カテゴリ未分類 0
全88件 (88件中 1-50件目)
こちらは27日の朝九時半。半日ツアーに出発です。朝雨が降ったのですがそれもすぐにやんでホッとしてます。空には虹がかかってます。。ホテルの上にかかる虹。いいことがあるのかな?
2010年07月28日
コメント(2)
イースター島のホテルタハタイでは、フロントロビーとバーでWifiにアクセスが可能です。滞在期間中5ドルで。でも速度が遅くて待ちくたびれてしまいます。ロビーでしかめっ面をしてPCの画面とにらめっこしているわけがわかりました。日本での便利な生活に慣れるといらいらしてしまいますね。でも、ここはイースター島ですから。来る前に、レンタカーを借りてなんて考えていたのですが、そんなことしなくてよかったです。道がぜんぜんわからない、おまけに舗装路はメインの通のみ。あ~ツアーに参加してよかった。
2010年07月27日
コメント(2)
着きました~。二泊するホテルタハタイ。いーあう島全体がなんとも素朴な感じ。午後からツアーで島内をまわります。
2010年07月27日
コメント(2)
再び訪ねたい国メキシコ編の最後です。広々ベッドでぐっすり眠ったあと、まずはカーサメヒカーナでの朝食。そしてコスメルの空港へ向かいました。アエロメヒコのフライトを予約したのですが、運航するのはアエロカリベという航空会社でした。機材は日本でもお馴染みのDC9。ホテルはまたまた飛び込みで、翌日の出発が早いために空港内にあるヒルトンメキシコエアポートに。ユカタン半島を巡ったメキシコの旅はこれで終わりました。今年も残すところ2日になってしまいました。年が明けたら、自分の中での「再び訪ねたい国ベスト3」のひとつタイはバンコクへ行ってきます。特にどこへ行くという予定は全くなく、のんびりとチャオプラヤー川の風に吹かれてきたいと思います。
2008年12月30日
コメント(8)
行きがメキシコ経由でメリダまで。帰りはメキシコからロスアンジェルス経由で成田までという旅程でチケットを予約していたので、なんとしてもここユカタン半島からメキシコシティまで戻らなくてはなりません。バスでもいいかな~なんて軽い考えでいたのですが、カンクンからメキシコシティまでバスで26時間。もうこの時点でそんな余力は残っておらず、飛行機でメキシコシティまで戻ろうと思いました。ところが、カンクンの空港へ行って空席がないかどうか聞いてみると、今日と明日は全便満席。しかもメヒカーナ航空もアエロメヒコもです。有名な観光地であるカンクンをなめてました。なんとしてもメキシコシティまでたどり着かなければなりません。チケットカウンターの人に他に何かいい方法はないかと尋ねると、コスメル島からなら明日の便の空席があると。もう即決でした。わずか数十分のフライトなんですが、まずはコスメル島に移動して、翌日のメキシコシティ行きのチケットをとることができました。コスメルに着いてホテル探し。カーサメヒカーナという、フロント前に噴水があってちょっとおしゃれなホテルの部屋を確保できました。こうして、予定外のコスメル島で一泊となりました。
2008年12月29日
コメント(2)
トゥルム遺跡を見た後はカンクンへ移動してそこからメキシコシティーへ。いかにもメキシコらしい色使いの町。どこの町でもやはり中心はカテドラルなのでしょうね。入ったレストランは、昼食にはまだ早い時間だったためかがらがら。やっぱり頼むのはセビチェです。オーダーすると、トルティーヤと一緒にお馴染みの豆のペーストに、キュウリのピクルスがでてきました。そしてこれがミックスセビチェ。すいません、半分食べてから写真を撮ってないことに気づいて・・・(汗)番外編として、あまりに大きくて写真に撮ってしまったバッタ。写真ではあまり大きさがわからないかもしれませんが、とにかく見たことのないおおきさだったのでパシャリと一枚。
2008年12月28日
コメント(2)
