雪香楼箚記

恋(4)_跡絶えて






                                      二条院讃岐
       跡絶えて浅茅が末になりにけり頼めし宿の庭の白露










 浅茅は、茅(かや)の一種です。丈の低い種類で、荒れはてた家にはつきものということになっていました。頼む、はすでに何度か説明しましたが、頼りにするというだけではなくて、あてにする、あてにして信じる、という意味を持っていて、恋歌で男女の約束を言うときによく使います。一首の意味は、おとずれも絶えはてたまま、お約束をあてにして待ちつづけた家の庭には、このように浅茅が生えるような有様になってしまいました、そのするどい葉先に、私の涙のような白露がたまっています。
 末に、浅茅の葉先、と、結末、を掛けているくらいで、あとはさして技巧といえるような技巧もない、素直な歌です。注釈書に本歌として挙げられている歌がいちおうあるのですが、恋歌、特に男の訪うてこないことを詠んだ歌に浅茅が登場するのは非常によくあることなので、どれほど作者が意識していたかははっきりしません。よしこれが本歌取りの歌だとしても、もとの歌より味いもずっと複雑で、比較してみてもあまり意味のあることだとは言えないでしょう。

 二条院讃岐は当時の女流歌人の大家。二条天皇に長く仕えたためこう呼ばれます(女官の名前は仕えた家の名前を上につけるのが正式で、宮内卿のように名前だけの人は、当代の上皇や天皇に仕えていることを意味します。宮内卿ものちの勅撰集では「後鳥羽院宮内卿」という名前になっています)。父は歌人としても名高い源頼政。源氏でありながら、平家全盛期に殿上人となった人で、老境にさしかかって、以仁王を擁して反旗を翻すも、平等院の合戦に敗れて自刃したという『平家物語』中の人物のひとり。

 浅茅が宿、という言葉もあるくらいで、荒れはてた屋敷にはこの植物がつきものということになっていると、最前書きましたが、これは必ずしも和歌だけの常識ではありません。むしろ、物語で取りあげられることのほうが多いのかもしれない。徒然草に、どの段だったかちょっと思い出せませんが、荒れはてたお屋敷から琴だか笛だかの音がして、さぞよしある人の住まいなのであろう、というのがありますが、これでもわかる通り(ご存知のように、兼好の趣味や美意識はかなり平安朝崇拝がつよく、この段もまさしくそうした類のものなのです)、もとはいい家の血筋なのに、零落して荒れはてた家にひとり住む姫君、というのは、平安時代の物語のなかではいちばん人気のある話だったようです。そこへ、美男子の(だいたい主人公は美男子です)男がやってきて、くさぐさ色事や恋愛模様があって、末はめでたく結ばれる。小道具として喜ばれるのは、姫君がかき鳴らす琴の音で、これが荒れはてたお屋敷の外まで聞こえてくるから、「ははあ、浅茅が宿ながら、さぞ美人の住んでいることだろう」ということがわかるのですね。

 ─どうも、平安朝の貴族たちはこういうお話が大好きだったらしい。よほどに影響されたらしい。その証拠に、源氏物語の「雨夜の品さだめ」(光源氏を交えた若者たちが宿直のつれづれに、お互いの恋愛観を語る場面。物語のはじめの方の帚木の巻にある)で、「浅茅が宿にうらぶれた姫君を訪ねるのなんか、イイですよね~」というやつが出てきます。それだけじゃない、その話をニヤつきながら聞いていた光源氏(彼はこの直前に、義母である藤壺の中宮という至高の女性と情を通じているので、彼らの恋愛の話なんか馬鹿馬鹿しくてニヤついているのです)だって、このあと、まさしく物語通りの「浅茅が宿」の恋愛をして、明け方、期待しながら恋人の顔を見てみると……、が~ん、さながら紅花染めのごとき色の鼻を持った姫君であった、なんて失敗をやらかしています(末摘花の巻)。光源氏のような男でもこんな失敗をするくらい、「浅茅が宿」の物語は魅力的だったのでしょう。

