年の初めの「読書日記」は、やはり”幸せのひろいかた”の研究として、「幸せとは何か」を求めて、アラン著『幸福論』。
アラン(本名エミール=オーギュスト・シャルチェ)は、1868年生まれ(1951年没)のフランスの哲学者。
『幸福論』は、”幸福”というより、”生きる知恵”を集めたエッセイ集で、苦しみ悩みからうまく身をかわし、自分をコントロールする術が述べられています。
エッセイと言いながら、哲学者の表現法は少々堅苦しく、難解でありました。
例えば、今回取り上げた文章の最初にある部分は、集英社文庫版(白井健三郎訳)ではこうなっています。
【 用心深いことに対して用心深くなるためには、恐怖心の働きがおのずから病気を悪化するということに思い至る必要がある。眠れないことを心配する人は、眠るに適した状態にはないし、胃の心配をする人は、消化に適した状態にはない。したがって、病気のまねをするよりは、健康のまねをすべきであろう。こういう体操のことは詳しく知られていない。しかし、健康のしるしとは健康にふさわしい運動にほかならないという定理に従って、礼儀正しい、また親切な身の振る舞いが健康に結びつくものであることは、断言できる。】
原文の格調高さを重んじた訳なのかもしれませんが、読んだ日本語を、頭の中でもう一度翻訳し直す必要があります。
今回見つけた幻冬舎(田中裕子訳)のものは、硬い表現も柔らかくほぐされて、すんなり吸収できるように料理されていました。
やさしく書いてくれれば、なるほどと思うこともたくさんありました。
93の項目の中から、このブログに合うようなものを抽出します。
翻訳の違いもお楽しみください。
いつものように〔 〕内は僕の補足です。
アラン著 『幸福論』
恐怖心は、長く続くと本当の病気を引き起こします。かといって、病気になることを用心深くなりすぎるのも考え物です。考えすぎるとかえって病気になってしまうからです。
眠れないのを心配する人ほど不眠症になりやすく、胃の調子を心配する人ほど胃腸を壊してしまいがちです。だから健康であるには、自分は病気だと思い込むのをやめて、まずは健康であるふりをすればいいのです。
では、健康であるふりというのは、具体的にどうすればいいのでしょう?詳しいことはあまり知られていませんが、これだけは言えます。礼儀正しく、思いやりのこもった行動をすることです。よく言われるように、健康的な行いこそが健康の印なのです。
〔今年も「健康コラム」の看板を掲げ、健康長寿を目指します。
”身体の健康=心の健康=幸せになる考え方”です〕
不機嫌は「想像力の病」です。「想像力の」といっても、実際に存在しないという意味ではありません。本当の病気です。
「想像力の」というただし書きがつくのは、自分が不機嫌になっている原因は自分の外側にあると思いながらも、実際にその状態を維持しているのは自分の心の動きのせいだからです。
自分から好んで不機嫌になっているように見える人、あなたの周りにいませんか?ある種の精神疾患をもつ人に特にそういう傾向があるようです。
不機嫌は治せない病気ではありません。笑顔をつくり、微笑むだけで不機嫌は治るはずです。
想像力がもたらす病が本物であるのと同じように、想像力による治癒力もまた本物なのです。
〔不機嫌を演じて得ることは何もありません。
まわりに気を遣わせても、自分が偉くなったわけではありません。
ただ迷惑な厄介者になるだけです。〕
私たちが幸せに生きるには、何よりもまず、自分が決めたことや自分が今している仕事について不平を言わないことです。文句を言わずにきちんとやっていくことです。
私たちは、自分で選んだのではなく、他から与えられたことについて、「不運だけど仕方がない、これも宿命だ」と考えたがります。でも自分で選べなかったといって、よくない道ということはありません。
不運などありません。私たちがそうしようと思えば、どんな道でも幸運に変えられます。
〔目の前の景色に”色”を付けるのは、自分の脳です。
自分が美しく色づけすれば、どんな景色も素晴らしい絶景に映るのです。〕
子どもは、試練を乗り越えながらいろいろなことを考えるべきです。よくないことをしたらすぐに謝り、どこが悪かったかを考え、心の底から申し訳なく思う・・・こういう子どもが私は好きです。
その一方で、間違えるとすぐに言い訳をしたり、周りの人やもののせいにしたりする困った人もいます。
自分の間違いをまわりやもののせいにする人は、決して幸せになれません。反対に、間違いを素直に認め、自分が悪かったと言える人は、そうした経験のおかげで強い人間になれ、楽しく生きていけるでしょう。
〔人は死ぬまで成長できます。
加齢による肉体の衰えはありますが、それを補うわざもあります。
失敗や間違いは、心を磨く試金石です。
