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雪香楼箚記
恋(3)_面影の
西 行
面影の忘らるまじき別れかななごりの人を月にとどめて
その面影を忘れられそうにもない別れです、あなたを想ってなごりのつきない心を、この月のひかりのなかに残して。
言うまでもなく、西行は僧侶です。もともと彼は、佐藤義清という北面の武士でした(北面の武士というのは、平安時代中期以降、主に藤原氏に出入りしていた源平の武士に対して、代々御所の北側を警備していた武士たちのことを言います。つまり、天皇の私兵みたいなもの)。出家した理由については、いまひとつはっきりしていませんが、出家を留めようとしてむしゃぶりつく妻をつきたおし、子を縁側から蹴落して出奔したという伝説があります。はっきりしたことはわからないのに、伝説だけはたくさん残っている人で、一休や良寛のような、日本人の好きな伝説的僧侶の系譜の、いちばん最初にあたる人でしょう。
彼の出家譚にはさまざまなものがありますが、そのひとつに、若き日の西行が、鳥羽上皇の正妻であった待賢門院璋子と通じていた、というものがあります。璋子はもともと白河上皇(鳥羽上皇の祖父)の寵姫で、のちに鳥羽上皇の中宮になった人ですが、当時から鳥羽上皇の息子ということになっている崇徳天皇は、実は璋子と白河上皇の子ではないか(つまり、鳥羽上皇の中宮となってからも、白河上皇と璋子は関係していた!)という噂がありました。ほかにも、祈祷のためにやってきたお坊さんの弟子と関係を持ったり、と、淫奔の性であったようですが、嘘かまことか、北面に仕えていた時分の西行も璋子の愛人のひとりであったと言われています。けれどもあまりに身分が違い過ぎるがゆえに、西行はついに世をはかなんで出家してしまった……。まあ、この類の色恋と無常をからめた出家譚は、西行以外にも、平安時代末から鎌倉まで非常に流行したお話なので、そういう説話が好まれたひとつの結果として彼に仮託されたものではないかと思うのですが、なにしろ相手がかの待賢門院であるだけに、もしかするとあり得る話かもしれない。
ともかく、西行の色恋に関するお話は、この待賢門院伝説くらいしか思いあたらないのですが、その割に、出家後の彼の歌には、ずいぶん恋歌がある。坊主のくせになにをやってるんだ、と思われるかも知れませんが、なにしろ当時は題詠全盛の時代で、僧俗を問わず、経験の有無を問わず、題さえあればいくらでも恋歌を詠んだわけですから、しかたがないといえばしかたがないのです。実際に、慈円や寂蓮といった僧侶歌人たちにもたくさん恋歌があります。
けれども……、この歌、もともとは恋歌ではありません。西行の家集(個人歌集)『山家集』から採られているのですが、この『山家集』のなかでは、この歌は月を詠んだ歌という詞書きがついています。内容としても、かならずしも恋歌とは言いきれず、むしろ西行の歌風からすれば、この歌の「人」というのは友だちのことでしょう。おそらく恋人ではない。すくなくとも、最初に西行が歌を詠んだときには、月下で友だちを見送って名残尽きない、という漢詩趣味の歌だったのではないかと思います。それを、定家か後鳥羽院かよくはわかりませんが、撰者が恋歌として新古今集に入れたわけです(ほんとをいうと、後鳥羽院以外の撰者のうち、だれがその歌を推薦して新古今集に入れたか、というメモがあって、それを見れば推薦者はわかるのですが、生憎ぼくの持っている本にはそれがついてないので……)。
今でも、一部の新聞の歌壇、俳壇では(とても名前は挙げられませんが)、応募してきた和歌や俳句を、選者が手直しして載せているところがあります。和歌、俳句の専門誌なら、これはほとんど日常茶飯事。もともと、こうした日本の短形詩では、選者とか編輯者というのは、不文律として、他人の作に勝手に手を入れて詞華集を編纂していい、ということになっていました。そのいちばんの起源が、平安時代の勅撰集の撰者なのです。例えば、参考資料として、当代および過去の歌人たちの歌がたくさん集められる。それを撰者が見て、あるいはそのまま、あるいはほんのちょっと手を入れて、勅撰集のなかに配列してゆく、というわけです。勅撰集に採られた歌と、例えば、その歌がもともと収められていた歌集でのかたちとが違っていることがあるのは、多くの場合、こういう理由によります。勅撰集の撰者というのは、当代を代表する大歌人ですから、添削されてもだれも文句はないわけですね。まして、この西行の歌のように、内容を読みかえるなどということは、ごくふつうに行われていました。むしろ、そうやって作品のなかに新しい魅力を見出してゆくのが、撰者たちの腕の見せどころなのです。
そう思いながら読みかえすと、この歌、歌だけで見てゆくと(つまり詞書きがなかったとしたら)、案外、はっきりしない歌だと思いませんか? 面影、なんて恋歌の常套語が出てきて、忘らるまじき、とまで言ってるのに、それ以上は感情に踏みこんでいない。恋歌とも見えるし、友情の歌とも見える。想像をたくましくすると、むかし関係のあった、けれども今はただの女友だちである女の人を西行が月下で見送っている、なんて光景があってもよさそうな感じがする。恋歌というには淡すぎて、友情の歌というには艶でありすぎる。そこに、だれか賢い撰者が目をつけたんでしょうね。
