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この曲は、ストラヴィンスキーの出世作となった作品である。「火の鳥」作曲(1909年)の前年、彼による幻想曲「花火」の初演を聴いた興行師ティアギレフは、彼を新しい芸術運動のサークルへと呼び込んだ。一方、ディアギレフはロシア・バレエ団のためのオリジナル作品として「火の鳥」に着手していた。台本はできていたものの、音楽を依頼していたリャードフの作曲がいっこうにはかどらなかったため、業を煮やしたディアギレフは新人のストラヴィンスキーを大抜擢し、「火の鳥」は完成された。初演は大成功し、ストラヴィンスキーはその後「ペトルーシュカ」「春の祭典」といった有名なバレエ作品を手がける機会を得ることになる。なお、組曲には3つのバージョンがあるが、この1919年版の構成は以下のとおり。-------------------------1.序奏~火の鳥の踊り魔王の宮殿の庭という、何とも不気味な場面からスタート。低弦が不気味な空気の流れをつくり、時折管楽器がその空気を破るように入ってくる。最初の部分は♭7つという、現実感から最も遠い調で書かれているところがすごい。途中、魔法の呪文が弦楽器のフラジオレットだけで登場する(これだけでちゃんと狙った音が出る)のだが、これが「キュイーン、キュイーン」という不思議な音。こだわりのオーケストレーションで、当時はおそらく斬新だったのではないかと思う。最後は火の鳥が捕まってバタバタしている感じになるが、これも実はかなり複雑に書かれている。ストラヴィンスキーはやはりすごい。2.火の鳥のヴァリアシオン8分の6拍子だがヘミオラがふんだんに盛り込まれている。木管楽器がとにかく大変なのと、弦楽器も途中から音の跳躍とフラジオレットが同居したりと恐ろしく難しい。しかも♯6つというので、楽譜を追いかけるだけでも大変。一人で練習していると何の曲を練習しているか一瞬わからなくなるほど精緻にパートが分割されているのだが、合わせてみるとこういう音になるのだなと驚く。3.王女たちのロンド「朝ズバッ!」で、季節の自然ネタが登場するときに流れる曲(そこではピアノで演奏されている)。気づいたときに妻にこれを言うと「そういうことによく気がつくねえ」と言われた(妻は結婚前に同じオケにいたので、この曲は一緒に演奏したはずなのだが)。ハープや弦楽器のソロが効果的に使われていて幻想的な雰囲気を醸し出している。最後の方で和音が繊細に変化していく場所が個人的には好きである。よくそういう進行が思いつくなあと思う。4.魔王カスチェイの凶悪な踊り「火の鳥」の中では最も有名な曲だろう。木琴と一緒に思い切りピチカートをはじきまくるのが快感。演奏していると常にジェットコースターに乗ったままでいるような感じがするが、それがまた良い。中間にある幻想的な部分(♭5つになるところ、突然一瞬だけ美しい感じになる場所)は、2つのヴァイオリンが普通に旋律を弾くパートと、さらにその旋律が細かいリズムに分けられているパートが同時に鳴っているという凝りよう。ちなみに息子は途中に出てくるトロンボーンの音が鳴るところで吹きマネをするが、これが見事でおかしい。5.子守歌ファゴットによる旋律はまさに子守歌。子守歌にはやはりダブルリードの楽器の音色が似合うなと思う。ここも♭6つで幻想的な雰囲気。この曲も最後の部分、終曲へのブリッジになっているところの和音の繊細な変化が素晴らしい。うまくやれば女声合唱のようにきこえる不思議な音がする。ホールで聴くと鳥肌ものだろうなと思う。6.終曲輝かしいラストへ向けてひたすら盛り上がっていく。ここも♯が5つ、「なんでこんなに♯や♭が多いの?!」という声もあったりするが、やはりこの調でなければこの雰囲気は出ないと私は思う。半音上げればハ長調だし、半音下げれば変ロ長調なので、演奏するのには楽になるのだが、やはりそれは原作の雰囲気を損なうので個人的にはそうしたくないところだ。この曲では盛り上がる途中に音楽を押し上げるような弦楽器のパッセージがあるのだが、ここには珍しい音にナチュラルがつけられていて、ちょっと変わった音階になっている。こういうところもこだわりで、ストラヴィンスキーの音楽の緻密さがよく伝わってくる気がする。最後はまさに大団円、かっこよく終わる。-------------------------「火の鳥」は振り付けを担当したフォーキンがロシアの古い民話に基づいて脚色した物語である。あらすじは以下のとおり(カッコの中の数字はその場面で使われる曲を示す)。魔王カスチェイの宮殿の庭(1)、イワン王子は火の鳥を追いかけて迷い込み、そこでつかまえることに成功する(2)。火の鳥は羽を一枚あげるから逃がしてほしいと王子に懇願し、王子は火の鳥を逃がしてやる。その庭には、魔王に石にされて囚われていた王女たちがいた。王子はその中のツァレーヴナ王女と恋に落ちる。しかし、王女が自由になれるのは夜の間だけで、夜が明けると石になってしまう(3)。そこで王子は王女を助けようと決心し、魔王の宮殿に乗り込んでいくが捕らえられてしまう。魔王が王子を石にしようとするが、王子が火の鳥からもらった羽によってそれができない。魔王とその手下たちは火の鳥の魔法によって狂ったように躍らされ(4)、疲れて眠り込んでしまう(5)。その後魔王は再び目を覚まし暴れ始めるが、火の鳥の導きによって魔王の魂の入った石を王子が壊したことで、カスチェイの命は尽きてしまう。こうして、石に変えられていた人々は元通りになり、王子と王女は結婚する(6)。-------------------------ストラヴィンスキーは、バレエの一部としてこの音楽が埋もれてしまうことはもったいないと考えたようで、演奏会用の組曲として普及させようとした。各場面の色彩感、火の鳥の羽の一本一本までを鮮やかに描こうとしているような音へのこだわりなどを見れば、ストラヴィンスキーがそうしたかったのも理解できるように思う。この曲は自分の楽器を弾いていてそれに酔いしれるという性質のものではない。普段なら旋律のある1stVnですら、打楽器扱いの状態になっているところも多々ある。それをつまらないと感じる向きもあるが、オーケストラの一部として自分を置いて考えて弾いてみると、これは本当に面白い曲。ただし、それだけにそれぞれがちゃんと弾けないと成り立たないのが大変なところ。オケとしての総合力が問われる曲だなと思う。ちなみに、この曲は子供たちがお気に入りの「ファンタジア2000」の中に収録されている。その中では緑の妖精が出てくるアニメのBGMとして流れているので、子供たちは「妖精の曲」と呼んでいる。「火の鳥」とはまた違ったコンセプトでつくられているが、音楽との融合はすばらしく、さすがはディズニーという感じがする。この曲を最初にやったのは15年ほど前で、市民オケに入って間もない頃。妻はコントラバスを弾いていたのだが、最初の曲がコントラバスからスタートするのでずっと見ているうちに気になり始めたという曲、そういえばそうだったなと、最近演奏してみて思い出した。
Jun 29, 2008
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明日の演奏会で弾く曲。この曲を弾くのは本番では2回目、15年ぶりぐらいになる。前回は他大学のエキストラで演奏したのだが、今回は所属している市民オケでじっくりと取り組めた。この曲の練習は、基本的な動きや形の作り方、アマチュアにありがちな演奏におけるアバウトさ(リズムのカウントが甘いとか、弓の都合で楽譜の意図と正反対のことをしてしまうとか)徹底的に直していこうという指揮者の考えもあり、かなり厳しいものだった。といっても、ここで本当の意味で基礎を固めて悪いクセを直すことができたら、いろいろな曲で応用がきくことになる。ベートーヴェンはやはり大きなオーケストラ曲に取り組むための、あらゆる意味で基本なのだ。この曲は、ベートーヴェン以前の作曲家のみならず、彼のそれまでの曲からも、音楽の表現の幅を格段に広げた。序奏のないスタート、交響曲においてそれまでにない演奏時間の長さ、半音でぶつかった和音を使った叩きつけるようなリズム、ヘミオラ(3拍子の流れの中に2拍子が入ること)の多用などなど...。「言いたいことをどう表現するかは...自由だぁ~!!」とでも言っているかのようだが、それが破綻したものではないところはさすがベートーヴェン。この曲で一皮むけた感じである。ベートーヴェンは、ヨーロッパを絶対王政から解放して自由をもたらすという理念に共感しており、それを体現するであろうと思っていたナポレオンにこの曲を献呈しようと思ったが、ナポレオンが皇帝になると宣言したことに憤慨し、出版に当たって「英雄交響曲-ある偉大な十物の思い出を記念して」ということになったのだというのが、最も広く語られているエピソードである。これに対しては作曲の動機がそもそも本当にナポレオンなのかといった疑問を差し挟む向きもある(さすがに私はそこまで深く勉強していないのでよくわからないのだが)。-------------------------第1楽章:冒頭、いきなり序奏なしの和音2発でスタート。