小さな神殿で、入り口上部に「天から降臨する神」を思わせるようなレリーフがあるためこう呼ばれているそうです。城塞都市としての面影を残すトゥルム遺跡は、周辺を城壁で囲まれていますが、かなり崩れています。遺跡の入り口までこんなトラムが走っていました。朝早かったのでまだ走ってはいなかったのですが。
2008年12月27日
コメント(2)
フレスコ画の神殿。15世紀前半に3段階に分けられて建てられた2階建ての神殿。降臨する神や仮面のレリーフなど壁画の装飾は、トゥルム遺跡のなかで最大の見所といわれています。3層にわたって描かれた壁画。壁画は、死者の住む地下世界、生者の暮らす中間世界、創造神と雨の神チャックが住む天の世界という3つの領域に分かれています。まさにマヤ人の世界観そのもの。
2008年12月26日
コメント(2)
カリブ海を臨む断崖に建つトゥルム遺跡。小規模ながら三方を城壁に囲まれた城塞都市としての面影を残す遺跡。トゥルム遺跡の中で最も高い建造物のエルカスティージョ。海を見下ろす切り立った断崖の上に建っています。階段上の神殿入り口の柱は、チチェン・イツァーと同様に蛇のモチーフが刻まれていて、トルテカ文明の影響を受けているとか。マヤの神殿は、古い建物の上に新しい神殿を構築していくのだそうです。この神殿も同様に、現在残っている神殿の内部に、さらにふたつの時代の神殿が眠っているそうです。残念ながら立ち入ることはできませんでした。
2008年12月25日
コメント(4)
なんともきれいなカリブ海。そのカリブ海を臨む断崖に立つトゥルム遺跡。サボテンとイグアナが出迎えてくれました。スペイン人が最初に目にしたマヤの都市というトゥルム遺跡です。
2008年12月24日
コメント(2)
チチェン・イツァーを後にして、バスでおよそ2時間のところにあるトゥルムの町へ向かいました。トゥルムにはカリブ海に面して建つトゥルム遺跡があります。ホテルは現地手配の飛び込み。遺跡まで歩いていけるということから、ここElCruceroに決めました。2泊の予定で申し込んだのですが、部屋があまりに落ち着かないので、急遽一泊に変更しました。どうですかこの部屋。落ち着いて眠れますかね?タオルをスワン型にしておいてあるのはいいんですが・・・。
2008年12月23日
コメント(2)
チチェン・イツァーのエルカスティージョをスクリーンに、夜には光と音のショーがありました。事前に調べた時には、毎週水曜日ということだったため、水曜日にあわせてチチェン・イツァー内のホテルに宿泊しました。季節により開催曜日が異なるということなので、見たい方は事前にチェックが必要です。これは、階段部分にある蛇に羽が生えたところをあらわしているのでしょうか。当時の人達の生活や戦いの様子をあらわしているのかな?これはセノテをあらわしているのか?なんせスペイン語なので、雰囲気しかわからなかったのです。45分間のショー。物凄い人の数。このショーを見るため、バスが大挙して押しかけてきていました。色とりどりに闇に浮かび上がるエルカスティージョは、説明がわからなくても、マヤの文化に触れることができたような気がしました。
2008年12月22日
コメント(4)
新旧のチチェン・イツァー遺跡群の旧チチェン・イツァーにあるカラコル。上部にある丸いドームはマヤの天文観測台だったと推測されているそうです。東側と北側はかなり崩れていました。マヤの人達は驚くほど正確な暦を作っていたそうです。カラコルの南側にあるのが尼僧院。高さが20mの基壇とその上にたくさんの部屋がある造りになっています。たくさんのチャック像が彫られていました。カスティージョと同じピラミッド型の神殿は高僧の墳墓。ほとんど原形をとどめていなかったものを修復によりその姿を蘇らせたとか。5つの偽装墓の下に本物の墓があったとか。
2008年12月21日
コメント(2)
戦士の神殿を囲むように、戦士の浮き彫りが施された石柱群が林立しています。石柱や祭壇を支える19のアトラス人の頭像など、中央高原のトゥーラ遺跡に同じような神殿があるため、チチェン・イツァーとトルテカ文明の交流説が強調される要因となっているそうです。
