《 幸せのひろいかた 》  フェルトアート・カントリー木工 by WOODYPAPA

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2011年07月10日
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カテゴリ: 幸せ読書日記
二週間ほど体調を崩していた。急に暑くなって、睡眠不足も重なり、自律神経が乱れたのだと思う。

具体的には食欲不振、吐き気、倦怠感、めまいふらつき、微熱。

以前、この状態から過度のストレス、重責、猜疑的人間関係、孤立感などが重なり"うつ症状"に陥った。

今回はそれほどでないし、克服のためにそれなりの努力はしたつもりなので、心配はしていないが、治ったと思っていた体が、ひとたび弱り目を見せると、すかさず悪魔が忍び寄るのを感じてぞっとした。

この感覚は同じ体験を持つ人でなければわからないかもしれない。

『うつを見つめる言葉」は、曽野綾子のアンソロジーだが、ここに収められた言葉は特に僕の心に共感を覚える。

まえがきに書かれたことは、まったく同じ思いである。

私はうつの「体験者」だが、底から抜け出した「脱出者」である。ただし私はうつ的な性格から完全に抜け出したのでもない。人間の性格はそんなに百八十度の転換をすることなどあり得ないのだ。

しかし、現在、少なくとも私はどちらかというと、陽性な性格だと思われている。性格も疑い深く、瞬間的に思ったことを口に出す醜い軽率さも失っていないが、人工的にネアカにふるまうことを覚えたので、私はうつ的な人間とは思われなくなったのだ。

いつから、どうしてうつから抜け出したのか。私は或る年齢から、人間の運命にそれまでよりは少し従順になったのだ。つまり自分の能力の限度を見極め、流されていきることこそ私らしく、もしかしたら美しくさえあるのだ、と思えるようになったのだ。

できることを、できる時に、できるだけ、できるやり方でやる。それだけのことだ。それ以上のことは、独裁的恐怖政治をしている国家でない限り、神も仏も、社会も他人も肉親も、望みようがない、という地点に立つことにした。しかしそれだけのことを、すべての人がやっていれば、それで世の中は複雑でおもしろいものになるはずである。

要らない人は一人もいない。一人一人持ち味と能力が違うのだから、いなくてもいい人はいないのである。だから自然体で、できることだけを、おもしろがってやることだ。他人と比べるから、自分が辛くなるのである。

そう思った頃から、私は過度の努力、律儀さ、負けず嫌い、白黒をはっきりつけること、などから遠ざかった。他人から非難を受けた時は、少し考え、反省すべきことは反省し、直すことができなかったらカメのように首を ( すく ) めて嵐をやり過ごすことにした。

そして私はうつではなくなったのである。

〔うつになるほど自分を追い込んだ経験があるのか、ということでもある。闘うことがいつも解決策になるとは限らない。適当に身をかわす術も会得することを勧める。大切なのは、自分自身の人生であり、個人の幸福である。

うつという危機に直面して、防衛策を身につけることになる。それが現実的に人生を楽しむこと、幸福になることに直結することになった。〕

自分を追いつめないようにすること。

その方法は、何にでも「たかが」をつけて考えることです。  『仮の宿』

〔うまくいけば出来るし、状況によっては出来ない場合もある。イスラムの言葉で「インシャラー」(神の思し召しのままに......なるようになるさ)〕

豊かさと貧しさ、受けた愛と憎しみ、幸福と不運、すべてに意味があって、それらのおかげで二人といない今の自分ができたと思う境地に達すれば、多くの神経症に苦しむ人は、必ず心が少し軽くなるはずである。  『哀しさ 優しさ 香しさ』

〔まず今の自分を“全肯定”することが大切。それによって、過去の苦悩、挫折、失敗、不運がすべて正当化されるのである〕

懐疑心がない人は、ますます自分がほんとうにいい人だと思い込み、懐疑心に満ちた人は部分的に嘘ばかりついていなければならないので、たぶん胃潰瘍になる。ものごとが見えないので健康な人と、物事が見えるので病気になっている人だけが増える。  『流行としての世紀末』

〔ストレスに対する過剰反応が、自身の体を攻撃し、うつになる。世の中のことはすべて神様が段取っているのだから、極端に心配することはない。問題は具体的に対処すればいい。抽象的な悩みは、問題の解決には向かっていない〕

自分が相手からどうおもわれているかなどということは、人生でさしたる問題ではない。  『生きるための闘い』

〔社会生活の中のストレスは、ほとんどが人間関係である。無人島で生きるなら、こんな苦労は要らない。ストレスの対象となる人間に、意識を奪われるからストレスになる。「色即是空」、ストレスの主を意識の中から消してしまえば、なにも恐れることはない〕

本当は人間は人生の途中で、ゆっくりと立ち止まって風の声を聞くような日々がなければならないのである。  『砂漠・この神の土地』

〔追いかけているのか、追いかけられているのか、われわれは強迫観念の中で生活している。自分を苦しめているのが、自分自身だったと気づくためには、距離を置いて自分を見てみなければわからない〕

見栄というものほど、人間を真実から遠ざけて、退屈で、生硬で、みじめで、醜くするものはない。  『絶望からの出発』

〔欲望の虜になった姿が、見栄である。物事の判断を、見栄に振り回されて下すことほど、愚かなことはない。他人を意識した自己満足など、真実の目で見れば何の価値もない〕

私はものの考え方は不純がいいと思う。むしろちいさなことでは不純を許す方がいいと思う。人間には、自分を ( やま ) しく思う部分が必要だ。自分は正しいことしかしてこなかった、と思うような人間になったら、周りの者が迷惑する。  『悲しくて明るい場所』

