全144件 (144件中 1-50件目)
映画「息もできない」を観たいと思っている。いつもの「逃避型」なんだけれど。この映画の評判が予感させるものがあるんだよね。映画が呼んでいるというような。DVDで「愛のむきだし」を観た。粗は目立つけれど、魅力をたたえた作品だと思う。エールを送りたくなる。だけどこの監督の別の作品まで手が伸びない。どうしてなんだろう。
2010年04月27日
コメント(0)
コーマック・マッカーシー ネズミ ミゲル・デリーベス冷たい雨宇宙とヒトをつなぐものtwitterそれからリトル・ピープル繰り返し見る夢
2010年03月24日
コメント(0)
22年と言えば、ひとりの赤ん坊が立派に成人するという年月である。すごい。当たり前だけれど。話は変わる。川上未映子の『ヘヴン』を読んだ。この人の作品を読むのははじめてだ。だから関西弁の文体とかはしらない。なんだか導入から真っ向勝負な小説だった。悪くない。文体は標準語である。主人公の中学生の男の子の語りで進む。だけど、このラストはどうなのだろう。え、これで終わり? 感がある。それは意図されたものなのだろうか。少し考え込んだ。重要な登場人物として主人公の同級生の女の子がいる。彼女が退場する。私たちはその彼女のこれからを想像する。そういうこと? 彼女のこれからが気にかかる。深い絶望がある。しかし彼女はそれを意図して手放さない。そのことが気にかかる。主人公と住んでいる義母の描かれ方がよかった。恐らく彼女の佇まいと彼女と主人公の少年との関係の中に、変化の可能性がある。作者はそんなことも示しているように思える。物語の終わらせ方をのぞけば、書くことをもって考える続けるかのような誠実な小説だ、そんなことを思ったり。雲の流れがはやい。台風が近づいているとか。
2009年10月02日
コメント(6)
東京新聞を読んでいる。池澤夏樹の連載小説が9月から始まっていて、たぶん毎回欠かさず読んでいる。なんで連載小説を読む習慣が身に付いたのか、自分でもわからない。この時代に、新聞連載小説を毎日欠かさず読んでいる人っていったいどのくらいいるんだろう。池澤夏樹の前の連載小説は五木寛之で、親鸞の半生を描いたものだった。そのことに気づいて途中から読み始めたのだが、ほとんど活劇だった。途中から読んでいるので偉そうなことを言うのは差し控えなければならないが、この人の作品を読むのはたぶん何十年ぶりだけれど、やっぱりなんだかなあ、である。物語には起伏がある。だが平板なのだ。このことは考えておきたいことだ。池澤夏樹の連載小説だけど、正直に言って、ちょっとつらい。けれどももう少し付き合ってみることにする。小説のなかの会話で、それは現代なんだけれど、「おセンチ」なんて言葉がでてくる。外国人の女性の科学者のせりふである。「おセンチ」はそのまま日本語変換すると「汚染値」と出てくる。ATOKの制作スタッフにとっては死語だったんだろうな。死語が悪いわけではないけれど、これはないだろう、と思う。本の読み手としての池澤夏樹にはいろいろ教わることが多い。がんばってください、池澤さん。
2009年09月23日
コメント(0)
7月のことだった。私たちは横浜の黄金町で待ち合わせた。取材先に向かうために、この町に来た。少し遅れて彼女はやってきて、お腹が空いている、という。待ち合わせまでにあまり時間がないので、少し歩いたところに見えたCOCOSに入る。あれはなんだったろう、どうしても名前を思い出せないのだが、エスニックな鳥そばみたいなものを二人して注文した。それから彼女は木綿の手提げ袋から、この本を取り立してみせたのだ。「これなんです」それは絵本だったので、その場で読んだ。それから、その本のことをときどき考えた。2か月たって、注文する。その本が届いたと連絡が入る。
2009年09月17日
コメント(0)
その日の会議は都合がつかない人が多く、私たちは大きな会議室でなんだかのんびりとしている。それからようやく集まった4人で、近くの飲み屋に移動する。面倒な議論を経過していないわれわれはどこか元気で、そして時間もはやい。私たちはいくつかのプロジェクトについて話をし、しかしそれらは自らが関わったものではないのだから、なんだか気楽なものである。そこで最年長の女性の話を聞く。1941年生まれのその人は、この近くの寺の娘として生まれ、東京大空襲を経験した。4歳になろうとしていた彼女の記憶は曖昧だが、それでも火に覆われたその夜の記憶は鮮明に、途切れ途切れに浮かび上がるという。彼女はやがて成人し、結婚をして一人息子をもうける。そして50歳になったとき、彼女は奮起し、ある組織を立ち上げ、10年間走り続けることになる。彼女はその10年のめざましい業績を私たちに語り聞かせる。信念に満ち、力強い語り口である。まあ、そんなことがあったのだ。彼女は家庭の話になると、とたんに弱腰になる。まあ、どう考えたって、いい妻ではないわよねえ、というような。なごやかな時間が過ぎていく。外に出ると、あたりはすっかり暗くなり、秋風が川の方から吹いてくる。まあ、なんでしょう、わたしばっかり話をして、ごめんなさいね、どうしちゃったのかしら彼女は言う、
2009年09月13日
コメント(0)
外の風にあたりたくてエレベーターを降りると、階段が発光している。夜になると川沿いのそのあたりは、もう秋の風が吹き渡っていた。週末には北陸にいた。かつて北前船の寄港地だったその町は、港が栄えていた時代の名残を静かにとどめていた。迷路みたいな路地がいくつも走っていて、海に向かって下っていくのだ。ふふふ駅前はしんとしていて、小さな子どもがくるくると時計回りに走っていた。空気は澄んでいて、陽射しはよく磨かれた金属みたいに光っている。駅前の喫茶店のビニールシートのカウンターで、迷ってサンドイッチを頼んだ。出てきたサンドイッチは期待していなかったけれど、新鮮な食材が使われていて案外においしいのだ。店番をしていたおばあさんと話をする。おばあさんは大正13年に名古屋で生まれた。嫁いでこの町にやってきた。まだ戦争中だった。つれあいは小松の工場に徴用で出ていた。家は旅館業をやっていて、姑にはずいぶんとしごかれた。なんど泣いて名古屋に帰ったことか、おばあさんは笑った。おばあさんは話をしながら、古新聞や折込チラシを裂いている。廃品回収にだしたほうがいいんだろうけれど、いつくるかわからないしね、こんなふうにしてゴミにするとかさばらないしねという。あなた、ほら、救急病棟のほら、江口洋介に似ているねえ、言われない?言われないですよほんとに、何かちょっとしたときに似てるけどねえ、言われないかね言われないですよ一度も。
2009年09月07日
コメント(0)
小さないくつもの声が重なって聞こえてくる。いちように早口でせわしなく、なにを話しているのか、わからない。それは虫の鳴き声のようで、だが明らかに言葉のつらなりのようなのだ。2008年の11月のある日から、その友人とは話していない。それから先に世界で起きた様々なことを、友人は知らない。私だって知っているわけではないんだよ。でも、私だけが知っているんだ。私。時間の質量。そのことをよく考えるんだ。それで私は話しかける。そんなふうにして、もうすぐ1年が経とうとしている。そうそう、あれからぼくも少しだけ入院したよ。わずか数日だったけれど。大部屋で、夜になるとカーテンに囲まれて、そのすき間から、看護士さんが廊下を歩いていくのが少しだけ見えた。きみの最後の病室は個室で、リモコンを操作すると微かなモーター音がしてカーテンが開いた。少し離れたところに湾岸道路が見下ろせて、防音設備が施されたその窓から、音もなく通り過ぎる車のライトが流れていった。そんな夜、君はひとりで何を考えていたんだろう。ドンナコドクヲカカエテイタノダロウ
2009年09月01日
コメント(2)
そうやって通りを歩いていくと、80歳といくつかのおばあさんに出会った。お久しぶりね、大丈夫?でも元気そう、よかったわて言われる。おばあさんはきれいにお化粧をしていた。この人のことをなんて呼んだらいいのか、いつも迷うんだ。それで、お元気そうですね、てそれだけ言う。そうなのよ、このまえ頭の検査をしてもらったんだけど、頭の中がきれいでね、40代の頭ですよ、て言われたのそれで記念に写真を持って帰りなさいって言われてね頭の中がきれいってどういうことなんだろうなんだかおかしいなにかを想像してみようと思うのだけれど、それで少し笑ってしまう。ほら、あそこの病院、いま建て替えているでしょう?それでかしら。ふつう、レントゲン写真なんてあげないわよねえおばあさんは笑うわたしね、いま詩を書いているの詩なんてお父さんが書いていたけれど、わたしはそんなことしなかったのにねなんだかすらすら書けてしまってね、こんど読んでくれる?おじいさんは去年亡くなったのだ。ずっと若いときにエイゼンシュタインの「モンタージュ理論」をくださった。本当は貸してくれたのかもしれない。でもその本は、おじいさんがなにかの包み紙でつくったブックカバーにくるまれていまでもぼくの本棚におさまっている。おばあさんの家のお嫁さんの赤い車が近づいてきてそれがきっかけで、それではね、身体、大事にね、ておばあさんは言う。わたし、これからちょっと出かけるからお嫁さんが車の中から頭を下げるお嫁さんの髪の毛に白いものがまじっている
