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雪香楼箚記
恋(4)_風吹かば
藤原家隆
風吹かば峰に別れん雲をだにありしなごりの形見とも見よ
風が吹くと峰のあたりを過ぎ去ってゆくあの雲を、それだけを、この暁の別れの形見だと思ってください。
形見、という言葉は、古典和歌によく出てきますが、現在のそれとは意味するところが多少違っています。今では、形見というのは遺品というくらいの意味になっていますが、本来は、亡き人や不在の人をしのぶよすがとなる思い出の品、を指ししめす言葉にほかなりません。つまり、今、ここにはいない人の魂を帯びた品ということで、それを手渡すということは、「これを私だと思ってください」という意味を持ちます。だから、形見というのは、使い古した品を贈ってもいいわけで、むしろ、そちらのほうが、渡した人の魂がよく付着していて、形見の本義にかなっているということになりますね。死者の形見分けというのも同じことで、私は消えていなくなりますが、この品に魂が宿っておりますので、どうか私だと思って使って下さい、ということなのです。例えば江戸時代の人は、男なら刀剣、女性なら鏡、というのをよく形見にしましたが、これはこうした品物が、単なる品物ではなくて、特に人の魂を宿しやすいものとして考えられていたからです。刀も鏡も、よく神社にご神体として祀ってあるでしょう? あれは、神さまがそういった品物に宿っていると考えるからなのです。
こうした、「魂のついた贈り物」という考え方は、二十世紀になって、フランスのM・モースという文化人類学者の『贈与論』によって理論化されました。市場経済における交換(売買)とはまったく別なレベルのものとして、人間には贈与という行為があり、それは、魂の宿った品物のやりとりそのものに価値を見出すものであって、流通や商品経済といった、経済観念とは無縁の行為である、ということなのですが、こうした構造は、人間の社会の至るところに見られるとして、汎世界的な理論を展開したところから、彼の理論はレヴィ=ストロースなどに影響を与え、二十世紀の文化人類学のまったく新たな地平を開きます。─文化人類学というのは、理論より実例のほうがおもしろいのですが、あんまり挙げると煩雑になるうえに、かなり説明を要する特殊な例をモースはひいているので、ここでは、ぼくなりにアレンジしたものをご紹介しましょう。例えば、結婚指輪(最近知ったのですが、婚約指輪と結婚指輪っていうのは違うんですね……。おなじものかと思ってた)。これは、お金をどっちが出すかは別にして、建前上は結婚式で互いに交換、つまり夫が妻に、妻が夫に贈与することになっています。けれども、これは単なるプレゼントではないのですね。だって、結婚式の引き出物はフリーマーケットに出しても叱られませんが、結婚指輪はなくしただけで大問題になります。なぜか? 指輪には相手の魂がこもっているからですね。だから、指輪をなくしたということは、そのまま、相手の魂を捨てたということになる(だから喧嘩になる。オソロシイ)。そのほかにも、昔の恋人のラブレターが捨てられない、なんていうのも同じこと。
まあ、色恋に関係のない「贈与」もたくさんあって、ほんとはそちらが主流なのですが、それはさておくとして、こうした恋愛における形見の贈与は、それこそ万葉集の昔から歌に詠まれてきました。やはり、いちばん多いのは鏡ですが(あなたが旅だった今日からは、この鏡をあなただと思って大切にします、なんて歌があります)、そのほかにも、玉櫛笥、つまり櫛を入れる箱だとか、宝玉だとか、いろいろあります。また、こうした形見の変形のひとつとして、恋人どうしが朝別れるときに、互いの下着の紐(下紐)を結びあって、次に逢うまで決して解きません、と誓う風習もありました。それを守ることで、愛しい人と別れても、下紐にこめられた相手の魂といっしょにいる、ということなのでしょう。これは、古今集以降になっても非常に愛された歌題でして、ほとんど無数といってもいいほどの用例があります。
この歌で言うところの「形見」は、そうした古代信仰からはすこしズレていて、「あれを見たら私たちの恋のことを思い出してくださいね」という一種の記号のようなものなのですが、これも、いちおう系図の上では、上に書いたような、鏡や、玉櫛笥や、下紐の子孫です。たしかに雲はだれかのもの、というわけではありませんし、品物ではないのでなかなか人の魂などこめられそうには見えませんが、大事なのは、だれかが「あれは私たちの恋の象徴です」と言った、という事実なのですね。ずっと前に説明しましたが、こういうふうに、なんでもないものを捕えて、自分たちの恋というひとつの物語のなかで、ふたりだけに通用する特殊な意味を持たせる。これは、一種の「自己の神話化」でして、要するにここで、恋するふたりの間で共犯的に成立する「特殊な意味」というものが、すでにひとつの神話であり、大切な思い出になってしまうのですね。例えば、最初のデートで『ローマの休日』を見た恋人たちがいるとして、彼らはその映画を非常に大切にしている。記念日ごとにビデオを借りてきて見たり、ときどき冗談めかして「あ、今日の君はオードリーのお姫さまみたい」なんて言ってみたりする。ふたりにとって、『ローマの休日』はただの映画という域を超えて、互いの恋愛の象徴になっている……、そういう状態を思いうかべてもらえればいいのでして、このとき、『ローマの休日』はあきらかに神話化されています。