そこからいきなりチェロで第1主題が登場する。その後フォルティシモで第1主題が繰り返される前にはヘミオラが頻出、初めて聴いたときにはここで拍子がわからなくなった。第2種台に向かっての推移部分では、最初木管でのんびりしたように始まるのだが、やはり激しい調子になる。私もフォルティシモを見てしまうとかなり弾いてしまう。力が入らないようにはこころがけるようになったが...難しい。第2主題部分においても、ヘミオラがたくさんあり、しかも最初とアクセントの位置が違うというとても難しいことをやっている。演奏していても錯覚を起こしそうになるのだが、あくまで弾く側はだまされてはいけないのだから厄介だ。「聴き手の意識でで弾くな」という指揮者の指摘はまさにその通りである。展開部にはいると、ストバイとセコバイが旋律と伴奏を短いサイクルで交換する場所があるのだが、ここなどは「ストバイとセコバイは別のパートとして独立性を持つべき」という考え方があてはまりそうだ。その後しばらくして、不協和音でどんどんテンションを高め、頂点で隣の音をぶつけまくっている和音があるところは、すごい音楽だと思う。再現部手前にある短調の部分では最初と違って息の長いクレッシェンド、その後また息の長いディミヌエンド、そして唯一のピアニシッシシモ(ppp)があっていきなりフォルテになって再現部へ突入。使われている調の変化やダイナミクスの扱い方は本当に自由(やりたい放題?)だなと思う。また最後のしばらく前に頂点となる和音があるのだが、ここはトレモロなのに大好きな場所だ。この楽章だけで20分近くかかるのだが、退屈な長さを感じないというのはさすがだなと思う。-------------------------第2楽章:スコアの最初にわざわざ「葬送行進曲」という断り書きがある、そのままの音楽である。葬送行進曲といえば、ワーグナーの「ジークフリート」やマーラーの交響曲第5番第1楽章などがあるが、これらと比べて、ベートーヴェンのそれはとにかく「端正で重厚な感じ(低弦の「ズーン」という感じがきっちり出るととてもカッコイイ)」いうだと思う。別の言い方をすれば人間的な感情があまりストレートに現れない、もっといえば「冷たい」要素を持っているような気がする。冒頭の低弦は、葬送の行進で実際に使われる太鼓のリズムを模したものであると言われる。また、付点を使ったリズムがあることで行進曲の感じが根底に流れるようになっており、ため息を示すような音の使い方も特徴である。最初の主題の中で一瞬光が差すように出てくる変ホ長調の部分が弾いていてゾクゾクするところだ。しばらくすると曲はハ長調に変化する。そこでのクライマックスである輝かしい響きはすばらしい。しかし、これも直後にあっけなく暗くなってしまう。葬送行進曲に戻るのだが、そこからヘ短調の世界へと押し上げられる。先日の日記でも書いたとおり、ここが全曲中で私が一番好きな部分だ。このようなフーガは交響曲第7番第2楽章にも出てくるが、ベートーヴェンはすごいなと思う。特にやはりホルンの変ホ長調の部分からハ短調、ト短調へとつながっていく流れがたまらないなと。それからいきなり低弦がラ♭で出てきた後の部分は何かが根底から音を立てて崩れていくような感じ。上の話で言えば、絶対王政の世界なのだろうか。それともう1箇所好きな部分は、最後の方に一瞬だけ出てくる変ニ長調の部分で、ここだけが救われるような気分である。でも、結局のところ最後は暗く終わる。-------------------------第3楽章:この楽章は一転して軽快な音楽のスケルツォである。さりげなく弦楽器でスタートして、ぼんやりしたところから木管楽器の旋律が浮き上がってくる。音が短いので目立ちにくいがいろいろと音の選び方には工夫が凝らされている。中間部はホルンの三重奏で始まる。これは本当に狩りの合図のようだ。この時代のホルンで出せる音をいろいろ考えた結果として出てきたものだと思うが、とにかくカッコイイ。主題が戻った後には、4分の3拍子が同じスピードで2分の2拍子になるというちょっとしたビックリ部分を忍ばせてある。-------------------------第4楽章:この楽章は変奏曲の形を取っているものの、他の形式の要素もいろいろ入っていて、いかにもわかりやすい変奏曲にはなっていない。冒頭からいきなりなだれ込むようにスタートしてフェルマータで切れた後に主題が始まる。ここで何度か繰り返される主題は最初小編成で、それがだんだん大きくなっていき、また音符の単位も細かくなっている。知らず知らずのうちに高揚するように持って行くというところが素晴らしい。続く第1変奏ではまたもやフーガが登場。ベートーヴェンのこういった部分はパート譜を眺めているだけではわからないことがたくさんある。第2変奏はフルートやヴァイオリンなどによって軽やかに演奏されていく。ニ長調が使われているところでこういった楽器が選ばれているのだろう。第3変奏はト短調、いわゆる「トルコ行進曲」(といってもハンガリー音楽の一形態のようだ)の形を取っている。ここでセコバイはずっとキザミ、なかなか刻んでいて気持ちのいいところである。第4変奏はハ長調からスタートして、転調を繰り返していく、どちらかといえば経過的なものである。第5変奏はまたまたフーガ、ストバイの16分音符は本当に難しい。セコバイはまたややこしいリズムで支えて行く。変ホ長調が確立されるところから後、ホルンのファンファーレがカッコイイ。そして音楽はずっとなだれ込むように展開して解決しないままフェルマータ。静まったあと木管楽器によって第6変奏がスタート。この楽章では、このゆっくりとした変奏部分が一番好きである。何となく、ここまでの疲れを癒すかのような雰囲気。3連符のリズムが何とも言えないいい味を出している。そしてその流れに乗って現れるホルンがやはり素晴らしい。この後だんだん静まっていくのだが、そこでの転調も素晴らしい。変イ長調で安らぎを与えられたと思ったら変ホ短調→変ハ長調→嬰ヘ短調→ト短調へとだんだんせき立てられるようになったあと沈んでいく。劇的な表現のためにいろいろと実験しているかのような感じだ。コーダはいきなり急速。ホルンとファゴットによるファンファーレ風の音楽。ヴァイオリンは超スピード+変な場所のsfのキザミで大変だが、これはやはり最後を飾るにふさわしい形だと思う。50分以上ある曲だが退屈さを感じさせない曲である。-------------------------私は、大学オケに入ってしばらくするまで、演奏した以外にあまりたくさんの曲を知っているわけではなかった。この曲の第2楽章ですら、最初はわからなかったものだ。しかし、やはり一度演奏してみてこの曲の素晴らしさを実感した。この曲を以前演奏した時に行った大学というのが、当時私が(というかオケの人も)はまっていたラーメンチェーンの店が目の前にあって、練習に行くのが楽しみだったのを覚えている。普通、エキストラはあっさりと帰ってしまうものだが、私は駅に向かわずに違う方向へと向かったのだ。もちろん団員の人は「???」だったが...。「こってり」帰ることが重要だったのだ。この曲にはそのラーメン店の思い出が裏にくっついている。
Feb 24, 2007
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この曲は今度演奏する機会があって、初めて接することになったのが、だんだんと曲がわかってくるうちに好きになってきた。ヴァシリー・カリンニコフ(1866-1901)は、モスクワ音楽院に入学したものの貧しくて学費が払えず別の音楽学校に移り、楽器を演奏しながら生計を立て、チャイコフスキーの推薦を受けて劇場の指揮者になったものの、病気で移り住むことになってしまい、最後は若くして病気のために亡くなってしまうという人生を送った作曲家である。ちゃんとした資料を見ていないので実際の生活ぶりなどを知っているわけではないが、本当についていないと思う...。この曲は20代後半に書かれたもので、チャイコフスキーのような派手さはないが、とてもピュアな響きがするように思う。カリンニコフのファンは本当に深いレベルでつながっていて、カリンニコフの演奏会があると聞きつけた人が全国から集まるらしいとは、2人の熱狂的ファン(この2人には接点がまったくないのに同じことを言うのがスゴイ)から聞いた話である。-------------------------第1楽章:冒頭に出てくるユニゾンの旋律はいろいろな場所で使われていて、第4楽章はまったく同じような出だしにきこえる。最初から執拗に底流を築くシンコペーションがこの楽章の大きな特徴であるように思う。最初からいろいろな調の雰囲気を行ったり来たりしつつ、ファンがたまらないという嬰へ短調の第2主題が登場する。最初にヴィオラとチェロのユニゾンで出てきて、それからもっとせつなくヴァイオリンが歌い上げるのが確かにいい。シンプルな旋律だが、明確な個性が打ち出されていて心を動かされる。個人的には繰り返しの後に来る第2主題の展開型で転調する場所が大好き(ここは一瞬で終わってしまう)。なぜそういう音符が書けるのかと思ってしまう。展開部はいろいろ大変なことが起こっている(特に1stVnには辛い...)。