雪香楼箚記

番外篇



    ここらでひと休み。「わくわくわか」番外編です。

    もともと「わくわくわか」はメルマガとして配信していたものですので、それを利用してこんないたずら書きを。












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 成瀬くんへ─


 ひさしぶりのメールです。ご無沙汰ばっかりでごめんなさい。それから、いつも「わくわくわか」、ありがとうね。楽しみに読んでます。

 高知の秋は今がいちばん綺麗なときです。物部や別府の、山のほうは紅葉がさかりで、職場でも、こないだの日曜日に見にいったという人が何人かいたけれど、高知の街なか(成瀬くんがいつも、嫌いだ、嫌いだ、っていってる、あのきたない街の!)の秋景色だって、ときどき息をのむほど美しいことがあります。机のそばの窓からお城の銀杏の大木が見えるんだけど、晴れた日の昼下りに、時が止ったような静かな空気のなかで、ひとつふたつ黄金いろのちいさな葉っぱが舞いおちてゆくのをぼーっと見るのは、至福の時間だよ! ……なんて考えながら、社会人一年生はお昼休みを過ごしてます。成瀬くんは、卒論で大忙しなんだよねえ。ファイト!


 しばらくぶりで苦手なパソコンの前に座ったのは、「わくわくわか その六」を読んでほんとうにドキドキしたから。社会に出てから、すっかり「感動」とか「ドキドキ」なんて気持から遠ざかってたので、なんだかうれしくなったてしまったほどでした。さすが成瀬くんだね。「朝露のおきてののちぞ」にも、「面影の忘らるまじき」にも、「かけて思ふ人もなけれど」にも、それぞれたっぷり少女漫画チックな空想をつけくわえて(成瀬くんが笑っちゃいそうな……)、自分が切ないもの思いをするお姫さまのような気分にすっかりなっちゃったんだけど、やっぱりいちばんは、

>頼め置かんたださばかりを契りにて憂き世の中の夢になしてよ

でした。すごいね。藤原定家母ってぜんぜん聞いたことのない歌人だったけど、これ、ものすごくいい歌。大好きになってしまいました。宝石のようにキラキラかがやくものはないけれど、でも、なぜか読者の心をとらえてはなさない、っていうか……。そうか、和歌ってこういうものなんだね、人間のちいさなつぶやきが詩になったら和歌ができるんだね、っていう感じ。でも、きっと、私ひとりで読んだって、よさになんかちっとも気づけなくて、そのまま読みながしてしまうんだろうなあ。成瀬くんが、ひとつひとつの言葉を丁寧に読みといて、名もない女の人の美しい心をとりだしてくれたから、きっと私でも「ドキドキ」を共有できたのだと思います。なんだか、和歌と成瀬くんが共同製作した映画を見せてもらったような気持。素敵な才能を持った後輩がいて、センパイはとても幸せなのでした。


 と、書いておきながら、ちょっと疑問に感じたことがあるんだけど……。知ってのとおり古典の苦手な私の言うことなので、半分笑いながら聞いてね。疑問点っていうのは、四番めの宮内卿の歌なんだけど、

>聞くやいかにうはの空なる風だにも松の音するならひありとは
>ただ、いくら妻問婚の当時といっても、……多少間遠になることもある。それを、「私は待ってい
>るのに……」と女のほうから恨み言を言うというのがこの歌なのです。

っていう成瀬くんの解説。それはそれで分かるんだけど、私には、それも、「わくわくわか」の読者としてというよりは、女としての私には、ちょっとピンとこないものがあったの。

 うまく伝わるかどうか不安なんだけど、最初、この歌を読んだとき、「聞くやいかに」っていうのがすごくつよい言葉だと感じたのね。勇ましい、って言ってもいいくらい。成瀬くんも、「芯につよさを秘めた」って書いてるけど、男の人と真正面から向きあって、切りつけるように挑発的な言葉で相手の愛情を問いつめているような、そういうつよさがあると思う。もちろん、可愛気のない女性、っていう感じではなくて、知的で、負けん気がつよいけど、でもかわいいところもある、明るい性格を持った人の、それだけに真剣な思いが伝ってくる歌なんだけど……。

