《 幸せのひろいかた 》  フェルトアート・カントリー木工 by WOODYPAPA

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2013年02月11日
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カテゴリ: 幸せ読書日記
2012年を振り返っているうちに2月になってしまいました。

ここからは通常のコラムにもどります(と言っても何が通常か解らない、ごった煮のようなブログなのですが)。

年頭に当たり、今年の方針というか、心がけを、「今日一日を丁寧に生きよう」と決めました。

何か目標やゴールを目指して精進するのもいいのですが、残された時間を大切に生きるのには、まず今日と言う一日を無駄にしないようにしたいという願いからです。

結果を求めず、自分として正しい選択をして、偽りなく行動できたかを、達成の基準にしようと思いました。

そんな思いを体現している先生がいらっしゃいます。

僕はクリスチャンではありませんが、クリスチャンの中に多く私淑する方が存在します。

僕の最も尊敬する人の一人にマザー・テレサがいますが、マザーが1981年来日した時に通訳として寄り添っていたのが渡辺和子さんです。

今回は心洗われる、清々しいカトリックのシスターを紹介します。

渡辺和子さんは、ノートルダム清心学園の理事長で、1927年生まれですので今年86歳になります。

双葉学園入学、18歳でキリスト教の洗礼を受け、聖心女子大学から上智大学大学院終了、29歳でナミュール・ノートルダム修道女会に入会。

アメリカへ留学、ボストンカレッジ大学院で博士号を取得と順風にキャリアを重ねます。

そして、転機を迎えることとなる、岡山県の「ノートルダム清心学園」への派遣を迎えます。

なんと36歳の若さで、4年制大学の学長という重責を任命されます。

この大学の初代・2代目の学長はアメリカ人のシスターで、ふたりとも70歳代の方でした。

初めての日本人学長が、この大学の卒業生でもなければ岡山県にもゆかりのない、弱齢の渡辺和子さんだったのです。

よそ者に対する風当たりは当然強く、随分辛い思いもしました。

思い余ってかつての上司のアメリカ人神父に、うっぷん不満を打ち明けたのですが、慰めてくれるどころか、

「あなたが変わらなければ、どこへ行ってもなにをしても同じだよ」

と、すげない言葉を返されてしまいました。

渡辺さんはその当時を振り返り、自分は“くれない族”だったと語ります。

こんなに若くして学長になって苦労しているのに、誰も慰めてくれない、私の辛さを理解してくれない、ほめてもくれない、挨拶もしてくれない・・・。

神父は「あなたが変わりなさい。人に求めるのではなく、人に与える人になりなさい」と諭したのでした。

それから、自分から挨拶をするようになり、自分からお礼を言い、お詫びをし、人をほめるように変わりました。

すると不思議なことに周りの人が変わって行きました。

【 幸せに生きるということは、決して苦労のないことでもなければ、物質的に豊かな生活を送ることを意味してもいない。

苦労したおかげで、苦労のない時にはわからなかった他人の痛みを解ることができた、と感謝する心に幸せは生まれるのである。

幸せは、いつも自分の心が決めるのだ。 】 『目に見えないけれど大切なもの』

もうひとり、影響をあたえてくれた人に、ベルギー人の神父がいました。

渡辺さんが苦労しているのを見かねて、ひとつの英文の詩を贈ってくれました。

それは「Bloom where God has planted you. (神様がお植えになったところで咲きなさい)」という詩でした。

渡辺さんはこれを「置かれたところで咲きなさい」と訳しました。

置かれたところで咲きなさい

しかたがないと諦めるのではなく

咲くのです

咲くということは自分が幸せになり

周囲のひとを幸せにすることです

咲くということは

私は幸せなんだということを

周囲に示して生きることなのです

渡辺さんは“くれない族”の自分と決別し、自分が置かれた岡山という地で、学長という立場で咲く決心をしました。

ノートルダム清心女子大学にも、自分の本意ではない"不本意入学者"がいます。

その学生に対し、

「時間の使い方は、そのまま命の使い方なのですよ。置かれたところで咲いてください」

という言葉は、渡辺さんの経験に裏打ちされている言葉であるゆえに、学生達の心に響き届くのです。

【 結婚しても、就職しても、子育てをしても、「こんなはずじゃなかった」と思うことが、次から次に出てきます。

そんな時にも、その状況の中で「咲く」努力をしてほしいのです。

どうしても咲けない時もあります。

その代わりに、根を下へ下へと降ろして、根を張るのです。

次に咲く花が、より大きく、美しいものとなるために。 】『置かれたところで咲きなさい』

渡辺和子さんを語る上で、避けて通れないことは、お父さんのことです。

渡辺錠太郎陸軍大将がその人です。

錠太郎43歳の時の子で、和子さんは孫のように可愛がられていました。

それが、1936年2月26日、日付で解るように“2・26事件”の悲劇に襲われます。

当時陸軍教育総監だった錠太郎は、訓示において“天皇機関説”を養護する発言をしていて、それがクーデターを起こす皇道派青年将校に目をつけられていました。

“天皇機関説”は今検証すれば、立憲君主国であれば当たり前のことで、敵視される理由はありません。

よろず“思想”などと言うものは、中身の整合性などはどうでもよいもので、自分の属する組織の損得に利用されるスローガンだけのものでしかないのです。

反乱軍により、岡田圭介首相、高橋是清蔵相、斉藤實内大臣に続き、上荻窪の渡辺邸も襲撃されました。

外の物々しさに事態を察した錠太郎は、膝の上で遊んでいた和子を「お母さんのところへ行きなさい」と部屋の外に出しますが、母親は青年将校相手に、家の入り口で立ち塞がっている最中でした。

