ひだまりももカフェ

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'04闘病記<後編>



6. 入院~退院検査まで
 予定で一週間。術法は腹腔鏡下を予定している、と告げられました。
このとき先生から
「中身は血のようですね~」
といわれたのですが、そういえばMRI技師の先生もその所見に
「内膜性腫瘍」
とかなんとか書いていたような。ただそんな中、気になったのは最初にかかった先生がいっていたこと。
「血は混じってるけどチョコレートではないと思う。血とタンパク性の粘液みたいなもの」
なんて私の頭の中の「えせマニュアル」にはない内容を告げたのが気になっていました。

 手術は腹腔鏡と少しの切開を交え、なおかつ婦人科医師と外科医師との連携プレーで行われたのよ、と術後母から告げられます。
なぜそこに外科医師が出てくるのだ。
しかも手術終了予定時間を3倍近く越えていました。その背景には、私が昔行った腸の病気が大きくかかわっていた様子。

 翌日からいきなり食事に脂ものを大量にだされ、いじめかと錯覚しました。
向かいのベットの人は術後翌日初めてのご飯が手違いでいきなり普通の白ご飯だったというし。
大丈夫なのかここの厨房の連絡網は。
ご飯が終わればいきなり歩かされる。なかなかスパルタ。これが普通だというから人間の体ってすごいんだなぁ。


7. 退院検査・術後説明
 検査も異常はなく。2日後退院という運び。
病名は当初の
「左卵巣のう腫」
というものから、
「骨盤腹膜癒着」
なんてものに変わっていました。私の病気は婦人科の病気ではなかったのです。
腫瘍も卵巣ではなく正常な卵巣をくるんで膜ができた上に分泌物や逆流血が微量づつ溜まりあの7cm弱ものニセ腫瘍を形成していたのだというから人体の不思議。
卵巣の病気ではなかったけど、MRIでSOSを必死に出していたのはやっぱり密封されて苦しんでいた卵巣だったんですね。

退院前日に何のお祝いだかわかりませんがまた膀胱炎にかかりました。


8. 退院後
 体力見事に減退。
自分のマンションの自室が3階なのをとりあえずアテもなく恨みました。(エレベーターなし)
久々に自分のベットでねて翌朝起きると、激痛がおなかに集中。寝心地の悪いベットなのはわかっていたし、毎朝弱い腰にダイレクトに痛みを覚えさせてきたこのベット。弱っている腹部(傷)にターゲットを変えたようです。
低反発マットを買おうと固く心に決めました。


9. 退院後検査後
 自分の誕生日が退院後初検査。とりあえずなんだかへこみました。
「全く異常ないです。」
と太鼓判をいただき、何とか気を取り直ましたが。
この日にもまだ膀胱炎治らず。癖になっているのでしょうか。慢性化していないので以前ほどではないけど。結局2週間くらいは変な感じが続きました。


10. 一月後
 11月に入り、会社が忙しくなって、傷も退院後すぐ治った(傷は残ってます)ので以前と変わらずすごしていたところ、忙しすぎて知恵熱を出しました。
体力や免疫が落ちているのはわかっていますが、それでもこの歳にして知恵熱って…。
我ながら情けない。


11. 何年ぶりだかのど風邪
 12月に会社でハナ風邪が大流行します。しかし私はそれに対してめっぽう強く、逆に熱風邪には、昔高熱を出しては白目むいて泡吹いてたくらいめっぽう弱い体質なので、
「悪いわねみんな。私その種のはいただかないの。」
と鼻で笑っていたところ、数日でのどをやられてしまいました。
あれはつらい。本当に声が出ない。のどがはれてくると息もしづらい。声が出始めたと思うと今度は鼻水の嵐。しめとして咳の嵐。年末ぎりぎりまでコイツに泣かされる羽目に。

思えば2004年の正月番組の中の占いで、私の生まれはその歳最悪だといっていたな…。厄年でもなんでもないのに人間ガタがくると早いものです。おかげで去年は病気の思い出しかないって訳です。

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終わりに。
そんなこんなで、そこそこ元気でキレイを目指せたらいいなぁと思いながら2005年を迎えたのです。
人間、からだが資本って本当です。
前年はそういう意味で不健康な生活を送っていた自分にからだが戒める意味で病気を知らせてくれたのかも、と思ったりしています。
病気については後々つぶやきます。


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