 と、いうように、この言葉には物語の影響がつよく感じられます。定家、後鳥羽院、式子内親王、慈円、家隆、といった人々の師であった俊成が「源氏見ぬ歌詠みは遺恨のことなり」(源氏物語を詠んでいないような歌人は残念に思います)と言っているくらいでして、新古今集の物語尊重の態度は異常なほどです。

 当時は、平安朝の宮廷文化がすでに下り坂を迎え、政治的実権は鎌倉幕府の手に渡り、貴族たちの経済的、物質的な基盤もそろそろあやうくなりはじめていた時期でした。むろんのこと、豊かな財力と社会の安定を背景にしていた、源氏物語や枕草子のごとき優雅な貴族生活はすでに不可能になりつつあり、しかし、それに変わるべき文明はまだ登場せず、新古今集の歌人たちは過去の文明のなかを空想によって生きるしかなかったのです。彼らの歌の多くが題詠であることは、それなりの文学的主張のあってのことですが、一面から言えば、もはや社会的な事情が彼らをして、光源氏や藤原道長と同じような生活を送ることを許さなかったため、実生活のなかで優雅な歌を詠むことのできる機会が極端に制限されざるをえなかったという事情があるからにほかなりません。華やかな管弦の遊びや、季節ごとの宮中行事、時の権力者である摂関家の催す宴、といったものが、実生活の上から消え去った以上、定家や俊成たちが、そうしたハンデを乗りこえて古今集や拾遺集のような豪奢な歌を詠もうとすれば、必然的に源氏物語や伊勢物語の世界に逃避し、そのなかで空想にもとづく題詠をおこなうしかなかったのでした(唯一の例外は後鳥羽院で、彼は政治的行動によって幕府を転覆させ、政治の実権を取りもどすことで、もう一度、貴族社会の栄華を復活させようとしました。それが承久の変ですが、結果としてそれは失敗し、隠岐に流されます)。ついでにいえば、この後、衰えてゆくばかりの貴族たちは、貴族文化最後の光芒ともいうべき新古今集を中心として、こうした、平安朝の文化を切り売りして幕末まで食いつないでゆきます。あたかも定家の和歌が平安朝の文化的遺産の上に花開いたように、彼らは祖先の作りあげたブランド・イメージによって糊口をしのぐよすがとしたのです。例えば、定家の子孫たちが和歌を売り物にしたのはむろんですが、近衛家は書を、土御門家は天文を、西園寺家は琵琶を、飛鳥井家は蹴鞠を、それぞれ表芸にし、その伝授料や免許料で生計を立てていました。

 要するに、この歌も、実際に讃岐の家に浅茅が生えていたわけでもなんでもないのです。ちょっと物語の姫君の気分になって詠んでみた、そういうことでして(なにしろ詞書きには「経房卿の家の歌合に、久しき恋を」とあります)、むろん、こういう態度は平安朝における古典和歌の常道ではあるわけですが、それが、讃岐をはじめとして、平安末から鎌倉時代の激動期を生き、衰運の王朝文明のなかに立たされなければならなかった歌人たちにとっては、また少し別趣の意味を持っていた、ということを言いたいのです。彼らの物語好きは、単なるロマンチズムでも、古典崇拝でもなくて(むろんそういう面もありますが)、自らの心のうちに文学的な火種をかきおこすためにどうしても必要なものにほかならなかったのです。

