雪香楼箚記

恋(1)_天つ空






                                      藤原公任
       天つ空豊明に見し人のなほ面影のしひて恋しき










 読み方がむつかしいですが、あまつそら、とよのあかりに、みしひとの、なおおもかげの、しいてこいしき、と読みます。豊明というのは、毎年十一月に宮中で行われた舞楽の行事で、舞い手も、楽器の演奏者もすべて女性です。天つ空、は豊明にかかる枕詞。ですから一首の意味は、豊明の折りに見たあなたの面影が、今もやはりどうしようもなく恋しい、ということです。作者の公任(きんとう)は、平安時代中期の大歌人。『和漢朗詠集』の編輯者で、「三舟の才」といわれた才能の持ち主。あるとき、池に舟を三艘浮べて、それぞれ和歌の舟、漢詩の舟、管弦の舟、として、おのおの得意なものに乗って遊ぶという趣向で宴会をしたところ、遅れてやってきた公任はどれに乗っていいか解らずに困った(すべての才能に恵まれていたんですな)、という逸話です。

 百人一首に

                            遍  昭
  天つ風雲の通ひ路ふきとぢよ乙女の姿しばしとどめん

という歌(天上から吹いてくる風よ雲をしばらく遠ざけておくれ、この乙女たちの美しいすがたをしばらくとどめておきたいから)がありますが、これも豊明の舞姫を詠んだ歌です。平安びとにとって豊明の舞姫たちは、現代のアイドル歌手のようなものだったのかもしれませんね。彼女たちを詠んだ歌はたくさんありますし、若い男性にとっては舞姫たちを口説きおとすのが楽しみだったようです。

 しかし、残念ながらこの歌は、豊明の舞姫を詠んだものではありません。詞書(歌のできた事情などを書いてある前書き)には「舞姫のつき添いで出ていた女房(女官)につかわした歌」となっています。さては、大歌人の好みの女の子が舞姫のなかにいなかったのか? それとも、あえて大人の女性に目をつけたのか? そこらあたりはよく判りませんが(それをあえて想像するのが楽しい)、ともかくも、忘れられずに、その人のところへ歌を贈ったんですね。もちろん、これは平安時代の恋愛においては、いちばん最初のアタックです。この時点では、相手のことがどんなに気に入っていても、女の人はぜったいに色よい返事はしない。初めから「私もお慕いもうしておりました」なんて返事を出すと、とんでもなく軽い女のように見られてしまいます。心をこめて、「嫌よ、どうせあなたは浮気な方なんだから、きっと後で私がつらい思いをするだけだもの」という断り(と見えて、その実、気のないこともないような)の歌を贈るのが作法。

 以下、ずっと歌のやりとりがつづくのですが、それはまた述べるとして、とにかく平安時代の恋愛は歌ができないとどうにもなりません(平安時代に生れたかった!)。手紙といっても、要するに歌が中心で、詞書に毛が生えたようなものがちょっとくっついてるだけです。ですから、和歌の上手下手は、ほとんど人格をはかる目盛りのようなものだったわけで、歌の下手な人とする恋愛は、きっとものすごくつまらないもののように思われていたのではないでしょうか。それだけに、相手のもとに贈る歌は一首一首が真剣勝負です。まして、最初に贈る歌ともなれば相当の力作を用意したはずで、この歌も単純そうに見えて、非常に品のある、艶麗な作品です。

 道具立て、と言いますか、場面設定の上手な歌ですよね。豊明という行事が、実際に初対面の場だったことはおそらく事実なのでしょうが、それを切りとって、最初に贈る歌にするというのがなんとも心憎い。豊明の舞姫というのは、中流以上の貴族の美少女で舞の上手が選ばれるものです。だから人気も高いわけですが、そういう可愛いい子がたくさんいる情景を利用して恋歌を詠むとどうなるか? なにも言わなくても、「あの豊明の折りでさえ、私の眼にはあなたしかうつらなかったのです」と恋心を上手に打ちあけることができるうえに、「どの舞姫よりも、ただのつき添いだったあなたのほうが美しかった」とお世辞まで遣えるわけです。しかも、それが自然なかたちで、いちいち言葉にしなくても歌の雰囲気のなかからありありと読みとれてしまう。恋愛の戦略として、これはなかなかに狡知ですね。