転調がめまぐるしく起こっているところはやはり19世紀末の音楽というクセが若干ある(といっても、ドイツやオーストリアのそれとはまた違う)。再現部は重みを増してロシア味がさらに濃くなる(金管の使い方はまさに)。第2主題は主調であるト短調で、弦楽器も厚みを増している。ハープがいろいろなところに忍ばされているところがちょっとした隠し味。最後は静まりきった後に全員によるffで終わる。-------------------------第2楽章:私はこの楽章が一番好きである。最初のハープを聴いて思い出すのは、学生時代に下宿の軒先にぶら下がっていたつららからしずくがしたたり落ちる場面。日差しを浴びるととても美しかった。木管楽器のコラールはこの日差しだと思う。第1主題がヴィオラの高音とイングリッシュホルンのユニゾンであり、また応答がチェロとクラリネットであるところが泣かせる。特に前者の組み合わせは絶品、シンプルな音楽だがとても美しくはかない。「体は寒くても心は温かい」という音楽であるように思う。この変ホ長調の温かさのニュアンスはチャイコフスキーの交響曲第1番やシベリウスの交響曲第1番の緩徐楽章に共通していると思う。途中から嬰ト短調に転調、寒さをさらに感じるようになるが、途中ロ長調に解決する場面は夕日を浴びているよう。私が当時住んでいた場所にはそんな景色がたくさんあった。イ長調の旋律は夜空の下で星を見ているようで、ほっとした温かさ。その後はまた嬰ト短調の世界を通って、最後は最初と同じ旋律、今度はイングリッシュホルンだけで細く歌われる。和音のパートには最初になかったくすぐるような音が入っている。最後は遠くに消えていくように終わる。シンプルだが温かい音楽。-------------------------第3楽章:打って変わってこの楽章はハ長調のスケルツォ。3拍子だがワルツのような優雅さではなく、土の香りのする踊りであるように思う。ちょっとボロディンの作品に共通するような雰囲気を感じる。演奏する立場としてはけっこうヘミオラが多いのがつらいところではあるが、これも持ち味である。中間部はイ短調、2拍子の民謡風音楽(何となくなつかしい感じがする)。ファゴットの和音は民族楽器の太い笛のようであるし、クラリネットやヴァイオリンの演奏する6連符を伴う旋律がいかにも民謡でわかりやすい。途中で重みを増すあたりはオケの醍醐味を感じることができる。その後は冒頭の主題が帰ってきて、盛り上がったまま終わる。-------------------------第4楽章:冒頭は第1楽章と同じだが、すぐに展開してこの楽章の主題へ。ト長調でとてもあかるく飛び回るような旋律。これが何度も出てくる。ヴァイオリンにとってはこれもかなり辛かったりする。とにかく分散和音でありながら音の動きに規則性が無く、演奏が非常に難しい(プロコフィエフがこのパターンを使っていて苦しめられた経験あり)。ほとんどすぐ後に来るクラリネットの旋律もやはり民謡風で、これまたいい味を出している。途中には主題の間に挟まるエピソードとして第1楽章の第2主題や第2楽章の第1主題の回想があり、それが曲の一体性を保とうとするようになっている。また、この楽章の主題の拡大形がニ長調やト長調で出てくる場面も、金管や低弦は格好いいが、これまたヴァイオリン泣かせである(フルートもかな?)。また、第2楽章の回想場面が2度出てくるが、これも格好いい。特に1度目の変ホ長調の場所では金管セクションががうまかったら鳥肌ものであり、何だかわからないが泣けてくる。ヴァイオリンは単純なリズムの繰り返し(うちの息子が公園で鳩を追いかけるときのかけ声とリズムが同じ「こーのこのこのこのこの」なのでいつも笑ってしまう)だが、一緒に演奏していると感動してしまう。金管がおさまった後の木管の和音がたまらん...。2回目はト長調だが、こちらは本当にラストへとつながる音楽。冒頭主題から始まってそこまでどんどんふくらんでいく様子は本当に感動的である。スコアを見てもとてもシンプルな作りだが、そこからこれだけのものが出てくるというのは本当に素晴らしい。最近、聴けば聴くほど好きになっているような気がする。演奏できる機会があることに感謝という感じである。-------------------------カリンニコフは若くして亡くなった作曲家、交響曲は2曲しか残されていない。もっと長生きしていたらもっとこういういいテイストの曲をもっとたくさん書けたのだろうなと思うと残念である。今日突然知らされた訃報にこれと同じ思いが重なった。もっといい将来があるはずなのに...知らせがあってからずっと胸がつまる思いだ...合掌。
Oct 19, 2006
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いよいよ本番が近づいてきた。この曲は今までにいくら望んでも演奏できなかった曲、出演できそうなときには別の人が先に入ったり、頼まれたときに限って用事が重なっていたりで、どんなに弾きたいと思っても出会えなかった曲なのだ。やっと自分の手で本番を演奏できる。この曲はチャイコフスキーにとって最後の交響曲、しかも死の直前に初演されたものである。彼の死因には謎が多いというのは有名な話だが、「悲愴」というタイトルにも謎が多いようだ。「悲愴」のもとになる単語の意味は、日本語での悲愴とは違って、むしろ「情熱的」というニュアンスが込められていると言われる(英語だと「悲しみ」という意味が最初に出てくる。言葉は本当に難しい...)。彼の謎の急死のイメージと曲のイメージが相まって広まったと言えるのかもしれないが、とにかく真相はよくわからない。この曲の調性はロ短調、私はこれがチャイコフスキーの「勝負調」だと思っている。チャイコフスキーにはこの調性を直接使うもののみならず、随所に見え隠れする作品がけっこうある。この調を前面に出しているもので最も有名なのは、「白鳥の湖」「ロメオとジュリエット」などがそうだ。「悲愴」が劇的に聴こえる一つの要素であることは間違いないだろう。-------------------------第1楽章:冒頭はいきなりロ短調で始まるわけではなく、別の調(ホ短調)から入ってきて、しばらくしてから完全な形で姿を現す。このようにメインになる調の和音を出さないというのは第4楽章でも同じ手法で、ロマン派以降で多用される「じらし戦法」ともいうべきものである。第1主題は、初めて聴いたときにヴァイオリンなのかと思ったら、ヴィオラの高い音だったことは後で知った。この山型の主題(頂点に重心が来る)もこの曲の随所に見られるアイデアだ。しばらくして第2主題、ニ長調の平和な感じのする音楽。良き思い出を回想するかのようだ。ここは演奏してみると奥が深いなと思う。許される範囲内で目一杯時間を操作し、音色を作り上げる、そんな楽しみがこの旋律にはある。盛り上がって煌びやかな雰囲気を作った後でそれがおさまり、最後はp(ピアノ)6つ!ファゴットでそんな音は出ないぞという訳で、バスクラリネットで代用されることが多いようだ。ここは見えなくなるまで手を振る別れのようだ。長調でありながら悲しい。すると、突然最弱音を切り裂くように激しい音楽が展開される。最初にヴィオラで演奏された旋律の断片がどんどん展開されていく。金管楽器がほえまくり、木管楽器と弦楽器が風の音のように激しく動き回る世界は圧巻である(脱水機に放り込まれたらこんな感じかな?)。コロコロと調を変え、またダイナミクスもどんどん変わっていく。何かに追われて逃げ切ったかのようでいてまたすぐに追いついてくるかのようなシーンもある。そしてクライマックスではトロンボーンによる最後の審判のようなモチーフ。それが静まった後最後にやってくる一撃と静かなピチカート。何だか幻想交響曲の断頭台とちょっと似ているかも(それよりははるかにスケールがでかい感じがするが)。そして、それがおさまると、平和な音楽が今度はロ長調で出てくる。これもチャイコフスキーお得意のパターンである。いろいろあったけれど、すべてが浄化されていくような音楽の流れ。低減のピチカートにトランペットの弱音が重なる部分はぞくっとする。最後は平和な雰囲気のまま終わる。これは天国を表しているのだろうか。死んだ後だという人もいれば、まだ希望があるのだという人もいる。解釈が分かれるところなのだろうな。すべてが崩れてもまだ「光が差しているのかも知れない」と私は思ったりするが、どうなのだろうか。-------------------------第2楽章は5拍子でありながら、ワルツ的な舞曲。変な拍子にきこえないところがどう考えても謎である。チャイコフスキーってやっぱりすごいと思う。基本的にはニ長調で進んでいく。この楽章にある第1主題と中間部主題はどちらも旋律線は本当に単純だが、単純だと誰も思わない。むしろ弾く立場になって初めて「え?こんなに単純なのか?」と思ってしまうくらいだ。しかし、シンプルなものほど難しいのは世の常(中華料理のチャーハンと同じで)、これもご多分に漏れずそうだ。中間部はロ短調の要素が出てくる。以前ある指揮者に「ロ短調なのにティンパニはずっとここはレの音で叩いているんだけど、なぜかわかる?」と聞かれたことがある。それはニ長調の要素が入ってくるからだということでまあ正解だとのことだった。