サラリーマン落第生


 新入社員としては実習中なるもの、各部門の上司は今年はどんな人材が来るのだろうと期待している中、緊張と不安のよぎる毎日のはずなのだが、私としてはまだ実社会の厳しさの知らない学生気分そのままの延長でいた様だ、朝は遅刻するし、昼休みは会社の屋上で寝そべっていて探し回られたり、碌でもない奴が入ってきたと思われたに違いない、それでも3ヶ月の実習を何とか終えて、設計部に配属されると、図面を書く速度といい、正確さといい、新入社員とは思えないくらいのことをやってのけたものだ(と、勝手に自負している)、2年足らずの間、図面を書きまくり、いっぱしのエンジニアになったような気分で居たが、その間一切残業はしなかった、「もっと残業してくれ」と上司に言われても「私はそんな方針は持ってません」と唖然とするようなことを平然と云って残業は一切しなかった。
 そんなこんなで周りとの折り合いも悪くなり、そのまま会社を辞めて、次の職場も決めずに東京に出て来てしまった、一時しのぎの仕事をしながら、新聞の求人広告で設計のできる職場を探し出し、職に就いた、数人の小さな会社だったが、設計の腕の立つ社長の下で、5年間修行を積んだあと、独立する決意を固めた、と言えばまだかっこ良いのだが、その年はあのApollo 11号が月面着陸をした年で、あの偉大な第一歩を見ようと、会社の近くの喫茶店のテレビで今か今かと見ていたが、一人で見ているのも気が引けたので、他の社員を引きずりこんでみんなで見ていた、その間外出中の社長が会社に電話をしても誰も出ないので、急いで引き返してみたら社内に誰も居なかった、後で聞くとどうも私がみんなをそそのかしたことがバレて、しっかりとしかられた。
 そんなこんなで、こりゃ自分で会社をやるしかないと決意して会社を設立した、その会社の社名を”Apollo”と云う、30歳の秋だった。
社業としては、家電製品の製造機械や治具をを作って食い繋いでいたが、いつかは自社製品を作り、製造から販売、輸出まで出来るような立派な会社にしたいと常に思っていた、ある受注をきっかけにアイデアを絞って、どこのメーカーでも使ってもらえそうな製品の開発に成功した、関連商品も開発して業界では一応名前を知ってもらえる会社になったが、サラリーマン落第生の悲しさ、人を動かすスベを間違ったのだろう、バブルの崩壊のすぐあと、あえなく倒産の憂き目を見ることになった、が不思議と周りの人に助けられて、よみがえることが出来た。このごろの中小企業では有り得ないような回復をした。永年の夢であった海外進出も売上げの半分以上が海外が占めるようになった、倒産後はこれまた不思議と毎年黒字続きで、銀行債権の一部を残して一般債権は全て完済した、勿論その間も銀行債権も返済を続けていた。ところが、残債権を持つ銀行は、必死で頑張り回復軌道に乗っているわが社に対し、おまえんとこは破綻会社の分類に入っているとして、我が本社ビルの競売をちらつかせて非常に高飛車に返済を迫ってくる、どでかい不良債権は何兆円も債権放棄しているのに、必死に頑張る中小には、びた一文も負けないで、オマケに金利を上げてくる、回復基調に乗っているのに、それを叩き潰すようなことを平然としてくる、担当の人物にも依るのであろうが、わしゃ銀行と警察は大嫌いじゃ、銀行マンの方、警察関係の方、いらっしゃればすみません。
 それでも去年あたりから、無担保で融資いたしますよと言ってきた、「わしんとこはキャッシュフロー経営に徹しているので余分な資金は緊張を緩めてしまうので要りません」と言ってやった、「ああいっぺんゆうて見たかった」の心境である。
そんなこんなでサラリーマン落第生は社会の落第生も経験した、でもまあ、そんなとこがわしの人生なんかなあ、幸か不幸か自分で作った会社だから定年退職は無いけれど、60歳もとっくに過ぎているのに、そのほかまだまだやりたい事がたくさん残っている、もうひと頑張りして、あとは実力のある後継者に任せて、ひそかに計画しているそのやりたいことを精一杯やろうと思っているこの頃であります。
                      平成15年12月 寄稿




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