蘇芳色(SUOUIRO)~耽美な時間~

「おくりびと」




第81回アカデミー賞 外国語映画賞を受賞した 「おくりびと」
ようやく見ました。

アカデミー賞を受賞した時は、マスコミに何度も取り上げられていたので、映画評なども読んでいました。そのときに感じたのは、「ハリウッドもこんなに日本的な題材の作品を理解し、評価するんだ」ということ。くわしくは失念しましたが、新聞記事でアメリカでも日本的な死生観が理解がされてきたのが、死について考える事のできる「おくりびと」の受賞に繋がったのではないかというようなことが書かれていました。
それを読んで私は、「おくりびと」が河瀬直美監督や是枝裕和監督のように、制作側がはっきりとした結果を見ている側に提示するのではなく、それぞれが自分の立場で熟考できるような作品だと思い込んでいました。

そうではないんですね。


ストーリー

チェリストの小林大悟は、ようやくオーケストラに所属し、高価(1800万円!!)のチェロを購入して、音楽家として順調なスタートを切ろうとしていた。
しかし楽団の解散、チェロの売却、故郷山形へ住まいを移すなど、生活の変化を余儀なくされていた。妻美香は大悟に理解を示し、同行した。
大悟が山形で見つけた職は、納棺の仕事だった。
妻にも幼なじみ山下にも理解されず、後ろ指をさされる毎日。妻はなんど懇願しても大悟が仕事を止めないので、とうとう実家に帰ってしまった。
ある日山下の母が急死する。妊娠を告げに帰宅した美香とともに、山下の母の納棺に向かう大悟。死者を敬い、まるで儀式のように見事に山下の母を納棺する大悟の姿に、山下も美香も、納棺という仕事に理解を示すのだった。
穏やかに過ごす大悟のもとに1通の電報が届いた。それは30年前に愛人と失踪した父の死亡通知だった。



この作品が公開されるまで、納棺師という仕事があることすら知りませんでした。「おくりびと」が公開される前後、新聞連載で死者に関する職業が紹介されていたのを読み、また 「遺品整理屋は見た!」 という本を読んで、少しだけ知識を蓄えたくらい。
評判になっていただけあって、モックンの所作が美しかったです。死者を清め、死に装束を身につける動作が、まるで茶道の所作のようで。全て型にはまり、その型を継承していくといのことが、よくわかりました。その点は歌舞伎や狂言と似たところがあるのかもしれません。

ただ、です。最初に言ったように、死者を題材にした作品が、どうしてハリウッドで賞を取ったのか気にかかっていたんです。それが最後まで見て、わかりました。

いわゆるハリウッド受けするようなラストだったからです。
私がイメージしていたラストは、はっきりとしたものではなく、ただ人間は生きて死ぬ。その過程の1シーンを納棺師が携わるだけ。それ以上でも以下でもない。そういった淡々としたラストをイメージしていたんですね。ま、勝手にですけど。(笑)

それが、30年ぶりに失踪した父と対面した大悟が、すでに死んでいる父の自分への思いを感じ、心を込めて父を納棺するんです。そして美香のおなかに宿っている新しい命を思い、魂の輪廻を感じるんですね。
もちろん感動的なラストではあるのですが、いわゆるステレオタイプ。

何が理解できないって、30年もこだわり続けた父への恨みつらみが、短時間で解消して和解していること。もちろん父はすでに亡くなっているので、彼と語ったわけではありませんが、父の掌に握りしめられていた石文で、死の間際まで大悟を思っていたことがわかります。
その石文とは、自分の今の気持ちを表す石を拾って、相手に渡すという行為で、まだ父が家族と一緒にいたころ、大悟が父に渡したものでした。

その石文を見て、大悟が父を許し、美香のおなかの中の自分の子どもへの思いを感じるという、いかにもハリウッド受けするラストが、私はかなり物足りませんでした。
人間ってそんなに単純なものなんでしょうか。もっと複雑でどうしようもなくて、持て余してしまうからこそ愛しいんじゃないの?
だからこそ、ステレオタイプなラストではなく、煩悩を感じながらも、これからも仕事に邁進し、淡々と生きていく大悟の姿を見たかったなぁ~。一生かかって父の生き方を理解するというか、認めることができるようになるとか。

まあ、それだったらハリウッドで理解してもらえなかったかも。
河瀬監督も是枝監督もカンヌで賞を取ったもんね。(笑)


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