嫁様は魔女

嫁様は魔女

硝子窓(ショールーム)



朝のファーストフード店はこれから学校に行こうかと言うような若い男女で
それなりの客入りだった。
サラリーマンらしいスーツ姿も見受けられるが、この時間にこんなところにいて果たして大丈夫なのか?

しかしそれは特別な風景でもないらしく、
ギャルソン姿の青年とくたびれたスーツの中年が連れ立って席についても、
誰一人こちらに視線を向けることはなかった。

それでも私は言葉を選んで目の前の青年に問いかける。

「須賀さんは、あちらのお店の店長をされているんですね。
 このビルは最近できたと記憶していますが、その前は?」

「アレグロの本店で勤務していました。」

「彼女も?」

当然、ここで言う『彼女』は『清水由香子』であり
私の来訪の目的を知っている須賀氏からも問い返されることはない。

「清水さんは。
 私がまだ学生のアルバイトをしていた頃に本店でアルバイトをされていました。
 一年もされていなかったと思います。
 妊娠されたのを機に、ご主人が心配されると言うので本店を辞められました。
 つわりがキツかったように記憶しています。」

「ご主人とも面識が?」

「ええ、よくお見えでした。
 最初はご夫婦で来られていて、そのうちにコーヒー好きの奥さんがアルバイトを始められたはずです。
 ご主人は奥さんがアルバイトを辞めても2ヶ月に一度は来られていましたね。」 

「よく覚えておられるんですね。」

「近所に外商のお客様がおられると言うので、いつもその帰りにお見えでしたから。
 なかなか個性の強いお客様らしくてよく愚痴をこぼされていましたし
 来られる時にはご自宅用のコーヒー豆をまとめて買っていかれるので印象はありましたね。

もちろん清水さんのご主人だとわかっていたから意識に残ったんでしょうけど。」

「なるほど。
 それで、今彼女はこちらの方でお仕事されているんですね。」

「私が休みの日に週一回程度来てもらっています。」

「シフトは何曜日ですか?」

「固定ではありません。
 清水さんのご主人が休みの日や、私の家庭の都合に応じて予定を組んでいましたから。」

「かなり先の予定まで決めているのですか?」

「いえ、一ヶ月単位ではシフトを作りますが、お互いの事情で交代したりしますので厳密には決まっているとは言えませんね。」

「彼女が出勤していた日は確認できますか?」

「どうして清水さんの出勤日をお知らせする必要があるんですか?
直接関係があるとは思えませんが。」

なかなか頭の回転がいい。
非常に論理的で理路整然としている。
喫茶店の店長より詐欺師か弁護士向きだ。

「この写真を見ていただけますか?」

手帳にはさんだ手札の写真を取り出すと、須賀氏はいぶかしむように聞いてきた。

「捕まっているんですよね?その場で。」

彼は受け取った写真を一瞥してすぐにテーブルに伏せた。
表情は変わらない。

「ショールームか、本店か、その周りかも知れません。見覚えはありますか?」

「いいえ。」

では、と私は『次』の写真を出して見せた。

「この人物は?」

須賀氏のいぶかる顔に小さな怒りの感情が加わった。
彼は伏せ置いた写真を人差し指の先で叩きながら

「違いますよね、この人と。」

と、私に念を押してくる。

「そうですね。」

「なんだか疑われていると言うか、僕がテストされてるみたいで気分のいいものではありませんね。
 そもそもどうしてこんな確認が必要なんですか?
 もう捕まっているんでしょう?」

「彼と清水氏との接点を調べています。
 本人は衝動的な事だと話していますが、そのまま鵜呑みにはできません。
なんらかの接点があって利害関係や感情のもつれが絡んでくるのであれば、事件の様相はまったく違うものになります。」

「ネットのニュースで見ただけですけど、通りすがりの思いつきみたいな犯行だと自分で話しているんですよね。
 いまどきありがちな自分本位のバカって事で決定なんじゃないんですか?」

苛立った様子でバカと言い捨てる辛らつさが、この事件への彼の怒りを表している。

「そんなバカを『よくある話』で片付けてしまうわけには行かないんですよ。
 もう一枚、こちらもいいですか?」

不機嫌ながらも何か思うところがあったのか、須賀氏は今回の写真はしっかりと見てくれた。

「何枚ダミーがあるんですか?」

しかして嫌味を抑えるつもりはないようだ。

「すみませんね。先入観や勘違いをできるだけなくすための決まり事なんです。」

「そんなものなんですか。」

「お手数をおかけします。」

実際『そんなもの』かは知った事じゃない。
私はあと2枚写真を渡し、そのいやらしいと言われても仕方のないやり方を続けた。

「どうですか?」

「少なくとも新店舗では見覚えがありませんね。」

「かなりはっきりおっしゃるんですね。」

「こう言う・・・・なんと言うかまぁ、普通かそれより低めのランクにいる人にあのショールームは敷居が高いと思います。
仮に入って来たとしたらかなりのインパクトがあって忘れられないでしょうね。
それほどお客さまの多い店でもないですし。」

