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雪香楼箚記
桜のうた(4)
宮内卿
花さそふ比良の山風吹きにけり漕ぎゆく舟の跡見ゆるまで
花を誘うかのような比良の山風が吹いて、湖面に散った花びらのおかげで、漕ぎすすんでゆく舟の航跡がありありとわかるほどだ。
舟の航跡がわかる、というのは、湖面いっぱいに散った花を押しわけるようにして舟が進んでゆくために、そこだけ水面があらわれるため。春の破氷船の風情。本歌に
沙弥満誓
1) 世の中を何にたとへむ朝ぼらけ漕ぎゆく舟の跡の白波
があるというのは諸書の一致して言うところですが、この歌の趣向はそれだけではなく、水の上の、あるいは水の中の花という部分にもあります。湖上に花が咲き、月が照るように、水中にもまた花や月があるという発想は、紀貫之がしばしばその歌のなかで用いたもの。水面を境界線にしてふたつの世界が歌びとの心のなかにとらえられる幻想的な光景は、
紀貫之
2) 吉野河岸の山吹吹く風に底の影さへうつろひにけり
のような単純なものからはじまって、
紀貫之
3) さくら花ちりぬる風のなごりには水なき空に波ぞたちける
といった歌へと深化してゆきます。宮内卿をはじめとする新古今歌人たちは、こうした貫之の世界を受けついで、さらに幻想的で豪奢な方向へと発展させていったと言えるでしょう。
歌そのものは宮内卿らしい視覚効果の美しさが基調になっています。ことに上の句がややもすれば動きの描写に流れすぎるおそれのある作であるにもかかわらず、禁欲的に「吹きにけり」という程度にとどめておいているために、下の句のたゆたうような春の船遊びの光景にのんびりとした、しかしそれにもかかわらず花は散ってゆくという切ない心をも匂わせた風情が生れてきています。湖面に花が散りしいているという発想はかならずしも宮内卿の創造ではなく、新古今時代ごろから登場する歌の趣向なのですが、それがきちんと歌のなかで生きているのは、花びらの様子を直接には描写しないという作者の配慮が利いているからです。「さくら花ちりぬる風の」の貫之の歌におそらく宮内卿は学んでいるのでしょうが、花びらを追う視線の展開にしたがって、風、水、空、波とイメージがつぎつぎに交錯し、それらを意識のなかでひとつのものに溶かしこんでゆこうとする貫之の歌――あたかも強烈な光線をあてることで輪郭の線をとばし、そこからひとつの抽象的なイメージを作りあげようとする写真のように――に対して、宮内卿は花びらを追うという趣向を完全に捨ててしまっています。上の句では風に、下の句では舟に描写の中心を移して、花びらは風情を添える程度にとどめているのは、自分の歌がなにを言い、なにを描こうとしているのか、ということに対する歌人の冷静な認識があったからなのでしょう。それが描写を複雑にしすぎてイメージが輻輳する、という、ともすれば新古今の歌の陥りやすい罠からこの歌を救っているのです。
この歌には三つの層があります。第一には、すでに述べたように純粋な描写の歌、視覚効果の美しさを文字に置きかえることを主眼とした歌である点。桜の花、もっと言えば花びらの具体的な描写こそ上で書いたように巧妙に避けられてはいますが、桜を吹きちらす晩春の風、湖面いっぱいに散りしいた花びら、そこを進む舟、というイメージの美しさが読む人の心をとらえてはなしません。内容こそ貫之ばりの理知の歌――なぜ航跡がわかるのか、それは……、という――ではありますが、その理知が理知として我々の意識にとどく以前に、あまりにも美しすぎるイメージが一切を覆ってしまって、ただただまばゆい晩春の光景だけが人の心をせめたてます。さすがに視覚の美をとらえることのうまかった歌人らしく、理知や理屈よりも、イメージ、ことに視覚的なイメージが持つ喚起力が人の心にどのような影響を及ぼすかということをあらかじめ計算して詠んでいるような感じさえしますが、もちろん視覚の美といっても、それが決して中身のない水っぽいものになり果てることなく、またほかの歌人ではまず見られないような新鮮さ、若々しい力づよさによって内側から満たされているのが宮内卿の才能によるものであることは言うまでもありません。彼女は視覚の美をとらえる感覚にも恵まれていましたが、しかしそれ以上に、言葉のちからを感じとる能力――そうした視覚の美を的確に言葉に置きかえる能力――にたけた歌びとでありました。選んだ言葉のひとつひとつが、若葉にやどる露のしずくのように、充実したちからと、ふるえるような繊細さと、そして香りたつような魅力、言葉そのものの魅力に富んでいるのはそのためです。花さそふ、比良の山風、跡見ゆるまで……。ことにこの歌は、言葉のひとつひとつが充実して、しかもそれらの言葉がにおやかな花のイメージにとまっすぐに繋がっている点において、彼女一代の歌作のなかでもひとつの頂点をなすものであるといっても過言ではないと思います。