2008年12月20日
コメント(4)
気高い城をイメージさせる大神殿エルカスティージョ。その急な階段を上ると広がる新旧のチッチェン・イツァー。千本柱の間。ジャガー神殿とその裏にあるのが球戯場。確かここは金星の台座・・・かな?さらに南側に広がる、旧チチェン・イツァーの遺跡群。
2008年12月19日
コメント(3)
エルカスティージョの西にあるジャガーの神殿。森に棲むジャガーはマヤ人にとって畏怖の対象であるとともに強さのシンボルであったとも言われているそうです。ジャガー像が置かれたこの神殿には、壁の内側に戦争の様子が描かれています。ジャガー神殿の裏には球戯場。ここにもありましたあの丸いリング。エルカスティージョの東側には戦士の神殿。3層の基壇をもつ神殿の周囲を戦士の浮き彫りが施された石柱群が囲んでいて、別名千本柱の神殿とも呼ばれているそうです。神殿内部には色鮮やかな壁画が残されているということですが、それは公開されていませんでした。
2008年12月18日
コメント(1)
チチェン・イツァーは旧チチェン、新チチェンふたつの遺跡群があります。新チチェン・イツァーにあるククルカン神殿。エルカスティージョと名づけられています。9世紀初頭に完成したという神殿は高さ25m、9層の基壇をもつ壮大な建造物です。神殿の4面全てに階段が設けられていて、この階段の段数、基底部の垂直の浮き彫り全てがマヤの農耕暦(ハアブ暦)と祭事暦(ツィルキン暦)を象徴するように造られているということです。北側階段の蛇頭ククルカンのある階段は、春分と秋分の年2回階段に蛇に羽の生えたように影ができるそうです。マヤの天文学、建築技術の高さを象徴する神殿です。
2008年12月17日
コメント(4)
チチェン・イツァーです。マヤの言葉で「泉のほとりのイツァー人」という意味だそうです。マヤ文明は、他の世界4代文明が河川を中心に発達していったのに対して、セノテといわれる泉を中心に発達していったのだそうです。深い色合いをたたえる聖なる泉。ユカタン半島は密林の湿潤地帯。川はどこにも見当たらず、石灰質の土壌のため、降った雨はすべて地中にしみ込み、地下に水のたまる空洞を造るのだそうです。その空洞の上の地面が陥没してできたのがこのセノテだそうです。このセノテ。神話に彩られた聖域で、日照りの時期に、ここに人身を生贄として投げ入れたといいます。同時に様々な貢物も。生贄が投下された祭壇跡。この泉の底を調査したところ、21体の子ども、13体の成人男子、8体の女性の骨がでてきたといいます。そのほかにも黄金細工やヒスイ。中にはコロンビアやパナマからの渡来品があり、当時の交易の状況もわかっているそうです。
2008年12月16日
コメント(4)
メキシコ編続きます。ウシュマル遺跡を後にして、次に向かったのが、テオティワカンと並んでメキシコの代表的な遺跡チチェン・イツァー。宿泊先は、遺跡内にあるアシェンダチチェン。ここは事前に予約を入れていきました。施設・設備も整ったホテルでした。ピンボケでごめんなさい。部屋は白を基調としていて、ベッドにおいてあるオレンジのクッションがアクセントになっています。ホテル内にはレストランはもちろん、プールやみやげ物店など揃っています。でも、その中で特に目を引いたのがこの建物。勝手にムーミンの家と名づけました。どうですか?ムーミンの家みたいじゃありませんか?お隣にすぐチチェン・イツァーがありますから、時間を気にせずに遺跡を巡ることができました。おまけに夜は、チチェン・イツァーをライトアップした光と音のショーが見られるのです。
2008年12月15日
コメント(7)
ウシュマル遺跡にあるグランピラミッド。高さ32mの大神殿で上部にレリーフが施されています。北側の階段だけ修復されていて、頂上まで昇ることができます。頂上からは森林に佇むウシュマル遺跡の全容を眺めることができます。上部に鳩のような格子窓がついた建築物の「鳩の家」。壁だけが残っていて、どんな役割だったのかはまったくわかっていないとか。