 そういう作者のイメージと、成瀬くんの言うように「甘えて、かわいくすねた」恨み言を恋人に言ってみせる歌の後半が、私のなかでうまくひとつにならないのです。「聞くやいかに」って、毅然と男の人と向きあえる女の人が、たとえ「うはの空なる」気持であるとしても、やはりあなたを待ってます、なんて言うかな? って思って。

 私のかぼそい経験から言うと、恋愛はとっても不安なものなんだと思う。人の心なんてあてにならないあやふやなものを、なんとかあてにしようと思って、苦しんだり喜んだりするのが恋愛だから。どんなに心が通じあってるって思っても、いくら自分が愛してもらえてるんだと思っても、それでも、不安で不安で仕方がなくて、自分の心のよわさを、自分でもどうしようもなくなる……。まして、恋人が自分以外の人を愛しているとして、それが許せるかどうか? そんな男の人に、愛してほしいと願えるかどうか?

 だから、この歌は、恋人の心がわりの予感におびえながら、「あなたのお気持はいったいほんものなのでしょうか?」と必死に問いかけている歌なのでは、と思うのです。書いてるうちに自信がなくなってきちゃったけど。


 私の勝手な想像だから、もちろん読みながしてもらってもらっていいんだけど、お返事もらえたらうれしいです。あんまり期待せずに、でも、しっかりワクワクしながら待ってます。

 それでは、今日はこのあたりで。京都は寒いだろうから、風邪には気をつけてね。卒論、がんばれ!

 以上、失恋中のセンパイから、片想い中の後輩へ、でした。


                                                                    清遠絵美子 




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 清遠絵美子さま─


 京都はすっかり冬のよそおいです。もっとも、寒がりなぼくのいうことなので、我ながらあんまりあてにはならないと思うのですが、もう、毎日この寒さでは、紅葉が残っていようが、銀杏が散っていようが、冬ということにしてしまいます。先輩のように、文学的(少女漫画的?)感受性の豊かさをあまり持ちあわせていない人間なので、どうも散文的になってしまいますが。

 今日は、朝から雨です。降りはじめたのは、昨夜の二時か三時だったと思うのですが、ずっと降りやみません。こういう細かな雨の日は、空気がすこし暖かなようです。空もくもっていながら、どこかに晩秋のぬくもりがあるようで、通りを歩いていても気分のいいものです。


 どうも、何からお返事を書けばいいのか分らなくなってしまうようなメールをもらってとまどっているのですが……、とりあえずは、あの文章にやたらと感動していただいたようで、ありがとうございます。なんだか、知ってる人にあれだけたくさん褒めてもらうと、照れるみたいで、落ちつかない気分。高校時代、書道部なんてちっとも流行らない部活でたったひとりの男子部員だったときから、美人の先輩に褒められると、なんだかどうも居心地が悪かったことを思い出しました(そんな先輩を振るだなんて、なんてバカな男!)。

>頼め置かんたださばかりを契りにて憂き世の中の夢になしてよ

っていい歌でしょう? ぼくも、「わくわくわか」のために新古今集を読みかえしていて、はじめて気づいた歌でした。ほんとに群小歌人というか、むしろ専門の歌人としてさえも認められずに、たまたま俊成の家集(『長秋詠藻』)に歌が残っていた、というような人なのですが、この楚々として美しい歌の深々とした趣は、まさしく一流の秀歌と言っていいものだとと思います。そして……、先輩ならきっと気に入ってくれるんじゃないかと思ってました。お世辞抜きで、こういう、清楚でひたむきな情熱が似合う人だと、ぼくは思いこんでいるんです、先輩のことを。


 さて、宮内卿の歌のこと。こういう疑問、「わくわくわか」を書いてるほうとしては大歓迎です。遠慮せずにどんどん言ってください! やはり、ぼくひとりの目では見残していること、考えの及ばないこともたくさんありますし、女の人の視点というのは、特に恋歌では、対象に思いもよらないような照明を当ててくれることがあるので、ほんとうにうれしいです。─和歌という古典は、きっとこれまでもこんなふうにして、いろいろな人がいろいろな照明を当てて、新しい魅力を発見してきたからこそ、現代に到るまでみずみずしさを失わずにいたのでしょうね。