しかし、それだけではこの歌はわかりません。「花さそふ」の歌のなかにあるのは、単なる情景の描写などではないのです。それ以上に、言葉の内側からひめやかに立ちのぼってくる静謐な香りがある。おそらく大半の読者はそれをなんとはなしに感じているのだとは思います。しかし意識のうちにそれが明確なかたちをとってあらわれるということはなかなかにむつかしい。見かけの華やかさとはうらはらの、ひっそりと、さみしげな横顔。それが歌の彼方に見え隠れしている。幽寂といってもいいし、幽玄といってもいい。名などはどうでもよいことなのです。ただ、その心が、気持が、いったいなんであるかを我々は知る必要がある。
すでに述べたようにこの歌の本歌は、満誓の「世の中を何にたとへむ朝ぼらけ漕ぎゆく舟の跡の白波」という作です。もとは万葉集に「……朝びらき漕ぎいにし舟の跡なきごとし」とある歌で、要は人の世のむなしさ、はかなさを言ったものです。航跡の白い波のように、人の生ははかなく生れはかなく消えてゆく。朝ぼらけ、というあたりが詩情のみなもとでありましょうが、ブラームスのクラリネット五重奏曲のような静けさが美しい歌です。平安に入ってからも歌びとのあいだで愛され、無常の歌、述懐の歌(心に思うこと――多くの場合、人生を振りかっての感想――を詠む歌)の代表的な作として考えられていました。宮内卿がこの歌から借りたのは全体の発想、ことに「漕ぎゆく舟」のあたりでしょうが、新古今における本歌取りの特徴として、彼女自身の趣向によって歌の世界を新しいものにしています。本歌では「跡の白波」、単なる波であったものが、宮内卿の作では花びらを漕ぎわけてゆく舟の「跡見ゆるまで」と詠まれており、貫之が生みだした「水の花」のイメージを利用して、航跡とそれ以外の海面の色彩関係を反転させてしまっているのです。すなわち、元来は航跡の波に白い色があり、海面は透明な水面であった歌の世界が、「花さそふ」の歌では逆に、航跡が透明な水面として表現され、湖面は一面の桜色(王朝和歌では花は白色であると考えられていました)に埋めつくされています。これによって、宮内卿の歌は、本歌の寂々たる情趣を晩春の豪奢な風景へと変換し、息をのむような華やかさを生みだしているのですが、ここで大切なことは、落花の情景が豊かで、美しく、華やかな風情を描きだしているにもかかわらず、本質のところでやはりこの歌は満誓のこころを受けついで成りたっているという点です。だからこそ「花さそふ比良の山風吹きにけり」という上の句があるのです。本歌の趣向だけを借りようとするのであれば、この上の句はもっとほかのものであっても構わないはずなのです。湖面に桜の花びらが満ちているということを言うのならいくらでも別の表現がある。あるいは貫之の山吹の歌のように満開の桜が湖面にうつっていて、小舟の波が水面の花を揺らめかせてゆく、という趣向でもいい。――それなのに、宮内卿は「花さそふ比良の山風吹きにけり」という上の句を置いた。われわれはそこに彼女の心を見るべきです。
花が風に誘われて散ってゆくその有様に無常を感じること。それがこの歌の底のところにあるものなのです。どれほど豊かで、美しく、華やかなものであろうとも、無常というこの世の定めにはあがらうことができない。人の世に永遠ということはなく、ここにあるものは時間によってさらわれ、ゆくりなくもどこかへと去ってゆかなくてはならない。業平は
在原業平
4) つひにゆく道とはかねてききしかど昨日今日とは思はざりしを