2008年12月13日
コメント(5)
ウシュマル遺跡にあるマヤ古典期の最も美しい建物と言われている総督の宮殿。壮麗に飾られた外壁と中央にある大アーチを持つマヤ建築の中でも最も調和の取れた建物のひとつと言うことです。建物は横180m、縦153m、高さ12mのテラスを基壇としてさらに3層のテラスが重なっている構造。内部にはたくさんの部屋が造られています。石造りの格子文様、雷文、チャックの顔、頭飾りをつけた人物像など2万個以上の切石を利用しているそうです。総督の宮殿から見える魔法使いのピラミッドです。
2008年12月12日
コメント(4)
尼僧院から南へ歩いたところにあるのが球戯場。なんでもこの石の輪の中にボールを入れて覇を競ったとか。球戯場の壁は破損が激しいものの、このレリーフはきれいに残っていました。球戯場から更に南へ歩くとこじんまりとしたプウク様式の建物が。亀の石彫りの飾りがあることから「亀の家」と名づけられたそうです。マヤ神話で亀は、雨神チャックと同じように水の使者とされていたようで、やはり雨乞いのために祀られていたと考えられています。
2008年12月11日
コメント(2)
ウシュマル遺跡魔法使いのピラミッドの向かい側にあるのが尼僧院。中庭を4つの建物が囲んでいます。たくさんの小部屋を持つことから尼僧院と名づけられたとか。実際は宮殿であったとも推測されているそうです。壁面は雨神チャック像で埋め尽くされています。内部の天井はすべてプウクの特色であるマヤアーチで造られています。
2008年12月10日
コメント(4)
数多くの遺跡を抱えるメキシコです。ユカタン半島メリダから南へ80キロ。バスで1時間半ほどのところにあるウシュマル遺跡。チチェン・イツァーと並び称されるマヤ文明を代表する遺跡というウシュマル遺跡。この遺跡の象徴?優美な曲線で作られた代表的な神殿の魔法使いのピラミッドです。7世紀初頭のマヤ古典期に栄えたこの遺跡は、マヤの言葉でユカタン半島中央の丘陵地帯を意味するプウクからプウク様式と呼ばれています。魔法使いのピラミッドは高さが38メートル。優雅で柔らかな印象の神殿です。小人が一夜のうちに作り上げたと言う伝説から名づけられたという魔法使いのピラミッド。118段の絶壁のような階段の上には神殿があるのですが、その階段を昇ることは許されていませんでした。
2008年12月09日
コメント(4)
’04夏のメキシコ旅行。メキシコシティーからユカタン半島へ飛びました。飛行機の手配しかせずに、ホテルは現地で探すことにして。メリダの町に着いてから、観光案内所に飛び込んで紹介されたホテルがここBalam Nah Mexico。パティオを中心に部屋が並んでいます。近くにはお土産を売るお店がたくさんあって、いかにもメキシコ~って感じのお皿やマグカップが並んでいました。でもまずは空腹を満たさないと。ユカタン地方のスープと言うマセワル。トルティーヤを浸して食べたりします。これは何だっけな・・・チキンをグリルしたような・・・忘れました。
2008年12月08日
コメント(2)
「建物も敗戦もなかった。耐え難い生みの苦しみの後、メスティーソの国が生まれた。それが今日のメキシコである。」このように刻まれた碑。16世紀建造のサンティアゴ教会。サンティアゴ教会の前に、アステカ時代のトラテロルコ遺跡があり、それを取り囲むように現代的な高層団地が建っているため「三文化」と呼ばれるそうです。アステカ遺跡の破壊は人為的なもので、その廃墟からの石材でサンティアゴ教会は造られたそうです。アステカの商業都市だったこのトラテロルコで、アステカ軍がスペイン軍に対して最後の戦いを挑み散っていったそうですよ。
2008年12月07日
コメント(0)
