どうでもいいのが集まった

どうでもいいのが集まった

悲しみ

 リリィは、寒さで目が覚めました。
 いつもは毛布が暖かくてもう一回眠りたくなるのですが、その日の朝
は寒くて寒くて、そんな気が起こりません。あまりにも寒いので、一緒
に寝ているお母さんの体に自分の体をくっつけました。
 でも、少しも暖かくならないことにすぐ気が付きました。それどこ
ろか、余計に体がつめたくなります。リリィはやっと、お母さんの体が
つめたいことに気付きました。
「お母さん、どうしたの? お腹痛いの?」
 リリィは恐くなって、お母さんを起こそうとしました。でもお母さん
は眠ったままで、ちっとも目を覚ましません。お母さんはきっと大変な
病気なんだと思い、おでこに手を当ててみました。熱はないようなので、
リリィは少し安心しました。

 病気のときはよく寝るのが一番いい、とお母さんが言っていたのを思
い出したリリィは、お母さんを起こさないようにそっとベッドから出て、
キッチンに行って一人で朝ごはんを食べました。コンロや水道には手が
届かないないので、机の上に出ていたシリアルに牛乳をかけて食べまし
た。新しい牛乳パックを1人で開けることができたので、リリィは少し
嬉しく思いました。

 シリアルを残さず食べて、お母さんの様子を見るためにベッドに戻る
と、お母さんのそばに黒い服を着た人が立っていました。その人はリリ
ィの知らない人です。その人は悲しそうな顔でお母さんのを見ています。

「おじさん、だあれ?」
 少し恐かったけど、リリィは勇気を出して声をかけました。その人は
少しびっくりした顔で、リリィを見ました。そして言いました。
「こんにちは。私はね、死っていうんだ。」
「はじめまして。死さん。あなたはお母さんとお知り合いなの?」
「いいや。でも、私はお母さんのことも、リリィちゃんのこともよく知
っているんだよ。」
 リリィは、自己紹介してないのに死さんが自分の名前を知っているこ
とに気付いて、驚きました。
「死さんってすごい! ひょっとして、何でも知ってるの?」
「いいや。私はいろんなことを知らないよ。でも、悲しいことはたくさ
ん知ってる。」
 死さんがものすごくさびしい顔をしたので、リリィはあわてました。
昔お父さんがいなくなったときのお母さんの顔にとても似ていて、あの
ときのお母さんみたいに泣いてしまうと思ったからです。
「それに、みんな私のことをよく知ってくれないし、誤解しているし、
恐がるんだ。」
「わかったわ。じゃあ、リリィが死さんのことをちゃんと知ってあげる
わ。ううん、知りたいの。だから、あなたのこと話してちょうだい。」
 リリィはにっこり笑って言いました。死さんは少し元気になったよう
でした。
「ありがとう。」
「じゃあまず、お仕事は?」
 リリィが言うと、死さんはもじもじしながら話します。
「私の仕事は、そう、みんなを見ていて、みんなに会って、みんなを連
れて行くことなんだよ。」
「連れて行くって、どこへ?」
「言葉で教えるのは難しいけど、何も無いところって言うのが一番かも
しれない。」
「何も無いところ?」
「そう。少なくとも、人間が見たら何も無いところなんだ。」
「なんでそんなところに?」
 そうリリィが聞くと、死さんは少し悩んだ後、言います。
「何もないように見えるけど、大切なものがあるんだ。それは”生”っ
ていう私の仲間が知ってるんだ」
「死さんはそれを知らないの?」
 死さんはうなずきます。
「私と生は、反対側にいるんだ。」
「反対にいるのに仲間なの?」
「反対側だけど、同じところにいるんだよ。だから仲間なんだ。」
「よくわからないわ。」
「説明するのが少し難しいところなんだ。実際、私も正確には知らない
んだよ。」
 リリィはちょっと考えましたが、わかりません。
「お父さんのいる所と、どっちが遠くて説明するのが難しいかわかる?」
 死さんは少し驚きましたが、すぐに優しい顔になり、ゆっくりと言い
ます。

