雪香楼箚記

秋(2)_入日さす






                                      源 通光
       入日さす麓の尾花うちなびきたが秋風に鶉鳴くらん










 夕日のさす山のふもとの、秋風になびく薄のなかでなく鶉のように、誰の心変りをつらく思って泣いているのであろうか。鶉はうずらですね。和歌のなかでは決してよく詠まれる鳥とはいえませんが、「憂し」との掛詞でたまに出てきます。源通光は、撰者、源通具の兄。

 恋歌としてもなかなかよくできた作ながら、秋の叙景歌としての素晴しい魅力のほうがなおいっそうまさるという一首です。尾花とはよく言ったもので、たしかに薄の穂は動物の尾にそっくりですね。しかし、それをさらに花に見立てる古人の感覚にはただごとでない詩情を感じさせられます。お月見のときに生けるのは、まだ穂のひらききっていない銀色めいた色合いの薄で、あれはあれで清らではかなげな印象を与えますが、晩秋になって、この歌に出てくるようにまさしく花のごとく穂がひらききった薄が、かすかな音を立てながら風になびいているのを見ると、なんとも季節にそぐわない豪奢な華やかさを思わせて、また別種の魅力があるものです。

 秋の夕日、というのは、唱歌にも歌われ、近代以降はことに愛された題材です。なのにその割には、古典和歌にはあまり作例を見ません。夕日や朝日に美を見る態度は当時の人々にはなかったようで、むしろ夜の月に絶対的な人気が集中していました。おそらくそれが原因ではないのでしょうか。しかし、それだけにいっそう、この歌には捨てがたいものがあります。

 前にも書きましたように、穂のひらききった薄といのは案外華やかというか、派手なもので、どこが「枯れすすき」なのだろうかと思うくらいなのですが、この歌ではさらに、それに加えるに秋の残照を以てしている。花薄が、晩秋の落日の色をすかして輝いている情景は、想像するだにほとんど猛々しいといってもいいような風情です。すくなくとも寂しいという感じではない。ましてや恋歌にひっかけて、それも男心の「飽き」を歌ったような歌であつかうにはちょっと不向きに思えるほどです。ところが不思議なもので、いざそれを歌に詠んでみると、この歌のように意外に平淡で、はかなさばかりが先に立つような感じになってしまうのです。これぞ古典和歌の七不思議のひとつでしょうが、じつは、以前からその理由の一つではないかとずっと疑ってきたものがあります。それが、「入日」という言葉遣い。どうもこいつがくせ者らしいのです。

 夕日、という言葉は古典和歌、あるいは鎌倉くらいまでの文章には出てきません。そもそも夕という言葉の示す時間帯が、現代とは違うからなんですね。今では夕方といえば五時から七時くらいまでの範囲をさして、日が暮れてしまえば夜ということになっていますが、古典の世界では「夕」というのは日が暮れる前後、つまり宵の口あたりを指していたらしいのです。ちょうど、現代語で「夕べ」というあたりの時間帯で、だから晩ご飯のことを夕食というのでしょう(あれを五時頃から食べてる家はいくらなんでもないですから)。もっと古く、万葉集あたりまでさかのぼると、朝の対義語として夕を使っているほどで、これはもう完全に夜の意味です。もちろん、照明の不便な時代のことですから、現在の言葉と単純に比較することはできませんが、薄暮のころは「夕」には入らなかったことだけはたしからしい。したがって、夕日という言葉自体が矛盾表現だったんですね。なにしろ、「夕」というのは日の沈んだあとなのだから。夕日に似た言葉として夕月日というのがありますが(ゆうづくひ、と詠む)、これなどは、「夕」に上る月の微光が、沈んだ直後の太陽の残光とひとつになっている様子を言ったもので、これを見ても現代の語義とはずいぶんずれていたことがわかります。

