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雪香楼箚記
春(2)_桜花
藤原家隆
桜花夢かうつつか白雲の絶えてつねなき峰の春風
歌意は、桜の花だと思ったのは、あれは、夢であったのか、現実であったのか解らないが、花と見まがうばかりの白雲も、今は無常の風に消えさってゆく、ということ。ふたたび桜と夢をあしらった歌ですが、俊成女の濃艶なそれとはまた別種の趣があります。「白雲」は、「知ら(ず)」の掛詞。
無常とは、この世の定めなさのこと。この世のなかにあるいかなるものも、つねに移りかわり、ひとつとして不変なものはない、という仏教の認識です。日本人は、この「移りかわる」という点に重心を置いて、この思想を受入れ、四季の移いに人生のそれを重ねあわせた独特な観念を作りあげてきました。和歌では漢語を用いることはしないので、無常を「むじょう」とはせずに、読みくだして「つねなし」とします。
一首の中心は、美しいもののはかなさにあるのでしょう。表立っては描写されていませんが、これは散りゆく花の名残を詠んだ作品です。あまりに美しくあるために、それが現実のものであるとはとても思えない。いや、現実であるか、夢であるか、そんな判断などどうでもよくなってしまうほど、美しく花が散っているのでしょう。作者は「夢かうつつか白雲(知らず)」と言っていますが、知らないことに戸惑っているのではなく、知っていようが、知っていまいが、そんなことはどうでもいいのだ、と心のどこかで思っているのです。桜の花を、認識する以前に感じている。これはそういう歌なのです。
散ることは、自然の無常の表れである。仏教の思想としては、「だからあなたの生もまた無常であることを覚りなさい」と言わねばならないところなのでしょうが、我々の先祖は、そうは考えませんでした。日本は思想を大いに輸入した国ですが、仏教にしろ、儒学にしろ、あるいはキリスト教や、西欧思想にしろ、すべてもとのそれとはずいぶん違ったかたちに変容させて受入れてきました。例えば仏教にしても、いちばんその影響を受けたのは、思想や哲学ではなく美意識だったわけです。無常は、日本の文化を決定づける思想ではありましたが、なぜか我々の祖先たちの意識は、それを魂の救済のほうへは向けなかった。「散る花は美しい」という発想しか生まなかった。よく言われることですが、こうして文芸や美術に取入れられた無常は、「無常感」(無常という雰囲気)ではあるが、「無常観」(無常という観念、意識)ではなかったわけです。
まあ、ぼくは幸いにして哲学や宗教よりは美意識のほうが大事だと考えている人間なので、そういう思想上の問題はどうでもいいわけでして、それよりはむしろ、この美しい桜の花の歌に、無常感がいい隠し味として用いられている点を賞賛したいのです。仏教のむずかしい思想を持ちださなくても、きれいな花が満開のまま散ってゆくのを見れば、たいがいの人間は世の中のむなしさを思う。ですから、仏教以前にも日本にはおそらく、こうした発想のものの感じ方や、それを表現した文芸作品はあったはずです(残念ながらその時代の作品はほとんど残ってないので実証しようがないのですが)。仏教の渡来によって、その美意識にもうすこししっかりした裏づけができたというくらいのものであって、言ってみれば、和三盆がグラニュー糖に変ったくらいの変化にすぎない。両方とも砂糖であることにはかわりがないんです。大事なのは、思想そのものではなくて、それを包みこむ文学というものであって、思想などはそれらしい味がしていればなんだっていい。文学というのは、思想ではなくて、言葉と美意識で作るものですから。
そういう意味では、この歌は「峰の春風」という言葉を見なければならない。無常を風に例えて、「無常の風」とするのは、よくある表現で(どこか仏書に出典があるのかもしれませんが)、さして珍しくないのですが、この歌は桜の花が題材ですから、それをアレンジして春風とした。さらには「峰の」という言葉を上にくっつけた。ここが大事なんです。「春の峰風」よりは、「峰の春風」という表現のほうが余情があると思いませんか? 峰風なら、これはどういう風というふうに限定されてしまう。この言葉の意味する範囲はそんなに広くないから、読んだ途端にイメージを固定されてしまうわけです。それでは、余情というものは死んでしまう。一方で「春風」は、峰風より意味するところの広い言葉です。春に吹く風、というだけであって、その意味するところは茫漠としている。この曖昧さが余情を誘うのですね。白雲がぼんやりと途絶えている(その白雲は、じつは桜の花なのかもしれない)、という幽玄な情景にも、ぴたりと添う、ひろびろとして艶麗なイメージがある。だから、最後の一句は「峰の春風」なのです。
言葉の意味する内容としては、「峰の春風」も「春の峰風」もかわらない。両者とも「春に峰に吹く風」です。しかし、表現には、言葉のひろがりには、まったく違った趣がある。ここで、「峰の春風」を選べる語感の持ち主だから、この歌を詠めるのです。なにしこの歌は、言葉が平然と思想を飲みこんでいる。
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