徒

  徒"然草 ~づれづれなるままに~  by 整体処 明響庵(めいきょうあん)

当庵月刊誌 「からだと自然」

治療院で発行している月刊誌。

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カテゴリ「治療院月刊誌より」 に掲載。


「からだと自然」発刊に寄せて(2008.10.22寄稿)

休眠中の種(たね)は光や水、温度といった刺激で目を覚まし、活動を開始するものです。
眠らせてしまった感性や好奇心を甦らせるための刺激。
そんな役割を担うことができたら、という想いが形になり、この度「からだ時報」発行に至りました。


情報も食事も呼吸も、なんでもそうなのですが、取り入れたからには出していかなくてはね。でないと身体が変に偏ってきてしまう。食事の場合は、行動によるエネルギーの消費と排泄(大、小、汗)によって出していきます。もちろん身につく分もあるわけですが。情報ではどうでしょうか。やはり、行動、発信あるいは忘却という形で出していくんです。

本当に相手に「伝えたい」と思うなら、単なる受け売りでは駄目。受けてから売る間に自らの体験を練り込む必要がある。そうでないと思い出すことに、あるいは口を動かすことに必死になってしまって、心の余裕がない、心をこめることができない、ということになってしまう。
心のない情報は死んでしまった種といっしょで芽が出ません。相手の心に残らない、発想が生まれてこない。芽が出ないどころか、時におかしな芽がでることさえある。情報の悪用であったり、誤解であったり。もちろん、それは受け取る側の心、種が落ちる風土の問題もあるわけですけど。

受け渡す側、受け取る側の心がしっかりしていたならば、スーパーでバナナばかりが売り切れる、といった偏った現象は起こらない。溢れくる情報に押し流されて、不安をつのらせることもないのです。


目覚めた種から芽が出て成長し、また新しい種がまかれて。その繰り返しによって森が育まれていく。
健康で充実した世界が皆さんを中心に広がっていったなら、スバラシイと思いませんか。


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