歴史地区ソカロの北側にあるガリバルディ広場。マリアッチ楽団の演奏が聴けるというので行ってみました。何やらそれらしい服装をした人達。広場にはマリアッチの像でしょうか?演奏に聞き入る人達。どうやらマリアッチ楽団の人達は、服装によって得意なジャンルが決まっているのでしょうかね?熱心に見入るこの子達。将来はマリアッチになりたいと思っているのかもしれませんね。
2008年12月06日
コメント(2)
歴史的建造物の建ち並ぶソカロ地区からガリバルディ広場へと向かいます。通りの向こうに見えるのがラテンアメリカタワー。まもなくガリバルディ広場です。ここではマリアッチ楽団の演奏が聴けるといいます。
2008年12月05日
コメント(4)
ソカロという中央広場は、アステカ帝国時代から神殿に囲まれた重要な広場だったそうで、16世紀のコルテスの征服後、スペインも中心の場所としたものの、アステカ帝国時代の建物を破壊したり埋め立てたりして、代わりに現在も残るスペイン風の建物を築いたということです。そんな建物を下から見上げる目線で撮ってみました。
2008年12月04日
コメント(4)
どんどん郊外へ広がっているとうメキシコシティー。その中心部にあるソカロ。その広場で何やら見慣れない楽器を演奏する人達。先住民族の人達の演奏のようでした。この後見物の人達がどんどん集まってきました。
2008年12月03日
コメント(4)
メキシコシティーにもあります、日本でも馴染み深いお店が。まずはマクドナルド。そして、ケンタッキーフライドチキン。ちょっとぼけてますけど〈汗〉さらに、セブンイレブン。でも、ひとつだけ違うのは、どのお店も歴史的な建物を損なうことなく景観に溶け込んでいるということでしょうか。こちらは地元のピザやさんだったかな?のマスコット。通りを行きかう人にお店のPR。せっかくメキシコに行ったんだから、その土地のものを食べたいと思うので、利用することはないのですが、どうしても食事が合わないと言う人にとってはあると便利なお店でしょうかね。
2008年12月02日
コメント(4)
再び訪ねたい国の第2弾はメキシコ。メキシコは何といっても太古の遺跡の宝庫。地図を広げてどこをみようかと悩んでしまうほど。そのメキシコ。まずはメキシコシティから出発します。中央に描かれた蛇をくわえたワシがサボテンの上にとまっている図は、アステカ人の神話に基づいているそうで、緑は「独立」、白は「カトリック」、赤が「メキシコ人とスペイン人の統一」を表しているそうです。町の中心部中央広場のソカロ。そしてカテドラル。宿泊はソカロの向かい側にあったホリデーインソカロ。独立記念日が近づいてきた日の夕方でした。
2008年12月01日
コメント(2)
ケツァールに会いたいと出かけたコスタリカ。軍隊を持たない国コスタリカ。首都サンホセから近郊へと足を伸ばすものの、まだまだコスタリカの全容はわからないものの、とりあえず行ったぞコスタリカ。街のあちこちに公園があって、のんびりと過ごしている家族やこうして凧揚げに興ずる人たち。こうしてコスタリカでの旅を終えて帰国しますが、以前何かで読んだコスタリカの大統領の、「軍隊を持たないから唯一の防衛手段は対話だ。」という言葉を思い出しました。コスタリカという国は、自然保護、非武装中立というまさに時代の先端をいっているように思いました。もちろん帰りにはコスタリカのコーヒーをお土産に買ってきました。
2008年04月27日
コメント(0)
スペイン語で若鶏をポリョとかポジョというそうです。コスタリカにもたくさんありましたチキンの丸焼きを出すお店。ホテル近くにもありました。ROST POLLO。こんなふうに焼いていました。丸焼きチキンハーフと付け合せに豆をつぶしたもの。何ていうんだったか??かなりのボリュームでした。それから旅行に出ると必ずといっていいほど頼むのがシーザーサラダ。スペイン語もわからないのでオーダーできるかな~と心配でしたが、まるで日本のファミレスで、写真入のメニューがあったのでよかったよかった。とりあえずこれでお腹も満足しました。でも、一人旅って食事のときがちょっと寂しいですよね。
