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「ねえ、これ100円よ。いいと思わない?」 チッチキ夫人 は
「サラやん。」
「うん、100円の棚にあってん。」
「どこ行っとってん?」
「元町。」
「1998年やから、25年前の文庫やな。安野光雅、ようはやったなあ。」
「文章は短くて、そのかわり絵がついてんねんよ。シャレてるやろ。」
「もともと、もう少し大きな本やったんやろな。」
「表紙は京都の三条、麩屋町のスケッチよ。」
「ああ、梶井基次郎やね、檸檬やろ。難しい字で書くやつ。」
「100円棚の救い主」 を自負しています。まあ、本屋稼業を続けてきたこともあるからでしょうね。新刊本で、売れますようにとホコリをはたいたりした本には、とりわけ情が移るようです。
「まあ、あなた、こんな日盛りに並べられて、これじゃあ、あんまりね。」 というわけでしょうか。で、本日、つれかえってきたのは 安野光雅「読書画録」(講談社文庫) でした。 1989年 の新刊ですが、 1998年の3刷 の本でした。
梶井基次郎「檸檬」 いかがでしょうか。この文章に、 表紙のスケッチ がついています。 「読書画録」 というわけです。
大げさなようだがわたしは、 「檸檬」 を読んだあのとき以来、文学に対する考えかたが変わった。いま思い返してみると、文学にかぎらず絵や音楽についてもそうだった。再び大げさなようだが、あの時、世界を見る私の意識の曇りが晴れ、心の中に清澄な何かしらあるものが炸裂していくように思えたものだ。
(後でわかったのだが、)あれは、かれが二十四歳の時の作で、 「檸檬」 を読んだ時点のわたしより五つは若かったらしいことは、喜ばしくも腑甲斐ないが、ともかくあの時、 「檸檬は絵なのだ」 と直感した。
ある時空を越える錯覚を起こそうとつとめ、それがうまくいきそうになると、 「それからそれへ想像の絵の具を塗りつけてゆく」 かれ、 「レモンエロウの絵具チューブから搾り出して固めたやうな単純な色」「本の色彩をごちゃごちゃに積み上げ」 る、いかにも静物画を配する行為などをあげて“絵だ”と言っているのではない。
作品全体の構図の緊密なこと、音楽でいえば起承転結、色彩と明暗の対比、何よりも素材の新鮮さ、などと言ってみてもいいが、そのように説明すればするほど、詩の散文的な解説にも似て、かえって 「檸檬は絵なのだ」 と見た直感から遠ざかってしまう。
彼は絵も描いたし、足しげく音楽会や美術館に通い、透徹した目でそれらを批評している。 「中の島の貸ボートの群やモーターボートがまた如何にボート屋のペンキ絵の看板の画家に真実な表現を与へられてゐることぞ、かう思つて私は驚嘆した 綴りの間違つた看板の様な都会の美を新らしく感じた」
また 「この靴問屋が靴を造つてゐるのを見て羨しかつたんです、今日は今日で電灯会社かなにかに新しい青竹の梯子がたくさん積んであるのを見て、同様の感を催しました」 などと、友人にあてた手紙に書いている(このような視点は、彼の文章の随所に見られる)
いわゆる画家が、自分を芸術家だと信ずるために、看板絵などを軽く見ることのすくなくなかったそんな時代に、場末の風俗や、安花火や、果物屋の店頭に、時代に先んじて美しさを発見し、
― つまりは此の重さなんだな ―
といわしめる一顆のレモンを絵にしたのである。
わたしは 「檸檬」 を絵だと思った。理屈はない、すばらしい絵を見たあとの気分と同じだったというのが答えである。逆に絵はこれほどの感動をあたえ得るものでなければならぬ。ということになるが、それも止むを得ない。
「多読多読、芸術家に教へて貰はなければ吾人は美を感じる方法を知らないから」
これは 梶井 が友人にあてた手紙の一節だが、わたしはかれからそのように教わったのである。
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