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明日10/1から消費税が増税される。 増税に伴い、各都市でプレミアム商品券が有効となる。 登録したので、宇部市のプレミアム商品券を明響庵でも使っていただくことができる。 登録しておきながら、こんなことを言うのもなんだが、プレミアム商品券、というアイデアそのものは好きになれない。 あからさまな、増税に対する反発への緩和処置と見えるからだ。 国民の反発はこんなもので緩和できる、と思われていることに憤りを覚えずにはいられない。 身体で例えれば、安っぽい鎮痛剤の処方、といったところだろうか。 誤魔化しもいいところだ。 (申し訳ないが、配布されたのぼりのデザインも今一つセンスを感じ難い) …と怒りながらも、なぜ登録しているのか。 それは商品券を使う人に罪はないからである。せめて、ほんの一瞬でも増税の痛みを和らげていただきたい。 ただし、全体観をもたず、商品券をお得だ、などと考えているようならば、それは鎮痛剤の連用よろしく、副作用に冒されている、といえるだろう。特に頭が、だ。 支配されることに、あまりにも鈍感になっている、とも言える。 そんなこんなで増税だが、明響庵の価格変更は今のところ考えていない。 単純計算ではわが家の家計も圧迫される、ということになる。が、ますます多くの人に役立てていただき、元氣を発揮できる人が増えることで、世の活性にも貢献できれば、と考えている。 経済、というものも、お金の流れにばかり焦点を合わせるのではなく、人の発揮するエネルギーの流れ、更には人そのものに注目することで、より皆が活き活き暮らせる社会を築いていくことができるのではないだろうか。 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★ 「治る」身体に導く 整体処 明響庵(めいきょうあん) http://meikyoan.jimdo.com/ https://ja-jp.facebook.com/meikyoan/ https://page.line.me/vtf9624a 〒755-0151 宇部市西岐波4604-8 営業時間 9~21時(予約制)、不定休 ご予約・お問い合わせ0836-39-6275 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★ 楽しく、自ら整う力を育む 整体体操教室 毎週火曜日10:30〜12:00 @宇部市常盤ふれあいセンター 感覚を磨き、しなやかな身体を培う 武道で和の身体づくり教室 毎週土曜日14:00〜16:00 @宇部市常盤ふれあいセンター お問い合わせ0836-39-6275 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
2019.09.30
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自分と向き合うことができなければ、本当の意味で相手と、他と向き合うことはできない。自分を誤魔化し、偽ることは、当然相手を偽ることだからだ。そして、他と向き合うということは、自分と向き合うことより、更なる覚悟が必要だ。より深い苦痛を伴うことがあるからである。真剣な愛の告白などを想い起こしてみればよい(経験無いか?)。やや大袈裟に言えば、それは一刀両断に切り捨てられる不安と向き合うに等しい。ともかく、人と人が向き合うことができないために、世の中には誤魔化し合い、ごっこ遊びが溢れている。夫婦、親子、友達、恋人、教師と生徒、上司と部下、医師と患者、生産者と消費者、為政者と民衆…。向き合えないゆえに、あらゆる関係性にひずみが生じ、問題が溢れてきているのだ。自分をさらけ出せないために、出さないために、ストレスが生じる。そのストレスを誤魔化すために、エネルギーを方々で浪費し、結局のところ、自己崩壊に向かっていく。その過程は「汚染(2)」で記したとおり。多くの娯楽産業が潤うのには、そういう背景がある。本来、真の欲求たる、食や性に関しても、誤魔化され、娯楽と化している。娯楽というよりは「誤」楽。誤った楽、インスタント・コーヒーならぬ、インスタント楽を刷り込まれ、気づかぬうちに命を搾取されているのだ。また、自分を、相手を偽り、飾るための道具、情報、いわゆる武装が必要となり、モノが溢れる。経済競争という名の戦場では、人の弱みを突くことが定石なのだろう。向き合うことのできない弱みを。弱みを突こう、と意識せずとも、経済成長を目的とする限り、その性質が弱みにつけこむ結果をもたらす。ただ、そういうことを続けている限り、日本が真によくなっていくことはない。国民が内から蝕まれていく、ということは、国民の集合体である国、社会もまた然りなのだから。昨今の経済成長は、日本は、人の空洞化という犠牲の下に成り立ってきたのだ。空洞化が進めば、いずれ崩れる、砂上の楼閣、虚構の経済大国、日本。その愛すべき母国に、今や、大きな亀裂が走った。
2011.04.14