と詠みましたけれども、昨日今日とは思わぬものの、人はいつも「つひにゆく道」を心のどこかで感じています。ここにとどまりつづけることはだれもできないのです。人は、あるいは、すべての存在は、過ぎゆくなものかでしかないという漠然としたさみしさ。そのさみしさが、あるとき一時に胸のなかでよみがえってくる。この歌の背後で通奏低音のようになりつづけているのは、そうした心なのです。桜の花はむろん桜の花であるのですが、同時にそうしたものの表徴であって、ある意味においては無常そのものを象徴していると言っても過言ではありません。たしかに晩春の湖面にできた航跡はたしかに「見ゆる」ものなのでしょう。満誓の歌はどちらかといえば航跡の消えてゆくことに力点が置かれていますが、宮内卿が描くのは航跡が見えるというところまでです。しかし、だからといってこの歌に無常の想いが存在しないということにはならない。花の航跡もまた、ひととき人の目を楽しませることはできたとしても、決して永遠ではないのです。すでにそのことは満誓の歌が言っている。宮内卿が「世の中を何にたとへむ」と具体的に言うことがなかったのは、なにも満誓の歌のなかにある無常のこころを否定したからではないのです。彼女は満誓が見たものをより広い世界へ解きはなとうとした。「世の中を何にたとへむ」と歌のなかに詠まなかったのは、宮内卿にとってそれが自明のことであったからです。その自明であるなにかを手がかりに、歌がやわらかに彼方へとひろがってゆくこと。それが本歌取りというものなのです。
宮内卿の歌が言おうとするのは無常の思いです。しかし、どんなときに人が無常の心を感じるかという一点において、彼女は満誓の世界から離れ、新たな歌境を作りあげています。爛漫たる桜の花が惜しげもなく散ってゆく華やかな光景に無常を見ようとする心。それは一種の逆説であると言えるかもしれません。豊かで、美しく、華やかであるからこそ、胸に迫ってくる無常。これほどに美しいものでさえ、この世から消えてなくならねばならないか、という痛ましさ、そして華やかさ。豪奢は滅びの美しさのすぐ隣にいます。華やかであればあるほど、美しあればあるほど、それが永遠ではないという一点において、人の心をえぐるような悲しみの美しさが生れます。生きることの充実がきわまったそのときに、頂点に達した生が死へと転換してゆく。生の充実感が死によって裏打ちされているという奇妙さ。散ってゆく花が美しいのは、それが満開の枝を離れて風にさそわれるものだからです。風のさそいはそのまま滅びを意味するものでありましょう。その死への誘惑の隣で枝に残るからこそ花はいのちがそのうちに満ちていることを実感し、美しいのであり、一方で、そうした実感を得た花びらが風のなかに散ってゆくからこそ落花もまた美しいのだと言える。死が生を満たし、生が死を輝かせるというねじれ。無常のものがかほどに美しい、というこの歌の逆説は、こうした「ねじれ」が生みだしているものなのです。桜は満開の姿のままに散ってゆく不思議な花です。桜という花の存在が、そしてその散りぎわを思う人の心が、そもそも「ねじれ」に満ちている。無常の美を言うためにこれほどふさわしいものはないでしょう。豪奢な美しさは、それが豪奢であるがゆえに、また無常の表徴ともなりうるのです。
ホイジンガが『中世の秋』において描こうとしたのは、烈しさと静謐さを併せもつ中世という時代の奇妙な横顔でした。この宮内卿の歌は、まさしく中世びとの歌であるというほかありません。満誓の歌にある静かな諦念と、やすらぐような気持は、もはや「花さそふ」の歌のなかには見られないのです。満誓が代表するものが古代という世界であるならば、ここにあるのはあきらかにそれとは違うなにか、身を焼くような烈しさのなかに美しさを求めようとする中世の心なのではないでしょうか。中世ヨーロッパでは宴のときに骸骨の絵を飾ったといいます。楽しみのすぐ隣に無常が存在しているのだということを言わんとするためのものです。歓楽極りて哀情多し。よろこびがあるからこそ、深々として味う哀しみの思いが存在する。逆もまた真なのです。平家物語の底にあるものは、いのちのきわまる場面において人が死に美しさを求めようとする心でした。よろこびの極みに哀しみが生ずるとき、そこには美がある。生死のこともまた同じ。生きようとする烈しさが死のうとする烈しさへと変ずる一瞬、そこには狂おしいほどの美が生れることを、彼らはおそらく確信していたのです。敦盛が熊谷に呼ばれて取ってかえしたのは(註5)彼がそうした思いを持つ中世びとだったからでしょう。そして、美は生死の真剣なぶつかり合いのあいだにしか生じないことを確信していたからでしょう。だからこそ美しさが無常と深く結びつくのです。美しいことはむなしい。哀しい。そうした心の静けさと烈しさこそが、中世という時代の姿なのです。だからこそ宮内卿は桜の花を詠まなくてはならなかった。満誓の歌にあるものは古代的な無常――無常とはさみしいものだという単純な認識――であり、もはや彼女はそれを信じることのできない時代に生きる歌びとであったのです。無常はたださびしく、哀しいのではなくて、美という思想を抱いて生死のあわいにただよう心である。そう思ったからこそ、彼女は桜の花に無常を見たのです。そしてそういう意味においては、この歌は決して万葉のそれでもなく、古今のそれでもなく、ひたぶるに新古今ぶりの歌なのです。これを詠んだのは間違いなく中世という時間に生きたひとりの女性であって、それがただ尋常でなく優れた歌びとであったためにこれほどの歌が生れたのです。