それで父親の部屋に戻ってくるのですが、錠太郎はとっさに座卓を立てその陰に和子を隠します。

そこに襲撃してきた青年将校は錠太郎に軽機銃を乱射し、43発の弾丸が身体に打ち込まれました。

さらにひとりが日本刀でとどめを刺すところを、和子は目の前で見るのでした。

和子9歳の時でした。

許しを旨とするキリスト教者にとって、愛するものを目の前で殺されるということは、このうえなく残酷な試練でした。

事件から40年もたったころ、テレビ局から事件に関しての番組の出演を頼まれました。

そこで、思いがけず父を殺した側の人が招かれていて、対面することになりました。

【 その時の心の波立ち、局が出してくれたコーヒーのカップに指をかけ、口もとまで運びながら、「敵」とともにあっては、一滴も飲むことができなかったのである。

その時、私の心の中には相手に対しての激しい嫌悪感があった。

口で敵を許すと言うのは易しくても、殺された父の血が流れている私の体が言うことをきかなかったのだ。

もしも、私がその人を“愛する”としたら、それはやはり、心に葛藤をおぼえながらも、私より年上のその人の老後の幸せを祈ること、せめて不幸を願わないことでしかない。 】『忘れかけていた大切なこと』

キリスト教者の葛藤のすさまじさがにじみ出ています。

この経験を乗り越えてこそ、現在の境地にたどり着いたといえましょう。

比べるのも恥ずかしながら、僕にも何人か許しがたき人物の存在があります。

かつては何とか復讐してやりたいとか、不幸に落ちろとか願ったこともありましたが、怨念はいずれ自分に返ってくると知り(精神に不具合を生じたわけで)、許せるものなら許そうと決心しました。

僕のこれからの人生においては、その人の人生はどうでもいいことですから。

あの時は辛かったけれど、今があるのはその経験の賜です。

あの人たちにも感謝をしなければなりません。

【 許すことによって救われるのは、実は、許された相手以上に、許した自分自身であることを、私はいままで何度も経験してきた。

相手が憎い、何とかして仕返しをしてやりたい、いつ詫びるだろうかなどと考えている間中、残念ながら、私はその憎い相手に振りまわされているのである。

それが、許すことによって、そのこだわりから自由になれる。

多分これも、「神の子」としての自由なのだろう。 】『忘れかけていた大切なこと』

渡辺和子さんは、50歳の時に"うつ病"に罹ってしまいます。

大学の学長職に加えて修道会の管区長職もこなし、心も身体も疲れ果てていました。

応接室で話をしていてもいつの間にか眠りそうになったり、出会う人に微笑みかけることができなかったり、講義中に言葉が続かなくなり“立ちん坊”になってしまったこともありました。

「私には、今の仕事をする資格はもうない。私の人生は50歳で終わりなのかもしれない」

と落ち込み、死ぬことさえ考えました。

その心の中をひとりのシスターに打ち明けたところ、その人は静かに最後まで聞いて、こう言いました。

「あなたは、今まで人の二倍働いてきたのよ。今のあなたでちょうどいい」

【 落ち込んだ心を立ち直らせる特効薬などないのではないでしょうか。

祈ることもとても大切です。

「立ち直らせてください。抜け出させてください」という祈りは、いつかきっと聞き入れられるでしょう。

祈ることによって、私たちは、自分の不完全さ、思い上がりに気づき、また、他人の不完全さを許す心のゆとりを取り戻すことができることがあります。

祈ったから立ちどころに心の傷が癒え、心に平安が戻るわけではありません。

しかしながら、祈ることで、「痛みを抱えながら生きる」のが、私たちにとって、当然であることを悟り、かくて、私たちの人生には、同じく痛みを抱えて生きている人への優しさも育つのです。

「災難に遭う時節には、災難に遭うがよく候。死ぬる時には、死ぬがよく候。これはこれ、災難を逃がるる妙法にて候」

と良寛和尚は、その手紙の一節に記しています。

落ち込んだ時は落ち込むのがよいのでしょう。

そんな惨めな思いをしている自分を嫌うことなく、いじめることなく、「いつかよくなる」ことを信じて、自分と仲良く過ごしている時、心を蔽っていた雲が晴れて、明るい日差しが以前より輝いて見えてくるのです。 】『目に見えないけれど大切なもの』

なにもできなくていい

ただ、笑顔でいよう

神の摂理として、病気をいただいたということ、その時はとても辛かったけれど、今となっては、あの時あの病気をしてよかったと思います。

病気をしたおかげで、人に対して優しくなりました。

それまで人に対して厳しくて、あの人はだらしがない、何故もうちょっと頑張らないんだ、などと思っていたのが、それを思わないで済むようになりました。

自分の弱さを知ったからです。

私が変わるために、神が摂理として病気を下さったのだと思います。

そして、そう思えるようになったことがありがたいと思います。

という言葉は、まったく同感なのです。






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最終更新日  2013年02月11日 18時53分05秒
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