると、娘が「テレビを一緒に見よう」と言うので、何かと思って行ったら、スーパーキッズオーケストラのドキュメンタリーだった。娘は妻とこの演奏会を聴きに行っており、テレビカメラが入っていて放送があるだろうと思っていたそうで、見つけて喜んで、私にも見せたかったようだ。演奏はとにかく素晴らしかった。オーディションで選ばれた精鋭で、かなり上手い子ばかりだから当然なのかもしれない。といってもやっぱりスゴい。音がしっかり出ているし、響きもそれぞれがしっかり出している。曲目にはホルストの「セント・ポール」組曲や、レスピーギの「リュートのための古代舞曲とアリア」第3組曲などがあり、部分的に流されていたが、レスピーギの第4曲では豊かな響きがしっかり出ていた。これは演奏したことがあるが、一度にたくさんの音を弾くように要求されているのでとにかく難しい。しかもきれいな音でなければならない。これをしっかり弾けるのは本当にうまいということだろう。いやあ、スゴい人たちがいるところにはいるもんですな。妻によれば、本当に上手かったそうだ。コントラバスの中学生の女の子には驚いたと。娘はアンコールの「フィドル・ファドル」に感心していたらしい(弾けと言われたので弾いたが、難しい…)。途中にあった出演者のインタビューで「1日5時間練習する」と聞いて驚いていた。さて、番組終了後、しばらく仕事をしていたら、娘が「練習する」と言って楽器を持ってきたので、しばらく付き合う。5時間練習というわけには行かなかったが、結局1時間練習していた。楽器がある程度上手くなるためには、まずは練習あるのみ。やっぱりスーパーキッズオーケストラを見ても感じたのは、いいものを作りたいという思いの強さが大事だということだ。純粋にそう思って頑張る人たちの姿は確実に伝わる。ちゃんとした音を大事に出そうとすること、これは見習うべきことだ。それが子供だろうが、若者だろうが、そうだと思う。
Sep 17, 2007
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今日は午前中に子供たちにせがまれて近所の公園へ。娘は一輪車をやりたいのだという。竹馬ができるようになったところからさらに勢いを増して、一輪車までマスターしたいのだという。私が右手を出して娘が左手を乗せるだけという状態で練習を繰り返す。久しぶりだったので、最初はうまくいかなかったが、だんだんうまくいくようになり、落ちずにいける距離がのびていった。しばらく続けていけば、これもたぶんマスターできるのかなと。7~8割ぐらいはできているように思うので、後は自分で何も掴まずに前へ行こうとする勇気だろう。その後、今度は木に登りたいと言い出した。その木は子供たちに人気があって、よく登っているのを見かける。幼稚園の友達が登っていけるようになったのを見て、自分もやってみたい、できないのが悔しいと思っていたようだ。それも横で見ていたのだが、とにかく最初の枝分かれの部分まで登るのにひと苦労する木である。足をかける場所が限られていて、膝や腕をうまく使わないと登れない。何度か失敗していたが、教えていないのに、自分で見つけて登れるようになってしまった。娘を見ていて思った。「前へ行こうとする勇気」「できない自分が悔しい」「自分で何とか見つけようとする強い思い」どれも何事をやるにも必要なこと。もちろん、まだ簡単なことだからできるようになるわけで、大人になっていけばそうも行かないことが山ほどあるものだ。でも、やっぱりその気持ちを持っていないと前に進めないことも確かである。表情を見ていると真剣そのもの。スマートじゃなくても本気で何とかしようとする姿勢というのは伝わってくるものだ。今の自分がどこまでできているのだろうかと思ったら、反省しないといけないような気がする。大人も子供の姿から学ぶことはあると思う。などと思いながら娘を見ていると、周りで息子が自転車に乗りながら「おっぱっぴー!?(幼稚園ではやっているらしい)」と言って、ちょっかいを出しに来る。こちらは満面の笑顔。娘が必死の形相をしていようが「でもそんなの関係ねぇ!」という感じである。こういう天真爛漫さもやっぱり学ぶべきか?!まあ、そういうお年頃だろうと思うので、その明るさを大事にして欲しいなと思う。最近、いろいろな表情を見せてくれるので、子供たちと遊ぶのは楽しい。
Sep 16, 2007
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今日はオケの練習。今週は仕事の空き時間を見つけてできる限り練習してみた。先週の課題になったところ、自分がまだOK(出しても本当は違うだろう。仕方なくだが...)が出せないところをやっつけて行った。ゆっくりのテンポから自分のクセを割り出して、もっといい音が出るようにと楽器の響きを確認しながらやってみた。練習に行くと、それなりに効果は出た。不完全燃焼の失敗ではなく、ちゃんと燃焼してたまたま燃えすぎただけという感じに持っていくことができた。先週の課題はちゃんとそれなりにクリアできたと思う(気合いだけにならないような弾き方をちゃんと考えて行ったので)。複雑で難しいパッセージもよりクリアな頭で、ある程度思ったようにできた。とにかく振り落とされないように、そして体が上がってしまわないようにと思ってやっていると、これってスピードスケートのような感覚だ。腰を極限まで落として氷にピッタリとくっつきながら遠心力にも振り回されず、そして、疲れてだんだん腰が上がってしまうとダメ...何となく似ているかなと。でも...