雪香楼箚記

秋(1)_見わたせば






                                      藤原定家
       見わたせば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮










 定家畢生の傑作にして、日本の美意識を一首で表現した歌とまで言われる名歌です。新古今集では、この歌の前に

                            寂  蓮
  寂しさはその色としもなかりけり槇立つ山の秋の夕暮

                            西  行
  心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮

の二首が並んでおり(それぞれの歌意は、寂連の歌が「この寂しさは、その色のせいではないはずなのだが……、常緑の木々の立っている山の秋の夕暮は」、西行の歌が「もののあわれを思う心まで捨てさったはずの出家の身である、この私でさえ、しみじみとあわれ深く感じられるのだ、しぎの飛びたつ沢辺の秋の夕暮は」)、「秋の夕暮」で終るこの三首を「三夕の歌」と言っています。これくらいは高校の古典で習いましたよね? ─意味はそのままで、見わたせば花も紅葉もない、浦辺の粗末な家の秋の夕暮だ、ということ。苫屋は、とまや、と読みまして、要するに草葺きの粗末な家のこと。

 さて、なんとも解説のむずかしい歌です。どう解説しても解ったような、解らないような、禅問答のようなものになりそうなのですが……。ひとつには、この歌を、特に茶人や、あるいはそうした美意識を受けついだ近代の批評家たちが、寂びの境地を示す歌として不必要に神格化しすぎたせいもあるでしょう。歌として言えば、たしかに名歌ではあるものの、彼らが言っているほど神格化せねばならないようなものでは決してないと思います。そういった一種の権威主義は、茶人の悪い癖。

 まず、ほかの「三夕の歌」と比べるところからはじめてみましょうか。一目見て解るこの歌の特徴は、「ない」という状況を詠んだ歌であることです。寂連、西行の歌は眼前の情景を詠んだもので、作者の感動した「秋の夕暮」がどういうものか、はっきりとしています。寂連の場合は常緑の槇の山、西行の場合は鴫立つ沢。もちろん、こうしたものは、歌題としては異風で、秋の美しさや華やかさではなく、さびしさ、それも、腸をつかむような激しいさびしさを詠んだものですから、新古今集に限らず古典和歌のなかでは珍しいものといっていいのですが、しかし、それでも、目にした風景に心を動かされたということを詠んでいる、という意味では、よくある型の歌、ということは言えるでしょう。─しかし、定家の歌は、それともまたちがって異風です。確かに彼は、目の前の(すくなくとも、歌のなかではそれが目の前にあるということになっている)「浦の苫屋」というものを読んでいる。しかしこの歌の中心は「浦の苫屋」よりもむしろ、そこに「花も紅葉もない」という点に向けられているのですね。さらに言えば、定家はそれに対して感想を漏していない。もちろん、それは「……という光景を私は美しいと思った」ということを読者に読みとらせようとしているのであって、彼が価値判断を停止しているわけではないのですが、例えば寂連が寂しいといい、西行があわれといったような、定家の肉声としての感想、それも、美的な価値判断ではなくて感想は、漏されていない。風景だけを切りとって、投げ出している。それが一層、歌の印象、歌のなかにある風景の印象を、読者につよく意識させるような構成になっています。

 これはいったいどういうことなのでしょうか? 花、紅葉、と言えば、平安時代の美意識、王朝の古典和歌におけるもっとも正統的な美意識を代表するものです。それが「ない」という風景を、わざわざ歌に詠み、読者に提示してみせる。ここでは「ない」という強い口調で否定しているわけですから、今まで見てきたような、実際には存在しないものを言葉のイメージによって意識のなかに存在させる、という技法は用いることができません。第一、そうしたねらいによる歌にしては、あまりにも「花も紅葉も」という言葉がなげやりで、紋切り型であり過ぎる。ここは三音と四音を連ねて一句を作っているのですが、これは日本語としては七五調の次にリズムのあるものです。つまり、言葉を充分に吟味しなければリズムだけが先行して、中身が空になってしまうおそれのあるもの。ここの「花も紅葉も」が中身は空だとは言いませんが、リズムに内容が追いついているとは言えないし、どうも言葉の勢いや調子で、内容の月並みさやイメージの乏しさを押しきってしまった感があります。つまり、ここでは、ほんとうになにも「ない」ということだけを、定家は言おうとしているのであって、だからこそ紋切り型の表現を用いたのではないでしょうか。