「オープンして4ヶ月ほどでしたか?
目新しいし、車の好きな人も来るでしょう。そんなに客入りが少ないものですかね。」

「あそこに来る人はほとんどが常連のダーナユーザーで、身元のはっきりした人ばかりです。
一見で入ってくる人もあの車に見合うだけのステイタスを持った人でないと自分からは入ってきませんしね。
時々ディーラーが外から見ている人に声をかける事もありますが『商売』になる可能性のない人間を呼びいれる事はありません。」

「彼らは『商売』にならないランク、と言う事ですか。」

「私が言う事ではありませんが。
ですがあのショールームにはそう言うお客さましか見えられないのは事実です。」

「本店では?客だけなく搬入業者やオシボリの業者、アルバイトの面接に来たとかそう言う関係者も含めて考えてください。」

須賀氏はトランプのババ抜きのように5枚の写真を扇形に広げてじっと眺めている。

「・・・覚えのある人はいません。」

「そうですか。それではショールームの方にも少しお話を・・・。」

と、言いかけた途端に彼の顔つきが変わった。

「約束が違う!店には来ないで欲しいと言ったはずです。」

「ですが須賀さんに見覚えがないようでしたら、清水さんの出勤日にこう言う人物が来なかったかを誰かに聞かなければ。」

「誰に聞いたって同じですよ!」

「入ってこなくても外から覗きこんでいたとか、そう言う事があるかも知れませんし。」

「警察がそんなに仕事熱心だとは知りませんでしたね。
犯人は現行犯で逮捕されて自供もしている、なのに何を調べようって言うんですか?
あなたのしていることは捜査じゃない。
被害者の傷をを無意味に広げているだけだ。」

「ただ通りすがりにムカついたからと殺される、
そんな事を当たり前に受け入れてしまったら被害者の命を軽んじる事になりませんか。」

「それは清水さんが考える事でしょう。
・・・あなたは彼女を・・・清水さんを疑っているんですか?」

「いいえ。先ほども申し上げた通り松浦と被害者の関係の有無を確認しているだけです。」

「でしたらショールームの人に聞くのはやめてください。
清水さんがこの上仕事までも失う事になる、わかるでしょう?」

この青年の言う通り、これから私がダーナ社に行き事件の事を話せば
清水由香子は職場にいられなくなる結果になる事は容易に想像がついた。

被害者の妻でなんの罪もない立場だとしても、事件を知れば彼女は人々の好奇の目にさらされる。
一度でも刑事が出入りしようものなら尚更だ。
高級なイメージで売るあの車屋がそう言った人物を置くことを容認しないだろう。

しかしダーナ社に対して事件との関係を隠しおおせたとしても
彼女が週に一度のアルバイトの現場に戻って来るとはとても思えない。

アルバイト中に事件が起きてしまった。

もし彼女がただの被害者ならば自分の外出を悔やみ、そのアルバイト先に2度と出向くことなどないだろう。

この賢しい青年がそれに気がついていないはずはない。

恐れているのは「アレグロ」と言う店の進退か。

薄荷の香りがするタバコの代用品の飲み口を噛みながら、私は目の前の生真面目な青年にも代用の案を提案した。

警察からダーナ社側に今回の事件と清水由香子の関係は話さない。
須賀氏が信用のおける人物を選んで話をさせてもらう。
その人物には写真を見せて、ショールームへの出入りがなかったかを確認するのみとする。