花の彼方に、ひっそりとかなしげな横顔を見るとすれば、それは、この歌が無常の歌であるからなのです。宮内卿自身がどれほどの烈しさや静けさを持って無常を詠もうとしたのかは、じつのところ時代を隔てすぎたわれわれには正確にはわからない部分があります。しかしそれでもなお切実に伝わってくるのは、彼女が、美しさを美しさとしてだけとらえるのではなく、その向こうがわにさみしさをさえ、かなしさをさえ感じていたという複雑なこころのあり方であり、そうしたこころのあり方を美しく歌いあげるための言葉の才能に恵まれていたという点です。生きるという切実さが、滅びの切実さに転換する一瞬に、そこには豪奢な無常が生れる――、彼女が言いたかったのは、そういうねじれた美しさ、逆説のなかにさえ、人は詩をみようとする、というそういうことであったのかもしれません。
そしてこの歌の三つめの性格は、おそらくそうした彼女の詩人としてのまなざしのなかにあります。これを解きあかす鍵は、「花さそふ」という一句でしょう。花、はこの場合、主語ではありません。目的語で、「(風が)花を誘う」ということです。むろん、さそふ、とは吹きちらすということを言うための表現ですが、これを荒ぶる風の仕業と見ずに、花が風に誘われる、と見たてたところに歌のこころがあります。サソフとは、ともにゆくように、あるいはともになにかをするようにと相手に働きかけ、その気にさせることを言います。風がともにゆくことを花に誘っているのです。ここにあるのはそこはかとない恋のこころなのではないでしょうか。
むろん、このことについてはあまりはっきりとしたことは言えません。宮内卿にどれほどの意図があったのか、という点についてはあくまで想像の域を出ませんし、花を散らす風のことを「花さそふ」と詠んだ歌はこれ一首というわけでもありません。しかし、恋歌の要素を捨てきることができないのも事実でして、例えば誘うという言葉を
小野小町
6) わびぬれば身を浮き草の根を絶えてさそふ水あらばいなむとぞ思ふ
のように男女の間柄について用いた歌もありますし、また、新古今集のなかでこの宮内卿の歌が、
越前
7) 山里の庭よりほかの道もがな花ちりぬやと人もこそとへ
と、
宮内卿
8) 逢坂や梢の花を吹くからに嵐ぞ霞む関の杉むら
という恋歌めいたい趣向の二首(「人もとへこそ」は訪いを待つ女の歌として読めますし、「逢坂」はアフ――逢ふ――の意味から恋歌のなかでよく掛詞に用いられる地名です)に挟まれていることも、いよいよこうした趣をつよくします。それでなくとも花は女性を思わせる題材です。風に誘われる花に、恋の女を幻視してしまうのは、読者の側の持ちだしなのでしょうか。しかし、それが持ちだしであるにしても、この幻のように美しく、清らかな幻想は無視してしまうにはあまりに甘美でありすぎます。身を滅ぼすことを知りながら、男の誘いにしたがう女の横顔。そこには、はかない結末をどこかでさとっている静かな心と、しかしそれでもわたしは今ここでこの恋に身を投げいれたいのだ、という決然とした烈しい意志をさえ感じます。人の生がその頂点に達しようとして充実するとき、しかしそれは滅びへとつながる。滅びへとつながるからこそ、その生は充実した瞬間を持ちうる。もしこの歌を恋歌として解釈することをゆるされるのであれば、歌のむこう側にほの見えるのは、そうした宿命としての悲劇であり、悲劇というものの持っている美しさと崇高さです。そして、恋というものの無常さです。恋のこころはあまく切なく人を魅了するものでありますが、しかし同時にその人を滅ぼすものでもある。無害な恋など存在しない。人の身をほろぼす危険さを持たぬ恋が、人を魅了することなど、人のいのちを恋のほむらのなかに突きおとすことなど、できはなしない――。そんなつぶやきに似た覚悟があって、はじめてこの歌は歌としての魅力を持つと感じるのはぼく一人ではないでしょう。
