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小説「クチナシの庭」 (10ページ目)26~28

「知ってるんだろ? あの庭のこと」

 間近で聞く声は低くかすれ、それだけ怒りが深いのだと、私に示していた。

 私は答えることもできず、ただ、見下ろす橋川を見つめ返すことしかできない。

「あの庭で何があったか、知ってるから探してんだろ?」
「……なにが……あったの」

 消え入りそうな声でやっと答えても、橋川の怒りをあおっただけだった。

「とぼけんなって。知ってるんだろ? だから興味本位で探して……」

 驚いて、私は目を見開いた。

「そんなんじゃない」

 反射的に首を横に振る。
 そんな、軽々しい気持ちじゃない。

「同じだろ」

 橋川は眉を寄せて「変な詮索するな」と吐き捨てると、両腕の戒めを解いて、視聴覚室を出て行った。

 私はしばらく、呆然とその場に立ち尽くして――やがて足の力が抜けて、壁を背もたれに、ずるずるとその場に座り込んだ。

 戻ってきた圭介に呼ばれ、肩をゆすられて我に返るまで、私は放心状態のまま座りこんでいた。

 家に帰ってからも、部屋で呆然とした感が抜けなかった。
 橋川の態度の変わりようが、あまりにも信じがたくて、現実にあったことなのだと実感するのに時間が掛かった。

 ぼんやりとする頭の中、橋川がクチナシの庭を知っているのが、なぜだか自然と納得できた。
 ……なぜだろう。
 橋川は一度も、クチナシの庭について話したことはないのに。

 同時に、彼が私を忌み嫌う理由に、あの庭が関与しているのも感じた。 
 庭について聞きまわる私を、疎ましく思っていたのだ。

(でも、どうして?)

 それが、わからない。
 花を探すだけなのに、庭を探しているだけなのに、あれほど嫌悪をあらわにするほど、なにがあるというのか。

 夕食をほそぼそと食べていると、お母さんから行儀が悪いとの叱責を受けた。
「そんな、無理して食べなくてもいいのよ」
 と、皮肉まで言われた。

 そういう意図はなかったけれど、食欲がなかったのは確かなので、お母さんに謝って食事を中断した。

 テレビのある居間へ行くと、祖母が先に座っていた。
 部屋に入ったとたん、鼻腔をわずかな香料がかすめていく。

 お父さんが嫌うので、居間には消臭剤や芳香剤の類は置いていない。
 なんだろうと眉をひそめて、すぐに原因がわかった。

 テーブルに、一輪の花が生けてあった。
 白い小さな花が寄り添って花弁を開いている。
 甘い香りが、かすかに流れ出ていた。

「どうしたの、この花……」
 テーブルの側に座りながらおばあちゃんに聞くと、テレビを見ていた顔をこちらに向けて、おもしろそうな笑みを作った。

「咲いてたんだよ。こんな時期なのにねぇ」

 何でも、おばあちゃんの茶のみ友達の一人、ひさえさんの家で咲いていたのだという。
 『じんちょうげ』という花で、芳香が強い花として知られていた。

 本当は2月から3月に咲く花なのだそうだけれど、時々、季節を勘違いして花を開くこともあるのだそうだ。

 春でなく、ぽつぽつと秋に咲く桜は見たことはあったけれど、他の花でも勘違いをすることがあるのかと、新鮮な発見だった。

 じんちょうげが好きなおばあちゃんに、ひさえさんが譲ってくれたのだという。

「いい香りね」
 私がそういうと、自分のことを褒められたように、おばあちゃんは顔をくしゃくしゃにして微笑んだ。

 香りはいいけれど……1つの花が出す量としては、少々キツイ。
 軽いめまいを覚えて、私は席をはずすと部屋へ足を向けた。

 香りは好きな花だけど……いかんせん、匂いがきつすぎる。
 ふらつく頭を振って階段を上がろうとすると、おかあさんとおばあちゃんの声がかすかに聞こえた。

「あの庭も……花で埋まっていたっけねぇ……」
「おかあさん」

 感慨深く、ぽつりとつぶやいたおばあちゃんを、お茶を用意したお母さんが咎める。

「あの家の話なんてしないでください。……縁起でもない」

 身震いまでしたお母さんは、両腕で自分の体を抱きしめながら、台所へ戻っていった。

 この時はとくに何も思っていなかった。

 気疲れと橋川の一件で精神が疲労し、その会話の意味にまで考えが及ばなかったのだ。

 重い体を引きずって部屋に戻りベットに横になると、そのまま私は眠りに落ちていった。

 あの文化祭最終日以降、橋川とはまともに顔を合わせていない。
 もともと、あたりさわりなく接していたから、彼の姿を視界の隅にも入らないよう、行動するのに、苦はなかった。

 圭介は、文化祭につきあってくれたお礼にと、数枚の食券を譲ってくれた。
 気にしなくてもいいのに。
 そう告げると「それじゃあ、こっちの気がおさまらない」と息巻く。

 圭介の思惑は的中した。私という虫除けが訊いたらしく、大会まで周囲のわずらわしさに囚われずにすんだ。
 感謝しているのだと強く主張する圭介に押されて、遠慮なく受け取ることにした。
 カエと由里子、智子の分をもらい、四人で昼食を楽しんだ。

 圭介はそれだけでなく、私の周囲にも気遣ってくれていた。

 橋川が側にいる状況をつくる、一番の原因が圭介だった。橋川が側にくる状況にならないように、心を砕いてくれていた。

 たぶん……視聴覚室で放心状態になった原因が橋川にあると……疑っている。
 圭介はしつこく何があったのかと聞いてきたけれど、私は何も言わなかった。

 言えなかった。

 私自身、あのときの状況をはかりかねているのだから。
 現実に起きた出来事なのかさえ、時折疑わしく思う。

 あのときの橋川は饒舌で……あれほど長い会話を彼と交わしたことなどない。
 別人のように思えていたのだ。
 起こりえない状況に、夢なのでは、勘違いなのではと考えてしまう。

 けれどそのたびに、間近で見た橋川を思い出す。
 触れそうなほど、近くにいた。
 動きを阻む両腕から、暖かい人のぬくもりを感じ、言葉がつむがれるときにこぼれる吐息が、肌に触れそうだった。

 あの時感じた体温は本物だ。

 そんな順繰りを経てようやく、現実に起きたことなのだと納得する。
 納得はできるが……理解は出来ない。

 あの時、橋川の言った意味が、まるでつかめなかった。

 興味本位で何が悪いの。
 ただ、あの庭を見てみたいと思うのが、それほどいけないことなの。

 そして――

「……なにが……あったっていうの……」

 あの庭で、いったい、何が。

 普段、鉄面皮の橋川が感情をむき出しにするほどのことなのか。
 それほどのことが、あの庭でおこったというのか。
 ……橋川は……その庭の所在を知っているのか。
 その出来事を知っているのか。……関わっているのか。

 疑念はつきないけれど、追求しようとする意欲はわいてこなかった。
 庭を探しているときは、似ている庭があると知ると、足を運ぶなど、自分で行動を起こしていたというのに。

 橋川からの忠告に、衝撃を受けたからだけではない。
 橋川を恐れているからだけじゃない。

 ……恐れているのは、私の身のうちにあるだろう、過去の記憶。
 消えた記憶がどんなものか、知りたいのは単なる好奇心と興味本位。

 結局、もう一度庭を見たいといいながら、庭を見れば記憶が戻る可能性があるのではと、期待を持っていた。

 それが、橋川が激昂するほどの事象に関わっている可能性がちらりとのぞいて……急に不安にかられたのだ。


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