2008年04月26日
コメント(0)
コスタリカの旅の目的はケツァールを見ることでした。初めてこの鳥を見たときに、その愛くるしい姿に一目惚れ!これは絶対に見た~い!と思いました。熱帯雲霧林で一泊して観察をと行きたかったのですが、サンホセからちょっと遠いかなと思い、結局アラフェラ近郊の鳥類園で妥協することに。園内に入ると通路を放し飼いの孔雀やホロホロチョウ、コンゴウインコが歩いていたりするのです。そんな中でやっと見つけたケツァール。初めて本物のケツァールとご対面。見るとやっぱり可愛い~!ところがこの鳥さすがに貴重な鳥だからなのか、檻の金網が2重になっていてうまく写真に撮れませんでした。撮れたのはこんな画像。せっかくの愛らしい赤と緑の長い尾羽が写っていません。可愛い可愛いケツァールはこんな鳥です。どうですか?可愛いでしょう~!バードウォッチャー垂涎の美しい鳥。鳩ぐらいの大きさですが、尾羽がながく全長1mにもなります。頭と背の緑と胸の赤のコントラスト。本当に希少な鳥なんです。
2008年04月25日
コメント(0)
熱帯雨林に囲まれたポアス火山。頂上付近には動植物が多く、数十種類のハチドリが生息するのだそうですが、残念ながら感動的な出会いはありませんでした。ポアス火山は早くから雲に包まれることが多いと地球の歩き方に書いてありました。実際その通り。前日のイラス火山が晴天だったのとは対照的に雲の中を歩いているような状態。天気がよければ見える火山湖にも残念ながらご対面できず。現在も噴煙を上げている火口の中を少しのぞけただけでした。ポアス火山の帰りのバスを、サンホセ行きではなくアラフェラの町へ行くバスに乗ってしまい、アラフェラに着いてからいったいどのバスがサンホセに行くのか迷いに迷ってしまいました。このときほどスペイン語を話せたらと思ったことはありません。
2008年04月24日
コメント(0)
展望台から眺めるだけでしたが、こちらはオロシ渓谷。周りをコーヒー畑に囲まれたオロシの町には、17世紀の教会があるそうで。コスタリカも地震国。地震の多いコスタリカでは植民地時代の雰囲気を残す数少ない貴重な町と地球の歩き方には書いてありました。サンホセから1時間に1本オロシ行きのバスが出ています。
2008年04月23日
コメント(0)
イラスとはインディオの言葉で「雷の山」を意味するそうです。活火山で1963年の噴火を最後に現在は沈静化していて、クレーターの周辺を歩くことができるようになっています。カルデラ湖の水はなんとも神秘的な深い緑。天気のいい日には太平洋とカリブ海を両方眺めることができます。公園は駐車場から2本のトレイルが整備されていて、それに沿って歩くことができます。イラス火山は、ポアス火山・バルバ火山とともにコスタリカの紋章にも記されているそうです。コスタリカ国民にもとてもなじみの深い火山国立公園です。イラス火山へ行くバスは土日しか出ていなくて、しかも朝8時発の一本だけ。出発する場所もよくわからなかったので、乗り遅れてはいけないと朝早くから出発場所のグランホテルコスタリカを探して待っていました。
2008年04月22日
コメント(0)
コロニアル調の建物が並ぶ町サンホセ。町の中心はやっぱりカテドラル。そして国立劇場。歩いていると、あちこちに教会が建っています。思わず立ち止まってしまうような教会、これが教会??と思うような斬新なデザインの教会。町のあちこちには公園が整備されていて、何やら見慣れぬゲームに興じている姿がありました。大人も子どもも一緒になって・・・駒でも戦わせているのでしょうかね・近代的な建物は政庁舎。落ち着いた町並みのサンホセは、中米のスイスと言われているとか。
2008年04月21日
コメント(0)
標高1150m、高原都市のサンホセ。緑のコーヒー畑と火山に囲まれた町。日本と同じ火山国なんですね。古い建物が並ぶ落ち着いた町。すべてがサンホセに集中しているため、交通渋滞が・・・と地球の歩き方には書いてあったけれど、そういう印象はありませんでしたね。