宮内卿という歌人の鋭さは、写生の歌、無常の歌のむこうに、恋の思いを見ていたところにあります。恋もまた人の生き死にのようにはかなく、切なく、そして美しいというこころ。そうしたこころを基にして、この歌は三つの層をひとつの色に染めあげています。桜のなかに、無常と恋という、一見相反するものを見出したこと。そこに深い奥ゆきが生れているのです。?人を恋うる思いはそのまま再生への願いでしょう。彼女はここで無常を歌いながら、しかし決してそれは現世へのあきらめでも、死や出離への憧れでもない。ただ人の世は無常である、しかしそれでも、いや、だからこそ、その無常の世を人間は美しく生きることができるし、その生の充実によってこそ無常というものがなつかしくいとわしからぬ存在として受けいられる。無常は人の生を充実させるために存在している。それがこの歌の底にある宮内卿のこころです。そうでなければどうして無常の世で恋などしましょうか。我が子を生もうなどと思うでしょうか。すべて世がはかない、ただそこを通りすぎてゆくためだけに存在するものであるとすれば、どうして人間が生れてきて、恋をして、生きてゆく意味があるでしょうか。そうではない。その無常の世のなかに、はかない恋のなかに、人間は永遠へとつながるいのちの充実を見るのです。たしかにそれは一瞬のものに過ぎない。しかしその一瞬は永遠にまっすぐに繋がる一瞬なのです。生きたという充実した思いを感じるときに、人は、恋は、あるいは、無常の世そのものが、美しさのきわみに立つ。その美こそは、永遠という、人の望んでも手に入れられないなにかが一瞬だけ眼前に訪れるすがたなのではないでしょうか。
ではなぜ、人は無常によって、滅びによってその生の充実を確信するのか。生きることはひとたびではない、という確信が、おそらく歌人のこころにあるからです。この恋、このいのちは滅びるかもしれない。しかし、人間は一人で生きるものではないし、このいのちは永遠にだれかによって受けつがれてゆく。それを単純に人の世の繋りと言ってもいいでしょうし、あるいは中世特有の輪廻の思想だととってもいい。そうしたことはどうでもいいのです。ただ、ふたたびの生がこの世にある、人は一人で生きるのではなくてたくさんのいのちのなかの繋りで生き、自分ひとりの、今のこの生は滅びたとしても、自分が繋がっている総体としてのいのちや恋は滅びない、そういう明確な確信がこの歌のなかにあることが大切なのです。その「繋り」のなかに、あるいは人は永遠を見るのかもしれない。――だからこそ、無常のいのちや、恋の思いは、桜のなかに託されねばならなかった。彼らは、滅びを経てふたたびひらく花の永遠を信じていたのです。
(02春下0129)
宮内卿
逢坂や梢の花を吹くからに嵐ぞ霞む関の杉むら
逢坂の関のあたりは、風も梢の花に吹きよせるために嵐が白くかすんで見える。そのむこう側には杉木立。
「花さそふ」の歌に対して、映画のフラッシュ・バックのような関係になっている歌です。花が風に誘われる一瞬へと時間を巻きもどして、白昼夢のようによみがえる過去。はかなく美しい光景を一筆書きに描いて、姿にさわやかな風情のある作ですが、注目すべき点がふたつ。
まずひとつめは「嵐ぞ霞む関の杉むら」という下の句です。これが宮内卿以外の歌人の作であれば、おそらくは「嵐に霞む関の杉むら」となっていたことでしょう。意味のうえでは何ら変らない。花びらに染められた嵐の彼方で杉の深い緑がかすんでいる。そんな情景の描写としては「嵐が白くかすんでいるから杉木立もはっきりと見えない」としても、「まっしろな嵐に杉木立がかすんで見える」としても大きな違いはありません。しかし歌のことばとしては「嵐に霞む」はいかにもよわい。だれでもが思いつく月並みな表現です。加えて言えば、「嵐に」では、歌の芯であるはずの花の嵐の描写が下の句において後退し、むしろ杉むらが主になってしまっているために、一首のなかで視線が拡散して内容が水っぽくなってしまいます。この歌のまなざしはあくまでも花の嵐に向けられているものであり、おそらく宮内卿はそのことをよく知っていたからこそ「嵐ぞ霞む」の一句によって下の句を作りあげたのです。これは単に見慣れない表現であるから、新鮮でおもしろいのではありません。「嵐ぞ霞む」とすれば五七五七までのところはすべて嵐の描写が取ることになり、最後の七において視線の転換が行われます。嵐と杉むらとに上の句下の句と均等に描写を割りふるよりも、むしろこのほうが言葉の印象はより鮮明になり、視線の転じ方もいっそう際だちます。花の嵐から杉むらの緑へ――、その対照はさらに明確に、そして華やかになり、結果として白と緑という色彩の対比もくっきりとした輪郭を取ることになる。「嵐に霞む」であれば白い嵐が緑の木立を霞ませているだけのことですが、「嵐ぞ霞む」であれば嵐と木立の二つの色彩が視界のなかではげしく切りむすんでいることがくっきりと言葉のなかにあらわれています。そしてそれが宮内卿らしい視覚的な叙景歌としてのこの歌の性格をいっそう瞭然とさせていて、いかにも美しい。
