雪香楼箚記

冬____橋姫の






                                      後鳥羽院
       橋姫の片敷衣さ莚に待つ夜むなしき宇治のあけぼの










 橋姫は、おとずれる人もないままに、みずからの袖を敷き、むしろに臥して、ひとり寝の夜を過していることだろう。そうやってむなしく待ちつづけて明けてゆく宇治の里のあけぼの。

 片敷衣はいちど説明したはずです。恋人が共寝をするときは、たがいの衣を蒲団がわりにして(平安時代には蒲団はなくて、板の間にじぶんの上の衣をかぶって寝ました)いるわけですから、袖を二人で敷いて寝ることになります。ひとりで寝れば、それは片敷の袖、というわけです。

 さ莚、は、さむしろ。寒し、との掛詞になっています。片敷衣なので(恋人もいないから)寒く感じる、というのと、さ莚の上でひとりで待っている、というのが二重写しになっている仕掛け。むしろといっても米俵の材料にするようなものではなくて、おそらく茣蓙のようなものではないのかと思います。あるいは、万葉時代の風習が字句上の表現として残ったもので、当時の貴族がむしろを敷いて寝ていたわけではないのかもしれない(平安朝の家屋は、ふだん人が寝たり座ったりしている部分だけですが、それでも畳があったので、板の間に寝るのならともかく、むしろ一枚引いたくらいで寝心地が変るとは思えないのです)。ここらあたり、平安朝寝具史はまだ研究が及んでおりません。こういう日常生活のことがいちばんわかりにくいのです。さ莚のさ、は、語義未詳の接頭辞。小夜、というときの「さ」と同じものですね。

 橋姫、というのは、宇治川にかかる橋の精で、性別は女性ということになっていました。和歌ではしばしば待つ女のイメージとして、恋人を暗喩する際などによく用いられます。能面に橋姫という種類の女面がありますが、これは待たされた(のに男は尋ねてこない)女が執心のあまり蛇身となった、という心で、角もあり、目も金泥を押して爛々と輝いている、般若をもうすこし人間らしくしたような面です。まあ、和歌に出てくる橋姫はそこまで恐しげではなくて、ただ単に来ない男を待っているだけの存在ですが、どうして橋姫がこのようなイメージで捉えられるようになったのかとうと、それは言うまでもなく「宇治川」の精だからです。うぢ、と、う(憂)が掛詞になるからですね。だから憂いと宇治川と橋姫とが掛詞でむすびつけられて、上に書いたような待つ女のイメージを与えられることになったわけ。

 ここで作者が現実の女性ではなく、橋姫という神話のなかの登場人物に仮託して一首を詠んだことについてはさまざまな理由が考えられます。まず第一には、これを生身の人間が主人公であるかたちの歌にしてはあまりに生々しすぎて、おおらかな、のんびりとした、帝王調の感じ(そう、もう何度も説明してきましたが、これが歌人としての後鳥羽院の最大の持味です)が出なくなる。そこで神話の登場人物を利用して、一首全体におとぎ話のフィルターをかけて少しでも生々しさを軽減した、という事情。あるいは、このように特定の人間の経験を離れて、橋姫の神話に結びつけた場合、恋歌としての要素がちょっと軽くなって、実質上「冬のあけぼの」のひとことしか触れていない冬歌としての印象が、それにもかかわらず鮮明に出てくる、という面もありますし、単に宇治川という歌枕を出すには橋姫を用いるのが便利でだ、という理由もあるでしょう。

 それからもうひとつ。もうずいぶん大昔に(「その一」の定家の「夢の浮橋」の歌のところ)書いたので覚えてないかもしれませんが、宇治川は『源氏物語』第三部の女主人公浮舟が、三角関係を清算するために投身自殺する川です。いや、それどころか、浮舟、薫君(光源氏の子)、匂宮(光源氏の孫)の三人をめぐって展開される第三部は、世に宇治十帖といわれるほどでして、その舞台の大半は宇治なのです。つまり、後鳥羽院がこの歌を詠んだころには、こうした文学的常識が浸透していたわけですから、宇治と言えば哀切な印象を思いおこさせる地名であったことを思い出す必要があります。