 つまり「花も紅葉も」というのは、詩ではない。あるいはレトリックではない。ではなんであるのかと言えば、それは、自分の考えていることを正確に読者に伝えようとして用いる表現技法、つまりロジックなのではないでしょうか。なぜなら、ロジック、言いかえれば論理を進めるための表現技法とは、なによりもまず読者の理性に訴えかけ、納得させることを目標としている。そのためにはレトリックや詩の言葉と違って、空虚でもいいからわかりやすく、理解しやすい言葉を選ぶ必要があるのです。そして、そのためには、時として紋切り型、月並みな表現をさえも厭わない。つまり、「花も紅葉も」というのは、内容を述べるための手段に過ぎず、言葉という手段そのものの美を追究しようとする詩の表現とは、少し性格を異にするものにほかならないのです。ぼくたちは、ここに詩情よりも、それをとおして語られる論理を、あるいは思考を、求めるべきであるらしい。

 さて……。やはり、この歌を理解するにはどうも手持ちの駒だけでは不足のようです。もっと視野を広げてみることが肝心なのではないでしょうか。じつはここでぼくが考えてみたいのは、モダニズムというものなのです。

 モダニズムというのは、十九世紀末から一九二〇年代にかけて完成された、主に文学を中心とした芸術運動です。一般的には、単なるハイカラ趣味というふうにとらえられがちですが、実際には十九世紀後半に芸術界を席捲した浪漫主義に対する強烈なアンチテーゼとして出発したもので、表面的な部分で言うと、初期は世紀末的悪魔主義、頽廃、爛熟、などに出発して、後期の伝統重視と清新な感覚美を作品の基調にしています。文学者の名前で言えば、初期の代表者がボードレールとフロベール、後期がジョイスとプルースト、中期、というか、初期から後期への変化を体現したのが谷崎潤一郎(『刺青』から『細雪』へ、ということですね)、そして、後期のモダニズムをさらに発展させ、新しい文学世界を作った超モダニズムの作家としては、フォークナー、ボルヘス、ガルシア=マルケス……。とてものこと、彼らの華麗な文学運動のすべてを紹介するだけの才能も紙幅もないので、今回は特に初期から一貫してモダニズムを貫くモデルニテ(現代性。これが重要)という意識を考えることにします。

 モデルニテという言葉を最初に使ったのは、モダニズムの嚆矢、ボードレールです。彼の美術批評のなかでこの言葉が使われたとき、モダニズムが出発したといってもいいでしょう。ボードレールは、当時の風俗を描いた絵を前にして、この絵にはモデルニテがある、と言います。風俗、というのは、要するに流行(服でも、髪型でも、仕草でも、習慣でも)のことですから、流行のなかに現代性があるのは当然のことではないか、と思われるかもしれません。ところがボードレールはさらに奇抜なことを言うのですね。そういうモデルニテ、現代性のなかに、永遠の真理や美があるのだ、と。流行とは消えさるものです。つねに新しいものによって革新される、はかない、つかの間の生命しか持たない、そういうものが流行でしょう? 例えば、今では女性が黒い服を着ますが、これはココ・シャネルが第二次大戦のあとに仕掛けた流行なのです。それ以前は、もっと華やかな色を着るのが粋ということになっていた。

 モダニズム以前の、浪漫主義の人々は、そういう流行というものを軽蔑していました。我々はそういうはかない虚飾に踊らされず、永遠不変の美と真理を追いもとめるのだ、それらは、もっと別なところにあるのだ、というのが彼らの主張でした(ついでに言えば、そういう英雄的な行為に詩情を感じるのが浪漫主義の美意識でした。つまり、物語のような格好よさに憧れたんですね。物語は、フランス語でロマンですから)。だから……、浪漫主義の嚆矢として彼らがやたらと崇拝したベートーベンという男は、お洒落が下手で社交的な能力に欠け、でも、真の芸術を追いもとめる熱意と理想の人、だったわけなのです。華やかなモーツアルトではダメだった。ショパンもちょっとイメージが違った。ベートーベンだからこそ、ロマン・ロラン(『ベートーベンの生涯』)も武者小路実篤(『友情』の最後でベートーベンの肖像彫刻が出てきますね)もあんなに崇拝したのです。

