すももの病気と仲良く生きる!

すももの病気と仲良く生きる!

すももの闘病記

ハニーコンサート


昭和55年12月下旬
 発病しました。膠原病(こうげんびょう)の中の全身性エリテマトーデス
 と言う病気です。
 発熱、関節痛、顔が赤く(蝶が羽を広げたように)なりました。

昭和56年1月
 お正月があけてそうそう、入院しました。
 3ヶ月の入院生活を送りました。
 ステロイド(副腎皮質ホルモン剤)を飲んでいる為、副作用で顔が丸くなりました。

昭和56年4月
 退院しましたが、しばらくは自宅療養です。

昭和56年10月頃
 昨年4月に入学した、洋裁学校を休学していたのですが、1年下のクラスに
 編入しました。
 通院しながらの通学です。

昭和59年3月
 洋裁学校卒業

昭和59年4月
 介護用品の製造販売の会社に入社。寝間着などの型紙を引く仕事。
 4週間に1度の通院は続きます。
 毎月の関節痛は相変わらず。

平成3年10月
 介護用品の会社を結婚の為退社して、専業主婦に。
 「子供を作らない」という条件を承知で、結婚に至る。

平成平成5年11月
 パートに出る。通院、たまの関節痛もあったけど、頑張って仕事に行く。

平成9年4月
 突然、左足の膝の裏が痛み出し立つ事も歩く事も出来なくなる。
 食欲もなくなり、足の痛みはひどくなるばかり。
 じっとしていても痛いので、トイレもままならない。
 このまま歩けなくなるのでは・・・と心配しました。
 母が足をさすってくれたら、楽になりました。
    この時母が「健康な体に生んであげられなくて、ごめんね」と泣いていました。
    この頃地震が続いていたので
    私「大きな地震が来たら(歩けないから)置いて逃げていいからね」
    母「そんな事出来る訳ないでしょ」こんな会話もありました。
 結局入院したのですが、足の痛みの原因は不明のまま。病状も悪化したので
 薬が増えて、又顔が丸くなる。
 続けていたパートは退社する事になる。

平成9年5月下旬
 完全に良くはなっていないが、何とか退院。自宅療養。

平成9年10月
 パソコンスクールに通う。パートでキーボードの入力は出来ていたので、
 少しは楽でした。

平成10年5月
 パソコンスクールのインストラクターになる。

平成11年7月
 流産。薬を長く飲んでいるし、関節痛で自分の事も大変な事もあるので、
 子供は作らないはずが・・・。
 月のものが無いなと、薬局で検査薬を買って妊娠だと解って数日して
 気持ちが悪くなった。コレが世に言う“つわり”と言うものか。
 私には経験できない事だと、思っていたのに・・・。
 でもこのおかげで、子宮筋腫を発見。

平成11年10月
 受け持ちの授業が忙しすぎたのか、髪の毛が抜けるなど体調を崩し退社。
 何年か前から飲んでいた、シモンの錠剤を買っている所の会報に載っていた
 鍼灸院に通い出す。
 週に1度通院して、お灸、鍼、気孔をやっていただいて、自宅でも
 足湯(ふくらはぎ位までをお湯で暖める)を1日2回、漢方のお水、
 ミネラルの原液、漢方のお茶、シモン芋の製品を飲み、自分でも気孔を
 やって自己治癒力を高める。

平成14年5月
 現在も鍼灸院に週1回通院、病院にも5週間に1度通院しています。
 関節は相変わらず時々痛くなります。
 でも今年の1月やっと血液検査の結果が、良い頃の数値に戻りつつあります。
 子宮筋腫は、全然症状もなく検査もしていませんが、どうなったかな?


合い言葉は「今日も元気だ、薬がウマイ!」
本当は苦いんだけどね(>_<)。


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