 それから、恋愛で大切なのは、特に初期の恋愛で大切なのは、共犯関係を成立させること。「ぼくたちはふたりでこういう経験をしたよね」という、ふたりだけの思い出を相手と共有できると、ふたりの関係がぐっと近くなります。この歌のように、初対面の情景を和歌という形式に閉じこめることによって、勝手に神話化するなどというのは、いちばん有効な手段なのではないでしょうか? つまり、豊明の行事には、公任と相手の女性以外にもたくさんの人が参加していたわけですが、作者は自分たち以外の人間をすべて歌のなかから排除して、一方的に豊明をふたりだけの思い出に偽装している。「神話」を作りあげてしまっているのです。こういう歌を贈られれば、相手の意識の奥に、ふたりの運命的な(神話的な)出逢い、というイメージがすりこまれることは間違いないでしょう。

 それにもうひとつ、豊明というのはたいへんに伝統のある行事です。平安時代初期か奈良時代後期の遺風のある伝統行事であるうえに、舞姫たちは神事の舞を舞うわけですから、なんとなく神々しくて、古雅な印象を与える行事です。けれども、一方で舞姫たちは人気があるし、女性だらけで華やかでもあるし、さらには舞が演じられるのだから娯楽的な面もある行事である。平安時代の宮中では(いや、いつの時代のどこでもおなじでしょうが)、行事は二種に分けられます。伝統的な行事で、娯楽よりは祭事の要素がつよいものと、娯楽的、宴会的な楽しむための行事がそれですが、豊明はめずらしいことに両方の要素がかなり混ざっているんですね。だから、こういう行事を道具立てにして詠むと、歌の雰囲気自体が、古雅で現代風、神々しくて華やか、というふしぎな魅力を帯びるようになる。

 さらに、これは行事を詠めばどうしてもそうなりますが、豊かな季節感が取りいれられます。十一月(太陽暦では十二月)のうそ寒い空気がそこはかとなく漂ってくる感じも、深みを添えます。

 そして、「なほ」という表現がいいですね。「なほ面影」が恋しい。今でもなお、あなたの面影を慕わしく思っておりますよ(「恋しい」は現代語とちょっとニュアンスがちがって、人以外のモノも目的語にできます)。こんな気持はすぐ忘れてしまうさ、と軽く思っていたのが、いつまでたっても消えない。その意外さに自分でおどろき、ちょっと舌打ちしながら、「くやしいけれど、どうしてもあなたの面影が心のなかから消えない」とわざわざ言ってみせるところに、相手の気をひこうとする技術があります。初な男ごころを演じているあたりが、実に清新なイメージを与えてると思いませんか?

 この「なほ」をより効果的にしているのが、「しひて」です。「しいて~させる」という「しいて」と同じですが、この場合はおそらく、「(心が)しいて(あなたを)思わせる」ということで、「どうしようもなく」という意味です。今でもなお、どうしようもなく恋しい。恋の前で無力になってみせるのも、恋歌、あるいは恋愛詩の技法のひとつですね。

  たった一人の、たった一人の女のせいで
  ぼくの魂はもう悲しくて、悲しくて。

  どうにも気持が慰さまなかった、
  とうに心は離れてしまっているというのに。

というのは、ヴェルレエヌのあまりにも有名な詩ですが、恋の前で無力になって、自分の気持にとまどってみせることが、詩句の生き生きとした感じを生みだしている点は公任とよく似ています。

 文学のなかで、恋愛というものは、自分が自分でなくなることだと捉えられてきました。ふだんならぜったいにこうはしないのに……、自分で自分の気持がどうして制御できないのだろう……。そうした二律背反への省察が、一方では近代的な心理小説になり(例えば『高慢と偏見』から『風立ちぬ』まで)、一方では人間の主体性を問う二十世紀哲学の好材料となり(特に実存主義、サルトルやメルロ=ポンティは恋愛の話をよく使いましたね)ました。しかし、詩においては、それらは矛盾のままに、あるいは二律背反のままに放置され、そのあるがままの美しさを歌われてきたのです。この歌のように。

 いったい、この歌をもらった女性はどんな人だったのだろうという関心を、公任の歌がいやがうえにもかき立てるのは、一首のなかにのびやかな言葉のかがやきがあるためでしょうが、そういう思いを読者に抱かせれば、それはすでに、恋文としての個別的な目的を脱して、この歌が人間存在全体に向けた普遍的な芸術作品としての成功を勝ちえたことを意味するのです。この歌の、一目見たときの姿の美しさは、詠みこまれた女性のそれをうわまわるものがありましょう。


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