それはさておき、このあたりは本当にうまくできているなと思ってしまう。シンプルなだけに難しいのは弓の上げ下げをどっちで始めるのかということで、かなり悩んだ。せつない雰囲気をどうやって出すのかは、いろいろ試してみないとわからないものだ。5分ちょっとの楽章だが、本当に奥が深い。-------------------------第3楽章:最初に出てきた主要な旋律が楽器を変えて何度か出てくるという、つくりとしてはあまり複雑ではない。中間部で木管楽器が演奏するところでは少しおどけた感じになるし、最後の方で金管楽器が演奏するところでは豪快な感じがする。ここで金管がブリブリ鳴っていると弾いていて鳥肌ものである。「音は空気が揺れて出るものである」ことを実感する。いかに重厚でありながらもたもたせずに演奏しきれるかが問題である。ロシアではこういう場所を「重戦車」だと例えるらしい。最後のティンパニによる「ダダダダン!」という締めは、やはり「運命」を表しているのだろうか。他の楽章と不釣り合いなほどバカ騒ぎっぽい音楽にきこえるだけに次の楽章との落差が非常に大きくなっているのだが、これは「重戦車が通った後に何も残らない状態」なのかもしれないときいたら、恐ろしくなる。-------------------------第4楽章:この音楽は、本当に泣ける。冒頭の旋律は、1stと2ndという2つのヴァイオリンパートが2つの旋律の間を行ったり来たりするという変わった書き方になっている。理由はよくわからないが、ステレオ効果なのだろうか。本当に「泣く」ような始まり方だ。後でこの旋律が出てくるときには低音からあふれ出てくるような音型に導かれて出てくるのでますます「泣き」の感じが激しくなってくる。しかし、本当に泣けてくるのは、そういった短調でいかにも泣いている感じの場所ではなく、自分にとっては中間に出てくるニ長調の部分だ。ホルンのリズムに導かれて弦楽器がゆったりとした旋律を演奏する。ここは「優しく、そして慎み深く」と書かれている。これは祈りの世界なのだろうなと思う。このニ長調で何かを求めるように上昇していく音型は「もっと生きたい。お願いだから!!」と言っているように感じる。これが何度か繰り返されてニ長調の世界が崩れてテンションが最高潮に達すると一気にその世界が崩れていく。気持ちが高まっても祈りは通じずに最後は泣き崩れてしまうような感じに思えてしまう。その後は「泣き」の世界が続く。弦楽器はどんどんリズムの単位が細かくなって咳き込み、さらにトランペットのクレッシェンドは張り裂けんばかりに叫ぶ。冒頭の「泣き」の旋律を何度も繰り返すが、それはどんどん力を失っていき、ドラの一発が運命を決めてしまう。そして、トロンボーンとテューバのコラール。コントラバスが3連符を基本とした音型とピチカートで最後はすべてが消えてなくなるように終わっていく。心臓が止まっていくかのように...。-------------------------この曲は震災直後に狂ったように聴き続けたことをよく覚えている(あといつも聴いていたのがマーラーの交響曲第9番)。なぜだかわからないのだが、これらの曲を聴いていると落ち着いたものだ。よく考えてみると、落ち込んだときには徹底的に落ち込みそうな音楽を聴いてしまうのが自分の癖であるように思う。もちろん、そういうときにしか聴かないというわけではないのだが。以前もこの曲について書いたのだが、部分的には演奏してみて自分の中で解釈が変わった場所もある。やってみていろいろと感じてそうなっていく。やっぱり演奏は生きているのだと思う。この曲のライブの響きをしっかり出せるように、今できる自分のすべてを出し切れる演奏にしたいと思う。実はまたこの曲を後日演奏することが決まった(もちろん別のオケ)。何年も出会えなかったのに一度出会うとこんなものだと思うのだが、演奏するメンバーはまったく違う。今回やれることは、次回にはできない。いや、二度とできない。今回の大切なメンバーと共に素晴らしい演奏をできたらと思う。
Feb 16, 2007
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「交響曲の父」とも言われるハイドンは、77年の生涯で100曲以上もの交響曲を作曲しており、その創作の時期も1755年頃から40年間と長いものだった(実際に何曲あるのかについては諸説あるが、この時代の音楽作品には自筆楽譜が残っていないケースが多いので本当のところはわからないようだ)。この曲は、1771年から1772年頃作曲されたと言われている。この曲の作曲時期も含まれる1760年代後半から1770年代前半にかけては、ハイドンにとっての「シュトルム・ウント・ドランク(疾風怒濤)」時代と呼ばれている。この「シュトルム・ウント・ドランク」というのは,18世紀後半の文芸の運動で,冷徹な理性よりも、人間に本来自然に備わっている感情を重視しようとするものである。確かに、音楽にしても絵にしても、時代を追ってみていけば、そういう感じに変わってきたのだなと感じることができる。ハイドンの音楽はこの運動と直接関係していないと言われているが、感情を表に出す表現を多用した作品(交響曲だけではなく、弦楽四重奏やピアノソナタ、オペラにまでそういったスタイルが見られる)を多く生み出した時期がちょうどこの時期に近いことから、そのように呼ばれている。ハイドンの交響曲はほとんどが長調なのだが,例外的にこの時期には短調の作品が集中している。この時代に交響曲を短調で書くということはかなり特別な意味を持っていて、情熱的な表現をしたいときにそうするのだと言われている。確かに、モーツァルトも短調の交響曲でもこのような情熱的な表現が多用されていると言える。この曲も特に両端の楽章において情熱的な表現がむき出しになっており、この時期のハイドン作品の特徴を持っている。ハイドンはこの作品を気に入っていたようで、自分の葬儀の時には第3楽章を演奏してほしいと語ったと言われており、また1809年に行われたハイドンの追悼演奏会ではこの楽章が演奏された。副題の「悲しみ」というのは、ハイドン自身によるものであるか否かはわからないが、ハイドンの追悼演奏会のエピソードに由来すると言われている。-------------------------第1楽章: 曲の冒頭はユニゾンによる暗い動機で始まり、第1ヴァイオリンが暗いながらも美しい旋律で応答する。これと対比される第2主題は明るく力強いものになっている。これらの素材を展開しながら曲が進んでいくが、その中でもずっと情熱的な表現がとどまることなく、推進力を持ち続けている。ただし、最後の方にフェルマータがあり一瞬音楽の動きが止まってしまうところがあるが、これが逆に印象的である。ハイドンはこの曲の中で対位法(同時に複数の旋律が存在し、個々の旋律が独立性を失うことなく共存するということで、例えば旋律と伴奏というように各パートの役割を固定したまま進んでいくスタイルとは異なる)を積極的に導入しており、この楽章にも対位法が多く見られる。それによって、例えば異なるパートどうしで旋律が追いかけているかのようにきこえたり、次々と旋律が湧き出てくるようにきこえたりすることで、たたみかけていくような推進力が生み出され、情熱的な表現につながっているのである。-------------------------第2楽章:この楽章はメヌエットの形式で書かれている。宮廷で踊られた舞曲らしく優雅な感じがするメヌエットには、長調の曲が似合うように思われるが、ハイドンは暗い雰囲気を持った短調のメヌエットをこの曲で採用した。しかし、中間部では長調に転じ、霧が晴れたような美しい音楽になっており、冒頭部分との鮮やかな対比がつくられている(中でもホルンが弦楽器に重なった音色が印象的)。ちなみに、冒頭の主題が最高声部と低音部とのカノンになっているので、この曲は「カノンの交響曲」というタイトルが付けられていたという説もある。-------------------------第3楽章:この楽章では、弱音器をつけたヴァイオリンの美しい旋律が次々と登場していく。シンプルな伴奏とオーケストレーションによってつくられていることから、この楽章には透明感のある美しさがあふれている。また、音の強さを比較的こまめに変えてみたり、異なる拍子を途中に挟んでみたり(実は4拍子の流れの中に5拍子が埋め込まれている場所がある)といった工夫が見られるのもこの楽章の特徴だ。-------------------------第4楽章 この楽章は、単一の主題に基づいて展開されており、全体が有機的に構成されている。冒頭からせき立てるような主題によって始まり、第1楽章と同様にそれが対位法によって展開されていく。主題そのものがかなりせき立てるような性質を持っているので、この楽章は第1楽章以上に推進力が感じられ、情熱的な表現にあふれている。また、一瞬沈静化していくかのように見える音楽が、それを切り裂いて最後まで走り抜けていくラストも印象的なものとなっている。-------------------------ハイドンといえば、面白い副題のついた曲が多かったり、また「告別」や「驚愕」といった面白いエピソードを伴った曲が多く、全体的に明るいイメージだが、この曲は別の一面を見せているようだ。それだけに、印象深い。モーツァルトの短調の交響曲においても同様の感覚である。一度演奏会で演奏したことがあるが、やはりそういう意味でも難しかった。とはいえ、実際にやって思ったのは、古典をちゃんと演奏できることが基本だということ。確かに音をなぞるだけなら何とかなっているように思うが、実は逆にそれが難しい。音がごちゃごちゃしていないので、ごまかしがきかないのだ。こういう曲を聴くと、やっぱり古典をちゃんとやりたいなとか思ったりする。とか言いながら、今必死で練習しているのはチャイコフスキーだったりするのだが...。