失敗から学ぶということは、経験値を高めることで、嫌な気分を引きずることではありません。
すべてを受け止め、貴重な経験を活かしましょう。〕
強制的に働かされるのを好む人などいません。いきなり災いが降りかかって喜ぶ人もいませんし、しかたなく何かをやってうれしい人もいません。
でも、私たちは、自分で選んだことならどんなことでも喜んでやります。
私がこういう文章を趣味で書いていると知ると、プロの文筆家は「ご苦労なことだね」といいます。でも私は誰かに強いられたわけではなく、自分の意志で、自分のために書いています。だから楽しいのです、いえ、むしろ幸せと言っていいでしょう。
〔人の行動の重要度は、それがどれくらいお金になるかどうかではありません。
お金のために、嫌々辛い仕事をしても、心身が壊れていくだけです。
贅沢なことはできなくても、夢中になってできることに時間を費やすのは幸せなことです。〕
言葉はそれ自体が大きな力を持っています。口から発せられた言葉は、悲しみをあおり、あらゆる物事を覆いつくします。
こうして、結果は原因となるのです。友達にライオンやクマに変装するように命じておきながら、変装した姿を見て本当にこわくなってしまったようなものです。
不機嫌にまかせて、他人のことを悪く言ったり、世間を批判したりすれば、今度はその悪口や批判が自分に返ってきてさらに憂鬱になります。
頭がいい人ほど、そういった過ちを犯しがちです。こういう人は大げさな口調で話したがり、周りもそれが当然だとおもうからです。
さらによくないことに、悪口や批判は病気のように伝染します。まるで心のコレラです。
〔悪口陰口が楽しいのは、その場のグループの共通認識に安心を求めるからです。
当然グループが変われば認識も変わるので、真理にはなりえません。
その場限りの、泡のような話でも、繰り返せば習慣となり、心に轍が生まれます。
轍にはまって動けなくなる前に、心を常に平らにする注意をするべきです。〕
人間は怒りにとらわれると、まるでスポットライトを浴びて舞台に立っている役者のように、たった一人で悲劇を演じます。憎い相手のよくないところ、ずる賢いところ、策略的なところ、人を軽蔑する態度、これからしでかそうとしている企みなどを、モノローグでとうとうと語ります。怒りにまかせて演じているので、いっそう怒りが激しくなります。
そういうときは、冷静になってよく考え、情念の嘘を見抜き、まんまとまるめこまれないよう気をつけましょう。
「われながらこんなに興奮していたら、ものの見方や考え方がおかしくなってしまう。それじゃまるで、自分自身に向かって大げさな口調でモノローグを語る悲劇役者じゃないか」と、自分にいいきかせるのです。
〔”怒り”の根源は、自分の個人的な”正義”です。
しかし、”正義”とは多様なもので、絶対なものではありません。
そんな狭い判断基準で、脳を興奮させても、毒が体に回るだけです。
心の平穏こそ、健康の源です。〕
幸せについて、「幸せとはこういうものだ」と理屈をつっけたり、「幸せとはきっとこういうものだろう」と予想したりすることはできません。今、あなたが幸せであるかどうか、それがすべてです。
幸せになれそうな気がする、とあなたが思ったとします。よく考えてみてください。あなたはすでに、幸せなのです。
幸せは、見返りなど期待していなかった人に授けられる報酬です。
〔現在の自分は、過去から引き継いだものです。
しかし、過去に縛られるものではありません。
過去がいかに不遇だったか(あるいは幸運だったか)を、現在の気分に反映させる必要はありません。
大切なのは現在の自分が、幸せであるかということです。
自分の手の中にある幸せを、しっかり認識することが大切です。〕
悲観主義は気分によるものです。楽観主義は意思の力によるものです。
どんな幸せも、意思の力によってつくられます。幸せになるには、自分で自分の心を支配する必要があります。どんなに理屈をこねても無駄なのです。理屈はすべて気分の言いなりですから。
奇妙に思われるかもしれませんが、幸せになることをまずは自分に誓わなくてはいけません。
悲しい考えが浮かんだら、それは自分を陥れる罠に違いないと思いましょう。私たちは何もしないでいるとすぐに不幸せになってしまいます。何もしないでいると退屈が忍び寄り、退屈が不幸せをもたらします。
〔幸せになるには、努力が必要です。
それは悪魔の誘惑に耳を貸さない、という努力です。
人は皆、幸せになるべく生まれてきました。
神様が全部準備してくれました。
素直な心で、自分という謎を解いていけば、必ず幸せになれるのです。〕
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