もとは漢詩趣味の歌と言いましたが、この歌はしかし、友情の歌とするか、恋歌とするかで大きく読みときの違う部分があります。というのは、以前にも言いましたが、中国文学は友情を、日本文学は愛情を詠む伝統があります。特に、唐代の漢詩の、いわゆる名作と呼ばれるもののなかには、友人を見送るという趣向のものが非常に多い。
勧君更尽一杯酒 君に勧む、さらに尽くせ一杯の酒
西出陽関無故人 西のかた陽関を出ては故人なからん
なんていう詩(さあ、もう一杯お飲みなさい。陽関を出て西のほうへ言ってしまえば友だちなどもういませんよ)がまさに代表格ですが、李白も、杜甫も、人情を詠えばかならずこの、友を送るという形式になったのです。さらに言えば、月下の船出を送る、という詩も割とよくある。白楽天の『琵琶行』という詩などはまさにそうですが、ここで大切なのは、漢詩で友だちを見送る場合、月といえば夜の月なのですね。明け方の、有明の月ではない。実際に、この西行の歌だって、朝とか、有明とかいう言葉を使っていないのだから、もともとはおそらく夜の月を詠んだものだったはずです。─それが、恋歌として扱われることになると、この月は有明の月ということになった。実際にこの歌は、新古今集のなかで、一連の後朝の別れの歌、つまり、有明の月を題材とした歌のなかに置かれています。つまり、解釈の変更が、詠まれた月の姿まで別のものにしてしまった。
さらに、もうひとつ。これ、友情の歌なら、作者と歌の主人公(「人」を見送る人物)は同一ということで問題はありません。でも、恋歌なら? 有明の月のもとで見送るのは、必ず女性です。つまり、作者と歌の主人公が分離してしまった。古典和歌では、このように、作者と歌の主人公を別にしてしまうのはよくあることですし、男性が女性の立場から詠む恋歌というのもありふれたことでしたから、新古今集のなかに西行作の恋歌として置かれてもなんの不思議もなかったわけです(ちなみにいうと、こういうバイセクシャルな歌は平安時代の雰囲気をよく表していますね。当時は、なにしろ男も女も「たをやめぶり」を大切にしましたし、性を不分明にしたものが社会にあふれていました。貴族たちの信仰の対象となった仏画や仏像は中性的なイメージで作られましたし、天皇が歌合せに参加するときは必ず「女房」つまり、おつきの女官の名前を借りて作品を発表しました。『とりかへばや物語』のように、女として育てられた男と、男として育てられた女の活躍を描いた小説もあったくらいです)。
上の句は、西行らしくすらりとした、解説もさして必要ないつくりです。目をひくのは「忘らるまじき」という言いかたでしょうか。まじき、は、まじ、という助動詞の連体形で、この助動詞には
1.打消推量「~しないだろう」
2.打消適当「~しないほうがいい」
3.打消意志「~するまい」
4.打消当然「~するべきでない」
5.不可能「~できない」
6.打消命令「~するな」
の六つの用法があるのですが、まあ、いってみれば英語のmustに相当するような言葉でして、いちばんの原義には、話し手の意志をつよく投影する助動詞、という基本構造があります。打消推量にしろ、打消意志にしろ、「(話し手である)私は……」というニュアンスが見え隠れしている。この点が、ほかの推量の助動詞といささか印象の違う点です。この場合の「まじき」は1の打消推量の用法で「忘れられないことだろう」という意味なのですが、ただ未来を推量しているだけでなく、「私はきっと忘れられないだろう、そう思う」という雰囲気をたたえている。これが、恋歌としての余情をぐっとひきしめて、味わい深いものにしています。この助動詞の選び方はさすがに西行の才能を感じさせます。
なごり、というのは、別れを想う人の心でしょう。いくらでも逢っていたいけれど別れなくてはならない。あなたを思う気持がつきせずあふれ出ている。それをどうすればいいのか、と反問するような、しかし、もっとやさしく、やわらかに読者を包みこむような、静かな気持です。いくらでもあふれ出すそうした感情を、ひとたびはこの月のひかりにでもあずけて、あなたとお別れいたします。月をみれば、私はまたこのつきないなごりにひたることになりましょう……。下の句のやや言葉足らずにも思える表現は、おそらくそういうことを言おうとしているのではないでしょうか?
とにかく、描かれた感情が非常に静かで、しかもつよい、という意味では、例えばピカソの青の時代の作品を思わせる部分があります。……そして、そういう感情の対象が、あるいは恋人であってもいいし、あるいは友だちであってもいい、というのはぼくだけの感想ではないでしょう。この場合、必要なのは、西行の(あるいはこの歌の主人公の)、胸に迫るほどの、静謐でつよい別れの感情であって、むしろその感情の対象は、やや歌の埒外に置かれていると言ってもいいのかもしれない。必要なのは感情であって、対象ではない、ということを、無言のうちにこの歌は語っているようです。
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