ふたつめは、逢坂という歌枕。これによって歌にふくよかなひろがりがうまれています。古く蝉丸に
蝉丸
9) これやこのゆくもかへるも別れては知るも知らぬも逢坂の関
という作がありますが、上代以来山城と近江の国境として有名なこの関はまた、アフという言葉のひびきからしばしば恋歌に詠まれる歌枕でもありました。逢ふという名を持ちながら、人を隔てる関。知る人、知らぬ人が行きかい、出逢い、別れてゆく場所。逢坂という土地は、そのまま恋の隠喩にほかなりません。
藤原定方
10) 名にしおはば逢坂山のさねかづら人に知られで来るよしもがな
逢ふという言葉がそのまま恋人どうしの呪符であり、また人目をしのぶ恋の苦しみであるという二律背反。そしてその二律背反の苦しさ、あまやかさ。土地の名が歌の底でほのじろく甘美にかがやいています。――むろん逢坂は、「関路の花を」というこの歌の題によるところ(さらに言えば、これはこの歌の初出である仙洞五十首歌において後鳥羽院が出した題であるわけなのですが)のものです。しかし、歌のなかにおいてそうした事情はなにほどの意味をも持たない。すでに逢坂という言葉は、言葉の音色は、歌の世界にうつりあい、ひびきあって、ひとつのこころを作りあげてしまっている。われわれに必要なのは、そうした歌のこころを読みとくことなのです。
逢坂とは、おそらく、花に逢うということであり、春に逢うということなのでしょう。そして、過ぎゆく春とはつ夏とが出逢うということでもあります。人と人が出逢い、別れてゆくように、季節と季節もまたこの関を通りすぎてゆく。そして《逢坂》という土地の名を思うならば――、こう考えることも決して不可能ではないのかもしれません。過ぎゆくものはただの春ではなく、一人の女が見た恋の風景なのだ、と。人の世の春のさかりは短く、いつかは新たな季節へとうつりかわってゆかねばならぬものなのですから。そして、そういったものを感じるのは作者のまなざしであり、宮内卿という歌びとのこころです。まなざしの彼方にあるのはただ散りゆく花などではなく、老いゆく春のしるしなのです。いや、それは春というものですらないかもしれず、ましてやむろんはつ夏のいろなどでもなく、ただなにものかがうつろい、過ぎてゆくという、その予感であると言ってもいいかもしれない。蝉丸が見たものが、人でも、関でも、旅というもののすがたでもなかったように、宮内卿が見ているものもまた、そしてそこに出逢い、別れてゆく《逢坂》という土地、《逢坂》という表徴なのではないでしょうか。
「吉野山はいづれぞ」とは正徹のことばですが、歌枕は現実の地名ではありません。それは地上一寸のところにあやうくただよっている文学的な幻想であり、その幻想のなかに見えるものが歌という手妻のたねなのです。土地の名に呼びさまされる人のこころ、象徴としてのトポスにまとわりつく物語。それこそが歌枕であり、逢坂とは滋賀県草津の山中にある峠のことではなく、出逢いと別れのこころをめぐる架空の土地の名なのです。――そこには、過ぎてゆくもののかなしみだけが深くただよっている。逢うこと、別れることは、過ぎゆく時間への命がけの慕情へと収斂してゆく。花ニ嵐ノ喩ヘモアルゾ、サヨナラダケガ人生ダ。これは、ただの感傷ではないのです。人が生きて、出逢い、別れてゆくということを、ただ「過ぎてゆく」という一点において痛いほど感じようとするこころの熱度が、《逢坂》という歌枕の持つなにものかなのです。サヨナラダケガ人生ダ、サヨナラダケガ人生ダ……。
(02春下0130)
二条院讃岐
山高み峰の嵐に散る花の月にあまぎる明方の空
山が高いので、嵐に散る花は明方の空の月影をかすませるほどであることだ。
惜しいことに初句の「山高み」があまりにも理に詰みすぎている恨みがありますが、それ以外は艶麗で幻想的ないかにも新古今ぶりの作。これの前に置かれている宮内卿の二首と比較してみればよくわかるかと思いますが、叙景歌でありながら描写の細かさよりもイメージの美しさを優先しているところが時代の特徴をよく示していると思います。宮内卿のような歌人は、新古今のなかではむしろ例外的な範疇に属する。