 だから通光は「入日」という言葉を使ったのにすぎないのですが、しかし、古典和歌を詠んでいる現代人にとっては、そこに重大な相違があるのですね。我々はもう、「夕日」という言葉が刷りこまれている。しかも、「夕日」という言葉と一緒に、あの入日の前後に西の空が紅に染る様子を美しいものとして鑑賞する態度も刷りこまれている。さらには、夕日というものは、どちらかというと余情美であるとか、しっとりとした美しさとは無縁の、猛々しい感じのするものだという常識も、頭のなかにある。したがって、夕日ではなくて「入日」とあると、なんとなくそれは夕日とは別なもので、またちがった趣のある夕暮れの光景なのだろう、と思ってしまうんです。実際には「夕日」という言葉が用いられていなかったための代用なのですが……。入日というと、なんとなく、夕日も盛りを過ぎた、ほんとうの残照といった段階の光を思いうかべがちで、だから、この歌の情景も、「ぎんぎんぎらぎら夕日が沈む」のそれとは逆の、うすくらがりめいた、やわらかい平淡な色合いであるような気がしてくる。

 まあ、実際に作者がどのような「入日」をイメージしていたか、などという問題はぼくの手にはあまるものであって、どんな例証をしたところで、所詮推測の域を出ないものにしかならないのですが、おそらくは、現代の読者の誤解とおなじように、それほど激しい落日の色合いではなかったはずです。どちらかといえば、うすくらがりの平淡な光だったでしょう。あの豪奢な空の景色を賞美する美意識は、まだ当時の歌人にはなかったはずですから……。もちろん「入日」と「夕日」の問題まで通光が意識して詠んでいたことはまず考えられないのですが、時代が下るにつれてたまたまこのような語の変化が起こったために、作者のイメージした光が、また別なかたちでよりつよく読者に認識されるようになったということなのだと思います。いわば、読者のひとり相撲のようなものですが、なにしろこういう、作者の意図しない受容態度が出てくるから、古典はおもしろい。

 ふもと、というのも、歌の言葉としては比較的珍しい部類に入りますが、それはいいでしょう。こういう基本的な語彙は、なかなか意味が変化しにくいもので、数百年立ってもふもとはふもとのままです。

 うちなびき、という第三句がいいですねえ。こういう表現がすらっと出てくるところが歌人の力量です。麓の尾花、という遠景の描写に、うちなびき、という動きのある言葉を重ねることで、歌全体がしまっています。ここはやはりどうしても「うちなびき」でなくてはならないところで、作者の視点と尾花の情景の距離感をこれほど上手に言いあらわせる言葉はほかにはないといってもいいでしょう。

 さて、この歌の重心になっているのが、次の「たが秋風」という一句です。むろん、秋歌としての性格と、恋歌としての性格をひとつにつないでいるのがこの表現であることはいうまでもないのですが、しかし、そういう条件を排除しても、この「たが秋風」という言葉の持つ抒情性は見事なものです。言葉が生きていると言ってもいいのですが、単なる掛詞の域を超えて、読み手に訴えかける力のある表現だとは思いませんか?

 むろん、秋風に所有者などはなく、「~の秋風」という言葉は意味をなさないナンセンスな表現です。けれども、それでもあえて、人は「たが秋風」と言わざるを得ないときがある、ということなのでしょう。秋風が人の心に感傷をおこさせる。それが、もともと心の底にあった恋心と結びついて、やりきれないほどの悲しみとなる。あたかも野には鶉が鳴いて、ああ、あの鶉も私のように秋風のせいで鳴いているのか、と思ってしまう。そうするうちに、彼女の意識のなかでは、遠くからやってくる秋風と自らの恋人とがいつの間にか融合し、分ちがたくひとつのものになってゆきます。それが、「ただ秋風」という表現になる。ここでは、恋心の対象であるはずの男はすでに輪郭を失いはじめ、秋風のなかに溶けてゆこうとしているのです。やがて、風は男そのものになり、男は風になる。人間の意識の不思議さですね。