「お父さんはね、その場所にいるんだよ。」
 リリィは喜びます。
「じゃあ、お父さんのいるところを知っているのね?そこに死さんと生
さんが住んでるの?そこに私を連れて行って。お願い!」
「それはできないよ。リリィちゃんはまだそこに来れないんだ。」
「どうして?」
 がっかりしたリリィは聞きます。
「私はね、今はリリィちゃんのお母さんに会いに来たんだ。」
 そう言って死さんはお母さんの方を見ます。その顔は見たことが無い
ほど静かで、冷たい顔です。
「そして、お母さんを連れて行かなきゃならないんだ。」
「え? どういうこと?」
 死さんが何を言っているのか、リリィはしばらく理解できませんでし
た。
「お母さんを、連れて行くよ。」


「嫌よ!」
 リリィは叫びます。
「そんなの嫌、私はお母さんと一緒にいたいの! ずっと一緒にいたい
の! 連れて行かないで!」
 リリィは必死で、お母さんに覆いかぶさります。冷たいままのお母さ
んは目を覚ましません。
 死さんはまた悲しそうな顔をしました。
「やっぱり、リリィちゃんも私を恐がるんだね。」
「違うわ!」
 リリィはお母さんの手を握って言います。
「死さんが恐いんじゃないの。お母さんとお別れするのが恐いの、嫌な
の!」
 リリィは胸が苦しくなるのを感じました。そして目が熱くなって、涙
が出てきて、一緒に鼻水も出てきました。大声で泣いても、お母さんは
目を覚ましません。
 死さんはしばらくして、リリィの頭をなでて言います。
「わかったよ。今はお母さんを連れて行かない。今回だけ、特別だよ?」
「本当に?」
 リリィは顔が鼻水だらけになっているので、顔を上げずに言います。
「本当だ。でもそれはもっと、もっと辛いかもしれないよ?」

 死さんの手がリリィの頭から離れました。顔を上げたとき、死さんは
もう部屋の中にいませんでした。
 はっとして、お母さんの顔を見ます。お母さんはベッドの中で目を開
けていました。
「お母さん! よかった。目が覚めたのね?具合はどう?」
 リリィは喜びました。でも、お母さんは返事をしません。それどころ
か、起き上がろうともしません。ちっとも動かないのです。
「私ね、1人で朝ごはん食べたんだよ。牛乳のふたもね、ちゃんと開け
られたんだよ。」
 お母さんは黙ったままです。握っている手はちゃんと温かいのに、こ
れじゃさっきと変わりありません。
 まだ病気が治っていないのだと思ったリリィは、お母さんの世話をす
ることにしました。いすに登って、水道から水を汲むことができました。
水で濡らしたタオルをお母さんのおでこにのせ、コップの水を枕元に置
きました。でもお母さんはほめてくれないし、水を飲もうともしません。

 お母さんがさっきから動かないことに気付いて、きっと動けなくなっ
てしまう病気何だと思ったリリィは、コップを持ってベッドによじ登り、
お母さんに水を飲ませようとしました。しかしリリィは手を滑らせ、お
母さんの顔に水をこぼしてしまいました。リリィはすぐに謝ろうとしま
したが、お母さんの口の中に入った水がごぼごぼと音を立てているのを
見て、そしてそれでも顔色一つ変えないお母さんを見て恐ろしくなりま
した。

 この病気は凄く大変な病気なんだ。リリィはようやく気付きます。お
隣のマルクスさんに助けてもらおう。お医者さんを呼んでもらって、お
母さんを治してもらおう。そう思ったリリィは、玄関のドアまで走りま
した。
 精一杯背伸びしても、リリィはドアノブに手が届きません。いすをひ
きずってきて、いすの上から背伸びしますが、指の先がドアノブをかす
めるだけで、回すことができません。リリィは自分の小ささにいらだち
ました。
 リリィはジャンプしてドアノブを掴もうとしました。一回目、ドアノ
ブの上のほうに手がかすりました。二回目、ドアノブの横のほう手がか
かります。もう少しで回せそうです。三回目で、ようやくドアノブを捕
まえることができました。リリィはしめたと思いました。後は回すだけ
です。
 回そうと手首をひねりますが、汗をかいていたリリィの手はドアノブ
を離してしまいました。