それでどうにか納得してくれた須賀氏と私は、きらびやかな1階のショールームへと戻って行った。

『close』の札は取り外され、スクリーンがかかっていたいくつかのウィンドウもすべてロールが巻き上げられて、一点の曇りもない輝きを見せつけている。

中央にはブルーのスポーツカー、向こうにある赤いヴェルダンディはアレグロ・ヴィバーチェのオーナーのものと少しモデルが違う。
これが最新のスタイルなんだろう。

手前には黒いクラッシックな車が陳列されている。
往年のリンカーンのようなデザインだ。

どれもまさに威風堂々の風格を誇示し、庶民など寄せ付けないと言った須賀氏の言葉もうなづける。

ショールームの店先でいかに切り出すかを思案していた私をよそに、
須賀氏は自ら飯田と言う営業マンを呼び出してくれていた。

「彼が一番客層が広いと思います。」

「すみません。」

飯田と言う30半ばの中堅営業マンはさわやかな笑顔を浮かべてショールームの玄関まで足早に歩いてきた。

「おはようございます、須賀さん。こちらは?」

「ちょっと外に出てもらっていいですか。」

その返答に一瞬の疑問を持ったようだが、飯田氏は特別に追及する事もなくショールームの玄関から少し離れた場所まで同行してくれた。

私は自分の身分を名乗り、須賀氏との約束どおり事件の詳細は伏せた上で
飯田氏に5枚の写真の人物を店、または近辺で見かけた事がないか聞いてみたた。

結果、おおむね須賀氏と同じような答えが帰ってきた。

「こう言う方々がお見えになる事はないですね。
・・・引きこもりとかそう言う感じの人たちですか?」

「なぜそう思われます?」

「日焼けしてませんよね、みなさん。それとひげや眉、髪型にも無頓着だ。
セットをしていないとかそう言うのでなく、もうカットの段階から洒落っ気を出すことを念頭に置いていない。
何よりおとといの鯖みたいな目つきが共通していますよね。
若いお客さんも来られますが、若くしてウチの車を見に来る人はもっと、そうですね。なにかしらのパワーがある目をしていますから。」

「目つきでわかりますか?」

「どうでしょう?僕の人間観察はただの趣味ですからね。
でもこのタイプの人たちがウィンドウを見ていてもこちらからお招きする事はないです。」

八割方はずれだとは思っていたが・・・・私は今すぐニコチンで胸を満たしたくなってきた。

「ですが。」

ここは収穫ナシで次に向かうつもりでいた私に、思いがけず飯田氏の方が声をかけてきた。

「あそこ、タンブラーが飾ってある窓がありますよね。」

言いながら彼は我々をその窓の前へと連れてきた。

「かなり不審がられるでしょうけど、ここ。
この窓に密着すればタンブラーの隙間から店内を覗くことができます。
仮にそうされた場合は、この中を誰か見ていてもわからないですね。」

金色で描いた車の絵が入ったプラスチックのカップは下に行くほど細くなっている。
なるほどその隙間からちょうどさっき見た黒い車のボディが見えた。

「あの黒い車は珍しい形ですね。」

「新車でウルズと言います、ご興味がおありですか?」

「wolves(おおかみ)ですか?」

まったくと言って車のイメージにそぐわない。

「いえ、英語ではウルドです。
 スクルドとヴェルダンディとウルズで運命の三姉妹と言う神話になぞらえたシリーズになっていて
クラシックカーには過去の女神のウルズの名前をあてているんですね。
いかがですか?」

「とんでもない。自分の分はわきまえてますから。」

「よくお似合いになると思うんですけどね。」

車が似合うのではなく、すでに過去になってしまったことばかりを追いかける商売の私に彼はあてつけているのかも知れない。

「このタンブラーはずいぶんたくさんあるんですね。」

私は飯田氏のまったく売るつもりのないセールストークを無視して話題を戻した。

「決算期のプレゼント用に用意したんですがかなり余ってしまいましてね。
須賀さんのアレグロで販売もお願いしたんですが、ほとんど出る事がなくて
ディスプレィにしてもらったんですよ。」

「じゃあ今は入手できないんですか?」

「いえ、売ってますよね。須賀さん。」

「おひとつ1200円になりますので購入される方は滅多におられませんが。」

1200円!このプラスチックのカップが?

ガラス越しにギンギラギンのカップを眺めてみるととても1200円の価値はなさそうな事と、
カップの隙間から喫茶スペースは、スタンドの横方向の壁にあたる部分しか見えない事も確認できた。

「こんなことを言っては失礼なんですが。」

ふっと息を漏らすように飯田氏は笑って言った。

「もしそうやってガラスに張り付いている人がいたら相当人目につきますね。
職質やなんかはなくっても見かけた人が、ショールームに一報くれても不思議じゃない怪しさですよ。」