 ただ、ぼくがここで考えておきたいのは、新古今集の持っているモダニズムの側面なのです。モダニズムについてはいろいろと説明したことがあるので(「その七」)ここでは細かくは触れませんが、その文学的特徴のひとつとしてパロディ性があげられます。モダニズムの代表的作品であるジョイス『ユリシーズ』がホメロスの叙事詩を下敷きにするかたちで書かれたのをはじめ、すでにできあがった物語の世界をもういちど新しく作りなおしながら読者を魅了するという、文学形式への挑戦がモダニズムを特徴づける要素のひとつです。例えば、日本のモダニズム作家である谷崎潤一郎の作品を見ても、『細雪』は『源氏物語』の世界を現代に換骨奪胎することで成立したものにほかなりません。そして、このようなパロディの題材のなかでも、いちばん重要視されたのが、民族全体に共有される物語、もっとも有名で、根本的な物語であるところの、神話のパロディでした。神話的手法、という用語もあるくらいで、モダニズム作家はこれを好んで使います。くだらない人間の物語を神話の構造にあてはめることで、人間の卑小さがそのまま神の存在になり、卑小さのなかにもまた真実があり、美がある、というモダニズムの美意識をよく体現できるためです。

 もしかすると、こういうモダニズム的な意識があったから、後鳥羽院はここであえて橋姫を持ちだし、それを現実の人間の女に例え、卑小な恋の悩みをさも重大なことのように語ろうとしたのかもしれません。まあ、このことについては、この文章の最後のあたりで詳しく考えてみますが、大切なことは時代や地域(モダニズムは、十九世紀末から二十世紀初頭に、西欧で開花しました)が隔っていたとしても、そこで独自のモダニズムが出現する可能性がありうるということです。これは初期のモダニストのひとりであるボードレールのことばですが、「どの時代、どの場所であっても、文明が頂点に達したとき、そこにモデルニテ(現代性)が存在する」のです(この点が、モダニズムをほかの文学運動、つまり浪漫主義や古典主義から大きく特徴づける要素のひとつといっていいでしょう)。そして、新古今集は、平安の王朝文明が最後の、そして最高の頂点に達した精華だと、ぼくは考えています。ここにモデルニテがあっても不思議ではない。

 何度も説明してきたように、新古今集の和歌はまったくのところひとすじ縄ではゆきません。この歌なども、冬歌の部に入っているので冬歌かと安心していたら、とんでもないことになります。一首が冬歌でもありつつ、恋歌でもある。片敷衣の寒さは、そのまま、一人寝のさみしさに通じているわけです。

 もちろん、片敷衣のほかにも、この歌のなかには冬という季節がじつによく生かされています。もっとも、だからこそ撰者は冬歌のなかに入れたのでしょうが……。例えば、冬の長い夜であればこそ、いっそう「待つ夜むなしき」という部分の印象がつよまるのです。長い夜を、やってくるかこないかわからない相手を待ちながら、いや、心のそこでは、もうひょっとしたらこの恋は終りなのかもしれない、というかすかな不安さえ抱きながら、ついに待ちあかして暁方になってしまった。冬の朝はうっすらと明けてゆく。世の中には、この朝に恋人を見送ることのできる幸せな人だっているだろう。それなのに、自分だけは、こうして悲しみのなかに埋もれている。冬の寒さが、そうした女のわびしさを、責めたてるように、いっそう鋭く突きつけてくるようにも感じられます。

 待ちわびてついに夜を空かしてしまったことも、つまらないもの思いにとらわれつづけて日々を送ってきたことも、そもそも、この恋をしたことさえも、すべてが「むなし」と感じさせられるような無力感。それなのに、夜は明ける。朝が来る。宇治川のほとりならば、深く朝霧が立ちこめていることでしょう。あけぼの、という颯爽としたことばが用いられているからには、おそらくその夜明けは晴れであったに違いない。霧をすかして、きらめくような朝日がすこしづつのぼり始め、川面にも、霧のひとつぶひとつぶにも、それが反射しているに違いありません。美しい夜明けの光景。