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数日前の日記に続く。根本の意識のところで、無駄を無駄でないと思い込ませれば、頼らせる方向へ向かわせれば、あとは維持・管理の形で消費はエスカレートしていく。さながら麻薬中毒である。現代医学の薬漬けはそれをよくあらわしている。薬だけではなく、実は必要ない手術、治療も多い(多くの場合、病症のとらえ方を根本的に間違っているからであるが)。医師もまた、薬や医療機器等、最新の医療技術こそ必要と思い込まされている節がある。必要ない公共工事然り。食品にしても、事実無根の情報が飛びかい、消費を煽っている。そうして、栄養を取り過ぎて体調を崩しては、今度は他の栄養が足りないと思い込まされ、健康食品、薬剤とエスカレートしていく。道具に至っては、もはや…。地上波デジタルやらブルーレイやら。車も電気系統が発達し過ぎたために、自分では整備できないものが多い(エコカーなんか、その典型じゃないのか?)。数年間使い続けた私の携帯電話も、近く周波数が変わって使えなくなるという。買い換えろと通達がきていた。残念ながら、こうして使っているパソコン、インターネットもまた然りか。ヴァージョンアップを促されるたび、何かにはまりゆく気がしている。…そういう渦に巻き込まれ、お金を出して管理してもらわなくては、生きていけない人間が育まれてゆく。己のからだや頭を活かさず、外に頼るゆえに、軸が育まれず、何かというと不安が先に立つのである。そして、その不安という隙につけ込まれ、また消費が促される。必要以上に出費しなくてはいけないため、必要以上に稼がなくてはいけない、という悪循環。たとえ、人を蹴落としても、犠牲者が出たとしても。病、自殺、犯罪の増大あるいは質的悪化。共働きが当然になり、しわよせは子どもがこうむる。親の不安は子どもを無用に縛りつけ、成長を妨げる。あるいは、離婚、結婚しない、という選択をする人も増えるだろう。道具や制度に管理してもらうために、からだの機能的なつながり、そして人間どうしのつながりが乏しくなっていく。…こうして書いてみると、自分で読んでいても気が滅入りそうな、滅びの渦が実際に社会の中心に存在する。まずは現状把握が大切だ。リスクから目をそらさずに受け入れること。それでは、私たちはどうしたらいいのか?そういうところを自分の実践をふまえ、近々まとめてみたい(今まで日記の節々に著してきたような気がするが)。
2010.11.17
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以前にも少し論じた、経済中心の危うき側面について。ふと、想い至ったのでメモがてら。利潤を突き詰めると、如何に売りつけるかということ。ということは如何に必要とさせるか、依存させるか、ということになってくる。さらに言うならば、如何に人を無力化させるか。便利さに頼れば頼るほど、人の地力は衰え、不安を抱え、さらなる便利を求めてしまいがちだ。その結果を現在の日本、そして国民はよく表している。ちなみに、これは武術の一側面、活・殺の「殺」と本質を同じくするように想う。売る側が人の無力化を意識しているとは考えたくない。しかし、意識・無意識にかかわらず、経済の、利潤追求の性質がそうである以上、結果はそこに収束する。人の性質が体型・姿勢に表れるように。
2010.11.15
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前回の日記で無駄について少し触れた。なぜ、日本にはこんなに無駄が多いのか。理由は簡単で、無駄を如何に無駄でないかと思わせることで、昨今の経済はまわってきたからである。だから、多くの人はその無駄に気づかない。むしろ、必要であると勘違いしている。少し前から、散歩コースであった野原が拓かれて、公園になりつつある。木々は根こそぎ引き抜かれ、整地され、なんとも空虚になってしまった。そこに棲んでいた生き物にとっては、紛れも無い侵略だろう。たくさんの人、重機が投入され、戦争さながらである。ものすごいエネルギー。働いている人は、工期がせまれば、きっと心血をすり減らすのだろう。そして、それらのものすごいエネルギーは税金、すなわち私たちと地球も負担している。そこでふと疑問が生じる。そこに公園は必要だろうか、と。確かに、公園ならば、子どもはより安全に遊ぶことができるかもしれない。しかし、管理を徹底し、表向きリスクから遠ざけて、無難に人生を歩ませる方向が、ストレスに弱い、適応力の低い人を育てあげていることに気づいているだろうか。うつ病の増大、年間3万人の自殺者をはじめ、日本の抱える多くの問題には、そういう要因がある。無駄ばかりやって、膨れ上がった日本はスカスカだ。無駄ばかりやっているから、そのツケはたまる。どこにたまるかというとその中心、つまり人。からだ。そして、心。風土、地球。自然。経済至上主義の社会に取り込まれて、心もからだも蝕まれてゆく人を診るのは、なかなかにつらい。(→続くかも)
2010.11.12
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釣り餌を掘りに行く時は、ついでに自分たちの餌も獲ってくる。先日のこと。石をよせると、何やらニョロニョロした生物が…。アナゴだった。蒲焼を経て、私ども一家の血肉となった(わずかだけど)。タコに至っては、隠れているところの見当がつくようになったので、毎回収穫がある。ところで、自給自足を目指す上で気になることが。食費の割合は思いのほか低いのである。かといって、決して、食費以外で無駄遣いしているわけではない。自然界を想えば、餌にかかるエネルギー消費割合が当然高くなるはずではないか?それだけ、便利さに頼っている、あるいは管理にはまっているということか。行き先を突き詰めると、税金や年金、保険料など無駄に搾取されているものも多い。世の中の無駄を省けば、心もからだも無駄にすり減らさず生きていけるのではないかと想う。それにしても、釣果がまだまだ今一つだ。はやく主食を補わなくては…(海辺の採集で酒のつまみには困らないのだが)。(酒は贅沢品ですがいただきものです)
