雪香楼箚記

恋(4)_君だにも






                                      読人しらず
       君だにも思ひ出でける宵々を待つはいかなる心地かはする










 新古今集巻十四「恋歌四」の巻頭は、

                            藤原実頼
  宵々に君をあはれと思ひつつ人にはいはで音をのみぞ泣く

という藤原実頼(平安中期の歌人)の歌にはじまり、これはその返歌で、巻十四の二首目です。作者は女性で、新古今集では「よみ人しらず」となっていますが、中務という名前がわかっています。「夜ごとにあなたを恋しく思って、人にはそのことを言えずに、ただただ声を立てて泣くばかりです」という相手の歌を受けて、つめたいあなたのような人でさえ、夜ごとについつい、おいでてはくださるまいか、などと思いながら待ってしまっている私が、どのような心でいるかおわかりですか、という歌意。中務は、古今集の歌人、伊勢の娘。後撰集時代にかけて活躍した人です。親子二代の女流歌人。

 使っている言葉そのものはあまりむつかしくはありませんが、助詞がじつにうまく効いている歌です。たとえば、「だに」、「宵々を待つは」、「かは」など。「君だにも」というのはいかにも古典和歌だと思わせるような表現で、「だに」という助詞があるだけで、「君」がどのような人としてとらえられているか、ということがわかる仕掛けになっています。つまり、「あなたでさえ」と言っているのだから、作者のつよい恋慕の情に相応しないような態度の男、ということを言外に読みとることができます。限られた字数のなかで内容をふかめようとするなら必然的に生れてくる工夫ではあるのでしょうが、言葉というものが、「意味」としてだけではなく、「働き」として認識されているからこそ、こういう用法が可能になるのでしょうね。ついでにいえば、ここで使った「だに」の一言が、最後の「それでも恋しく思われるのです」というあたりにもういちど効いてくるわけで、じつに芸が細かい。

 宵々を待つは、というのもなかなかいい表現ですねえ。ここは、本来ならば、「宵々に君を待つは」とゆくべきところなのでしょうが、君という言葉はこの歌全体の中心でもあり、一首を通じて強調したいものでもあるために、初句に据えてしまい、残った「宵々」と「待つ」で句を作った結果がこうなったのです。注目すべきなのは、「宵々に」を「宵々を」へと変えた点。ここが「に」であるならば、この部分は「待つ」という動作が行われた時を示す副詞句になります。とこが「を」とした場合には、「宵々」は「待つ」という動作の目的語(対象)になります。この差は決して小さいものではない。ここを副詞句にしてしまえば、歌の調べはよく通ったものになりますが、読者に訴えかける印象としてはずいぶん弱いものになってしまう。「を」としようが「に」としようが、意味に大きな違いは生れないのですが、作者と恋人の関係を匂わせるうえで、まったくと言っていいほどのニュアンスの差が生じます。夜ごとに待っているのならば、作者は要するにふつうの女性であり、恋愛の主導権は完全に待たせている側に握られているようにしか見えません。目立つのは作者の置かれている受動的な立場だけであって、歌としては大したものではないと言ってもいいのではないでしょうか。それに対して、ここを「を」とした場合は、「待つ」という述語が目的語を取ることで、その主語(ここでは省略されている「私」)が急に明確な存在になってきます。歌の作者が、待たされているのではなくて、自ら待っているのだという印象がつよくなる。歌の輪郭もはっきりとしまったものになり、作者の個性というものがよく見えてくる。

 この歌の見どころのひとつは、そういう、歌人の心のなかの動きではないのでしょうか。この作者がのぞき込んでいる自らの心のうちは、じつに複雑です。まず、第一に、恋人のことを愛している。しかし、つめたくなったように感じられる彼のことを恨みに思ってもいる、だから切なく、悲しく、やりきれない(第二)。それゆえ、そんな男のことなどもう思うまい、忘れてしまおう、と考えている(第三)。けれども気づいてみると、男がやってきてくれないだろうか、と、無意識のうちに期待を抱きながら待っている自分がいる(第四)。そんな自分の気持に気がついて、少しおどろいているが(第五)、さりとて、実際にその恋人から「あなたのことが恋しくて恋しくて」などという手紙がきたりすると、恋しさよりも悔しさのほうが先立ってしまい(第六)、「私がどんな気持かおわかりなのですか?」という歌を送ってしまう。しかし、やはり、心のどこかに残っている恋心が、そこはかとなく歌のなかにはただよっている(第七)。これだけの、それぞれに矛盾する感情が、作者の心のなかにも、歌のなかにも、しっとりと存在している。例えば、そうしたこみ入った事情をすっきりと説明するために「宵々を待つは」という表現があるわけですね。あなたのことは「思い出ける」(それも、あなたのような人でさえ「思い出ける」)、つまり、意識して想っているのではなくて、ふっと、思い出してしまう、といった、あやふやな感情の対象である、と言いながら、しっかり、無意識のうちに、夜が来れば訪れを待ってしまっている。しかも、宵々に、ではなくて、宵々を待って過ごしてしまっている……。無意識と意識のあわい、理性と感情のゆらぎを、象徴的にあらわしているものが、この「宵々を待つ」という言い方なのです。