2008年04月20日
コメント(0)
2週間の中米旅行も終わり、それじゃ~次は何の話題をと思ったのですが、今回中米で2つの国を外しました。ひとつはベリーズ。これは事前にビザが必要ということだったので即やめ。空港で取れるなら行っていましたが。それからもうひとつがコスタリカ。ここは以前一度訪ねたことがあるので。ついでといってはなんですが、中米旅行のおまけとしてコスタリカについても紹介しておこうと思いました。さてさてそのコスタリカ。非武装・積極中立、軍隊を持たない国コスタリカのことばにひかれ、選んだ旅先がコスタリカ。非武装中立を実現するまでには紆余曲折があったことを知り、コスタリカの国民には敬意を表したいですね。自然保護にも積極的で、エコツアーが盛んな観光立国でもあります。そんななかで是非見てみたいと思ったのがケツァールという幻の鳥。この旅の目的はケツァールに会うことでした。宿泊先はマリオットのビジネスタイプ、「コートヤード・バイ・マリオット」。ファン・サンタマリア空港からは近いものの、首都サンホセの郊外にあるため、街中まではタクシー利用でした。もちろんビールも忘れずに。インペリアルとピルセン。あれ?これってどっかで飲んだことがあるか・・・?
2008年04月19日
コメント(0)
いよいよ帰国。JL011便はメキシコシティー10:15発で、カナダのバンクーバーを経由して成田に向かいます。バンクーバーでは給油のためのテクニカルランディング。おそよ1時間搭乗待合室で待つのですが、そこから空港内に入ることはできず缶詰め状態でした。こうして2週間の中米旅行は終わります。成田へは翌日の16:55到着。東京で1泊のあとたくさんの感動を抱えて、オホーツクに戻ってきました。
2008年04月18日
コメント(0)
CM447は定刻にメキシコに到着。メキシコで1泊して翌日のフライトに備えます。メキシコでのホテルはホリデーインメキシコシティー。空港からは送迎バスがあったのでそれに乗ってホテルへ。ロビーは団体客で混雑していました。中央が吹き抜けになったロビーでまず目に飛び込んできたのは真っ赤な稲妻のようなオブジェ。混雑していたものの、自分の番になったらチェックインもスムースで、エレベータで部屋へ向かおうとしましたが、団体客がいっぱいでなかなかエレベータに乗れません。今晩一泊だけというのはもったいないぐらいの広い部屋。窓から見える町並みはなんともカラフルです。ここにもありましたコーヒーメーカー。でも・・・あれれ?????バスタブがない。でも、きれいなシャワーブースがあったんで全然平気。そうこうしていると、飛行機の離陸する音が聞こえてきました。慌てて窓へ駆け寄ると、目の前を飛行機が飛んでいきましたよ。ど迫力で。さすが空港そばのホテルです。それではメキシコへの安着を祝って?ボヘミアで乾杯です。
2008年04月17日
コメント(1)
いよいよ中米の旅も終わり、帰国の途に着くことに。ホテルから空港へ向かう途中に、パナマビエホが見えました。スペインがパナマを統治するための基地として1519年太平洋岸で最初に築いた町の遺跡。早朝のため出勤ラッシュか、反対車線の大渋滞を見ながら、タクシーは快適に空港へ向けて走りました。そして到着したここトクメン空港。パナマを本拠地にするコパエアーのハブ空港。コパエアーCM447便。パナマ発9:45。帰りたくない・・・と思うのはいつの旅行でも同じです。
2008年04月16日
コメント(0)
