雪香楼箚記

秋(2)_寂しさは






                                      後鳥羽院
       寂しさは深山の秋の朝曇り霧にしをるる槇の下露










 寂しさは、秋の深山の朝曇りに、霧にしめったような槇の木から落ちてくる滴を見るときにきわまる、というほどの意味です。槇は、現在言うところの樹木のことではなくて、秋になっても紅葉しない常緑樹一般を指しています。具体的には杉や檜ですね。

 この、杉や檜を詠む態度というのがじつに新古今歌人らしいものなのです。というのは、古典和歌に出てくる樹木は、梅や桜のように花が咲くものを別にすれば、あとは紅葉くらいのもので(紅葉というのは、楓のことではなくて、紅葉する樹木一般のことなのですが)、それ以外には唯一の例外として松があるくらいです。松は、常緑で年がたっても変化しないことから、長生きの象徴ですので、様々な祝いの歌のなかでよく詠まれるのですが、要するに、普通の抒情歌、叙景歌のなかで、紅葉しない常緑樹というものが詠まれることはめったにないのです。そうした槇、つまり、杉や檜を好んで取上げたのは新古今歌人のひとつの特徴で、彼らがなにに美を見いだしたか、ということを考える上での重要な要素になります。

 しかし、槇の詠まれ方は、新古今歌人たちのあいだではある程度固定したものでもありました。この、後鳥羽院の歌を見ても分るように、秋になっても紅葉しない槇を前にしてもの寂しさを感じる、というのが、ひとつの定型として詠まれていたようです。たしかに、秋の樹木としては、紅葉というすでに確立した題材がある以上、こういうかたちでの定型化はやむを得ないものだとは言えますが、しかし、見方によっては、この点に新古今歌人たちの特色があるとも考えられるでしょう。

 ……というのは、「寂しい」ということに美を見出したのも、新古今集だからなのです。見るべきものがない、伝統的な美意識に照らして評価できるようなものがない。そういう状況が「寂しい」という感情につながることは言うまでもないのですが、それをひとつの賞美すべき対象として歌に詠んだのは西行を先駆とする新古今歌人たちが最初なのです。すでに、秋の歌として何首か「寂しさ」を詠んだ歌を紹介しましたが、このような例は、新古今集以前にはほとんど見られないものであって、逆に言うならば、この時代の大いなる特徴になっています。例えば「すさまじ」という言葉がありますね。これは、平安時代までは「興ざめである」という意味で、美しくないものについて使われていました。けれども、新古今歌人たちを境に、「寒々とした美、荒涼とした美」を表現する言葉としてさかんに歌のなかで使われるようになっていったのです。こうした例は、ただ単に言葉の上だけでの問題ではありません。新古今歌人たちの創りだした「寂しい」ことへの美意識が、伝統的な王朝和歌のそれを革新し、従来ならば見向きもされなかった、荒廃美、荒涼美を、ひとつの美しさとして認識させるに至ったからなのです。それが、ある面においては「浅茅が宿」を非常に好む廃園趣味になり、ある面においては常緑の槇に見いだした「寂しさ」を一首の中心におく態度へとつながったわけで、華やかで豪奢なだけだった平安時代の美をさらに観念的な方向へ向けただけではなく、わびやさびの意識につながらこうした美意識を生み出したことは、彼らの大きな功績であると言えるでしょう。

 さて、歌にもどりましょう。深山は、みやま、と読みます。山の深いところ。人跡まれに、世を捨てた隠者が鹿や鳥の類を友として暮しているような場所を想像すればいいのではないでしょうか。鎌倉時代の文学の特色のひとつは、こういう隠棲趣味が大いにもてはやされた点でして、西行や鴨長明をはじめとして、栂尾の上人といわれた明恵(彼は山中で瞑想し、鳥と語らったという、アッシジのフランチェスコのような高僧で、独特の歌を詠む歌人でもあり、見た夢を克明に記した日記でも有名な人物です)などが人々に愛好されてました。

 朝曇り、というのは聞き慣れない言葉でしょうが、そのまま、朝の空が曇っていることです。万葉集に「旦覆」と表記されている言葉ですが、現在の研究では「たなぐもり」と読むべきところを、平安時代までの註釈書が「あさぐもり」(旦ははじめという意味で、一日のはじめだから朝)と誤読したのが影響したのであろう、というところまで推測がついています。あまり用例は多くない言葉ですが、耳になじみのないぶん、この後鳥羽院の歌のように上手につかうと、かたい響きがいい効果を生むようです。なんだか、晩秋の曇りの朝の、底冷えする感じまで伝わってくるような語感の言葉だとは思いませんか?

