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雪香楼箚記
恋(2)_わが恋は
源 通具
わが恋は逢ふを限りの頼みだにゆくへも知らぬ空の浮雲
本歌があります。
凡河内躬恒
わが恋はゆくへも知らずはてもなし逢ふを限りと思ふばかりぞ
歌意は、私の恋はどこへゆくかも、どれだけ思いつづければ終りになるのかもわからない。ただただ、ひと目だけでもお逢いして死にたい、というそれだけなのです、ということ。「逢ふを限り」という、恋歌では割合に定型化した表現は、この歌から出ています。一首の意味は、私の恋は、ひと目だけでもお逢いして死にたいという望みさえも、かなうかどうかわからない、空の浮雲のようにはかなくとりとめもないものなのです、ということ。作者は新古今集の選者の一人。俊成女と一時結婚していましたが、のち離別しました。どちらかというと叙景歌に、新古今集らしい佳作の多い歌人です。
ひと目だけでもお逢いして死にたい、というのは、ずいぶん大袈裟なことを言うものですが、当時は、物語の類でも恋慕のあまり病死してしまう、という筋立てがよくあった時代ですから、かなり真剣味を帯びて用いられていたということができるでしょう。ちなみに、貴族たちは、不吉な言葉を口にするとそれがほんとうに起ってしまうという古代信仰(これを言霊信仰といいますが)のなかで生きていたので、「死ぬ」という言葉は日常語はもちろん、歌のなかでも使いません。はかなくなる、むなしくなる、あるいは、限り、など、様々に言いかえて表現しました(こういう心遣いは、例えば今でも「死んだ」と言うかわりに「亡くなった」と言ったりする場面に残っていますね)。さらに言えば、言葉の上だけではなくて、実際の生活や意識のレベルでも、彼らは「死」を非常に忌避していました。平安時代の人々にとって、「死」という異常事態は、日常生活のうえであってはならないものとして、慎重に遠ざけられていたのです。一例を挙げれば、貴族社会には死刑が存在しませんでした。菅原道真のように政争で追いおとした人物に対してでさえ、流罪という処分を下したのです(政争の場合は、相手が二度と復帰できないように後腐れなく殺しておくのが常識ですね。フランス革命のロベスピエールも、ロシア革命のトロツキーも)。あるいは、近親者が死んだ場合は朝廷への出仕が不可能になりました。死の汚れを、宮中に持ちこむことを禁じたからです。源氏物語の夕顔の巻で、共に一夜を過ごした明け方、夕顔が変死したのに気づいて、光源氏がどうやって理由を作って朝廷への出仕を休むか悩むシーンがありますが(夕顔との仲は隠してあるので、彼女の死を表立って理由にすることはできない)、これなどは、まさしく死への嫌悪感を露わにした平安びとの意識だと言うことができるでしょう。
そうした社会の常識のなかで、あえて死を詠みこんだのがこの歌なのです。本歌があることからわかるとおり、それは決してこの歌の、あるいは通具という歌人の個性なのではなく、当時の一般的な通念として、恋歌のなかではそれを用いても構わないという認識が成りたっていたからなのですが、このことは、古典和歌に詠まれた恋というものを理解する上で非常に大切な要素ではないでしょうか? つまり、恋というものは、彼らにとって忌むべき死というイメージを用いて詠んでもいいほど、異常なものだった。異常という言葉が適当ではないと言うのなら、日常からかけ離れたものであった。よく、平安時代の貴族の生活について、「政務には関心を寄せず、和歌、管弦の風流韻事、あるいは恋愛に情熱を注いで、あたかもそれらを仕事のようにしていた」という説明の仕方があります。ある部分については共産主義史観ふうの固定した観念による(おそらくその出所は日教組なのでしょうが)誇張があるのですが、しかし大筋においてはこの理解は間違ってはいない。せっせと風流と色事にいそしみ、一部の上流貴族だけが政務ではなく政争に明け暮れていたのが平安時代の現実です。しかし、その彼らにしてさえなお、恋愛は日常のものではなかった。民俗学の用語を利用するなら、「穢(け)」のものではなく、「晴」のもの、かすかな気分の高揚を伴うものであった。日常から離れた、「異常事態」であった。だからこそ、日常生活でも遠ざけていたはずの「死」のイメージを持ちこんでも構わなかったのです。