 しかしそれは、恋に破れた身にはあまりに荘厳で、華やかすぎる光景でもある。目の前の朝の美しさに比べて、自らの身がみすぼらしくさえ感じられ、いよいよ我が身の不幸が心に迫ってくる。かつて、投身した浮舟が横川の僧都に助けだされた朝も、このようであったかもしれない。やはり、恋をしつづける以上、人間は煩悩にとらわれ、このような苦しい物思いをくりかえさねばならないのか? いっそ髪をおろして尼になってしまえば、このような愛欲に身を焦がすこともないのに。……しかし、そう思いながら、やはり女は忘れられない恋人の愛情を思い出して、もう少しだけそれは思いとどまってみようかと気持をぐらつかせる。そして、その日の夕になると、またおなじことをくりかえして次の朝を迎えることになるのです。

 季節感の生し方のうまさということを言いましたが、それはそのまま、この歌の底にあるものに通じています。この歌を名歌たらしめた最大の理由のは「冬のあけぼの」という五句を後鳥羽院が見いだした点にあると言っても過言ではないでしょう。そこまでは、つまり初句から四句までは、これは単に人を待つ女を詠んだ恋歌に過ぎない。ところが、そこから作者は大きく飛んで、自然の情景を歌いあげることによって一首の和歌を作りあげることに成功した。しかも、そこで彼が選びとったのは「冬のあけぼの」という、ふっくらとやわらかい語感を持った、高々とした自然の情景だったのです。

 上のほうで「荘厳」ということを書きましたが、冬の朝焼け(あるいは夕焼け)というのは、空気が澄んでいるだけに四季を通じてもっとも美しいものですね。ことに朝焼けは、冬場は川辺だと朝霧が立つことが多いので、霧の粒にひかりが反射して、じつにみごとな光景が見られることが多いのです。春のあけぼのも、枕草子にわざわざあがっているくらいですから、詠みこんだ古典和歌の数は決して少なくないのですが、桜やら春風やら朧月やら道具立てのない分、朝焼けそのものの美しさに関しては、和歌のなかでも、実景でも、冬のほうがまさっているのではないでしょうか。ひと日の始まろうとする生命感の躍動と相俟って、冬のあけぼのにはワーグナーに似た荘厳さがあると思うのは、なにもぼくだけではないでしょう。完全さ、美しいさ、プラトン的な真善美への希求、といった、崇高さへの意志が感じられるように思います。

 しかし、そういう荘厳さがある一方で、これを見ている人間、つまり、歌の主人公の心はいかにも卑小である。彼女は訪れてこない恋人を思い、捨てられる不安を思い、恋の不吉な終焉を思って、絶望し、運命の前に無力に倒れようとしている。おそらく彼女には、この状況を打破しようとする意志もなければ、新たな恋へと進もうとする意志もなく、ただこのまま惰性によって今の感情をもうしばらくはくりかえし、反復しつづけることになるにちがいありません。そこには「冬のあけぼの」の荘厳さ、崇高さとはまったく逆に、どうしようもない人間の卑小さ、未練を捨てきれない心の弱さだけがある。

 その対照が読者の意識のなかに迫ってくるのです。人間はこれほどに卑小である。それなのに、自然はこれほど荘厳である。そして、大切なことは、作者は読者に対して価値判断を求めようとはしていない、という点でしょう。ここでは、荘厳な自然が美しいように、また、卑小な人間の未練が例えようもなく美しいものとして描かれている。そこにはつよく生きようとする意志もないし、崇高なものへのあこがれもない。しかし、それでもなお、ぼくたち読者は、この歌のなかに存在するある女の恋愛に関して、決して不愉快な印象を持つことはないわけです。それは、後鳥羽院というこの天才的な作者が、人間の未練をいとおしみ、それを美しいと感じる心をもって、この歌を詠んでいるからではないでしょうか。卑小なものにも、美は存在するのです。


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