 ところが、ボードレールはベートーベンの軽蔑したものに感動するのですね。彼はこんなことも言っています。街角でどこのだれとも知らない女の人とすれ違った。その人の美しい印象だけが残る。それがモデルニテだ、と。象徴的な話でわかりにくいかもしれませんが、つまりこれは、浮薄な流行であろうと、それが美しいものである以上、その底に、いつの時代にも変らない永遠不変のものがあるのではないか、ということなのです。例えば、モダニズムの詩の特徴として、小唄ぶりというのが挙げられます。これは、詩でありながら、流行歌の一節のように甘くて軽みのあるものを言います。文学用語ではライト・バースとも言いますが、例えば、詩は母国語のもののほうが皮膚感覚で解るでしょうから、堀口大学の

  八百屋お七が火をつけた
  お小姓吉三に逢ひたさに
  われとわが身に火をつけた

  あれは大事な気持です
  忘れてならない気持です

という作品(八百屋お七というのは、火事で焼け出されたお七という娘が、一家であるお寺に身を寄せるうちに、そこのお小姓に恋をしたものの、やがて家も元どおりに建ち、気持を伝えられないままに寺を出ていくことになった。恋心のやまぬ彼女は、もう一度火事になれば恋しい人に会えるかと、ついに自分の家に放火し、未曾有の大火を引きおこしててしまう、という江戸時代の実話)。

 この詩などは七五調でリズムもよく、題材が俗受けするような話で(実際に歌舞伎にもなっています)、悲恋ものの甘口の抒情です。それを大学は平気でうたう。きっと浪漫主義の詩人(例えば高村光太郎)は眉をしかめたことでしょう。でも、この詩はそういう口当りのよさだけではないのですね。「あれは大事な気持です/忘れてならない気持です」と、ほのかな苦みで締めくくる。
 江戸時代、放火は大罪ですから、お七は最後には火あぶりによって死刑に処せられます。たしかに世間的な倫理観からすれば、みずからの欲望のためになんの罪もない多くの人を犠牲にした彼女は、非難されてしかるべき対象でしょう。しかし、そこまでして恋しい人に逢いたいと思う心、世の中のすべてを犠牲にしても自分のたしかな想いを貫きたいという心のうちには、真実があることもたしかなのです。そこには、みずからの真情のためになにもかもを捧げて悔いはない、という、苦くて、勇気の必要な真実がある。だから、たとえ世の中の倫理がどうであろうとも、お七の気持は「忘れてならない」ものなのです。そして、それを大学は軽やかで明るい、場合によっては浮薄にすら見えかねない口ぶりで歌う。けれども、そこにある抒情は決して甘いだけのものではない。お七の悲しい決断が描きだす、人間というものの「真実」の苦みが見えかくれしているのです。
これが小唄(流行歌)そのものと、小唄ぶりとの違いなのです。流行のなかにある、永遠なものを抜きだして、甘口の抒情を残しながら、しかし同時に、そうしたものの持つほのかな苦さやくるしさを添える。そうすると両者が見事にひきたてあうのですね。歌舞伎役者は口紅をきれいにひくために、口の端に墨をぼかすそうですが、ちょうどそういう関係になっている。ライト・バースの詩をもうひとつ。谷川俊太郎の『ベートーベン』。

  ちびだった
  金はなかった
  かっこわるかった
  つんぼになった
  女にふられた
  かっこわるかった
  遺書を書いた
  死ななかった
  かっこわるかった
  さんざんだった
  ひどいもんだった
  なんともかっこわるい運命だった