個人的にも、オケ的にも、本当はまだまだだと思う。個人的には「頭ではわかっているけど体がついて行かなくてゴメンナサイ」という感じ。一瞬の気のゆるみもとにかくなくしていくことが重要。これはあと少しの時間だが練習をして謝らなくても済むようにするだけ。ただし、オケは「頭でちゃんと整理できなくて混線して合わない」という人がまだいるという感じだ。もっと寄り添えるはず。本来かみ合うべきパートがケンカしている。「お前が悪い」みたいな状態だとうまくいかない。「ごめんごめん、自分の方がちょっと足りなかったかな」と言えるようにした方がうまく行くと思うんだが、もしかしてプライドが邪魔している?!「心をひとつに」はどこまでできるのだろうか。やっぱり謙虚なことって大事。謙虚に思うからこそ見えてくるものがある。自分は表現者だと言っても、表現を味わってくれる相手がいるから成立することで、しかも多くの人間が集まって作品をつくるのがオーケストラ。引っ込みすぎてネガティブになることは避けなければいけないが、アクティブに音楽を進めていこうとしながら、頭は冷静に、そして何がダメなのか、何を求めるべきかを謙虚に受け止めていくことは絶対条件だと思う。時々、「指揮者はクライアントなんだから、自分たちが気持ちよくやれるようにしてくれればいいんだ」とかいう人がアマチュアオケにいるのを何度か見たことがあるが、それは私は違うと思う。指揮者は一緒に作る音楽を客観的に正しい方向に導いてくれる存在だと思う。プロオケはわからないが、アマオケではそう思うことが必要だと思う。何をどうやって求めていくかをちゃんと語ってくれるのがいい指揮者かなと。ただし、何もしないで連れて行ってくれることはない。奏者がちゃんとアンテナを張って行かなければならない。アンテナを張って、それでも納得がいかなければ直接ぶつけていけばいいことだと思う。そして、何よりも、いいものを求めていく姿勢と、そのためにやるべきことをやるということが必要だろう。もっと美しいものを、もっとよいものを求めて行かなければ。それで結果がうまくいかなくても、求めていけば自分は確実に成長していることを感じ取れるようになると思う。もうすぐ本番。やっとそのことが自然にわかるようになってきて、演奏づくりのプロセスが楽しくなってきたのに、もう来るのかと思う。あと少し、でももっとうまく弾けるようになりたい、もっとみんなで歩いていきたい、そしてもっといいものを作りたい。「悲愴」を弾き終わった後、集中してやり切った安堵から自然と涙が出てくる...そんな演奏がしたい。
Sep 15, 2007
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(↑自宅近くで見た、寸前までギラギラとまぶしかった夕日)今日も子供たちを幼稚園に送り届けて大学へ。朝自宅を出るときにけっこう雨が降っていたので、長い傘を持っていったのだが、さしたのは結局10分ほど。座れない優等列車をスルーして普通電車に乗って座席を確保。通勤時間帯の最後の方なのだが、特急は満員でも普通はかなりガラガラ。気持ちよく本を読みながら乗換駅まで揺られていった。最近、勉強法の本がやたらと書店に平積みされているのだが、その中に通勤時間を大事に使おうみたいな本がいくつかある。確かに、通勤時間は座っていけば快適にいろいろと作業ができる。本から得たヒントでなるほどと思ったのは、クリップボードを持って行くことだ。鞄は作業台になりにくいので、ちょっとした重さで十分いろいろできる。さて、乗換駅からも座席は確保できたが、時間が短いので目をつぶってのんびり。大学の最寄り駅よりも遠い駅で降りて歩くことに。暑かったので十分に汗をかく。その後は仕事、と!いきなりスコール。凄まじい雨で昼食に行く気も起きず作業を続けていたら同僚が来訪。雨はすぐに止んだので、コンビニまで買い出しに行き、同僚と昼食。遠方へのお出かけの土産話を聞く。まさにリフレッシュな旅にちょっとうらやましさを感じたのだった。午後は作業の続き。今週の昼間は授業の準備を集中的にやることにすると決めていたので、それをひたすら実行。そして夕方に帰ろうと最寄り駅まで歩いていたら、またまたいきなりスコール!私が駅に着いた頃はまだマシだったが、その後本当にひどい土砂降り。電車の窓から遠い景色はまったく見えないほどの降り方。「バケツをひっくり返したかのような」とはまさにこのことだなと思う。自宅の最寄り駅に着くと、今度は夕日がまぶしいほど照りつけ、しかも雨降りの後で暑い。自宅近くは、大学近くとまったく違う天気で雨はちょっと降っただけだったらしい。ちょっとした緯度の違いでここまで違うのかと妙に感心した。帰宅後は夕食、そして娘のヴァイオリンの練習に付き合い、自分も練習。そして、今はまた仕事。だんだんスケジュールを仕事モードにしていくことを心がけているところだ。さて、明日は週末のオケ。気晴らしに音楽&酒。一週間が充実していると楽しみへの期待もふくらむ。
Sep 14, 2007
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娘が幼稚園の友達からもらったという手紙を見せてもらった。そこに書いてあったのは...「○○(娘の名前)ちゃんへ これあげる □□(友達の名前)より」これって、本当紙だけ?...。でも、子供たちにとって大事なことは、あげるものの中身ではなく、あげるという行為そのもののようだ。それで仲良くやっているのだから、いいことなのかもね。
Sep 14, 2007
