雫について


             『雫について』

雫がね 耳が聞こえてないって解ったのは小学校の4年生の時なんだ。
友達と喧嘩してね そのとき友達が雫に言ったの。
「雫ちゃんの つ○ぼ!!」って。
で、泣きながら家に帰って お母さんにこんなこと言われたって 言いつけたんだよね。
そうしたら 即 病院に連れて行かれたんだ。

調べた結果 やっぱり聞こえていないのが解ったんだ。
母親もさ なんかおかしいなあ・・・って思っていたけど まさか耳が聞こえなくなってるなんて思いたくなかったんだろうね。
でも不安だったんだ。
自分の夫(雫の父親)が 難聴だったからね。
だからすぐ連れて行ったんだと思う。

扁桃腺が大きいからもしかしたら これのせいかも??って 手術して 切り取ったんだけど
変わらなかった。
最近は、切らないらしいね。昔だからなあ・・・

それから 小5・6と2年間 大学病院まで毎日通ったの。
病院では 真っ赤なお薬の入ったぶっとい注射を 毎日 打ちつづけたんだよ。
痛かった。子供心に何でこんなの毎日打たなきゃならないんだ!!って思ってた。

学校の授業も 3・4時間目を抜けて病院に行ってたから 友達から遊びに行ってるように思われて いじめにもあったよ。
だって 給食の時間にはちゃんと帰ってきて食べていたし ずるい!!って 思ってたんだろうね。

まあ それで 1~3mぐらい(4mが限界だな)ならまあまあ聞こえるぐらいには戻ったけど それ以上は無理だった。
中学校も高校も 雫の席は決ってた。
先生の教壇の真下!!

でもここは良かったよ。
だって意外と先生からは死角になる場所なんだ。
だから 雫は解らない勉強の時なんかは こっそり絵を描いたり 小説書いたりして遊んだりしてたんだ。

でも授業の時間は 黒板の前で先生がお話してる時はいいんだけど 歩き出したら聞こえなくなるからね。

だから 雫は 自分ひとりでも勉強できる文系の方が得意だった。
でも英語はまるっきしダメ・・・・
発音がわからない!!
嫌になったら 文法もまるでやるきなくしたもんね。
音楽も大嫌い!!
テストの時 みんなの前で歌うの嫌だった。
雫が聞こえているのと みんなが聞こえているのとでは違ったみたいなんだよね。
今でもそうだよ。旦那に 言われるからカラオケに行っても絶対に歌わない!!

大学に入ったとき 初めて補聴器を買ってもらったの。

初めてお店に連れて行かれて いろんな補聴器を試しに付けさせられたんだけど 凄くうるさくて・・・・耳が痛くなった。

なんかね ガーーガーー ジャージャー雑音みたいなのがいっぱいで頭が痛くなってしまったの。
・・で 母親に「これ変や!!変な音ばっかり聞こえる!!」
母親が 自分に付けてみると 何とも無いと言うの。
で、「ガーガー ジャージャーいうてる!!」
そのとき母親の説明では ガーガー聞こえるのは お店の外でやってる工事の音!!ジャージャーは 車が通ってる音だと 初めて知ったんだよね。
それまで そんな音が そこらじゅうにあるなんて 思っても見なかったの。
自分の近くにある音しか知らなかったんだね。

だけど結局 その音のうるささに耐えられなくて 付けなかった。

幸い 大学で今の旦那に巡り合ったの。
旦那はさ、詩吟やってたから 他の男子の声より よく聞こえたんだ。
普通なら男の声は凄く苦手なんだけど 旦那の声は雫の耳にスーーって 入ってきたの。

こんなもんなんかなあ・・・
人と人との出会いって・・・・

大学から7年間交際して 結婚したんだ。
家に言いに来てくれた時 母親が旦那に 

「耳の不自由な娘だけどいいの?」

って聞いたらしいけど 旦那は良いって言ってくれたらしい・・・

だけどね 旦那いはく 
「ここまで聞こえんようになるとは思わんかった!! 不良品交換せなあかんわ!!」だって。

残念でしたねえ。
クーリングオフはもうとっくに切れてます!!
アハッ!!

それからは しばらく問題もなく生活してたんだけど 引っ越しが決って 持ち家を売る時にどうしてもいろんな人が来るでしょ。

で 話し掛けられても聞きにくかったしで ストレスが溜まったんだね。
その上 ご近所さんからも 「家売れた??」
って聞かれるのが嫌で 毎日悶々と生活してるうちに だんだん 人の声が遠くに成って来て
おかしいなあと思ってるうちに ある夜 突然耳の中が ゴオオオーーーって 飛行機が飛び立つような音が聞こえて 飛び起きたの。

だけど周りを見てもべつに何も変わってない旦那も静かに寝てるだけ・・・・
その夜から 耳鳴りが始まって 音も声も耳元で大きな声で言ってもらわないと聞こえなくなっちゃった。

でも 家を売っていたから なかなかお医者さんに行けなくて そのうち やっと家が売れてお引っ越ししたの。
本当は 雫は引っ越ししたくは無かったんだ。
だけど 仕事のことなんかで 引っ越しした方が良かったんだよね。

せっかく耳が不自由でもお友達になってくれた人たちと離れるのが凄く不安だったんだ。
困った事があったらいつも助けてもらえたし・・・
新しい場所で 又1から友達作れるか心配だった。前より聞こえなくなってるのに 友達できるか・・・怖かったんだ。
1人ぽっちになりたくなかったから。

でもね 今は大丈夫だよ。
補聴器も自分の耳に合ったのを 作ってもらったら 凄く良く聞こえて うれしかった!!

前の時はうるさかったけど 今度は全く音の入らない状態から補聴器を付けたせいか 旦那の声がはっきり聞こえた時は本当 感激した。

それからは 毎日がキョロキョロの生活!!
だって何かわからないのに音が聞こえるから 何だろ??何だろ?? ってね。

変な音がするし見てみたら こいのぼりの上にあるクルクル廻ってる奴が 発信音の元だと教えてもらったりね。

それから 引っ越ししたここで 手話教室が開かれるって 新聞に載ってたから 申し込んで参加したの。

補聴器を付けてたけど やっぱり聞こえにくいんだよね。
だけどここで お友達が2人できてね その2人に助けてもらって 勉強したの。
講習会が終わった後で 誰かの家に集まってお昼ご飯食べながら 今日習った内容のおさらいをしたりしてね。
そのときに聞き漏らしてる事なんかを教えてもらったりして 手話も覚えたの。

いいお友達がいてよかった!!
心配してたけど いいお友達にめぐり合えたんだよね。

とまあ こんな調子でいつの間にか 講演したりするようになってしまったみたい。

サークルでもお友達が出来たし 当然 聴障のお友達もいっぱい出来たし まあこんなもんかなあなんてね。


これは以前 雫が書いた日記です。
でも今は こんな風に思えなくなっている自分が悲しい・・・・・


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