  かっこよすぎるカラヤン

甘口の抒情の代わりにおどけた口ぶりが小唄ぶりをなしています。その裏側にそっとただようベートーベンへの敬意が見事。

 こうした詩を読んでいただければ、モデルニテというものがちょっとずつおわかりいただけたのではないでしょうか。それは、俗悪な流行のなかに、真実や美を見出そうとする美意識なのです。浪漫主義者たちが賞賛した高尚で、孤高なもの(具体的に言えば、「生活」ではなく「芸術」、それも、バッハやルーベンスのような、生活と溶けあった芸術ではなく、純粋芸術)だけに、美が宿るのではなく、それらは普遍的に一過性の流行の底にも宿っているというのが、モダニストたちの主張なのです。ですから、ボードレールはこうも言っています。「文明が頂点に達したとき、そこには自然とモデルニテが生れる。だから、ローマにも古代中国にも、モデルニテはある」。浪漫主義の歴史観は、いわゆる発達史観というもので、直線的な人類の進歩というものが基礎になっています。つまり、今日の文明は昨日の文明より発達している、ということ。それからすると、このモダニストの文明観はまったく異ったものなのですね(こういうのを循環史観、つまり発展したものが衰え、やがてまた発展しはじめる、という繰返しで歴史を見る)。浪漫主義者たちが、内心野蛮で、自分たちより劣っている、と思っている時代や社会のなかにも、永遠の真理や美があるのだ、と主張しているわけですから。

 さらに言えば、ボードレールの詩集の題名は『悪の華』ですね。これもこうしたモダニズムの美意識に貫かれています。浪漫主義というのは、要するに価値というものを真善美に置きました。真実であり、善であり、美しいものに永遠の価値があるのだと考えたわけです(結果として、浪漫主義の文学者にはずいぶん人格高潔な人々が多くなりました。ロマン・ロランとか、ヘッセとか、志賀直哉とか。そして、小説はややもするとお修身の教科書のようになりました。むやみやたらと立派で、しかもあまりおもしろくない)。ところが、ボードレールはそれに対して、「いや、悪いことも美しいですよ。神ではなくて、悪魔でもいいんじゃないですか?」という態度を取った。それまで一極的に支配されていた美の価値を、複数のものに(つまり、神と悪魔と両方とも美しい、という態度)開き、相対的な価値に置きかえた。俗悪な悪魔主義や、爛熟や、頽廃もまた、美しいということを発見した。─これが谷崎潤一郎や川端康成を刺激して、本格的な日本のモダニズムが出発します。

 ここまで述べてきたのが、ボードレールの言うところのモダニズムです。そして、もうひとりのモダニズムの開祖、フロベールがこれをさらに新しい方向へ拡大した。フロベールと言えば、『ボバリー夫人』という小説ですが(ちなみに、この小説と『悪の華』は同年の刊行)、これ、実はとんでもない小説なのです。内容は、人妻が不義のすえに身を滅ぼす、という、まあ、言ってみればフランス小説にほとんど無数にあるといっていい話なのですが、設定がすごい。主人公のボバリー夫人というのは、片田舎の医者の奥さん、つまり社交界なんて実際には知らないような中流階級の女性なのです。これがどんなに異常なことか、例えば浪漫主義小説のなかで似たような筋を持っている、スタンダールの『赤と黒』やバルザックの『谷間の百合』と比べてみましょう。『赤と黒』の副主人公ともいうべき女性も(主人公ジュリアンが出世のために利用して捨てる人妻)、『谷間の百合』の主人公も、歴とした爵位を持った貴族の妻なのです。美貌と教養を兼ねそなえ、読者にとって充分憧れの対象となりうるような、いかにもロマンチックな登場人物である。だからこそ、彼女たちの悲劇を読者は切実に感じ、いっしょにため息をつき、場合によっては涙を流すことができるのですね。美しい人の内面には、美しい物語がある、ということ。逆に言えば、美しくないことは全部省いてしまうわけです。

 ところが、『ボバリー夫人』はそういうわけにはゆかない。中産階級の人妻であれば、男ごころを籠絡するための衣装や化粧、香水を買うお金をどうにかやりくりしなくてはならない(しかも、夫に内緒で)。華やかな舞踏会に出られるような身分のない彼女は、小説を読んで渇望をいやし、けれども、自分の現実の生活(特に趣味が悪くて無教養な夫)を思い出して現実に引戻され、絶望する。フロベールはそういう、美しくない部分を徹底的に描きます。『赤と黒』や『谷間の百合』が完全無欠な美しさ、美しくない部分をすべて排除した小説であるならば、『ボバリー夫人』はその対極にある。言ってみれば、この小説は『赤と黒』や『谷間の百合』に対して、暗黙のうちにそのパロディになっているのです。雅でない世界、俗な世界にも、それなりの悲劇がある。そして、それは多少俗悪で滑稽かもしれないが、その内側には、やはり雅な世界の悲劇とかわらないものが流れている。モダニズム小説としての『ボバリー夫人』は、そうした考え方に裏打ちされているようなのです(ちなみに言えば、モダニズムの特徴として、非常にパロディを重んじるということが言われます。『ユリシーズ』はホメロスの、『細雪』は源氏物語のパロディですね)。「ボバリー夫人は私自身だ」という有名なフロベールの言葉がありますが、これも、あるいは「貴族でない私のような、真善美の美しさから遠い私のような人間にも、やはり人間としての悲劇があるのだ」ということを言おうとしているのかもしれません。