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首相の辞任劇から一夜明けて、もうすでに「次は誰なのか」という話。辞任の原因にはいろいろな憶測が飛び交っている。体調もそうだろうし、代表質問に耐えられないこともそうなのかもしれない。やめるタイミングがまた悪いのも確かだ。無責任だと言われても仕方のない状況だと言えるだろう。しかし、そういっておしまいで本当にいいのだろうかとも思う。内閣改造からはすでにリーダーの色がなくなっていたことを感じた人は多いだろう。サブの人が表に出てくる機会が多いし、テロ特措法についても動きも活発だったと言われている。口では協力しているのだと言っても、そう見えないのはやはり問題だろう。協力しているという感じがあまり見えないのだ。このテンションの低さをどう考えたらいいのだろうかと思ってしまう。国内向けにはそれで済むのかもしれないが、さて諸外国からはどう思われているのだろうか。「何やってんだ?」ということにもなりかねない。リーダーも大事だが、周囲を固める人の大事さを考えさせられる。とはいえ、リーダーが独走するのもまた大問題で、加減は非常に難しい。要するに単純な答えはなくて、ちゃんとみんなで考えなければいけないということなのだろうな。そして、その後の問題として、じゃ次は誰がやるのかと見回したときに、誰がいるのかという話になる。閣僚の問題がひどい形でどんどん出てくることを考えれば、あるいは失言の数々を考えれば、それぞれの能力にも問題があるのかなと思えてしまう。これも個人主義的な社会への変化が生み出したものなのだろうか。それとも世襲が当たり前みたいな状況が生み出したものなのだろうか。いずれにしても、この国の人材育成がうまくいっていなかった(いない)ことの現れなのかなと思ったりする(自分もそう言われると耳が痛いのだが...)。これだけ言ってしまうと、「文句があるならアンタがやれば?」と言われそうだが、やはりその立場に立ってしまった以上は責任を持ってやってもらわなければならないと思う。「これだけ苦労してやってるんだから文句を言うなよ!」という気持ちと「これで本当にいいのだろうか?」という気持ちの間で裂かれるような気持ちになるのがリーダーの辛いところだと思うが、自分のやっていることを相対化しながら、かつ大胆に決定していかなければならない。頑張っていても逆効果になってしまうこともがあったり、自信たっぷりにメチャクチャなことを押し通すことがあったりと、どちらかが欠けてはうまく行かないと私は思うが、やっぱりそれを実行することって難しいなと思う。これって、身の周りのどこにでもある話であるような気がするのだが、本当に古くて新しい問題である。こうやって書きながら自分も反省しなければと思ってしまう。今後、ちゃんとそれをわかって実行できるように自分を磨くしかないということだろう。それにしても、これからいったいどうなってしまうのだろうか。「美しい国」どころの騒ぎではない。
Sep 13, 2007
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首相が辞意を表明した。選挙に負けてもやるのだという気合いで臨んだ職だったはずなのではないのだろうか?国会が始まっていきなり辞めるというのはいったいどういうことなのだろう。確かにいろいろと周りのボロが出すぎてどうしようもないところもあったのだろうが、このタイミングでというのが、どうも理解できない。やっと内閣改造が終わって、さあこれからどう動いていくのだろうかとなったときに、いきなりコケて、しかもさらに内閣が替わるとなれば、いったいどうなってしまうのか!?(←「ガチンコ!」で一時期飽きるほど聞いたフレーズ)方向性が定まらないまま、責任者がいなくなるという状態、これっていったいどうするつもりなんだろうか?しばらく混迷が続きそうだ。これでどさくさに紛れて年金問題等々がうやむやになってしまわなければいいのだが。
Sep 12, 2007
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今朝のワイドショーを何となく見ていたら、美しい歌声が。三線とギターを持ってストリートのみならず、居酒屋でまで歌っている女性デュオの姿。石垣島出身の2人、「やなわらばー」である。この名前、どこかで見たことがあると思ったら、子供たちが見ている「クレヨンしんちゃん」のエンディングで使われている歌を歌っていたのだった。何という名前なのかと思っていたのだが、今日は違う曲で登場し、スタジオで2曲を披露。とにかくハモったときの音程、声質がとても心地よい。詞や曲ももちろんいいし、沖縄独特の発声による歌もよさを引き出していると思う。それぞれがソロで歌う部分もうまいのだが、何よりハモりが素晴らしい。最初に聴いた瞬間からその心地よさに引き込まれた。「音が合っているだけじゃ、ハモりはうまく行きません。やっぱり気持ちが合わないとダメです」と本人たちは言っていたのだが、まさにその通り。ハモりが心地よくきこえるためには音程の良さはもちろんなのだが、やはり音の質がうまくミックスしなけらばならない。もちろん、気持ちも大きな要素だと思う。オケもまったく同じだなと思った。ハモりがちゃんと行けば、本当に人の心をかなり揺さぶることができるのだなと、今日の歌を聴いていて思った。音質、そして息を合わせていこうとする気持ち、どれが欠けてもダメである。音程が合わなければ心地よい響きにはならないし、音質を合わせなければ音程のズレをきき分けることがむずかしくなる。合わせる気持ちがなければ、出だしが合わず常に子供のぬり絵状態(はみ出して美しくない)になってしまう。それらが基礎としてしっかりある上での音楽性というのを体現しているように思う。これができていない段階で音楽性うんぬんを議論することが空しくなってしまう素晴らしさだった。早速CD買おうっと。