おそらくこの歌の下敷きになっているのは、そうした死と恋愛に共通する非日常性の要素でしょう。一見、まったく違ったもののように見えて、このふたつには通底するものがあることを、歌人はうっすらとでも見抜いていたからこそ、この歌を詠んだ。いや、通具に限らず、人間の意識の奥には、集団的無意識としてそういう認識があるからこそ、やすやすと死と恋愛を結びつけることをするのではないでしょうか?(どこやらに、「君のためなら死ねる」という名文句もあったことですしね。)恋に死ぬ、というイメージのかすかな甘美さは、おそらくそういうところに理由があるはずです。死という、本来おぞましかるべきものが、しかしうるわしく感じられるという矛盾。それは本来、矛盾ではなく、死というものがあまりに甘美であるからこそ、その魅力に引きずられないように、心が反動として、死をおぞましいものと意識し、理性的に人間をそこから遠ざけようとしたのではないでしょうか。そうした死の甘美さが、恋愛の甘美さと共鳴を起している、それが「恋に死ぬ」というイメージの甘美さである……。というのは、いささか三島由紀夫ふうな(あるいはバタイユに傾きすぎた)考え方ですが、しかし、非日常性というものに、人間がつねになんらかの恍惚を見ていたことは事実なのですね。死の悦び、というものをぼくは信じませんが、恋愛の悦びを信じる以上は、それを否定しきれない面もあるのです。ついでに言うならば、自然崇拝の宗教段階においても、あるいは平安時代に盛んだった仏教信仰の段階においても、当時の人々にとって、死は単なる死ではなく、新たな生、再生に結びつけられていたはずです(自然は、冬の次は春と、循環しますからね)。つまり、「恋愛─死─生」という三つのものがひとつの悦びとして意識されていた面も否めない(これは三島からは大いに外れますが)。……ともかくも、そういう、かなりきわどい人間の意識の面まで、この歌は掘りさげてもいいものではないかと思います。
そういう「ひと目だけでもお逢いして死にたいという期待」(「頼み」は、この場合は望みとか期待という意味)さえ、どうなってしまうのかわからない、かなうかどうかわからない。ここに、この歌のよさがあります。本歌を上手に取りこんで、しかも別趣の世界を作っているということもありますが、それ以上に「どうなってしまうのかわからない」=「ゆくへも知らぬ」という言いかたが見事だと思いませんか? まったく期待が持てない、というのでもなく、あるいは、まだまだ望みは捨ててません、というのでもなくて、「どうなってしまうのかわからない」。もちろん、あまり希望の持てなさそうな状況は、最後の「空の浮雲」という不安定なものの比喩で察しがつきますが、それをあらわなかたちで表現することを避けているところに、歌の工夫というものがあるのです。読者には、「どうなるかわからない」「あまり希望は持てなさそうである」ということしかわからない。そこからいろいろな想像をめぐらして、歌を詠んだ人間の心の状態を読みとらなくてはならない。いや、「ならない」のではなくて、どうしてもそうしたくてたまらなくなってくる。それが、余情というものであり、幽玄という定家が理想とした歌境への第一歩なのです。ですからこの歌は、歌人が詠んだだけでは完成しないのですね。なぜなら、余情であるとか、幽玄であるとか、そういうものは、半分は読者の想像力が創るものであるからです。読者という存在を除いては、この歌は成立しなくなってしまうものがあまりにも多すぎる。
例えば、この歌は歌合の題詠なのですが、もし、こうした作が、相手の女性のもとへ男から贈られてきたと想像してみてください。まず、彼女は「死」というものの示唆されている一首の強烈なイメージに衝撃を受ける。そして、それが自分ゆえにひきおこされた感情であることを思って、いつの間にか詠み手のペースに引きこまれる。さらには、上で述べたような、「余情」の部分を読みとろうとする「読み」の行為に引きずりこまれて、いつの間にか男の気持を心のなかで想像してしまう……。恋愛の中期に、つまり男は盛んにアプローチするのに、女性のほうがなかなかふり向かない、という時期に、こういう、やや強引な、きつい歌を男が詠むのは、取りあえず相手の意識を無理やり自分のほうへ向けるためなのです。そして、それからおもむろに、自分の気持のなかへ相手を誘ってゆく。そういう効果を充分に意識しているからこそ、「ゆくへも知らぬ」という表現が出てくるわけです。そして、読者はここにさしかかったとき、もういちど「ゆくへ」のなかには、恋死ぬ男というイメージがうっすらと含まれていることを意識し、いつのまにか、その切ない心と一体化してゆくのです。そのとき、きっと、いちばん最初の読者であるはず女性は、もうすでに恋に落ちているのでしょう。
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