2010.11.11
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(続き)なぜ、社会不安が増す一方なのか。日本社会の中心をなしている経済第一主義。これは、ものを消費させるために、人の意識を外へ外へと向かわせるわけです。どんどん頼らせ、依存を促進させる。これは安心とは程遠い、むしろ真反対の方向性。(前回書きましたが)真の安心には、意識を内に向けて、自らと向き合わない限り、至らないからです。自分の内を振り返ろうとしないから、他人様のせいにする。クレイマーやら、モンスターなんちゃらが現れたりして。犯罪だって増えるでしょう。挙句、肉親同士で殺しあっちゃったり。不安なもの同士がぶつかって滅びる図柄ばっかし。究極的なのが戦争やね。不安の渦は滅びという底へと向かっています。先日、某スーパーの折込広告にすごい文句を発見しました。「ごはんの代わりに朝ケーキ、糖分で朝から頭フル回転!?」「!?」に言い逃れの準備はできている、という確信犯的な意思を感じました。売れれば、人の健康、安全、ひいては社会の平穏などどうでもいいのでしょうか。これが本当の殺し文句やね。こんなイカれたコピーを許可する人、そして、それに食いつく人がいるところが、滅びを予感させます。
2010.09.03
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お金とからだもまたたいへんよく似ています。からだは、細胞というのがたくさん(約60兆と言われる)集まって、つながり、できているらしい。お金は1円が集まって動いていますね。お金を使って、資源から道具を生み出す様子や、その道具をまたお金と交換する様子は、食事さながら。消化器系の働きであり、肝臓を中心とした異化同化作用を想い起こさせます。腕力の延長として工具、ひいては重機が。脚力の延長として自転車、自動車、ひいては電車が。脳の延長としてパソコンが。最近では、全身の延長でしょうか、ロボットも開発されているらしい。燃え上がれガンダム。…そういう道具がお金の流れと供に開発され、活動しております。然らば、お金自体は血液を中心とした体液とよく似ています。東洋医学におきましては、気脈、血脈、水脈などとからだの流れを表現します。お金はからだの外に作り出したもう一つの流れ、「金脈」と表現できるかもしれません。 時にこうして書いておりますと、昨今ではお金が先か、人が先かわからないなぁ、と想いました。からだの外に内を任されている方を多く見かけますので。 しかしながら。 血液循環の調節に大きな役割を果たすのは、脳にまつわる神経系、特に自律神経と心臓でしょう。金脈においても、その役割を司るのはやはり、人のそれだと想うのです。自律と自立...おおいに関係ありますね。自ら外に作り出した流れに脚をとられて、地に脚つかぬようでは困るということです。
2010.03.21
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先の日記(「お金について。」)にお金は時間を短縮できることを記しました。そのことと、昨今の世の加速とは当然関係があるでしょう。身の丈を超えてしまうとコントロールを失います。時間短縮による加速についていくために、更なる道具、購入もしくは開発するためのお金が必要になります。しかもそれが多方面に広がってゆく。仕事面だけではなく、家庭、からだ、自然環境…。焚き火から広がる山火事って、そんな感じ(物理学的にはエントロピーの増大とか言うらしい)?パソコンが職場に導入されて処理が加速したようですが、その弊害を抱えて治療に来られる方は少なくありません。明らかに身の丈を超えているのです。道具や金を扱っているというより、道具や金にからだをあてはめているような。「ターミネーター」という映画を想い起こさせます。パソコンに人生をターミネート(終焉)させられては、笑い話にもなりませんが…。ドーピング同様、即効性のある薬(酒、タバコ、砂糖なども然り)でからだを誤魔化したとて、ついていける速度には限界があります。そして、ドーピング後のからだは無残なもの(このあたりは少子化の問題とも絡んでくるところですが、またいつか)。そういえば、ベン・ジョンソンのその後は誰も問いませんね。あたかも経済が軸となっているような現代社会ですが、金は道具、軸として成り立ちえません。扱いきれない道具は凶器。それを扱いきれていると勘違いするのは狂気。先の日記に記したようにお金を潤滑油的とするなら、むしろお金は補助的に扱われるもののように想えます。お金を使う以外にも豊かに暮らす方法はあるのです。
2010.03.19
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