 さて、歌そのものに戻るなら─、跡というのは、人がいる痕跡、とでも言ったらいいのでしょうか? 要するに「人跡未踏」というときの「跡」だと思ってください。この場合は、人、それも、作者の恋しい恋人が、やってくる「跡」。それが、ずいぶん久しく絶えてしまっていて、もはや庭も荒れ放題になってしまいました、と言っているのですね。ちょっと言っておけば、平安時代の妻問婚というのは、言ってしまえば入り婿制度でして、お婿さんは正妻の家の資力によって生活します(中期をすぎるとこれがだんだん崩れていって、嫁取婚式になってゆきますが)。したがって、政治的な出世を狙ったり(藤原道長)、家柄はいいけど有力な後ろ盾がないので将来の生活が不安だったり(光源氏)する男は逆玉を狙います。そして、正妻の家の財力を背景に、ある程度の社会的地位を築くと、今度はいろいろさまざまの女性に手を出すわけですが……、そのなかのひとりに、「浅茅が宿」の姫君も含まれるわけです。こうしたところのお姫さまは、経済的な基盤がないので(だから屋敷の手入れもゆきとどかない)、いったん関係を結んでしまえば、あとは月々のお手当を出しておけば決して男から離れられなくなってしまうのです(うわぁ、ナマナマしいお話……)。離れると、飢えてしまいますから。つまり、側妾にはこれ以上ない、というような弱い立場の女性なのですね。だから、なんかの手違いで月々のお手当が来なくなっても、表立って催促なんかできないのでして、男の訪れがまれになって、ちょっと目を離すと、すぐに屋敷はもとの荒れ放題に戻ってしまう……、というのが、物語ではお定り。

 で、そこで、遠慮深い姫君が、お金のことはさておき、恋しい恋しいあなたに逢えないのはつろうございます、という、歌を詠んで送る。男はこれを見ていたく感動し、心ばえ、教養、まことにすばらしく、このような女のことをどうして忘れてしまっていたのだろう、と、またしげしげと女のもとに通うようになり、それに従って屋敷も美しく、身のまわりも豊かになって、末までながく契りにけるとなむ。まことに和歌の徳の素晴らしきかな、というのが普通の物語の展開です(もちろん、これには裏がありまして、遠慮がちな姫君が歌を詠むのは、召し使う女房があまりに強引に勧めるから。そして、女房が強引に勧めるのは、一に困窮状態をなんとか脱したいからであり、二に姫君の恋人といっしょにやってくる自分の恋人に逢いたいから、なのですね。当時、姫君と逢うためには、その家の女房と親密になるのがいちばんの近道で、いちどの逢瀬ののちは自分の従者にお下げわたし、というのがよくあるパターンです)。この歌も、たぶんそのあたりを踏えている。だから、いきなり跡絶えて浅茅になってしまっているのです。

 一首の眼目は、浅茅が末になりにけり、というところでしょう。上のほうで書いたとおり、ここは、末に、結末、と、葉先が掛けてある(この場合の「が」は「の」とおなじ働きをする助詞です)。浅茅が庭に生えるような結末になってしまいました、と、するどい葉先を見ながら彼女は言っているわけですね(その視線の先にあるものは……、歌の後半で紹介されます)。では、誰に言っているのか? これが案外に難しい。この歌を詠むはずの恋人に、か? しかし、それはどうも、歌に詠まれた心にはあまりそぐわないような気もします。相手に語りかけるにしては、この歌のなかにある作者の感情は、あまりに深沈としずみこんでしまっている。ここにあるのは、ひとりつぶやく口調であって、ひどく低い声であらわされるべき気持なのではないでしょうか。歌の中には直接的にはあらわれていませんが、ここで彼女が言おうとしているのは、「こうなることはわかっていました。好きにならなければよかったのに」という感傷のような後悔の念なのです。それは、来ない相手をなじるのではなく、自分の心に沈みこむものであって、ここでは、恋愛は外界にひろがるのではなく、内面へと深化されています。対象を求める恨み言ではなく、苦しみながら「わかっていたのに、どうしてあなたを好きになったのでしょう」と自らの心をいぶかり、今さらながら責める、そういう恋心が、この歌の「浅茅が末になりにけり」という一句からただよってくるような気がします。だとすれば、これは、相手に語りかけるものではない。むしろ、自分の内面に問いかけ、語りかけるものですね。