Sep 22, 2007
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この曲は1881年に初演されたもので、サン=サーンスにとっては、すでにしっかりとしたスタイルができている頃の作品である。初演でソロを弾いたのは「ツィゴイネルワイゼン」で有名なサラサーテである。しかしながら、技巧に走る作品ではなく、むしろその美しさはメンデルスゾーンからのつながりを感じさせるようにも思う。-------------------------第1楽章:ティンパニのロールと弦楽器のキザミでもやっとした世界から決然とソロ・ヴァイオリンによる第1主題がいきなり登場する。サン=サーンスはフランスの人だが、この音楽はそういったイメージというよりは、地中海沿岸のアフリカ、あるいはアラビアかという感じがする(「バッカナール」や「エジプト風」などの曲があるからというわけではないだろうが)。月夜に照らされた夜の砂漠といった雰囲気が似合うような気がする。ソロ・ヴァイオリンの旋律は砂漠を吹く風という感じがする。ロ短調といえば、共通する雰囲気を持っているのは、リムスキー=コルサコフの「シェエラザード」の第2曲かなと思う。そこからコテコテのアラビア色を少し抜くと、こういう味になるのかなと思ったりする。第2主題はゆったりとした雰囲気。ホ長調で美しく歌い上げる。ドイツ音楽のようなかっちりとした運びではなく、音の動きもフワフワ感があって面白い。しかし、ここが終わるとまたスピード感のある第1主題が戻ってきて、展開部という感じになる。この部分はとても短く、またすぐに第2主題がロ長調で登場。こちらはセピア色の輝きを持っていて、これまた美しい。コーダに当たる部分はソロ・ヴァイオリンが忙しく動き回る。完全なカデンツァが存在しないのもこの曲の一つの特徴になっている。最後はオケとともに決然とした感じでしっかり決めて終わる。-------------------------第2楽章:両端の楽章に挟まれる楽章が遠い関係にある調で書かれているのは珍しい。変ロ長調という明るい色合いを持つ調性で書かれているので、雰囲気の変わり方がかなりはっきりしている。冒頭はさわやかな朝の光を見るよう、とても幸せな雰囲気である。フレーズの終わりにあるフルートで演奏される少し遊ぶようなアルペジオがとても洒落た感じでよい。中間部はヘ長調に転調してさらに輝きを増す感じ。ソロが朗々と歌っている裏で伴奏の形が凸凹しているところは、また味わいがある。しばらくすると楽器の組み合わせを変えた冒頭主題が戻ってきてさらにコーダへ。ここでは、ソロ・ヴァイオリンがフラジオレット(ハーモニクス)で木管楽器と一緒にアルペジオを演奏するというアイデアが面白い。朝にきこえる鳥の鳴き声という感じだろうか。とにかく、とことんさわやかな音楽である。-------------------------第3楽章:いきなりソロ・ヴァイオリンがホ短調で激しく入ってきて、オーケストラがそれに渦を巻くように答える。また風の吹く砂漠に戻ってきたという感じがする。しばらくしてようやく主調であるロ短調に戻ってきて、飛び跳ねるような主要主題がスタートする。その後、しばらく技巧的に派手な部分を通り過ぎ、ニ長調のカッコイイ旋律を歌い込み、やがて静かな部分へ。この部分はト長調、静かに夢を見るようである。そこが終わると冒頭の雰囲気に戻り、さらに飛び跳ねるような主題を含めたいくつかのエピソードを見せて、輝かしいロ長調のコーダへ突入していく。このコーダの金管楽器がとてもいい味を出している(ほとんど派手に出てこないので、さらに印象が強い)。さらに曲は最後に向かってテンポアップ、オーケストラによって輝かしい雰囲気がさらに演出され、かっこよく終了する。-------------------------この曲は一度だけオーケストラで弾いたことがある。大学オケの手伝いに行ったときで、たまたま予定がうまく合って、合宿に参加できたときである。場所は富士山の見える場所だったが、晴れた朝に、宿舎の外に出て富士山の背後から太陽の光が差してくるのを見たときに、この曲の第2楽章が頭の中を流れた。演奏するまでは、正直行ってこの曲をほとんど知らなかったのだが、こういうエピソードもあって一気にお気に入り曲になった。まさに演奏することによってだんだん好きになっていった感じである。どうもこういう経験がたくさんあるというのは、食わず嫌いでよくないのかなと思ったりもするが、後からおいしさがわかるのも幸せだなとも思ったりして、複雑だったりする。
May 12, 2008
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次回の市民オケの演奏会のメインとして取り上げられる曲。ドヴォルザークの交響曲といえば8番や9番が有名であり、曲自体がかなり取っつきやすい雰囲気を持っているので人気もある。ドヴォルザークの独自色が完成されたかたちになっていることも感じられる。一方、この第7番は、曲全体の色が比較的地味(ニ短調という調性がそれに関係しているのかも)だと言われたり、ブラームスの交響曲第3番に刺激を受けていてその影響をかなり受けているのだという指摘もある。この曲の初演がロンドンで行われているというのは不思議な気もするのだが、実はドヴォルザークの作品はすでにイギリスでも有名であり、それを持ってロンドンへ行った際の演奏会で自作の指揮をして好評を博した。そこで、ドヴォルザークはロンドン・フィルハーモニー協会の名誉会員に推挙され、そのための新しい交響曲を書くようにとの誘いを受けたことをきっかけに書かれたのが、この交響曲である。-------------------------第1楽章:冒頭に「アレグロ・マエストーソ」と書いてあるが、このパターンはあまりないような気がする。スピードは速いのに、厳かにということである。冒頭は表情記号通り静かに思い雰囲気で始まり、第1主題がヴィオラとチェロで演奏される。その後不協和音の混沌とした響きが大きくなっていき、抜けたところからいよいよアレグロの雰囲気が出てくる。8分の6拍子の6拍目から旋律が始まってみたり、ヘミオラがたくさん出てきたりするので、演奏する場合にはリズムになれていかないと雰囲気がちゃんとでないので大変である。この部分では、ドヴォルザークが作曲した「フス教徒」序曲の主題によく似た旋律が姿を現す。フスとはチェコの宗教改革者であり民族的英雄とされるヤン・フスのことで、その精神をたたえる曲が「フス教徒」序曲である。その曲に込められた精神を再現するかのように、この部分は戦闘的な音楽となっている。第2主題は木管で登場し、弦楽器に受け継がれていくが、ここにもチェコの守護神ヴァーツラフをたたえる古い歌が形を変えて用いられている。特に木管楽器の瑞々しい響きはやはりドヴォルザークらしく素晴らしい。途中に出てくる素朴な雰囲気と独特の和音進行などは、つい先日までベートーヴェンを演奏していた自分にとっては、また違った新鮮な雰囲気を感じる。個人的には再現部で第2主題がニ長調で出てくる場所がとても平和な感じで大好きだ。ただのんびりというわけではなく、とても晴れやかな雰囲気がとてもよく出ている。しかし、その部分がなだらかな頂点を迎えたところで曲はニ短調の暗い雰囲気(私は灰色を連想してしまうが)に戻り、一段と戦闘的にそして劇的に曲が盛り上がっていく。しかし、それもテンポが次第に緩んで、最後は厳かな雰囲気に戻っていって終わる。-------------------------第2楽章:素朴な雰囲気のする楽章。しかし、ならったとされるブラームスの交響曲第3番に比べると、やっぱり心の内を表に出しているような場所があるように思う。序奏は木管による素朴な旋律。やがてアメリカで吸収する音楽を先取りするような音の運び方である。続く第1主題はフルートとオーボエで演奏されるが、フレーズの頂点の和音とその後の音の進行がいい味を出している。それから少し暗い雰囲気のエピソードを挟んでホルンによるヘ長調の明るい旋律。草の緑に太陽の光と爽やかな風が当たっているといった感じだろうか。中間部はヘ短調でスタート。低弦や金管の「ドンドン」と打つ音がやはり意思の強さを感じる。そこを抜けると変ニ長調でクラリネットとホルンが対話し、ホ長調に転調するとフルートとファゴットの対話に変わる。こういった転調と楽器の組み合わせは絶妙だ。渋いけれども味わい深いと思う。また、再現部直前に面白い響きの場所がある。