>聞くやいかにうはの空なる風だにも松の音するならひありとは
>うまく伝わるかどうか不安なんだけど、最初、この歌を読んだとき、「聞くやいかに」っていうの
>がすごくつよい言葉だと感じたのね。勇ましい、って言ってもいいくらい。……(中略)……男の
>人と真正面から向きあって、切りつけるように挑発的な言葉で相手の愛情を問いつめているような、
>そういうつよさがあると思う。

 うん、これはぼくも賛成です。「聞くやいかに」っていうのは、ふつうは「いかに聞くや」っていうふうに言いますよね。いかに、っていうのは疑問詞だから、英語のHowやWhatとおなじで、これが文のなかにあると問答無用で文頭にきます。「どのようにお聞きですか?」ということ。でも、この歌では、それをあえて倒置にしている。倒置、というのは、通常の状態をわざわざ逆にして、文法的に意味の通りにくい語順を作っているのですから、もう、その目的は強調しかあり得ないわけで、ここでは、内容と同時に語調も強めているのだと思います。

 しかも、ここは、倒置にすると「聞くや、いかに」と一度句の途中で軽く切れるわけで(もとの状態だとそのまま「いかに聞くや」)、文が短く切れてテンポを作る(歌自体が初句切れだから、「聞くや、いかに。うはの空なる風だにも、松の音するならひありとは。」と切れるわけです)のは、なんとなく漢文訓読ふうの文章を思わせます。調子がつよい。
 もちろん、その言葉は相手の男性に投げかけられているわけで、たしかに小気味いい爽快さがあるとは思います。でも、どうでしょう? 「切りつけるように挑発的な言葉で相手の愛情を問いつめている」というところまで言えるでしょうか? ぼくは、歌の後半を意識しすぎるせいかもしれませんが、ここで彼女がそこまで真剣に、というか、切羽つまって恋人に対しているとは思えないのです。

>「聞くやいかに」って、毅然と男の人と向きあえる女の人が、たとえ、「うはの空なる」気持であ
>るとしても、やはりあなたを待ってます、なんて言うかな? って思って。

 たぶん、彼女自身は、相手の男が「うはの空」かどうかなんて、あんまり気にしてないんじゃないのか、と思うのです。まあ、それは、嘘とまではいかなくても、皮肉まじりのお世辞というか、ご挨拶というか、軽い冗談のようなつもりなのではないでしょうか?

 平安時代の恋愛って、もっと軽いというか、遊戯的なものだったのではないかと思うのです。十八世紀のフランスなどのサロン文化というのもそうですが、文化の爛熟期にある社会というのは、恋愛というものにしても、完全な様式、言いかえれば、スポーツのルールに相当するものができあがっていて、人々はそれに従って行動することで、生殖としての恋愛の生臭さを消し、ときとして遊戯のようにして、社交の一環のようにして、軽く楽しんでいたのではないでしょうか? それを、軽薄というべきか、頽廃というべきか、ぼくにはよくわかりませんが、すくなくとも現代の倫理感や価値観でそれを断罪することは間違っていると思います。彼らは、ちょうど、今のぼくたちが剣道や弓道をスポーツとして楽しむように、恋愛を遊戯として楽しんでいたに過ぎないのであって、それを不真面目というのは、あまり意味がないことのような気がする……、それ以上に無粋な気がするのですが。


 ここで、彼女は、やはり恋愛という遊戯のなかで、ひとりの女を演じているのであって、その役のなかに、浮気な男を責めたり、やわらかく恨み言を言ったり、甘えかかったり、そういう演技が含まれているのだと思います。だから、彼女は決して真剣にはならないのです。すべては遊びに過ぎず、参加者はみな(といっても二人ですが)、ルールに従って行動しているに過ぎないのですから。─けれども、その演技がいつしかほんものになりかける瞬間がある。遊戯と現実のあいだで、人間の弱い心が揺れうごく瞬間がある。あるいは、そのどちらともなくあやうくただよっているような状態こそ、この歌の心だとも言えるのです。