 モダニズムとはつまり、美は、一見美しくないもの、真善美から遠いもの、俗悪なもの、にも宿っているのだ。真善美だけが価値ではない。美は相対的だ、という考え方なのです。

 さて、定家の歌。この歌は、モダニズムの歌、それも、『ボバリー夫人』ふうの歌なのではないでしょうか? 上に書いたように、ここにあるものは決して王朝の美ではありません。むしろ、それと対立するような、新古今の語感で言うとすれば「すさまじ」い世界です。

 たしかに、古典和歌のなかでは、海や海人(海辺で漁業や製塩などに従事する人)は好んで詠まれる歌題です。当時の身分の低い人々のなかでは、いちばんよく和歌に登場しますし、歌人たちは水辺の風景を愛してもいました。しかしながら、それらはあくまで題詠としての題材に過ぎず、目の前にある情景を実際に詠んだものではありません。海といい、海人といったところで、それは歌人たちのなかで観念化され、ひとつの風雅を意味する記号として(例えば、藻を焼いて塩を作る光景は、待ち人に胸を焦がす恋心の象徴、といったふうに)扱われたものなのです。つまり、そこには定式があり、様式があったわけで、例えば海人という田夫野人、つまり風雅ならざる人々を、どう詠めば歌という風雅の世界のなかに定着させることができるか、という方法論がすでに確立されていたわけです。何をどう扱えば優雅であるかがきちんと定型化されている状態、これは古典主義にほかなりません。バッハのフーガとおなじで、どういう題材をどういう形式で扱えばいいかがはっきりとしている芸術の流れです。古典和歌で言えば、この古典主義を定着させたのが、古今集、後撰集、拾遺集、という三つの勅撰和歌集。

 ふつうは、古典主義の次に来るものが浪漫主義です。固定化された題材と形式の結びつきをゆるめ、主に形式の面を革新する。例えば、ベートーベンを境にしてソナタが四楽章から三楽章へと変化しました。これなどは、典型的な古典主義から浪漫主義への移行でしょうね。ただし、この場合重要なのは、内容というか、美意識の面では古典主義と浪漫主義というのはそんなに変らないものである、ということ。両方とも真善美、つまり、美しいものだけに美を見出すという態度は半ば共通しています。古典和歌では、おそらく金葉集、詞花集などの時代がこれにあたるはず。奇抜な表現が増えてきます。

 モダニズムというのは、ほんとうにむつかしい芸術運動なのですが、一言で言ってしまえば「言葉は古く、心は新しく」ということになるでしょう。形式の面ではあまり新奇なものを追いもとめない(ここが難しいところなのですが、その形式を支える小説や詩の技術面ではかなり実験的です)。プルーストの『失われた時を求めて』や谷崎の『細雪』『卍』『蓼食ふ虫』なんて、これぞ小説の王道ともいうべきオーソドックスな作りで、きちんとお話らしいお話である(例えば『城の崎にて』の起承転結のなさと比べてみてください)。パロディが多いというのも、古い形式に新しい内容を盛る、という事情をよく表しています。─その一方で、モダニズムの内包する美意識というのは、上でさんざん説明したように、非常に新しい。それまでの美に対する意識を根本からひっくり返すようなものである。

 見わたせば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮。どこにも、奇抜な言葉はありません。古典和歌としては普通の言葉しか使っていません。あえて漢文風の言葉遣いをしたり、字余り、字足らずで実験的な手法を駆使する、ということもしない。けれども、そこにある美意識はまったく新しいものである。古くて新しい。昔の形式に今の心を盛る。だからこの歌集は、新「古今」集なのですね。