2009年08月26日
コメント(0)
そうそう、この写真をとった次の日だった。それは突然やってきて、喋ろうとしてもうまく喋れないのだった。びっくりしたな。でも案外冷静でいられた。後から少しこわくなったけれど。○○さんの文章はニュートラルだから安心です、て、言われた。そういうことが素直にうれしい年齢になったんだと思った。久しぶりに仕事場まで歩いた。日が差してきた。それで黒いシャツから白いシャツに着替えた。まっすぐにのびる細い道は、しんとしていた。昼下がり、誰もいない日の当たる路地を描いた樹村みのりさんの漫画を思い出した。あれはなんという作品だったろう。旅先のセブンイレブンで買った500円のトートバッグが気に入っていて、この日もそれを持って出かけた。ホテルにあずけた黒いカバンにはPCが入っていて重いんだ。友だちはPCを残して死んだ。
2009年08月26日
コメント(0)
1ヶ月に1回という会議に出席している。そういう決まり切った行事に加わるというのは十数年ぶりなのでとても新鮮な感じがする。というのは1か月の速度が実感できるからだ。時間感覚というのは体感速度で、それは一定ではない。ああ、今月はアリの速度だなとか、象の寿命だなとか、そのくらいいい加減に違っているものだからだ、ってほんとかよ。だが、アンドウカズユキくんに会ったのは本当だ。アンドウカズユキ君は夢の話をした。それはこんな話だった。大通りをくだっていくとすぐ海に突き当たる、その大通り脇に公園があってね、ぼくらはその公園にあるフィールドアスレチックの板の上で戯れていたんだ。彼女は十数年前につきあいかけた女の子で、いまでは立派な女性になっている。その板というのは、大通りからすぐのところにあって、車がすぐ近くを行き交っている。それで不思議なんだけれど、そんなことはお構いなしなしに、ぼくは後から抱え込むようにして彼女の身体を触っているんだ。彼女も安心して身を委ねていてくれているように感じられる。年相応になんだかゆったりとしているんだよ。思い出話なんかしながらね。「ねえ、どうしてぼくらはセックスしなかったのかな」「だってあの頃のアンドウ君てギラギラしていたしね」あ、言っておかなければならないけれど、要するにぼくらの関係は、関係といえるかどうかも怪しいんだけれど、ぼくが振られて終わっていたのね。次にぼくらはたぶんぼくの車で街を走っている。今日はなんだかセックスしようね、という雰囲気だったんだ。もうたがいにいい歳だし、そういうことがあってもいいよね、みたいな構え。だけど、どっかでもの悲しいくらいに欲望していたような気がする。彼女もそうだったらいいんだけれど。ぼくらの車は、大きな海辺の街を抜けて、ちょっとすすけた漁師町に入っている。それで迷ってしまってね、路地に入り込んでしまう。道はどんどんと細くなって、車はとうとう小さな食品加工工場の跡地のようなところに迷い込んでしまった。それでとっても屋根の高い車だったんだけど、突然ばりばりって大きな音がしてね、どういうわけだか、車の屋根が工場の非常階段かに引っかかってはがれてしまうんだ。ぼくらは車を降りる。やれやれ。車の屋根は、缶詰のふたみたいにめくれ上がっている。なんだか笑ってしまってね、そうか、ぼくらはやっぱりセックスできない運命にあるんだって思った。ぼくらはそれから歩いた。ある時は人の庭を通り抜けたり、田んぼのあぜ道をよろよろと歩いたり、小さな町工場のなかを、すいませんって言って通らせてもらったりしてね。それは染色工場みたいだった。白衣に大きな前掛け、そしてマスクをした女性たちが立ち働いている。そこを場違いなぼくらが手を繋いで通り抜けていくわけ。働いている女性たちは、そんな僕らを無表情で見ている。リーダー格の女性が、声は聞こえないんだけれど、こちらのことはまったく無視して、近くの女性に指示を出していた。どこかで見たことのある人なんだけれど思い出せなかったな。「それでどうなったの?」どうにもならない。どうにもならないんだけれどさ。
2009年07月12日
コメント(0)
池澤夏樹・個人編集の世界文学全集に、石牟礼道子の「苦海浄土」が入ると知って、なんだか嬉しかった。慧眼というか、世界文学(そんなものに実体はもちろんないのだけれど)という広がりのなかで、「苦海浄土」を捉え直すということは、とても大切なことに思えたのだ。相変わらずまとまった時間で本を読むことはできないけれど、翻訳されたもの読んでいる。村上春樹の「1Q84」は、自分の中に結局あまり落ちてこなくて、そのうちにゼィティー・スミスという人の「ホワイト・ティース(White Teeth)」という小説を読んだ。2000年の作品で、翌年、新潮クレスト・ブックスの1冊として翻訳出版された。翻訳は小竹由美子。作家はジャマイカ系イギリス人の女性で、この小説を出版したとき、24歳だった。いやはや。この小説は本当に面白かった。いまは、「パタゴニア」を再読している。最初に書いた文学全集の1冊として新たに刊行されたもので、翻訳者をたまたま知っている。この人が新たに刊行されるにあたり、大変苦労されて原稿を見直されたことを聞いていたからでもある。フエンテスの小説も収録されているので、カバンに入れて持ち歩くには少し重いのだけれど。
2009年07月11日
コメント(0)
都会ってすごいよね、なんか民家とかも限られたスペースに、考え込まれて建ってるよね。もう、ちょっとの無駄もゆるされないみたいななんかふつうのおうちも緊張して建ってますっ、みたいな、ね建ぺい率すごいよねー理論上100パーセントでもいいとこあるみたいねえーっ そうなんだー 想像してみるとすごいよね、一軒家ながらマンションみたいな 、ぎゅうぎゅう、でもさ、建ぺい率の「ぺい」ってなんなんだろうあっ、知ってるそれ、なんか遮蔽とかあんじゃん、書けないけどあ、わかる、ふさぐとかおおう、みたいな字それそれ、それで遮蔽の蔽て書くんだよ、そっかー、「蔽う」てことだー ちゃんと意味あんだー、て当たり前かでも「ぺい」っていいよね、なんか、「ぺー」て抜けてくよねー春だよねー
2009年04月10日
コメント(1)
夕刻になって空はにわかにかき曇り、その日、東京では雪がちらついたという。自分は仕事場の鉄製のドアを開いて、たばこをくわえ、この空を見上げた。なんだか海の底みたいだ、と思った。それから海の底なんて数えられるくらいしか見たことはないのだし、そのどれとも違う空なのだから、なんでそんなふうに考えたのか。まあどうでもいいことだけれど。仕事関係の人が、国がらみの賞を受賞し、とある会合でそのことを話した。若いときには国家なんていうものは信じていなかったし、ああ、それはいまも信じていないんだけれど、これを受け取っておけば、われわれの仕事も少しはやりやすくなったりもするのかなあと考えたり、その人はそんなふうに話した。まあ、このように書けば、なんだかいやらしいようでもあるのだが、私より上の世代では、そのように考える人も少なくないし、実感としては理解した。国とは、なにか抽象的なものではなくて、そこかしこにあるのだし、あるときには具体的に目の前に現出するものなのだ。恐怖をともなって。だから私はいやらしいとは感じなかった。その人はそうして受賞を喜んでもいる。なぜなら、それは矛盾ばかりだとしても、とにもかくにも長い時間をその仕事に費やして、情熱というべきほかにないものをつぎ込んできたのに違いないのだから。「まあ、そういうわけだからさ、せいぜい利用してくれと、オレは思うよ」それから一日もすると、その人の受賞の情報は、私たちの関わる仕事仲間に広まって、次々にお祝いの言葉がメーリングリストでかけめぐった。それらを眺めながら、そのひとつひとつの言葉に込められた思いなんてわかりはしないけれど、どういう言葉が似合うのか、ぼんやりと考えていた。そうして浮かんできたのは「他愛ない」という言葉だった。受賞した本人が内部に抱える分裂した思いとか、まあ、そんなふうに取り出してみるのも陳腐なんだけどさ、他愛ないと感じるのも理由がないわけではない、自分はハチロウ君のことを思い浮かべる。自分たちがやってきた仕事というのは、なにものからも自由だなんてあり得ないことを自覚しつつ、それでも、とりかこむものや自分をどれだけ相対化できるかっていうことだったのではないか、とか。なんとも恥ずかしいのだ、ハチロウくん、だからまだ、やめることはできないんだ。
2009年03月15日
コメント(4)
やばい。今回は真剣にやばい。いや、かなり前からやばかったのだが、ようやく現実に向き合ったら、やっぱりやばかったのである。合掌。これではただではすまされないだろうなあ。なんか開き直ってきた。それで思い出したんだけれど、最近、これは! と思うCMに出会った。作りはなんかチープなんだけれど、いや、それも計算されたものかも知れないけど。そしてたたみかけるテンポの良さ。auのまとめトーク。ベッド際で子どもに読み聞かせをはじめようとする仲間由紀恵。例えば、赤ずきん。子どもはは面倒くさそうに「ねえ、まとめて話して」と言う。そこで、「赤ずきんちゃんは森に出かけ」(赤ずきんの仲間由紀恵が出かけるところ)「オオカミのお腹から帰ってきました」(オオカミのお腹から出てくる仲間由紀恵)えーっ驚いて身を起こす、子ども。いや、これでいいのだ、というように深く頷く仲間由紀恵。というやつ。確かこれと同じ発想で浦島太郎、かぐや姫バージョンなどもある。「浦島太郎は海岸で亀を助け」「おじいさんになりました」「竹から生まれたかぐや姫は」「月に帰って行きました」正確なせりふは忘れたけれど、こんな感じ。圧倒的省略である。この過激な省略の衝撃の後に残る、不思議な爽快感。うらはらな虚無。危険な匂い 笑なにものかを示唆しているなあ。なんだろ。「太郎君はようやく仕事に取りかかり」そして
2009年02月28日
コメント(0)
ここのところ若い人たちと仕事をしていて、気になることを書く。いかにも年配なおじさん的な書き出しではないか。若い人との事務的メールのやりとりで頻発するいくつかのことば。大丈夫ですーお願いしますー助かりますーの「ー」は何だろう。音引きだよね、たぶん、きっと、違う?なんだか「脱力の素振り」である。「お願いします。」と言ってしまうと、相手にいらぬプレッシャーを与えてしまうかなー、でもお願いしますー、みたいな。最後に止めないで、流す、流しつつ伝える。私は微力ですー、無力ですー、タタカウつもりはございませんーあ、苦言を呈するつもりもございませんーなんか便利なニュアンス伝達である。それでつい、おじさんも使っていたりする。この気分はなんだろう。あ、水上バスが出発しますー
2009年02月24日
コメント(0)
知人が送ってくれたダンポール箱からとりだして、文庫のちくま日本文学シリーズに入っている宮本常一を読んでいる。びっくりしている。こんな人をいままで知らずに来てしまったのだ。この人は凝視している。耳を澄ましている。自分がいなくなるくらいに。もちろんそんなことはないだろう。しかし自分がいなくなっていくことをどこかで楽しむようにして書いている。根拠はない。いや、まだ言えない。読んでいてふと連想した人がいた。石牟礼道子と上野英信である。そこからまた森崎和江を。みんな違う。違うのだが、どこかで繋がっている。そのことを思った。そんなことを考えながら、解説をめくってみると、はたして石牟礼道子が書いていた。なんだかショックだった。このような世界を知らずにいたなんて。まとまったものを読みたい。天気予報どおりに、夕刻になると一気に冷気が降りてきた。いまでは北風がうなっている。
2009年02月16日
コメント(0)
鶴見俊輔の『悼詞』をぽつぽつと読んできて、読み終わった。けれども、なんだか本棚にしまうことができなくて、ちょっと重いのだけれど、カバンに入れて持ち歩いている。それで時折読み返す、ということをしている。鶴見俊輔は、花田清輝を悼む言葉のなかで、花田のめざしていたことについて、花田が引用した言葉に基づいて、次のように書いている。●彼(花田清輝のこと=引用者)がおそらく後世の偽書であろうと推定した千利休ききがき(南坊宗啓『南坊録』)を敢えて引用して茶道の理想として述べたものは、たがいにわかりあうことのない個人が、わかりあわぬことを知って、共同の場をつくるという覚悟だった。●そのような言葉にであうと、自分はぼんやりとする。「たがいにわかりあうことのない個人が、わかりあわぬことを知って、共同の場をつくる」ことをめぐって、過去にずいぶんと長い間、暗中模索していたように思うからだ。今はそのような場にはいない。いないのだろうか。新しくはじまった仕事、あるいは一見関係のないようにみえる自分と自分を取り囲むもののなかで、あらためてぼんやりと考えてしまうのだ。
2009年02月08日
コメント(0)
「ありふれた奇跡」、見ましたか?今回はちょっとワサワサってしました。ドラマが化けていくような予感です。凄みのようなものです。作り手の計算も超えて自走していくような。もっとも必ずしもうまくいくとは限らないのかもしれませんが。たとえば役者さんのお芝居が、回を追って強いものになっているように感じます。たがいに影響し合って、ひりひりと火花を散らすような。物語が加速しているのでよけいにそう感じるのかもしれません。山田太一脚本独特の、一気にギアを入れ替えるようなさばきがそうさせるのでしょうか。目が離せなくなってきました。
2009年02月05日
コメント(2)
風邪引きました。まあ、それはいいんですけど。思い出したことがあるんです。お散歩したことは話したけれど、そのときに弟のところに双子が生まれたんです、と話してくれた女性がいたんです。あ、それも話したか。そのときは、ああ、それはおめでとう、という話だったのだけれど、お散歩から帰って、数時間後になんだか寒気がしだして、そんなころ、はっと思い出したんです。その人はずっと前に、私、「双子フェチ」なんです、て話していたこと。なんだかヘンな言葉だけれど、よーするに、双子が題材の小説とか映画とかコミックとか、もう双子が関係していると聞いただけで、読んだり集めたりしてしまうんだそうです。 そう言えば 彼女が弟さんの話をしたときに、「ね、わかるでしょ?」という感じで笑っていたような気が後になってしてきました。だけど双子を題材にした物語とか、けっこうありそうですよね。Synchronicityとかさ、「もうひとりの自分」みたいな、意味不明か。あ、だけどあんまり思いつかないや、アゴタ・クリストフの小説とか、村上春樹の小説、ゴルフ場を散歩するやつ、それくらい。萩尾望都になかったかな。吉田修一の『悪人』、読みました。話題になった小説みたいですね。大佛次郎賞とかも受賞していると帯には書かれていました。見事な力作ですよね。だけど、傲岸不遜みたいだけど、ぼくにはだめでした。ひと言で言うと、自由がない。必要なことはみんな書かれていて、読む側に想像する余地がないような息苦しさを覚えました。人物の描写は確かだと思いますし、明確に描き分けられています。しかし、そのことも引っかかりました。どれほど丁寧に書き込まれても、登場人物の描き方が類型的に思えました。誰もが予想どおり考え行動しているように感じられました。作家は読み手を引っ張っていこうとしている。そのことに抵抗を感じたのです。ま、何様って話ですよね。読み終えてから二週間ほど経つんですけど、いまでもときどき、なんでかなって思っています。
2009年02月04日
コメント(0)
空気は冷たいけれども、よい天気だ。左門町から神宮前まで書類を届けにお散歩する。路地をいくつも曲がって、それでも外苑東通りから西通りへの通り抜けに失敗し、信濃町の駅付近から、外苑を抜けて歩く。てくてくてくてくてくてくちょうどお昼休みで、目当ての人はいない。それでも知り合いがいて、少しだけ立ち話をする。弟のところにふたごがうまれたんですよー、舞い上がってしまってー、とその人は言う。その会社でもっとも親しい友人も食事に出かけていなかった。PC画面のはしっこに付箋を貼って帰ることにした。熊野神社の前を通り、外苑西通りに出る。少しばかりつかれたので、「ハチ公バス」というのにはじめて乗る。運賃は100円。都営バスのミニチュアみたいだ。千駄ヶ谷の駅に着く。食事から帰った友人から携帯にメールが入る。共通の先輩が入院している。深刻な病。また連絡する。なんてことだろうね。とたんに足が重くなる。てくてくてく、空は青いね、それでも少しうすい青だよ。ぼくらが育った町よりも、うすい青。
2009年02月02日
コメント(2)
友人が18歳のときの手作りの詩集をコピーした。綴じられた本を開いてガラス面に押しつけることになるので、注意深く、ていねいに扱わなければならない。綴じられた側を本では「のど」と呼ぶ。手作りのこの本は、のどの部分が大きくは開くことができないので、のどに近い行はうまくコピーすることができない。コピーを終えると、原本と照合し、コピーできなかった部分を入力し、これを出力してコピーに貼り付けることにする。そのようにしてコピーを数部つくり、友人数人に送る。詩集は梱包し、当の友人の妹さんに書留で送った。年末に友人の蔵書を引き受けてくれた古書店の主人より、友人本人による詩集が紛れていたと連絡があった。東武線、京成線を乗り継いで、古書店を訪ねて受け取ってきたものだ。昼下がり、はじめて降り立ったその駅は、小さな商店が身を寄せ合うようにして軒を連ねていた。歩く人の姿もまばらだ。店に入ると古書店の主人は座るように言い、時間をかけてコーヒーを淹れてくれた。中学1年の担任の教師だったか、15センチメートルほどの定規をかざし、これはわずかこれほどの長さだけれど、15センチメートルの端から端までをいくつもに切り分けるならば、それは無数にあるということで、理論的には15センチメートルの距離は無限ということもできるのだと私たちに話した。友人の生はあるときにはじまり、そうしてすでに続くことはないのだが、そのように考えれば、友人の生は無限にあり、生きている。古書店の主人はそうして、詩集を取り出して見せた。
2009年02月01日
コメント(0)
年末、知人より段ボール箱にて本が送られてくる。ここ最近に読んだ本を送るよ、というのである。ありがたいことだ。箱の中には、荒川洋治、色川武大、宮本常一、田山花袋、室生犀星、志賀直哉、町田康、梅崎春生、三木卓、吉田修一、それに姜戎という中国の作家のものもあった。この人は荒川洋治ファンで、「荒川洋治の本だけ読んだらもどして」と書かれた原稿用紙がメモ代わりに入っていた。人が選ぶ本というのはつくづく面白いと思う。本を送ってくれた人は私よりたぶん10歳ほど年長だ。信州にある大学のたしか土木科を出ている。それから紆余曲折を経て、いまでは専門誌の編集長のような仕事をしている。その雑誌は技術系である。付き合っていると、この人は、人と人をつなぐような仕事をよくする。気がつくと人の懐にすいっとはいっていく。そうしていつの間にか原稿を書かせてしまう。まあいい。それにしてもこの作家の選び方はどう言えばいいだろう。一見、なんの脈絡もないけれど、どこかで筋が通っているようにもみえる。
2009年01月31日
コメント(2)
デニス・ルヘインの『運命の日』を読んでいた頃に大統領の就任式の様子がテレビから流れる、そんなことがあって、考えされられた。1910年代のアメリカの労働争議、これに関わる白人警官と、成り行きで殺人を犯すことになった黒人青年の物語、とひとくくりにするのもなんだけれど。文学的修辞おおありの文体がちょっと鼻についたりもするのだが、最後まで読ませた。この人の力量は好き嫌いはともあれ、間違いがない。まだ若かりしベーブ・ルースが遠征移動中の列車故障で、ふらり車両を離れる。ベースボールをしているに違いない音に導かれるようにして林を抜けると、そこでは黒人達がゲームに興じている。ここで示されるのどかな風景がベーブ・ルースと、その後にやってきた白人選手達の「参加」で歪んでいく様子を描きだす冒頭の章は短編小説のようで、秀逸だ。それはともかくこの小説で描かれる貧富の格差、そして人種差別は圧倒的なものがあり、2009年に黒人の大統領が誕生することにつながる時間の流れは、海の向こうのことと言っても感慨深い。テレビ映像は編集されているのだし、そのことを頭にいれて考えなければならないにしても、たとえばアメリカからの映像に涙するパリの黒人老婦人の涙、などをここ日本にいて見ている自分もふとぼんやりとしてしまうのだ。正月には韓国歴史ドラマ『朱蒙』を見ていた。ただそのまま楽しめる作品だけれど、あれほどまでに本国で支持されたのは、漢の支配を打ち破り朝鮮民族の国家を打ち立てようとする主人公に、つねに他国の干渉を受け続けてきた民族の歴史的な記憶が投影されているからに違いない。そのように考えれば、ひるがえって「私」のなかに埋め込まれるようにしてある記憶はどのようなものなのか。電車の行き帰りには、大切な人にいただいた鶴見俊輔の『悼詞』をぽつりぽつりと読んでいる。黒川創氏が編んだ、鶴見俊輔が折々に書いた追悼文集である。先日、知人にその話をしたならば、その人もこれを読んでいて、「鶴見さんの日本語は、普通の人とは別のところから生まれるようだ。他の誰のものでもなく」という。鶴見さんのこの本も、深く「記憶」にかかわるものだ。巻頭の詩の一部。人は死ぬからえらいどの人も死ぬからえらい。
2009年01月22日
コメント(0)
古くからの友人の親父さんが亡くなり、葬儀へ行ってきた。その人について語りたいことも多いのだけれど、いまは書かない。若いときには文学青年で、戦後、日本共産党に入党し、おそらくは党の路線変更の中で組織を離れ、さらに食いはぐれたのだろう、東京を後にして、地方で貸本屋をはじめたけれど立ち行かなくなり、とまあ、そんな具合だ。そんな具合だけれど、もちろんわかったように人の人生を括ってしまうのはあまりに傲慢というものだ。括れるほど知るものでもない。なによりその人にはたんに友人の親父さんという関係だけでなく、ずいぶんと世話になったこともあったのだった。その人の葬式は浄土真宗の寺でいとなまれ、その住職のことばは、亡くなった親父さんをよく知っていることもあってなかなか味わい深いものだった。この歳になると、さまざまな葬儀に参列し、そのひとつひとつが記憶に残るものなのだが、仏教のなかでは浄土真宗の葬儀が自分には印象が深い。自分はけして宗教的な人間ではない。けれど浄土真宗の死生観のようなものに、自分にとってひかれるものがあるような気がする。それだけではない。そのこともまあ、おいておく。さて、歎異抄には以下のようなことばがあると住職に聞いた。歎異抄第十三条さるべき業縁のもよおさば、いかなるふるまひもすべしぼんやりと聞き入る。
2008年12月27日
コメント(2)
ある人が話す。「この前テレビを見ていたら、街頭インタビューで、この不況についてどう思うかって聞いてる。それで女の人が言うわけ」テレビで見るような人たちの仲間にならないように注意しなければ、と思いますね。「テレビで見るような人たちというのは、突然人員整理された人たち、とか、そういう意味なのね。これってどうなのよ」それでどうなのかぼんやりと考えていたのだ。どう考えてもげんなりするような鈍感さが、この発言にはある。まず、いきなり街中でマイクを向けられたら、だれだって緊張したり動揺したりする。それを差し引かなければならない。一方でだからこそ、剥き出しのことばが口をついたのかもしれない。恐らくたくさんの発言を採取し、それを編集して提出したディレクターは、それではこの発言をどのように考えていたのか、あるいはまるで考えていなかったのか。何かしらの批評性を持って戦略的に提出したとも考えられる。この時代の他者への想像力の貧困さを訴えたかったのかもしれない。さらに挑発的にこのように考えていただろうか。いま、この女性の発言を聞いている視聴者のなかで不愉快だと感じたみなさん、人員整理されることとなった当事者の人を除いて、ということですが、あなたはそれではこの女性と、どれだけ違うと言えますか。とまあ、そのようなことをぼんやりと思っているうちに、現実の時間もテレビの時間も流れ去っていくわけだけど。
2008年12月25日
コメント(0)
本の構成を考えた。とあるアーティストの仕事の全貌を概観する、そんな内容。期限はその日中となっていて、結局、夜の0時を回ってなんとか形にした。ほっとした。もうずっと引っ張ってきてしまった企画だったから。ここんとこスイッチがなかなか入らない。もともとなかなか入らないんだけど。ま、いいか、日は変わってしまったけれど、まだ夜だし。トモダチからメールが入って、それはすごく久しぶりで、会いませんかってあった。嫌だったら、断っていいよ、ハハハなんだかそんな口調が気になった。夜はなかなか都合がつかないんだけれど、昼飯でも食べようか、お茶でもいいし。そう返信したんだ。なにかあったのかな。明日は早い時間の電車に乗って、来年からの仕事の下見に行く。それから午後には抜け出して友人のトークを別の友人と待ち合わせて聴きに行く。石内都の写真を見ることになるだろう。その前に原稿をひとつ書く。ほんとかよ。これから?鼻の奥がつんとした。誰かがクロスワードの話をしたのだ。クロスワード作家っているんだよね、クロスワード辞典だってあるんだから。黒く塗りつぶした四角いマスが、どんなふうに並んでいるか、それだってこだわりなのだそうだ、美しいクロスワードに美しくないクロスワード。君はクロスワードが得意だった。抜群の集中力だった。ほとんど勝負師だったよね。そんな君のやり方をみて、到底かなわないと思った。そんなことをふいに思い出してしまったのだ。ここに来るまでの間に、夜中に車を転がした。近くの国道を走っているとき、ああ、この場所で彼女はUFOを見たと行ったのだった。喫茶店の女主人だった人だ。知ってる? 美奈子さん、あれからもう何十年も経つのに、ここを夜、車で走るたびに思い出すんだ、あの頃のラーメン屋はもうなくて、いまでは新しい店に改装されている。この頭上にUFOがあらわれて去っていった、彼女はそう言ったのだ。そのときのことを話してくれた身振りだって思い出すことができる。とまどうくらいに鮮明に。そのときも思ったのだ。あなたの頭上にUFOが現れたようには、僕の前にはきっと現れることはないだろう。これから先も。
2008年11月28日
コメント(0)
京都から出稼ぎに来ている友人からメールが入る。仕事が一段落したから京都に帰る前に会えないか。いつ帰る? 27日。それだとちょっと無理かな。12月の中旬にまた来る。そのときに会おう。そうだな、そのときに会おう、そのときに話そう。私たちは三人でよくいた。最初はもっとたくさんの人間がいた。長い年月を経て、私たち三人が残った。京都の友人は映画のカメラマンになった。ここ数年はずいぶんと売れっ子になった。今回の出稼ぎはとある俳優の第一回監督作品の撮影を担当するためだった。それが一段落したということなのだろう。それで私たちは二人になった。私たちは二人になって何を話そう。夜の街を二人で歩いて、きっと私たちは空を見上げるだろう。少しばかり感傷的になって、世界にたった二人だけが取り残されたように感じることだろう。(だがそんなことはもちろんない)。私たちはそれからターミナル駅の雑踏で別れる。「ほなまた、連絡するわ」。友人はそういう。そうだ、そんなことはもちろんない。あとどのくらい続くかはわからないけれど、それぞれの日常に戻っていくだけだ。私たち二人の記憶は私たちのなかだけにあり、それぞれの日常の隙間にどのようにしてか、しまい込まれていく。そんなことはけして特別なものではない。当たり前のことだ。彼は深夜、ひとりで対面した。そこには当直の係の者しかいなかった。彼は亡骸をしばらく見つめ、その場を辞した。駅前でタクシーをつかまえ、宿舎のある町の名前を告げた。環状7号線を西へ、タクシーは走った。それから彼は泣いた。
2008年11月23日
コメント(0)
君のいる建物に向かう途中に、国際展示場駅から有明駅へと連絡する歩行者用の小さな陸橋があるだろう? そこを渡っているときのことだ。陸橋の下は、何かに利用されるはずだったかもしれないさほど広くない空き地があり、そこには植物が密生していた。セイタカアワダチソウの花も見える。だがそれだけではない。ツタを伸ばしていくような名も知らない草が行き場を失って、渦巻いているようにも見えた。なんだか気持ちがざわついた。この密生する草たちの生が、不吉なもののように感じた。勝手なものだ、意味なんてない。見事なものだとも思った。私はそれらをしばらく眺めて、それから携帯で写真を撮った。どこかで見たような写真だとも感じた。写真家の名前が浮かんだ。そんな話を君にはしなかった。写真も見せなかった。そうしたことが、全部、君がそこにいることと深く関係しているように思ったからだ。君がもしこの写真を見たなら、何かを察していただろう。そうでなかったかもしれない。わからないな。だがそのことを試すつもりもなかった。これがその写真だ。
2008年11月15日
コメント(0)
すべての儀式がすんでしまうと、ぽっかり穴があいたみたいだった。この2年と4か月の間、いつもどこかに君の存在を感じた。いまも感じている。しかしそれもいまではまったく別のものだ。君は何者だったんだろう。そんなことは君が生きていたとしても、結局はわからないことだったろう。けれど生きていれば、いつかもう少し近づけたかもしれない。もっとも生きていれば、君が何者であってもよかったのだけれど。その日、朝になって外に出てみると、冷たい風がわずかに吹いていた。今日も一日秋晴れになる、そんな朝だった。この近くには国際展示場があり、まだ早い時間なのに、駐車場の開門を待つ車が静かに列をなしていた。人がまばらに歩き始めている。高速道路のアスファルト上を走行するいくつもの車の走行音が近くから途切れなく聞こえていた。なにも変わらなかった。いや途絶えることなく世界は動いていて、どのような同じ一瞬もない。そうしたことが変わらないで続いていく。どこへ向かっていくのかなんてわからない。世界はそうして動いていて、ここはもう君のいない世界となった。
2008年11月05日
コメント(0)
ハチロウ君、元気だった?そんなわけないか。僕はまだ、ときどき、夜の街に立っています。そんなふうに言うと、なんか、あれだね。笑それで、いろんなことを感じているよ。霧がゆったりとした河の流れのようにやってきたり、海の中で突然冷たい海流に行き当たるみたいに、いつのまにか冷気に取り囲まれたりする。空気はいつも動いていて、それは流れるようにしてやってくる、そのことを実感できるんだ。驚いちゃうよ。空を見上げる。僕らは地表に張り付くようにして、立ち尽くしていたり、黙々と働いていたりする。息が詰まるくらいに空は広くて、僕らはここにいて蠢いている。それだけなんだ、それだけのことがわかる。なんだか厳かで、姿勢を正したくなる。それから少し胸が痛くなるんだよ。
2008年10月28日
コメント(2)
気がつくと1ヶ月が経っていて、その1ヶ月の間には、崖の上のポニョを観たり、オノ・ヨーコのことを考えたり、子どもたちを引率したり、もうひとつの仕事に何回か出かけたり、お隣の青年が急病で運ばれたり、厳しい告白を聞かなければならなかったり、優れた校閲者の仕事に嘆息したり、来年からの新しい仕事の打ち合わせをしたり、親しい人の個展をたずねたり、友人の旅に思いを馳せたり、冬祭りの準備で男たちと竹を結わいつけたり、齢をひとつ重ねたり、した。それから友人が再入院し、その友人を取り囲むようにしていた人たちと話した。私たちの意見はまとまらず、時間は流れていく。
2008年10月26日
コメント(0)
朝方になって霧が出てきた。仕事場の窓を全開にすると冷気が垂れ下がって足元に降りてくる。東向きの窓から見渡せる高層マンションもいまはすっぽりと霧に覆われている。それだけだ。書くことがない。新しいアプリケーションソフトと格闘して、いや、そこまでいってないな、入口付近で立ち往生し、そもそも新しいソフトを期日の限られた仕事に使うのは無謀だったのかと思う。遅いよ。ていうか、このソフト、本当はちっとも新しくなくて、ただ使わずに放っておいたものなのだった。胸塞がれる事件を繰り返し消費するテレビなんか見ず(そうだ、部落民を日本の首相にするのはいかがなものか、なんて言う人をやっぱり支持しちゃいけないよね)、アラスカの原野で餓死した青年についてのノンフィクションも途中だし、だがこの仕事だけはなんとか間に合わさなければならない。次の仕事がすでに遅れ気味なんだけれど。まあ一概には言えないけれど、大手版元の編集者はもう気持ちよいくらいに人使いが荒く、軽やかに予定を変更し、さらには時間のないところでいくつもひねり出した言葉をものの見事に没にしてくれる。それらの言葉がたばこの煙みたいにして宙に霧散していく様がほんとうに目に見える。えーと、エリック・ドルフィーのアルバムで、そんなのあったよね、LAST DATEだったかな、比べるのも失礼だし、意味も全然違うんだけど。車を回して、川原をめぐって行こう。この霧はきっと川から生まれたものだから。
2008年09月23日
コメント(0)
すごく久しぶりに国会図書館に行く。そもそも「すごく久しぶり」というのは仕事上どうなのか、ネット徘徊では基礎資料にあたるのには大いに限界がある。ていうか不可能だ。今回は校閲者から基礎資料を出すようにと具体的な指示が多く、それは校閲者の仕事として当たり前に見事なものである。まあそれはともかく図書館のシステムが変わっていたので驚く。格段に検索しやすい。新しい検索システムに戸惑いつつも、次の予定に食い込むことなく、目的のものを探し出すことができた。めでたし。昔、百科事典の仕事を手伝っていたことがあって、しばらくここに通った。毎日、あたりをつけて資料を探す。目指すものにうまくぶつかる日もあれば、まったくぶつからない日もある。ぶつからない日には、この活字の大海原を前にして、いったいどこから潜って捜し物をしたらよいのやら途方に暮れた。あの頃は朝、永田町駅から図書館に向かう道すがら、胃が痛くなるようだった。そのことを歩きながら思い出した。建物が新しくなっても、本の匂いがする。古びた紙のにおい。紙魚。
2008年09月17日
コメント(0)
A君8歳と自転車を連ねて、歴史博物館知近くの東屋に行く。前にもA君と来たことがあって、真夏の焦げ付きそーな昼下がりでも涼しいことを知っていた。そんときはアブラゼミの大合唱だったけれど、この日はそれがツクツクホウシにかわっていた。季節はめぐる。東屋には先客がいて、青年2人が寝そべって話をしていた。ふたりとも白いTシャツに、限りなく黒に近い作業ズボンをはいている。髪の毛は淡く染めていて、どちらも彫りの深い顔立ちだ。そしてよく似ている。あまり観察するのも失礼だから、よく似ているように感じるだけかも知れない。2人は仕事の話をしている。この前、こんな仕事をしているなら他にもいい仕事があるけど、よかったら紹介しようかと話しかけられた。運送なんだけれど、車両保険や燃料は自腹だけれど、手取りで50万にはなる。何を運ぶの? 2トン、4トン? いやそれはよくわからないけど。2トンかな。4トンはガソリン代が半端じゃないからって。でもいまは車両保険を払える金もないし、いまのしごとを気に入っていないわけではないからって話して。それでその人は、仕事っていうのはあるものだ、見極めが大事だってさ。ふーん。それから2人は目をつむって話すのをやめた。A君が走り出すので、あ、寝ている人が起きちゃうよ、って言ったら、青年のひとりが、あ、目をつむっているだけですから、と笑って言った。それでもA君となるべく音を立てないようにその場を離れると、水辺を歩いて噴水のところまで行く。噴水は水煙を上げていて、虹がかかっていた。それから博物館のロビーで備え付けのジグゾーパズルを2人で完成させると、館員の女性が記念のバッジを差し上げますと話しかけてきたけれど、A君は前にももらったから、と断った。タイルを敷き詰めたような路地を自転車で行く。ガタタタタタタタって振動する。前からたくさん荷物を積み上げたカブ号がやってきて、運転している人を見ると先ほどの青年のうちの1人だった。それで挨拶すると、青年も気がついて笑って頭をぺこりと下げた。どちらの青年だったかはわからない。デリーロの「アンダーワールド」を読み始める。寝そべって読むと小熊英二の本みたいに腕がつかれるよーな大著だ。上巻だけで600頁を越える。
2008年09月14日
コメント(0)
デザイナーのタカフミさんが、コーマック・マッカーシーの新作読みました? て聞く。すっかり忘れてました。そこで帰り道、久しぶりに小説らしい小説を買う。ここのところ仕事関連の本ばかりだったし。ドキドキする。「ザ・ロード」。物書きなら嫉妬するだろうなあ、とタカフミさんはいう。唖然。これだけで最後まで引っ張る力量。さすがである。だけど自分の中でどう整理していいのかとまどう。"Entertainment Weekly"のThe 100 best reads from 1983 to 2008においてベスト1とか。読了と同時に池袋にて下車。プラットホームに思わず立ち尽くした。やはりタカフミさんが貸してくれた"Into the Wild"「荒野へ」を読み始める。私鉄沿線、大学が3つも近接している駅にて下車。友人がふわりとあらわれて、ともに昼食。友人はすっり痩せていて、その後ろ姿に太陽が容赦なく照りつける。だけどちゃんと生きている。
2008年09月12日
コメント(0)
君は昨日、妹さんと会ったのか。俺は1日仕事をしていた。あんまり能率がいいとは言えなかった。訂正がたくさん入ったニュースペーパーを見直した。それを印刷所に戻したよ。色校の日程を連絡したりした。売り込みもしたよ。まあ、あまり得意な分野というわけではないけれど、取材の仕事を回してもらおうと思ってさ。シリーズものの最初の1巻の売り上げが芳しくない。それを聞いたのが金曜日。その直後に当の著者と打ち合わせだ。著者はまだそのことを知らない。版元の担当者は後輩だ。こういうことは先送りにしない方がいい、話さなきゃ打ち合わせの意味はないんだ。だけどそんな話をする暇はなかった。俺は週末の間、考えたよ。それで今日になって縮小案を後輩に伝えたりした。新書の仕事も進めなければいけないのだが、進まなかった。作品集の話はしたかな。突然、確認書が届いた。条件も提示されている。どうしたらいいのかね。本の形も仕事の範囲も明確ではないので、少しの間考えて、なんとも返事のしようがないってメールを書いた。でも俺はやると思う。デザイナーのKさんと仕事をするのは初めてだ。それを楽しみにしたいと思うんだ。そうそう、Sさんから見積の話があるんだよ。Bでアートフェスティバルがある。今度は南の土地での開催だ。北海道での仕事、覚えてる? あれは2002年、日韓のワールドカップの年だった。どうにもせっぱ詰まって、君に手伝ってもらった日があるよね、あの日は結局徹夜になった。俺の仕事ってつくづく洗練されてないよね、迷惑かけた。だけどあの仕事には愛着がある。今度の話はどんなかな、やっぱり実現させたいと思うんだ。北海道にも行くつもりだ。それは大きな仕事ではないけれど、大切にしたい。これを進めたら、俺はこっそり、まあ少しだけ、他の土地も回ってみるつもりなんだ。君が高校まで住んでいた町も。こんなふうに書くと、未来は開けてるみたいじゃないか? 笑えるだろう。だけど実態は君に話した通りだ。先立つものがない(笑)。それでも俺はいま、少しだけやる気になっているよ。君のおかげだ。そんなふうにして、俺は夜になってKさんからの電話を受けた。君のことだ。君もいずれ知ることになるだろう。なんと言っても君自身のことだからな。俺は君のことを考えている。だけどそのことは伝えないだろう。これまでと同じように。君のことを通して、やっぱり自分のことを考えているだけかもしれないしな。相変わらずだよ。君の部屋の窓は、西側だったよな。夕日を見たかい?これは俺のいるところから見た今日の、いや昨日の夕日だよ。
2008年09月08日
コメント(0)
ビルの入り口に灰皿があるものだから、私はそこに座り込んで煙草に火をつけた。トキタニさんの姿は見かけなかったな、そんなことをぼんやりと考えていたら、トキタニさんに声をかけられた。「カワタニさんじゃないですか、こんなところに座り込んで、あやしいですよ」まあ、そんなふう。だけど、すぐには立ち上がれなかったな。「どこ行くの」「どこいくのって、帰るんですよ」「地下鉄?」「ええ」「じゃあ、そこまで一緒に歩こう」そうして私たちは、地下鉄の駅まで歩いたのだ。なんだか懐かしいよ。「いやあ、トキタニさんのこと考えたらトキタニさんに会えました」なんてことは言えなかったな。あまりにも疲れていて、きっと年齢相応の後ろ姿だったと思うよ。トキタニさんとカワタニさんといえば、軽口を言い合いながら、互いの距離をはかっていたのにね。まあしかたがない。もうまったく話はかわるのだけれど、あの人は、「私はそういうことがあったら、迷わず息子を戦場に送るわね」って言った。相変わらず頭の回転が遅い私は、気の利いた台詞なんて返せなかった。そのかわりこうして、何度も記憶を取り出してみるのだ。それもひとつの思考停止なのかもしれない。それで思い出した。あの日ウエノさんは研究室にいて、バルカン半島からの客を迎えた。なぜ世界はこうも無関心なのか、その客は訴えた。なぜ日本は空爆を支援しないのか、なぜ、軍事活動に加わらないのか、と彼女は言うのだ。私たちは軍事活動には加わらない、私たちには憲法があり、軍事活動に頼らない平和創出のための……バルカン半島からの客は「ナンセンスだ」と言った。そうして感情を押し殺すようにして笑ったのだ。それでも研究室の外で、ふたりは抱き合った。それは日本滞在中のその人の、もっとも人間的な抱擁だと、私には感じられた。さて私は仕事をして、仕事をして、「千年の森」に行こうと思う。新日曜美術館でみた千年の森。聞いてる? 電話をしながらオペラシティの階段を登っていたんだ。そしたら君は水の音が聞こえる、って言った。行きたいところがもうひとつある。ほら、サイレンの話を覚えている? 北炭夕張炭坑のサイレンが街中に流れる話。1981年10月23日のサイレン。そのことを思い出した。あの人は27階のマンションのテラスに寄りかかり、煙草を吸っている。そうしてはるか遠く向こうの、音のない雷光を眺めている。
2008年09月06日
コメント(0)
一日の終わりに、友人の部屋を訪ねた。銀座から新橋に出て、ゆりかもめに乗った。夜も9時を過ぎ、台場方面に向かう車両は人もまばらだ。このあたりの風景が嫌いじゃない。思い切り人工的だし、笑ってしまうくらいグロテスクな巨大建造物があったりするけれど、これが私たちがなじんできた町だ。それになんといっても都会のはしっこだ。海に面している。ある時間が過ぎてしまえば、きしむような静けさがやってくる。夕方の打ち合わせでは、自分の不用意な、それでいて結局は口にするほかはないひと言で、その人を怒らせる。その人は「心外だ」と大きな声を出す。仕方がない。礼儀正しい人だ。約束は守る。何が問題なのだ? たが私はその人の原稿に敬意を払えない。それがすべてだ。友人はその部屋で仕事をしている。かすかにモーター音がする。12階のその部屋からは、湾岸道路や、遠く銀座方面の夜景が見渡せるはずだ。カーテンをあけてもいい? あ、ちょっと待って、友人はリモコンを操作する。そうしてカーテンはゆっくりと開く。私たちは話す。実現しないかもしれない温泉旅行の段取りとか、精密検査とか、仕事のこととか。あの仕事、どうした? 一応進んでる、11月のラインナップにのったよ。ああ、そうだ、そのためには急いで進めなければならない案件がある。話したいことはたくさんある。だがいざとなると、どれもがどうでもいいことのように思える。実際、どうでもいいことなのだ。私たちは沈黙する。ぎごちない。なんだか眠くなってくる。
2008年09月05日
コメント(0)
手嶌葵という人の歌声を聞いた。「虹の歌集」という名のアルバムらしい。きっと、素敵な人なんだろうな、そんなことはわかるはずもないけれど、そんな気持ちになるような歌いっぷりである。ちょっと響いた。だけど、そのうちなんだかひりひりするように痛く感じてきた。アルバムを作っている人たちは「手嶌葵」というイメージをなぞっているみたいだよ。手嶌葵と言えば「癒し」だよね、「無垢だよね」というような。楽曲の並べ方、編曲の仕方、なんだか落ち着かないな、単調なんだよな、ちょっと恥ずかしいよ、いいよ葵ちゃんはこのままで、って作っている人たちがいっているみたいでさ。そうかね、それでいいのかね、手嶌葵さん、このままでは「手嶌葵」という商品になってしまうよ。多かれ少なかれ、それは逃れられないことかもしれないけれど、それじゃあつまらないぜ、とかね、おじさんの余計なお世話だけれど。
2008年09月02日
コメント(0)