 だから、ここで、やっぱり彼女は、強がりを言うふりをして「うはの空なる」男(と、ルールのうえではそうなっている恋人)に甘えているのではないでしょうか? 遊戯であればむろんこれは当然のことですし、万一それが現実の切羽つまった感情に変貌しつつあるとしても、宮廷人であるひとりの女性としての彼女は、自分の感情をやはり外面的には「遊戯」として取繕っているはずでしょうから(古典和歌のなかに登場する二律背反めいた感情は、多くの場合、こうした内面と外面の乖離に理由があります)。


 と、いうのが、ぼくなりの解答です。いかがでしょうか、経験豊富なセンパイ! お返事をお待ちしています。


                                                                    成瀬浩一 




                                  3




 かわいい後輩、成瀬くんへ─


 恋の経験豊富なセンパイより、と書きたいところだけど、たいして経験はないので、大言壮語はやめておきます(ぐすん)。それにしても、うふふ、

>高校時代、書道部なんてちっとも流行らない部活でたったひとりの男子部員だったときから、美人
>の先輩に褒められると、なんだかどうも居心地が悪かったことを思い出しました(そんな先輩を振
>るだなんて、なんてバカな男!)。

なんて、あいかわらず、お世辞も慰め方も不器用なんだから☆ こんなんじゃ、また「あなたのことをとても尊敬しているので、恋愛の対象としては考えられません」なんて、振られちゃうぞ! もっと精進したまえ、片想いクン。……なんていいながら、それでもうれしかったりする私です(ちなみに、「バカな男」も尊敬できるタイプの男の人でした:笑)。


 さて、お返事ありがとう! お仕事サボりながら読んで、たくさん楽しませてもらいました。卒論で忙しいときに、「わくわくわか」だけでもすごいのに、わざわざ物分かりの悪い先輩のために……、感激です。敬服しますぅ。

 ふむふむ、「遊戯としての恋愛」ねえ。なるほど、知らなかった! いや、なんとなく感覚的には分かってるつもりのことだったんだけど、こんなにきちんと説明してもらったのははじめて。なるほどね。十八世紀のフランス宮廷(って、もちろん、マリー・アントワネットとか、それより前のルイ十四世とか、そういう時代のことでしょ?)と、日本の鎌倉時代の宮廷(というより、源氏物語をイメージすればいいのかな?)が意外なところで結びつくのね。成瀬くん、こういうの好きだよねえ。日本の話が出ると、必ず例はフランスとか、イギリスとか、とっても意外なものと結びつけるのが……。ここらあたりが成瀬節の魅力のひとつかな?


 でも、私は「遊戯としての恋愛」をしたことがないから、その気持がやっぱりピンとこない。うーん、それだけオトナの女じゃないのかなあ、っていうのは、まあ、ひとりで悩んでおくとして、やっぱりちょっと不思議に思うこともすくなくないの。またまた、「教えて、成瀬くん!」しちゃっていいかな?

 例えばね、

>ここで、彼女は、やはり恋愛という遊戯のなかで、ひとりの女を演じているのであって、その役の
>なかに、浮気な男を責めたり、やわらかく恨み言を言ったり、甘えかかったり、そういう演技が含
>まれているのだと思います。

っていうのはなんとなく分かるの。恋愛って、ほら、ままごとみたいなところがあるでしょ? 好きな人のためにお弁当作ったり、別にどうしても見たい映画でもないのに映画館行ったり、クリスマスや誕生日のプレゼントにあれこれ悩んでみたり、みんな、やってる自分でも、「ほんとのこと」っていうより、「ほんとのことをまねて遊んでる」って感じがするのね。成瀬くんの好きな言いまわしで言うなら、「行為ではなくて、行為の模倣」っていう感じ。もちろん、優雅な貴婦人や源氏物語の姫君とちがって、私はいつでもそんなふうに余裕のある態度じゃいられないけど、そういう、演じるような感じが恋愛には大切なんだ、っていうのはよく分かる。


 成瀬くんは、よく「様式」とか、「成熟した伝統」、「意味のないしきたり」が大事なんだって書いてるけど、これって、そういうことでしょ? 人間の文化って、結局はそういう「型」や演技、つまり「行為の模倣」の積みかさねで、それが、遊戯であり、芸術である、っていう……。とっさに人の名前を思い出せないんだけど(西洋史学科卒なのに!)、だれかが言った「ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)」っていう考え方もそういうことで、つまり、人間が実際の行為(生産性のある行い)ではなくて、行為の模倣(生産性がない行い)をして「遊ぶ」ようになったところから「文化」が生れた、ということなのよね?


 恋愛にあてはめれば、これって「生殖」と「恋愛」の関係になると思うの。「生殖」が、子供をつくるっていう生産性から離れて、行為の模倣になったときに、文化(遊び)としての「恋愛」が出発して、で、「恋愛」が本質的に遊戯である以上、もっとも極端な「遊戯としての恋愛」が、もっとも本質的な「恋愛」ということになる……。

 でも、経験不足なセンパイとしては、なんだかそこに納得がいかないのは、やっぱり私が少女漫画な女だからでしょうか?

>だから、彼女は決して真剣にはならないのです。─けれども、その演技がいつしかほんものにな
>りかける瞬間がある。遊戯と現実のあいだで、人間の弱い心が揺れうごく瞬間がある。

 演技がほんものになりかけた瞬間に、それでもやっぱり人は外面を取繕うことができるのかしら、っていうのが私の疑問。これは私だけの考え方かもしれないけれど、それって、もっと「切羽つまった」感情じゃないのかな、って思うの。ヒリヒリ焼けつくような余裕のない心で、相手の気持と真っ向から向かいあってる、っていうか……。

 成瀬くんの言うとおり、人間の心ってとても弱くて、自分でもどうしようもないようなものだけど、だからこそ、ある段階を通りこしてしまえば、他人はおろか自分に対してでさえも取繕えないような切実さを持つようになるんじゃないかしら? すくなくとも、自分に対してどうしても取繕えなくなってしまった感情に苦しんだ経験ぐらいなら、私にもあるから、そう思うのだけど。

 遊戯と現実の間を行ったり来たりしながら生れる感情を詠んだのがこの歌だとしたら、「聞くやいかに」っていう問いかけのなかに、表面上は成瀬くんの言うような甘えた恨み言(遊戯としての恋愛の)があるとしても、その裏側にちらっとのぞく本音として、「でも、あなたはほんとに私のことが好きなの?」っていう、切羽つまった、真剣な気持がこめられている、っていうふうには考えられないのかな?

 と、まあ、悟りの悪い先輩はそう思ったりしたのです(「真剣な気持」にこだわりすぎなのかな?)。


 卒論のほうは順調? 永福門院さん(だっけ?)、たいへんそうだねー。風邪に気をつけてがんばってください。


                                                                    清遠絵美子 


 PS.高知もずいぶん寒くなったよ。もうすぐ文旦の季節です。




                                  4




 かわいい先輩へ─


 って言ったら怒られるかな? などと思いつつ、久々のメールです。卒論のほうは(あっちこっちからご心配いただいているようなのですが)、もう飽きてきました。飽きっぽい人間で困ってしまいます、我ながら。

>あいかわらず、お世辞も慰め方も不器用なんだから☆ こんなんじゃ、また「あなたのことをとて
>も尊敬しているので、恋愛の対象としては考えられません」なんて、振られちゃうぞ!

 ぐすん、ぐすん……。女の人の扱いが不器用で、申しわけありません。きっと永遠にうまくなることはないのでは、などと思いながら、はあ……、それでもまた、片想いに走る愚かな後輩に同情を!


>またまた、「教えて、成瀬くん!」しちゃっていいかな?