 見つめ直すと、ほんとに「すさまじ」い情景を詠んだ歌ではありませんか。花もない、紅葉もない、風雅も、優美も、なにもない。ただ、粗末な家だけがぽつんと立っている。もちろん、この歌は題詠です。詞書に、「西行のすすめで百首の歌を詠んだうちに」とあります。眼前の情景を詠んだものではない。でも、作者の感情や感想を一切排除したこの歌は、なんの中間的存在もなしに読者にせまってくる。ない、ない、ない、と歌そのものがつぶやいているようですらある。秋の、思いがけずも激しい夕暮の日ざしが、そのすさまじい風景に照りつけている。それだけを、ぶった切るようにして、言葉で切りとって、定家はぼくたちのまえに放りなげています。タッチはセザンヌのように粗く、しかし、画面には人をひきつけるつよさが満ちている。─いったい、この歌はなんなのか?

 すさまじ、というのは、要するに美しくない、ということです。王朝の美意識には合わない。優美でなく、風雅でない。雅の世界からは遠い。そして、例えば、和歌のなかに詠まれてきた海士たちのように、「風雅ではないという風雅さ」さえ持ちあわせていない。ちょっと泥臭いところをあえておもしといと考える田園趣味さえ拒否するような、すさまじい光景。それが、この歌の詠んだものなのです。最初のところで書きましたが、ほかの三夕の歌が、しみじみとしたあわれ、しみじみとした寂しさを詠んだものであるとするならば、この歌はそれとはまったく違うものである。ここにあるものは、そういう優美な寂しさではないのです。「腸をつかむような寂しさ」と書きましたが、まさしくそうとでも言うよりほかない、ものすごいような寂しさです。西行や寂蓮の歌は、うまい表現が見あたらないのですが、人間を肯定するような寂しさでしょう。この歌にある寂しさは、人間を拒絶している。それを見る者のこころを全否定するような、そういう寂しさです。しかし、そういう寂しさは、古典和歌の寂しさではない。

 古典和歌に詠まれている正統的な寂しさとは、結局のところひとつの美意識なのです。西行の歌にあるように「あはれ」と思う心とつながっている。しみじみと、かすかな哀しみをともなって、対象を美しいと思う情感。それが歌人の孤独感と微妙に重なりあったとき、古典和歌の寂しさが生れるのです。秋歌にはそうした寂しさが随所に詠みこまれていますが、それは、定家の詠んだ光景とは相反するものであるのです。

 しかし……、そうかといって、こうした定家の寂しさがまったく孤立したものかというと、どうも、そうとも言いきれない節もあります。たしかに、定家の歌と、西行、寂蓮に代表される歌の「寂しい」は違う。違うけれども、それはまったく別なものではないのです。やはり、孤独であること、対象を美しく、哀しく思う点では共通のものをかすかに持っている。相反するものではあるけれども、西行、寂蓮をつきつめてしまえば、最後は定家にゆきつかざるを得ないという一面があるのではないか? ―寂しさを追求すれば、最後はなにもないという無の寂しさにゆきつくしかないのです。それは、一見違うものでありながら、じつは同根のものでもある。

 つまり、定家がこの歌で言おうとしたことは、寂しさは優雅のなかにだけあるのではない、ということなのではないかと想うのです。寂しさは、美しいものだけにあるのではない。鴫立つ沢や槇立つ山にだけ、そういう感情が宿っているのではない。彼は、そうした王朝の美を否定はしません。モダニストは浪漫主義者とは違って、伝統を尊重します。けれども、それだけではない、と、定家は言う。鴫立つ沢や槇立つ山をつきつめれば、そこには「浦の苫屋」のなにもない光景が存在するのではないか? それは、古典主義的な美に対する挑戦でありながら、反乱ではなく、伝統を重んじながら、個性を打ちだす態度であって、ここで、彼は、自分の前に蜿蜒として重ねられてきた伝統のなかから新しい美意識を抜きだして見せたのです。それが、「わび」の美しさであろうとなかろうと、そういうことはどうでもいい。ただ、定家は『ボバリー夫人』や『悪の華』とおなじことを、数百年前の極東の島国で、和歌という形式を使ってやっただけに過ぎないのです。十三世紀のモダニストは、浦の苫屋のなかにモデルニテを見たのです。

 ボードレールの言葉を逆にするなら、この時代には、まさしく「文明」があったということ。定家と、彼を取りまく新古今集という時代には……。


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