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昨日は成人の日、若者の門出に乾杯。今後どのような人との出会いが・・・また人生を歩まれるのだろうか・・・?。 自分が成人して50年も経過した。最近良く学生だった頃や独身時代の東京での生活を思い出すことが多い。 学生時代は富士の麓・・・そこで集団生活した2年間は自分の財産となっている事は間違いない。冬は氷点下10度位にはなる。寒風の中、5kのランニングと凍っている地面での腕立て伏せ、体操等・・・その中で体力と根性だけは付いた。そこでの体験がその後の試練や困難に陥った時・・・絶対にギブアップはしない、不屈の精神が自分の礎となっている。自分が設計コンサルタント会社に就職・・・何の知識の無い者が今日迄生活できたのも当時の社長や恩師にお世話になったことに尽きる。兄弟三人共東京で生活していた。一回り上の姉は国立病院で婦長をしていた。入社したての頃は貧乏だった為に姉と同居・・・飯を食わせて貰った・・・電算学校の学費も負担してくれた・・・一番お世話になった人・・。東京で高校の同級生と結婚・・長女は東京の姉のいる病院で生まれた。その後、当時の役員さんが会社を設立・・・一年後に博多の九州支店に入社した。32歳の時に母が心筋梗塞で死亡。父の面倒を見る為に地元に戻る事に・・・当時の社長の好意で営業所を出してくれた。高度成長期でもあり、徹夜作業は当たり前・・・自分も努力したし社員も良く協力してくれた。60歳で定年・・・。今日までの約50年、設計の仕事を続けられたことは幸せだった。「何をどのように」を自分の意思で実現することが出来る。この事は農業でも同じ。定年後は農業を始めることに意欲満々だったが・・・環境の変化もあったか直ぐに耳下腺ガンに、大学病院の医師の方針に背き九州がんセンターでセカンドオピニオンを受けた。今日まで普通の生活を送れるのも当時の部長との出会いがあったから。翌年には県病で心臓の検査中に意識が無くなり心筋梗塞、即ステント手術で10日間入院・・・。2年連続の入院で精神的に落ち込んだ。その後会社の設立・・移籍等・・今日まで数多くの出会いがあり、其の度に救われた。残りの人生は多くは無いが、これからも出会いは大切にしていきたいと思う。
2016年01月12日
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孫からの年賀状
2016年01月02日
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