 惜しい、と思った瞬間、後ろからごんという大きな音が聞こえました。
 目の前には天井が、足元には倒れたいすと開かないドアが見えました。
「また、会ったね。」
 それは、死さんの声でした。
 姿を探そうとしましたが、体が動きません。お母さんと同じ病気にか
かってしまったのだと、リリィは思いました。
「こんにちは死さん。また会ったってことは、今度は私を連れて行こう
としてるの?」
 死さんは、残念そうな、申し訳なさそうな声で返事しました。
「そうだ。すまない。」
「謝らないでいいわ。だって今度は私とお母さん、一緒なんでしょ? 
お別れしないでいいんだから、恐くないわ。お友だちとお別れするのは
寂しいけど、お母さんと一緒じゃないのはもっと嫌だもの。」
「そうか。リリィちゃんは強いな。」
 死さんは泣きそうな声でした。
「泣かないで。何があったか知らないけど、あなたが泣いたら私も悲し
いわ。」
「ごめん。私は泣き虫なんだ。」
 そう言って、死さんはリリィの頭をなでました。
 リリィは、体から力が抜けていくのを感じました。今までじんじんし
ていた頭の痛みも、楽になっていきます。死さんの掌は、ひんやりして
いて気持ちいいですが、冷たさで少しきーんとします。そのことを死さ
んに言うと、死さんは言います。
「それが私なんだ。」
「変よ。死さんはここにいるじゃない。」
「私はいろいろあるってことさ。」
「じゃあ、体から力が抜けていくのも?」
「そうだ。」
「痛くなくなるのも?」
「そうだ。」
「少し、眠いのも?」
「そうだ。」
「少し、寒いのも?」
「そうだ。」
「少しわくわくする気がするのも、少し不安になるのも死さんなの?」
「そう。みんな私だ。」
 リリィは不思議な気持ちになりました。
「じゃあ、少し・・・凄く、凄く悲しいのも・・・死さんなの?」
「・・・そうだ。言ったろう? 私は泣き虫なんだ。」
「・・・・・・ごめんなさい、死さん。やっぱり、少し、あなたが恐いわ。」
「仕方がないさ。リリィちゃんは、私のことをまだ全部知らないからね。
きっと、私のことを全部知っている人はいないだろう。」
 死さんは鼻をぐずぐず鳴らして言います。
 しばらくして、リリィは目の前が暗く、黒くなっていくのを見ました。
「死さん、前が真っ黒になっていってる。」
「それは真っ黒なんじゃなくて、何もなくなっていってるんだよ。今、
リリィちゃんを何も無いところへ連れて行ってるんだ。」
「お母さんは、どこ?」
 不安がるリリィに、死さんは言い聞かせます。
「少し先に連れて行ったよ。今お父さんと一緒にいるはずだ。」
「今度は三人一緒なのね。嬉しいわ。」
「よかったね。」
 でも、死さんのその声はやはり悲しそうでした。
「本当のことを言うとね、私はもうちょっと後からリリィちゃんに会い
たかったな。」
「どうして?」
「そりゃあ、大人になったリリィちゃんは、もっと素敵になっているだ
ろうからね。」
 リリィはその声を、眠たい頭で聞きます。なのに死さんの声は、頭の
中で響くように聞こえました。でもすぐに、それが夢のようにゆらゆら
としてはっきりしなくなっていきました。
 目の前から、何もなくなります。
 でも、リリィはそれに気付きません。何も無いところだから、リリィ
は何にも気付けないし、何も思えないのです。
 それでもリリィは、最後の死さんの言葉だけは、覚えているような気
がしました。










「そりゃあ、大人  ったリ ィち  は、もっ    なっ   だ
ろ     」


© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: