JAPANESE GIRLS&BOYS

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蛙声 3


「何してんの」
深山は僕に気付いていたようで、こちらを見もしない。道路の、「おすい」と書いてあるマンホールの周りはへこんでいて、昨日の雨が残っている。道路に吐き出された雨の、薄い怪物の肉片。
「あの子も」
深山は水を手ですくったり、落としたりしている。揺らされる水面に、雨が落ちてきた。
「どこかへ行きたかったんだ。」
直ぐに蛙声が聞こえてきた。嘲笑うかのようなそれは、雨を伝って天に昇ろうとしているかのようだ。深山は拳を振り上げて、水たまりを殴った。飛沫は新たな雨水に混ざって区別が付かない。
「あの子は私が殺したのかも知れない。」
私に助けを求めたのにと言って、深山はようやく僕のほうを向いた。その眼は鈍い光だけを放ち、まるであの子のようだった。そうだ、彼女は仕方なかったとはいえ助けることができなかった。僕はその手を蹴って逃げた。そして親はあの子を殺した。
「深山だけじゃない。僕も含めて全員だ。」
全員であの子を不幸にして、全員で殺したのだ。そんな考えが泡のように競りあがってきた。あの子を知っている人も、知らない人も。あの子には誰一人として味方は居なかった。味方になろうとしたのは深山だが、それは叶わなかった。あの子は不幸と呼ばれるのだろうか、殺人鬼が被害者に不幸だなんて、言えるものなのだろうか。いや、許されない。誰もあの子の幸せを語ってはいけない。
「どこへ逃げようかと思ったらね、空か地面しか残されてないの。幾ら平面に逃げても、それは無駄だから。だからあの子は水たまりに立っていたの。雨が吸い込んでくれるのを待ってたの。」
深山は水たまりを覗き込むようにして、その場にうずくまった。きっと泣いていた。それを掻き消すように蛙声と雷鳴が雨を奏でていた。僕は思った。深山もまたどこかへ逃げたいのだ。叶わないからあの子を代わりに救ってあげたかったのだ。だけれども救えなかった。誰も救われなかった。
「ここではないどこかへ。」
僕は骨の折れた傘を思い出す。今、開いているのだろうか、それとも閉じているのだろうか。壊れてしまったのだろうか、それともどこか遠くへ飛んでいけたのだろうか。
深山は緩慢な動作で立ち上がり、鞄の紐を掴んだ。「共犯者だよ。」といって、雨の中を歩き出す。その道の向こうに何が待っているのか、ぼやけてしまって見る事が出来ない。
「その鞄」

 俺にくれないか。と言ったのは、深山が振り返ってから、たっぷり十秒経ってからだった。ずっと引き摺ってきたその鞄に、何が入っているのかは解らない。深山はこれ以上持っておくべきではないと思った。その感情は子供の手を蹴ったときに似ていて、衝動的で恐怖を含んでいる。だけれども、僕は願った。
鞄の中には、折れた傘の骨が、あの子の黄色い帽子が、深山が斬ったコードが、そしてシュレーディンガーの猫が入っているように思われた。だから、決して開けてはならない。神様の代わりに認識してはならない。
深山は黙って紐を差し出した。ありがとう、と小さく聞こえたような気がする。水たまりは深山の顔をぼんやりと写していたが、雨粒に打たれてゆらゆらと揺れていた。

雨音も雷鳴も蛙声も、意識の下に入り込んでしまって、もう、聞こえない。



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