Sep 11, 2007
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昨日は大学へ。子供たちの幼稚園がスタートし、私が送り届ける役目もスタート。授業の準備もある程度しておいた方がいい(図書館もコピー機もある)ということで行くことにした。まだ授業は始まっていないので、先生方の姿はちらほらとしか見なかった。学内は、事業開始までに間に合わせるために設備を突貫工事中。教科書販売所の準備にバタバタしているところも見えた。やはり準備に大忙しである。とはいえ、行ったら行ったで、書類作成に追われたりして、授業の準備を始めるまでに意外と時間がかかった。久しぶりに会った同僚とも少し後期の仕事の打ち合わせをしたりで、忙しい人は忙しいなという感じだ。その後はすんなりと準備は進んだ。午後から晴れて気持ちのいい天気にようやくなってきた。片づけて大学を出る頃にはきれいな青空。ちょっとだけ、秋に向かおうとしているのかな。帰宅してから夕食後、まだ時間が早かったので、ヴァイオリンの練習。毛替えをした弓は好調だった。また、駒の位置をちゃんと修正してもらっていい音が出るようになった。上手に時間をやりくりして、息抜きを兼ねて楽器を触ることも重要だなと思った。仕事も趣味もいい回転で進めるようにしたいものだ。
Sep 10, 2007
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昨日の話。仕事をしていたら、私以外の家族が退屈でどうしても外出したいというので、夕方近くになって繁華街へ。そういえば、演奏会が近いということと、ぼちぼち気になり始めたということで、途中駅で下車して弓の毛替えのために楽器屋へ。家族は近くにある音楽専門店でヴァイオリンとピアノの楽譜探し。ヴァイオリンの先生がおすすめの初心者用二重奏の楽譜(娘&妻用)と、子供たちが大好きな「ゆうがたクインテット」曲集のピアノ譜を購入。家族はピアノの先生にバッタリ店で会ったらしい。その後、子供たちの遊戯施設のある繁華街の商業施設へ。子供たちはとにかく大喜びで遊びまくり。私は毛替えが終了次第楽器屋に行くことにして、それまでは妻も解放、買い物に出かけてもらう。遊びの時間が終了したところで、私は楽器屋へ。家族はゆっくりと駅まで行くということで、自宅の最寄り駅で待ち合わせした。楽器屋に戻るために歩いた道からの風景を見て、ふと思った。自分のこれまでの人生において大事なもの(好きなもの)に関係あるものが一度に見える。遠くには、自分の結婚式をやったホテルの高層階部分がよく見える。商店街のアーケード越しに見るのはなかなか不思議である。そして、もう少し近くには楽器屋の前にある広場。今使っている弓を購入したのはこの楽器屋。調整なども現在はすべてここにお願いしている。そして、目の前には某中華料理チェーン店。学生時代、バイト帰りに週に一度より多いペースでお世話になったチェーンである。唐揚のイメージが自分に付いたのもこのチェーンのおかげか。唐揚といえば、自分の結婚式でやってもらったスピーチで「よんきゅ君の好きなもの」という話をオケのメンバーがしたときに、ヴァイオリンが来るのかと思いきや、「1つめは○将の唐揚。2つめは天○一品のラーメン。3つめはもちろん※※ちゃん(妻の名前)。」ときた。スピーチはたいてい話し手によって内輪ネタになることが多いが、このネタはどのテーブル(親戚、オケ関係、大学関係)でも大爆笑になった。ということは、人生のどのステージでもこういうイメージをもたれていたということか...。何というわかりやすいこと。まあ、皆さんに喜んでいただいて何よりだったな。とまあ、それはさておき、その風景を見ながら何とも不思議な感覚だった。これからも楽器屋に行くのに通るたびにそんなことを考えるのだろうか。
Sep 9, 2007
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昨日、オケの練習から帰って更新しようと思ったらメンテナンスの時間になっていたので、一日遅れの更新。一昨日の芸術劇場での演奏に刺激を受けて、気合いを入れて昼間に練習。楽器も弾く時間をちゃんとかければいい音が鳴り始める。ウォーミングアップの程度が如実に音に出てしまう。そういう楽器であるような気もするし、自分がそういう風に聴き取る耳になっているのかもしれない(昔はそういう感覚がまだ薄かったので)。いよいよ練習開始。最近ようやくこれぞ練習という練習になってきたのだが、やはりオケとしてエンジンのかかりは遅い。指示を忘れているということも散見された。おまけに、前半の私はボーイングを間違えるというボロボロぶり。練習した場所も気合いが入りすぎたのかこけて本当にガックリ...。あと、今週のテーマとしては、体に余計な力を入れないでより効率的に物理的なエネルギーを出すということを考えていた。こちらについては、8割ほどはできてきた感覚。無駄な力が抜けたときにはいい音がするように感じる。本番までにもっと確率を高めるように努力すべしというところだろう。後半は「悲愴」。