この曲にはワーグナーからの影響があると指摘されることがあるが、おそらくこの和音進行のところではないかと思う。確かに、ドヴォルザークではあまりないような響きだと思う。再現部では第1主題をチェロが演奏するが、木管とはまた違った味わいでよい。その後の暗い雰囲気のエピソードが今度はフォルティシモまで成長していき、楽章の中で使われた様々モチーフが散りばめられている。そこからなだらかな坂を下るように、穏やかな世界へと戻って終わる。-------------------------第3楽章:私がこの曲をあまり聴かなかった中でも唯一覚えていたのがこの楽章の旋律。スラブ舞曲にも入っているフリアントのリズムが特徴的である。全体は3拍子系なのだが、1つのフレーズの中で前半がヘミオラ、後半が通常の3拍子というつくりになっている。スラブ舞曲で言えば第1番や第8番などが近い雰囲気を持っている。冒頭のアウフタクトから始まるリズムが何とも変わっていて難しいが、旋律自体はとても親しみやすい。主部は楽器や伴奏を変化させながらこの旋律が何度も登場する。やっぱり踊りというのは繰り返されることで高揚感が出てくるというのは、どこでも同じということなのかなと思ったりする。中間部直前で旋律が面白い展開を見せる。和音の使い方といい、アクセントの場所といい、これでもかと書かれたフォルツァンドといい、こういうのをきっちりできたらカッコイイんだろうなと思う。中間部はテンポを落として少しもやっとした印象の音楽。弦楽器が多くの場所で細かくトリルのような音型(ただし、アクセントのないトリル)をずっとつづけているために、そう感じるのだろう。しかも一度に扱われる構成要素は多くなく、きわめてシンプルになっている。そこから舞曲が復活していくブリッジとも言える部分もうまくできればカッコイイだろう。主部に戻った後、終結部の中で一瞬落ち着く部分もあるが、ここでまたちょっとワーグナー的な和音とターンの組み合わせがある。ヴィオラとオーボエにそれを割り当てているところがなかなか面白いところだ。最後は盛り上がって終わる。CDを聴いていて「この音はどういう楽器の組み合わせなのか?」と思った後でスコアを見ていると、いろいろな発見がある。演奏は聴き手には一つのものとして届くが、演じ手としてはどういう要素からできているのかを知っていて演じることが大事なのだと、スコアを見るたびに感じる。-------------------------第4楽章:冒頭の第1主題から不協和音を多用し、さらにフレーズが解決しないまま次のフレーズへと行ってしまうので、心の中に燃えるものがあって次から次へといろいろな思いがわき出しているんだろうなと思わせる音楽。3連符で急速に駆け上がる動機が多用されていながらも、随所にアクセントが書かれていて、それでも滑っていってはいけないという引っ張られ感のある動機も多用されているのも特徴。劇的な要素満載の楽章だ。ニ短調というのもやはりそういう雰囲気を後押しする要素なのだろうなと思う。第2主題はイ長調の落ち着いた音楽。ドヴォルザークがたまに書いたポルカの素朴な雰囲気がそこにはあるのだが、それがまた激しく燃え出すが最終的にはやはり短調へと戻っていく。展開部はそこまでで使われた要素を使いながら、また激しく転調していく。それぞれの調に応じてさまざまな要素を組み合わせている要素は見事だと思う。再現部では、第1主題がティンパニのリズムに乗って激しく展開されており、第2主題はニ長調で、1回目よりもクリアな感じがする。終結部はトロンボーンの響きとヴァイオリンの分散和音があるが、きっちりできればこれまたカッコイイ。最初の頃は滑るなという感じで運ばれていた音楽がここでは突進モードに。そして、最後の最後でなんと「モルト(とても)」マエストーソと書いてあり、堂々とした旋律が歌い上げられ、強い音のまま終わる。第8番のように駆け抜けるようでもなく、第9番のように手を振るように終わるわけでもなく、真正面から堂々と終わっているところが、やはりこの曲の魅力だと思う。-------------------------この曲については、これからずっと勉強していくことになる。大炎上していた心のエネルギーを表現に変えていくべきだと思っている。せっかくこの曲を演奏する機会をもらったのだし、そうするのが一番いい。誰よりも深く味わう心づもりでやっていこう。「○○フィルの演奏だったらここは遅いからそうするべき」ということではなく、楽譜から自分なりに読み取れることを表現できるようにしたい。もちろん、そういった演奏をできるだけ思いこみを排して参考にしていくべきであることは間違いないとは思うが。これがプロの指揮者なら生活に関わることなのでそれこそ精神を削ってやる作業なのだろうが、幸運なことにわれわれはアマチュア。自分の好きな演奏だのいろいろとこだわりはあったりするのかもしれないが、それをコピーするのでは芸がない。むしろ、自分の知っていること、感じたことを指揮者はどうやってアプローチしてくるのか、それをきいて「そういう考え方があるのか」という新しい発見をどんどんしていきたいと思う。指揮者はその場の響きなどをすべて考えて計算しながら演奏へのアプローチを決めているわけで、その場で最善の響きを出すことを考えている。だから同じ演奏はありえない。そんな一期一会を楽しむことが大事なのではないかなと私は思う。たとえ、ここで書いたことと違うイメージを指揮者が語ったとしても、その意味を探るのがまた楽しいではないか。それを工夫していく過程も楽しいだろう。自分でそのことをもっともっとわかって演奏していきたい。この曲をものにしていくことがきっと自分の転機になるのだと思う。あとで振り返れば思い出深い曲になるはずだ。
Dec 18, 2007
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ドヴォルザークと言えば、「新世界」、チェロ協奏曲、交響曲第8番、スラブ舞曲といったところが有名だろう。この曲はこれらの傑作が作曲された時期の中に入り、ちょうど、交響曲第8番と「新世界」の間に位置する。この曲をよく聴き込んで行くと、先ほど挙げた曲と共通する特徴がたくさん浮かび上がってくる。ドヴォルザーク節傑作選を10分間に凝縮した感じである。この曲は、「自然と人生と愛」という、交響詩3部作に含まれる曲で、その2曲目に当たるが、スメタナの「我が祖国」のように連続して演奏されるものではなく、作品番号も独立したものとなっている。ただし、共通する旋律が顔を出すので、まとめられているのだということは理解できる。「謝肉祭」とは、簡単に言えば、羽目を外す祭のことで、古いゲルマンの春の到来を喜ぶ祭りから由来し、キリスト教の中に入って、一週間教会の内外で羽目を外した祝祭を繰り返し、その最後に自分たちの狼藉ぶりの責任を大きな藁人形に転嫁して、それを火あぶりにして祭りは閉幕するというのがその原初的なかたちであったという(WIkipediaより一部引用)。-------------------------曲はイ長調、とても明るい調子で始まる。この旋律は何度か曲中に出てくるが、そのたびにタンブリンが鳴るのが印象的。イ長調と言えば、ベートーベンの交響曲第7番やメンデルスゾーンの「イタリア」と同じ調性で、太陽の光と陽気なリズムがとてもよく似合う。意識して選ばれたように思えてしまう。はじける祭としての謝肉祭にふさわしいものだと思う。冒頭旋律のシンコペーションのリズムが印象的で、そこからひとしきり盛り上がった後、曲はホ短調に変わる。ここはスラブ舞曲第10番と同じ世界であると感じる(拍子は違うが)。旋律の動きはもちろんのこと、低音の進行もよく似ており、手中に収められた方法なのだと感じる。その後は爽快なト長調の部分を抜けて、明るいホ長調の世界。符点を伴う軽いリズムと和音の組み合わせはやはりドヴォルザークだなと思う。続いて、ハープのアルペジオを合図にトンネルのような和音(どこの調にもいけるのでどこにいくのかがはっきりしないという意味)を抜けると、ト長調の瑞々しい世界。雨が止んだ後の森の中にいるかのようだ。フルートの透き通った音にオーボエの鄙びた合いの手、なんだか懐かしい世界に連れて行ってくれるように思う。さらには交響詩を結ぶテーマがクラリネットで顔を出し、バイオリンソロがフルートと同じ旋律で歌う。短い単純なソロだが、どこまでも大事に弾きたくなる旋律である。続いて同じ旋律がまた出てくるが、ここでは、コントラバスとタンブリンの合いの手が楽しい。少し珍しい響きがする。フルートが上を見ているならば、こちらは土の近くを見ている感じがする。交響曲第8番の第4楽章に似た世界だがもう少し自分から近い場所を描いているような感じがする。ここを抜けると、またトンネルのような和音。出口はト短調の旋律、これは冒頭の旋律から派生したものである。展開部に相当する部分である。低音の扱いが絶妙だと思う。その上を高い音が飛び回るというのもうまくできているなと思う。しばらくして、ニ長調の騒ぎが出てきた後に転調するための下降音型(音のとび方がちょっと変わっている)は「新世界」やチェロ協奏曲に見られる、ドヴォルザークが多用したものだ。ブラームスにも似たような方法が使われているので、つながっているのかなと思ったりする。その続きでは、冒頭の旋律が戻ってくる。この旋律の出口はイ長調で閉じられるのではなく、さらにハ長調に展開されているのだが、その後はいろいろな調を行ったり来たりしつつ、伴奏の音型を変えたりしながらテンションを高めて、イ長調に戻って爆発する。この途中の低音部の上行音型が気持ちをどんどん盛り上げていく様子が心地よく感じられる。コーダの部分はさらに速度を上げて、最初の旋律のシンコペーションや、細かい音符の盛り上げを繰り返しながら宴は最高潮になり、最後は2つの和音を打って終了。2発であっさり終わってしまうところはその前の雰囲気は交響曲第8番の終わりとよく似ている。-------------------------はじけるリズムに美しい旋律、ドヴォルザークらしさにあふれたこの曲は、もっと演奏されてもよい曲であると私は思う。どうやら近々演奏する機会に恵まれそうなので、その時には思う存分楽しんで弾きたいと思う。