タケナカトウシロウくんは25歳である。もう25歳? まだ25歳。ドラムを叩いている。バンドの練習日は毎週月曜日。その日は仕事を休んで、電車で2時間をかけてスタジオへ向かう。バンドの編成はキーボード、ベース、ドラム、そしてボーカルだ。メジャーデビューをめざす。この1年が勝負だと思っている。「いつまでもこんなふうにしていられませんからね」タケナカトウシロウくんはそういう。いま、タケナカトウシロウくんはちょっとだけお金が必要だ。トモダチの子どもたちを泊まりがけでディズニーランドに連れて行く。もう、ホテルは予約した。子どもたちは小学校の5年生と3年生である。トモダチとは知り合って7、8年になる。だからその子どもたちとも、それだけの付き合いになる計算だ。トモダチはシングルマザーである。仕事が忙しい。ディズニーランドに一緒に行かれるかは、今のところわからない。この夏休みにも、タケナカトウシロウくんは子どもたちと遊んだ。トモダチが夏休み返上で仕事をしている間、タケナカトシロウくんの実家に子どもたちが遊びに来て泊まっていった。「そのとき、お台場にいっしょに行ったんですよ。でも信じられないほど人がたくさんいて。子どもたちは楽しかったって言ってくれるんだけど、失敗でした」タケナカトウシロウくんのケータイの待受画面はふたりの子どもたちである。ときどきこんなふうにしていていいのかな、と思う。もしトモダチに好きな人ができて結婚するようなことになったら、この子どもたちとこれまでみたいにつきあっていくことはできないだろう。今さらだけれど、こんなふうに親しくなってよかったんだろうか。トモダチとは? トモダチとはどうなの?そうですよね、そう聞かれるのはしかたないんですよね、結局、そういうことなんだろうか、「どうかな、わからないですね」タケナカトウシロウくんはそれから笑う。笑う。
2008年08月28日
コメント(2)
私を知っているものが集まって、私を葬送する。いいでしょう、しかたがない、なかには罠にはまって連れられて、私を見送る羽目になる。でもさ、憎悪っていうより軽蔑? そんな感じなのよね、だから葬送っていわれてもさつば吐きかけるのももったいないっていうかそれに死ってどこか厳粛なものじゃない?それがどんな奴のものであってもさまあ、ちょっとは感傷的になるってものよ、ひとことで言ったら「情けない」かなそれって人間そのものかそういうのを体現してたよねしてた、してたまって、まって、間違っても愛すべきなんとか、とか言わないでよ、忘れないで、この人がしたことを弱かったからって、それが何?弱かったからって、すべてがゆるされるわけじゃない忘れたいわよ、まあ、せめて、わたしのおろかさをそのまま連れていってあなた、そういうの好きだったでしょもともと不揃いだった音楽は、不揃いに終わり、それから葬送する人々は、なんとはなしに連れだって、丘を下る。
2008年08月25日
コメント(0)
トール君のヨメさんは先週、男の子を出産した。3200グラム。予定日を過ぎていて心配したけれど、母子とも元気だ。トール君は、とあるブランドの紳士服を販売しているお店のスタッフである。勤め始めて6、7年になる。ここのところアウトレットセンターに新店がオープンし、その準備におわれていた。お店は順調なスタートをきった。もともとテレビ取材が入るほどのショッピングセンターである。一日の売上は200万円を超える。けれどもブランドショップの場合、ロイヤルティも大きい。200万円の売上をあげても、お店の取り分は20~25万円というところだ。だからスタッフの給料もけして高くない。トール君が夜のアルバイトをはじめて6か月になる。子どもも生まれるので、いろいろ物入りになるだろうと考えた。仕事は警備員である。店の仕事は10時からだいたい夜の9時まで。それから警備の仕事に入る。仕事時間は派遣された現場によってまちまちだが、はじまりは午後10時頃から0時、あがりは午前4時から5時頃になる。トール君は少し猫背気味で立っている。色白で痩せている部類に入る。顎にはだ生えそろわないような不精ひげが数ミリ程度のびている。人なつっこい笑顔を浮かべる。「まあ、これからは子どものために働くっていうんスかね、ヨメさんもあれ買ってほしい、とかいうし。あっ、」トール君は笑う。それから工事車両を誘導するために、うつむきかげんに走り出す。
2008年07月23日
コメント(0)
ハチロウ君、先日は突然のメールに返信ありがとう。やっぱり忙しいんだね。仕事うまくいくように祈っています。さて、この前の話の続きだけれど、僕は夜の警備士の仕事をはじめたのです。夜の警備士というのは、元気を失った人が、夜の闇に食べられてしまったり、飲まれることがないように、警備をする仕事です。怪しまれたりびっくりさせてしまわないように、制服を着用します。赤く光る誘導灯を持ってね。でも、僕たち警備士は警察官ではないのです。当たり前だけれど。ハチロウ君、警備士と警察官の違いってわかりますか?警備士は、命令することができないのです。お願いすることしかできません。だから夜の闇に飲まれそうになっている人に対して、「もしもし、そちらに行かれるのは危険ですよ」と声をかけるか、「お願いです。どうか戻ってきてください」と言うことしかできません(あ、笛をならしてもいいんだけれど)。それでも、その人がどうしても、もう闇に飲まれたいんだ、と考えていたら、それ以上どうすることもできないのです。「どうしても行くんですか?」「別に死のうってわけじゃないんだからさ、放っておいてくれ」「だけど死んでしまう場合もあります。あまりおすすめはしません」「そのときはそのときだよ。ときに警備員さん、いま何時だね」「午前3時をまわりました」「うん、ありがとう。頃合だな。ときに君は新人かね?」「はい」「そうだろうと思った。ひとつ教えておいてあげよう。私のような人間を見つけたら、これからはなるべく事務的に対処することだ」「事務的?」「そう、私はどっちでもいいんですけれどね、いちおう職務だから注意しておきますよって感じだ。おいおい、それだけかよ、てくらいにな。君のように熱心にお願いされたら、かえって飲まれたくなってしまうものなんだ」「そういうものですか」「そういうものさ、少なくとも私はそうだ。まあ、君も一度飲まれてみたらいい。いろいろなことがわかるってものさ。じゃあな、警備員さん」とかね。
2008年07月18日
コメント(0)
ニノミヤさんと駅まで歩く。私たちは同じ研修を受けていて、ニノミヤさんは明日が最終日、私は明後日がその日になる。今日はミズエさんが無事修了していった。ミズエさん、優秀な人でしたね。私は言う。ニノミヤさんは曖昧に笑って、うなづく。それから左手を前に出し、手のひらを上にして、右手の人差し指で、左腕に何本もの線を引く。「ミズエさんの、見ました?」ニノミヤさんは言う。見ました、でも隠したりしていませんでしたね。「うん、隠さないことで乗り越えてきた、とかねえ」ニノミヤさんはそう言って、黙り込む。ミズエさんは研修生のなかでもひときわ優秀だった。講師の指示を誰より先に正確に理解する。なにより際立ったのは、どうしても理解が遅れてしまう同期の研修生に対するフォローだった。同期の研修生の不安な部分を的確に見つけ出し、さりげなく声をかけた。ひとりの研修生に教えるミズエさんの説明はときに講師のそれよりもわかりやすく、他の研修生も思わず耳を傾けてしまうのだ。雲が低くたれ込めている。雨がいまにも落ちてきそうだ。「もう、ミズエさんに聞けないですもんね」ニノミヤさんは言う。そうだ、私たちは研修を終えれば、もうたがいに会うことはない。ミズエさんともニノミヤさんとも。ニノミヤさんはそれから突然違う話をする。このまえね、ヨミウリの拡販員がきたんですよ、それでね、自腹切るから契約してくれって、それにドームの内野席付けますって、内野席ですよ。ふつー外野席でしょ? 笑っちゃいますよね。あー、最終試験、大丈夫かな。信号が変わる。角を曲がれば駅が見える。きっと、大丈夫ですよ、ニノミヤさん。
2008年07月10日
コメント(0)
ハチロウ君、その後お元気ですか。僕はなんとかやっています。仕事の方はあまりうまく行っていなくて、こんどアルバイトをすることにしました。短期になるか長期になるか、まだわからないんだけれど。いろいろ考えたんです。僕らの仕事のなかで新しい仕事を探すか、それともまったく別の仕事をするか。それで割に合わないところもあるのだけれど、他の仕事をすることにしました。それはなぜかっていうと、ちょっと息がつまっちゃったんだよね。今日はそれで研修1日目でした。すごく疲れたけれど(ハチロウ君、走ってる?)、面白かったです。なんの仕事かって? それはおいおい話しますね。楽しみにしていてください、て別に楽しくないか。僕らの仕事って、比較的いろんな業種の人たちに会うよね、そう思っていた。だけど、それはそうでもないんだよね。誰の仕事もそうかもしれないけれど、僕らの仕事も世界の片隅をちょこっていじっているに過ぎないんだと思います。すごく曖昧な言い方だけれど、世界というものがあるとして、それはすごくたくさんの仕事や非仕事で構成されているんです、きっと。当たり前か。でもあらためてすごいことだと思いました。それらの仕事・非仕事は、ふだんほとんど気がつかずに通り過ぎていたり、すごく遠くにあるのだけどどこかで繋がっていたりするんだろうね。幼稚な話でごめんなさい。いったいお前いくつだっていう話だよね。世界の片隅から世界の片隅に向けて交信しています。プ、プ、プ ハチロウ君元気ですか?