 しかも、そういった感情がどのようなものかおわかりですか、おわかりではありますまい、と、相手に問いかけているのが、この歌なのです。もちろん、反語(「かは」というのは反語の助詞)というのは、疑問とはちょっとちがって、疑問が「答えを求めるもの」であるのに対して、反語は「答えを求めないもの」です。つまり、相手に答えさせるのが目的なのではなく、相手に問いかけるようにしながら、自分の主張を(言葉にのぼせないうちに)相手に伝えてしまうのが反語というものなのです。だから、この場合も、意味上の重点は「おわかりですか?」のほうではなく、「おわかりではありますまい」というほうにあります

 けれども、それはあくまで「意味の上で」のことなのですね。言葉は意味だけではない。雰囲気や語感、それに書き言葉であれば、話し言葉において口調や抑揚、声の高低、大小、表情、仕草、などといったものにおいて表現されている細かなニュアンスまで、すべて言葉が責任を負って表現しなくてはならなくなる。ここに、言葉の意味だけではなく、働きを尊重しなくてはならない理由があります。働きといっても、機能の面だけではない。働きかけ、というものもあります。つまり、ひとつの言葉が、人間の意識や無意識の面にどのような影響を与え、言説(言葉で表されている内容、つまりこの場合は「意味」)に微妙な陰翳や影響をもたらすか、という点、要するに、人間の内面に対する言葉の働きかけですね、これを考慮に入れないと、大失敗してしまうことがある。「ごめんなさい、そんなつもりじゃなかったの」というのは、自分の書いた文章によって相手が思いも寄らぬ傷つき方をしたときの常套句ですが、本来はこういう言いわけはゆるされないものなのです。意味だけを見て、つもり(=働き、ニュアンス)を考慮に入れずに言葉を使っているとするならば、それは言葉をほんとうの意味で使っていることにはならないのです。

 では、反語の持つ言葉の表情、働きかけ、とはどのようなものであるか?意味としての反語を考えた場合、反語は疑問との違いを強調するかたちで説明されますが、働きかけとして考えた場合には、逆にその共通点が大切になります。つまり、反語は疑問の一変形にすぎないのであって、その眼目は、相手に対する問いかけの口調にある、ということ。この歌であってもその事情は変わりません。「私の気持がおわかりですか(おわかりではないでしょうね)」というのと、「私の気持がおわかりにはなりますまい」というのとでは、まったく歌の性格が違ってきます。前者は、相手に答えを預けるふりをしながら、そっとため息をつくようにして、自らの切ない想いをうちあけるようなやさしい趣であるのに対して、後者は、単なる切り口上です。こんなものをもらったら、関係もなにもあったものではない。仲違いどころか、一巻のおしまい、悪くすれば喧嘩です。
 会話にしても、書き言葉の会話である手紙のやりとりにしても、大切なのはやりとりということなのですね。投げたボールはきちんと受けとって投げ返さなくてはならない。それが社交というものであって、そのためにはまずなにより、自分が相手に対してどのような印象を与えているかに気をつける必要があるのですね。服装や髪型、会話や教養にしてもそうだし、それが言葉というものならば、言っている内容とともに、相手にどう聞こえているか、ということが非常に大切になってくる。そこに配慮が欠けると、見当違いのところにボールを投げてしまったり、相手から意外なところに投げられたりすることになってしまうのです。

 そうした事情を考えた場合、反語というものは、じつに興味深いものです。語りかけであり、問いかけでありつつ、一方で、毅然とした主張でもある。「おわかりですか」と問いつつ、その内側には「おわかりではないでしょう」というひとつの結論が、無礼でないだけのつよさを持って用意されている。甘えるように見えてひとりでしっかりと立ち、立ちさるように見せて相手にしなだりかかる面もある。そうした複雑な働きかけが、反語にはあるのです。

 そして、このような反語によって象徴される態度はまた、この歌全体に流れる複雑な感情の矛盾のなかにも言えることであって、それがこの歌の価値にほかならないのですが……。


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