 しをる、は、現代語の「しおれる」とは少しニュアンスがちがって、湿気ということがつねに念頭にあって用いられる言葉です。つまり、はりを失う、という意味で「しをる」を用いれば、その原因は必ず湿気によるものということになります。この歌の場合は、「しをる」は、濡れるほどの湿気を帯びるというような意味ですね。

 下露、は以前に説明したとおり、梢などから降ってくる滴のこと。

 一首全体として、深山の秋の光景に寂しさを見いだした驚きのような気持を詠んだ作品ですが、「寂しさは」と正面からそれを詠もうとする態度は、さすがに帝王調の歌人であると言わざるを得ません。技巧をできるだけ排するという態度が端的にあらわれていますね。

 詠まれている情景は、言ってみれば幽寂という境地でしょうか。人気のないところで、一人の人間が自然と対峙していることの重みを充分に感じさせるだけの重厚な描写がじつに見事ですが、かといってこの歌は、決して大自然の前で人間の卑小さを歌ったものではありません。それよりはむしろ、だれも知らない深山のある表情を自分だけが知っている、という面に重点が置かれ、そうした「秘密」のやすらぐような存在感が際だっている作品です。あたかも、密室に取残された恋人どうしが秘密の時間を共有しているように、この歌の作者もまた、自然と一対一で対座しながら、「相手のこの表情は、自分だけが」というやさしい優越感のような感情を味っているのです。

 これは、やはり日本的感性、あるいは東洋的感性としての、自然観なのではないでしょうか? 東洋的、というと非常に誤解されやすいのですが、言ってみれば、この歌の核にあるのは汎神論的な精神構造です。古代神道は教義というほどのものもない日本の土俗信仰ですが、どこの地域においてもそうであるように、極度に汎神論的な世界観を持っています。ほとんど、自然崇拝、精霊崇拝と言ってもいいかと思われるこの宗教では、ほぼ、山ごと、谷ごとに神が宿るとされていました。神道が近代的な衣装を身にまとうにつれてこうした面はそぎ落とされていったのですが、その出発点においては、「なんだか人間以外のものがいそうな気がする」ところはすべて信仰の対象になっていたのです。むろん、人気のない深山の泉や岩はそうした信仰の好対象でした(特に、地表に低い岩がちょっと出ているような場所は岩盤―いわくら―といって、神の好んで宿るところであるとされていました)。つまり、神は、キリスト教のそれのように単一ではなく、山ごと、谷ごとに無数にいるものであったわけです。

 ちなみに言えば、キリスト教というのは、今では西洋文明とほぼ同一視されていますが、本質的にはヨーロッパのものではありません。そもそも一神教(キリスト教、ユダヤ教、イスラム教)というのがオリエント起源のものであって、ヨーロッパにはローマ帝国以降に広がった、外来のものです。そして、キリスト教以前のヨーロッパでは、ギリシヤや北欧の神話、ケルトの伝説などを見ても分かるように、汎神論的な世界が広がっていました。キリスト教は、こういう土壌の上に接ぎ木されたものに過ぎなかったために、とてもイエスが説いたもとのかたちではヨーロッパには受入れられず、かなりの面で汎神論的な古代信仰を取入れ、変質しながら社会に根づいてゆくことになります。したがって、キリスト教、特に旧教と正教会系は(先回りして言っておくと、新教は、教義解釈の面では、イエスに戻れという運動でしたので、こうした「不純物」を排除する方向で改革がなされています)、本来のキリスト教的でないものを数多く持っています。例えば、マリアや聖人に対する信仰は、汎神論の影響を受けたもので、イエス自身は、エホバの神のみが信仰の対象になる、と説いていますね。あるいは、復活祭(春分)、クリスマス(冬至)、ハロウィン(キリスト教以前の死者の日)、といった行事は、いずれもキリスト教とは無関係な古代の行事を聖書の記述に無理やり結びつけたものです。……まあ、それはともかく、西欧社会も、一見一神教のように見えながら、そのじつ、社会の深い部分には汎神論へとつながる古代信仰をしぶとく残しているということをわかっていただければいいのです。驚嘆すべきことに、あれだけ「非キリスト教的なキリスト教行事」を排除した新教国(要するにオランダ、イギリス、ドイツ、アメリカ、スイス、北欧諸国といった国のことですが)でさえ、冬至を祝う古代信仰の末裔であるクリスマスだけは捨てることができませんでした。キリストは十二月二十四日生れでもなんでもないのに……。

 さて、本論に戻ると……、汎神論的世界観では、この世の至るところに神様がいることになります。ことに、日本のような山がちの地勢のなかで、渓谷のたくさんある地方では、谷を単位とすると計算がしやすくなるので、ひとつの谷(ということは、ひとつの山ですが)ごとに神様がいる、という発想が生れます。これがミソですね。実際に、古代から集落は谷ごとに発生し(つまり水田の水源を共有する集落が最小単位になるわけです。こういう状況は、例えば丹波や肥後のような地域では戦国時代まで受継がれ、谷ひとつにつき領主がひとりという小豪族乱立の状況を生みました。山がちな地方では、愛知の信長や越後の上杉謙信のような広域を支配する戦国大名がなかなか生れにくかったのはそういう事情によります)、「谷すなわち村」という意識はすくなくとも江戸時代までは濃厚に続いていました。こういう国では汎神論が長持ちしやすいはずです。