明方の空を詠んではいますが、清らかさやすがすがしさとはむしろ無縁で、なんだか妖艶な感じすらします。ひとえに月に散花という題材のせいではないでしょうか。「月にあまぎる」はだれでも目につく句であり、たしかに一首の中心をなすものではありますが、どうもそれがあやしい雰囲気でありすぎる。アマギルのアマは天。空の意味です。キルは霧と同根の動詞で、かすむこと、朦朧として見えなくなること。これを「月に」というという表現につづけたあたり讃岐はじつに手練れです。歌とはなんであるかということをよく知っている。――歌は、その半ば以上の部分がしらべです。言葉のつづき具合、うつり具合、ひびきあい。これが死命を制するといってもいい。もちろん理で押すべき部分も、イメージの美しさに頼るべき部分もあります。しかしなにより重いのはしらべにほかなりません。これは古い時代の歌謡から発展してきて、その性格を長いあいだ捨てきれなかった和歌という詩形の宿命だと言ってもいい。しらべの整っていない歌には魅力というものがないのです。
月にあまぎる、ということばのひびきあいは、いかにもそのことをよく知っている歌人の手しごとです。ニという助詞にふしぎなちかしさの心があって、そこから言うに言われぬ風情が匂いたっている。ニの原義は動詞のはたらきかける場所を指定するということです。この場合はアマギルという動詞がそれにあたる。すなわちニという言葉が月と花のあいだにある動きのなかで両者の距離感を決定する役割を担っているのです。似た助詞としてヲというものがありますが、ニが月花をかなりしたしく結びつけているのに対して、ヲではややよそよそしくなるようです。距離感がひらきすぎるといってもいい。なぜならヲはもともと感動詞であり、感動の中心となる言葉を強調するために用いたのが目的格の格助詞へと発展したものです。本質的に承けることばの輪郭を瞭然とさせるはたらきがある。それがこの歌の場合、月ということに読者の視線を集中させすぎることになって、花と月とがやや遠いもののように感じられてしまうのです。むろんこうしたことは理屈やイメージで最後まで割りきれることではありません。しかし何かおかしいと感じる。それが言葉のしらべというものなのです。芭蕉は「てにをは肝心のこと」と言いましたが、まさし風情やしらべといったものはこうした部分に宿るのであり、そこに歌のいのちが明滅しているのです。
しかしあやしさの理由はそれだけではありません。むしろニがあるからあやしさが生れるのではなく、あやしさがあるからこそ讃岐はニを選ぼうとするのです。歌人の気持というのはそういうふうにできている。――それでは、この歌のあやしさとはいったい何なのか。第一には死への誘惑です。花が散りさり月光に照らされる世界は、そのまま死という静寂へとつながるといっていい。しかもそれがただの寂々とした閑けさにおわらず、奇妙な色っぽさに彩られている。そのぬるりとした色つやがあるからこそ、この歌は単なる死の世界ではなく、死への誘惑といった趣をたたえた作になっているのです。例えば「明方の空」という最後の一句。月のひややかに艶めいた光がしだいにうすろぎ、朝の日はまだ差しこんでこない一瞬の表情をうまくとらえていますが、しかもそうした光のかそけさが散りゆく花によって月の遮られる瞬間と重なっているという繊細な見方が歌の表情をよりあえやかなものにしています。瞼をとじたうえからそっと手で目隠しをされているような、不思議な色っぽさ。そこに光がないのは、たしかに瞼をとざしているからでしょう。しかし人のこころは決してそうは思わない。まぶたのうえにかさなるやわらかな指の感触をいとおしいもと思えば思うほど、ふたつのものは混然となって意識のなかに迫りそれを積極的に「誤読」しようとしはじめます。花があまぎるのか、夜があけてゆくのか。ほんとうはそんなこと、どちらでもいいのです。ただあえかで、美しく、官能的でさえあれば、そしてそこにうすらいでゆく月光の恍惚さえあるのならば、事実など知る必要はない。大切なのは誤解であろうが、誤読であろうが、そうした虚構のうえにたしかに生れた官能であり、恍惚なのです。