こちらも最初はボロボロだったが、途中の厳しい指摘&練習のおかげでかなりいい感じのオケの音になった場所もあった。第1楽章の中間部、狂って暴れているようなところで、ちょっと気合いが入りすぎてタイミングが早く終わったら、「気合いはありがたいんですが、ちょっと早いねえ」と私の顔を見ての指揮者の指摘。指揮者はよく全体に言う話だったり、私に関係のない話でも私の顔を見て話すことがけっこうある。しかし、今回は完全に自分がターゲットだった(自覚症状もあった)。周りのパートから「ぷっ!」という笑いが起き、こっちをみてニヤニヤするメンバーもいた。「気合い」というキーワードにはまったらしい...。気をつけなければならないなあ。まあ、それはともかくとして、練習を通じて痛感したのは、「まだまだ甘い」ということだ。集中力はある方だと思うが、それでもときどき抜けていることがある。それに、出したい音をちゃんと出せる確率をもっともっと上げなければいけない。こればっかりは絶対にミラクルはない。そして、もっと自分のやっている音楽に表情をつけることも必要だ。このままではまだちゃんと演奏したとは言えない。さて、本番でどこまでできるのか。やれることをしっかりやらなければ。
Sep 8, 2007
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宿泊したホテルはパークのすぐ横にあり、外から入れる温泉施設を併設している。また、室内プール(といっても子供用の小さなもの)もある。到着後すぐにチェックインすると、子供たちが「プールに行きたい!」というので、プールに行くことに。このプールも外部から入って利用することが可能なのだが、更衣室が温泉と同じというのは別にいいとして、なんとプールに行くのに風呂の横を通っていくのだ。まあ、プールといっても温泉施設の一部ということなのだろう。プールサイドにジャグジーや薬草風呂があったりする。子供たちはプールを楽しんだ。その後は夕食へ。夏休み中ならバイキングなのだが、終了していたので、ステーキコースということになった。子供たちにもちゃんとハンバーグやスープなどが用意されていた。こちらの雰囲気、味ともにまずまず。旅行者のパッケージなのだが、それでもまあまあいい。夕食後は入浴。ここでようやく一人でホッとできる時間となった。露天風呂がなかなか気持ちよかった。その後は妻が入浴へ。子供たちを何とかして寝かせて、自分も就寝。翌朝は、子供の就寝が遅かった制もあって私も寝坊。妻は朝風呂に行ってきたようだ。朝食はバイキング。こちらも頑張っている。美味しかったのはミネストローネ。トマトの酸味が強すぎずで私としてはよかったと思う。その後、子供たちは待望のテーマパークへ。おもちゃ王国が大のお気に入りのようで、暑かったことも手伝ってひたすら遊んだ。娘はままごとコーナーが気に入ったようで、妻とずっと入り浸り。息子はプラレール&トミカのコーナーが気に入ったようで、私がずっとお付き合いすることに。他にほとんど誰もいなかったので、プラレールのレイアウトは引き放題だった。家にはない大量のレール、半分も使い切れていないのにスゴイのができた。と、そこへ別の親子連れ。息子がつくったレイアウトを何の断りもなく壊し始めた。息子が泣き出したのだが、あちらの父親は知らん顔。別に一言言ってもらえればこういう思いをしなくて済むのだが...。仕方がないので別のレイアウトを大急ぎでつくって気を取り直すことに成功した。しかし、何も言わずにしかも自分でグシャグシャにして線路を引いていったのに、片づけもせずさっさと帰って行った。「片づけて」と書いてあるのだが...。親がすすんで連れて行くというのはひどい。その後、お約束の観覧車に乗って、閉園時間と共にパークを出る。あとは帰るだけのひたすらドライブ。復路は瀬戸大橋を通ることにした。夕刻の瀬戸内海の景色はとても美しく、ぜひ見たいと思っていた。車で瀬戸大橋を渡るのは初めて、しかも上が青天井、楽しみだった。 渡る途中で与島PAに立ち寄り、景色を見て、おみやげを買う。息子は橋を渡る「アンパンマン列車」を見つけて大興奮だった。そのうち一緒に乗りに行こうかなと思う。 その後はひたすら高速道路を走るのみ。途中、岡山を過ぎた頃からときどき雨がぱらつく。夜の運転はやはり疲れるなと思いつつ、だんだんなじみの地名が出てくるとホッとする。途中、私以外はみんな就寝。つらいなと思いつつ、何とか無事に自宅へたどり着いた。みんながそれなりに満足した旅のようで何よりだった。子供が自分のことを自分である程度できるようになってくると、やはり旅行はかなり楽になったように思う。だんだん成長していけばもっと楽しめる次元が増えていくような気がするので、今後が楽しみだ。
Sep 8, 2007
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先ほど、テレビをつけたらどういうわけか、オーケストラが映っていて、インバルらしき人がいて、何でこの曜日のこの時間に??と思っていたら、ヴィオラの方を向いていきなり始まったのがマーラーの交響曲第10番の第1楽章アダージョ。後で新聞を見たら「芸術劇場」だった。オケはフィルハーモニア管弦楽団。冒頭のヴィオラの音がすごかった。人数分以上にしっかり鳴っているぞという感じ。弾いている格好や顔が大事だというのは、このわずかな時間を見ただけでもわかる。表現をする上で見習うべきものだ。オケの音は比較的薄い曲だと思うが、大人数のオーケストラ。ときおり出てくるフォルテを聴くと、やはりこの規模のオケが必要なのだろうなと思う。