そうした神話化という行為は、一面ではある対象に向けて、ふたりの魂をこめるという作業でもあるわけでして、魂という言葉がぴんとこないのならば、気持や、大切な思入れと言ってもいいでしょう。つまり、空の雲や、『ローマの休日』は、ふたりの恋の象徴(記号)でありながら、単なる象徴という段階をとおりこして、かけがえのない思い出になっている(この過程が神話化)。それはもう、一種の形見としか言いようのないものであって、雲はすなわち恋人であり、『ローマの休日』はすなわちふたりの恋なのです。
と、言いながら、この歌のなかに登場する形見は、どうやら哀しい色合いを帯びているようです。
もちろんこれは後朝の別れを詠んだ歌ですので、上の句の自然描写はそのまま朝の空の光景です。朝とはっきりわかることばはないのだから、別に夕方や昼の光景でもいいではないか、と言えるかもしれませんが、それでは歌が意味をなさなくなる。この歌は題詠ですので、作者に恋人がいるかどうかはわかりませんが、少なくともこの歌は「作者が恋人(つまりいちばん最初の読者)に贈った歌」という想定で詠まれています。そうである以上、ここで作者は、恋人との間で共犯的な関係を成りたたせることに心を尽さなければならない。「あなたといっしょにこんなものを見ましたね、あんなことをお話ししましたね」ということを、相手に感じさせるような歌を詠まなくてはならない。そうすると、必然的に、ふたりで見た光景を詠んだ方が戦略的に有利になるわけです。そして、ふたりで見た光景と言えば……、朝か夕方(夜)の空でしょうが、これは別れの歌なのですから、出逢いの時間である夜というのは歌の性格上そぐわない。したがって、朝の空の光景を詠むしかないのです。
峰に別れん、というのは、「に」を場所を表す助詞としてとらえがちですが、ここでは「あの人に」というときの「に」のように対象を表す助詞です。現在では、別れるという動詞の対象は「に」よりも「と」で表すことが多くなってきたので、多少の違和感があるかもしれませんが、戦前の作家くらいまでは、よく「○○で、××に別れる」と書いていました。
上の句を通じて描かれているのは、ほんのさり気ない光景で、ごく淡彩の絵です。風が吹くと峰のあたりから過ぎさってしまう雲、それだけのことなのですが、これがじつにイメージの喚起力がある。風吹かば、という言葉ひとつとっても、朝風にさっと雲が流れてゆく光景が目に浮ぶようです。使っている言葉は必要最小限と言ってもいいのですが、それがなんとも言えない深みを持っているのですね。余情といってもいいかもしれません。朝の、ぼんやりとした光線のなかで、白っぽい雲が動く。それも、枕草子の冒頭に書いてあるような、明るく晴々としたイメージではなくて、あくまで嫋々たる余韻に包まれたひそやかな動きである。そして、一抹の爽快感(これはおそらく風のイメージの使い方のうまさ)が漂うふところのひろさ。
ありし、というのは、「あしり日」の「ありし」で、ある(動詞。存在する)の連用形に、し(過去の助動詞「き」の連体形)がくっついて、「存在した」つまり、「過去」とでも言うような意味の言葉ですが、ここではそれだけではなくて、要するに恋人どうしが一夜を共に過ごした、そのことを言っているのです。後朝になって、昨夜のことを思い出している。「なごり」というのは、ひとつの物事が終ったときの余韻、余情、余勢、ということですから、要するにこの句は、一夜を共にして今朝の後朝の別れに尽きない思いには、ということ。尽きない思いがどうなのかと言えば、その「形見」は、つまり象徴は、あの空の流れゆく雲なのですよ、ということなのですね。
ありしなごりの形見が雲だというのは、いったいどういうことか? つまり、ふたりで「雲が風に吹かれて、峰から別れてゆく。まるで私たちのようですね」と語りかけながら、「雲」という対象を神話化しようとする働きなのですが、それと同時に、この「雲」というイメージによって、恋のはかない行く末を暗示させている。風によって峰のあたりから過ぎさってしまったあの雲は、ふたたび戻ってくることはあるのでしょうか、というさり気ない疑問が、かすかに歌の裏側にこめられている。だからこそ、この歌の形見は、わずかに哀しい色を帯びているのです。そして─、ここまで詠んでおわかりかとも思いますが、この歌は男の歌ではない。作者が女の立場に身を置いて詠んだ歌です。そうでなければ、過ぎさってふたたび峰にはもどらないかもしれない雲、などというイメージを、女のもとから立ち去る男自身が詠むはずがないでしょう? 女はつねに、男を見送る側にいるのだから。
ここに描かれているのは、まさしくひとりの女性です。相手のことを想い、ふたりの恋の象徴を空に過ぎゆく雲にもとめながら、しかし一方で、この恋のはなかい結末をもうっすらと予感している、そういう女性。しかし、彼女は、その予感を前にして、まだ自分がどうすればいいのか見当がつかず、ただ予感におびえながら、必死に自分の恋心にすがることしかできずにいるのです。だからこそいっそう、ふたりの恋の象徴を求めようとする彼女の心が哀艶でもある。
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