 神が一人ではない。しかも、谷ごと、村ごとに一人ずついる、という発想は、相対的に神の権威を弱め(つまり、キリスト教の神様のように最後の審判をしたり、大洪水を起こしたり、という、人類全体の運命を左右するようなことはせず)、自己完結した世界があちらこちらにたくさんある、という精神構造につながります。後鳥羽院の歌に感じられる、「自分だけの秘密」としての自然は、つまりこれによるものなんですね。自分と自然との閉じられた関係。自然を神という言葉に置きかえればわかりやすいですが、それは、例えば後鳥羽院なら後鳥羽院にしかわからない固有のものであって、ほかの誰にも理解できないし、価値を持たない。そういう自己完結的な神と自分の閉じられた自分だけの世界が、人間の数だけ(神の数だけ)あって、それぞれに他者に向かって「どうだ、お前にはこれはわからないだろう」と言いあっている(むろん、後鳥羽院の歌は、そのような品の悪いものではなくて、その閉じられた関係のなかにみずからの安らぎを見いだしているのですが、本質的にはこういう考え方と変りません)。そうです、これは、まさしく、志賀直哉や小林秀雄の発想……。

 近代文学、特に小説というのは、神様にかわって作家がひとつの世界を創る、という発想によって書かれるものです。ところが、西欧社会ではまがりなりにも一神教的な精神構造が成立しているので、神様の座はひとつであり、逆に言えば、神様の創る世界はすべての人に理解できる(共有できる)普遍的なものであることが求められます。これを、司馬遼太郎は、G(神)にもとづくF(虚構、フィクション)と言っていました。両方とも大文字なのがポイントですね。ところが、日本の作家たちは、神様はたくさんいて、しかも自己完結している、という先入観がありますから、「個人的で普遍性のないものが小説である」という発想でものを書くのですね。その結果、なんだか読者にはわかったようなわからないような、どうも作家にとってだけ大切なことを書いている(らしい)作品が生れる。具体的には私小説ですが、要するにこれは、自分(神様の代理)と自分の創った世界の関係を「どうだ、お前にこれはわからないだろう」と言っているものなのですね(まあ、尾崎一雄のそれなんかはもっと淡々としていて、この、後鳥羽院の歌のような、自己証明のやすらぎというか、自分を問答無用に受入れてくれるものの提示、という感じですが……)。ちなみに言えば、小林秀雄は批評でそれをやっただけのことで、彼は要するに「この小説(あるいは骨董、歴史上の人物、哲学、思想、音楽、絵画等任意のものが入る)のよさはお前にはわからんだろう」という啖呵を切っているだけなのです(ですから、正確に言えばあれは批評ではない)。こういう状態を、司馬遼太郎はgによるfと言っています。

(ちなみに言うと、大江健三郎の小説が、私小説ふうでありながら私小説とは一線を劃しているのは、ここに理由があります。『静かな生活』でもなんでもいいのですが、彼のこの系統の作品は、決して自分の小さな神様gに対して、主人公が精神的に甘えないんですね。無条件の許しも求めない。そして、安らぎや救済を描くときは、なぜ主人公が許され、救済されるのかを徹底的に論理化し、文章として書きつづってゆきます。そうした態度は、例えば志賀の『城崎にて』と比較してみればわかりますが、『城崎にて』も『静かな生活』も、最終的に主人公には精神的な安らぎが訪れるのに、『城崎にて』では、その原因も、理由も、経過も、一切不明で、ただただ上手な文章で蜂が死んだり、蛙が死んだりする描写がつづられているに過ぎません。おそらくそれは、志賀のgが無条件に主人公=作者を受入れてくれるために、それについて説明する必要がなくなってしまうからであって、逆に言えば、その説明を省くことのできない『静かな生活』のような大江作品は、Gによって創られたFであって、私小説ではないんですね。)

 むろん、gによるfがいちがいに悪いとは言えない部分はあって、前にも書いたように、これは極度に個人的であるゆえに無条件に自分を受入れてくれる存在でもある。だから、安らぎを見いだせるんですね。徹底的にやさしく、どんなことをしてもゆるしてくれる。一種の甘えの構造とも言えるのですが、しかし、人間にとってなくてはならない精神のよりどころでもあり、ある程度までの存在証明、アイデンティティの代替物にもなる。その感じを、無言のうちに見せているのが後鳥羽院の歌なのです。ここで、彼は、自分だけの自然と二人きりの対話をしながら、無条件に自然のなかに自分を受入れてもらっている。その様子があまりにも美しく描かれているからこそ、我々はこの歌を読んだとき、「寂しさ」という言葉を前にしながらも、胸のなかになにか落ちつくような気持を持つのです。これはこれで、日本文学のすぐれた特徴であり、少なくとも志賀や小林よりは完成度の高い作品なのではないでしょうか。

 この歌の前でぼくたちは、後鳥羽院だけの秘密の秋景を、そっとのぞき見しているのです。


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