 は~い、遠慮なくどうぞ! というか、今や、「わくわくわか」を書くのより、もらったメールに返事するほうが楽しくてならない成瀬です。「『真剣な気持』にこだわりすぎかな?」なんてつぶやきながら、まっすぐ疑問を投げかけてくる先輩は、ちょっとカワイイなあ、などと不埒なことを考えながら、お返事書きます。

>恋愛って、ほら、ままごとみたいなところがあるでしょ?……(中略)……やってる自分でも、「ほ
>んとのこと」っていうより、「ほんとのことをまねて遊んでる」って感じがするのね。成瀬くんの
>好きな言いまわしで言うなら、「行為ではなくて、行為の模倣」っていう感じ。

 さすが、するどいですねえ。まさにそのとおり。ぼくは、いちおう、近代の日本社会は、古い様式を壊すことから出発して、まだその代りになる新しい様式が成熟していない、という考え方なのですが、それは、成熟していないだけであって、その芽のようなものは、いくつかあるんですね。恋愛にしてもおなじで、それが、「彼女の手作り」とか、「デートには映画」とか、そういうことだと思う。

 例えば、それこそ少女漫画というのも、そういう様式を形づくるうえで重要な役割を担っているのであって、「りぼん」なんて雑誌なんか、その典型的なものなのではないでしょうか? あれは、月刊誌ということもあるのでしょうが、古典和歌を読みなれたぼくでもびっくりするぐらい年中行事を大切にしてるんですね。一月はお正月で、二月はバレンタイン・デーで、三月は雛祭りと卒業式、四月は入学式で……、といった具合に、毎年くりかえされる「型」としての行事を丁寧になぞって、そこに恋愛を(砂糖を十匙くらい入れたミルクティーみたいに甘ったるいお話ですが:笑)からませている。つまり、「二月はこういう恋をしましょう」という様式を、無意識のうちに読者に刷りこんでいるわけで、これって、平安時代の勅撰集とおなじ役割を果たしているんですね。


>だれかが言った「ホモ・ルーデンス(遊ぶ人)」っていう考え方もそういうことで、つまり、人間
>が実際の行為(生産性のある行い)ではなくて、行為の模倣(生産性がない行い)をして「遊ぶ」
>ようになったところから「文化」が生れた、ということなのよね?

 そうそう! さすが分かりがはやい(ちなみに、「ホモ・ルーデンス」はオランダの歴史家ホイジンガの用語ですね)。

>「生殖」が、子供をつくるっていう生産性から離れて、行為の模倣になったときに、文化(遊び)
>としての「恋愛」が出発して、で、「恋愛」が本質的に遊戯である以上、もっとも極端な「遊戯と
>しての恋愛」が、もっとも本質的な「恋愛」ということになる……。

 なんだか、女の人から「生殖」なんて言葉を聞くとギョッとしますね。でも、本質的・極端(=ラディカル)ということ、まさにそのとおりです。


>演技がほんものになりかけた瞬間に、それでもやっぱり人は外面を取繕うことができるのかしら、
>っていうのが私の疑問。……(中略)……遊戯と現実の間を行ったり来たりしながら生れる感情を
>詠んだのがこの歌だとしたら、「聞くやいかに」っていう問いかけのなかに、……(中略)……そ
>の裏側にちらっとのぞく本音として、「でも、あなたはほんとに私のことが好きなの?」っていう、
>切羽つまった、真剣な気持がこめられている、っていうふうには考えられないのかな?

 なるほど、そういう読み方もあったか。……と、いうより、むしろそちらの方が、古典和歌の読み方としては正解だといえるかもしれません。何度も繰りかえしてきましたが、王朝の和歌というのは「どれかひとつに決める」ものではなくて、「○○でもあり、××でもある」というもの(ロラン・バルト言うところの、ニュートラルな状態、ということですね)だからです。

 ここも、おっしゃるように、遊戯の恋と、真剣な気持とが複雑に入りまじっていて、その裂け目に見える生々しい感情が、この歌の「聞くやいかに」という問いかけなのではないかと思うのです。甘えかかりながら「次はいつ来てくださるの?」とちょっと拗ねている女性が、じつはその言葉のうらに、「あなたはほんとうに私のことを好きなの?」と、ふと真剣な思いをそのばせている……。うーん、女心はフクザツだ!