死であるには、この歌は美しすぎる。人のこころにあえやかな指で触れることがあまりに多すぎる。すべてが滅びに向かうというのに! 滅びそのものが美しいわけではないのでしょう。おそらく月の光がすべて消えうせた空に朝日がのぼりはじめるとき、人は失望するはずです。そうではなくて、この歌があえぐようにして歌いあげるのは、滅びゆくその一瞬、死へと向かう恍惚の一瞬なのです。だからこそ歌人は風に浮く花を詠まねばならなかった。それは地に落ちたときただの骸へとかえるからです。もちろん枝に残るのであればそこに死の恍惚はない。ただひととき滅びゆこうとする花の横顔にあやしいばかりの魅力が宿っている。――官能の色。月も、花も、言葉の裏側に息を潜めているのは性的な寓意でしょう。ふたつ目のあやしさはそこにあります。滅びの美は同時に刹那の美でもあり、そしてその美しさは、恋のそれというよりも、むしろ人の性に深く結びついています。ひととき湧きあがるように生れ出でる狂気のような衝動。意識でさえうまく律しえないこころの奥底にあるもの。刹那に生れ、刹那に生き、刹那に消えてゆくもの。日の翳りにまぎれてしか光を発することのできない月のように、常に隘路へ、裏側へと押しやられる何ものか。決してひろやかな世界に解きはなたれることなく、禁忌され、嫌悪され抑圧される情動。そのあやしさが、月へとながれてゆく花の嵐の光景のなかに、こっそりと忍びこんでいるのがこの歌なのではないでしょうか。
古く、男が女のもとに通うことを、男神と乙女の秘めやかな通婚であると見立てた神話の時代には、男神は神々しく猛々しいその身を隠すために月のない夜を選んで闇の道をたどることがならわしでした。三輪山の神話(註11)はこれを伝えるものです。花が月を隠すこともまた、そうした神代の人々のこころを無意識のうちに受けついだ、恋の暗喩にほかなりません。そしてそこに匂いたつのは、闇路を通う花の色とそれを待ちつづける月の青ざめた横顔に象徴される、ひと夜の逢瀬の風情であり、まだ恋愛という形式が整わなかった古い代の名残をとどめた濃厚な性的官能の世界なのです。ユングであれば、この歌の「花」は男神の残していった痕跡であると読みとくところでしょうか。
【引用歌註】
1) 世の中を何に例えようか。朝まだきの海を漕いでゆく舟の、航跡の波のように、どこへゆくとも知れず、はかないものだ。「跡の白波」は「知らぬ」と「白波」の掛詞。万葉集にあるかたちならば、「……海を漕ぎ去ってゆく舟の、航跡の波さえ消えてしまうように、生きた証さえも残らぬはかないものだ」の意。満誓は万葉の歌人。
2) 吉野川の岸に咲く山吹が風に揺らめくと、水の底にうつっているその影までも花が散ることだ。
3) 桜の花が散ってゆく風の名残か、水もない空に花びらの波が立っている。
4) 最後にはかならずゆく道とは知っていたが、昨日今日という近い日まで迫っているとは思っていなかったものを。
5) 平家の公達平敦盛は、一ノ谷の戦いで源氏の強襲を受け、急いで沖にいる船へと逃げよう海に馬を乗りいれたところを、源氏の熊谷次郎直実に「後を見せるとは卑怯」と声を掛けられ、馬首を廻らし波打ち際に熊谷と戦って討死にした。享年十六。平家物語中随一の哀話として有名。熊谷は後に敦盛が息子と同年であったことを知って世の無常を悟り、ついに出家したという。
6) おちぶれて暮しておればこの身をつらく哀しい、浮き草のようなものだと思いなしております。誘い水さえあれば、根から離れてどこへで参りましょう。小町がうらぶれて住まうところに、むかしの男から「三河の国の国司になったので、あなたもわたしといっしょにゆきませんか」と誘われて詠んだ歌とされる。
7) 山里の家ですので、道といっても庭よりほかにはありません。庭には落花が散りしいておりますが、花はもう終ったかとたずねがてら、どうかおいでください。落花を踏んで花の終りを確かめよ、というこころ。
8) 上記参照。
9) なんとまあ、ゆく人も、帰る人も、知る人も、知らない人も、出逢っては別れてゆく逢坂の関であることよ。蝉丸は平安時代初期の歌人。詳細未詳。盲目のため逢坂山に捨てられた皇子で、琵琶の名人であったという伝説がある。
10) 名前のとおりの力があるのならば、逢坂山のさねかずらよ、人に知られずにあの人と逢う方法をご存じではないかね。「名にしおはば」とは「逢坂山のさねかづら」の「あふ」(あふさか山、逢ふ)に掛けたもの。藤原定方は平安時代中期の歌人。
11) 娘のもとに夜な夜な通ってくる男の身元がいっこうわからないので、両親は不安に思って糸を通した針を男の衣に刺しなさいと教えた。翌朝調べてみると糸ははるかに三輪山までつづいていて、男は三輪山の蛇身の神であることが知れた。娘はやがてその男の子を産み、その子は三輪山の祭官となったという。古事記にある異類通婚譚のひとつ。
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