From Asia to Japan 2

遼陽に着いた~授業前日


遼陽に1人、それから沈陽に1人行く、そして半年後交代するということだった。

二人で聞いてないよ~~!!そんなこと前から決まってたんじゃないの??○川のおっさん言わなかったぞ、あのおやじ。くそ役にも立たん。肩書きあるおっさんのくせに何も仕事してないじゃん!!

文句をここで言っていても始まらないので迎えの先生に従うことに。私は遼陽龍門高級中学へ、B先生は沈陽の博亜外国語学校へと別れ別れになったのだった、、。
両校は姉妹校なのか関係がよくわからないが半年後はそこへ行くことになるらしい。

空港から1時間後、遼陽市内に着いた。想像していたよりかなり田舎だ。日用品はこっちで揃えようと思っていたが、果たしてできるのか?と思ったぐらいだった。手持ちの元は100元と少ないので辺りに銀行がないか探したが見当たらない、マジで。どうしよう。と考えている間に学校に到着。青年大街という所に学校があるのだがここは学校ストリートらしく周りすべて学校だ。すげえ。私の部屋は2階の一番奥、校長室の隣だ。2階は女子宿舎と会議室と女子トイレがある。1階は男子宿舎と売店、食堂、理事長室、男子便所、給湯室。3階は教室と職員室だ。小さい建物だ。部屋の中に入るとバス、トイレ、給湯機、テレビが準備されていた、うわぁ、ベッドがデカイ。嬉しい、ゆっくり寝れそうだ。あらでもエアコンがないのね、、、。荷物を置き、しばらくすると食事に行くと言って韓国焼肉店に連れていかれた。東北地方は朝鮮族が多いからか韓国焼肉店が多いようだ。着いて間もないことと色々な不安で食が進まない、、、。勧めてはくれるけど食べられない、、、すみません。夜は疲れたのか早く寝てしまった。

(8/28)翌日朝校長先生に呼ばれた。新学期からの授業のコマ数の話だ。留学クラスが2クラスあり、そこで併せて17コマ、あと高校1.2.3でそれぞれ1コマずつ計20コマだ。これが多いのか妥当なのかまだこの時の私は知らなかった。(後になってわかったことだが高校や大学で教えている先生の中ではかなり多い方らしい)終わるとすぐ3階に行って先生に挨拶に行った。すると日本語の先生が3人挨拶をしてくれた。みんなペラペラだ。中国人の先生は文法を私は会話を担当することになっていた。使用する教科書はみんなの日本語と標準日本語だ。日本語の授業をそれぞれ見学させてもらった。そのとき見た学生の印象だが、高校生はまだあどけない感じで日本でいう中学生ぐらいの感じだった。留学生クラスは社会人もいたので少し大人の感じがした。午後授業もないので先生が買い物に連れていってくれた。そして給料から500元前借りした。初の経験だ、前借りなんて。

(8/29)特に何もすることがなかったので授業の準備と授業見学に。夜は学生がBBQをするというのでまぜてもらった。魚や貝は学生が近くの太子河でとってきたものらしい。結構うまいじゃん!!

(8/30)授業の準備に追われ、特にどこも出掛けなかった。夜は理事長と李先生と3人で食事に。初の火鍋(フゥォグゥォ)だ。美味しい!!!そういや西安では食べなかったなあ、麻辣湯は食べたけど。その後3人でサウナとマッサージに。アカスリもしてくれた、中国でアカスリすると思わなかったよ。明日は学生が鞍山に連れていってくれるらしい。。。

(8/31)生徒と5人で鞍山へ。駅からバスに乗った、1時間もかからず鞍山に到着。二一九公園へ。公園といっても動物園もあるし、遊園地もある。急流滑べりに乗った。古そうだったので恐さが倍増。その後遼陽へ戻り、太子河へ。そこで生まれて初めてのローラースケート。光GENJIが好きだった割にはやったことなかったんだよなあ(年がバレたなあ)。


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