ここから覗けると言ったのはそっちじゃなかったか?
その矛盾に私もつい苦笑する格好になる。

「なるほど。参考になりました。お忙しいところご協力ありがとうございました。」

軽く会釈をしショールームに背中を向けると、二人の青年の小さな声が聞こえて来る。
私はそれと感じさせないように用心深く歩を緩めた。

「今の刑事さんは何を調べているんでしょうね。」

「さぁ、僕にはわかりかねますが。」

「今まで一緒に出てたんじゃないの?」

「ショールームでああ言う人と話したくはないと思いませんか。」

「まぁ、開店前だけど歓迎はできないなぁ。それだけ?」

「そうですよ。」

「・・・昨日隣町で通り魔にあった人って清水さんて男の人なんだよね。」

「そんなニュースがあったんですか?」

「捕まった犯人はあの写真位の若い男だって。何か清水さんと関係があるのかな?」

「清水と言う苗字はよくあると思いますよ。」

「偶然かな?」

「さぁ。ですがあんな写真の人物がこの店に来たことはない。
 それが事実なんですから、何の事件かは知りませんが我々とは関係はないですよね。」

「確かによくある苗字だよね。」

そう言った飯田氏が先に店内に戻ったようだ。

私は駅ビルを出て乗り込んだタクシーの中で須賀氏との話を思い出して咀嚼した。

次は清水由香子の病院だ。

*

駅前で拾ったタクシーに、被害者の妻である清水由香子が入院している病院の名前を告げた後、
煙草を吸ってもいいかと聞くと当然のように断られてしまった。

こんなことなら山口を帰すんじゃなかったと思ったが、仕方がない。
今頃アイツは松浦から何か引き出しているだろうか。

背もたれに深く腰掛けて、固く目をとじると
睡眠不足のせいか、目の奥が脈打つように痛むことを自覚させられた。

その痛みの奥の型落ちのコンピュータから、今聞いてきた二人の青年の話を引っ張り出してくる。

さて、類は友を呼ぶと言う感じの二人だった。
礼儀正しくて真面目な印象がある、が。
必要とあれば平然と嘘もつけるタイプだ。

しかしあの二人が松浦の出入りを隠す必要があるか、と精査して考える。

飯田、と言うほうにはないだろう。

あるとすれば須賀氏のほうだ。

例えば清水由香子に松浦がつきまとっていた。
松浦がアレグロ・ヴィバーチェの関係者だった。

と、仮定すればダーナ店の進退に関わってくる。

だが飯田の話から考えてみてもダーナショールームの「Allegro」に松浦と思しき人間の影はない。

アレグロ・ヴィバーチェのオーナーは須賀氏と同じ理由で嘘をつく可能性はあるが、本店の女性店員はどうだ?
松浦があの店に何らかの関わりを持っていた場合、警察に対してああも落ち着いた対応ができるものだろうか?

もちろんたまたま松浦を知らない、もしくはニュースを知らないだけとも考えられるが。

一方松浦の職歴の中にも「アレグロ・ヴィバーチェ」は含まれていない。

頭の中で私がささやく。

『のめりこむな。悪い癖だ。』

知ってるとも。
だが悪癖とわかっていればやめられるのなら、まず煙草をやめてるさ。

しかしあの機械があらかじめ決められた台本を再生するかのような態度をどう受け止める。

私にはまったく人間らしい感情の揺れを見せる事がなかった松浦。
その後に入った山口に対しては、反抗的な台詞を吐くことがあったようだが
それでも機械を相手にしているような印象だったと言う。

一種の精神疾患を持つ人間なのか。
私はこの『心神耗弱』と言う言い逃れが大嫌いだ・・・。

(まともな精神で殺人を犯せるはずがないだろうが!)

心から自分や社会を見限っているのか。
(それでは社会に認められるためにお前がした努力はなんなんだ?)

用意されたシナリオを辿っているのか。
(お前の意思は、メリットはどこにある!)

松浦智の表情のない顔がダリの時計のように歪んでは消え、不意によみがえる。

ドライバーの到着の声で揺らめく取調室がはじけとんだ。
どうやら私はまどろんでいたらしい。

気持ちで超えられない自分の衰えを強制的に自覚させられた私は
タクシーを降りた直後、栄養剤代わりのニコチンを胸と脳に送り込みさらに自販機でマルボロを買い求めた。

その後、彼女の病室に向かうが今回も当人に会うことはできず
『立ち聞き』と言う真にスマートでない方法で情報を収集することになる。

夕べ会った被害者の母親の大声で怒鳴りちらす声が防音効果のあるはずの病室からもれ聞こえ、
そこから嫁姑の関係が最悪に近いと言う事はよくわかった。

しかしそれが女性特有の独占欲からなる対立か、
現実に清水由香子と言う女性が、
夫たる貴信氏をないがしろにしていた故の対立なのかまでは判断しきれないまま、私の不恰好な情報収集は完了した。

・・・夫婦仲がこの嫁姑の関係以上に劣悪ならばまた状況が変わってくる。
夫婦間での殺意を覚えるほどの憎みあいはそう珍しくもない。

コンビニで買った弁当を片手に署に戻ってみると、松浦の取調べが一区切りついたらしい山口が喫煙所でコーヒー片手に書面とにらめっこしているところに出くわした。

ちょうどいい。

「ご苦労さん。どうだった?」








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