Jul 12, 2007
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3月だというのに、一応春だというのに、まだまだ寒く冬のまま。というわけで、寒いうちに書いておこうと思った。さらに言えば、最近チャイコフスキーづいているのだが、初期の作品も聴いておこうというわけで。この曲はチャイコフスキー26歳の時に第1稿が完成されているのだが、現在聴くことのできる形で全曲初演されたのはなんと43歳の時、ブラームスほどではないにしてもこういう苦労があったんだなと知った。チャイコフスキーは師匠から演奏を許してもらえなかったり、初演を失敗してみたりとかなりついていない部分が多いのだが、これもその一つだろう。後世での人気ぶりを彼はどう思っているのだろうかなどと思う。この曲には、有名な後期の交響曲とはまた違った趣がある。さらに、前半の楽章には副題までつけられている。もちろん、後期の交響曲ほど練られたものではないように感じてしまうのだが、逆に純粋な感じがするのもいいように思ったりする。-------------------------第1楽章:「冬の旅の幻想」ヴァイオリンのトレモロに乗っていきなりフルートとファゴットによる第1主題。時々低弦による半音階の合いの手が入るところが珍しい感じ。そこから追い込むようにユニゾンで盛り上がっていくところは後の作品にも見られる形で、チャイコフスキーらしい一面を見せる。第2主題はニ長調のチャイコフスキーらしい旋律。クラリネットで最初に出てヴィオラとチェロに受け継がれていくが、後者への広がり方がいい感じ。その後の転調も「らしい」感じがする。金管楽器が断片的に盛り上がってくる場所はまだ圧倒的な雰囲気はない。展開部では半音階で持ち上げられるような感じと常に前進していくような進行が力強い。再現部は提示部の短いバージョンでト長調を中心に音楽が展開されている。最後は第1主題をもとにした旋律が遠のいていくように終わる。まさに「幻想」だったという感じ。-------------------------第2楽章:「寂しい土地、霧の土地」この楽章の弦楽器だけで演奏される冒頭(序奏)が大好きである。後の弦楽セレナードの第3楽章を思わせる。和音進行がたまらない。ここはピアノ(弱く)と指定されているが、弾き込んだ方が雰囲気が出そうである。第1楽章で表現された「冬」とはまた違う何かが表現されているような気がする。第1主題はオーボエ。これがまた切ない感じで素晴らしい。変ホ長調で始まっているのだが、旋律の途中にある短調の部分が心にしみる。フルートやファゴットの合いの手も素晴らしい演出になっている。第2主題はフルートとヴィオラに変イ長調で表れるが、そこからロ長調に行ってしまうという展開が意外で、なぜかまた元に戻ってくるというのが面白い。ここでも旋律の途中で顔を見せる短調の部分がやはり切ない。第1主題が再び出てくるが、これがチェロの高音で歌われてみたり、またヴィオラのソロが一瞬だけあったりする。後期に見られる「泣き」の旋律の雰囲気がここにはすでにある。3回目に出てくる寸前にはホルンだけがフォルティシモで出てくるのだが、この音型や、最後に盛り上がった後に弦楽器が高音から下りてくる音型などは新鮮な感じがする。最後は冒頭の雰囲気に戻る。やはりこれも「幻想」の世界なのだろう。-------------------------第3楽章:やはりこれも幻想的な導入で始まる舞曲風の音楽。チャイコフスキーの作品で言えばバレエの中にこういう要素を持った曲はあると思うが、他ではあまり見ないような気がする。中間部は打って変わってヴァイオリンによるなだらかで伸びやかな旋律。主部のシャキッとした感じ(温度を低くした感じ)とのコントラストがとてもいいと感じる。どこの調に行こうとしているのかという展開が小規模ながら面白くきこえる場所でもある。最後の手前でおさまる場所ではティンパニの弱音や弦楽器のソロが使われている。しかし、最後は2発で「おしまい」となっている。-------------------------第4楽章:導入部分はゆっくりで、まずは主題の断片からスタートし、しばらくしてからヴァイオリンで主題が提示される。この主題は当時の大衆歌に基づくものであり、要素は第2主題に引き継がれていく。テンポがアレグロになるとどんどん盛り上がって(朝に雨戸を開ける感じだろうか)その先に第1主題が登場する。これがしばらく展開されて転調すると、ホルンを合図にヴィオラとファゴットによる第2主題が登場。これはまさに「コサックダンス」がやりたくなる人が出てきそうだ。展開部では新しい素材が使われている。この部分では後の作品に見られるような音型がたくさんある。雰囲気は多少違ってもこの曲はやはりまぎれもなくチャイコフスキーのものだ。第2主題がかなり省略された形で出てくると音楽は一度おさまってしまうのだが、そこから長いクレシェンド(増大)とアッチェレランド(加速)をして、終結部分になだれ込んでいく。ここでは冒頭の主題が表舞台に登場という感じ。そこからさらに加速していき最後まで突っ走る。最後の音が一発でおしまいというのがかなりあっさりした感じである。-------------------------この曲は、自分としてはもう少し演奏機会があってもいいのかなと思ったりする(大学オケあたりだと取り上げられたりすることもある)。後期の作品に比べればかなりロシア色の強い作品であるなと思ったりはするのだが、それもまた一つの魅力だと見ることもできると思う。前でも書いたとおり、この曲の中にはすでに後の作品につながるものがたくさんあるように思う。ルーツをたどってみる意味でも一度聴いてみる価値はあるだろう。この曲はまだ演奏したことがないがいずれ機会があればやってみたい曲である。
Mar 14, 2007
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シベリウスがその生涯を過ごしたフィンランドは、「森と湖の国」と言われるようことから、素朴で平和なイメージを感じさせるが、その歴史は決して平坦なものではなかった。古くから西隣のスウェーデン、また19世紀には東隣のロシアから支配されるという歴史を持ち、そのたびに文化的な弾圧とも戦ってきた。特に1890年代、ロシアの属領化政策が強引に推進されるようになると、フィンランドでは愛国独立運動が激しく高まることになった。この運動の一環として上演が計画された劇のための音楽として1899年に作曲されたものが、後の「フィンランディア」となる。「フィンランディア」は、あらゆる面で抑圧されているフィンランドの人々の気持ちを奮い立たせ、また対外的にもそのメッセージを理解させるのに十分な作品となっていることから、国外では当たり障りのない名前で演奏されていたそうだが(例えば「祖国」といった具合に「フィンランド」という固有名詞が出てこないように)、今日では、この曲の中間部の旋律に歌詞をつけた合唱曲としても編曲され、フィンランドでは第2の国歌のように愛唱されている。曲は金管楽器が奏でる抑圧を感じさせる序奏に始まる。金管がとぎれてティンパニのロールだけになるところはやはり圧巻だ。続いて、木管楽器や弦楽器による嘆くような旋律が続いていく。特に弦楽器が高揚する場所では副付点2分音符が使われていて、思いの強さが表されているように思う。逆に、これの扱いがいい加減だと何とも軽い演奏になってしまう。それが次第に激しく盛り上がり、その頂点で金管楽器による闘争を呼びかけるようなモチーフが登場する。ここでも低弦のトリルが思いの強さを強烈に表している。次に、これに答えるような低弦の音型(これは5拍子が入っているなかなか不思議な音型で、名字や氏名が5文字の人は必ず歌詞にされて歌われてしまうというネタがある)をきっかけとして曲は一転、明るく力強い雰囲気となる。この部分は独立への勝利を確信しながら戦っているかのようだ。とにかく上行音型中心の前向きな音楽である。この部分が遠ざかるように終わると、次に中間部へと進み、木管楽器と弦楽器が「フィンランド賛歌」とも言うべき旋律を歌う(写真の部分)。この部分の木管は空の輝き、弦楽器の旋律は人々の歌、弦楽器のキザミは湖のさざなみのように思える。そして曲は最後に金管楽器が参加してもう一度高揚し、力強く閉じられる。この部分でシンコペーションの上行音型が1回目と違って突き抜けるように作られているところがやはりすごいなと思う。この曲を初めて演奏したのは高校3年の時。それから何度か経験しているが、所属したオケではすべて演奏したことがあるという珍しい曲でもある。そんなに複雑な曲ではないのに、演奏するたびにいろいろ発見できる曲でもあり、また何回演奏しても感動してしまう曲。やっぱり好きなんだなと思う。