〔人間だもの、いろいろあるさ。マイケル・サンデル教授は"正義"について論議を行い、旋風を巻き起こしたが、そもそも正義などというものは、矛盾に満ちた絶対的なものではない〕

今までの人生で、不思議だったのは奇妙に「捨てる神あれば拾う神あり」だったことだった。  『至福の境地』

〔人生、最後は帳尻が合うように出来ている。待てば甘露の日よりあり。人間万事、塞翁が馬〕

人間は弱くなっているとき、病気になっているとき、気がめいって落ち込んでいるようなときに初めて、その次の段階が見えます。  『現代に生きる聖書』

〔厳しい冬を迎え、花を散らし、葉を落とし、すべてを捨て去ったとき、本当に大切なものが残り、新しい芽が息吹き始める。後になってわかることだが、それが自然の摂理なのだ〕

それは手厳しいお灸である。ある人は糖尿病を発見し、ある人は高血圧になり、ある人は胆石に苦しむ。そうなって初めてその人は、自分の健康と体力が無限ではない、ということを知る。  『バァバちゃんの土地』

〔心の病にしても同じである。体の健康に問題が発生すると、心も折れてしまうものだ。体を治すのは心だし、心を守るのは体だ〕

私はこの世に「安心して暮らせる」状態などないこと、生きることは運と努力の相乗作用の結果であること、従って人生に予測などということは全く不可能であること、しかしそれ故に人生は驚きに満ち、生き続けていれば、びっくりすることおもしろいことだらけだと、謙虚に容認できるようになった。  『至福の境地』

〔自らの力だけで立っていると思うのは驕りである。見えざる力の加護に置いて、人は生かされている。悠久のいにしえから続く現在のすべてに、感謝を捧げなければならない〕

人を助けるなどということは、本来不可能なことなのだが、それでも一人の目の前にいる人がほんの少しでも、幸せになることができれば、という程度のことでやるのである。  『あとは野となれ』

〔目の前の人を、少しだけ、幸せにするという思いが大事。それ以上の思いは傲慢であり、相手からの見返りを要求するものにもなる〕

辛い体験をすることのメリットは実に大きい。人間はそれで自信をつける。怖いものが、完全になくなりはしないが、少なくとも少し減るのである。  『教育の論点』

〔新たな辛い状況は、過去の辛い状況を乗り越えた経験が軽くする。経験が心の筋肉を鍛えてくれるトレーニングなのだ〕

辛い目に会いそうになったら、まず嵐を避ける。縮こまり、逃げまどい、顔を伏せ、聞こえないふりや眠ったふりをし、言葉を濁す。

このように卑怯に逃げまくる姿勢と、正面切って問題にぶつかる勇気と、両方がないと人生は自然に生きられない、と私は思うようになったのである。  『悲しくて明るい場所』

〔自然界の動物は、危険が訪れれば避ける行動をとる。危険から逃げるための仕組みが、ホルモンの分泌である。本能に従って行動をすれば、生命の安全は保たれる。従うべき行動に逆らって踏ん張るから、神経が混乱するのだ〕

音楽でも深く感動する。書物でも胸が高鳴る。理由は同じである。人生を発見して、自分が深くなったような気がするからである。それは錯覚かもしれない。しかし自分を深めるのは、学歴でも地位でもない。どれだけ人生に感動したかである。  『それぞれの山頂物語』

〔生まれてきたからには、生きなければならない。生きていれば、生命体の使命は達しているのだが、人生を生きるとなると、もう少し何かが必要になる。それが何であるかによって、人の価値も変わるし、幸福かどうかも違う〕

思いますに、年をとりましたら、何にでも、おもしろがって感謝し、評価してみせること、これが人々に愛される要訣でございますね。   『遠ざかる足音』

〔日々、目の前に起こる出来事を楽しめれば、人生の達人である〕

何がどうあろうとも、私たちの望まぬ試練が、私たちを強めるということは真実なのである。   『心に迫るパウロの言葉』

〔神は越えられぬ試練は与えない。(JIN先生)〕

だから人間は、卑怯を自認しつつ正義を行いうるものであり、間違いつつ正しさを模索しうるものであり、受けながら与えることもできるものなのである。最初からためらいがない人、心が揺るがない人、前言を取り消さない人、というのはだから人間としてはむしろ異常だということを私は知ったのである。

その緩やかな時の流れを認められない人は、つまり人間らしくない、と言ってもいいのかもしれない。  『悲しくて明るい場所』

〔図らずも、最近は脱原発に傾いている(かのごとき)菅首相を応援する陣に与している。あまりの右往左往で本音は読めないのだが、いい方向に進むかもしれない。何年か後に、現在の推移を検証して、あれでよかったと思えるようになっていて欲しい〕

すべての現状は長続きしない。  『魂の自由人』

時と共に状況は必ず変わってくるのだから。  『至福の境地』

答えを出すのは、人間ではなく、常に時間である。  『幸福という名の不幸』

〔万物は流転する(ヘラクレイトス)。ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず(鴨長明)。

己の人生と、その時代を振り返って、最後の審判の日に、何を思うのだろうか。

人の力では抗えない、大きな流れの中で、自分を信じて、身を任せ流されて生きるのが、うつを遠ざける良い生き方だ〕






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最終更新日  2011年07月10日 17時58分55秒
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