 遊びというのなら、人生も遊びだし、恋愛も遊びだと思うのです。だから、みんなふざけて、だけど真剣に、人のことを好きになったり、愛されたりしているのではないでしょうか?
 恋愛はゲームだ、というと、怒る人もいるかもしれませんが、きっと、ある意味においてそれは正しいことで、ものすごく真剣な遊びなのかもしれませんね。

 だから、平安時代の宮廷や源氏物語の世界というのは、本質的にぼくらの社会とそれほど変らないのではないでしょうか? 変化したのは、一夫多妻がどうとか、妻問婚とか、そういう外見上のことだけであって、ひとつの文化としての恋愛が共有されている点は、ちっとも変ってないのだと思うのです。─その証拠に、二十一世紀人である先輩が宮内卿の嘆きを直感的に理解できたわけで……。


 さてさて、それでは、

>(ちなみに、「バカな男」も尊敬できるタイプの男の人でした:笑)。

で、なおかつ、

>でも、私は「遊戯としての恋愛」をしたことがないから、その気持がやっぱりピンとこない。うー
>ん、それだけオトナの女じゃないのかなあ、っていうのは、まあ、ひとりで悩んでおくとして……
>(下略)……

だという清遠先輩は、どんな恋に落ちこんでいるのでしょう。

 だって、ずっと、先輩のような完璧な女の人は、いつも幸せに囲まれて、失恋の味なんか知らないはずだ、って思いこんでいたので、なんだか、ちょっと前のぼくみたいに落ちこんでいる(ご指摘のとおり、今は片想い真っ最中)姿が痛々しくて、見ていられません……。きっと、ぼくの同情なんか必要ないんだろうけれど、でも、やっぱり遠いところで心配しているあ人間がひとりいるということくらいは、たまに思い出して、自分を勇気づけるのに利用してください。

 それでは、また。


                                                                    文旦あんまり好きじゃない成瀬より




                                  5




 成瀬くんへ─


 長い長いメールを、どうもありがとう!(文旦は美味しいって!)

>遊びというのなら、人生も遊びだし、恋愛も遊びだと思うのです。だから、みんなふざけて、だけ
>ど真剣に、人のことを好きになったり、愛されたりしているのではないでしょうか?

という一文が、グサッときました。成瀬くんの文章はいつも本質的なことを書こうとするから、ときどき、とってもするどい切れ味になることがあるね。そのたびに、びっくりしたり、感心したり、感動したり、自分の心とそっと照らしあわせてため息をついてみたり……、とにかく、心をゆさぶられています。そういう文章を書ける才能がうらやましい。


 とにかく、成瀬師匠に私の仮説を認めてもらえて、とってもうれしいのが本音なのです。メールを打ちながら、口もとがニヤケてくるのが自分でも分かります。ばんざ~いっ!!(なんだか、最近憂鬱なことばっかりだったので、こういう気持、ひさしぶりです。)

 それにしても、相変らず博識かつヘンなものをよく読んでいるのには驚きです。「りぼん」読んでる男の子ってはじめてだよ……。漫画あんまり読まないって言ってるクセに、少女漫画はしっかり雑誌で読んでるんだねー(笑)。なんだか微笑ましい、なんて言っちゃいけないのか!?


>ぐすん、ぐすん……。女の人の扱いが不器用で、申しわけありません。きっと永遠にうまくなるこ
>とはないのでは、などと思いながら、はあ。

 あはは☆ いやいや、そういう不器用さがいい、っていう、奇特な女の子がどっかにいるかもよ。がんばれ、こうちゃん!

