時の旅人

時の旅人

その5


卒業後、祖母は癌を発症して療養した。当時は病院側の意向で本人には告知しなかったので、本人に隠さなければいけない我々の立場は大変なものだった。
何回かの入退院ののち、祖母は死去した。
自分は一人暮らしとなった。経済的余裕があるわけでなく、これから先は自分の体一つなのだ。
仕事に追われながら果たして自分の一生はこんなものでいいのかと自問自答を繰り返した。
このままでは生きがいを感じられないまま時間だけが過ぎていく、そう感じ始めた。

実は、僕は高校3年の時、当時購読していた新聞の広告で、大学通信教育について初めて知った。
今までそういった進路指導はなかったので、大学で通信教育を行っているとは知らなかったのだ。
中学の頃から英語が得意科目だったので、消去法で消していくと英文科になる。
しかし、商業高校である自分は受験勉強に費やす時間もなければ大学進学そのものを祖母からきつく反対されていた。
通信教育課程なら、自分の働きで何とかなりそうで、受験勉強の心配もなさそうだ。

とにかく機械的に働く生活だったが、大学通信教育について、再検討を始めた。
教育委員会に問い合わせてみた。
何歳まで教員採用試験を受験できるか確認した。
40歳未満であるという。
単純計算すれば、ギリギリ8年掛かって卒業したとしても、幾度か受験のチャンスがある。
大学通信教育部の解説本を購入し、大学の選定をすることにした。
英文学専攻があるのは3大学であり、その大学の入学案内を取り寄せた。

大学通信教育部は、基本的に在宅学習と筆答試験で単位を取得するが、スクーリングと言う教室での対面授業が必須となっている。

佛教大学では、京都であり遠すぎる。
慶応義塾大学ではカリキュラムがきつ過ぎるかもしれない。

地方でのスクーリング開催など、一番環境が整備されている日本大学が高校の頃に思った通り妥当かと判断した。

ボーナスをほぼ全額使用して入学手続きを取った。
26歳になって間もなく、日本大学通信教育部の1年生となった。

何とかスクーリング休暇も容認してもらい、地方のスクーリングであちこち飛び回った。
仙台、郡山、新潟、青森、山形・・・
そのうち受講の為三島を訪れることもあるかも知れないと思っていたが、その機会はなく、翌年9月にはどうやら卒業の見通しが立った。
ちなみに、通信教育部の卒業できる確率は当時1割程度と聞いたことがある。残りは途中でドロップアウトするという厳しい世界。
自分が知る限りでも、学友が途中で大学を去っている。
先輩の中には、順調に単位を取得していても、退学していった人もいる。
仕事の片手間、そしてお子さんもいる年齢の学生もいて、お子さんの事を優先しなければいけないなど色々あるのだ。
勤労学生と言うと聞こえはいいが、実のところ本当にしんどい生活である。
卒業が見えてきた自分は余程運がよかったのだろう。

今回、夏期スクーリングは最後になりそうだ。この夏期スクーリングは、通常の大学が夏休みの期間、3週間開催され、1週間一区切りで朝から夕方まで集中的に授業が行われるもので、地方都市のスクーリングのみでは卒業できない仕組みになっている。
また、勤労学生にとって、長期間の休暇は大きな壁となっており、勤務先でも大ひんしゅくになると皆が言っており、地方スクーリングの休憩時間でも、仲良くなった学生同士が夏期スクーリングについて職場から理解されず、「今後受講したらくびになるかも知れない」とぼやいていた。

さて、今回思いもよらないチャンスが訪れた。
8月1日、スクーリングに先駆けて、今秋教育実習を控えた僕は教育実践指導を受講する。教育実習希望者を集めての講義であり、事前指導と事後指導が義務付けられている。
教育実践指導の講義は1日で終わり、翌2日は日曜日。スクーリングの授業開始は3日からであり丸1日自由となるわけだ。一足早いたった一人での卒業旅行を計画した。それを計算に入れて、帰りの普通乗車券の代わりに「青春18きっぷ」を購入したのだった。


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