 新古今歌人たちが、しばしば抒情歌と叙景歌、つまり、恋の歌と四季の歌を融合させる方向で表現を深めていった理由のひとつは、おそらくここにあるのではないでしょうか。人間の意識の不思議さは、外面的な事象を内面的な世界に位置づけることを絶えず行っているという点にあります。認識論の第一歩なのですが、人間にとっての認識とは、外に「ある」ことなのではなく、外に「ある」ということを内側で「意識する」ことなのですね。しかし、内側で「意識する」ことが認識である以上、それは、ときとして主観的な方向にひきずられてゆくあやふやさがあるわけです。例えば、ある物事に対する認識(記憶)が、時間の経過とともに変質してゆき、特に自分に都合のいい主観的な修正を加えてしまう、というのは、我々がよく経験するところです。これは、外に「ある」ことを、内側で「意識する」という、認識の二段階の過程でずれが生じるために起こる問題なのですが、新古今歌人たちは、むしろこのずれを積極的に利用することによって、彼らの文学世界を深めていったのです。

 内側で「意識する」ことの結果生れるものは、人間の心のなかの「感覚」「記憶」とでも呼ぶべきものであって、あまり客観的なものではないのです。つまり、外面の認識とは、結局のところ、自らの心の内に主観的な「感覚」や「記憶」をひとつ作りだすことに過ぎない。そして、「感覚」であり、「記憶」である以上、それらは客観的なもの(例えば、モノが「存在する」こと)とはちがった法則で動くことがある。そのひとつが、「感覚」や「記憶」の融合であるわけです。例えばこの歌ならば、心のなかの「秋風」という感覚と、同じく「恋人」の記憶とがひとつに溶けあってしまっている。客観的な存在としての秋風や恋人がひとつになってしまうことはあり得ないのに、それが人間の意識の内部ではごく簡単におこってしまう。

 いつもプルーストの例で申しわけけないのですが……、彼の『失われた時を求めて』の第一巻第二篇は「スワンの恋」という一種の独立した恋愛小説です。そのなかで、主人公の(ほんとうは、小説全体の主人公ではないのだけれど、第一巻第二篇では主人公の)スワンと、彼の恋人であるオデットは、しばしばふたりの出逢いの場にあった、カトレアの花とヴァントイユ(架空の作曲家)のピアノ・ソナタの一節を、自分たちの愛の象徴であると考えるようになります。すると、不思議なことに(いや、ちっとも不思議ではないと言えるのですが)、そのうちにスワンにとってはカトレヤの花やピアノ・ソナタの一節がオデットそのもののように思われてくるのですね。これは、プルーストお得意の感覚と記憶の魔術。まさしく新古今歌人たちの技法そのものです。

 「スワンの恋」における感覚の融合は、あくまで偶然の積重ねからおこることですが(つまり、オデットとカトレアの花やピアノ・ソナタになんらかの必然的な関係があるのではなく、偶然両者がひとつの時、ひとつの場所にいることが多かっただけのことです)、例えばこの歌のなかの、秋風と恋人の融合は偶然によるものではありません。秋風から「飽き」という言葉が導かれるために、主人公の意識の中で恋人が連想され、秋風と結びつけられているのであって、一種の必然的な結びつきなのです。その点が、プルーストのそれとはちがって、むしろ、もうひとりの二十世紀作家ジョイスのほうに近くなります(ジョイスは言葉遊びを多用する作家ですから)。

 ……まあ、それはともかくとして、このような感覚や記憶の融合という技法を、新古今歌人たちがさかんに用いていたことは驚嘆に値します。なにしろ、現実そのものと、現実を認識した結果として人間の意識のなかにうつる像を、別なものだと考え、そのずれを本格的に追求しはじめたのは、世界文学の歴史で言えば二十世紀に入ってからのことなのですから。

 と、いつもいつも歌の解説をしながら話の方向が変なほうへと動いていってしまうのですが……、要するにこの歌の魅力の秘密は、そういう、人間の心の微妙な働きを感覚的に理解し、文学の上に応用した点にあるということなのです。それが、上の句のすっきりとして達者な自然描写と相俟って、じつに美しい物語絵巻を創っているのですね。美は、外側にも、そして私たちの内面にもあるということを、ひそやかに証明してくれる名歌です。


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