>きっと、ぼくの同情なんか必要ないんだろうけれど、でも、やっぱり遠いところで心配している人
>間がひとりいるということくらいは、たまに思い出して、自分を勇気づけるのに利用してください。

 ありがとう。だれかに心配してもらえるのって、ほんとはすごく幸せなことなんだよね。……でも、今は、そのことにはあんまり触れてほしくない、っていうのが本音かな。ごめんね、わがままで。


 高知は、今日一日雨でした。昨夜の夜中ごろから降りはじめて、ずっとやまないの。まだ氷雨という感じではなくて、かえって雨の日のほうが暖かいくらいなんだけど、雨音がなんとなくさびしげなのは、やっぱり冬のしるしです。窓の銀杏は、もうだいぶ葉を落としてしまいました。朝、公園の係りの人が、一度掃除してるんだけど、お昼ごろになると、もうすっかり道じゅう落葉だらけになって、その間にちょっとだけ見えてるアスファルトに、雨に濡れた銀杏の葉の色がよくはえて、あれは、とっても晩秋らしい光景だと思います。まだコートは要らないけれど、朝夕はマフラーをすることにしました。マフラーをしはじめるこの季節は、いつでもなんだかものさびしくて、心がちじこまってしまいそうで、困ります。

 朝、道を歩きながら、気づくと、呪文のように「聞くやいかに、聞くやいかに」とつぶやいている自分がいてびっくりしたり……。


                                                                    清遠絵美子




                                  6




 清遠絵美子さま─


 この間のメール、出してからずっと後悔してました。メールをもらって、もっと後悔しました。

>でも、今は、そのことにはあんまり触れてほしくない、っていうのが本音かな。ごめんね、わがま
>まで。

ぼく自身、やさしい言葉であっても、そうした気持を人に触られるのがとても苦手なたちなのに、心くばりが足りなかったようです。無遠慮にぼくが踏みこんでいいことではないですよね。ごめんなさい。─ただ、先輩がはやくもとの明るさを取りもどしてくれることを願ってます。

 京都は風が冬になりました。一週間ほど前までは、よく晴れた日がつづいていたのですが、このところ毎日、夕方から降りはじめて翌日の昼ごろ小やみになるような天気がつづいています。こっちはもう、完全に氷雨です。その雨のなかをそっとふいてくる風の、肌に冷たい季節になりました。聞くやいかに、とはつぶやかないものの、なんとなく人恋しくて、やっぱりなんだか、先輩のことなどが思い出されてならない毎日です。


                                                                    成瀬浩一 




                                  7




 清遠絵美子さま─


 しばらくメールがないようですが、元気ですか? お仕事がいそがしいのかな? いつか先輩がアドバイスしてくれたように、「ひとりで悩んじゃだめ」ですよ~。


                                                                    成瀬浩一




                                  8




 清遠先輩へ─


 なんだか、あんまりメールがないので心配です。だいじょうぶですか?


                                                                    成瀬浩一 




                                  9




 清遠絵美子さま─


「わくわくわか」その八ができたので送ります。はやく元気になってくださいね。


                                                                    成瀬浩一 




                                  10




 成瀬くん─


 ねえ、恋愛でいちばんつらいことって、何だか知ってる? 好きだけどふりむいてくれない人からやさしくされることなのよ。あなたのメールを読むたびに、そんなことばかり再確認させられてしまいます。成瀬くんは、東京の彼女に夢中だからいいかもしれないけれど、─私は成瀬くんのことが好きだから。

 ずっと、「遊戯」のフリをして、友だちとして、あなたのことも、自分のこともだまそうとしてきたけれど、もうそれも限界みたいです。聞くやいかに、の呪文も効かなくなってきたみたい。

 片想い中の成瀬くんにはそんなの迷惑で、言われても困ってしまうのは、充分わかってるつもりです。これは、きっと私ひとりの心のなかで耐えるべき感情だと思うから。だから、お願い、しばらくメールしないで。ごめんね、わがままで。でも、自分の気持は自分でもどうしようもないの。

 新しい呪文は「絶えなば絶えね」にします。


                                                                    清遠絵美子 




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 成瀬くんへ─


 どうか、このメールを先に開封してくれますように……。

 さっき送ったメール、あれ、ぜったいに読まないでください。すこし精神的に不安定だったから、感情的になって書いてしまったようです。ぜったいに、ぜったいに、読まずに削除してください。お願いします。

 いつもいつも、心配してくれてありがとう。


                                                                    清遠絵美子


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