後半部分、それも最後に近いところで、トーンクラスターのような凄まじい和音が出てくるのだが、ただ汚い音になるのではなく、ちゃんと響きが揺れているのがわかる。マーラーはそこまで計算して作曲しているわけだから、頭の中はいったいどうなっているのだろうかと思う。その和音が静まった後は、主調である嬰ヘ長調(っていうか、何という調を使っているのか)を基本としつつも、突然遠い関係の調へと飛んでいっては戻るということを繰り返す美しい場所があるのだが、やはりここの響きはさすがプロだなと思った。続いて交響曲第1番。こちらは何度か演奏したことがあるので、スコアを思い出しながらずっと聴いていた。うちのテレビはオーディオ的にそんなにいい音がするわけでもないのだが、それでもやはりいい音がする。冒頭のラを延ばし続ける音も美しい。特徴的だったのは、第1楽章と第2楽章の間に休みを入れずにいきなり行ったこと。これはマーラーが2つの部分に分けて書いていたことを考慮してのことだろうか。ずっとインバルの指揮を見ながら、オケの動きがどうなっているのか、音楽の流れがどうなっているのかに注目していたのだが、そこで思い出したのが先週、市民オケに来られている指揮者と話したこと。「指揮者はほんの一瞬の時間を操作している」ということだったが、これはまさにそうだと思った。一定のテンポで動いているようにきこえるのだが、実はいろいろと操作をしていた。ちょっとだけ早めに出てみたり、タメをつくってみたりと。また、フレーズの長さに応じて振り方をいろいろと変えていた。単純にリズムを刻んで左手で指示を出しているわけではないのだ。「それは当たり前だ」と言われるだろうが、決して簡単なことではない。とことんまでスコアを読み込んで初めてわかることだし、体で表現できることなのだと思う。それと、さらに指揮者と話したことを思い出した。第4楽章の最後のカッコイイ旋律が途中でちょっとだけ出てくるところがあるのだが、そこに唐突な転調の仕掛けがある(ハ長調からニ長調へ)。転調する瞬間に「一瞬だけ間をあける」という指示がスコアに書かれているのだが、これが重要だという話になった。これをしない指揮者がいるのはなぜかという話にもなったりして盛り上がった。さて、これをインバルがどう振るのかを見たかったのだが、カメラが切り替わってその瞬間が映っていなかった。がっくり...。ということで、世界の一線級の指揮者とオケの演奏を見るととても勉強になった。コンマスの動きもすごかったし、後ろの人まで音楽にちゃんと入っているのがよくわかった。いきいきとした音をオケが出すためには、全員が高いテンションを保っていい音を出すために音楽の世界に入ること、やはりそれが重要なのだなと思った。明日のオケの練習、また弾き方を工夫したくなってきた。
Sep 7, 2007
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先日行ってきた家族旅行について記しておこう。宿泊地を香川県の某テーマパーク(といっていいのかな?)に設定。香川県に車で行こうと思うとルートは3通り。淡路島経由、瀬戸大橋経由、そして神戸からフェリーで高松まで行くという方法なのだが、今回往路で選択したのは淡路島経由。理由は、妻が「鳴門の渦潮を見たい」と希望したからである。子供たちは前日の夜から大張り切り。当日も私と妻にお構いなく早起きして大騒ぎ。私は少々お疲れ気味だったのだが、家族にとっては困るだけのこと。だましだましで、とりあえず自宅を出発。まずは明石大橋を渡る。この時点で子供たちは大はしゃぎ。海を上から見下ろすわけで、この感覚はなかなか味わえない。妻は大学生になるまで西日本に行ったことはほとんどなく、また山育ちだったこともあって、海の見える風景に憧れを持っているのだとか(私は逆にきれいな川のある場所に憧れを持っていたのでちょうどいいというところか)。私は淡路島や徳島に行くときにはフェリーを使っていたので、今や隔世の感がある。淡路島の高速道路は、ときおり美しい海を見ることができてなかなかすばらしい。そうこうしているうちに、今度は大鳴門橋へ。2本目の海を渡る橋である。妻は鳴門にある「渦の道」と観潮船に興味があるということで、鳴門北インターで降り、まずは観潮船乗り場を目指す。船はすぐに出るということで早速乗り込む。平日であったのと、団体客がちょうどいない時間帯だったので、船はかなり空いていた。大鳴門橋の下をくぐったところで渦潮ポイントへ。 確かに、このあたりだけ潮の流れが他とまったく違う。ちいさな船がいたのだが、渦潮の近くで大きく揺さぶられている。見るからに危ない感じだった。向かいには淡路島側から来た観潮船がいた。そんなことを話していた次の瞬間に渦潮から来た大きな波が船に!バッシャーン!という音と共に妻と息子が「ひぇ~」と言っていた。ずぶ濡れは免れたものの、ちょっと濡れたかなという感じ。しかし、暑かったのでこれがまたすぐに乾く。妻は「ベトベトする~」とずっと言っていたが...。その後は車で山に登り「渦の道」へ。これは大鳴門橋の橋桁の下側(瀬戸大橋で言えば鉄道が通る部分)に遊歩道を造って、渦潮の上まで行けるようにしたものである。鉄道を通す構造だと説明されたが、そもそも淡路島にすら鉄道がないのだから、そりゃ予定はないでしょうね。それなら、観光スポットにした方がということなのかもと思った。「渦の道」は入口から展望台までなんと300メートル以上歩く。その高さもさることながら、車が上を通るたびに音がして揺れるので、なかなか怖い感じがする。風も強く、妙にスリルがある。