雪香楼箚記

恋(1)_思ひつつ






                                      後鳥羽院
       思ひつつ経にける年のかひやなきただあらましの夕暮れの空










 本歌があります。

                            読人しらず
  思ひつつ経にける年をしるべにしてなれぬるものは心なりけり

(あなたを思いつづけて長い年を過ごしたから、切ないもの思いにも慣れてしまったかのような私の心です)。

 本歌取りというのは、新古今集の大切な技法ですが、これはもとの歌の世界を真似るということではありません。すでにある歌の世界を、もういちど見直し、そのなかに入りこみながら、しかし新しい興趣を求めるというものです。あたかもピアニストがみんなベートーベンを弾きながら、それぞれ新しい、しかしベートーベンであることは確かな、ベートーベンを「作って」いるようなものでしょうか。この歌も、本歌とは逆に、「しかし、わたしの心はもの思いには慣れえないのだ」と歌っています。そこが、歌人というピアニストの腕の見せどころ。

 長らくあなたのことを思いつづけてきたかいもなかったなあ、なにしろ、(昔の歌のように、片想いの切なさにも慣れて、この胸の苦しさもどうということもなくなるかと思っていたら、そういうこともなく)、いまだに、逢えたらいいのに、などという気持がつのるばかりなのだから、この夕暮れの空を見ていると、というのが大意。夕暮れになればなんとなく人を想うのは、なにも、夜にだけしか恋人に逢いにゆけなかった平安時代の歌人だけではないはず。切なさに慣れることなどないのだ、とつぶやくのも、また……。


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