2008年07月07日
コメント(0)
こんなことにちょっと感動するのはきっとすごく世間知らずなのだと思う。とある集まりで30代女性の面々が昔話に花を咲かせていた。聞いていると学生時代のアルバイト経験である。その内容が実に多種多様で楽しいのだけれど、例えば今どき話題の食品偽装なんて生ぬるいよーなすごい話もある。○○○○製パンは作業工程に携わった者は以後絶対に口にしないもんね、というような類の話だ。食品関係はシャレにならない話が多い。そんなのに比べれば平凡な話なのだけれど、セブンイレブンのレジには購買者のだいたいの年齢層を推定して打ち込むキーがある。「で、いまでも私、ときどき店員の手先をチェックしちゃうのよね、あ、20代って打った、やったーっとか」「あるある、私なんか40代って打たれて、おい、ちょっと待てよって、危うく突っ込むとこだったよ。もうこねーぞこの店、みたいな」そうなんだ、知らなかった。知らなかったのである。考えてみれば巨大セブンイレブン、そのくらいのことは当然やっているだろう。他のコンビニだって当たり前の基本マーケティングなんだろうな、そんなの。というわけで今日、2軒、コンビニにて店員さんのレジうち手元をチェックする。どちらも性別男、U-49だった。面白くもなんともない。というようなことはどーでもいいことだった。「ラスト・フレンズ」のことである。回を重ねるごとに考え込んだ。このドラマは群像劇になっているのだが、そしてシェアハウスの集う面々はそこそこに個性的なのだが、なんだか他者がいないのだ。シェアハウスは外側の世界に背を向けるようにして閉じられていて、中では5つの個性が純化されていく。それはあたかもひとりの人間のなかのいくつかの面が演じ分けられているに過ぎないようにも見える。ここにはひとりの人間しかいなくて、ひとりの人間の内部の葛藤を描き出しているともとれる。とか。まあ、すぐれて同時代的ともいえるのかもしれないけれど。(それだけかよ)
2008年07月01日
コメント(4)
すでに亡い副社長が出てきた。かつて在籍した会社である。しかしそのメンバーは見たこともない人が多い。私はその会社を辞めることになっている。そんな時、会社の経営危機が伝えられる。うまく行ってないのはわかっているが、そこまでとは思っていなかった。経営はこのままではもたない、本業の他に副業をおこなうことにした、社員には犠牲を強いることになるだろうと副社長はコメントを発表する。すでに退社を決めていた私は少し揺らぐ。こんなときに辞めるのはなんだか目覚めが悪いと感じているらしい。私は実年齢に近い。シングルである。10歳くらい年下の女性とゆるりとつきあっている。実際に会ったことのある女性だ。大柄、人にはさばさばした性格といわれている人だ。ほんとうのところはよくわからない。彼女は「あのさ、つきあってくださいって言われてるのよ」と言う。のんびりとした調子だ。その男は知っている。彼女よりさらに10歳くらい年下になる。ガタイが大きい。俳優の坂口憲二に似ている。身長は180センチ以上ある。私が見てもほれぼれする。性格も人に愛されそうだ、ていうか、親しいほどではないが私自身、好感をもっていた。それはそうだな、と思う。私はもう歳だ。つきあっていると言えばつきあっているが、ふつうに考えて私とつきあってなんになるだろう、彼女だって私に比べればいっぱしの人間だ。会社の副業が発表される。菓子販売だという。見たこともない人が会議室にいて、菓子が並べられている。名前はよくわからないけれど、台湾土産のような、空港の売店によく置かれているような菓子である。見たこともない人が説明している。この菓子は大切な人に贈られるというものではなく、会社の同僚に義理で買って帰るようなものです。そのつもりで営業してください。見るからに安物のその菓子を、その世界にしろうとの私たちがどのように売ることができるというのだろう。社員はざわめいている。私としても失望は隠しきれない。彼女に交際を求めたという青年と私はなにか仕事上の話をしている。この男は私が彼女と付き合っているのをしっているのだろうか、と思う。会話が途切れるとなにやら落ち着かない。自分はびくびくしている。そのことが情けない。ここにいる青年はどうみてもいい男だ。なんだかかなわない。そんなふうに思えてくる。
2008年06月26日
コメント(0)
1番ファースト 片山2番サード モーガン3番センター 山崎4番セカンド 西山5番ショート 荒川6番レフト 永井7番DH 山内8番ライト 新井9番キャッチャー 栗原というのがそのチームのレギュラー布陣である。自慢ではないが、40試合を経過した時点でチーム打率は.424である。投手陣はいちいち名前を挙げないけれど、7人の甲乙付けがたい先発陣がいる。防御率は0.30(だったな、確か)。抑えに2人の投手がいるのだけれど、ほとんど登板する機会がないのが嬉しい悩みだ。ちなみにチームは破竹の40連勝でひとつも負けていない。ひとつも負けていないことはすごいプレッシャーになっているに違いないのだが、なんとかここまでやってきたのである。思い入れのある選手は何人もいる。例えばいまでは6番に回った永井である。このチームが弱小球団としてスタートしたときからのレギュラーで、かつては不動の4番打者だった。本塁打こそ少なかったが、4割を越える通算打率を誇る。しかし今では4割を越えることはない。引退の2文字も見えてきたベテランである。控え選手にはベテランが多い。長い間1番バッターとして活躍した天野、サードの名手服部、DH小川…そういえば昔、ロバート・クーバーという人の「ユニヴァーサル野球協会」という小説があった。訳者は越川芳明さんではなかったか。
2008年06月25日
コメント(0)
チャドクガに刺された。刺すというのは正確ではないか、チャドクガさんの無数の毛には毒が付着していて、それに触れると皮膚炎になります。て、チャドクガさんの「毒」は誰に対しての毒なんだろう。そもそも「毒」とはなんだろう。だけど明らかに種を守ろうとする意志があるよね、意志というか、そうしようとする遺伝子。ものの本では、成虫も毒を持っていて、それを産んだ卵に擦りつけるらしい。すごい。だから例えば椿の葉の裏側にチャドクガの卵を見つけたからといって、むやみに触れてはならない。こういうこともある。私の知り合いはとある展示館で仕事をしていた。窓を開け放っていたのだが、窓の外の植物に大量発生したチャドクガさんの毒が風に運ばれて、大いにかぶれてしまった。そんなばかなと思うけれど、皮膚科の先生が断言したし、同僚が何人かやられたのだから間違いないらしい。そう、誰に対しての毒か、だった。まさか人間が最大の天敵ということはないだろう。そうとも言えないか。鳥さん? 鳥さんもやっぱり皮膚炎になるのだろうか。足で器用に掻いたりするだろうか。それとも身体が小さいから、アレルギー反応で高熱を出し、ショック死しちゃったりするだろうか。なんと世界は知らないことに満ちているだろう、てそういう話ではないか。
2008年06月16日
コメント(6)
全144件 (144件中 1-50件目)