しかも、途中で床がガラス張りになっている場所もあったりする(下の写真)。 おそるおそる下を見てキャーキャー言っている方々を尻目に、娘はドタドタとその上を平気で走って行ったのだが、それをみてその方々が「す、すごい...」と言っていた。ただの怖いもの知らずなだけだとは思うが。と思ったら、妻までその場所でキャーキャー言っていた。「なんで奴らは平気なのよぉ~!?」などと。というわけでスリルを楽しんだ後は、昼食の時間。ここは徳島県、ということで私の頭に浮かんだのは「徳島ラーメン」だった。そこで、大学時代からの友人で徳島在住の人に「家族で行けるラーメン屋を教えて」とメールを送ると帰ってきた。交通の便はよくないが車ならば行ける地元の人がよく行く店を紹介してくれた。ちょっとわかりにくい場所で迷ったりもしたのだが何とか到着。駐車場に関する情報もありで助かった。ラーメンは美味しかった。妻も子供たちもペロリと平らげた。一同満足で、目的地の香川県へ。徳島市まで出たので、通常とは異なる徳島自動車道という裏ルートから行くことに。山沿いを走る道路からは、遠くに吉野川沿いの町並みがきれいに見える。美馬ICで下りて、あとは県境を越える峠道をひたすら行く。そうして目的地のパークへ到着。ホテルもパークに隣接していて楽な感じである。(つづく)
Sep 6, 2007
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昨日、高校時代からの友人と飲みに行った。彼は僧侶、話していて生き方や社会の話を会うたびにしている。こういうネタで真剣に楽しく語り合えるのは楽しい。だいたい四半期に一度のペースで会うのを楽しみにしている。 場所を変えようと店を移動するときに百貨店の前を通り過ぎたのだが、その瞬間にそう言えばゼミの卒業生が中の店に最近異動になったことを思い出した。様子を見に行き、彼への手みやげを買って売上にも貢献。「先生って、こういうときにいいと思うやろ?」と言われたが、その通りだなと思う。 その後、彼の行きつけの立ち飲み屋で樽酒と美味しいあてをいただく。僧侶は早起きなので早い時間に解散、楽しかった。 立ち飲み屋でゆっくりと話しているときに彼が言っていた印象的な言葉。 「親」という字は木のうえに立って見るって書くんよな。親がちゃんと子供の将来を見なきゃいけないってことやな。 いいことを言うなあ。かけがえのない友人である。
Sep 5, 2007
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今日は、学部から頼まれた仕事で講演を聴きに行った。講演のテーマは、自分にも関わってくる話だったので、どのような話があるのだろうと少々期待しては行ったのだが、実際に参加してみると、ちょっとがっかりだった。3人の講師がいたのだが、最初の方の話は、配付資料は多くてどうなるのかと思ったが、要点をかいつまんで説明していたので、論旨に100%同意することはできなくても、内容はよく理解できた。それも一つの意見だなと受け止めることはできた。問題は後半。パワーポイントを使うのは別にいいのだが、何と文面をそのまま棒読み。自分で目を通して理解する3倍の時間をかけて読み切った。言っている内容に間違いはないのだろうが、注釈まで全部読まなくても...。メッセージはきわめて単純で、かいつまんで説明すればそんなに時間はかからないはずだ。説明するのに慣れていないんだろうな...。そのせいで次の方は持ち時間がほとんどなくつらそうだった。ただ、この方の話は、配付資料にない話の方がとても重要で、みんなが「資料のどこに載ってるの?」とざわざわしているうちにそこが終了して、あとは読めばわかる話。時間が押していて準備してきたことが全部はなせなくなったためにちょっと慌てていた感じだった。個人的には、「これはやってはいけない」ということを、聴く側の立場で実感することができたというのが、一番有意義だったかもしれない。わからない話を放置されたまま延々と聴かされることがどれだけ辛いのかがよくわかった。事前の資料準備が万全でもダメというのは当然のことなのだが、やっぱり辛いなあ...。そういえば、今日の講演会場、ホールの客席は可動式。私が座ったのはその一番後ろでしかも端だったのだが、その席のすぐ横には壁と席の間に人が入るほどの隙間があった。床までの高さは5メートル以上、落ちたらひとたまりもない。前の方の席には柵があったのだが、後ろの方は壁が近くにあるので予算をケチっているのか、柵がない(ちなみに柵をつけるための部品はちゃんとついているのを思わず確認)。席に座るときには落下の恐怖との戦いであった。2人目の講師の講演中、多くの人が気絶状態だったのだが、私の前にいた人がうとうととして、体をフラフラさせ始めた。しかも、体の倒れていく方向には奈落の底がある状態。むしろ私はそっちが気になってしまった。60度近く体が傾いたときには思わず起こそうとしたぐらいである。ただし、何とか途中で復活したので、ほっと胸をなで下ろした。また、近くに貧乏揺すりをする人がいたのも困った。客席がそのたびにギシギシと音を立てて揺れるのだ。客席が壊れるんじゃないかとか、阪神・淡路大震災のときの余震をちょっと思い出したりとか、不快なことこの上ない。いろいろな意味で気分のよろしくない時間であった。とにかく、話をする側に必要なことを再確認できたことが収穫といえば収穫。終了後は、高校時代の同級生と繁華街で飲みつついろいろ話す。楽しいひとときで、ちょっと口直しという感じだった。
