嫁様は魔女

嫁様は魔女

硝子窓(10月21日)



ちょうど三週間前、9月の最後の日にすっかり衣替えを済ませたと言うのに
なんなの、この異常な暑さは。

暑がるだろうあの人の半そでを取りに来た箪笥用の2畳半の空間は
たちのぼる陽炎が目に見えるほどの熱気に埋め尽くされている。

おかしい・・・、この部屋がこんなに暑くなるなんて。
窓は東向きでもうちの建屋では涼しい場所に位置しているはずなのに。

この気温と言い異常気象なのかしら?

窓から差し込む黄色い光が、カーテン越しと言うのにますます暑さを増幅させる。
開けて風を入れるのは後にしましょう。

主人の開襟シャツと、綿のズボン。
今からもっと暑くなりそうだし
ついでに自分と娘の半そでも出したほうがいいわね。

額にじんわりと汗が浮かんでくる。
詰め込まれた衣類で結構な重さになる衣装ケースの移動をしていると
大阪にいる息子の衣装ケースが目に付いた。

流行おくれだとか言って、どうせもう着る事もないんだろうけど。
あの子のことだもの、いつ必要だって言い出すかわかりゃしない。

ついでだから防虫剤を取り替えておきましょう。
ほらね、やっぱり切れてるわ。

最近のは一年は効きますって言うけれど、せいぜい9ヶ月がいいところよね。

数枚おきに滑り込ませてある薬剤を取り替えながら
『お取替えめやす』のマークを見て思う。

入っている薬剤を探すのにそうする必要はないのだけれど
気がつくと私は貴信の衣類を、一枚一枚取り出して眺めたり畳みなおしたりしていた。

あら、就職活動に作ってやった真っ白なワイシャツだわ。
キチンと都内のデパートで仕立てさせたのよね。
社会人になっても充分着られる品物をと思って用意したのに。

『真っ白なんて就活の間だけだって、デパートの人間がこんなの着てられないよ。』

そう言ってワンシーズン着ただけで、まさに『お蔵入り』になったシャツ。

「もったいないわね・・・・・あ。」

汗が落ちてしまった。
いけない、シミになってしまう。

この時間ならすぐに洗えば夕方には乾くでしょ、
アイロンをかけてしまっておいてやらないと。

そうそう、換気して行きましょう。
ワイシャツをしまうときに閉めればいいもの。

家族の洋服を脇で抱え持ち、少し背のびをして小窓を開ける。

途端。

「う・・・・っ!」

一気に入ってきた風が狭い部屋にこもった熱気をかきまわし
空気の壁に鼻と口を押さえ込まれたような息苦しさにめまいがする。

暑い!

頭と顔がのぼせたように熱くなり、汗が顔面を滴り落ちる。

冷たい。

私の体は一気に冷水を浴びたような寒気を訴える。
頭から落ちるのとは質の違う汗がするりと音を立てて背筋を流れていく。

全身の力が抜け、私はその場に崩れるように倒れこんだ。

そんなに暑くもないのに『今日は暑い』と言って、
夏服を取りに上がったまま戻らないのを心配した夫が、
箪笥にはさまれるようにして倒れていた私を見つけたときには
そこに揺らめく熱気なぞ微塵もなかった、と言う。

*

10月21日

ベランダにずらりと並んだベビー服に小さな満足を覚える。

ウチにはまだ一人しかいないから余裕があるのかも知れんけど
季節ごとに少しずつサイズの変わっていく奏人の服を洗濯するのは楽しい。

全部の洗濯物を干し終えて洗濯カゴを持ち、ガラスの扉を開けたウチの背中から
一瞬強く、暖かい風が吹き抜けて行った。

公園には紅葉も見え始めた時期やというのに
それはドライヤーを思わせる、暖かい・・・と言うよりは熱気を帯びた風やった。

今日はちょっと暑くなるんかも。
それやったらアイスをちょっと大目に用意しとかんと。
ウチはこれから出勤するバイト先のスタンドカフェの事を考えながら一階に降りていく。

ダイニングでは貴信が奏にバナナの入ったヨーグルトを食べさせている。

「今日、なんかぬくぅなりそう。」

奏の残りのバナナに手を延ばしながら、貴信に話しかけると
「じゃあ車でも洗おうかなぁ。」とのんびりした返事が帰って来た。

そうやないねんけど。
せっかく暖かくなるなら公園にでも連れて行ってくれればいいのに。

でも平日の休みに、詮索好きな主婦の集まる公園に行くのは
見栄っ張りなこの人にとっては苦痛なんやろうな、と思う。

もちろん話しかけられたら如才なく答えるやろうし、
口八丁で外商カードの契約の一本や二本も取ることができるやろう。
耐えられへんのは、遠巻きにウワサされることかな。
ううん、別に奥さん連中が世間話してても自分が何か言われてるんやないかって勝手に自爆して凹む感じ。

ココまでパターン読めるのにわざわざ公園行ってよって頼むこともない
「ええんちゃう?」と軽く流しておいた。

「奏クンはガレージで遊ばせてたら大丈夫だよな?」

「そやなぁ、ベビーカー座らせといたら?」

男の子の本能なのか、奏人は車や乗り物を眺めている間はゴキゲンでおとなしくしていてくれる。
貴信もそれはよく知っていて、時々ウチの留守に近所のショールームを覗いたりしてるようやった。
どうもウチに隠れて行ってるつもりみたいやから、あえて聞いたりはせんけど、
貴信の子守の日の後はいろんなディーラーから来店御礼のDMが入ってくるからすぐにわかってしまうんよね。

「オッケ。」

「ちゃんと水分は摂らせてや、今日ホンマに暑くなるそうやし。」

「わかってるよー、ベビーカーは俺たちが思ってるよりずっと暑いって話だろ?」

「じゃあ麦茶、ココやからね。冷蔵庫のはアカンよ?」

「だいじょーぶだって!いつもやってるじゃん。いいからもう行けよ。
 あ、帰りなんか借りてきて、DVD。」

「ええけどどんな感じ?」

「226事件とか。」

「うえーぇ、そんなんあるかなぁ。」

「ウソ。なんでもいいよ、面白そうなの頼む。」

「はいはぁーい。んじゃ行って来るね。」

いつも通りの軽口を交わし、いつも通りウチは自転車で家を出た。





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