 しかし─、そうとも単純には言いきれない。なぜなら、「跡」という言葉、「絶えて」という言葉が、暗黙のうちに指ししめしているのは、愛しい人であって、この歌のなかで作者の恋人は決して軽い位置にあるわけではない。彼は、不在を通して一首のなかで非常に重要な位置を占めています。彼がいないからこそ、歌人は悩み、煩悶し、自らに問いかける。そして、そのことを彼女は無意識のうちに覚っているのですね。だから、この歌の後半で「頼めし宿」という言葉を使っている。「頼む」とは、この場合、相手の男に関る語です。それだけではない、彼が彼女に対して、かつて口に出して、「私を頼みにしてください、末を契りますよ」と言った、その「頼む」という言葉である。いわば、ここで、「頼めし宿」という表現はただの表現ではなく、ふたりの恋人の間で共有された思い出のなかから抜きだしてきた、重要なキーワードなのです。そのことは、作者とて充分に知っているはず。ここではいわば、頼め、にはかぎかっこをつけて使っているとでも思っていただければ正確なのです。つまり、この歌には、しっかりと男の視線を組みこんである。少なくとも、自分の心を相手に見せるという意識が、例え作者がつよく意識していないとしても、多少はある。だから、男との間で大切に共有している思い出の言葉を、かぎかっこつきで使った。文学における無意識の意識(あるいは、「無意識の意識」を演じる意識)です。

 だとすれば、ここで彼女は、ただ自分の内面に向けて問いかけているのではない。自分の内面に向けて問いかけている声を、相手に聞かせているのです。聴かせるのではなくて、聞かせている。あるいは、聞かせるふりをして、聴かせている。そうすることによって、自分の感情のなかに相手を巻きこんでいる。─だって、こんなふうに「あなたなんて……、好きにならなければよかったのね」と自らにつぶやく女性を目の前にして、ぐらっとこない男ごころなんか、あるはずがないでしょう?

 さあ、こうなると最後の五句目が難しいですね。初句はすらりと現状を詠み、それに続く二、三、四句で、ああいう巧緻な作戦にしたがって、切ない恋心を男に見せつけた。「……頼めし宿の」というところまではできている。あとはソツなくまとめたいところでもあるが、しかし、このまま素直に終わるのではどうもおもしろくない。それではちょっと平板すぎる。かといって、感情面をこれ以上掘りさげるのも、趣がない。

 こういう場合、新古今集の大きな特徴として、抒情から叙景に逃げます。いや、逃げると言ってはいけない。ぽんと違うところへとんで、しかも上手にかたちをつける。ちょうど、「その五」で説明した俳句のような呼吸で、説明がむつかしいのですが、要するに叙景と言ってもただの叙景ではない。そのなかに、あるいは、そこで描かれたもののなかに、なんらかの感情を表すイメージが含まれているのですね。こう書くといささか難しいようですが、この歌の場合は「庭の白露」です。浅茅が末、で出てきたイメージを上手に生かして、しかも、二句では、実際の風景の描写と言うよりも、単なる「荒れはてた家を意味する記号」という正確のがつよかった言葉のイメージを、見事にきちんとした風景描写のレベルにまでひっぱりあげて、かたちをつけている(浅茅が末、だけでは、この歌の映像的光景が今ひとつ結べませんが、これに、庭の白露、という言葉がつくと、茅のするどい葉先の質感やそこに宿る露のやわらかな重みまで、しっかりと頭のなかで像を結ぶでしょう?)。しかし、それだけではなくて、露は単なる情景描写以上の、心情語でもあるのですね。涙の象徴であり、はかない女の、あるいは恋に生きる人間の身の上の暗喩でもある。ここにいたって、二、三、四句の恋心はいよいよ切なさを増し、かつ、いささかの感傷と、人生の苦みを味わされるわけでして、「白露」の一言があればこそ、この歌はしっかりとひきしまった、美しい姿を持ちえたのです。さすがは名手。

 露のようにはかない女は、しかし、このように恋の苦さを真剣に味っているのです。そう語りかけてくるような歌。


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