Sep 4, 2007
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とは、妻でも私でもなく、娘が旅行から帰宅してすぐに言った言葉。なんとまあ、まるでお母さんのようなことを言いますなあ。旅行は妻が見たかった渦潮に、私が食べたかった徳島ラーメンに見たかった瀬戸内海の夕日、そして子供たちが行きたがっていたおもちゃ王国にプールと、一応全員のニーズは満たされたと言うことで満足度は高かっただろうと思う。子供とさんざん遊んでから250キロ以上運転するのはかなりきつかったが、喜んでもらうのはいいことだ。これなら、また行こうという気持ちにもなる。私はどこでも寝られるたちではあるのだが、昨日家で寝て思った。「やっぱりウチが一番」だなと。
Sep 4, 2007
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家族サービス、1泊2日で四国を旅行中。写真は鳴門海峡の渦潮。詳細はまた後ほど。
Sep 3, 2007
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昨夜は市民オケの練習。先週のいい流れをうけての練習ということで気合いが入る。 最初の方は、しばらく練習していなかった曲だったのと、指示を思い出すのに時間がかかっているメンバーがいたようで、少しずつまとまっていく感じだった。 最近はやっと音楽的な練習ができるようになってきたとは本番指揮者の言葉だが、その出来つつあるという感覚をどの程度持てているのかが重要だと思う。 せっかくのいい流れをどれだけみんなで意識していくことが重要だろう。 休憩を挟んでその後は「悲愴」、こちらの合奏も最初は少しエンジンがかかって来なかったが、少しずついい感じになった。 音楽的な練習だと思ったのは、頑なにメトロノーム的なテンポを守ろうとするパートに指揮者が言った。「ほんの一瞬の時間の操作をするのが指揮者の仕事だ」ということ。その一瞬を動きで操作していることが、指揮をちゃんと見ているとよくわかる。「指揮を見る」というのは、本当はそういう意味なのだなと思った。若手のいい指揮者の練習で魅力的なのは、こういう考え方やプロセスを見せてくれるということだ。一緒に演奏を作っていることを実感する貴重な経験だ。 あとは何度も言われている「他人への興味」が重要だ。2ndVnをやっていると、他のパートを常に意識する習慣があり、いかに重要なかみ合わせを覚えているかが重要だといつも考えているのだが、本当は旋律を担当するパートにももっと意識して欲しいなと思っている。置いていかずに一緒に歩くことができたら、もっとアンサンブルの精度が上がっていくはずだ。一皮むけるチャンスを活かしたいところだ。 終了後は行きつけの餃子屋へ。メンバーの「大王」さんが予約してくれていた。感謝。楽しく飲む。話をするなかで、ちょっとだけほめられたかなと思う瞬間が。いくつになってもほめられるのは嬉しいことだ。「成長しようとする意志と努力」を忘れないで頑張りたいと思う。と同時に、図に乗らないことも心がけなければ…。本番まで残り20日ほど、限られた時間の中で悔いのないようにしたいものだ。
Sep 2, 2007
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昨日はとにかく移動。昼は大学オケの練習に参加。移動距離が長いのと交通機関がやたらと不便なのでとにかく予定は綱渡り。電車が遅れて接続できないと30分ずつ遅れていくというのでドキドキだった。遠くまでなかなか多くの回数行くことができないので、昨日は貴重だった。ほぼ一通りの曲を演奏させてもらえたので、だいたい様子はわかった。今回も指揮者から勉強になる言葉。「音楽は同じ場所にとどまってはいけない。どの音も常にどこかを目指しているので、それをわかって演奏しなければならない」楽譜を見ていて同じ音を何小節か繰り返すというパターンがあるが、ともすれば同じようにやってしまいがちになる。しかし、それはやはり違っていて、その先に何があるのかを計算した上で繰り返しもやっていく必要がある。それを忘れないようにしなければならない。大事な一言である。大変だったのはその後。練習終了後、今度は市民オケの本番指揮者が前乗りで来られていて「軽く行きますか?」とお誘いいただいたので指定の場所に向かおうとするも、送迎の車なしということで、会場から駅まで全速力で歩くことに。30分間競歩状態で汗がボタボタ。しかも駅に着くと人身事故で電車が遅れているとのこと。結局、予定よりも1時間近く遅れて到着。指定された場所はイタリア風のいわゆるバール。プロの音楽家が時折訪れている店で、紹介してもらったのだそうだ。今回もまたあれこれと話し込み、他のお客さんやマスターとも話をして楽しかった。その後移動して行ったのは某中華料理チェーン。そこでも飲みながら話していたのだがいきなり後ろから「よんきゅさん!」との声。こんなところに誰がと思ったら、大学オケの後輩だった。職場の方々と一緒だったようだ。そんな驚いたこともあったりして、ぼちぼち帰宅。仕事は朝起きてから出かけるまでと電車の中で。指揮者と話すといつも思うのが、常にしっかり勉強しないとダメだし、それが後で効いてくるんだろうなということだ。昨日もしっかり刺激をもらってきた感じである。
Sep 1, 2007
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