Mar 12, 2007
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チェロ協奏曲の代名詞とも言えるこの曲は、チェロを弾く人が一度はソロで弾いてみたい曲のようだ。この協奏曲は、ヴァイオリンのいろいろな協奏曲のようにアマチュアでは手も足も出ないようなカデンツァがないこともあって、そこそこ長くやっている人なら弾くマネはできるようだ(もちろん。そこから深めたような音を出すことは難しいにしても)。現在、所属オケでこの曲を練習しているが、初日にはチェロパートの人がこぞってソロを弾き始めて笑ってしまった。誰も伴奏のチェロパートを弾かないので練習にならない...。この曲はドヴォルザークの作品の中ではかなり終わりの方に位置する曲だ。「新世界」や「アメリカ」など、ドヴォルザークを代表する作品よりも後になる。上に挙げた2曲はアメリカ生活の中で書かれたもので、そこで知った音階などを使っているのだが、この作品はその色はあまり濃くない。むしろ、それまでに獲得してきた手法がうまくブレンドされている感じがする。第1楽章は、ソロが出てくる前からすでにいい雰囲気を作り出している。特に第2主題(ニ長調の歌うような主題)の扱いは絶品だ。ソロが出てくる前ではホルンが演奏し、乾いた雰囲気の中で遠くから鳴ってくるような感じであるのに対して、チェロのソロが同じ旋律を演奏するときには、もっと近くでみずみずしさのある音になっている。楽器の組み合わせ次第でそこまで雰囲気を変えることができるのだ。途中、最初に提示された主題がいろいろと展開されていく部分では、転調も面白い。特に嬰ト短調(#5つ)で静かに演奏されるチェロの「泣き」の節が印象深い。最後の部分では、最初にロ短調で提示された旋律がロ長調で帰ってくるのだが、このあたりの構成も感心してしまう。ロ長調という調は、あか抜けた感じのしない独特の明るさを持っている。古い建物の中にある金色の壁のような明るさを感じるのだが、この調に合った旋律の展開になっているように思う。重厚なオーケストレーションで結ばれる最後はスキッとした気分になる。第2楽章は、自然の中にいるような感じがするト長調の音楽。ドヴォルザークの使うゆっくりとしたト長調の音楽(例えば交響曲第8番の第4楽章など)は独特の雰囲気を持っていると思う。常に遠くの風景を見ているような感覚だ。この曲の場合だと、オケが遠くの風景で、ソロはその中にたたずむ人を表すような感じなのだろうか。ここでも途中でいろいろな調への転調を繰り返す(ト短調、変ニ長調、ヘ長調、ロ短調などと自由自在)のだが、多くはト長調の世界が占めている。あくまでも基本は穏やか路線という感じである。特に冒頭主題がホルンで戻ってきた後、この楽章を終えるのがもったいないとでも言いたげなソロの動きがたまらない。ドヴォルザークの作品に懐かしさを感じてしまうのは、きっとこういう作りなのだからだろう。第3楽章は、踊りの要素を感じる音楽。最初のチェロとベースの「ズン・ズン・ズン・ズン」という開始からして何かありそうな感じ。チェロのソロが始まるとそこから後はリズムがいきいきしている。その後に出てくるニ長調の穏やかな部分がまたいい感じ。そこからまた勢いを取り戻していく部分もうまくつながっている。その後冒頭の主題に戻るが、すぐに別の旋律が登場。最初はト長調でチェロの穏やかな感じのソロ(これも第2楽章と同じ雰囲気)があり、フルートがさらに軽やかさを演出、そこを抜けるとロ長調でヴァイオリン・ソロとチェロのソロとの掛け合いとなる。ちなみに、ここは二重奏だと思いがちだが、どちらにも実は2ndヴァイオリンのサポートが入っているのだ。よーくCDを聴いてみると、完全なソロではないことが聴き取れるはずだ。このソロはいうまでもなく、個人的に大好きである。この部分が終わり、金管楽器が登場するといよいよ最後のお話となる。ここでもやはりこの曲が終わりたくないかのようにゆっくり時間をかけて音楽が穏やかになっていく。ロ長調が使われているだけに、よりいっそう回想シーンの色が濃くなる。ちょうどセピア色の写真を見ているかのような感じだ。そして、第1楽章の主題の断片が登場、まさに回想だ。ほとんど音が無くなりかけたところで、最後に向かってクレッシェンド、突っ走って終わりとなる。このあたりの構成は「新世界」と共通のものを感じる。まさにドヴォルザーク作品の集大成を飾る作品(もちろん、その後に書かれた一連の交響詩も魅力的だが)であると言っていいと思う。この曲に伴奏として参加できることをとても幸せに思う。さあ、いよいよ本番、果たしてオケはうまくサポートして、時には自分たちで音楽をつくりながら、いい演奏ができるのだろうか、楽しみである。もちろん、そうできるようにありたいものだ。
Jan 26, 2006
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前回、「新世界より」を取り上げたが、ドヴォルザークにとって傑作揃いの時期の作品について過去に書いたものをもう一度見てみようということで、今回はこれを取り上げることにした。-------------------------この曲は、大学時代、卒業した高校の文化祭で後輩たちが演奏していたのを聴いて一度で好きになった曲だ。この曲の作品番号は「新世界」「アメリカ」に続くもので、まさに傑作の宝庫と言える時代に属する。この弦楽五重奏曲は通常の弦楽四重奏にヴィオラをもう一本足したもので、編成としてはポピュラーな方だ。前の2作品と同様、インディアンの音楽、当時のアメリカの音楽、そして彼の故郷ボヘミアの音楽の要素を見事なまでにミックスして仕上げられている。第1楽章は明るい民謡風(これはおそらくアメリカのものだろう)の開始だがおとなしめ。だんだん盛り上がって、民謡舞曲の雰囲気になる。ここでもあっけらかんとした部分と少し陰を含んだ部分をうまく織り交ぜながらドヴォルザーク節が自由自在に展開されていく。五重奏らしい少し厚めの響きがある場所も聴きどころ。最後はおとなしくしめていくところが心憎い。第2楽章はインディアンの民謡っぽい感じ。最初の2小節で示されるリズムが主要な部分で常に鳴っているのだが、このリズムが特徴的である。この曲は変ホ長調(b3つ)が基本だが、この楽章はなんとロ長調(#5つ)。かなり関係としては離れている。変ホ長調は雄大さを表す場面でよく使われるが(ベートーヴェンの「英雄」「皇帝」、R.シュトラウスの「英雄の生涯」など)、逆の関係すなわちコンパクトというか素朴な感じ、そして軽い感じが出ている。途中短調になったところでのヴィオラの泣くようなメロディがたまらない。第3楽章は変イ短調(b7つ!)という珍しい調で書かれている変奏曲。旋律の最後の変イ長調の流れによって救われる気分になる。しっとりとした調子から激しい調子まで変幻自在に作られていて、さすがである。しかし、楽譜を見るたびに音とるの大変だなこりゃと思ってしまう。全部の元を半音下げてイ短調で書いてくれという人もいたりする(それは無茶だが)。第4楽章は跳ねるようなメロディーとしっとりとしたメロディが交互に出てくる楽しい曲。これを初めて聴いたときからこの曲が大好きになった。一度はやってみたいと思い、楽器5種類分の楽譜を買うのがしんどかった中、スコアを買ってすべて写譜して大学オケの仲間に一緒に演奏を頼んでやってもらったのがいい思い出だ。-------------------------この曲は体がしんどいときにでもすんなり聴くことができる。さっぱりしているが味もちゃんとある中華粥のような味わいがすると感じる。今日聴いた演奏は、アンナー・ビルスマなどがいるラルキブデッリという弦楽アンサンブルによるもの。何でも、この団体はガット弦を使って演奏しているのが特徴であるらしく、なるほど音は他の演奏よりもまろやかにきこえる。また、奏法もヴィブラートを極力抑えた感じ(これっていわゆる「ピリオド奏法」に近いものかな?)。しかし、それが味気ないものにならないのがすごい。弓のコントロールがきっと絶妙なのだろう。それに自信がなければあんなにヴィブラートがないのに味のある演奏はできないだろう。もちろん、現代的な響きが魅力的に感じることもあるので、いつもそれがいいという評価にはならないところが、音楽の面白いところでもある。この曲、「新世界より」「アメリカ」と続けて聴いてみると、いい感じかもしれない。この後に、ヴァイオリンとピアノのためのソナチネや、チェロ協奏曲といった曲が続いていく。
Jan 8, 2007
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