大西洋と太平洋を結ぶパナマ運河。3つの人造湖と3つの水門でつながっています。大西洋からカリブ海、ガトゥン閘門、ガトゥン湖、ゲイラードカット、ペデロ・ミゲル閘門、ミラ・フローレス湖、ミラ・フローレス閘門、を経て太平洋へ出ます。通過には待ち時間を含めて24時間かかるそうです。奥の水路の水位が上がったところで、水門が開き、貨物船は通過していきました。手前の水路もどんどん水位が上昇し、水門が開きました。後ろを見ると、通過を待つ船がまだまだ連なっていました。パナマ運河は1999年12月31日の正午をもってアメリカから返還され、現在はパナマ運河庁が管理しています。この水路の近くに大型の閘門を増設する計画があるそうです。太平洋と大西洋を結ぶパナマ運河。実際に見てみるとやはりこれはすごいことなんだと思いました。地図を広げると、太平洋から大西洋に出るためにはどれだけの距離を航行しなくてはならないか。それを考えるとパナマ運河というのは重要な施設であることがわかります。こうして中米6カ国の旅も終わりに近づいています。この後、メキシコに飛んで一泊した後帰国。2週間の旅も終わります。
2008年04月15日
コメント(0)
大西洋カリブ海と太平洋をつなぐパナマ運河。1914年に開通したそうです。大西洋と太平洋は海面高24センチの差があるんだそうです。丸い地球の7割が海だということですけど、どうして24センチの差があるのかちょっと不思議に思いました。たくさんのコンテナを積んだ船が水路に入ってきました。この船は2本ある水路の奥側を通ります。水路の真ん中には水位を調節するためにこんな門があります。水路に水が注入されて、徐々に水位が上がっていきます。水位が上がったところで、門が開き船がやってきました。パナマ運河は一部幅の狭い部分があり、船舶が自力で航行できないため、専用の電気機関車が両側からワイヤーで引っ張って船の位置を真ん中に保ちながら引っ張っていきます。この電気機関車はなんと日本製の車両が使われているそうです。こうして水位の上がった水路に貨物船が入ってきました。貨物船の乗組員が、船から手を振っているのが見えました。奥側の水路に貨物船が入ってきて、水位を調節している間に、手前の水路も水が注入されて入船してきました。
2008年04月14日
コメント(0)
今回の旅のメイン、パナマ運河。といっても、行ってみたものの船が通らないなんてことにならないよう、友人が事前に調べておいてくれました。ホテルからタクシーでいざパナマ運河へ。タクシーを降りて、いざパナマ運河ミラフローレス閘門へ。といってもしっかり観覧料はとられます。観覧スタンドに出ると、目の前にどど~んとこんな建物が。ここが観覧スタンド。後方に入ってくる船が見えます。どんなふうに通過していくのかわくわくしながら見ていました。
2008年04月13日
コメント(0)
パナマ歴史地区カスコ・ビエホを歩き、帰りはバスに挑戦。もちろん一人じゃ乗れませんが、そこは現地で働く友人がいたからなんですけど。車内を撮ったものの、揺れるので画像はぶれてしまっていますが、なんとなく現地の雰囲気はわかってもらえるでしょうか?そうして新市街へ戻りました。降りたところから見える新市街の高層ビル群。あれ?ここってどこだっけ?と思うような光景が広がっていました。次はいよいよパナマ運河です。これがまた感動でした。
2008年04月12日
コメント(0)
パナマ旧市街の歴史地区カスコ・ビエホ。国立劇場、大統領官邸、国立文化院、パナマ政庁舎などの建物が集まっています。歴史地区の中心が独立広場。広場に面して建っていたカテドラル。1688年から1794年まで長い年月をかけて完成したものだそうです。パナマ・ビエホにあった旧カテドラルから運ばれたオリジナルの3つの鐘が残っていることでも有名だそうです。カテドラルの前では何やら撮影が・・・ふと、これはJALのカレンダーワールドビューティーの撮影か??なんて思ってしまいました。歩いていると、ひっそりと建っている教会を見つけました。え~これは金の祭壇のサンホセ教会か~??と思ったのですが、どうやら違うようでした。ということはメルセー教会??何という教会なのかはわかりませんが、祭壇は豪華でした。
2008年04月12日
コメント(0)
パナマの旧市街歴史地区カスコ・ビエホはサンフェリペ地区とも呼ばれているそうです。そんな古い町並みの路地をのぞきながらの散策。
2008年04月11日
コメント(0)
全88件 (88件中 1-50件目)